人権軽視?そもそも女性に人権はなかった。大正から現代までの女性の歴史

 3月8日は国際女性デー(International Women’s Day)。なぜこの日が「女性デー」なのか、ご存知ですか? はじまりは1904年3月8日にニューヨークで女性たちが婦人参政権を求めてデモを起こしたこと。1910年にはデンマークのコペンハーゲンで開かれた国際社会主義会議にて、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが「女性の政治的自由と平等のために戦う日」にと提唱しました。ちなみに国際男性デーは11月19日です。

 さてさて、フリーライターである私は基本的に自宅で仕事をしているのですが、長時間座ってパソコンに向かっていると、気分転換したくなってきます。そういうときには「猫 かわいい」「子猫」などで画像検索し、癒しを得ています。藤田嗣治の描く猫も好きで……と感じていたのは、先週まででした。

 今、藤田嗣治に対して複雑な感情を抱いています。なぜなら、『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(酒井順子著 中央公論新書)を読んでしまったから。

『婦人公論』は「男性が女性を啓蒙するための雑誌」だった

『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(酒井順子著 中央公論新書)
 『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(中央公論新社)は、大正5年に創刊され、現代まで続いている雑誌『婦人公論』の1400冊にも渡るバックナンバーを作家の酒井順子さんがまとめた一冊です。

 創刊当初の『婦人公論』の目的は、「高尚にして興味ゆたかなる小説読物を満載して以って現代婦人の卑俗にして低級なる趣味を向上」(P.13)させることであり、「男性が女性を啓蒙するための雑誌」という意識がそこにあったそうです。

 男性による啓蒙雑誌であることは、創刊当初から「大正新女大学」が連載されていたことからも明らかです。「女大学」とは、江戸中期から明治初期にかけて出版された女性向けの教訓を記した書のことです。

<封建社会で家父長制を守り、家を存続させていくためには、女性、特に「嫁」の忍従が不可欠です。その時、嫁に個性だの人間性だの自由だのを認めてしまうと、夫が主で妻が従という家父長制は崩壊するのであり、そのようなことを避けるために刊行されたのが女大学の数々。それはいわば、「よく服従する嫁を育てるためのマニュアル」なのです。>(P.24)

 「女性は幼いときは親に、結婚したら夫に、老いたら子供に絶対服従すること」を根本思想にした「女大学」は、明治初期から約100年間に渡って広められていったそうです。当時、女性がどういった生き物か、女性の幸せとは何か、女性はどのようにふるまうべきかーーを誌面上で教え諭すのは、ほぼ“男性の識者”。女性のための雑誌である「婦人公論」も例外ではありませんでした。

 酒井さんは、「女が行く道を示すことができるのは、男」という思いが、編集側にはあった、と指摘しています。

女性が男性と同じ「人間」だなんて!?
 2020年現在、「女が行く道を示すことができるのは、男」と言う意見を聞いたら、どう思うでしょうか? 「なんで男がそんな上から目線やねん!」ですよね。

 なぜ大正時代の男性がこのように女性に対して常に上から目線なのか、というと、「男性は女性より上の存在である」というのが、当時の常識だったからです。

 そして「大正新女大学」の最終回、日本女子大学の創設者で当時校長だった成瀬仁蔵は、「婦人と言えども人である」と書いたのだそうです。つまり、女性を「人」だと見る感覚は、当時、とても斬新だったと。

 女性は人ではないのだから、当然、人権もありません。大正といえば、おしゃれなモダンガールが街に溢れて、女性が自由になっていった時代、というイメージがありましたが、悲しいことに彼女たちは「一人前の人間」とはみなされていなかったのです。

 大正15年に「婦人公論」で、「婦人に参政権を与えるべきか」というアンケートが、全国99箇所の女子学校の校長を対象に行われました。結果は、62名の校長が「時期尚早」と回答。なかには、「女には参政権など、未来永劫、必要なきことを主張する」という校長もいたそうです。こういった考えを持つ人に教育を受けていたのが、大正時代の女子たちだったわけですね。

 この状況に異議を唱える女性たちも当然、存在しました。「新しい女」と呼ばれた平塚らいてうなどは、明治時代末期から「古い時代の因習や制度からの解放」を訴えていましたし、女性の参政権獲得のために活動している女性もいました。

 「婦人公論」も一時は女性の権利向上に関する記事を掲載したりもするのですが、昭和に入り戦争の気配が漂い始めると「日本の女性がどうすれば戦争に協力できるのか」を説くようになり、時代の空気は逆戻りしてしまったのです。

女性が人間扱いされるようになったのは戦後から
 戦争によって「産めよ、育てよ、国のため」と出産することを推奨されつつ、国のために働き節約することを強制された女性にも、敗戦後に人権が認められました。GHQの指示で女性に参政権が与えられることになったのです。

<女性に参政権が与えられたことによって、日本の男性に、「女も人間だ」という事実を初めて発見させた意義は大きいと、彼女(引用者註:評論家の山川菊栄)は書きました。好きなように叱り、殴り、気に入らなければ交換していた「女」もまた自分達と同じ人間であるという事実を、男性は突きつけられたのです。>(P.143)

 さて、突如として女性は人間扱いされるようになったわけですが、「はい。じゃあ、今まで女性は男性が好きにしていいモノだったけど、今から男女平等ですからねー、対等ですから」と言われたところで、人々の意識がすぐに変わるはずはありません。

 昭和23年、「婦人公論」では、フェミニストを自称する男性たちによる座談会が開かれていたのですが、現代の感覚で読んでみるとその座談会で飛び出ている発言はひどいものです。

 映画監督が「女性は男性と知能の程度が同等ではない」と述べ、画家の藤田嗣治は、「少し外出をさしてやったりすれば妻の知能程度も上昇するのでは」と女性をバカにしくさっています。フェミニストを自称している藤田ですが、自分も家事を分担しようとはつゆほども思っておらず、「女性が働きやすいよう台所を改造すべき」とも述べています。藤田嗣治……猫のポストカード買ったのに……。

 私はこういうこと、よくあります。素敵な作品を作るアーティストや作家が好きになったあと、彼らの女性蔑視発言を知り、がっかりする、ということが。昔の人だからその時代の空気を思えば仕方ないのだろうとは思いますが、それにしても……。たとえば宝塚歌劇団の創設者小林一三が、「女に学問はいらない」「女は男の運命に黙従するより外に道はない」といった発言をしていたと知ったときも、脱力感に襲われました。建前として「女性には人権がある」としたところで、個人の価値観は簡単には変わりません。

