King&Prince・岸優太、「ドヤ顔で恥ずかしい」と“筋肉”撮影を反省!? 「また脱いでリベンジマッチ」と『ZIP!』で宣言!  

 2018年から『ZIP!』(日本テレビ系)内で冠コーナーを担当しているKing&Prince。8月24~28日は、これまで放送された中からメンバー自身が「もう一度見たい!」と選出した映像が放送された。

 岸優太が「こねってこねって……僕って感じ」と不思議なヒントを出しながら、もう一度見てほしいと選んだのは2年前に“ラーメン職人”に弟子入りした回。中国・蘭州が発祥の蘭州ラーメンの手打ち麺を“こねる”ところから学んだのだが、師匠に「意外と力あるね」と言われた岸は「見たいっすか?」とおもむろに服を脱ぎだし筋肉を披露。

 「ちょっと影でもうちょい(筋肉を)出せる」と必死でアピールしていたが、当時の映像を振り返り「恥ずかしい……ドヤ顔で筋肉見せて影なんかに頼って。よく筋肉あるって言えたな。(今は)だいぶ成長してる」と反省まじりにコメント。そして手打ち麺のリベンジかと思いきや「体も仕上がってるので、また次脱いでリベンジマッチしたい」と“筋肉”に対する意気込みを語っていた。

 そして「僕の中で神回」と高橋海人が選んだのは「ダブルダッチ」に挑戦したときの回。また『MEDAL RUSH』でさまざまな陸上競技に挑戦してきた神宮寺勇太は、「こんなに大変だったの?」と驚いたという「競歩」の回をリクエスト。想像以上のキツいトレーニングだったようで、当時は「誰がキャスティングしてる?」と内心で思っていたことを告白していた。

 一方で、永瀬廉は2年前にボールパフォーマンス集団“球舞”に弟子入りした回をリクエスト。放送では華麗に技を決めていたが、当時を振り返り「めっちゃ練習したんですよ。カメラ回ってないときも。それで練習しすぎて(その後)筋肉痛の状態でツアー回ってましたからね、この時期」と明かしていた。

 また『MEDAL RUSH』の最終回で、神宮寺とともに7種競技に挑戦した平野紫耀は、以前に挑戦した「走り高跳び」の回をリクエスト。というのも、7種競技にも走り高跳びが含まれていたのだが、大雨の影響で撮影が中断し挑戦することができなかったためだ。過去回では、人生初の走り高跳びにもかかわらず155センチを難なくクリア。ただ、160センチをクリアすることはできず、映像を振り返り「改めて見ると悔しさが増し増し、2割増しに。(だからこそ)7種競技にいつかリベンジしたい」と誓っていたのだった。

 この放送に、「岸くんのおかげで日本語がよくわからなくなってきた」「岸くんどういう意味ですか?」など、「こねってこねって……僕って感じ」発言に戸惑う声のほか「もうMEDAL RUSH終わるの寂しいけど次も楽しみ」「MEDALRUSHを通していろんな競技を知れたし、彼らの頑張る姿が毎日見れるのが朝の楽しみでした」などの声が集まった。

 次回からは新企画「解決!King&Prince」がスタートする予定。初回は岸が「野菜を無駄にしたくない」という悩みを解決するというが、早くもファンは「楽しみで仕方がない」と心待ちにしているようだ。

 

シャトレーゼ話題の「糖質カットスイーツ」が優秀! プロが認める100円台“太りにくい”スイーツ10選【不二家、コージーコーナー、シャトレーゼ】

「おいしいごはんが食べたい、でも自炊するのはめんどくさい!」そんなズボラ女子の救世主といえば、コンビニ・ファミレス・ファストフード! 毎日の食事をおいしく楽チンにするため、“お酒とおつまみ大好き”管理栄養士・川村郁子先生に、さまざまなテーマに合わせた「おすすめメニュー」を聞いちゃいます。

不二家・銀座コージーコーナー・シャトレーゼ、「太りにくいスイーツ」を発見!

 最近、“ペコちゃん”でおなじみの老舗洋菓子メーカー「不二家」の店舗が続々と閉店しています。子どもの頃は誕生日のケーキを買いに行ったけど、今は足が遠のいている方も多いのでは。それに何より、「甘い物は太る」と思ってなかなか手が伸びないことも……。そこで今回は、店舗を構える大手菓子メーカーである「不二家」「銀座コージーコーナー」「シャトレーゼ」から、川村先生に「食べても太りにくいスイーツ」を紹介してもらいました!

――3店舗とも洋菓子をメインに扱っていますが、どうしてもカロリーや脂質が気になってしまいます……。

川村郁子先生(以下、川村) 洋菓子には、バターや生クリーム、小麦粉、砂糖、卵、牛乳、果物、チョコレートなど、いろいろな食材が使用されています。カロリーや脂質が気になるとき、または夜遅い時間に食べる場合には、なるべくバターや生クリームなど、脂質を含む食材が少ない洋菓子を選びましょう。

 そこでおすすめなのが、カスタードを使ったスイーツ。カスタードクリームは生クリームと比較すると脂質を抑えることができ、卵や牛乳のタンパク質やビタミン、ミネラルも補えます。同じシュークリームを選ぶなら、ホイップクリームよりもカスタードクリームが入っているものにすると、脂質を抑えることができるんです。一緒に飲むドリンクをブラックコーヒー、ストレートティーなど無糖のものにして糖分を控えると、カロリー調節にもなりますよ。

 とはいえ、「今日はどうしても生クリームたっぷりのショートケーキが食べたい!」という時だってありますよね(笑)。そんな時は我慢しないで、本当に食べたいものを選んで、存分に楽しんでいいと思います。ただし、そういった“ご褒美DAY”は週1日までにするなど、頻度には気をつけましょう。

――逆に、昼間であればカロリーや脂質を気にせず、スイーツを楽しめるのでしょうか?

川村 夜の間食に気をつけなければいけない理由は、体の代謝が落ちる時間帯だからです。なので基本的に、スイーツは代謝の高い午前中や、日中に食べたほうがいいですね。中でも、食後の2~3時間後くらいが一番おすすめ。例えば、正午にランチを食べた場合は、午後3時頃が間食するのにちょうどいいタイミングなんです。間食は1日だいたい200kcal以内を心がけると、なおいいでしょう。

――では今回は、日中の間食にもちょうどいい、手軽に食べられるスイーツを「不二家」「銀座コージーコーナー」「シャトレーゼ」から選んでください。まず、「不二家」から。

川村 ふわふわな食感で癒やされる「ペコちゃんのほっぺ(カスタード)」(税別100円)がおすすめです。柔らかいスポンジの中にカスタードクリームが入っていて、生クリームをたっぷり使用したケーキよりは、こちらの商品のほうが脂質を抑えることができます。味もいくつか選べるので、飽きずに楽しめそう。カスタードを使った商品だと、定番の「プレミアムカスタードプリン」(税別186円)もいいですね。

 また、シフォン生地のケーキは、卵白を泡立てて空気でふわふわにしているため、比較的カロリーが抑えられます。ケーキを食べた満足感を味わいつつ、カロリーが抑えられる「シフォン主義。(バニラ)」(税別362円)も、甘い物好きな人にはうれしいでしょう。

――続いて、「銀座コージーコーナー」はどうですか?

川村 果物をベースとした「フルーツコンポートゼリー」(税別195円)がいいですね。ひんやりとした食感を楽しめて、果物に含まれるビタミン類や食物繊維を補えるのが魅力です。味もいくつかあるので、気分で好みのものを選べます。

 「エクレア(カスタード)」(税別120円)も比較的カロリーが低く、カスタードクリームを使用しているので、洋菓子の中でもおすすめしたいメニュー。ほかに、「銀座プリン」(税別130円)や「ジャンボシュークリーム(カスタード)」(税別130円)も、カロリーを抑えつつ、たんぱく質やビタミンB群、カルシウムなどの栄養成分を補うことができるのでおすすめです。

――最後に「シャトレーゼ」をお願いします。

川村 シャトレーゼには「糖質カットスイーツ」というカテゴリがあって、ネットでも話題になっていました。でも実は、レギュラーメニューの中にも、糖質やカロリー、脂質が控えめのスイーツが用意されているんですよ。牛乳をベースに果物を使用した「八ヶ岳契約牧場の牛乳寒天 つぶつぶ柑橘入り」(税別120円)や「杏仁豆腐いちご」(税別100円)は、200kcal以内で脂質も10g未満と非常にヘルシー。これなら、夕食後のデザートにも気にせず食べられるでしょう。

 もちろん、糖質カットスイーツも優秀。「糖質50%カットのいちごクリームロール」(税別120円)「糖質72%カットのスフレチーズケーキ」(税別250円)「糖質83%カットのプリン キャラメルナッツクリーム」(税別160円)など、1個200kcal以内に収まるメニューも多いので、間食にピッタリだと言えます。

 洋菓子は確かに、糖質や脂質、カロリーの高いものが多いです。でも、食べることでリラックスできたり、仕事の休憩中に間食をして「午後も頑張るぞ!」とやる気が出たり、数値では表せない心の栄養にもなりますよね。なので、頻度や時間帯を気にしていれば、甘い物を過度に避ける必要はないと思いますよ!

