【セブン-イレブン】カップ麺は「さばだし塩ラーメン」「タンメン」が正解! 管理栄養士が選ぶベスト2

「おいしいごはんが食べたい、でも自炊するのはめんどくさい!」そんなズボラ女子の救世主といえば、コンビニ・ファミレス・ファストフード! 毎日の食事をおいしく楽チンにするため、管理栄養士・川村郁子先生に、さまざまなテーマに合わせた「おすすめメニュー」を聞いちゃいます。

忙しいアラサー必見! セブン-イレブンのカップ麺で「健康的な食事」も夢じゃない!?
 遅くまで残業だった平日の夜、絶対に家から出たくない休日――何もやる気が起きない日、お湯を注ぐだけで1食分になるカップ麺は、忙しいアラサーの救世主。とはいえ、栄養バランスが気になって、積極的に手を出せないという人もいるのでは? 今回は、プライベートブランドのカップ麺を多数発売している「セブン-イレブン」を対象に、川村先生にカップ麺の基礎知識から教えていただきました。

――「カップ麺だけで食事を済ませる」というのは、管理栄養士から見てどう思われますか?

川村郁子先生(以下、川村) カップ麺は糖質や脂質が高い一方、タンパク質が少なく、ビタミン・ミネラルなど微量栄養素も不足しがちです。栄養バランスが偏りやすくなるため、毎日食べるのはおすすめしませんね。また、スープをすべて飲むと、食塩相当量が3g以上になるカップ麺も多いため、塩分が過剰になることも気になります。

 厚生労働省の「食事摂取基準2020年版」では、食塩相当量の目標量を「男性7.5g未満、女性6.5g未満」としており、これまでよりも0.5gずつ引き下げられています。これを基準に考えると、カップ麺の3gは1日の塩分摂取量を半分ほど占めてしまうので、やはり多いですね。

――一口に「カップ麺」と言っても、ラーメンやうどん、そばなど、麺にも種類があります。健康やダイエットのためには、どれを選ぶのがよいのでしょうか?

川村 ラーメンだからカロリーが高い、うどんやそばはカロリーが低いなど、麺の種類によって極端な変化があるとは思えません。それよりも、トッピングでチーズや油をプラスするもの、“BIGカップ麺”などは塩分もカロリーも増えますので、その点に気を配ったほうがよいでしょう。

セブンプレミアム、カップ麺の実力を調査!
――「セブンプレミアム」のカップ麺には、「たまねぎたくさん さばだし塩ラーメン」「野菜たくさんタンメン」など、普通のカップ麺より“なんとなく健康によさそう”な商品があります。実際に、これらの栄養価はいかがでしょうか?

川村 「たまねぎたくさん さばだし塩ラーメン」は、とってもおいしそうで気になります(笑)。魚に含まれる多価不飽和脂肪酸は、不足しがちな人が多いので、これが摂取できるのはうれしいポイントです。「野菜たくさんタンメン」も、その名の通り普通のカップ麺よりは野菜が豊富に入っています。食物繊維が3.7g摂れるようですが、これも「やや多い」といえるでしょう。だからと言って、これだけで安心してしまうのは危険。時間に余裕がある時は、サラダなどでしっかり野菜を食べましょう。

 この商品に限らず、カップ麺1つだけではタンパク質も少ないので、ビタミン、鉄、カリウムなども一緒に摂取できる、豆乳と組み合わせるのもおすすめです。カップ麺はいずれにしても塩分が多いので、スープはなるべく残したほうがいいでしょう。

次回……ローソン、プライベートブランドのカップ麺を徹底比較!
(文:佐藤真琴)
■川村郁子(かわむら・いくこ)
管理栄養士。中村学園大学栄養科学部栄養科学科卒業。九州の病院栄養士経験を経て独立。レストランのヘルシーメニュー監修、栄養専門学校講師、企業・大学での食育講演を行いながら、「コンビニや外食との上手な付き合い方」「15分で作れるかんたん栄養めし」の提案をしている。
インスタグラム:@shokuikuko/WEBサイト:「酒好きの食育」 https://shokuikuko.net/

NEWS手越祐也「昭恵夫人とレストラン花見」の軽率ぶり、ファンの擁護も虚しく

 新型コロナ感染症の影響で、3月下旬に予定されていたNEWSのツアースケジュールがキャンセルになってしまい、さぞかし意気消沈しているかと思えば、手越祐也は元気だったようだ。「NEWSポストセブン」がスクープした、安倍晋三首相の妻・昭恵夫人の花見写真にしっかり写り込んでいたのだ。

 写真は3月下旬に撮られたものだという。森友学園問題をめぐる公文書改ざんを命じられて自殺に追い込まれた近畿財務局職員の手記が公表され、改めて疑惑の目が向けられている時期にもかかわらず、昭恵夫人はどこ吹く風で花見をしていたようだ。