令和の女性たちが感じる理不尽なモヤモヤ
 とはいえ、昭和33年には「婦人公論」に初めて女性の編集長が誕生。その後、ウーマン・リブと呼ばれる女性の人権のための活動が活発化したことはよく知られています。ですが、リブ運動の過激化による“反動”も見られました。

 昭和58年、元東宮侍従(皇太子に仕える官職)の浜尾実が『女の子の躾け方-やさしい子どもに育てる本』(光文社)という本を出版。「知っていることでも、女は知った顔をするな」「夫には敬語を使うように」という内容の本書は、ベストセラーとなったのです。

 それから、平成、令和、と時代は流れていきました。歴史を振り返ってみると、「女性の立場はだいぶマシになった」ことは確かでしょう。かつては、女性には財産権も参政権も認められず、女性にだけ姦通罪(不倫をした際の罪)が課されるという明確な不平等がありました。今は建前上は男女平等であり、女性も財産を持ち選挙で投票できますから、そういった不平等は是正されています。

 ですが、私は「昔は最悪だった。今の時代に生まれてよかったー!ラッキー」とは思えません。できれば、もっと後の時代に生まれたかった、とさえ思います。今もなお、女性に人権がなかった時代、女性より男性の方が偉くて当たり前だった時代の空気は、薄まりつつもこの社会に残っているから。

 「性犯罪の刑罰が軽すぎること」「男性に家事をしてもらうためには、褒めよう、プライドを傷つけないように、など下手に出るような態度を求める人がいること」「結婚したら男性は主人、女性はサポート役とみなされる場面が多いこと」「マンスプレイニングされた経験がある女性が多いこと」……などなど、令和になって感じるモヤモヤは、過去の女性たちが経験してきた理不尽と地続きです。

 でも今、「女が行く道を示すことができるのは、男」という発言を女性誌の編集長がしたら、確実に炎上するでしょう。過去に比べれば、確実に状況はよくなっています。ですが「今がベスト」ではありません。だからこそ、これから先に生まれる女性たちのために、小さな女の子たちのために、私たちはまだ戦っていかなければなりません。

 酒井さんは、「婦人公論」の創刊時における女性の幸せとは、人間としての人格を男性から認めてもらうこと、身分の高い人と結婚することなど、「他者から与えられる」ものでしかなかったと指摘しています。その当時と比べれば、現代の女性の幸せは明らかに変わりました。私たちは、不完全であっても、幸福を自分で追求する権利を得ています。

 自由であり、選択肢が多くあるほど、人は判断力が必要になります。だから自分で幸福を追求することは、男性との間でやりとりされる対象物でいることや、誰かの言う通りに行動することよりも、疲れることかもしれません。誰かに幸せを与えてほしいなあ、と思うときもあるでしょう。すごく疲れてしまって、たとえば「結婚したい」というフレーズを、「今のしんどい仕事を辞めて男の金で暮らしたい」といった意味で使ってしまうとか。

 しかし幸福を追求する権利を手放したら最後、自分の人生を他人に委ねてしまうことになります。今、「女性」も「子ども」も人間であることは自明です。100年前に逆戻りしてしまうわけにはいきません。

<女も人間として見られるようになったのはようやく戦後のことであるという事実は、今の若い女性達にも是非、知っておいてもらいたい>(P.406)

 読み終えて、女性が立っている現在地がクリアになりました。その時代の延長線上に生きている私たちができることは何でしょうか。

カテゴリー: 未分類

人権軽視?そもそも女性に人権はなかった。大正から現代までの女性の歴史

 3月8日は国際女性デー(International Women’s Day)。なぜこの日が「女性デー」なのか、ご存知ですか? はじまりは1904年3月8日にニューヨークで女性たちが婦人参政権を求めてデモを起こしたこと。1910年にはデンマークのコペンハーゲンで開かれた国際社会主義会議にて、ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが「女性の政治的自由と平等のために戦う日」にと提唱しました。ちなみに国際男性デーは11月19日です。

 さてさて、フリーライターである私は基本的に自宅で仕事をしているのですが、長時間座ってパソコンに向かっていると、気分転換したくなってきます。そういうときには「猫 かわいい」「子猫」などで画像検索し、癒しを得ています。藤田嗣治の描く猫も好きで……と感じていたのは、先週まででした。

 今、藤田嗣治に対して複雑な感情を抱いています。なぜなら、『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(酒井順子著 中央公論新書)を読んでしまったから。

『婦人公論』は「男性が女性を啓蒙するための雑誌」だった

『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(酒井順子著 中央公論新書)
 『百年の女 - 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』(中央公論新社)は、大正5年に創刊され、現代まで続いている雑誌『婦人公論』の1400冊にも渡るバックナンバーを作家の酒井順子さんがまとめた一冊です。

 創刊当初の『婦人公論』の目的は、「高尚にして興味ゆたかなる小説読物を満載して以って現代婦人の卑俗にして低級なる趣味を向上」(P.13)させることであり、「男性が女性を啓蒙するための雑誌」という意識がそこにあったそうです。

 男性による啓蒙雑誌であることは、創刊当初から「大正新女大学」が連載されていたことからも明らかです。「女大学」とは、江戸中期から明治初期にかけて出版された女性向けの教訓を記した書のことです。

<封建社会で家父長制を守り、家を存続させていくためには、女性、特に「嫁」の忍従が不可欠です。その時、嫁に個性だの人間性だの自由だのを認めてしまうと、夫が主で妻が従という家父長制は崩壊するのであり、そのようなことを避けるために刊行されたのが女大学の数々。それはいわば、「よく服従する嫁を育てるためのマニュアル」なのです。>(P.24)

 「女性は幼いときは親に、結婚したら夫に、老いたら子供に絶対服従すること」を根本思想にした「女大学」は、明治初期から約100年間に渡って広められていったそうです。当時、女性がどういった生き物か、女性の幸せとは何か、女性はどのようにふるまうべきかーーを誌面上で教え諭すのは、ほぼ“男性の識者”。女性のための雑誌である「婦人公論」も例外ではありませんでした。

 酒井さんは、「女が行く道を示すことができるのは、男」という思いが、編集側にはあった、と指摘しています。

女性が男性と同じ「人間」だなんて!?
 2020年現在、「女が行く道を示すことができるのは、男」と言う意見を聞いたら、どう思うでしょうか? 「なんで男がそんな上から目線やねん!」ですよね。

 なぜ大正時代の男性がこのように女性に対して常に上から目線なのか、というと、「男性は女性より上の存在である」というのが、当時の常識だったからです。

 そして「大正新女大学」の最終回、日本女子大学の創設者で当時校長だった成瀬仁蔵は、「婦人と言えども人である」と書いたのだそうです。つまり、女性を「人」だと見る感覚は、当時、とても斬新だったと。

