皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。
――これまで、女官たちから妃殿下に行われる厳しい指導についてうかがってきました。まるで異なる世界のルールに悩む勢津子妃に、夫である秩父宮様はどう接しておられたのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) 宮様はおやさしいのです。秩父宮妃殿下の自伝『銀のボンボニエール』(主婦と生活社)には、宮様が「宮中には私が教えようもないほどいろいろあって大変だと思うが、結局、それは自然に覚えるしかない。あまり気にしなくてもだんだんと覚えればいいですよ」というお言葉で、勢津子妃をねぎらったということが書いてあります。勢津子妃は「この宮様だけを頼りにして、お言葉どおりについていけばいいのだ」と思ったといいますね。
――夫婦の愛ですね。
堀江 そう。お二人の時間は、夫婦の時間なのですから、お二人がそれでよければよいはずなのです。しかし、そういうわけにもいかないというのが皇族のしきたり……。たとえば、宮様は結婚なさった後も青山にある陸軍大学まで赤坂の秩父宮邸から徒歩で通っておられました。
陸軍大学時代も、学生としての勉学と皇族の公務を両立させるという、大変なスケジュールで宮様は動いておられました。学業だけ考えていればよいほかの学生からも、あまりに課題のたぐいが多すぎると音をあげるくらいのスパルタ教育が、当時の陸軍大学では行われていたのですが、不平をこぼすと「戦争中にそんなことが言えるか!」と一喝されてしまうだけ。ちなみに秩父宮様は、その後も学生時代と変わらぬハードな日々を送ることを自分に課し続けたがあまり、後に過労が原因で体調を崩し、肺を病まれてしまうのです……。
――皇族は優雅な生活を送っているのではないことが、この記述からもよくわかります。
堀江 当時の宮様は午後4時~5時くらいに大学から戻られるのですが、その時間、妃殿下はもちろん、「家来」と呼ばれていた邸内の職員すべてが並び、お帰りを待つのが「習慣」でした。
その後、宮中や各国大使館での晩餐会など公務がない限りは、夜遅めの時間にはじまる宮邸のディナータイムの前に、好物のアンパンを食べてから、宮様は学校で出された課題に取り組むのでしたが……。
――おやつはアンパンですか。当時はハイカラな食べ物だったと聞いたことがあります。
堀江 そうなんですよ。しかし勢津子妃は甘いものが子ども時代から苦手だし、パン食文化の本場であるアメリカ育ちといってもよいお方ですからね。パンにアンコという取り合わせがおイヤだったそうで。一度もアンパンを食べなかったというのです。すると職員が気を利かせて別のメニューを一緒に作って出してくれたら、それを何も疑わずに喜んでパクパクいっていた、と。
――うーん、また女官からキツめのチェックが入りそうな雰囲気。
堀江 ご想像どおりです。殿下のおつきあいもなさらないのは妃殿下として間違っている。自分の好きなものを周囲が作ってくれるからと、殿下をさしおき、それを自分だけ食べ続けるとは配慮が足りていない、との叱責が「ある筋」から届いたのです。宮邸の女官が、勢津子妃の“先輩”にあたる別の妃殿下にでも報告したのでしょうかね。
勢津子妃の場合、外交官をしているご両親はその時イギリスにいたので、日本の家庭生活、日本の妻のあり方について親から勉強する機会がなかった……というのですね。勢津子妃のおばにあたる方も、武家から宮家に嫁いだ梨本宮伊都子(なしもとのみや・いつこ)妃で、その方のアドバイスは「妃殿下というものはしんぼうが第一」でした。
――「しんぼう第一」……。その様子では、ほかにも厳しい注意を受けていそうなのですが。
堀江 大正天皇の多摩御陵に最初にご参拝、というとき、秩父宮様は「君はぼくがするとおりに真似していたらよいよ」といってくださったので、そのとおりにしても、女官から「ちょっと申し上げかねますが」というチェックが入ったのです。
―――クレームの付け方の言葉使いからして独特ですね(笑)。
堀江 「妃殿下は女子(にょぎ)さま」なので、宮様はしていなくても、もう一度、御陵の方を振り返り、そこで止まり、さらにもう一回多めにお辞儀をなさるべきであった、と。
「女子」は、御所風では「にょぎ」と読むわけですが、勢津子妃には当初、それ自体がピンと来ず、何を言っているのかわからなかったと書いておられるのでした。
ほかには、宮様が陸軍大学を卒業、皇族軍人として「歩兵第三連隊第六隊長」の肩書で代々木練兵場で大礼観兵式(天皇が閲兵する儀式)にお出ましになられたときにも、勢津子妃の服装に厳しい指摘が寄せられたというのです。
――立ち居振る舞いとか衣服がマナー違反ですよ! といわれるのは、なかなか傷つくものですよね。
堀江 まさにそうです。勢津子妃も、涙ぐむこともしばしばあったと書いておられますね。
ちなみに閲兵式に着て出たのは「アメリカの学生たちが着るようなお粗末な皮コート」と書いておられますが、革ジャンの類いでしょうか。もちろん本当に「お粗末」なわけがありません。風も吹いているし、寒いし……ということで、アメリカ育ちの勢津子妃は革ジャンを選んだのですが、日本ではまだ革ジャン自体が珍しかったこともあり、「あんなものを着て!」と大問題となったようです。
――妃殿下たるべき者、どんな場所でもオートクチュールを着て、ほほえみ続けなければならないのでしょうか?
堀江 ちなみに戦前の宮中では、和服(たとえば着物)より、ドレスなどの洋服のほうがよりマナーにかなった正装ということになっていたそうですが、ドレスコード問題は今日でも悩ましいものです。
それにしても女官も、女官で大変です。憎まれ役に徹してでも、ほかの生活文化圏から嫁いでこられた妃殿下を一人前の皇族に育てあげねばいけないのですから。古写真の中の妃殿下たちは皆さま、美しいだけでなく独特の威厳をもっておられますが、それもすべて女官たちから鍛え上げられて身についたものだったのかもしれませんね。
秩父宮様ご夫妻のエピソードは短い記事では紹介できないくらい、まだありますので、ご興味がある方は『銀のボンボニエール』をぜひご一読ください。