シャトレーゼ話題の「糖質カットスイーツ」が優秀! プロが認める100円台“太りにくい”スイーツ10選【不二家、コージーコーナー、シャトレーゼ】

「おいしいごはんが食べたい、でも自炊するのはめんどくさい!」そんなズボラ女子の救世主といえば、コンビニ・ファミレス・ファストフード! 毎日の食事をおいしく楽チンにするため、“お酒とおつまみ大好き”管理栄養士・川村郁子先生に、さまざまなテーマに合わせた「おすすめメニュー」を聞いちゃいます。

不二家・銀座コージーコーナー・シャトレーゼ、「太りにくいスイーツ」を発見!

 最近、“ペコちゃん”でおなじみの老舗洋菓子メーカー「不二家」の店舗が続々と閉店しています。子どもの頃は誕生日のケーキを買いに行ったけど、今は足が遠のいている方も多いのでは。それに何より、「甘い物は太る」と思ってなかなか手が伸びないことも……。そこで今回は、店舗を構える大手菓子メーカーである「不二家」「銀座コージーコーナー」「シャトレーゼ」から、川村先生に「食べても太りにくいスイーツ」を紹介してもらいました!

――3店舗とも洋菓子をメインに扱っていますが、どうしてもカロリーや脂質が気になってしまいます……。

川村郁子先生(以下、川村) 洋菓子には、バターや生クリーム、小麦粉、砂糖、卵、牛乳、果物、チョコレートなど、いろいろな食材が使用されています。カロリーや脂質が気になるとき、または夜遅い時間に食べる場合には、なるべくバターや生クリームなど、脂質を含む食材が少ない洋菓子を選びましょう。

 そこでおすすめなのが、カスタードを使ったスイーツ。カスタードクリームは生クリームと比較すると脂質を抑えることができ、卵や牛乳のタンパク質やビタミン、ミネラルも補えます。同じシュークリームを選ぶなら、ホイップクリームよりもカスタードクリームが入っているものにすると、脂質を抑えることができるんです。一緒に飲むドリンクをブラックコーヒー、ストレートティーなど無糖のものにして糖分を控えると、カロリー調節にもなりますよ。

 とはいえ、「今日はどうしても生クリームたっぷりのショートケーキが食べたい!」という時だってありますよね(笑)。そんな時は我慢しないで、本当に食べたいものを選んで、存分に楽しんでいいと思います。ただし、そういった“ご褒美DAY”は週1日までにするなど、頻度には気をつけましょう。

――逆に、昼間であればカロリーや脂質を気にせず、スイーツを楽しめるのでしょうか?

川村 夜の間食に気をつけなければいけない理由は、体の代謝が落ちる時間帯だからです。なので基本的に、スイーツは代謝の高い午前中や、日中に食べたほうがいいですね。中でも、食後の2~3時間後くらいが一番おすすめ。例えば、正午にランチを食べた場合は、午後3時頃が間食するのにちょうどいいタイミングなんです。間食は1日だいたい200kcal以内を心がけると、なおいいでしょう。

――では今回は、日中の間食にもちょうどいい、手軽に食べられるスイーツを「不二家」「銀座コージーコーナー」「シャトレーゼ」から選んでください。まず、「不二家」から。

川村 ふわふわな食感で癒やされる「ペコちゃんのほっぺ(カスタード)」(税別100円)がおすすめです。柔らかいスポンジの中にカスタードクリームが入っていて、生クリームをたっぷり使用したケーキよりは、こちらの商品のほうが脂質を抑えることができます。味もいくつか選べるので、飽きずに楽しめそう。カスタードを使った商品だと、定番の「プレミアムカスタードプリン」(税別186円)もいいですね。

 また、シフォン生地のケーキは、卵白を泡立てて空気でふわふわにしているため、比較的カロリーが抑えられます。ケーキを食べた満足感を味わいつつ、カロリーが抑えられる「シフォン主義。(バニラ)」(税別362円)も、甘い物好きな人にはうれしいでしょう。

――続いて、「銀座コージーコーナー」はどうですか?

川村 果物をベースとした「フルーツコンポートゼリー」(税別195円)がいいですね。ひんやりとした食感を楽しめて、果物に含まれるビタミン類や食物繊維を補えるのが魅力です。味もいくつかあるので、気分で好みのものを選べます。

 「エクレア(カスタード)」(税別120円)も比較的カロリーが低く、カスタードクリームを使用しているので、洋菓子の中でもおすすめしたいメニュー。ほかに、「銀座プリン」(税別130円)や「ジャンボシュークリーム(カスタード)」(税別130円)も、カロリーを抑えつつ、たんぱく質やビタミンB群、カルシウムなどの栄養成分を補うことができるのでおすすめです。

――最後に「シャトレーゼ」をお願いします。

川村 シャトレーゼには「糖質カットスイーツ」というカテゴリがあって、ネットでも話題になっていました。でも実は、レギュラーメニューの中にも、糖質やカロリー、脂質が控えめのスイーツが用意されているんですよ。牛乳をベースに果物を使用した「八ヶ岳契約牧場の牛乳寒天 つぶつぶ柑橘入り」(税別120円)や「杏仁豆腐いちご」(税別100円)は、200kcal以内で脂質も10g未満と非常にヘルシー。これなら、夕食後のデザートにも気にせず食べられるでしょう。

 もちろん、糖質カットスイーツも優秀。「糖質50%カットのいちごクリームロール」(税別120円)「糖質72%カットのスフレチーズケーキ」(税別250円)「糖質83%カットのプリン キャラメルナッツクリーム」(税別160円)など、1個200kcal以内に収まるメニューも多いので、間食にピッタリだと言えます。

 洋菓子は確かに、糖質や脂質、カロリーの高いものが多いです。でも、食べることでリラックスできたり、仕事の休憩中に間食をして「午後も頑張るぞ!」とやる気が出たり、数値では表せない心の栄養にもなりますよね。なので、頻度や時間帯を気にしていれば、甘い物を過度に避ける必要はないと思いますよ!

TKO木下のYouTubeが悲惨? 被害コメントに「こんなこと、俺はしていない」

 TKOの木下のYouTubeチャンネルが、ほぼ全ての動画で低評価をつけまくられるという憂き目にあっている。4月1日にチャンネルを開設した木下。最初に投稿した“謝罪動画”は日本一の低評価数を記録し、8月現在で約450万回再生を超え、高評価6300に対し、低評価数は36万まで膨れ上がっている。だが木下の場合、この動画以外も圧倒的に低評価だらけなのだ。

 不祥事を起こしたタレントも、数カ月もすれば騒ぎは落ち着き、復活するか忘れ去られるかだ。しかし木下の場合はいまだに低評価がおよそ80%を超える勢いだ。そのうえ、登録視聴者数は1万程度と伸び悩んでいる。

 TKOの木下は後輩芸人へのパワハラや金銭トラブルが報じられ、所属していた松竹芸能を3月15日に退所。これ以降、テレビ番組にはほぼ出ていない。事の発端は昨年6月、同じ松竹芸能の先輩コンビ「よゐこ」の濱口優と南明奈の結婚パーティでのことだ。木下がパーティに参加した芸人から会費を徴収したものの、「稼いでない後輩が払うのは可哀相」だと言って、濱口が当日のパーティ代を支払ったという。しかし木下は徴収した会費を後輩芸人らに返金せず、後輩コンビ・オジンオズボーンの篠宮暁がライブ上で木下を追及。終演後、木下は篠宮に対して楽屋で飲料の入っているペットボトルを投げつけ、それが篠宮の左目を直撃した……。

