こんにちは、保安員の澄江です。新型コロナウイルスの感染防止対策として、本格的な自粛モードに突入しておりますが、私たちの現場である商店に、あまり影響はありません。店内は連日、買い出し客で大盛況。普段のスーパーでは、あまり見かけないタイプの方々も食料品の買い出しに来られており、食品スーパーが飲食店のお客様を吸い上げている感じがします。その影響は大きいようで、長年にわたり小料理店を営んできた私の友人も、来月いっぱいで店を閉めることになりました。ある程度の資産をお持ちの方なので、この先の暮らしに不安はないようですが「不本意な形で店を閉めることになった」と涙ながらに悔しがっている姿を見て、共に涙したばかりです。今回は、経営するお店の売り上げ低迷を理由に、万引きすることで店の仕入れを図る「万引き店主」についてお話ししたいと思います。
当日の現場は、東京郊外にある複合商業施設の中にある地下食品街M。精肉や鮮魚をはじめ、青果、総菜、弁当、パン、菓子、輸入食品など、多種多様の専門店が軒を連ねる「デパ地下」に似た雰囲気の現場です。今回は、万引き被害に悩む各テナント様からの苦情を受けた協同組合から、およそ2カ月にわたる食品街全体の集中取り締まりのご依頼を受けました。この日は、その5日目。各店の売場面積は小さく、棚も低いために、一見すると万引きしにくい状況に見えますが、相当数の常習者を抱えているようで、すでに何人かの常習者が摘発されています。通常のスーパーと比べて、質の良い商品を取り扱っているため、万引き犯にも好まれてしまうのでしょう。どうせ盗むなら、少しでも良いモノを。そう考える万引き犯は、非常に多いのです。
出勤の挨拶のため事務所に出向くと、どことなく坂田利夫さんに似た小柄な理事長さんが出迎えてくれました。
「今日一日、よろしくお願いいたします。今日が初回なのですが、なにか特別に注意することはございますか?」
「魚屋と肉屋、輸入食品店の被害が多いみたいだけど、我々は運営側だから詳しくはわからないねえ。お店の人が言うには、毎日のように来ては盗んでいく悪いヤツもいるようですよ。いまのところ、毎日捕まってるから、またあるかもしれないねえ」
どこの組織でも言えることだと思われますが、管理職の立場にある人の多くは現場を知りません。事務的な確認事項を済ませて現場に入ると、地下食品街は多くのお客さんであふれていました。人込みに紛れて店内の構造を確認すれば、出入口が多数あり、隣接する駅や百貨店にまで直結しています。それに加えてエレベーターやエスカレーター、階段まであるため、実行後の万引き犯が辿るルートの予測はできそうにありません。抜け場所の多い現場は見失う確率が高まり、声かけのタイミングも難しいことから、正直に言えば苦手です。
「常習者の捕捉に務めよ」
事務所からの単純な指令を胸に巡回を始めると、2時間ほど経過したところで、精肉店にいるエプロン姿の中年女性が気になりました。一見して40代前半くらいでしょうか。どことなく尼神インターの渚さんに似た彼女の、カゴの中で落ち着きなく蠢く右手が気になったのです。少し離れたところからカゴの中に目をやると、いくつかの精肉パックのほかに、大きく口の開いた黒いエコバッグが入っているのが見て取れました。何気なく近づき動向を見守れば、ほかの客に紛れながら、カゴの中に入れた精肉パックをスライドさせる形でバッグの中に隠しています。
(随分、大胆ね。まだやるかしら)
カゴの中の商品を隠し終えた彼女は、続けてソーセージを手にすると、カゴの中に入れるふりをしながら、それを直接バッグの中に隠しました。ここで声をかけてもいいくらいの状況にはありますが、法的な解釈をもとに考えれば、より慎重に、言い逃れのできない状況を作らなければなりません。そそくさとカゴを戻して精肉店をあとにする彼女の追尾を続けると、何度か後方を気にしながら、珍しい商品が多数並ぶ隣接の輸入食品店に入っていきました。狭く入り組んだレイアウトが個性的な、とても万引きしやすい造りの人気店です。
(ここでも、絶対にやる)
犯行に及ぶことを確信して、店外から彼女の行動を見守ると、チーズやコーヒー、舶来モノのビスケットなどの商品を手に取り、次々とバッグに隠していくのが見えました。犯行の現認は充分なので、無理してみることはしません。なるべく遠くから彼女の手元だけを視界に入れて、店の外に出るタイミングを伺うのです。なに一つ精算することなく、持参したバッグを大きく膨らませて駅側出口の扉を跨いだ彼女に、そっと声をかけます。