 女性は人ではないのだから、当然、人権もありません。大正といえば、おしゃれなモダンガールが街に溢れて、女性が自由になっていった時代、というイメージがありましたが、悲しいことに彼女たちは「一人前の人間」とはみなされていなかったのです。

 大正15年に「婦人公論」で、「婦人に参政権を与えるべきか」というアンケートが、全国99箇所の女子学校の校長を対象に行われました。結果は、62名の校長が「時期尚早」と回答。なかには、「女には参政権など、未来永劫、必要なきことを主張する」という校長もいたそうです。こういった考えを持つ人に教育を受けていたのが、大正時代の女子たちだったわけですね。

 この状況に異議を唱える女性たちも当然、存在しました。「新しい女」と呼ばれた平塚らいてうなどは、明治時代末期から「古い時代の因習や制度からの解放」を訴えていましたし、女性の参政権獲得のために活動している女性もいました。

 「婦人公論」も一時は女性の権利向上に関する記事を掲載したりもするのですが、昭和に入り戦争の気配が漂い始めると「日本の女性がどうすれば戦争に協力できるのか」を説くようになり、時代の空気は逆戻りしてしまったのです。

女性が人間扱いされるようになったのは戦後から
 戦争によって「産めよ、育てよ、国のため」と出産することを推奨されつつ、国のために働き節約することを強制された女性にも、敗戦後に人権が認められました。GHQの指示で女性に参政権が与えられることになったのです。

<女性に参政権が与えられたことによって、日本の男性に、「女も人間だ」という事実を初めて発見させた意義は大きいと、彼女(引用者註:評論家の山川菊栄)は書きました。好きなように叱り、殴り、気に入らなければ交換していた「女」もまた自分達と同じ人間であるという事実を、男性は突きつけられたのです。>(P.143)

 さて、突如として女性は人間扱いされるようになったわけですが、「はい。じゃあ、今まで女性は男性が好きにしていいモノだったけど、今から男女平等ですからねー、対等ですから」と言われたところで、人々の意識がすぐに変わるはずはありません。

 昭和23年、「婦人公論」では、フェミニストを自称する男性たちによる座談会が開かれていたのですが、現代の感覚で読んでみるとその座談会で飛び出ている発言はひどいものです。

 映画監督が「女性は男性と知能の程度が同等ではない」と述べ、画家の藤田嗣治は、「少し外出をさしてやったりすれば妻の知能程度も上昇するのでは」と女性をバカにしくさっています。フェミニストを自称している藤田ですが、自分も家事を分担しようとはつゆほども思っておらず、「女性が働きやすいよう台所を改造すべき」とも述べています。藤田嗣治……猫のポストカード買ったのに……。

 私はこういうこと、よくあります。素敵な作品を作るアーティストや作家が好きになったあと、彼らの女性蔑視発言を知り、がっかりする、ということが。昔の人だからその時代の空気を思えば仕方ないのだろうとは思いますが、それにしても……。たとえば宝塚歌劇団の創設者小林一三が、「女に学問はいらない」「女は男の運命に黙従するより外に道はない」といった発言をしていたと知ったときも、脱力感に襲われました。建前として「女性には人権がある」としたところで、個人の価値観は簡単には変わりません。

令和の女性たちが感じる理不尽なモヤモヤ
 とはいえ、昭和33年には「婦人公論」に初めて女性の編集長が誕生。その後、ウーマン・リブと呼ばれる女性の人権のための活動が活発化したことはよく知られています。ですが、リブ運動の過激化による“反動”も見られました。

 昭和58年、元東宮侍従(皇太子に仕える官職)の浜尾実が『女の子の躾け方-やさしい子どもに育てる本』(光文社)という本を出版。「知っていることでも、女は知った顔をするな」「夫には敬語を使うように」という内容の本書は、ベストセラーとなったのです。

 それから、平成、令和、と時代は流れていきました。歴史を振り返ってみると、「女性の立場はだいぶマシになった」ことは確かでしょう。かつては、女性には財産権も参政権も認められず、女性にだけ姦通罪(不倫をした際の罪)が課されるという明確な不平等がありました。今は建前上は男女平等であり、女性も財産を持ち選挙で投票できますから、そういった不平等は是正されています。

 ですが、私は「昔は最悪だった。今の時代に生まれてよかったー!ラッキー」とは思えません。できれば、もっと後の時代に生まれたかった、とさえ思います。今もなお、女性に人権がなかった時代、女性より男性の方が偉くて当たり前だった時代の空気は、薄まりつつもこの社会に残っているから。

 「性犯罪の刑罰が軽すぎること」「男性に家事をしてもらうためには、褒めよう、プライドを傷つけないように、など下手に出るような態度を求める人がいること」「結婚したら男性は主人、女性はサポート役とみなされる場面が多いこと」「マンスプレイニングされた経験がある女性が多いこと」……などなど、令和になって感じるモヤモヤは、過去の女性たちが経験してきた理不尽と地続きです。

 でも今、「女が行く道を示すことができるのは、男」という発言を女性誌の編集長がしたら、確実に炎上するでしょう。過去に比べれば、確実に状況はよくなっています。ですが「今がベスト」ではありません。だからこそ、これから先に生まれる女性たちのために、小さな女の子たちのために、私たちはまだ戦っていかなければなりません。

 酒井さんは、「婦人公論」の創刊時における女性の幸せとは、人間としての人格を男性から認めてもらうこと、身分の高い人と結婚することなど、「他者から与えられる」ものでしかなかったと指摘しています。その当時と比べれば、現代の女性の幸せは明らかに変わりました。私たちは、不完全であっても、幸福を自分で追求する権利を得ています。

 自由であり、選択肢が多くあるほど、人は判断力が必要になります。だから自分で幸福を追求することは、男性との間でやりとりされる対象物でいることや、誰かの言う通りに行動することよりも、疲れることかもしれません。誰かに幸せを与えてほしいなあ、と思うときもあるでしょう。すごく疲れてしまって、たとえば「結婚したい」というフレーズを、「今のしんどい仕事を辞めて男の金で暮らしたい」といった意味で使ってしまうとか。

 しかし幸福を追求する権利を手放したら最後、自分の人生を他人に委ねてしまうことになります。今、「女性」も「子ども」も人間であることは自明です。100年前に逆戻りしてしまうわけにはいきません。