 この顛末が明らかになったとともに、数年前の番組で「安田大サーカス」のクロちゃんに激怒した木下が、収録語の楽屋でクロちゃんを土下座させ、革靴で頭を踏みつけたという事件や、都内の高級住宅街に一戸建てを新築し、20代女性と再婚間近だと一斉に報じられ、木下のタレントイメージは最悪なものとなった。

 おまけに、木下の悪評はYouTube動画のコメント欄にまで書き込まれた。過去に被害を受けたという人からの被害報告がコメント欄に殺到したのだ。真偽不明ではあるが、書き込まれたのは次のような内容だった。

「松竹芸能、新宿角座、のスタッフです。以前、TKOとアイドルのコラボトークを催した際、楽屋の備品が壊れていたという些細な理由で担当者でも無かった私に大声で怒鳴りつけてきたことを今でも覚えています」

「居酒屋でバイトしてた時この人が来店したんですが、注文を聞く時もすごい横柄な感じだし注文の品をテーブルに届けた時
『おせぇよ!何時間かかってんねん!(実際は10分くらい)』と怒鳴られました」

「学生の頃、出待ちで握手を求めた時「なんやねんお前!今忙しいねん!近寄んなや!」と言われ唾を吐かれました。 当時好きだった私にはとてもショックで傷つきました」

 その後、カジサックや江頭2:50とコラボ動画を出したが、木下の炎上が飛び火したのかコラボ動画も低評価の嵐。同じように嫌われた宮迫博之は、ヒカルとコラボしてから低評価が激減したが、木下はそうはいかなかった。

 7月20日に品川庄司の品川は、ライブ配信で木下の動画について触れ、「低評価いっぱいついたら、木下さんのYouTube見て勇気つけるから大丈夫。木下さんの35万バッド(低評価)見て、勇気づけるから大丈夫」と冗談を飛ばした。その後、木下からLINEで「コラボしてちょ♥」と言われたらしいが、7月22日のライブで「いやごめんなさい! 得無いから!」と一蹴している。

 木下はなんとかイメージを払拭するために、ステッカーを作った。「街で木下を見かけたら、『コメント読まれた』とお気軽にお声をおかけください。ステッカーをお渡しします」というものだ。また、YouTubeコメント欄に書き込まれた被害報告を『木下見たシリーズ』と名付け、「こんなこと、俺はしていない」と身の潔白を訴えてもいる。だがその声はどこまで届いているのだろう。

 8月21日にアップした質問レス動画でも、木下は『新幹線で「握手してください」と言った子供に「プライベートじゃ、クソガキ」と言った。最悪だ』という趣旨のコメントを読みあげ、「俺、人生でそんな子供にゆうたことないわ。クソガキとかいうセリフ。『木下見たシリーズ』を信じるんじゃないよ君たちは。あんなん嘘やん。でもそれをホンマにやったと思ってるんであれば最低よな。(俺を)嫌いになるのも分かる」と一気にまくしたて、「でも違うぞ!」とカメラに向かって呼び掛けていた。

 しかし、この動画も低評価88%とすこぶる評価が低い。「YouTubeで活動してる以上、アンチコメから逃げられると思うなよ やらかした奴は尚更」と粘着するアンチまでいる。木下のYouTubeチャンネルの登録者は、木下の動画にアンチコメントを打ちたくて登録しているのでは? と思うほどだ。カジサックや宮迫と違い、木下はYouTubeでの人気獲得もまだ難しいかもしれない。

カテゴリー: 未分類

TKO木下のYouTubeが悲惨? 被害コメントに「こんなこと、俺はしていない」

 TKOの木下のYouTubeチャンネルが、ほぼ全ての動画で低評価をつけまくられるという憂き目にあっている。4月1日にチャンネルを開設した木下。最初に投稿した“謝罪動画”は日本一の低評価数を記録し、8月現在で約450万回再生を超え、高評価6300に対し、低評価数は36万まで膨れ上がっている。だが木下の場合、この動画以外も圧倒的に低評価だらけなのだ。

 不祥事を起こしたタレントも、数カ月もすれば騒ぎは落ち着き、復活するか忘れ去られるかだ。しかし木下の場合はいまだに低評価がおよそ80%を超える勢いだ。そのうえ、登録視聴者数は1万程度と伸び悩んでいる。

 TKOの木下は後輩芸人へのパワハラや金銭トラブルが報じられ、所属していた松竹芸能を3月15日に退所。これ以降、テレビ番組にはほぼ出ていない。事の発端は昨年6月、同じ松竹芸能の先輩コンビ「よゐこ」の濱口優と南明奈の結婚パーティでのことだ。木下がパーティに参加した芸人から会費を徴収したものの、「稼いでない後輩が払うのは可哀相」だと言って、濱口が当日のパーティ代を支払ったという。しかし木下は徴収した会費を後輩芸人らに返金せず、後輩コンビ・オジンオズボーンの篠宮暁がライブ上で木下を追及。終演後、木下は篠宮に対して楽屋で飲料の入っているペットボトルを投げつけ、それが篠宮の左目を直撃した……。

 この顛末が明らかになったとともに、数年前の番組で「安田大サーカス」のクロちゃんに激怒した木下が、収録語の楽屋でクロちゃんを土下座させ、革靴で頭を踏みつけたという事件や、都内の高級住宅街に一戸建てを新築し、20代女性と再婚間近だと一斉に報じられ、木下のタレントイメージは最悪なものとなった。

 おまけに、木下の悪評はYouTube動画のコメント欄にまで書き込まれた。過去に被害を受けたという人からの被害報告がコメント欄に殺到したのだ。真偽不明ではあるが、書き込まれたのは次のような内容だった。

「松竹芸能、新宿角座、のスタッフです。以前、TKOとアイドルのコラボトークを催した際、楽屋の備品が壊れていたという些細な理由で担当者でも無かった私に大声で怒鳴りつけてきたことを今でも覚えています」

「居酒屋でバイトしてた時この人が来店したんですが、注文を聞く時もすごい横柄な感じだし注文の品をテーブルに届けた時
『おせぇよ!何時間かかってんねん!(実際は10分くらい)』と怒鳴られました」

「学生の頃、出待ちで握手を求めた時「なんやねんお前!今忙しいねん!近寄んなや!」と言われ唾を吐かれました。 当時好きだった私にはとてもショックで傷つきました」

 その後、カジサックや江頭2:50とコラボ動画を出したが、木下の炎上が飛び火したのかコラボ動画も低評価の嵐。同じように嫌われた宮迫博之は、ヒカルとコラボしてから低評価が激減したが、木下はそうはいかなかった。

 7月20日に品川庄司の品川は、ライブ配信で木下の動画について触れ、「低評価いっぱいついたら、木下さんのYouTube見て勇気つけるから大丈夫。木下さんの35万バッド(低評価)見て、勇気づけるから大丈夫」と冗談を飛ばした。その後、木下からLINEで「コラボしてちょ♥」と言われたらしいが、7月22日のライブで「いやごめんなさい! 得無いから!」と一蹴している。

 木下はなんとかイメージを払拭するために、ステッカーを作った。「街で木下を見かけたら、『コメント読まれた』とお気軽にお声をおかけください。ステッカーをお渡しします」というものだ。また、YouTubeコメント欄に書き込まれた被害報告を『木下見たシリーズ』と名付け、「こんなこと、俺はしていない」と身の潔白を訴えてもいる。だがその声はどこまで届いているのだろう。

 8月21日にアップした質問レス動画でも、木下は『新幹線で「握手してください」と言った子供に「プライベートじゃ、クソガキ」と言った。最悪だ』という趣旨のコメントを読みあげ、「俺、人生でそんな子供にゆうたことないわ。クソガキとかいうセリフ。『木下見たシリーズ』を信じるんじゃないよ君たちは。あんなん嘘やん。でもそれをホンマにやったと思ってるんであれば最低よな。(俺を)嫌いになるのも分かる」と一気にまくしたて、「でも違うぞ!」とカメラに向かって呼び掛けていた。

 しかし、この動画も低評価88%とすこぶる評価が低い。「YouTubeで活動してる以上、アンチコメから逃げられると思うなよ やらかした奴は尚更」と粘着するアンチまでいる。木下のYouTubeチャンネルの登録者は、木下の動画にアンチコメントを打ちたくて登録しているのでは? と思うほどだ。カジサックや宮迫と違い、木下はYouTubeでの人気獲得もまだ難しいかもしれない。

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韓国ドラマ『愛の不時着』、30代女性が「リ・ジョンヒョクになりたい!」ワケ――周囲に大笑いされた“欲望”とは?