「すみませ……」
声をかけると同時に、私を振り払って走り出した彼女は、自動改札を突破して駅構内に逃げ込んでいきました。彼女の行く方向を確認しながら、首かけ式のパスケースに入れてあるSuicaを自動改札機に慌ててタッチして、その後を追います。するとまもなく、乱暴に開かれた鉄扉が立てる破裂音と共に、駅員さんが飛び出してきました。ものすごいスピードで後方から私を追い抜くと、一段飛ばしで階段を駆け上がり、彼女の後を追いかけていきます。
「お客さん、改札通ってないですよ!」
駅員の呼びかけを無視して階段を駆け上がった彼女でしたが、ホーム上に出たところで追いつかれると、力尽きたようにしゃがみ込みました。老体に鞭を打って階段を駆け上がり、ようやくに追いついた私は、息を切らせながら駅員さんに事情を説明して協力を求めます。
「もう逃げるのは、やめにしましょうね。電車来るから、危ないですよ」
事態を把握した駅員さんが、駅事務所を貸してくれるというので、両足の爪先を上げて歩こうとしない彼女の両脇を二人で担ぎ上げるようにして、改札階に向かうエレベーターに乗り込みます。エレベーターの扉が開くと、どなたかが通報されたようで、すぐに二人の警察官が歩み寄ってきました。簡潔に事情を説明した後、即座に彼女を引き渡して、行き先を駅前の交番に変更します。
「このバッグに商品を隠して、金を払わないまま駅の中に逃げたってことね」
交番に着くなり、プロレスラーに劣らぬほど大きな体をした警察官が、彼女のバッグから被害品を取り出しました。2店をハシゴして盗んだ商品は、計13点、被害合計は1万2,000円ほどとなりました。彼女の所持金は1,000円足らずで、クレジットカードや電子マネーも持っていないので、商品を買い取ることはできません。警察官による身分確認の結果、彼女は34歳。結婚はしておらず、身寄りを失くしたばかりで、迎えに来てくれるような人はいないと言います。観念した様子で、なに一つ精算してないことを認めた彼女は、つい先日も別のスーパーで万引きをして捕まったばかりだと告白しました。
「前に捕まった時、もうしないって約束したと思うんだけど、なんでやっちゃったの?」
「ごめんなさい。お店を開けて、すぐにコロナ騒動が起きて、全然お客さんが来ないんです。それで苦しくて、つい……」
傍らで話を聞いていれば、同居していた母親が亡くなってしまい、自分の生計を立てるべく隣町の商店街にカフェを開店したそうで、その経営が思わしくなく犯行に至ってしまったとのことでした。盗んだ商品は、全て店で使うつもりだったと話しています。交番の汚いデスクに並べられた被害品を眺めてみれば、厚切り豚ロース肉、鶏モモ肉、和牛ミスジステーキ、ソーセージ、パルメザンチーズ、ピザ用のシュレッドチーズ、コーヒー、ビスケットなど、確かにカフェで使うようなものばかりを盗んでおり、その理由に嘘はなさそうです。
「あんた、理由はどうあれ、今日は時間かかるよ。駅構内への不正入場の件も警察官が現認してるから、きちんと正直に話してください」
「はい。あの、すみません……」
「なに、どうしたの?」
「この靴も、さっき上の店で盗りました。ごめんなさい……」
「ええっつ!?」
恥ずかしそうに項垂れる彼女の足元を見れば、真新しいピンクのスニーカーが履かれており、よく見ると踵のつまみ部分にはプラスチックの値札紐だけが残されています。
「これ、紐だけ残っているけど、値札はどうしたの」
「ちぎって捨てちゃいました」
「履いてきた靴は、どうした?」
「この靴が入っていた箱に入れてあります」
その後、警察官と共に靴屋さんに出向いた彼女は、ちぎった値札を捨てた場所や、自分の履いてきた靴を箱から取り出すところの写真を撮られると、各店から被害届を出されて逮捕となり、警察署に連行されました。この先、彼女の人生は、一体どうなるのでしょうか。一人で生きていくことが、どんなに大変なことか、あらためて思い知らされた私は、マッチングアプリへの登録を悩みながら家路につきました。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)




