――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。
『わたしに無害なひと』(チェ・ウニョン著、古川綾子訳、亜紀書房)
【概要】
2013年にデビューし、初の単行本『ショウコの微笑』が韓国で瞬く間にベストセラーとなった文学界期待の作家、チェ・ウニョンの2冊目の単行本。主に思春期から青年期にかけて起こった、忘れられない苦い思い出を繊細に回想する7つの中短編が収録されている。本作は、韓国では2018年“小説家50人が選ぶ今年の小説”に選出され、さらに第51回韓国日報文学賞を受賞。累計販売数も13万部を超え、好評を博している。
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幼少期から青年期にかけて一時期を親しく過ごしたのに、苦い別れ方をした友人や恋人。その人なしでは今の自分はいないと思えるほど深く関わり合ったのに、もう会わない人々。もし会ったとしても、以前の関係には戻れないとわかっている人々。そんな相手との記憶はどんなに鮮やかでも、持ち主のいなくなったアルバムのように、永遠にひもとかれることはない。
『わたしに無害なひと』は、フラッシュバックするほどヒリヒリと焼き付いているのに一生誰かに語ることもない、大人になれば誰もが記憶の底に埋めているような思い出を、ひそやかに、しかし美化せず厳しく活写してくれる短編集だ。
本書に収められた7つの短編のほとんどは、時間をかけて紡いだかけがえのない関係と、そのあっけない喪失にまつわる回想だ。長く付き合った恋人、幼なじみの隣人、姉妹、ネットで心の中を見せ合い親しくなった友人、学生時代の仲良しグループ、少女時代に身を寄せた親戚、海外移住先で出会った異邦人。友情でも恋愛でも家族関係でも、ぴったりとお互いがかみ合っていた頃の世界の輝き、通じ合わなくなったときの戸惑いやいらつき、そんな移ろいやすい関係の機微を、読者にそのまま体験させるかのように抒情的に描き出す。
そして、美しい風景やこまやかな心理描写の中に、必ずと言っていいほど現代韓国の抱える社会問題の一端がさりげなく織り込まれている。格差問題、家庭内暴力、パワハラ、非正規労働者の搾取、いじめ、デートDVなど、その多くは韓国特有の問題ではなく、日本社会にも通じるゆがみだ。登場人物の多くは繊細な若者で、社会的な強者や権力者からさまざまな形で圧力、時には暴力を受ける。特に家父長制に基づく男子優先志向は、日本より重いゆがみがかかっていると思わせる部分もあるが、だからこそ、その圧力に対して鈍感でありたくない、弱くても誠実に生きる人々に公平でありたいという語り手の姿勢がどの作品にも貫かれ、国境を超えて私たちにも響く。
本作の最も特徴的で巧みな構造は、そんな“強者の無神経さや残酷さ”を嫌悪している語り手のほとんどが、大切な相手を“無神経で残酷に”傷つけてしまった過去を回想しているところだ。
自分の意向なのに「あなたのためだ」と恋人に別れを切り出したイギョン(「あの夏」)、親友の真剣な苦しみと愛情をまともに取り合おうとしなかったナビ(「砂の家」)、カムアウトした友人を「人間じゃないみたいに」見て何も言えなかったミジュ(「告白」)――。人を傷つける無神経な振る舞いを憎んでいるのに、相手との関係において知らず知らず“強者”の側に立っていた時、大事だった相手に自分が同じことをしてしまう。そんな人間の弱さや醜さも含めて描き切っているからこそ、単なる“きれいな思い出”で終わらないインパクトを読者の胸に残していく。
「差しのべる手」で描かれる、突然消息を絶った叔母のステージをこっそり観に行った語り手・ヘインが「暗いほうからは明るいほうがよく見えるでしょ。でも、どうして明るいほうからは暗いほうがよく見えないのかな」という言葉をふいに受け取るエピソードも暗示的だ。明るい場所に立つ人には、普通にしていたら暗いほうに立つ人が見えない。明るいほう――強いほうが弱者に無神経になれるのは、とびきりひどい悪人だからとは限らない。もしかしたら、自分も「明るいほう」に立ってしまえば、暗いほう――弱いほうの痛みは、目を凝らさなければ、想像しなければ、見えにくいものなかもしれない。
弱いほうに立つ誰かを傷つけたくはない。それでも、一切誰も傷つけずに「無害」に生きてきたと胸を張って言える人は、ほとんどいない。語り手たちは、そのことにうっすら気づいていながらも、自分が「有害なひと」であった瞬間に鈍感になれない。その繊細さを少しじれったく感じつつも、「仕方がなかった」「相手も悪かった」と開き直れずに誠実にもがく彼女ら彼らの様子が、不思議と自分自身の忘れたくても忘れられない苦い記憶や傷を探し当てる。しかし、遠い過去となったからこそ、一歩引いてみられるようになっている自分に気づくはずだ。年を重ねるたびに味わい深くなる、何度でも読み返したい1冊だ。
(保田夏子)