<女も人間として見られるようになったのはようやく戦後のことであるという事実は、今の若い女性達にも是非、知っておいてもらいたい>(P.406)

 読み終えて、女性が立っている現在地がクリアになりました。その時代の延長線上に生きている私たちができることは何でしょうか。

カテゴリー: 未分類

音信不通の父が脳梗塞に――ゴミ屋敷暮らしの母を看取った一人息子、「親の身勝手」とこぼす理由

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は、7年前の記事で紹介した、母親を介護するシングル一人息子のその後を追った。

あとは死ぬだけの母がうらやましい

 7年前にこんな記事(『あとは死ぬだけの母親がうらやましい』独身の一人息子が見た介護)を書いた。

 小田誠さん(仮名・55)は、親が離婚してから30年以上、父親からも母親からも距離を置いていた。母親は“人嫌い”で、実の息子と会おうともしなかったのだ。そんな母親の様子がおかしいと、近所の人が市に連絡をして、市の福祉担当者から小田さんに連絡が来た。

 ほぼゴミ屋敷で生活していた母親は、すでに認知症が進行していた。そのうえ無年金だったので、小田さんが生活保護の手続きをして、生活保護で入れる施設に入所させることができた。

 小田さんには、母親を扶養する力はなかった。アルバイトで食いつないで、ようやく暮らしている状況だったからだ。

 施設で暮らしていた母親はその後、誤嚥性肺炎を起こし入院した。小田さんのこともわからなくなり、あとは死を待つだけとなった。何度も「もうだめだろう」と言われては持ち直し、小田さんはそのたびにがっかりしていたと明かす。小田さんは長期入院も覚悟しながら、週1回、母のもとに通い続けた。生活保護を受けているので入院費用はかからないが、洗濯代を浮かすために、洗濯物を持ち帰る必要があったからだ。

「点滴で生かされて、死ぬこともできない。皮肉ですが、“死ぬまでは生かされる”んです。それでも、仕事もないのにまだあと30年は生きなきゃならない自分と比べると、あとは死ぬだけの母がうらやましい」

 痛切な言葉をもらしていた小田さん。今はどうしているのだろうか。

介護の相談をしていた女性と結婚

 あれから8年が過ぎた。亡くなった母親と同様“人嫌い”で、「僕みたいに愛情の薄い人間が結婚なんかしちゃいけない」と自嘲気味に語っていた小田さんは、なんと結婚していた。

「母のことでたまたま知り合った福祉の相談員に、話を聞いてもらっていたんです。彼女は福祉系の大学を卒業していて福祉については詳しく、私の地元にも福祉関係のセミナー講師として来ていたんです。彼女は専門職だけあって、私のつらさを受け止めてくれて、母を看取ることができたのも彼女のおかげだと感謝していました」

 母親を看取った小田さんは、このまま彼女、松永理恵子さん(仮名・50)を失うのが怖かった。“人嫌い”だったはずの小田さんだったが、理恵子さんがなくてはならない存在になっていたという。

 小田さんは、理恵子さんにプロポーズした。理恵子さんも、これまで仕事一本でずっと独身だったのだ。ただ、結婚の障壁というほどではなかったが、唯一二人が結婚するのにためらった点は、小田さんは北関東で、理恵子さんは都心にある実家で母親と二人で暮らしていたことだった。

 小田さんは、理恵子さんとの結婚を機に、心機一転ゼロから人生をやり直そうと決めた。

「母も亡くなったし、私も地元にしがみついていても仕事が見つかるあてもない。都心に引っ越せば、地元にいるよりは仕事があるだろう。もし仕事がなかったとしても、彼女には手に職があるので食いはぐれることはないでしょう。そうなれば私が主夫業をして、彼女を支えてもいいと思ったんです」

 小田さんのことを心配していた友人たちも、小田さんの遅い春を心から祝福してくれたという。ほとんど接点のなかった母親なのに、「最期まで責任をもって介護したご褒美だ。神様はちゃんと見てくれていたね」と我がことのように喜んでくれた友人もいたし、「逆玉の輿だ」とやっかみ半分で冷やかす友人もいた、と寂しく笑う。

 寂しく、というのには理由があった。“逆玉の輿”どころか、小田さんには結婚前よりもっと厳しい現実が待っていたからだ。

 小田さんは逃げるように地元を出て、理恵子さんのもとに向かった。

「母が死んで間もなく、また役所から連絡が来たんです。今度はずっと音信不通だった父が、脳梗塞で倒れたというものでした……。やっと母の介護が終わって、彼女と人生を再スタートしようというときに、今度は父。これ以上、身勝手な親に振り回されるのはごめんだ。もう生活保護でもなんでもいいので、役所で好きなようにしてほしい。私はもう引っ越すので何もできない、と言って急いで引っ越したんです」

――続きは3月22日更新

 

音信不通の父が脳梗塞に――ゴミ屋敷暮らしの母を看取った一人息子、「親の身勝手」とこぼす理由

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は、7年前の記事で紹介した、母親を介護するシングル一人息子のその後を追った。

あとは死ぬだけの母がうらやましい

 7年前にこんな記事(『あとは死ぬだけの母親がうらやましい』独身の一人息子が見た介護)を書いた。

 小田誠さん(仮名・55)は、親が離婚してから30年以上、父親からも母親からも距離を置いていた。母親は“人嫌い”で、実の息子と会おうともしなかったのだ。そんな母親の様子がおかしいと、近所の人が市に連絡をして、市の福祉担当者から小田さんに連絡が来た。

 ほぼゴミ屋敷で生活していた母親は、すでに認知症が進行していた。そのうえ無年金だったので、小田さんが生活保護の手続きをして、生活保護で入れる施設に入所させることができた。

 小田さんには、母親を扶養する力はなかった。アルバイトで食いつないで、ようやく暮らしている状況だったからだ。

 施設で暮らしていた母親はその後、誤嚥性肺炎を起こし入院した。小田さんのこともわからなくなり、あとは死を待つだけとなった。何度も「もうだめだろう」と言われては持ち直し、小田さんはそのたびにがっかりしていたと明かす。小田さんは長期入院も覚悟しながら、週1回、母のもとに通い続けた。生活保護を受けているので入院費用はかからないが、洗濯代を浮かすために、洗濯物を持ち帰る必要があったからだ。

「点滴で生かされて、死ぬこともできない。皮肉ですが、“死ぬまでは生かされる”んです。それでも、仕事もないのにまだあと30年は生きなきゃならない自分と比べると、あとは死ぬだけの母がうらやましい」

