『子どもを連れて、逃げました』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第1回 高橋芽衣子さん(仮名・51)の話(後編)
職場で出会った3歳上の小柄な男性と1年ほど付き合い、妊娠し、結婚した高橋さんは、出産前後に夫に対して違和感を覚え始める。子どもが生まれてからは、人の話を聞かない、切れやすい、超クレーマーといった本性が、徐々に現れてきた。東日本大震災をきっかけに、別れが決定的になる。
(前編はこちら:「給料が少ない」と偽っていた夫、子どもが生まれてから、超クレーマーな本性があらわに!)
「お父さんとお母さん、どっちがいい?」
――「こいつは人として本当に終わってる!」と思ったというのは、どういうことですか?
東日本大震災直後の、2011年3月20日ぐらいだったかな。三越の食堂で並んでたんです。すると、彼は勝手に順番を抜かして前に出ちゃった。当然のことながら、抜かされた人から「なんで抜くんだ」って言われて、それに対して「お前が行かないからだよ!!」って怒鳴ったんです。相手はたまたま前が空いてることに気がつかなかっただけなのに、声をかけもせず。それを見て、なんでこんなことでもめるんだろうってあきれました。
それにね、計画停電が呼びかけられてるのに、彼はそれに逆らうように、電気を無駄遣いするわけですよ。「俺は東電に対して協力する気なんかない!」とか言って、冷房を最低温度の16℃に設定して。おかげでその月の電気代は2万円を超えてしまいました。東電には協力しなくていいから私に協力してよと思いましたが、言っても聞き入れてくれなくて……その無駄遣いにあきれちゃって、「私、もう無理」って思って、家庭内別居を始めました。そのときから、私は向こうの実家には行かなくなりました。
――家庭内別居になったとき、彼と子どもの付き合い方は、どういう感じだったんですか?
子どもは、甘やかされるほうに行っちゃいますからね。するとね、夜遅くまで父親と一緒に起きて甘いものとかバクバク食べちゃって、ついには小児生活習慣病予備軍になっちゃったんです。それで、子どもは夜は私と一緒に寝ましょうというふうになったんです。それは小学5年生のときでした。
その後、中学受験をするってことで、受験勉強を始めたんです。でもね、夜更かししてたし、週末は彼の実家に連れてっちゃうしで、本気で勉強しなかったんです。そんなので合格するはずがないですよね。
――それで、家庭内別居から今に至る経緯は、どのような感じなんですか?
後から思えば、中学受験の前から、連れ去るための準備を着々と重ねていたようです。2013年の3月11日だから、息子が小6の終わりのとき、彼は私がいる前で、息子に「お父さんとお母さん、どっちがいい?」って聞いたんです。すると、息子は「お父さん」って言うわけ。それって、事前に息子に聞いてるんです。「お母さんのところに行ったら、お父さんは一生会わない」って、彼が息子に言った上で聞いてるんですよ。だったら、両方会えるほうを選びますよね。
――残酷ですね。
それだけじゃないです。その日以来、息子を実家に通わせ始めたんです。息子は下校して、いったん帰宅してから、友達と遊んだり、塾などの用事を済ませたりした後、電車で30分のところにある彼の実家に通うようになりました。
当時、向こうは着々と引き離し工作を進めていたんです。おかしいなと思ったのは、息子にこう言われたからです。「僕がこの家にいると、僕の魂が赤ちゃん返りするって言われた」と。「誰に言われたの?」と聞いたら、彼の姉でした。
その後、お義姉さんから電話がかかってきたことがあったので、聞いたんです。すると、「私、そういうの、見えるんだよね」って平然と言うんです。それを聞いて私、「ほんとこの人たちやばいわ」って思いました。驚愕しました。
――誰かに相談はしたんですか?
