通販サイト「バイマ」で買ったステラマッカートニーのバッグにまさかの結末……購入前にチェックしておくべき大事な“ポイント”とは

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――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

 私には非常~に悪い癖があります。それは……「高額商品を一度も見ずに通販で買う癖」です。そして、注文する前ならいざ知らず、勢いで注文した後に、血眼になってその商品の情報を調べてしまうのです。そして「ぐはあ、失敗したかもしれない!」とか、「こりゃ絶対にいい商品だ!」と毎日一喜一憂するという……。その時間、毎日3~4時間くらい也。商品が到着するまで、仕事後、毎日パソコンで調べているので、目も酷使するし、時間の無駄でしかありません。おい、この女に「百聞は一見に如かず」って教えてくれ!!

 そんなわけで、通販サイト・バイマでステラマッカートニーの「ファラベラ ミニ」を購入(連載第11回参照)後も、私はひたすら「ファラベラのバッグ」の使い心地を調べていました。私の4日間にわたる大調査の結果、わかったのは以下のことです。

・チェーンが最大の魅力だけど、このチェーンがとても重い。重すぎて手放す人も多い。特に、ファラベラミニは、斜め掛け用のロングチェーンがついているので重い。「ファラベラ スモール」は「ファラベラ ミニ」よりかなりサイズが大きくなっているが、斜め掛け用のチェーンがついていないぶん、重さは100g程度しか変わらない

・ファラベラ ミニの重さは700g。だいたい人は、500g以下のバッグは軽いと感じるらしい。700gは重いと感じるボーダーライン。バッグ単体なら大丈夫だが、中にペットボトル等を入れるとかなり重い

・偽物が多いので注意。安価でわかりやすくコピー品を売っている業者はまだよいが、中には定価と変わらない値段でスーパーコピー品を売っている業者もいる(今回はバイマのバイヤーさんが、「正規店で購入しています」と言っているから信じよう)

・ファラベラ ミニのチェーンは取り外しができない

 クアッ……かなり重いのかあ……!? うちにあるバッグをかたっぱしから持ってみたのですが、みんな350~450gほど。700……これはかなり重いかもしれない。もう注文しちゃったけど。

 700gがどんなものか調べるために、500gのペットボトルと半分飲んだペットボトルも持ってみました。そして、「しまった……、今までバッグが重いなんて経験したことがなかったから、ノーマークだった……」とがっくりとうなだれました。

 それでも、まだ某サイトの「人によっては重く感じる」という“人によっては”という部分に一縷の望みをかけ、楽天でファラベラ ミニを買った人のレビューを読むことに。誰か、誰か……「羽のように軽かった!」と言ってェ!!

 レビューを見ると、確かに「重い」と言っている人がほとんどでしたが、若干名、「それほど重さを感じない」という人がいました。私が目を輝かせたのは、「重いとわかっていて購入したから満足です」というコメント!

 そう、私はこれだけ調べて「ファラベラ ミニは重い」と知識を得たから、心構えだけはそんじょそこらのファラベラ通(?)よりもあるはずなのです。ということは、実物のバッグが届いても、「あー、なるほどね。これなら思ったほどじゃないわ」ときっと思える! そうに違いない!(いずれにしてももう注文したんだから後の祭り)そう無理やり納得させて私は調査を終えたのでした。

 そして数日後、ボロボロのダンボール箱に入ったファラベラ ミニが届きました。一体、途中でどれだけぶん投げられたんだ? という外観にびびりつつ、さらにびりびりに破いていくと、まばゆいチェーンバッグが目の前に現れました。

 おおっ! 美しい!! やっぱゴールドチェーンにして正解だ~!! 肝心の重さは……。あらやだ! 思ったほど、重くない!(洗脳の成果?)

 チェーンが太いせいか、食い込むということもなく、ペットボトルを2本手に持ったときよりも、ずっと軽く感じます。これなら全然、ヘビロテできるぞ~!

 早速財布とスマホとWi-Fiルーターと化粧ポーチを突っ込み、肩にかけてみました。しかし、次の瞬間です。ずしっとした重さが肩にのしかかりました。な、なんだこれ、いきなり重くなった!

 それもそのはず、私の財布はめちゃくちゃ大きいポーチで、500円玉貯金のために大量の500円玉が入っているのです。化粧ポーチには鏡も入っているし、Wi-Fiルーターもまあまあ重い。そりゃ重くもなるはずだわ……。家にあった量りで重さをはかってみると、1.3kgありました。

 うーん。この重さは重いんだろうか? それとも私がふだん軽いバッグに慣れ過ぎているだけなんだろうか? 世間ではどのくらいの重さを「バッグが重い」っていうのだろうか……。

 ほかの人のバッグの重さがわかったところで、自分のバッグの重みが1gも変わるわけじゃないんですが、それはほら、好奇心というやつ。私は早速みんなのバッグの重さを調べることにしました。

 女性向け掲示板「発言小町」に載っていた「鞄、何キロありますか?」というトピックを見ると、2~3kgはざら。中には7kgという人もいました(辞書でも持って歩いているのか……!?)。

 ちなみに、1.5kg(カバン700g)の方の持ち物がこちら。

「二つ折り財布、スマホ、カード入れ、ガム、ブルートゥース、ソーイングセット、ハサミ、ペン、シャーペン、メモ帳、櫛、つめ磨き、目薬、頭痛薬、白髪隠しペン、日焼け止め、口紅、リップクリーム2種、手鏡、イヤフォン、ヘアゴム、ヘアピン、ウエットティッシュ、ティッシュペーパー、二ベア、ワセリン、絆創膏、傷薬」

 それにしても、みんな涼しい顔してけっこうな重さのバッグを持っているんだなあ。

 むむ……!? これって筋トレ的な効果もあるのではないか!? そうか、世の中の女子が細いのは、重い鞄を持ち歩いているからではあるまいか!? 歩いている間もこのバッグの重みに耐えるために、ガンガンカロリーを消費しているのでは!?

 それなら私も……と、重いバッグでも我慢しても持とうかなと思いました。とりあえず、財布の中の500円玉、あいつを入れたままにするかどうかで一晩悩みます。

ママ友からのLINEに絶句! 「我慢できずに外食しちゃった」告白に“学校再開”が怖い

今や日常生活において、かかせないツールとなっているコミュニケーションアプリ「LINE」。かつては子どもの送迎時に、ママたちが立ち話をしているような光景が見かけられたが、時間に追われ忙しく過ごす共働き世帯が増えた今、ママたちのコミュニケーションの場は、LINEのグループチャットになっているという。そんな、ママたちの「グループチャット」から浮き彫りになった、彼女たちの悩みや、苦悩、気になる話題を覗いてみる。

 生活様式にさまざまな変化をもたらした、新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛。子どもを持つママたちは、「休園」「休校」という今までになかった事態に遭遇している。全国的に、少しずつだが新規の感染者も減ってきた中、緊急事態宣言が先に解除された県では、登園・登校数を半数にするなどして、保育園や幼稚園、学校の再開が始まっているようだ。今回は、そんな現状に苦悩するママたちの声を紹介する。