 痛切な言葉をもらしていた小田さん。今はどうしているのだろうか。

介護の相談をしていた女性と結婚

 あれから8年が過ぎた。亡くなった母親と同様“人嫌い”で、「僕みたいに愛情の薄い人間が結婚なんかしちゃいけない」と自嘲気味に語っていた小田さんは、なんと結婚していた。

「母のことでたまたま知り合った福祉の相談員に、話を聞いてもらっていたんです。彼女は福祉系の大学を卒業していて福祉については詳しく、私の地元にも福祉関係のセミナー講師として来ていたんです。彼女は専門職だけあって、私のつらさを受け止めてくれて、母を看取ることができたのも彼女のおかげだと感謝していました」

 母親を看取った小田さんは、このまま彼女、松永理恵子さん(仮名・50)を失うのが怖かった。“人嫌い”だったはずの小田さんだったが、理恵子さんがなくてはならない存在になっていたという。

 小田さんは、理恵子さんにプロポーズした。理恵子さんも、これまで仕事一本でずっと独身だったのだ。ただ、結婚の障壁というほどではなかったが、唯一二人が結婚するのにためらった点は、小田さんは北関東で、理恵子さんは都心にある実家で母親と二人で暮らしていたことだった。

 小田さんは、理恵子さんとの結婚を機に、心機一転ゼロから人生をやり直そうと決めた。

「母も亡くなったし、私も地元にしがみついていても仕事が見つかるあてもない。都心に引っ越せば、地元にいるよりは仕事があるだろう。もし仕事がなかったとしても、彼女には手に職があるので食いはぐれることはないでしょう。そうなれば私が主夫業をして、彼女を支えてもいいと思ったんです」

 小田さんのことを心配していた友人たちも、小田さんの遅い春を心から祝福してくれたという。ほとんど接点のなかった母親なのに、「最期まで責任をもって介護したご褒美だ。神様はちゃんと見てくれていたね」と我がことのように喜んでくれた友人もいたし、「逆玉の輿だ」とやっかみ半分で冷やかす友人もいた、と寂しく笑う。

 寂しく、というのには理由があった。“逆玉の輿”どころか、小田さんには結婚前よりもっと厳しい現実が待っていたからだ。

 小田さんは逃げるように地元を出て、理恵子さんのもとに向かった。

「母が死んで間もなく、また役所から連絡が来たんです。今度はずっと音信不通だった父が、脳梗塞で倒れたというものでした……。やっと母の介護が終わって、彼女と人生を再スタートしようというときに、今度は父。これ以上、身勝手な親に振り回されるのはごめんだ。もう生活保護でもなんでもいいので、役所で好きなようにしてほしい。私はもう引っ越すので何もできない、と言って急いで引っ越したんです」

――続きは3月22日更新

 

山本ゆりさん【カルボナーラリゾット】お米を洗わずにレンジだけで!? 牛乳消費レシピに挑戦

料理がまったくできない主婦の私。料理は夫担当になっていますが、子どもが大きくなるにつれ、私も作らなアカンときに見舞われるように……。今回はお米すら洗わずレンチンだけで、しかもお米を牛乳で炊くようなイメージのカルボナーラリゾットに挑戦。もしや離乳食のようなお米ができてしまうのでは? それか、お米に芯が残りすぎて失敗に終わるのでは? そう考えている間に、めちゃ濃厚なカルボナーラリゾットが本当にできてしまった!

今日のレシピ:山本ゆりさん【カルボナーラリゾット】

 小学校等の休校によって給食用の牛乳が余っているという。そんな牛乳の消費レシピでツイッターが賑わっている中、「お米に牛乳? まじで〜?」的なレシピを見つけてしまった。しかも、鍋も使わず米の状態からレンチンだけで作るレシピ。レンチンの可能性に近ごろ気づき始めた私。迷わずチャレンジ! 

 料理手順はこちら。

1)大きめの耐熱ボウル(容量2000ml以上)に生米1/2カップ(約80g)、ブロックベーコン50g、顆粒コンソメ、バター各小さじ1(バターは適当で◎)、牛乳・水を各200mlを入れて、ラップなし15分チン
2)ピザ用チーズ大さじ2、塩で味をととのえ1〜2分蒸らす。卵黄(全卵でも)を乗せ黒胡椒をふり、好みでオリーブ油をたらす

 実際に作ってみましょう!

 必要な材料を揃えたが、ご飯に牛乳をかけるのは小学生時代のイタズラが最後。牛乳をかける前に、一瞬ためらってしまったので、とりあえず写真を撮りました。

 ゆりさんは2000ml以上の耐熱ボウルを使って、と仰っていた。我が家の一番大きい耐熱ボウルはギリギリの2000mlちょうど! 少し不安だが、このまま15分間はレンジに任せる。私は炊飯器でしか米を炊いたことがないので、若干の不安はあった。

 レンジ加熱時間ラスト3分になってレンジを覗いてみると……「やばい。ブクブクなってる!」。牛乳が完全に沸騰して、今にも吹きこぼれそう。ヒィー……怖いので一旦、レンジを開けてみるが何をしたらいいのかわからない。ので、写真を撮ってまた閉めた。ラスト3分を見守ることにする。

 レンジから取り出してみると、なんだかお米が硬そう……。しかし気にせず、チーズと塩を入れて混ぜ、1分間蒸らして出来上がり。

 なんか、見栄えが悪い。ゆりさんの完成レシピを確認すると、違う点に気がつく。あぁそうか……やや火が通っていそうな、オシャレな卵を乗せている。

 ゆりさんの完成絵図と違うのは、この卵だったようだ。かっこいい感じではない上に卵を潰してしまった……。無念。そして黒胡椒を振り忘れた……残念。何かと忘れてしまうお年頃。味はどうだろうか? 実食開始。 

 お米に牛乳を入れるという初めての試みにしては上出来の味に仕上がった! お米の状態からレンチンするだけで、リゾットをこんな簡単に再現できるなんてうれしすぎる〜。ベーコンと卵黄のトロッと感がご飯に絡んで、お米にも芯がちょっと残っているのがまたおいしい。食べているうちに、余熱でいつのまにかお米の芯はなくなり、しっとり柔らかいリゾットに変わった。もし芯が気になるなら、「1分蒸らす」工程を4〜5分位にしたらいいのではないかな? レシピ考案者の山本ゆりさんも、硬さが気になるなら「混ぜて蒸らすとイケる」と仰っていたし。

 私は最後のチーズを入れる際に、必要以上にチーズを入れてしまったのでメチャクチャ濃厚になってしまった。だけど、それも好みの味だったのでバンザーイ! まさかレンチンだけでリゾットができるなんて。米に牛乳を入れるという未知の試みでしたが、食べてみたら不安は一気に解消され、おなかいっぱいになりました!