 掲載された写真には手越だけでなく、日本の女性ファッション雑誌界隈ではあまり見かけなくなったモデルの藤井リナもいた。手越は親指を立てたポーズでにこやかな笑顔を向けている。

 一部のNEWSファンの間では、「手越の髪型が今とは違う」「今はもっと痩せている」としてこの写真を「合成では」「去年の写真では」などと言い、フェイクニュース扱いする声も出たが、これは確かに今月撮影されたものだったようである。むしろまだテレビや雑誌などでお披露目されていない“最新の”手越の姿だったのではないだろうか。

 安倍首相は国会で昭恵夫人の花見について追及され、「自粛が要請されていた公園での花見ではなく、レストランの敷地内の桜で写真を撮影した」「レストランに行ってはいけないのか」などと答弁した。安倍首相は「まだ都市封鎖を検討する前の時期の出来事であり問題ない」という認識のようだ。

手越祐也の不可解な交友関係

 手越祐也や藤井リナと昭恵夫人は一体なぜ、今、レストランで会食することになったのだろうか。首相夫人の人脈として彼らのようなタレントが出てくることに違和感を覚える人もいるかもしれないが、「桜を見る会」への招待を含め、現政権は様々なタレントおよび芸能プロダクションと親しげな素振りを隠そうともしていない。

 だが手越に関していえば、「いちジャニーズ」というだけでなく、常にキナ臭い噂がつきまとうタレントでもある。これまでで特に物議を醸したのは、7億円の金塊強奪事件で逮捕された人物(後に不起訴処分)のフェイスブックに登場していた件だ。

 2017年に犯人が逮捕された際、そのなかのひとりが2011年に投稿した写真が明るみになった。その投稿では、コワモテなスーツ姿の男性二人に囲まれ、舌を出しながらピースサインをする手越の姿が写っていた。

 ジャニーズタブーのあるワイドショーはこの件を一切報じなかったが、ジャニーズ事務所は朝日新聞の取材に応じ、写真に写っていた人物が手越本人であることを認めたうえ、「お店でたまたま一緒になり、『一緒に撮って』と求められ、応じてしまった。軽率だった」「写真の人とは面識もないし、名前も知らない。その後の付き合いもない」とコメントしている。

 今回の昭恵夫人と手越のつながりがどこから来ているものかは不明だが、いずれにせよ、このような時期に昭恵夫人と花見をしている写真が表になれば問題になることは容易に想像できたはず。相変わらずの軽率さと言えるのではないだろうか。

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【テラスハウスレビュー】社長、京都旅行で夢への下心炸裂……「犯罪の匂い」を予期させた問題シーン

 『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』(Netflix先行配信)公式サイトより 見ず知らずの男女6人が、シェアハウスで共同生活する様子を記録したリアリティ番組『テラスハウス』。現在、Netflixにて「TOKYO 2019-2020」が配信中で、ファンは個性豊かな面々の恋愛模様を、一喜一憂しながら、固唾を呑んで見守っている。そんな『テラハ』を愛する“テラハウォッチャー”が、3月後半の配信分から、グッときた“名(珍)シーン”をピックアップし、思いのままにレビューする。

社長、ただの「キモい人」に(テラスハウス第37話)

 IT企業経営の「社長」こと俊幸&会社員兼グラビアモデル・夢と、スタンドアップコメディアン志望・快&女子プロレスラー・花は、京都に1泊するダブルデートへ出かける。もともと快と花の「近場での水族館デート」のはずだったが、社長の抑えきれない夢への下心に、ほか3人が巻き込まれた形になった。

 京都水族館で夢と手をつないだ社長は、夜も「京都、感じようぜ」と京都タワーに夢をいざない、二人きりに。展望台から夜景を見ながらのベタな「きれいだね、夢が」というセリフに当事者の夢は引き気味だが、社長は気にしない。

 「ちょっとこっち見てよ。目つむってこっち向いてよ。いや何もしないよ、何もしないよ。見せてよ、正面から。正面から見せてよ」などと、しつこく夢に迫る。クリスマスデートでムリヤリ成功させたキスを、再び味わいたい欲望が顔面からあふれ出ている。

 夢にやんわりと拒否されても、「なんで? なんで? なんで? なんで?」「なになになに? 普通に(顔を)見たいだけ。見せてよ」「なんで? 緊張しなくていいっしょ。目つむれば大丈夫だから。こっち向いて。目つむって」「なんで? なに恥ずかしがってんの? クリスマスの時したじゃん!」「あれは何でしたの?」と食い下がる。

 配信を重ねるごとに“キモ面白いキャラ”から“ただのキモい人”になっていく社長と、あそこまでのキモい行動をされても、社長に「(男子メンバー)3人の中なら一番いいです」と言ってあげる夢の“プロ感”から目が離せない。