仕事が休業で、収入もゼロ! 働くために早く保育園を再開してほしい

 朋美さん(仮名)は、3歳と7歳の女児の育児をしているママ。普段は、女性向けファッションブランドの販売員をしているが、自粛要請を受けて休業中だという。

「一部の地域で自粛解除になってから、少しずつですが働いていたブランドの各店舗も営業するようになってきました。ただ、私が働く百貨店の店舗は、引き続き休業中のため、4月から仕事を休んでいます。パート社員なので、自粛期間中はほぼ無収入。保育園や学童は、事情がある場合、子どもを預けることができるのですが、保育料は日割りで、学童は1日しか預けなくても1カ月分の利用料がかかるんです。時間給で働いているため、他店舗のスタッフとしてシフトを入れてもらったとしても、保育料で赤字になってしまいます」

 このように、自粛期間中は、通常よりも保育料が高くつき、保育園を利用しづらくなるケースがあるという。代わりの預け先も見つからないため、働くことができず、結局、子どもと一緒に自宅にいることを強いられる面もあるようだ。

 朋美さんは「緊急事態宣言が解除になり、保育園や小学校が再開した場合、子どもを通わせるかどうかは、ママたちのLINEグループチャットでもよく話題になります。私は正直、早く通わせたいのですが、ほかのママは『まだ終息したわけではないから不安……』と口々に漏らすので、チャットでは本心を言いづらいんです」と苦しい胸中を打ち明けた。

 小さな子どもがいるため、極力外出しないよう、食料も買い溜めし、徹底的に自粛しているという朋美さん。会社員の夫が、週に2回ほど通勤するため、その日は子どもと自分だけで1日中過ごすというが「つらい」という。

「女の子が2人とはいえ、外に出られないと家の中ではしゃぐので、ゆっくりできないんです。そんな時は、私が働きたくても働けない事情を知っている親しいママ友とLINEのテレビ電話で話します。『早く保育園も小学校が始まってほしいね……』と言えることが、今の息抜きですね」

 いまだ、関東圏では登園・登校再開日が見えない日々が続いている。その対策として、夏休みの短縮や、秋入学という対応策も取りざたされるが、どのようになるかははっきりとはしていない。

「このまま子どもたちの休みが続くと、私が働けず、家計がさらに厳しいので、早く仕事に戻りたいです。子どもといると、ずっと『遊んで』とせがまれたり、育児モードでいないといけないため、グループチャットでもしきりに『保育園や学童があるのは、ありがたかったよね』とママたちと言っています。保育士さんへの感謝が深まりましたね……」

 子どもと同じ部屋で長い時間を過ごすことを強いられる外出自粛。ママたちの精神的な負担も大きいようだ。

 都内にある小学校に息子が今年入学したばかりだという美穂子さん(仮名)。昼間は、タクシー会社の事務職として働いていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で利用客が減ったのを機に、退職したそうだ。

「退職した理由は、息子が喘息持ちなので、外で働くのを避けたかったからというのもあります。日本で、新型コロナウイルスが騒がれ始めたのは2月のことでしたが、もともとこの時期は、人一倍、風邪やインフルエンザにも気を付けていました。息子が通っていた保育園は、当時あまり新型コロナウイルスについて気にしていない様子で、3月に入っても、マスクをしていない子が多かった。子ども同士の接触を避けるために、その頃から週に2〜3回ほどの間引き登園をさせていました」

 自粛期間中、ママ友とのグループチャットでは、「どこまで感染予防をしているか」という話題がよく上がるという。

「私は、スーパーで買ってきたものも、全て除菌ティッシュなどで一度拭いています。夫にも、仕事から帰ってきたらすぐシャワーを浴びてもらっているんです。この話を一度、グループチャットでしたら、『気にしすぎじゃない?』と、あるママ友から言われてしまい、それ以降は発言しづらくなりました。ここずっと、『息子に遊具を触らせたくない』という理由で、公園にもつれて行っていないんですが、ママ友から『今日、公園で〇〇ちゃんと会ったよ』というメッセージが来ると、返信に困ってしまいますね。とりあえず『そうなんだ』と相づちだけ返していますけど」

 このように、感染予防をどこまでするかは、各家庭によってかなり温度差があるようだ。

「ママ友とのグループチャットで、人混みができている商店街に出かけたり、『我慢できず外食をしちゃった』という話をしているママがいたんです。そういうママたちは、『子どもたちが会いたがっているので、学校を再開してほしい』と言っています。私としても、息子を学校に通わせたいですが、ほかの家庭がどのような生活をしているのかわからないので、接触させるのに不安があるのです……」

 美穂子さんは、学校がいつ本格的に再開するのかが悩みだという。

「休校中に、数日、登校日があったんですが、学校側は『親の判断で休ませてもいい』『欠席扱いにしない』と言うんです。正直、こちら側に判断を委ねられても困ってしまいますよ。入学式の次の日の登校日は、私だけが登校し、休校期間のプリントをもらいに行きました。この前の登校日は、息子を連れていくか迷ったのですが、通学路で、ほかの児童とは一緒にならない時差登校を行うというので、私と息子とで登校しました。実際に教室の中を見ると、机同士の距離も近く、密も避けられない。保育園と違って、小学校は学習の場なので、そう休ませるわけにも行かないのですが、今後、本格的に再開されたとき、どうすべきか迷います」

 今回の休園・休校措置に関しては、明確な終了期間が提示されていないため、親たちの不安も甚大と言える。中でも登園・登校再開については、親同士でも意見が分かれ、正解が見えないだけに、デリケートな話題になっているようだ。

「両親がいないという現実と空虚感に襲われる」介護を終えた娘が抱える思い

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける” ――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

  そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 両親を見送った春木直美さん(仮名・53)の話を7回にわたって続けてきた。直美さんは仕事をしながら、そして離婚して実家に戻った娘、ひとみさん(仮名・27)の幼い子どもの面倒も見ながら、両親を何度も襲う病気やケガに対処してきた。両親が亡くなった今、直美さんはどういう思いでいるのだろう。

母の介護は後悔することばかり

 孤軍奮闘してきた長い介護が終わった。直美さんは、「父の介護に悔いはない」と言う一方で、母の八重子さん(仮名)については「後悔することばかり」と明かす。

「廃人のようになっていく母を見るのがつらくて、母の最期の数カ月、私は施設にも病院にもほとんど行くことができず、娘に行ってもらっていたんです。娘は、母と話ができなくても、母が娘のことをわからなくても、『生きていてくれるだけでいい』と言っていました。それなのに、私はそんな母の姿を見たくなかった。後ろめたく思いながら、自分の気持ちを優先してしまったんです」

 両親を失ったあと、 直美さんと時にはぶつかりながらも一緒に走り続けてくれたひとみさんは、再婚して家を出て行った。昨秋、 一人になった直美さんの住む市は、台風や川の氾濫と大災害に見舞われた。

「誰にも頼れず心細い思いをしましたが、一人で乗り切れたのも、 父が残してくれた懐中電灯があったから。戸棚からこれを見つけたとき、 ハッと気がついたんです。父が一晩中、嵐のように部屋を散らかしていたのは、家で過ごす最後の時がきたと気づいて、身辺整理をしていたんだと。当時は、また暴れていると思って腹が立ったけど、こうして見ると必要なものがちゃんとわかるように仕舞われている 。父の思いに気づき、昔気質な人だったけど、本来は優しい性格だったと思い出しました」

 二人を失って、改めて両親の子どもでよかったと思う、 と直美さん。二人の写真に「行ってきます」「ただいま」 と挨拶する毎日だ。

「それでも、両親がもういないんだという寂しさがたびたび襲ってきます。同じ一人暮らしでも、親が生きているのといないのとではまったく違うんです。もう二度と母のおいしい料理を食べることもできない。買い物に行って待ち合わせをすることもできない……そんな現実と空虚感に押しつぶされそうです」