【総評】
もう一度作りたい度:★★★★★
ズボラ主婦でも再現可能度:★★★★☆
子どもウケまたは夫ウケ:★★★★☆

レシピ作成者:山本ゆり(syunkon レンジは600W)

槇原敬之はもうやってない? 田代まさしはどうしたらやめられる? 元女囚が考える薬物事件の再犯

 覚醒剤の使用や密売などで逮捕起訴され、通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基にさまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、女子刑務所の実態を語る「知られざる女子刑務所ライフ」シリーズ。

逮捕から起訴の日まで3週間も勾留

 3月4日に槇原敬之さんが覚醒剤所持などで起訴されましたね。びっくりしたのは、2月13日の逮捕から起訴の日まで3週間も勾留されていたことです。「所持」だけでそんなに? もともと所持は認めていたようですし、最初の尿検査で陰性とわかった時点で、保釈でよかったのとちがいますかね。やってもいないことで長い勾留はイヤガラセでしかないですよ。かわいそうに。

 今回の逮捕の時、「2年も前の所持で逮捕なんて、政府の都合の悪いことを隠すためでは?」とかネットなどでいわれていましたね。私は「陰謀説」とかようわからんのですが、こんなちっさいことで長く勾留されてると、やっぱりおかしいなと思ってしまいます。マッキーも、「がんばってるのに信じてもらえない」となったら、やる気なくなりますよ。2年前の所持なら実刑はないと思いますが、応援しています。

マーシーは、どうやったらやめられる?

 同じ3月4日、マーシーこと田代まさしさんの裁判では、実刑の一部が保護観察付きで執行猶予になりましたね。ややこしいですが、「一部の執行猶予」は最近できた制度です。刑期満了前に薬物の更生プログラムなどを受けられるように、少し早めに出所(=刑の猶予)がアリなんですね。

 何回か書かせてもらってますが、どうすればクスリをやめられるのか、ホンマにわかりません。普通は「居場所」があるとやめやすいといわれています。なんの心配もなく住める家庭とか、仕事とか、あとは親しい家族や友だちですね。私が今なんとかなっているのも、こういう居場所があるからです。

 マーシーも、たくさんのファンがいて、YouTubeでも人気があって、支えてくれる妹さんとかもいて、「居場所」はあったはずですよね。

 判決で、裁判官は「あなたに手を差し伸べてくれる人がいるのは財産。社会復帰したら、財産を生かして薬をやめ続けてほしい。今度こそ二度と罪を犯すことのないように」と言ったそうですが、「財産」があってもやめられなかったのは、なぜなんでしょう?

 これは私の推理ですけど、マーシーは「寂しい」んやと思います。今も人気はあるにはあっても、昭和の頃の大スター的な人気とは違いますよね。ラッツ&スターとか志村けんさんとか、昔の仕事仲間はもう付き合ってくれてないようですしね。

 昔の大スターの自分と比べて、「オレってば何やってんだろう?」って思うと、やっぱり寂しいし、へこむのとちがいますかね。そういう気持ちになると、クスリに手を出しやすいんです。なんかね、誰でも「昔はよかった」的には考えないほうがええと思いますよ。まあ私は、昔はムショにいたんで、今のほうが全然ええですけど(苦笑)。マーシーも若い頃のことがなかなか忘れられないのでしょうが、「今」と「前」を見て生きてほしいです。

 あと、マーシーは裁判で「ずっとクスリをやめていたのに、2019年8月に『反社会的勢力との宴会』でクスリをもらって、また使い始めた」そうです。やっぱり、売ってくれる人との関係を絶たないとやめられないですよ。

 ちなみに「オンナのほうがクスリをやめにくい」とよくいわれますけど、どうでしょうかね。「キメセクが気持ちよすぎるから」らしいですが、私の感想ではオトコのほうがよっぽどやめられない感じです。これもやっぱり寂しいからかなーと。寂しくても、みんながんばって生きましょうよ(笑)。

反ワクチン、脱ステロイド――「自然派ママ」はなぜ生まれる? 小児科医が「孤育て」という背景を語る

 昨今SNSを騒がせている自然派育児の炎上。今回、「パパ小児科医(ぱぱしょー)」の名前で、育児情報サイト「ぱぱしょー.com」を運営し、Twitterやインスタグラムでも情報発信を行っている三重県伊賀市小田町「ゆめこどもクリニック伊賀」院長で小児科医の加納友環先生にインタビューを行い、前編では、自然派育児にまつわる炎上をどのように見ているのかをお聞きした。後編では、なぜ根拠のない情報を信じて拡散してしまう自然派ママが生まれてしまうのか、その背景について考察してもらった。

(前編はこちら)

母親が「反ワクチン」「脱ステロイド」に走るワケ

 小児科分野においては、感染症予防のワクチン、主にアトピー性皮膚炎に用いられるステロイドをめぐって「不安感」を覚える母親は多いようだ。

「ワクチンに関しては、『同時接種』に不安を抱かれる方は多いですね。約10年前にヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンが承認されたのですが、これらを含むワクチンの同時接種後の死亡事例が報道され、不安が広がったこともありました。その後の調査で、同時接種と1本ずつでの接種で、副反応リスクに違いはあまりないことがわかり、現在では同時接種が推奨されるようになっています」

 その他、ワクチンの副反応には、「注射した部位が赤く腫れる」「発熱」などがあるが、「それをネットで調べると、不安を煽るような怖い情報がたくさん出てきて、『ワクチンは良くない』『わが子に打たせてはいけない』という考えが強化されてしまう方はいらっしゃると思います」。

 また、ステロイドに関しては、「90年代前半に『ニュースステーション』(テレビ朝日系)で、『ステロイドは体に悪い』といった企画が放送され、一気に不安が広がり、それが今も根強く残っている印象。『ステロイドを塗ると体に毒素が溜まる』など、不安を煽る過激な表現も目にしますし、とても問題だと思っています」と加納先生。

「ステロイドを使わない『脱ステロイド』の考えは、サプリやスキンケア用品の販売など、悪意のあるなしにかかわらず、ビジネス利用されている現状も。実際に診療現場で、『脱ステロイド』を謳う、内容のよくわからない高額な塗り薬を使用しているという患者さんにお会いしたことがあります」

 なお、脱ステロイド療法として、かつて注目を浴びた「超酸性水療法(雑菌による炎症を抑える目的で、全身に酸性の水を吹きかける)」は、「民間療法の一つであり、標準治療ではない」という。