 今年2月からNetflixで配信されている、韓国の人気ドラマ『愛の不時着』。日本でも大ヒットし、タレントの笑福亭鶴瓶や黒柳徹子、藤田ニコルら多数の著名人が「ハマった」ことを公言している。そんなドラマの魅力は、一体どこにあるのだろうか? ジェンダーやエンターテインメントに詳しい加藤藍子氏に、“恋愛”だけではない本作の魅力について寄稿していただいた。

【※以下、ネタバレを含みます※】

 韓国ドラマ『愛の不時着』ブームが止まらない。2020年2月後半にNetflixで配信開始以来、総合トップ10入りを保持。全話鑑賞したファンは「不時着ロス」を避けるべく周回視聴を続け、7月に入っても、Twitterの鑑賞実況用ハッシュタグがトレンド入りすることもあったほどだ。なぜこんなに、熱狂するのか。

 物語は、韓国の財閥令嬢で、企業経営者でもあるヒロインのユン・セリが、パラグライダー飛行中に竜巻に巻き込まれ、あろうことか38度線を越えて北朝鮮に不時着してしまうところから始まる。そこで出会うのが、北朝鮮のエリート将校リ・ジョンヒョクだ。

 「北」には、少なくともこのフィクションで描かれている限りでは、法治という概念が存在しない。当局に見つかれば、速攻で殺されるかもしれない極限状態の中、リ・ジョンヒョクはユン・セリをかくまい、あの手この手で南への帰還を助ける。その過程で2人の間に愛が芽生えるという、設定は斬新だが、「胸キュン」の王道はがっちりとつかんだラブストーリーだ。

『愛の不時着』は男女の役割が逆転するから“胸キュン”ではない!

 このドラマについてのレビューや評論では、女性のために粉からこねた麺で料理をつくったり、コーヒーを淹れたりするリ・ジョンヒョクの振る舞いが度々注目され、「性別役割分業が逆転している描写が素晴らしい」とされているのを見かける。それはそうだが、私たちは「性別役割分業が逆転すれば、胸キュンする」というわけではない。

 見始めるやいなや熱狂した一人である私の中には、別の強い感情が湧いた。大切にされるだけじゃ、我慢できない。私はリ・ジョンヒョクになりたい、と。それは彼の存在が、「男だから/男なのに」というラベルを剥がしても成立する魅力を持っていたからではないか。

「リ・ジョンヒョクが、完璧すぎますよね。まあ、あんな王子様、現実にはなかなか存在しないですけど!」

 コロナ禍の緊急事態宣言が解除された6月、久しぶりに髪を切りに出かけたら、私と同い年の美容師さんが興奮気味に話を振ってきた。もはや、珍しいことではない。外へ出かけると、しょっちゅう「不時着見た?」という会話が聞こえてくる。カフェで隣席に座っている男性が、友人とみられる女性に、大げさな身振りで「リ・ジョンヒョク名場面」を再現しているのも見かけた。このドラマの最高なところはたくさんあるのだが、そんな「不時着済み」の人たちの間で「これはまあ、言うまでもなく前提なんだけど……」という共通認識になっているのが「リ・ジョンヒョクが最高にかっこいい」という真実だ。

 そのリ・ジョンヒョクに、私がなりたい、と思ってしまう――。この欲望を周囲に打ち明けると、大笑いされることが多い。無理もない。私は腕っぷしにも体力にも不安のある、気は強いが一見おとなしそうな30代女性だ。一方のリ・ジョンヒョクは、軍人らしい堂々たる肩幅。ネタバレになるが、ユン・セリを守るために銃弾を受け、どうにか一命を取り留めて間もない重傷状態にあってなお、数人の敵を一人でなぎ倒せるレベルの戦闘力がある。軟弱そうな女が、頑強な完璧男を目指すと豪語する。そのギャップが笑いを誘うのだろう。

 でも、違うのだ。私は決してマッチョになりたいんじゃない。美容師さんが「王子様」と表現したときに、もしかしたら彼女も潜在的に求めていたかもしれない、男とか女とかを超越した存在に、憧れるのである。

 ところで「王子様」とは何か。「私を選び、幸せにしてくれる男性」というイメージが一般的だろう。しかし、私たちが王子様にどうしたって憧れてしまうのは、そんな表面的な理由からではないだろう。王子様とは、ありのままの自分を愛し、守ってくれる他者の象徴とみることだってできる。

 おとぎ話は、しばしば世界の本質を突いている。この世は、例えば『シンデレラ』のように、ただ善く生きたいだけなのに虐げられることがある。あらぬ方向から憎しみを受けて、気が付いたら茨の城に仮死状態で閉じ込められる『眠れる森の美女』的な状況に追い込まれることもある。こうした理不尽な苦しみに、一人で抗うことは難しい。でも、損得勘定なしに「この私」を全力で肯定し、解放してくれる誰かが傍らにいてくれたら、立ち向かうことができる。自分一人ではどうにもならない状況に囚われた者を解放するのが「王子様」なら、私たちが「白馬の王子様」を待たない理由なんてない。それに、女が「王子様」になることだって、男が「お姫様」になることだって、あっていい。

 リ・ジョンヒョクは、その意味での「王子様」なのだ。象徴的な場面がある。

 ユン・セリは、社会的地位や事業の成功には恵まれているが、親やきょうだいとの関係は崩壊している。あるがままの自分を受け入れてもらえる居場所を持たない序盤の彼女は、孤独な城の中に自らを幽閉したお姫様のようにも私には映る。

 そんな彼女は、北朝鮮での不自由極まりないはずの生活の中で、「生きることが楽しいという感覚」を取り戻す。リ・ジョンヒョクや、彼に忠実で心優しい隊員たちと出会い、食卓を共にし、あわやというピンチも、皆で知恵や力を出し合うことで何度でも乗り越えた。不自由なはずの環境で、精神的には自由を得たのだ。

 だが、38度線に隔てられている彼らにはやがて別れが訪れることが決まっている。また元の生活に戻るユン・セリに向かって、リ・ジョンヒョクは、こんな言葉をかける。

「孤独にはなるな」「そばにいなくても、君が寂しくないように――いつも思ってる」

 日々を豊かに過ごすうちに「僕のことは忘れても構わない」とまで言い切る。これは、彼女を所有しようとするのではない、ただ“孤立の檻”から解き放ってやりたいという願いを言葉にした、彼の真骨頂だと私は思った。 

 この世界は、自らが望むか望まざるかにかかわらず、孤立状態に追い込まれがちだ。他人と親密な関係を築くことは一般的に好ましいこととされるが、現実はそう簡単ではないからだ。他者と共に生きようとすれば、一人でいれば無縁だった悩みも抱えることになる。生じた摩擦が、耐えがたいほどの痛みをもたらすこともある。金、権力、知性に恵まれたユン・セリなら、一人ぼっちでも取れる選択肢は多い。本当は孤立したかったわけではないが、ある種合理的な判断でもあったのだろう。そんな彼女に、心に他者を住まわせることの豊かさを思い出させたのはリ・ジョンヒョクだった。

 一方、物語が中盤に差し掛かってくると、今度はユン・セリのほうがまるで王子様のように、リ・ジョンヒョクの心を自由にしたり、危険から守ったりする描写も増えてくる。リ・ジョンヒョクもまた、“孤立の檻”に自分を閉じ込めていたからだ。

 彼は尊敬する兄をある「事故」で失った過去を持つ。しかし、その「事故」とされた悲劇の背後には、祖国の暗殺部隊の影が見え隠れする。愛する者の耐え難い死を経験したリ・ジョンヒョクは、彼が劇中で回想する通り「未来を夢見ることをやめ、誰も愛さなかった」のだ。ユン・セリが彼の世界に、不時着するまでは。

どうして私はリ・ジョンヒョクになりたいのか?