 ここ数年は両親の介護で仕事どころではなかったので、仕事も減ってしまった。

「二人の新盆をすませて、少し体を動かせるようになってきたので、単発の仕事を再開したところです。まだまだつらい日々ですが、春になって母の喪が明けたら、吹っ切れるかなと思っていたんです。こんな話をする気になったのも、親への思いを吹っ切るためでもあるんです」

 直美さんの両手首には、それぞれ両親の“思い出”がつけられている。仕事の繁栄を願って母・八重子さんが手作りしたブレスレットは右手首に、左手首には父・謙作さんの腕時計だ。落ち着いたら、思い出のあるこの家から引っ越そうと思う、と静かにほほ笑む。少しずつ荷物を片付けているところだ。

 最後に直美さんは、「これだけは介護する子世代に知っておいてほしい」と、介護のポイントを挙げてくれた。

 その1つ目が、ケアマネジャー選びの大切さだ。直美さんのケアマネジャーは3人が交代した。そのうち2人は病院の紹介だったが、老人保健施設探しなどは直美さんが一人でやるしかなかったという。

「介護用品や介護保険を使う自分の利益だけを目的にして、私や両親のことを見てくれていない、考えてくれていないのがよくわかりました。たとえどこの紹介であっても、自分の目で見て判断してほしいと思います」

 2つ目は、お金のこと。両親が続けざまに倒れ、二人同時に入院していた時期も長かったが、謙作さんの年金が高かったため高額療養費の適用外だったという。高額療養費とは、医療費の負担が重くならないよう、医療機関や薬局で支払う医療費が1カ月で上限額を超えた場合、超えた額を支給してもらえる制度だ。上限額は年齢や所得に応じて定められている。

「母の年金は少なかったので、二人合わせると大した額ではありませんでした。それでも父一人の年金額が高いことで高額療養費は適用されないと言われました。入院中は個室料金やアメニティの料金も加算されるので、もっとも多い月には母だけで約50万円かかりました。父が亡くなったあとは負担が減ったものの、それまでに両親の蓄えはなくなってしまいました」

 そのうえ両親が医療保険に入っていなかったことが、負担が増える結果になったと振り返る。

「父がまだ若く元気なときに保険のことを聞いたことがあるのですが、父からは『親が死んだときのことを考えているのか』と反発されてしまいました。せめて終身保険に入ってくれていたらと思いました」

 さらに親の死後もお金はかかる。春木家には菩提寺もお墓もあった。それでも予想以上の出費となったという。

「葬儀や戒名、位牌、法事と、お金のかかることが続きます。お墓はありましたが、埋葬代も結構かかりました。菩提寺があるのなら、住職に葬送にかかる費用がどれくらいになるのか、確認してみることをおすすめします」

*****

 直美さんの介護は終わった。それにしても――と思わずにはいられない。

 謙作さんや八重子さんが退院して自宅に戻るときに、ケアマネが訪問医か訪問看護を入れてくれていれば。あるいは誰かしらのプロが、直美さん親子に寄り添い、支えてくれていれば……。

 八重子さんがいよいよ危ないというときに、看取りの病院で穏やかな死を迎えることができていたかもしれない。救急病院で心臓マッサージを何度もしなくて済んだかもしれない。

 「もし」を考えても詮ないことだ。親の死に際して、「あのとき、こうすればよかった」と後悔する子どもは少なくない。直美さんも、無理に前を向こうと思わなくてもいい。それでも、直美さんの心が満たされる日が来ることを祈りたい。

五代目山口組、若頭射殺事件のヒットマン満期出所! 元極妻が語る“襲撃犯”の悲しき「その後」

今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

宅見勝若頭射殺事件のヒットマンが出所

 あの五代目山口組・宅見勝若頭射殺事件のヒットマンの一人が4月28日に出所したことが報じられましたね。1997年の事件ですから、20年以上前のことです。

 元ヒットマンが懲役20年の刑を終えて出所することは、以前から関係者の間では話題になっていましたし、すでに出所している方もいますが、やはり「週刊実話」(日本ジャーナル出版)の記事を読むと感慨深いものがあります。雷雨の中、コロナ禍で閑散とした空港に降り立つ元ヒットマン……。なんか映画の場面みたいですね。記者さん、GJです。

ホテル内での凶行で市民も巻き添えに

 事件は1997年8月28日の午後、JR新神戸駅のホテルのティーラウンジで起こりました。突然乱入してきた4人の作業服の男が3人の山口組幹部と同席していた宅見若頭にむけて一斉に拳銃を乱射し、隣席の無関係の方にも流れ弾が当たってしまいました。この方は9月3日に死亡しています。

 大組織の大幹部射殺というだけでも大騒ぎですが、普通にお客さんがいるティーラウンジでの銃乱射、しかもカタギさんが巻き添えになったことで、山口組は窮地に立たされることになります。そして、山口組執行部は28日のうちにヒットマンは中野太郎会長率いる中野会系の組員と断定しました。

 警察がヒットマンを別件逮捕するのはなぜかずっと後なんですけど、中野会長以下組員は「針のむしろ生活」を送ることになります。当時の中野会長は山口組若頭補佐を務めていたのですから、大謀反ですよね。

 中野会長は関与を否定し続けましたが、破門のち絶縁という処分を受けて中野会は解散に追い込まれます。この処分の仕方も微妙すぎます。中野会長の著書『悲憤』(講談社)によると、山口組執行部は中野会長に対して何の聞き取りもないまま8月31日の若頭葬儀のあと「破門」の処分にしています。詳しいことは、こちらをお読みください。

 執行部は「絶縁」を主張しましたが、トップである五代目山口組・渡邉芳則組長が「まだ中野と決まったわけではないやないか」と反論したそうです。破門というのは「復活の余地がある処分」ですから、身内のナンバー2を本当に殺していたのであれば、普通はありえません。ソッコー絶縁(復活できない処分)のはずです。実際に後に絶縁になっていますが、これは「流れ弾が当たったカタギさんが亡くなったから」で、むしろ世間体を意識した処分なんですよ。

 とはいえ、若頭襲撃班のメンバーは哀しい運命をたどります。

 事件後、襲撃班グループのメンバーはバラバラに逃亡して、遺体で見つかったり、有罪判決を受けて服役したりしています。すでに出所されている中保喜代春さんは、上告中に手記を出されていましたが、出所後には、事件をずっと取材されてきた木村勝美さんが一連の流れをご本にまとめられています。

 指揮役とされたAさんは潜伏先の韓国で変死体となって発見され、Bさんは沖縄でバイクに乗ったヒットマンとのカーチェイスの末に射殺され、ヒットマンの一人だったCさんは逃亡中に持病が悪化したせいか衰弱死していたことがわかりました。そして、最後のキーマンといわれたDさんは16年もの逃亡の末に逮捕され、無期懲役の有罪判決を受けて今も服役中です。

「報復(カエシ)は考えていない」

 さて今回の元ヒットマン氏の出所については、警察は報復を考えて機動隊員も待機させていたようです。入江禎組長率いる二代目宅見組は神戸山口組の傘下ですから、六代目山口組とは「抗争状態」。警察がピリピリするのもわかります。入江組長にとっては「親分の敵」ですしね。