「昔は、標準治療をしていてもアトピーがなかなか治らないケースがあり、『ステロイドが悪い』『ステロイドのせいでさらに悪化した』と思い込む方が多かったのかもしれません。しかし今では、標準治療でよくなるケースが多いということがわかっています」

 そもそも自然派ママが生まれる背景には、「防腐剤や添加物など、人工的なものに対する小さな不安感」が挙げられるようだ。逆に「ナチュラル志向のライフスタイル」は、体に優しいイメージがあり、安心感が得られるため、「それが『自然は善』『人工物は悪』という構図を生み出すのではないでしょうか」とのこと。

 こうした一般的な構図が、特に育児中の母親の間でより強化されていくのは、核家族化、地域との関わりが希薄になっているという社会環境の中で、「孤育て」に陥っている人が多いからではないかという。

「ほかの人の意見を聞く機会がないため、考えが一方向にいきやすいのです。多くの人と接していれば、例えば『子どもには無添加のものを食べさせている』という意見、一方で『添加物は気にしない』という意見など、いろいろな考えに触れることができるので、極端すぎる育児に走ることはないと思うのですが、『孤育て』でネット情報ばかりを見ていると、『添加物がいかに恐ろしいか』という過激な記事ばかりが目につき、それを信じ切ってしまうということはあるように思います」

 また、医療は日々更新されていくため、「育児の世代間ギャップ」が生じ、上の世代が下の世代にアドバイスをしにくいという現状も。これが「孤育て」につながる面もあるという。

「予防接種の種類にしても、昔とは違いますからね。『今の時代はこうだから』と言われると、上の世代の方も、なかなか助言することは難しいのかなと感じます」

 一方で、そうした「孤育て」中に、同じく育児中のママ友から「自然派育児」を勧められると、信用してしまうというケースもあるようだ。自然派を信じている人は、「悪意なく」人に勧めるため、「それを聞いた人も情報を信用してしまう。そんな傾向があるように思う」という。

「医者のアドバイスより、ママ友の言葉を信じてしまうのです。なぜなら、医者よりママ友とのほうが『信頼関係』があるから。もちろん、長年通っているかかりつけ医で、すでに信頼関係が構築されている医者の言葉であれば、『信じる』というお母さんは多いでしょうが、医療機関で嫌な思いをした……例えば『医者に冷たい態度を取られた』『病状が良くならなかった』といった経験があった場合、医者よりママ友の言葉を信じてしまうのだと思います」

 そのため加納先生は診療において、何よりもまず、母親から「信頼を得ること」が大事だと語る。特に小児科においては、「お母さんが処方した薬を家で使ってくれるか、お子さんの症状の変化に気づいて受診してくれるかがとても重要で、いわばお母さんも『医療チーム』の一員。そのため信頼関係が大事」だそうだ。

「病院において、子どものお母さんに対し、『考えが間違っている』という態度で接すると、その後受診してくれなくなります。なので、『この先生は子どものことをしっかり考えてくれている』と思ってもらうことが大切なのです。例えば『ステロイドは使いたくない』というお母さんがいたら、『じゃあ保湿剤であれば塗れますか?』と代案を勧めたり、『ステロイドのどういった点が不安ですか?』と質問したりして、こちらの言葉を受け入れてもらえるようにします」

 加納先生は「自然派ママも医療従事者も『子どものために』という気持ちは同じです」と語る。自然派を信じ切っている母親に、考えをあらためてもらうのはなかなか難しいだろうが、もし身近に、偏った育児に“走りかけている”母親がいたら、その根底には「子どものため」という思いがあるのだと理解した上で、「こういう考えもあるよ」と声をかけてみるといいのかもしれない。
(解説=「ゆめこどもクリニック伊賀」院長 加納友環先生/取材・文=サイゾーウーマン編集部)

加納友環(かのう・ともわ)
三重県伊賀市小田町「ゆめこどもクリニック伊賀」院長。2児の父親である小児科医ということから「パパ小児科医(ぱぱしょー)」の名で、育児情報サイト「ぱぱしょー.com」を運営。Twitterやインスタグラムでも情報発信を行っている。
「ぱぱしょー.com」
インスタグラム(@papa_syo
Twitter(@papa_syo222

「死者が出ているのに不謹慎」「無神経すぎて呆れる」発言が不適切だと批判が集まった有名人

 2月18日、お笑いコンビ・EXITが自身のプロデュースするアパレルブランド「EXIEEE」のデビュー記者発表会を開催。そこで今後の展望について聞かれた兼近は「(EXIEEEを)コロナよりはやらせる」とフリップに書き、世界的に大流行している新型コロナウイルス感染症をネタにした。

「相方のりんたろー。が大慌てでフリップを隠したものの、兼近は『今日のイベントも、コロナが理由でなくなるかもしれないと言われていた。コロナはこれ以上はやらせたらマズイので、代わりに“EXIEEE”をはやらせようということで』と続けたんです。兼近はボケのつもりだったのでしょうが、ネット上では『本気でバカなんだね』『死者が出ているのに不謹慎』『失言が多いし、そろそろテレビに出なくていい』とバッシングが起こることに」(芸能ライター)

 また、お笑いコンビ・Aマッソは、2019年9月22日に都内で開催されたファンクバンド・思い出野郎Aチームのライブイベント『思い出野郎Aチームpresentsウルトラ“フリー”ソウルピクニック』で、女子テニスの大坂なおみ選手に対してある発言をし、それが“不適切”と大炎上。公式サイトで謝罪したことがある。

「『大阪なおみに必要なものは?』との問いかけに、Aマッソが『漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ』と回答し、ネットを中心に拡散され炎上状態に。24日になり、彼女たちが所属するワタナベエンターテインメントは公式サイトで謝罪。Aマッソの加納愛子と村上愛も直筆の書面で謝罪したものの、ネット上では『完全に差別発言』『これを面白いと思っている感覚がおかしい』『差別的思想が根底にあるんだろうね』と批判の声は鳴り止みませんでした」(同)

 同月29日、大坂本人は一連の騒動について、自身のTwitterに投稿。「日焼けしすぎって笑 資生堂アネッサパーフェクトUVの日焼け止めを使用しているから、私が絶対に日焼けしないってことを彼女らは知らないのね」と、自身がブランドアンバサダーを務める商品名を出すなど、ユーモアを交えて切り返し、称賛を集めた。