 男女のロマンチックラブストーリーといえば、主役カップルの恋模様に焦点が集中していくものだが、このドラマでは「恋愛」だけでなく、2人が心を開いてこそ見えてくる周囲の人々との間の多様な愛も、魅力的に描かれる。分断ばかりが目につく時代に愛の力を肯定する、心温まるドラマだろう。

 そんなドラマに登場するリ・ジョンヒョクに対して「憧れ」の気持ちが生まれるのは、少なくとも私にとっては、彼が女性の求めるタイミングで颯爽と助けにきてくれるからでも、かいがいしく麺をゆでるスキルを持っているからでもない。

 当たり前に異なる他者同士であるリ・ジョンヒョクとユン・セリが出会い、互いの心を解放し合う。王子様とお姫様を軽やかに行き来しながら、男だとか女だとかいうラベルは、もはや意に介すそぶりもない。力を合わせて困難を乗り越えながら、「生きている実感」を確かなものにしていく2人の姿が、ただカッコよくて美しいのだ。

 だから私は、リ・ジョンヒョクみたいに誰かの心を解放するような「王子様」になりたい。この決意を新たにするために、何周目か分からない視聴を今後も続けるだろう。

■加藤藍子(かとう・あいこ)
1984年生まれ、フリーランスの編集者・ライター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全国紙の新聞記者、 出版社などを経て独立。働き方、ジェンダー、アート、 エンターテインメントなど幅広い分野で取材・随筆を行う。

韓国ドラマ『愛の不時着』、30代女性が「リ・ジョンヒョクになりたい!」ワケ――周囲に大笑いされた“欲望”とは?

 今年2月からNetflixで配信されている、韓国の人気ドラマ『愛の不時着』。日本でも大ヒットし、タレントの笑福亭鶴瓶や黒柳徹子、藤田ニコルら多数の著名人が「ハマった」ことを公言している。そんなドラマの魅力は、一体どこにあるのだろうか? ジェンダーやエンターテインメントに詳しい加藤藍子氏に、“恋愛”だけではない本作の魅力について寄稿していただいた。

【※以下、ネタバレを含みます※】

 韓国ドラマ『愛の不時着』ブームが止まらない。2020年2月後半にNetflixで配信開始以来、総合トップ10入りを保持。全話鑑賞したファンは「不時着ロス」を避けるべく周回視聴を続け、7月に入っても、Twitterの鑑賞実況用ハッシュタグがトレンド入りすることもあったほどだ。なぜこんなに、熱狂するのか。

 物語は、韓国の財閥令嬢で、企業経営者でもあるヒロインのユン・セリが、パラグライダー飛行中に竜巻に巻き込まれ、あろうことか38度線を越えて北朝鮮に不時着してしまうところから始まる。そこで出会うのが、北朝鮮のエリート将校リ・ジョンヒョクだ。

 「北」には、少なくともこのフィクションで描かれている限りでは、法治という概念が存在しない。当局に見つかれば、速攻で殺されるかもしれない極限状態の中、リ・ジョンヒョクはユン・セリをかくまい、あの手この手で南への帰還を助ける。その過程で2人の間に愛が芽生えるという、設定は斬新だが、「胸キュン」の王道はがっちりとつかんだラブストーリーだ。

『愛の不時着』は男女の役割が逆転するから“胸キュン”ではない!

 このドラマについてのレビューや評論では、女性のために粉からこねた麺で料理をつくったり、コーヒーを淹れたりするリ・ジョンヒョクの振る舞いが度々注目され、「性別役割分業が逆転している描写が素晴らしい」とされているのを見かける。それはそうだが、私たちは「性別役割分業が逆転すれば、胸キュンする」というわけではない。

 見始めるやいなや熱狂した一人である私の中には、別の強い感情が湧いた。大切にされるだけじゃ、我慢できない。私はリ・ジョンヒョクになりたい、と。それは彼の存在が、「男だから/男なのに」というラベルを剥がしても成立する魅力を持っていたからではないか。

「リ・ジョンヒョクが、完璧すぎますよね。まあ、あんな王子様、現実にはなかなか存在しないですけど!」

 コロナ禍の緊急事態宣言が解除された6月、久しぶりに髪を切りに出かけたら、私と同い年の美容師さんが興奮気味に話を振ってきた。もはや、珍しいことではない。外へ出かけると、しょっちゅう「不時着見た?」という会話が聞こえてくる。カフェで隣席に座っている男性が、友人とみられる女性に、大げさな身振りで「リ・ジョンヒョク名場面」を再現しているのも見かけた。このドラマの最高なところはたくさんあるのだが、そんな「不時着済み」の人たちの間で「これはまあ、言うまでもなく前提なんだけど……」という共通認識になっているのが「リ・ジョンヒョクが最高にかっこいい」という真実だ。

 そのリ・ジョンヒョクに、私がなりたい、と思ってしまう――。この欲望を周囲に打ち明けると、大笑いされることが多い。無理もない。私は腕っぷしにも体力にも不安のある、気は強いが一見おとなしそうな30代女性だ。一方のリ・ジョンヒョクは、軍人らしい堂々たる肩幅。ネタバレになるが、ユン・セリを守るために銃弾を受け、どうにか一命を取り留めて間もない重傷状態にあってなお、数人の敵を一人でなぎ倒せるレベルの戦闘力がある。軟弱そうな女が、頑強な完璧男を目指すと豪語する。そのギャップが笑いを誘うのだろう。

 でも、違うのだ。私は決してマッチョになりたいんじゃない。美容師さんが「王子様」と表現したときに、もしかしたら彼女も潜在的に求めていたかもしれない、男とか女とかを超越した存在に、憧れるのである。

 ところで「王子様」とは何か。「私を選び、幸せにしてくれる男性」というイメージが一般的だろう。しかし、私たちが王子様にどうしたって憧れてしまうのは、そんな表面的な理由からではないだろう。王子様とは、ありのままの自分を愛し、守ってくれる他者の象徴とみることだってできる。

 おとぎ話は、しばしば世界の本質を突いている。この世は、例えば『シンデレラ』のように、ただ善く生きたいだけなのに虐げられることがある。あらぬ方向から憎しみを受けて、気が付いたら茨の城に仮死状態で閉じ込められる『眠れる森の美女』的な状況に追い込まれることもある。こうした理不尽な苦しみに、一人で抗うことは難しい。でも、損得勘定なしに「この私」を全力で肯定し、解放してくれる誰かが傍らにいてくれたら、立ち向かうことができる。自分一人ではどうにもならない状況に囚われた者を解放するのが「王子様」なら、私たちが「白馬の王子様」を待たない理由なんてない。それに、女が「王子様」になることだって、男が「お姫様」になることだって、あっていい。

 リ・ジョンヒョクは、その意味での「王子様」なのだ。象徴的な場面がある。

 ユン・セリは、社会的地位や事業の成功には恵まれているが、親やきょうだいとの関係は崩壊している。あるがままの自分を受け入れてもらえる居場所を持たない序盤の彼女は、孤独な城の中に自らを幽閉したお姫様のようにも私には映る。

 そんな彼女は、北朝鮮での不自由極まりないはずの生活の中で、「生きることが楽しいという感覚」を取り戻す。リ・ジョンヒョクや、彼に忠実で心優しい隊員たちと出会い、食卓を共にし、あわやというピンチも、皆で知恵や力を出し合うことで何度でも乗り越えた。不自由なはずの環境で、精神的には自由を得たのだ。

 だが、38度線に隔てられている彼らにはやがて別れが訪れることが決まっている。また元の生活に戻るユン・セリに向かって、リ・ジョンヒョクは、こんな言葉をかける。

「孤独にはなるな」「そばにいなくても、君が寂しくないように――いつも思ってる」

 日々を豊かに過ごすうちに「僕のことは忘れても構わない」とまで言い切る。これは、彼女を所有しようとするのではない、ただ“孤立の檻”から解き放ってやりたいという願いを言葉にした、彼の真骨頂だと私は思った。 

 この世界は、自らが望むか望まざるかにかかわらず、孤立状態に追い込まれがちだ。他人と親密な関係を築くことは一般的に好ましいこととされるが、現実はそう簡単ではないからだ。他者と共に生きようとすれば、一人でいれば無縁だった悩みも抱えることになる。生じた摩擦が、耐えがたいほどの痛みをもたらすこともある。金、権力、知性に恵まれたユン・セリなら、一人ぼっちでも取れる選択肢は多い。本当は孤立したかったわけではないが、ある種合理的な判断でもあったのだろう。そんな彼女に、心に他者を住まわせることの豊かさを思い出させたのはリ・ジョンヒョクだった。

 一方、物語が中盤に差し掛かってくると、今度はユン・セリのほうがまるで王子様のように、リ・ジョンヒョクの心を自由にしたり、危険から守ったりする描写も増えてくる。リ・ジョンヒョクもまた、“孤立の檻”に自分を閉じ込めていたからだ。

 彼は尊敬する兄をある「事故」で失った過去を持つ。しかし、その「事故」とされた悲劇の背後には、祖国の暗殺部隊の影が見え隠れする。愛する者の耐え難い死を経験したリ・ジョンヒョクは、彼が劇中で回想する通り「未来を夢見ることをやめ、誰も愛さなかった」のだ。ユン・セリが彼の世界に、不時着するまでは。

どうして私はリ・ジョンヒョクになりたいのか?

