日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月29日は「おかえり お母さん~その後の『ぼけますから、よろしくお願いします。』~」というテーマで放送された。
あらすじ
映像ディレクターの信友直子は20年ほど前から、帰省のたびに広島県呉市で暮らす両親の姿を撮影するようになる。2014年、母の文子(当時85歳)にアルツハイマー型の認知症の症状がみられるようになり、父、良則(当時93歳)による老々介護が始まる。
当初、文子の症状はりんごを買ったことを忘れ、また購入してしまう程度だったが、16年には洗濯機に入れておいた洗う前の洗濯物を床の上に出し、そこに寝転んでしまうほどになる。明るく働き者だった文子は昼でも横になることが増えていく。文子自身も「わからんのよ わからんのよ バカになってしもうたじゃけん」「(良則、直子に)迷惑かけるね」と自身の症状への恐怖、不安、やるせなさを言葉にする。
その一方で文子は荒れる日もあり、「包丁持ってきてくれ」「死ぬるもう私は」「邪魔になるけん死にたい」と叫ぶこともあったが、その2時間後にはやたら恐縮し、良則は「朝のこと(死にたいと激高したこと)があるんじゃろう、悪いことをしたと思うて」と文子の心境を話す。
18年10月。直子が両親を撮影した映像をまとめた映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の公開のひと月前、文子が病院に救急搬送される。自宅で食事中に脳梗塞で倒れてしまったのだ。集中治療室で文子は良則、直子に「手がかかるようになってごめんね」と話す。
良則は毎日1時間かけ病院まで歩き文子を見舞う。一人暮らしとなった生活に、良則ががっくりきてしまわないか心配だった直子だが、良則は文子を自宅で引き取ろうと、体力づくりに励み、直子に対しては「あんたは働ける間は働いてもええよ、親のことをそがいに心配せんでもええよ」と励ます。
文子も入院しながらリハビリを続けていたが、18年12月、脳梗塞を再発。寝たきりになる可能性が高いことを告げられる。19年の6月には寝たきりになり、反応はほとんどなく、療養型の病院に転院することになる。
転院の際のタイミングで一度だけ自宅に寄ってもらい、8カ月振りに文子は我が家へ帰る。家の椅子に座ったとたん、それまでほとんど反応がなかった文子は「あー」と叫んで涙をこぼしていた。
その後、20年6月。入院先の病院から、文子が危篤状態になったと連絡が届く。新型コロナウイルスにより面会は通常禁じられていたが特別に許され、良則は文子に「わしも今年の11月に100歳になるけんのう、(呉市から記念品を)もろうたら真っ先に持ってくるけんのう。(市役所に)願書を出したけん、何かくれるんじゃろう思うよ。もろうたら真っ先に持ってくるけんのう、待っとれよ。元気を出しての、ごちそうでも食うかい。わしゃあハンバーグが食いたいんじゃ、あんたも一緒に食おうで」と呼びかける。
文子はその後10日以上持ちこたえたが、6月14日に良則、直子に看取られ眠るように亡くなる。享年91歳。
新型コロナウイルスの影響で、近くの親族だけで葬儀は行われ、良則は文子の棺桶に「あの世で仲良く暮らしましょう 文子様 良則」と書いた花短冊を入れた。
今回は、認知症を発症した妻の老々介護という、どこまでも暗くなってしまいそうなテーマながら、どこかで「明るさ」を感じさせる映像になっている。それは良則、文子の夫婦二人とも、ユーモアを大切にしているからのように感じた。
文子は17年の正月に「ぼけますからよろしくお願いします」と直子に声をかけるし、良則は危篤状態になった文子の枕元で、「(呉市が)何かくれるんじゃろう思うよ」と話し、元気になってハンバーグを食べに行こうと呼びかける。この二人にはユーモアのセンスがある。
暗くなりそうな状況をユーモアで逃がしてやる、というのは、生きる知恵だと思う。暗い悩みと正面から向き合い、真面目に、深刻になればいいというものでもない。真面目に、深刻に悩めば悩むほど、そんな自分のことを「(悩みに向き合っていて)立派だ」と思いかねないだろう。しかし、深刻な状況をユーモアで「いなす」という選択肢もある。
そんな良則と文子のユーモアのセンスは娘、直子の映像に引き継がれていると感じた。
100歳にして妻子を守る良則の姿
妻、文子が入院中に、自宅に戻ってからも介護できるよう、100歳前にしてトレーニング器具で体力づくりに励み、娘、直子が仕事を辞めて介護をしようかと話すと、「あんたは働ける間は働いてもええよ、親のことをそがいに心配せんでええよ」と返す良則はカッコよかった。
昨今、「男だってつらい」「親だってつらい」をはじめ、「生きるのがつらい」という意見を特にネットの記事やトレンドワードで見る。実際、生きていくのは大変だし、弱音を吐かねば押し潰される、というときに弱音で逃がしてやるのは大切なことだ。
だが、それが「癖」「習慣」になるのはまずいのではないかと思う。弱音を習慣的に見れば見るほど、「弱っている状態」が自分の標準、基準になっていってしまって、頑張れなくなる気がする。なので、良則の、100歳にして弱音を吐かず、妻と子どもを守るべく、曲がった背中で奮闘する姿を見て、心に火が付くとともに、こんなふうに生きようとする気概のある大人は今どのくらいいるのだろうと思った。
次週は「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」。車を住めるように改造し、そこを自宅にして夏は涼しい場所、冬は暖かいへ移動する「モバイルハウス」で暮らす若者が増えているという。二人のモバイルハウスで暮らす青年から「自由な生き方」と「快適な暮らし」の間を見つめる。