 でも、「週刊実話」の報道によりますと、「(私怨ではなく)“仕事”の上で実行したのだから、恨みつらみはない」と入江組長が話しているそうです。それどころか出迎えたのは神戸山口組関係者で、こちらに加入のうわさもあるようです。とはいえ、今回は組織として迎えたのではなく、「個人の縁」だそうで、しばらく故郷で静養するとの見方もあります。

 まあまだ51歳だそうですから、しばらくゆっくりして今後を考えられたらいいですね。ひとまず獄中から無事に生還されて、本当によかったと思います。

公立の高校受験組に負ける! 中学受験突破の息子が「中だるみ」「夜10時まで帰らず」……母の焦り

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 我が子に中学受験をさせる理由の一つに「6年間をのびのびと過ごしてほしいから」というものがある。

 中高一貫校に入学すれば、高校受験を受けなくて済むので、友達とゆっくり友情をはぐくめるし、好きな部活にもトコトン打ち込める。このような「充実の6年間」を期待して入学させるのである。

 ところが、親というものは時に自分勝手な存在だ。「のびのび」してもらいたいからこそ、中高一貫校という選択をしたのに、いざ、本当に子どもがのびのびしすぎると、余計な口を挟みたくて仕方がない病におかされる。要するに、成績に口やかましくなるのである。

 仁美さん(仮名)も、突然、急変した母親の一人である。

 一人息子の一翔君(仮名)が入学した中高一貫校は、自由闊達な校風で知られる学校だ。同校は生徒指導において、どちらかと言えば、面倒見がいいというよりも、本人が自覚するのを「待つ」という方針を取っている。

 念願叶って、志望校に入学した一翔君は、早速、生物部に入部し、大好きな昆虫採集に明け暮れた。暇さえあれば、学校敷地内の雑木林を駆け巡って、虫取りに情熱を傾けていたのだ。

 ところが、これは進学校に通う生徒にとってつらい点でもあるのだが、教科の学習はドンドン進む。

 中1の夏休み前は、テストの順位が学年で2桁だった一翔君も、中2の秋には、下から数えたほうが早い順位となり、指名補習(教師が成績の悪い生徒を指名し、補修に参加させること)の常連になっていた。

 中3になると、学校からはやんわりと「このままいくと、高校への進学基準に引っかかる可能性がある」と言われる始末。焦ったのは仁美さんだ。一翔君を無理矢理、補習塾に突っ込むことにしたのだが、今度はその塾の先生から、電話がかかってくるようになったという。

「一翔君が来ていませんが、今日は欠席ですか?」

 なんと一翔君は、補習塾をサボって、相変わらず昆虫採集に励んでいたのだ。仁美さんは怒り狂い、一翔君に向かって、こう叫んだという。

「いい加減にしなさい! 塾をさぼって、何をやっているの? 高校に上がれなかったら、どうするつもり?」

 一翔君は「別に(構わない)」と言っただけで、自室にこもってしまった。聞けば、近所の公立組は高校受験の準備に余念がないという。実際、たいていの子は、夜の10時まで塾で勉強をしているものだ。

 さらに、仁美さんは、公立中に通う一翔君と同学年の子を持つお母さんに、近所で出くわした際、「一翔君の学校はレベルが高いから、うらましいわ。ウチなんか、こないだようやく英検準2をパスしたとこなの。一翔君なら、もう英検2級も取ってるでしょう? 本当にまったく、嫌になっちゃうわ……」と言われて、愕然としたという。

 仁美さんが、その場を作り笑顔で必死に切り抜けるしかなかったのは、一翔君が準2どころか、3級にも合格していなかったからだ。

「公立組の子たちは、中学受験の勉強をしていない分、誰もが英語塾に通って、英語の学力を高めていたんだわ……。あんなに大変な中学受験を乗り越えたのに、このままだと、中だるみのせいで、公立の高校受験組に負けてしまう!」

 以降、仁美さんは一翔君の姿が視界に入るたびに、口うるさく「課題はやったの?」「もうすぐ試験でしょ?」というプレッシャーをかけ続けたという。

 そんな、ある日のこと。一翔君が学校に行ったまま帰って来ないという事件が起きた。時刻は夜の10時過ぎ。仁美さんは慌てて学校に連絡し、先生たちも心当たりを探してみるということになったそうだ。

 しかし、ほどなく、ひょっこりと一翔君が同級生と共に部室に現れたという。なんでも、カブトムシを捕まえるために、雑木林で夢中になっていたのだそうだ。

 後日、お騒がせのお詫びに学校を訪れた仁美さんは、担任の先生から笑顔でこう言われ、再び仰天したという。

「お母さん、ご心配はよくわかりますが、一翔はバカじゃありません。高校へ上がる基準についても十分わかっているはずです。もっと一翔を信用して、長い目で見てやってくれませんか?」

 しかし、仁美さんは負けじと応戦したそうだ。

「でも、一翔は(高校進学基準に当たる)英検3級にも受かっていませんし……。無事に高校に進学できるかどうかもわからないんですよね? 虫取りに夢中になっている場合じゃないです!」

 そんな仁美さんの心からの叫びに対し、担任の先生は穏やかに、でもきっぱりと「一翔はやれる子です。英検もまだ受験回が残っています。僕は一翔を信じてますよ」とおっしゃったと聞く。

 その後、一翔君はどうなったかというと、次の英検で見事3級に合格し、補習の課題もクリアして、どうにか併設高校への進学資格を獲得した。一方で、高校に入っても、相変わらず虫取りに余念がなく、昆虫採集ハイシーズンには仲間と共に野山を駆け回るような生活を送っていたそうだ。

 ところが、そうこうしているうちに高3を迎え、部活を引退すると、一翔君は人が変わったかのように、受験勉強に励むようになったという。

 そして、その冬、見事に第一志望校の国立大学に入学した。筆者が一翔君に当時のことを聞いたところ、彼は「行方不明事件を起こした中3のとき、担任の先生に『一翔、オマエ、わかってんだろ? スイッチは自分で押せよ!』と言われたんです。だから、高3の部活引退後に、『時期が来た』と思って、自分で押しました」と笑顔で教えてくれた。

 さすがは中高一貫校、思春期の子の扱い方には優れているとつくづく感心する。親にとって至難の業である「待つ」という行為は、子どもの成長に大事なことなのだ。

「別人になってる」「体調は大丈夫かな?」“激やせ”したと世間が驚いた芸能人3人

 3月末でテレビ東京を退社し、フリーに転身した鷲見玲奈アナウンサーが5月14日、自身のインスタグラムのストーリーを更新。ネット上で「激やせした」と指摘されたことに対し、「ダイエットです 頑張って痩せたのに…」と反論した。

「5月13日に30歳の誕生日を迎えた鷲見アナは、同日にインスタライブを行い、『20代、いろいろありましたね』などと振り返りつつ、『常にやせたいと思ってきた』とダイエットについて触れる場面がありました。その後、ストーリーでボヤいていたというわけです。鷲見アナといえば昨年12月、『週刊文春』(文藝春秋)に社内不倫疑惑をスッパ抜かれ、レギュラー番組を欠席するように。本人は不倫を否定していましたが、結局、テレ東を退社するに至っています。インスタライブでは、『週刊誌に追っかけ回され、外に出るなと言われた』『食べるのも面倒になって、2月ごろ、“これはまずいな”というぐらいやせた』とも告白しています」(芸能ライター)