 男女のロマンチックラブストーリーといえば、主役カップルの恋模様に焦点が集中していくものだが、このドラマでは「恋愛」だけでなく、2人が心を開いてこそ見えてくる周囲の人々との間の多様な愛も、魅力的に描かれる。分断ばかりが目につく時代に愛の力を肯定する、心温まるドラマだろう。

 そんなドラマに登場するリ・ジョンヒョクに対して「憧れ」の気持ちが生まれるのは、少なくとも私にとっては、彼が女性の求めるタイミングで颯爽と助けにきてくれるからでも、かいがいしく麺をゆでるスキルを持っているからでもない。

 当たり前に異なる他者同士であるリ・ジョンヒョクとユン・セリが出会い、互いの心を解放し合う。王子様とお姫様を軽やかに行き来しながら、男だとか女だとかいうラベルは、もはや意に介すそぶりもない。力を合わせて困難を乗り越えながら、「生きている実感」を確かなものにしていく2人の姿が、ただカッコよくて美しいのだ。

 だから私は、リ・ジョンヒョクみたいに誰かの心を解放するような「王子様」になりたい。この決意を新たにするために、何周目か分からない視聴を今後も続けるだろう。

■加藤藍子(かとう・あいこ)
1984年生まれ、フリーランスの編集者・ライター。 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全国紙の新聞記者、 出版社などを経て独立。働き方、ジェンダー、アート、 エンターテインメントなど幅広い分野で取材・随筆を行う。

「兄が妹を『殴る』のは日常茶飯事」――韓国映画『はちどり』から繙く「正当化された暴力」と儒教思想の歴史

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『はちどり』

 昨今のコロナ禍で大きな打撃を受けた映画界。とりわけ、世界各国の多様で良質な映画を届ける、日本ならではの劇場システムである“ミニシアター”は、外出自粛による減収、さらには長引く休館の対応により、存続の危機に立たされた。一方で「SAVE the CINEMA」の署名運動が活発化し、「ミニシアター・エイド基金」のクラウドファンディングで前例のない金額が集まるなど、日常生活においてミニシアターが欠かせない存在であることを多くの人が再認識する機会にもなった。

 各地の映画館が営業を再開した現在も、予防のため定員数を半減、また年配層の観客の減少など状況は依然として苦しい。だがそんな中、1本の映画の盛況ぶりが大きな話題になった。韓国のインディーズ映画『はちどり』(キム・ボラ監督、2019年)である。定員半減中とはいえ封切館では満席回が続出し、シネコンで拡大公開されるまでになった作品だ。

 確かに世界各国の映画祭で次々と受賞した注目作ではあったが、なぜこんなに地味で、名のある俳優も出演していない韓国映画が多くの人を惹きつけたのだろうか。1994年のソウルを舞台に、中学生の少女の視点から家族・友人・学校といった日常を描いた本作は、ごく個人的な世界観を持ってはいるものの、そこには確かに韓国社会のひずみや、その時代特有の空気が横たわっている。

<物語>

 1994年のソウル。餅屋を営む両親、姉のスヒ(パク・スヨン)、兄のデフン(ソン・サンヨン)と暮らす14歳、末っ子の女子中学生ウニ(パク・ジフ)は、勉強が苦手で学校も好きではないが、ボーイフレンドと仲の良い、ごく平凡な女の子。兄は優等生だがウニに対しては暴力的で、姉は不良に片足を突っ込んでいる。父(チョン・インギ)や母(イ・スンヨン)は末っ子のウニにあまり興味がないようだ。そんなある日、ウニが通う漢文塾に、新しい講師・ヨンジ先生(キム・セビョク)がやってくる。初めて自分の気持ちを理解してくれる大人に出会ったウニは、彼女のことを大好きになるが、先生との日々は長くは続かなかった。突然姿を消した先生の行方をウニが知ったのは、ソンス大橋の崩落という信じられない事故が起こってから間もなくのことだった……。

 今回のコラムでは、一見、平凡な女子中学生の成長物語のように見える本作の背景に見え隠れする「韓国」について、私自身の記憶を手繰り寄せながら、この国に根付く「儒教思想」とそれに基づくさまざまな「暴力」の形を考えてみたい。

 まずは、現在に至るまで依然として変わらない、日常生活の隅々にまで染みついている前近代的な儒教思想からの影響だ。朝鮮王朝時代の500年間という長い歳月、国家と社会を維持するための統治イデオロギーとして君臨してきた儒教の真髄は、「服従」にほかならない。王・師・親への服従(君師父一体)と、女の男への服従(男尊女卑、女必従夫)を軸に持つこの思想こそが、服従を美徳・道徳として洗脳に近い教育を徹底してきたのである。そうして形成される社会は、もれなく男性中心の社会であり、権力や金、社会的地位から年齢の差までもがものをいう、いわゆる「縦社会」である。こうした男性中心の縦社会で何より重視されるのが「位階秩序」(ヒエラルキー)である。垂直な階級概念である位階秩序を維持するためには絶対に服従が必要であり、だからこそ美徳や道徳云々と持ち上げてイデオロギー化に走ってきたし、その中で女性に対する抑圧や排除は当たり前のように行われてきたのだ。

 500年以上も人々の上に重くのしかかってきたこのイデオロギーがそう簡単に消えるはずはなく、むしろ、韓国人の「集合的無意識」を形成していると言ってもいいかもしれない。女性の社会進出や活躍が珍しくなくなった今日でも、韓国社会における日常的な女性差別は根本的には変わっていない。つい最近は、息子にだけ財産を相続させた母親の家に、娘が火をつけて焼いてしまうという事件が起こった。男尊女卑が生んだ「남아선호사상(男児選好思想)」の無意識が、財産相続という形で立ち現れた悲劇といえる。

「妹を殴る」ことに罪の意識がなかった長男

 さて、服従の思想が支配する最小の集団といえば、そう、「家族」だ。家族の中で父と息子(=男性)の「階級」は、母や娘(=女性)より格段に上。本作にも描かれているように、父への服従、息子の優遇は、風が吹いて水が流れるがごとく、極めて自然なものである。とりわけ、きょうだいの中での息子の階級は絶対だ。この絶対的な階級は、時には暴力をも承認してしまう。兄が妹を「殴る」のは、家族内の位階秩序を保つために必要なものであり、ウニの母が言うように、あくまで「兄妹げんか」にすぎない。ウニは兄から一方的に殴られ鼓膜まで破れたにもかかわらず、それは「暴力」ではないのだ。妹に対する兄の暴力が、父や母によって厳しく問われることはない。家族間の暴力は「罪ではない」と、無意識の中に内在化してしまっているのだ。

 実は、正直にいうと、本作を見ながら、私はまるで自分の家族を見ているかのような錯覚を覚えて恥ずかしくなった。ウニたちと同じく姉と妹に挟まれた3きょうだいの長男である私は、生まれた時から家族でもっとも大切に扱われてきた。映画が始まって間もなく、突然訪ねてきた伯父の口から、彼の学費のために妹である母親が高校進学を諦めたエピソードが語られるが、私の家庭も経済的に余裕がなく、私だけが大学に進学した。姉や妹も(少なくとも私の目には)それを当然と思っているようだった。

 2人は高校卒業後、就職をして私の学費を助け、時にはお小遣いをくれることもあった。私にとって、それは当然のことだった。だが映画の中で、あまりにも「普通に」ウニを殴る兄のデフンの姿を観た瞬間、高校時代に2歳下の妹を、デフンと同じように殴っていた自分の姿が脳裏に蘇り、恥ずかしさと罪悪感に襲われてしまった。当時の私にとっては、妹を殴ることなど日常茶飯事だった。私の暴力に対して彼女が何を感じていたかを確かめたことはない。だが、映画の中でウニが代わりに答えてくれている。「死んでお化けになって、後悔しているアイツを天井から見下ろしたい」と。今では2人の大学生の母となった妹に、これから先も私は、あの時の心境を確かめることはできないだろう。