区の法律相談とか女性センター、子どもセンターみたいなところ、あちこち行きました。どうすれば息子との関係を絶たないで済むかということを聞きたくて。だけど、対応策を聞くことはできなかった。その代わり、「離婚したくないってことを演じて伝えたらどうですか」とか、「まずは婚姻費用調停を申し立てなさい」とか言われました。「DVだから逃げなさい」と言われて、シェルターに入るよう強めに勧められるのかと思ってたので、意外でした。
――その後、息子さんは公立中学へ行きますよね。そのときも彼は父親の実家へ通っていたのですか?
そうです。毎日通っていました。放課後、息子は毎日、電車で彼の実家に通うんです。それで夜まで向こうで過ごした後、彼と一緒に帰って来ていました。そのうち息子は「PASMOに入れるお金ちょうだい」って言ってくるわけ。でも息子のお願いはむげにできない。だからお金をあげちゃうわけ。本当は嫌でした。
――引き離しを止められなかったんですか?
翌月の4月半ば、双方の親と私たちで、話し合いを持ったんです。私は、本心ではなかったけど、向こうの親に対して「やり直したい」と言いました。でも、彼のお母さんが承諾しなかった。ただ、毎日通わせることだけは、子どもの生活が大変だから、しばらくやめるということで話がつきました。
それから少しの間、母子2人で過ごしました。というのも、話し合いの後、ゴールデンウィークの時期に夫が家を出ていったんです。「疲れたから実家に帰って静養したい」って言って。私からしたら「どうぞどうぞ」って感じ。その時期は、母子2人ですごく楽になりました。
とはいっても、私は息子と2人で寝たりはしませんでした。その直前まではお父さんと一緒に寝ている子だったんだけど。「中学生だから1人で寝なさい」と言って、自分の部屋を与えました。
――でも、平穏は戻らなかった。
そうです。裏で彼が自分の姉に相談して、着々と引き離し工作を進めていたんです。そして実際、ゴールデンウィークの前に、離婚調停の書面が来ていました。私は弁護士とか心理の専門家に相談しなきゃと思って、いろいろ調べました。そして、離婚と子どもの関係について詳しい大正大学の青木聡先生にたどり着きました。でも、すぐには先生本人に会えなくて、引き離しには間に合わなかった。息子は着の身着のまま、荷物は持たずに連れていかれました。
――引き離すにあたって、学校が変わるといったこともあったんですか? 中学には入学したばかりですよね。
越境通学するようになりました。息子に指一本でも触れさせないよう、彼や義父が学校の中まで送り迎えするようにしたんです。そんな異例なことを承諾してもらうため、彼と義父母が、そろって学校に挨拶に行ったそうです。彼の出勤時間から逆算すると、息子は通学時間の1時間前以上前に通学していたはず。
――「遠いから、元の家がいい」と息子さんは言わなかったんですかね?
それはわからない。でも、少なくとも1学期の間は、息子とやりとりできていました。私はPTAに入って、月に1〜2回の学校公開(授業参観など)には必ず参加していたし、行けば毎回会っていた。そのとき、息子は私のことを拒絶はしなかったんです。逆に父親が見ていないのを確認して私に話しかけてきました。学校自体は、この件に関わりたくないようでしたけど。
――離婚調停の申立書が4月に届き、夫と息子さんが5月に家を出ていったということですけど、その後の流れというのは?
申し立てられた離婚調停に出席する前に、上申書を100枚ぐらい書いて出したんです。これこれこういうひどい目に遭って……という感じで。息子を取り戻すために、弁護士を立てて、面会交流・円満調停の申し立て、監護者指定と子の引渡しと、引渡し前の保全処分という3点セットを、6月末ごろに申し立てました。
――それ以降の、息子さんとの交流はどうなってるんですか?