 ネット上では、「タイミング的に“ダイエットしてやせた”って話は無理ある」「そのやせ方はダイエットと言わないのでは……?」というツッコミや、「どう考えてもストレスでやせてるよ。体調は大丈夫かな?」「ダイエットだとしても、あんまり無理しないでほしい」と、鷲見アナを心配するコメントも寄せられていた。

 お笑いトリオ・安田大サーカスのHIROも、“激やせ”して世間を驚かせた芸能人の一人。2018年1月15日放送の『名医のTHE太鼓判!』(TBS系)に出演した際、135キロあった体重が93キロまで減ったと明かし、衝撃を与えた。

「17年6月に左脳室内出血のため緊急搬送後に入院を余儀なくされたHIROは、半年間、芸能活動を休止していました。退院後は和歌山県にある実家で療養生活を送っていたそうで、その間は健康を考えて毎日運動していたとのこと。HIROは入院時、医師から『一歩間違えば危険な状態だった』と告げられていたそうで、『生きてて本当によかったです』と安堵の表情を見せていました」(同)

 ぽっちゃりとした体形で親しまれていただけに、「ずいぶんとやせちゃってビックリ……」「久々に見たら別人になってる」と驚きの声もあったが、「健康のために運動してやせたならよかったと思う」「芸人はキャラ作りも大事だろうけど、やっぱり健康が一番」と、安堵する人が多かったようだ。

3月6日に封切られた映画『Fukushima 50』の主演を務める佐藤浩市は、映画コメンテーター・LiLiCoが同8日に更新したブログに登場。ツーショット写真が掲載されていたが、やせこけた佐藤の姿に注目が集まり、議論を巻き起こした。 

「写真では笑顔を浮かべていた佐藤ですが、映画の宣伝写真より明らかにやせており、ネット上では『健康なやせ方じゃない』『役作りのため?』などと臆測が飛び交いました。そんな中、同月発売の『週刊文春』が佐藤にインタビューを行い、真相が明らかになりました。なんでも、佐藤は2月下旬に大腸のポリープを取る手術をしたらしく、『トータルで1週間ぐらい絶食』していたとのこと。さらにこの1カ月前にはアニサキスに当たり、食事ができない期間が数日あったとか。その結果、『体重は5キロ強落ちた』と明かしています」(同)

 佐藤は「文春」の取材に対し「少し(体重を)戻そうかなと思っています」とも語っており、ネット上では「心配したけど大事には至っていないようで安心した」「そんな大変なことがあったとは……しばらく休んで元気になってほしい」「いろんな臆測があったから、本人がきちんと説明してくれてよかった」といった声が寄せられていた。

 やせた理由は人によってさまざまだが、急激な体形の変化は世間に大きな衝撃を与えるだけでなく、自身の健康にも影響があるだろう。

【二世セレブのゴシップ列伝】トミー・ヒルフィガー息子「ドラッグ大好き問題児」トム・ハンクス息子「売れないラッパーから俳優転身」

 今年2月、ハリウッドの巨匠スティーヴン・スピルバーグの養女ミカエラが、ポルノスターになると宣言。その直後には、24歳年上の婚約者に対して暴行を加えた容疑で逮捕されるなど、トラブルメーカーとしてメディアを賑わすようになった。「セレブになる近道だ」とポルノ女優になり、父親のローレンス・フィッシュバーンから絶縁されて転落人生を送っているモンタナのようになるのではないか、と心配する声まで上がっている。

 祖父・父に続いて俳優としての成功が約束されていたものの、重度の薬物依存症となった、マイケル・ダグラスの息子キャメロン。俳優やヘヴィメタ歌手として活動するもパッとせず、妊娠中の妻に暴力を振るうなどの問題を起こしまくっている、ニコラス・ケイジの息子ウェストン。

 「親のように成功しなければ!」というプレッシャーに押しつぶされてしまうのか、はたまた「親の七光」と言われるのが嫌なのか、セレブの子どもたちの中には、問題児が少なくない。今回はそんな2世セレブの問題児の中から、厳選した5人を紹介しよう。

ロバート・ダウニー・Jrの息子、インディオ・ファルコナー

 父親は重度の薬物依存症を克服した、超人気俳優のロバート・ダウニー・Jr。母親は、ロバートの薬物依存に愛想を附かせて離婚した最初の妻で、女優のデボラ・ファルコナー。インディオは母親に引き取られたが、父親とも良好な関係を保ちながら育った。

 12歳の時に映画『キスキス,バンバン』(2005)で、父が演じた主人公の幼少期を演じ、銀幕デビュー。しかし、演技より音楽に情熱を持つようになり、バンド活動に励む青春時代を過ごした。

 そんなインディオが世間の注目を集めたのは、14年6月。警察の車内検査を受けた際、コカインが発見され、逮捕されたと報じられたのだ。

 逮捕当日の夜には1万ドル(約107万円)を支払って保釈されたインディオについて、ロバートはすぐに声明を発表。「依存症は私の家系の遺伝だ」と息子をかばい、更生させることを約束。ロバートが、数年前からインディオを薬物依存から救おうと必死になっていたことや、「息子が依存症になったのは自分のせいだ」と罪悪感にさいなまれていたことが報じられ、一気にロバートに同情が集まった。

 インディオは罪を認め、20カ月の薬物治療プログラムを受け、刑務所行きを免れた。クリーンになったインディオは、友人とバンド「The Dose」を結成。薬物を断ち切る苦しさを嫌というほど知っているロバートは大喜びし、Facebookにお祝いメッセージを投稿。さらにはThe Doseの宣伝をするなど、親バカぶりを発揮した。

ロッド・スチュワートの息子、ショーン・スチュワート

 父親は伝説的ロック歌手ロッド・スチュワート、母親はロッドの3番目の妻で元モデルのアラナ・スチュワートだ。チヤホヤされながら育ち、「甘やかされた2世」だと自認しているショーンは、長年トラブルでメディアをにぎわせる存在だ。

 22歳だった2001年12月、レストランの外で19歳の男性に暴行を加え逮捕。90日の禁錮刑と被害者への5,600ドル(約60万円)の賠償金の支払い、アンガーマネジメント・プログラム、薬物治療プログラムの受講を命じられた。

 しかしカッとなる性格は直らず、06年にはナイトクラブでぶつかってきた男性をボディガードと共にボコボコにし、大ケガを負わせた。07年にもパーティーで暴行事件を起こし、逮捕されている。

 この後、ショーンはロサンゼルスに住む2世友達と共にリアリティ番組『Son of Hollywood』を制作。08年には薬物依存症を克服しようとするセレブの奮闘を追ったリアリアティ番組『Celebrity Rehab』に出演するなど、リアリティスターとして知名度を上げた。しかし、10年10月に免許停止処分中に運転していたとして再び逮捕される。

 14年にはポッドキャストで、何年も前に断薬したと述べた上で、「ありとあらゆるドラッグをやってきた」と告白。今はクリーンだと強調したが、15年3月にマイアミ国際空港の手荷物引き渡しテーブルに乗り、罰金を支払った。

 何歳になってもバカなことをやっている息子がいて気の毒だと同情されていたロッドだが、19年の大みそか、ショーンと共に逮捕されてしまった。ホテルで開催されていたプライベートパーティーに自分の子や知り合いの子を参加させようとしたが、警備員に「招待者リストに載っていない」と制止された。そのことに腹を立て、親子で暴力を振るったのだ。裁判は新型コロナウイルスのために延期になっているが、今後どのような判決が下るのかに注目が集まっている。