 ちなみに、こうした根強く、根深い前近代的な儒教思想は、何も韓国だけのものではない。朝鮮半島全体に広く影響を及ぼしている。その一端を象徴する場面が、本作にも描かれる金日成(キム・イルソン)の死去を伝えるニュース映像だ。全国民が一斉に、まるで両親を失った子どものように慟哭するその場面には、金日成を「어버이(父と母を意味する言葉)」と呼び、絶対的な服従を実践した北朝鮮の儒教的崇拝が現れている。本作における家父長的背景のメタファーとしても読めるだろう。

 次は、漢文塾のヨンジ先生のことだ。物語から、彼女はおそらく80年の民主化運動で先頭に立って闘った学生運動家だったのだろうと推測できる。家族の間でまん延していた暴力、その暴力を暴力として認識できない社会に広まる弱者への暴力。これらの理不尽な暴力とヨンジ先生は闘ってきたのだろう。彼女がウニとウニの友達のために歌う歌は「切られた指」という有名なデモ歌だ。歌は、80年代に学生運動の一環として行われた工場活動を想起させる。以前のコラムでも紹介したが、工場活動(工活)とは大学生たちが身分を隠して工場に就職し、同世代の若者たちが受ける労働搾取と闘ったことを示す言葉だ。ヨンジ先生は自らの歌を通して、そういった「過去」をのぞかせている。そしてまた、一口に民主化運動といっても、その中でさらに女性は差別を受けていた。女性労働者たちのストライキを潰すために、男性労働者たちが活躍したという歴史があるほどなのだ。

 そんなヨンジ先生が「立ち退きを拒否して闘う人たちに対する同情はやめたほうがいい」とさりげなくウニに言い放つセリフは、そうした「運動の中にも根強く存在している男性中心主義への警戒」だったのかもしれない。「兄に殴られるままでいるな、闘え」と強く言い聞かせ、一人の人間として自分に向き合い真摯に接してくれるヨンジ先生によって、ウニは少しずつ「新たな世界」へシフトしていく。その新しい世界にウニがどう挑んでいくかは、映画の後半、韓国で実際に起こった事故を通して象徴的に提示される。

 最後は、その事故・ソンス大橋崩落と、そこから見える軍事独裁政権による国家的暴力だ。

 社会の最小単位と言われる家族の中での無意識化した暴力は、その領域を、学校へ、職場へといった具合に広げていき、ついには国家的暴力にまで拡大していくという負の連鎖を引き起こす。当時の韓国メディアが口をそろえて報道したように、日本の植民地時代に造られた橋がいまだ事故一つなく使われているというのに、竣工からせいぜい15年しかたっていないソンス大橋があっけなく崩落してしまった原因は、当時横行していた朴正煕軍事政権時代の「賄賂とリベート」による手抜き工事と、その後のずさんな管理が積み重なったものであった。さらにその翌年には、デパートの崩壊というこれまた信じられない事故が起こり、数百人の命が奪われることを考えると、これらの事故は文民政府に変わったこの時期に、起こるべくして起こったといえる。

 これはまさに、国家が国民の命をないがしろにし、家族間の無意識の暴力が拡大して国家的暴力として現れた極端な例ではないだろうか。これを目の当たりにしても、多くの国民はそれを暴力として認識できないでいた時代、休みが終わったらすべて話してあげると、ウニに手紙で明かしていたヨンジ先生は、もしかするとそうした暴力に対する鈍感さへの警告を、自らの経験をふまえてウニに教えたかったのかもしれない。だが先生は、皮肉にも国家権力の暴力(=大橋の崩落)によって命を落としてしまい、ウニにすべてを語ることはできなくなってしまった。だが私は、これこそがキム・ボラ監督が意図したことではないかと思った。

 映画の最後でウニは、ヨンジ先生の命を奪った橋を見に行く。ヨンジ先生から教えてもらうことがかなわなくなったウニは、この先一人で考え、感じていかなくてはならない。韓国社会の隅々に染みついているあらゆる形の暴力、女性に加えられる理不尽な暴力に気づき、直視しなければならない。ヨンジ先生の死を、あえてあの大事故に結びつけることで、強くなっていくウニのその後を想像させるのだ。そして大人になったウニの目に、現在の韓国はどう映っているのだろうか。ウニの視点を通して本作は、今も韓国社会に根付くさまざまな形の「暴力」について問いかけているに違いない。そう考えると本作は、家族という枠の中で行われる個人間の暴力や、橋の崩落に潜む国家的暴力など、韓国社会に内在する暴力とその暴力が正当化される構造をも見せてくれた作品であるといえる。

 本作は、キム・ボラ監督の処女作である。監督自身の経験に基づいた物語には、思春期特有の揺らぎがみずみずしく描き出されている。親友とのすれ違い、同性同士のほのかな憧れと残酷な心離れ、世界から顧みられない疎外感、理不尽さに満ちた社会、大人の女性との交流、そして続いていく日常……。演出、カメラワーク、出演者のキャスティング、どれをとっても出色の出来といっていいだろう。だが問題は2作目だ。韓国映画界では、デビュー作で高い評価を得たものの、その後に活躍が続かない作り手も少なくない。監督の本当の実力が試される次回作を、今から楽しみに待ちたい。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

「兄が妹を『殴る』のは日常茶飯事」――韓国映画『はちどり』から繙く「正当化された暴力」と儒教思想の歴史

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『はちどり』

 昨今のコロナ禍で大きな打撃を受けた映画界。とりわけ、世界各国の多様で良質な映画を届ける、日本ならではの劇場システムである“ミニシアター”は、外出自粛による減収、さらには長引く休館の対応により、存続の危機に立たされた。一方で「SAVE the CINEMA」の署名運動が活発化し、「ミニシアター・エイド基金」のクラウドファンディングで前例のない金額が集まるなど、日常生活においてミニシアターが欠かせない存在であることを多くの人が再認識する機会にもなった。

 各地の映画館が営業を再開した現在も、予防のため定員数を半減、また年配層の観客の減少など状況は依然として苦しい。だがそんな中、1本の映画の盛況ぶりが大きな話題になった。韓国のインディーズ映画『はちどり』(キム・ボラ監督、2019年)である。定員半減中とはいえ封切館では満席回が続出し、シネコンで拡大公開されるまでになった作品だ。

 確かに世界各国の映画祭で次々と受賞した注目作ではあったが、なぜこんなに地味で、名のある俳優も出演していない韓国映画が多くの人を惹きつけたのだろうか。1994年のソウルを舞台に、中学生の少女の視点から家族・友人・学校といった日常を描いた本作は、ごく個人的な世界観を持ってはいるものの、そこには確かに韓国社会のひずみや、その時代特有の空気が横たわっている。

<物語>

 1994年のソウル。餅屋を営む両親、姉のスヒ(パク・スヨン)、兄のデフン(ソン・サンヨン)と暮らす14歳、末っ子の女子中学生ウニ(パク・ジフ)は、勉強が苦手で学校も好きではないが、ボーイフレンドと仲の良い、ごく平凡な女の子。兄は優等生だがウニに対しては暴力的で、姉は不良に片足を突っ込んでいる。父(チョン・インギ)や母(イ・スンヨン)は末っ子のウニにあまり興味がないようだ。そんなある日、ウニが通う漢文塾に、新しい講師・ヨンジ先生(キム・セビョク)がやってくる。初めて自分の気持ちを理解してくれる大人に出会ったウニは、彼女のことを大好きになるが、先生との日々は長くは続かなかった。突然姿を消した先生の行方をウニが知ったのは、ソンス大橋の崩落という信じられない事故が起こってから間もなくのことだった……。

 今回のコラムでは、一見、平凡な女子中学生の成長物語のように見える本作の背景に見え隠れする「韓国」について、私自身の記憶を手繰り寄せながら、この国に根付く「儒教思想」とそれに基づくさまざまな「暴力」の形を考えてみたい。

 まずは、現在に至るまで依然として変わらない、日常生活の隅々にまで染みついている前近代的な儒教思想からの影響だ。朝鮮王朝時代の500年間という長い歳月、国家と社会を維持するための統治イデオロギーとして君臨してきた儒教の真髄は、「服従」にほかならない。王・師・親への服従(君師父一体)と、女の男への服従(男尊女卑、女必従夫)を軸に持つこの思想こそが、服従を美徳・道徳として洗脳に近い教育を徹底してきたのである。そうして形成される社会は、もれなく男性中心の社会であり、権力や金、社会的地位から年齢の差までもがものをいう、いわゆる「縦社会」である。こうした男性中心の縦社会で何より重視されるのが「位階秩序」(ヒエラルキー)である。垂直な階級概念である位階秩序を維持するためには絶対に服従が必要であり、だからこそ美徳や道徳云々と持ち上げてイデオロギー化に走ってきたし、その中で女性に対する抑圧や排除は当たり前のように行われてきたのだ。