引き離されてしばらくは、一緒に暮らしてはいないし、学校以外では会えなかったけど、関係は良好でした。7月に双方代理人がついて、調停やその前の保全、審判など、改めて家裁で話が始まり、正式な面会交流みたいな感じで会うようになると違ってきました。その年の夏休み中の8月、元夫の代理人弁護士の事務所で、第1回の面会交流が行われました。その場には、息子と私、双方の弁護士、そして夫がいました。
私が一方的に話しかけて、若干息子が反応するみたいな感じでした。百面相したりしたら、息子は我慢できなくてプッと笑う。そんな感じで感情のやりとりができたんです。面会交流が終わって私が事務所を出た後、息子が号泣したそうです。すると、後日元夫側の弁護士が「お母さんが嫌だったから号泣した」という文面を含んだ書面を送ってきたんです。
こっちは「子どもとの良好な関係の証拠」を書面で出す。でも、そうすると次に会うときはいろいろ制限され、さらにその次の面会では、子どもはまったくしゃべらなくなり……。「子どもと私の関係は壊れていません」と主張すればするほど、関係を壊されていったんです。親権や監護権は、引き離された後の「監護の継続性」を理由に、裁判所から突っぱねられました。そうして、子どもを取り戻すことができなかったんです。
――裁判や調停は、まだ続いているんですか?
訴訟としては最後かもしれませんが、地裁で面会交流妨害についての損害賠償請求訴訟を彼と義父、彼の姉に対して起こしました。月に2回会うと取り決めて、そこから増やしていこうって思ってたんですが、妨害されてしまった。
元夫がカウンセリングを受けること、子どもの情報を私と共有することといった取り決めは、中学校時代こそ死守しました。だけど、離婚が成立した直後の高校2年生の4月以降、まったく会えなくなりました。最高裁まで引き延ばしたんですが。
ちなみに、私に養育費を払わせろという調停を起こし、私に支払えという審判を出してもらったのですが、私からの養育費の受け取りをずっと拒絶されています。息子については「大学に行った」ということしかわからない。元夫は「子どもが言いたがらない」って言っていますね。
――調停や裁判はどのぐらい行ったのですか? その結果、一度でも会うことができたりしたんですか?
会えなくなってから、まず取り決めを守るように裁判所から履行勧告してもらいましたが、だめでした。その後は面会交流調停を2回やって取り下げ、親権者変更も1回やって取り下げました。養育費調停もやった。でも、一度も会うことはできなかった。そうこうしているうちに息子も20歳になってしまいました。
――子どもに会えない親はよく、「子どもが大人になって、自分の意志で会いに来てくれたら……」と、希望を込めて言いますけど、息子さんから会いに来ることはあったりしたんでしょうか?
母親である私に、息子が自分から会いにきたことは今のところ一度もありません。といいますか、彼の両親が強硬なので、彼らが生きている限り絶対会わせようとしない。それに息子から会いに来ることもないでしょう。望みが薄い状態ですが、それでも私はずっと息子に関わっていくつもりです。関わることをやめた途端、「お母さんはお前を見捨てた」って言うに違いないですから。嫌われてもいいので、存在を示し続けます。やめたからといって関係が改善するとは、絶対思えない人たちなので。
――女性って自分のおなかを痛めて産んだという経験があるから、男性よりも自分の子どもへの思い入れが強いと思うんですよ。もしかすると、同じ引き離しでも女性のほうがつらいのでは?
すごくつらいです。魂が引き裂かれたように。ただ、私はとりあえず12歳までは面倒が見られたわけじゃないですか。だから幼い子と引き離された人たちと比べて少しだけましだと思っています。
自分が息子を連れて行けば、こういう目に遭わなかったのかもしれない。だけど、それは息子に対する虐待だと思っていたので、自分からはできなかった。それにもし、私のところに息子がいたとしたら、向こうは息子との縁を本当に切ったと思う。今、息子と会えないのは、つらいし苦しい。本当なら、彼の家の近くに住めば息子に会えるかもしれない。でも、それをやったら精神を病んじゃうと思う(笑)。やれる範囲で、子どもに対してのアクセスは続けていくつもりです。
(西牟田靖)