 父はオスカー俳優トム・ハンクス、母は女優のリタ・ウィルソン。何不自由ないセレブな環境に生まれ育ったチェットは、17歳から俳優として活動を始め、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)など大作映画にもちょい役として出演。しかし、あまり注目されず、21歳でラッパーに転身した。チェット・ヘイズというステージネームでミックステープを発表したが、これまたパッとせず。売れないラッパーとして地道に活動をしていた。

 そんなチェットが注目されるようになったのは、15年のこと。6月に、黒人蔑視用語である「ニガー」を口にしたことがネット上で批判され、インスタグラムで「ヒップホップは黒人のものじゃねぇ。文化だ」「オレの言うことを止められるヤツなんていねぇ」と反論し、大炎上したのだ。そして、その直後、一時滞在していたロンドンで、「ホテルにお持ち帰りした女性3人がセックスすることを拒否したため大暴れし、ホテルの備品を破損させた」として、器物損壊などの容疑で逮捕状が出されたのだ。

 チェットは14年11月に「オレは16歳の時から薬物依存に苦しんでいた。24歳になった今、やっと更生する決意を固めた」と告白していたこともあり、イギリスから帰国後はリハビリ施設入り。

 その後、16年に誕生した娘のために「ガチの更生」を誓ったチェットは、薬物依存を断ち切った。ラッパー時代に起こしたことは「めちゃくちゃハイになってたから」と弁解し、「相変わらず自分に甘い」とバッシングされている。

 本人は更生中、精神的にサポートしてくれた両親に感謝するなど真面目な面を見せ、俳優活動を再開。人気ドラマ『Empire/エンパイア成功の代償』などに準レギュラーとして出演し、評価され始めている。

キース・リチャーズの娘、テオドラ・リチャーズ

 伝説的バンド「ローリング・ストーンズ」のギタリスト、キース・リチャーズと、元モデルのパティ・ハンセンの次女。両親は1983年に結婚してからずっとラブラブで、ロック界のおしどり夫婦として知られている。

 16歳の時、妹アレクサンドラとミック・ジャガーの娘エリザベス・ジャガーと共に、ファッションブランド「トミー ヒルフィガー」の広告塔に誘われ、モデルとしてのキャリアをスタートさせる。その後も「VOGUE」「ローリング・ストーン」など人気雑誌にモデルとして登場するなど、着実にキャリアを積み上げていった。

 ニューヨークに住み、絵画を勉強するなどアートの才能も持つ彼女は、SNSで「パーティーはあまり好きじゃない」「ドラッグも好きじゃないの」と明かし、ヘロイン依存症だった父親とは違うと断言していた。

 だが、2011年3月、そんなテオドラが薬物所持で逮捕された。ニューヨークの修道院の壁に落書きをしているところを警察に捕まり、持ち物検査でバッグの中から規制薬物が発見されたのだ。

 薬物については「ディーラーから買った」と素直に話したテオドラは、かなりハイな状態だったようで、警察官に「問題にならないといいな~」とのんきに語っていたと、後日報じられた。大麻やヒドロコドンという麻薬性鎮痛薬も所持しており、ネット上では「父親からの遺伝」「さすが、薬物依存症のケイト・モスの友達」と大いに皮肉られた。

 検察側からの司法取引に応じ、地域への2日間の無償奉仕、薬物依存治療プログラムを1日受けることと引き換えに、起訴は取り下げられた。その後、トラブルは起こしていないが、「悪い意味でキースに似た娘」というイメージが定着してしまった。

 父親はアメリカを代表するファッションデザイナーのトミー・ヒルフィガー。母スージー・ヒルフィガーは、2000年にトミーと離婚した元妻。マンハッタン生まれのリチャードは、コネチカット州の高級住宅街グリニッチで育った。

 何不自由ない環境で育ったものの「地元はつまんない」と感じ、ヒップホップにのめり込んでいった。父の友人であり、小さい頃から面識があったジェイ・Zやカニエ・ウエスト、ナズといったラッパーたちから強い影響を受け、13歳でリリックを書き、音源を録音するなど、ラッパーとして生きる決意をした。

 「オレは一族のやっかい者」と自称するリチャードだが、両親は彼を応援。リチャードが15歳の時に、治安の悪いペンシルベニア州フィラデルフィアに住む友達に会いに行くと言いだした時にはボディガードを同行させるなど、息子に金を使った。

 その後、リチャードは「リッチ・ヒル」というステージネームでミックステープを発売するようになり、06年に発表したラッパー、キッド・カディとのコラボ曲「Grils, Sounds, Colors」「Trippy」が注目され、11年7月にワーナー・ブラザーズ・レコードと契約。13年にはデビューアルバム『SYLDD(地元の薬物売人を応援しようぜ)』をリリース。シンガーソングライターのザ・ウィークエンドが客演したことが話題になった。

 アパレル「Young Rich & Famous」「Heart Culture Clothing」のオーナーという顔を持ち、14年には人気歌手リタ・オラとの交際でタブロイド紙を騒がせるなど、絵に描いたようなボンボンな彼だが、実はドラッグ大好きな問題児としても知られている。

 10年8月、20歳の時に販売目的で自家用車に大麻を隠し持っていたところを警察に検挙され、そのまま逮捕される。しかし2カ月後、「これは医者から処方された医療用大麻」と証明し、起訴は取り下げられた。ネット上では、「金持ちのボンボンだから、優秀な弁護士のおかげで罪を逃れた」「この程度の罪なら逃れられる。セレブだし」などとバッシングが飛び交った。

これでおとなしくなるかと思いきや、リチャードは再び問題を起こす。15年10月、友人に対し「ドレスコードが合わない」と入店を断ったナイトクラブの警備員を殴って、逮捕されたのだ。有名デザイナーの息子ということもあって、この逮捕劇には「ファッションのために暴力を振るうのか!」と大きな話題となった。

【二世セレブのゴシップ列伝】トミー・ヒルフィガー息子「ドラッグ大好き問題児」トム・ハンクス息子「売れないラッパーから俳優転身」

 今年2月、ハリウッドの巨匠スティーヴン・スピルバーグの養女ミカエラが、ポルノスターになると宣言。その直後には、24歳年上の婚約者に対して暴行を加えた容疑で逮捕されるなど、トラブルメーカーとしてメディアを賑わすようになった。「セレブになる近道だ」とポルノ女優になり、父親のローレンス・フィッシュバーンから絶縁されて転落人生を送っているモンタナのようになるのではないか、と心配する声まで上がっている。

 祖父・父に続いて俳優としての成功が約束されていたものの、重度の薬物依存症となった、マイケル・ダグラスの息子キャメロン。俳優やヘヴィメタ歌手として活動するもパッとせず、妊娠中の妻に暴力を振るうなどの問題を起こしまくっている、ニコラス・ケイジの息子ウェストン。

 「親のように成功しなければ!」というプレッシャーに押しつぶされてしまうのか、はたまた「親の七光」と言われるのが嫌なのか、セレブの子どもたちの中には、問題児が少なくない。今回はそんな2世セレブの問題児の中から、厳選した5人を紹介しよう。

ロバート・ダウニー・Jrの息子、インディオ・ファルコナー

 父親は重度の薬物依存症を克服した、超人気俳優のロバート・ダウニー・Jr。母親は、ロバートの薬物依存に愛想を附かせて離婚した最初の妻で、女優のデボラ・ファルコナー。インディオは母親に引き取られたが、父親とも良好な関係を保ちながら育った。