 500年以上も人々の上に重くのしかかってきたこのイデオロギーがそう簡単に消えるはずはなく、むしろ、韓国人の「集合的無意識」を形成していると言ってもいいかもしれない。女性の社会進出や活躍が珍しくなくなった今日でも、韓国社会における日常的な女性差別は根本的には変わっていない。つい最近は、息子にだけ財産を相続させた母親の家に、娘が火をつけて焼いてしまうという事件が起こった。男尊女卑が生んだ「남아선호사상(男児選好思想)」の無意識が、財産相続という形で立ち現れた悲劇といえる。

「妹を殴る」ことに罪の意識がなかった長男

 さて、服従の思想が支配する最小の集団といえば、そう、「家族」だ。家族の中で父と息子(=男性)の「階級」は、母や娘(=女性)より格段に上。本作にも描かれているように、父への服従、息子の優遇は、風が吹いて水が流れるがごとく、極めて自然なものである。とりわけ、きょうだいの中での息子の階級は絶対だ。この絶対的な階級は、時には暴力をも承認してしまう。兄が妹を「殴る」のは、家族内の位階秩序を保つために必要なものであり、ウニの母が言うように、あくまで「兄妹げんか」にすぎない。ウニは兄から一方的に殴られ鼓膜まで破れたにもかかわらず、それは「暴力」ではないのだ。妹に対する兄の暴力が、父や母によって厳しく問われることはない。家族間の暴力は「罪ではない」と、無意識の中に内在化してしまっているのだ。

 実は、正直にいうと、本作を見ながら、私はまるで自分の家族を見ているかのような錯覚を覚えて恥ずかしくなった。ウニたちと同じく姉と妹に挟まれた3きょうだいの長男である私は、生まれた時から家族でもっとも大切に扱われてきた。映画が始まって間もなく、突然訪ねてきた伯父の口から、彼の学費のために妹である母親が高校進学を諦めたエピソードが語られるが、私の家庭も経済的に余裕がなく、私だけが大学に進学した。姉や妹も(少なくとも私の目には)それを当然と思っているようだった。

 2人は高校卒業後、就職をして私の学費を助け、時にはお小遣いをくれることもあった。私にとって、それは当然のことだった。だが映画の中で、あまりにも「普通に」ウニを殴る兄のデフンの姿を観た瞬間、高校時代に2歳下の妹を、デフンと同じように殴っていた自分の姿が脳裏に蘇り、恥ずかしさと罪悪感に襲われてしまった。当時の私にとっては、妹を殴ることなど日常茶飯事だった。私の暴力に対して彼女が何を感じていたかを確かめたことはない。だが、映画の中でウニが代わりに答えてくれている。「死んでお化けになって、後悔しているアイツを天井から見下ろしたい」と。今では2人の大学生の母となった妹に、これから先も私は、あの時の心境を確かめることはできないだろう。

 ちなみに、こうした根強く、根深い前近代的な儒教思想は、何も韓国だけのものではない。朝鮮半島全体に広く影響を及ぼしている。その一端を象徴する場面が、本作にも描かれる金日成(キム・イルソン)の死去を伝えるニュース映像だ。全国民が一斉に、まるで両親を失った子どものように慟哭するその場面には、金日成を「어버이(父と母を意味する言葉)」と呼び、絶対的な服従を実践した北朝鮮の儒教的崇拝が現れている。本作における家父長的背景のメタファーとしても読めるだろう。

 次は、漢文塾のヨンジ先生のことだ。物語から、彼女はおそらく80年の民主化運動で先頭に立って闘った学生運動家だったのだろうと推測できる。家族の間でまん延していた暴力、その暴力を暴力として認識できない社会に広まる弱者への暴力。これらの理不尽な暴力とヨンジ先生は闘ってきたのだろう。彼女がウニとウニの友達のために歌う歌は「切られた指」という有名なデモ歌だ。歌は、80年代に学生運動の一環として行われた工場活動を想起させる。以前のコラムでも紹介したが、工場活動(工活)とは大学生たちが身分を隠して工場に就職し、同世代の若者たちが受ける労働搾取と闘ったことを示す言葉だ。ヨンジ先生は自らの歌を通して、そういった「過去」をのぞかせている。そしてまた、一口に民主化運動といっても、その中でさらに女性は差別を受けていた。女性労働者たちのストライキを潰すために、男性労働者たちが活躍したという歴史があるほどなのだ。

 そんなヨンジ先生が「立ち退きを拒否して闘う人たちに対する同情はやめたほうがいい」とさりげなくウニに言い放つセリフは、そうした「運動の中にも根強く存在している男性中心主義への警戒」だったのかもしれない。「兄に殴られるままでいるな、闘え」と強く言い聞かせ、一人の人間として自分に向き合い真摯に接してくれるヨンジ先生によって、ウニは少しずつ「新たな世界」へシフトしていく。その新しい世界にウニがどう挑んでいくかは、映画の後半、韓国で実際に起こった事故を通して象徴的に提示される。

 最後は、その事故・ソンス大橋崩落と、そこから見える軍事独裁政権による国家的暴力だ。

 社会の最小単位と言われる家族の中での無意識化した暴力は、その領域を、学校へ、職場へといった具合に広げていき、ついには国家的暴力にまで拡大していくという負の連鎖を引き起こす。当時の韓国メディアが口をそろえて報道したように、日本の植民地時代に造られた橋がいまだ事故一つなく使われているというのに、竣工からせいぜい15年しかたっていないソンス大橋があっけなく崩落してしまった原因は、当時横行していた朴正煕軍事政権時代の「賄賂とリベート」による手抜き工事と、その後のずさんな管理が積み重なったものであった。さらにその翌年には、デパートの崩壊というこれまた信じられない事故が起こり、数百人の命が奪われることを考えると、これらの事故は文民政府に変わったこの時期に、起こるべくして起こったといえる。

 これはまさに、国家が国民の命をないがしろにし、家族間の無意識の暴力が拡大して国家的暴力として現れた極端な例ではないだろうか。これを目の当たりにしても、多くの国民はそれを暴力として認識できないでいた時代、休みが終わったらすべて話してあげると、ウニに手紙で明かしていたヨンジ先生は、もしかするとそうした暴力に対する鈍感さへの警告を、自らの経験をふまえてウニに教えたかったのかもしれない。だが先生は、皮肉にも国家権力の暴力(=大橋の崩落)によって命を落としてしまい、ウニにすべてを語ることはできなくなってしまった。だが私は、これこそがキム・ボラ監督が意図したことではないかと思った。

 映画の最後でウニは、ヨンジ先生の命を奪った橋を見に行く。ヨンジ先生から教えてもらうことがかなわなくなったウニは、この先一人で考え、感じていかなくてはならない。韓国社会の隅々に染みついているあらゆる形の暴力、女性に加えられる理不尽な暴力に気づき、直視しなければならない。ヨンジ先生の死を、あえてあの大事故に結びつけることで、強くなっていくウニのその後を想像させるのだ。そして大人になったウニの目に、現在の韓国はどう映っているのだろうか。ウニの視点を通して本作は、今も韓国社会に根付くさまざまな形の「暴力」について問いかけているに違いない。そう考えると本作は、家族という枠の中で行われる個人間の暴力や、橋の崩落に潜む国家的暴力など、韓国社会に内在する暴力とその暴力が正当化される構造をも見せてくれた作品であるといえる。

 本作は、キム・ボラ監督の処女作である。監督自身の経験に基づいた物語には、思春期特有の揺らぎがみずみずしく描き出されている。親友とのすれ違い、同性同士のほのかな憧れと残酷な心離れ、世界から顧みられない疎外感、理不尽さに満ちた社会、大人の女性との交流、そして続いていく日常……。演出、カメラワーク、出演者のキャスティング、どれをとっても出色の出来といっていいだろう。だが問題は2作目だ。韓国映画界では、デビュー作で高い評価を得たものの、その後に活躍が続かない作り手も少なくない。監督の本当の実力が試される次回作を、今から楽しみに待ちたい。

■崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。