「19年2月12日放送の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)では、メインMCを務めるキャスターの安藤優子の発言が『不適切』だと物議を醸しました。この日は、自身のTwitterで白血病であることを明かした競泳・池江璃花子選手について取り上げ、過去のインタビュー映像や著名人の応援コメントを放送。その中で安藤は、『本人の努力もあるんでしょうけど、天が二物を与えたというくらいのすごい天才ぶりだし』と前置きした上で、『かわいらしさと全て持ってると思ったんですけど、(中略)神様がちょっと試練を与えたのかなと思います』と発言し、テレビ局にクレームが殺到することに。ネット上でも『無神経すぎて呆れる』『病気に神様なんて関係ない』『ここまで頭が悪く、デリカシーがないと思っていなかった』と辛らつなコメントが噴出しました」(同)

 なぜひんしゅくを買ったのかをよく考えて、今後は不快感を与える発言は控えてほしいものだ。

「死者が出ているのに不謹慎」「無神経すぎて呆れる」発言が不適切だと批判が集まった有名人

 2月18日、お笑いコンビ・EXITが自身のプロデュースするアパレルブランド「EXIEEE」のデビュー記者発表会を開催。そこで今後の展望について聞かれた兼近は「(EXIEEEを)コロナよりはやらせる」とフリップに書き、世界的に大流行している新型コロナウイルス感染症をネタにした。

「相方のりんたろー。が大慌てでフリップを隠したものの、兼近は『今日のイベントも、コロナが理由でなくなるかもしれないと言われていた。コロナはこれ以上はやらせたらマズイので、代わりに“EXIEEE”をはやらせようということで』と続けたんです。兼近はボケのつもりだったのでしょうが、ネット上では『本気でバカなんだね』『死者が出ているのに不謹慎』『失言が多いし、そろそろテレビに出なくていい』とバッシングが起こることに」(芸能ライター)

 また、お笑いコンビ・Aマッソは、2019年9月22日に都内で開催されたファンクバンド・思い出野郎Aチームのライブイベント『思い出野郎Aチームpresentsウルトラ“フリー”ソウルピクニック』で、女子テニスの大坂なおみ選手に対してある発言をし、それが“不適切”と大炎上。公式サイトで謝罪したことがある。

「『大阪なおみに必要なものは?』との問いかけに、Aマッソが『漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ』と回答し、ネットを中心に拡散され炎上状態に。24日になり、彼女たちが所属するワタナベエンターテインメントは公式サイトで謝罪。Aマッソの加納愛子と村上愛も直筆の書面で謝罪したものの、ネット上では『完全に差別発言』『これを面白いと思っている感覚がおかしい』『差別的思想が根底にあるんだろうね』と批判の声は鳴り止みませんでした」(同)

 同月29日、大坂本人は一連の騒動について、自身のTwitterに投稿。「日焼けしすぎって笑 資生堂アネッサパーフェクトUVの日焼け止めを使用しているから、私が絶対に日焼けしないってことを彼女らは知らないのね」と、自身がブランドアンバサダーを務める商品名を出すなど、ユーモアを交えて切り返し、称賛を集めた。

「19年2月12日放送の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)では、メインMCを務めるキャスターの安藤優子の発言が『不適切』だと物議を醸しました。この日は、自身のTwitterで白血病であることを明かした競泳・池江璃花子選手について取り上げ、過去のインタビュー映像や著名人の応援コメントを放送。その中で安藤は、『本人の努力もあるんでしょうけど、天が二物を与えたというくらいのすごい天才ぶりだし』と前置きした上で、『かわいらしさと全て持ってると思ったんですけど、(中略)神様がちょっと試練を与えたのかなと思います』と発言し、テレビ局にクレームが殺到することに。ネット上でも『無神経すぎて呆れる』『病気に神様なんて関係ない』『ここまで頭が悪く、デリカシーがないと思っていなかった』と辛らつなコメントが噴出しました」(同)

 なぜひんしゅくを買ったのかをよく考えて、今後は不快感を与える発言は控えてほしいものだ。

「ママ活!?」「愛人キャラを守ろうと必死すぎ」ナンパされたことを明かし話題になった芸能人3人

 2月17日、タレント・渡辺美奈代が「ドッキリ?かと…」というタイトルのブログを更新。「今日のランチの後 1人で歩いていたら すれ違った男性から…(大学生らしき方から)『怪しい者じゃないんです! LINE交換して下さい!』って、、、??私?? LINEを交換? あっ!! まさか ドッキリ? 周りキョロキョロしたけどドッキリじゃなかった、、、笑笑 こんな出来事は初体験 えっ 今時は たまたますれ違った人とLINE交換する事もあるの? まさかねぇ…」という文章とともに、自撮り写真を投稿した。

「現在50歳の渡辺には22歳と16歳の息子がいるので、息子と同世代の男性から声をかけられたことになります。彼女はファッションやメイクなどが『若々しい』と評判ですが、ネット上は『ママ活じゃない!?』『“若い”“モテる”と褒めてほしい気持ちが漏れている』『いちいちブログで発信するような内容ではない』などシビアな反応を見せています」(芸能ライター)

 “愛人キャラ”でブレークしたタレント・橋本マナミも、過去のナンパ経験を2019年7月4日放送の『橋本マナミのヨルサンポVI』(BSフジ)で告白し、ネット上で物議を醸したことがある。

「この日は、一般女性にナンパについて街頭インタビューを行いました。そのインタビューの中で、パパ活に誘われたという女性が登場すると、橋本は約2年前に東京・恵比寿の駅ビルでの実体験を話し始めたんです。橋本によると、エレベーターの入口で立っていたところ、『オジサンに「これでどう?」』と、いきなり札束を見せられたといいます。金額は100万円ぐらい入っていたそうで、『あれはなんだったのかよくわからない』と感想を口にしました」(同)

 このエピソードに、ネット上では「お金で釣ろうとするなんて、女性に失礼」と橋本を擁護する声のほかに、「ナンパというか売春」「愛人キャラを守ろうと必死すぎでは?」など、いろいろなコメントが寄せられた。

「16年3月に性別適合手術を受け、8月には戸籍上の性別を男性から女性に変更したタレント・KABA.ちゃんが、同年11月27日放送の『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に出演。手術後に友人とバッティングセンターに行った際、見知らぬ男性に『連絡先教えてもらえます?』『お茶とかどうかなと思って』と初ナンパされたことを明かしました。『そのことを思い出すたびに笑いが止まらない』と喜んでいましたが、ネット上では『ナンパというか有名人だから声をかけられたのでは?』『幸せそうでこっちまで微笑ましくなった』などさまざまな意見が飛び交いました」(同)

 中には危険な人も紛れているナンパ。見知らぬ人からの誘いには、警戒する必要があるかもしれない。