 12歳の時に映画『キスキス,バンバン』(2005)で、父が演じた主人公の幼少期を演じ、銀幕デビュー。しかし、演技より音楽に情熱を持つようになり、バンド活動に励む青春時代を過ごした。

 そんなインディオが世間の注目を集めたのは、14年6月。警察の車内検査を受けた際、コカインが発見され、逮捕されたと報じられたのだ。

 逮捕当日の夜には1万ドル(約107万円)を支払って保釈されたインディオについて、ロバートはすぐに声明を発表。「依存症は私の家系の遺伝だ」と息子をかばい、更生させることを約束。ロバートが、数年前からインディオを薬物依存から救おうと必死になっていたことや、「息子が依存症になったのは自分のせいだ」と罪悪感にさいなまれていたことが報じられ、一気にロバートに同情が集まった。

 インディオは罪を認め、20カ月の薬物治療プログラムを受け、刑務所行きを免れた。クリーンになったインディオは、友人とバンド「The Dose」を結成。薬物を断ち切る苦しさを嫌というほど知っているロバートは大喜びし、Facebookにお祝いメッセージを投稿。さらにはThe Doseの宣伝をするなど、親バカぶりを発揮した。

ロッド・スチュワートの息子、ショーン・スチュワート

 父親は伝説的ロック歌手ロッド・スチュワート、母親はロッドの3番目の妻で元モデルのアラナ・スチュワートだ。チヤホヤされながら育ち、「甘やかされた2世」だと自認しているショーンは、長年トラブルでメディアをにぎわせる存在だ。

 22歳だった2001年12月、レストランの外で19歳の男性に暴行を加え逮捕。90日の禁錮刑と被害者への5,600ドル(約60万円)の賠償金の支払い、アンガーマネジメント・プログラム、薬物治療プログラムの受講を命じられた。

 しかしカッとなる性格は直らず、06年にはナイトクラブでぶつかってきた男性をボディガードと共にボコボコにし、大ケガを負わせた。07年にもパーティーで暴行事件を起こし、逮捕されている。

 この後、ショーンはロサンゼルスに住む2世友達と共にリアリティ番組『Son of Hollywood』を制作。08年には薬物依存症を克服しようとするセレブの奮闘を追ったリアリアティ番組『Celebrity Rehab』に出演するなど、リアリティスターとして知名度を上げた。しかし、10年10月に免許停止処分中に運転していたとして再び逮捕される。

 14年にはポッドキャストで、何年も前に断薬したと述べた上で、「ありとあらゆるドラッグをやってきた」と告白。今はクリーンだと強調したが、15年3月にマイアミ国際空港の手荷物引き渡しテーブルに乗り、罰金を支払った。

 何歳になってもバカなことをやっている息子がいて気の毒だと同情されていたロッドだが、19年の大みそか、ショーンと共に逮捕されてしまった。ホテルで開催されていたプライベートパーティーに自分の子や知り合いの子を参加させようとしたが、警備員に「招待者リストに載っていない」と制止された。そのことに腹を立て、親子で暴力を振るったのだ。裁判は新型コロナウイルスのために延期になっているが、今後どのような判決が下るのかに注目が集まっている。

 父はオスカー俳優トム・ハンクス、母は女優のリタ・ウィルソン。何不自由ないセレブな環境に生まれ育ったチェットは、17歳から俳優として活動を始め、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)など大作映画にもちょい役として出演。しかし、あまり注目されず、21歳でラッパーに転身した。チェット・ヘイズというステージネームでミックステープを発表したが、これまたパッとせず。売れないラッパーとして地道に活動をしていた。

 そんなチェットが注目されるようになったのは、15年のこと。6月に、黒人蔑視用語である「ニガー」を口にしたことがネット上で批判され、インスタグラムで「ヒップホップは黒人のものじゃねぇ。文化だ」「オレの言うことを止められるヤツなんていねぇ」と反論し、大炎上したのだ。そして、その直後、一時滞在していたロンドンで、「ホテルにお持ち帰りした女性3人がセックスすることを拒否したため大暴れし、ホテルの備品を破損させた」として、器物損壊などの容疑で逮捕状が出されたのだ。

 チェットは14年11月に「オレは16歳の時から薬物依存に苦しんでいた。24歳になった今、やっと更生する決意を固めた」と告白していたこともあり、イギリスから帰国後はリハビリ施設入り。

 その後、16年に誕生した娘のために「ガチの更生」を誓ったチェットは、薬物依存を断ち切った。ラッパー時代に起こしたことは「めちゃくちゃハイになってたから」と弁解し、「相変わらず自分に甘い」とバッシングされている。

 本人は更生中、精神的にサポートしてくれた両親に感謝するなど真面目な面を見せ、俳優活動を再開。人気ドラマ『Empire/エンパイア成功の代償』などに準レギュラーとして出演し、評価され始めている。

キース・リチャーズの娘、テオドラ・リチャーズ

 伝説的バンド「ローリング・ストーンズ」のギタリスト、キース・リチャーズと、元モデルのパティ・ハンセンの次女。両親は1983年に結婚してからずっとラブラブで、ロック界のおしどり夫婦として知られている。

 16歳の時、妹アレクサンドラとミック・ジャガーの娘エリザベス・ジャガーと共に、ファッションブランド「トミー ヒルフィガー」の広告塔に誘われ、モデルとしてのキャリアをスタートさせる。その後も「VOGUE」「ローリング・ストーン」など人気雑誌にモデルとして登場するなど、着実にキャリアを積み上げていった。

 ニューヨークに住み、絵画を勉強するなどアートの才能も持つ彼女は、SNSで「パーティーはあまり好きじゃない」「ドラッグも好きじゃないの」と明かし、ヘロイン依存症だった父親とは違うと断言していた。

 だが、2011年3月、そんなテオドラが薬物所持で逮捕された。ニューヨークの修道院の壁に落書きをしているところを警察に捕まり、持ち物検査でバッグの中から規制薬物が発見されたのだ。

 薬物については「ディーラーから買った」と素直に話したテオドラは、かなりハイな状態だったようで、警察官に「問題にならないといいな~」とのんきに語っていたと、後日報じられた。大麻やヒドロコドンという麻薬性鎮痛薬も所持しており、ネット上では「父親からの遺伝」「さすが、薬物依存症のケイト・モスの友達」と大いに皮肉られた。

 検察側からの司法取引に応じ、地域への2日間の無償奉仕、薬物依存治療プログラムを1日受けることと引き換えに、起訴は取り下げられた。その後、トラブルは起こしていないが、「悪い意味でキースに似た娘」というイメージが定着してしまった。

 父親はアメリカを代表するファッションデザイナーのトミー・ヒルフィガー。母スージー・ヒルフィガーは、2000年にトミーと離婚した元妻。マンハッタン生まれのリチャードは、コネチカット州の高級住宅街グリニッチで育った。

 何不自由ない環境で育ったものの「地元はつまんない」と感じ、ヒップホップにのめり込んでいった。父の友人であり、小さい頃から面識があったジェイ・Zやカニエ・ウエスト、ナズといったラッパーたちから強い影響を受け、13歳でリリックを書き、音源を録音するなど、ラッパーとして生きる決意をした。

 「オレは一族のやっかい者」と自称するリチャードだが、両親は彼を応援。リチャードが15歳の時に、治安の悪いペンシルベニア州フィラデルフィアに住む友達に会いに行くと言いだした時にはボディガードを同行させるなど、息子に金を使った。

 その後、リチャードは「リッチ・ヒル」というステージネームでミックステープを発売するようになり、06年に発表したラッパー、キッド・カディとのコラボ曲「Grils, Sounds, Colors」「Trippy」が注目され、11年7月にワーナー・ブラザーズ・レコードと契約。13年にはデビューアルバム『SYLDD(地元の薬物売人を応援しようぜ)』をリリース。シンガーソングライターのザ・ウィークエンドが客演したことが話題になった。

 アパレル「Young Rich & Famous」「Heart Culture Clothing」のオーナーという顔を持ち、14年には人気歌手リタ・オラとの交際でタブロイド紙を騒がせるなど、絵に描いたようなボンボンな彼だが、実はドラッグ大好きな問題児としても知られている。

 10年8月、20歳の時に販売目的で自家用車に大麻を隠し持っていたところを警察に検挙され、そのまま逮捕される。しかし2カ月後、「これは医者から処方された医療用大麻」と証明し、起訴は取り下げられた。ネット上では、「金持ちのボンボンだから、優秀な弁護士のおかげで罪を逃れた」「この程度の罪なら逃れられる。セレブだし」などとバッシングが飛び交った。

これでおとなしくなるかと思いきや、リチャードは再び問題を起こす。15年10月、友人に対し「ドレスコードが合わない」と入店を断ったナイトクラブの警備員を殴って、逮捕されたのだ。有名デザイナーの息子ということもあって、この逮捕劇には「ファッションのために暴力を振るうのか!」と大きな話題となった。

「今見るべき作品だった」「続編にも期待高まる」コロナ禍の“再放送”で評価された過去ドラマ3作

 篠原涼子主演のドラマ『ハケンの品格』(2007年、日本テレビ系)が、現在「春子の物語 ハケンの品格2007特別編」として再放送されている。

「コロナ禍によって、ドラマ撮影を中断しているテレビ局が多く、放送開始の延期が余儀なくされ、枠を埋めるために過去の作品が再放送されています。『ハケンの品格』もその一つで、意外にもハマる視聴者が続出しているよう。4月15日放送の第一夜は、平均視聴率10.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と2ケタを記録しています。同作は本来であれば4月から続編が放送される予定だったため、ネット上では『早く続編を見たい!』『続編にも期待が高まるな〜』『このドラマはスカッとできて好き!』といった声が上がっていました」(芸能ライター)

 江戸時代にタイムスリップした現代の脳外科医が、幕末の動乱に巻き込まれていく医療ドラマ『JIN-仁-』(TBS系)は、4月18日〜5月3日の毎週末に特別編を放送。計6回の視聴率はいずれも2ケタ台をマークしており、最終回は11.3%を記録した。

「09年10月期に放送されたパート1と、11年4月期に放送されたパート2の全22話を再編集した特別編として放送されました。江戸の町に“コロリ”という伝染病が蔓延するといった内容は、まさにコロナ禍における日本の状況とリンクしていたため、『今見るべきドラマだった。再放送ありがとうございます!』『ドラマを見て、コロナ禍で奮闘する医療従事者の方に感謝しなければならないと感じた』などと、熱い感想がネット上に多数寄せられていましたね」(同)

 元SMAP・木村拓哉主演のドラマ『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)は、18年の放送から「傑作選」として、4月16日に第1話が再放送された。視聴率は11.6%と高く、こちらもネット上でも好評を得ていた。

「同作も『ハケンの品格』と同じく、4月期から続編が放送される予定でしたが、撮影がストップしている状況です。ネット上では『放送当時も見てたけど、今見てもやっぱり面白い』といった感想のほか、『感染リスクを考えると、今は収録をやるべきではないよね。木村くんは悔しいと思うけど、応援してます!』『続編を楽しみにしていた分残念。でも、出演者やスタッフさんの健康が第一です』など、関係者を気遣う声もありました」(同)

 過去作品が軒並み好調とあって、各局とも春期はひとまずピンチをしのいだよう。とはいえ、すぐに夏期ドラマが控えているため、しばらくは難しい決断と対応に追われそうだ。

『笑点』リモート放送で「座布団運び」の山田隆夫不在! 「かわいそう」の声噴出も「お金には困らない」ワケ

 人気ご長寿番組『笑点』(日本テレビ系)が5月17日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、同番組史上初のリモート収録で放送された。司会の春風亭昇太はスタジオから、それ以外の大喜利メンバーは自宅からリモート出演したが、座布団運びを務める「山田くん」こと山田隆夫(『笑点』以外では、山田たかお)だけが「座布団運びは不要不急」(昇太)とのことで出演しておらず、ネット上では「かわいそう」の声が飛び交った。

 24日は、リモート大喜利が放送される予定。引き続き山田くんの登場はないとみられ、山田くん失職の危機か――と一部では案ずる声が上がっているが、業界関係者は「山田くんの心配はご無用です」(放送関係者)と言い切る。その理由はなぜだろうか。

「山田くんを『笑点』でしか見たことのない人が多いため、『唯一の仕事を失い、生活が困窮するのでは?』といった観点から心配の声が上がっているようです。しかし、山田くんはそもそも多才なタレントで、『座布団運びしかできない』なんてイメージはまったくの間違いなんです」(同)

 現在63歳の山田くんが、本格的に座布団運びを始めたのは1984年から。以来、36年にわたって座布団を運び続けているが、実は彼は芸歴が長く、デビューは10歳の時、『ちびっこのどじまん』(フジテレビ系)に出場したことが芸能界入りのきっかけだった。

「70年からは『笑点』内の『ちびっ子大喜利』にレギュラー出演し、座布団10枚を獲得した記念で73年、アイドルグループ『ずうとるび』の一員として歌手デビュー。75年には『NHK紅白歌合戦』にも出場するほどの人気となり、山田くんが楽曲の作詞・作曲を手掛けることもあったんです」(同)

 「ずうとるび」卒業後も落語家、俳優として活動。スティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画『太陽の帝国』(日本公開88年)の日本兵役に抜擢されたこともある。それだけに「座布団運びの職を失ったとて、その多才ぶりで、いくらでも新たな仕事を見つけられるはず」(同)という。

「さらに山田くんは、実は『不動産王』でもあり、裕福な生活を送っているようです。『ずうとるび』時代から不動産投資を始め、自宅とは別に、都内一等地に投資用のマンション2棟を所有しているといいます。以前、テレビ番組で『家賃収入は座布団運びの10倍』と明かしていたこともあります」(同)

 意外にも商才に溢れ、安定した収入を得ているという山田くん。座布団を運ぶ姿しか知らなかった我々の「かわいそう」は、まったくの杞憂だったようだ。

「山田くんに降りかかったコロナ禍といえば、座布団運び不要論よりも、今年復活した『ずうとるび』の復活公演が延期になったことではないでしょうか。今年38年ぶりに再結成された『ずうとるび』は、2月に神奈川・東名厚木健康センターと相模健康センター、埼玉・草加健康センターで復活ライブを開催していたのですが、3月以降のライブは新型コロナの感染拡大の影響を受け、全て中止・延期になってしまいました」(同)

 本人が生活苦に陥る可能性は低いものの、ファンにとっては『笑点』でもライブでも山田くんの姿を拝めない寂しい日々が続きそうだ。