 京都の古民家風旅館「鴨川庵」に泊まる4人。部屋に備え付けのお風呂に、先に女子が入ることになると、社長は「先に入ってもらったほうが、ありがたいよね。いろんな意味で」とニヤリ。「お湯、捨てる? それはつまんない。楽しみにしてたもんね」「抜かないでね、お湯」と、中学生並みの下ネタでものすごく楽しそうにしている。入る直前に「お湯置いといて!」、出た直後にも「お湯抜いた?」。 お湯ひとつであんなにキモくなれることに感心してしまった。

快、ナマコを尊敬(テラスハウス第37話)

 快はスタンドアップコメディアンとして成長できていない自分に落ち込み、京都への出発前日、社長に“旅行をキャンセルしたい”“お金もない”などと、泣きながら相談。しかし、社長の「お金はオレが出す」という熱い説得に流され、結局、参加していた。

 水族館でも落ち込んだままで、水槽の中の白ナマコを「(何も考えず)ただ生きてるの? すごいな」と尊敬する始末。

 旅館で花と二人になると、「花を深く知りたくて京都に来たんだけど、旅の途中でも‟スタンドアップ、何が面白いのかな“っていうのは、ずっと考えてるし、自分の世界に入っちゃって……。花への気持ちは絶対、薄まってないと思う。でもそれ以上にスタンドアップもあるから、花の存在が見えなくなっちゃうっていう感じになってきちゃった」と打ち明け、「もっと人のことを思いたい」「そういう自分が嫌い」と、また涙をこぼす。

 花からは「私は、自分のことを大切にしてくれるなって感じさせてくれる人と付き合いたいから」と言われ、結果、カップル不成立となってしまった。

 お風呂で花は、夢に「快くんヤバかったよね? ホテルもレストランも全部、社長任せだったじゃん。新幹線のチケットも。ご飯も、うちらは払おうとしてたけど、快くんは財布出す素振りもなかった。コンビニに行ったときも。お茶しようってなったときも。今日、快くん1円も出してなくない?」と、快への愚痴を炸裂させる。「ぶっちゃけドン引きした。男として見られなくなった」と気持ちが冷めた本当の理由を語った。

 夢も「わかる~。何してんのって思ったよ。やばいよ、あれはマジで」と同意していて、出発前日の快が、涙ながらに社長に訴えていた金欠の深刻さが判明。社長の説得に応じず、京都行きを中止にしていれば、このような醜態を晒すこともなかったのに……と思うと、気の毒である。

 旅館では、一つの部屋に布団が4セット並べて敷かれていたが、さすがの夢も身の危険を感じたようで、「(社長に)何かされたら困る! 花ちゃんと寝る! 早く起きてメイクするっていうのを口実に、男女バラバラに寝ようよって言おう」と花に提案する。

 二人は、その通りに社長を説得にかかるが、社長は「俺らのほうが朝早いかもしれない、逆に。俺らも散歩しようかなって」と言い張り、「(布団と布団の位置を)ちょっと間、開ければいいんじゃない? 逆にそこまで意識しなくていいんじゃね? だって普通に友達やん! 逆に意識しすぎかもよ。全然そんな変な意味じゃなくて。ねっ、友達として」と一歩も引かない。

 諦めた女子は、男子の入浴中、自分たちの布団をこっそりと別部屋に移動。社長から避難することに成功した。お風呂からウキウキで出てきた社長は、女子のいない部屋を見渡して「WHY?」。

 これ以上になると犯罪の匂いがしてくるので、次回、社長が女子たちの部屋へ突入……などのシーンはないことを願う。

韓国映画『ミッドナイト・ランナー』での「朝鮮族」の描かれ方と、徹底的「偏見」の背景とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ミッドナイト・ランナー』

 「ディアスポラ(Diaspora)」という言葉がある。「離散」を意味し、何らかの形で祖国を離れ、新しい土地に定着して生きる人々を総称する言葉だ。韓国の近現代史には、日本に住む在日朝鮮人や中国の朝鮮族、旧ソ連のカレイスキー(高麗人)など、朝鮮半島にルーツを持つディアスポラが多数見受けられる。その背景には、日本による朝鮮の植民地支配の歴史がある。日本統治下での弾圧や貧困、戦争への徴用などをきっかけに、多くの朝鮮人が日本へ、中国へ、そして旧ソ連へと散らばっていったのだ。

 世界のどの民族のディアスポラもそうであるように、彼らは定着した新しい土地で、さまざまな差別や偏見と闘いながらマイノリティとしての歴史を築き、現在もなおたくましく生き続けている。いつかは祖国に帰りたいという思いを持ちつつも、移住した先の土着文化と自らの固有文化を融合させた第三の文化を形成し、文化的多様性を担うグローバルな存在でもある。例えば中国語と韓国語を流暢に話す朝鮮族には、日本や諸外国に留学して更に異なる言語を習得し、世界を股にかけて活躍する優秀な人も数多い。

 ディアスポラの話から始めたのは、今回取り上げる『ミッドナイト・ランナー』(キム・ジュファン監督、2017)の中で、物語を成り立たせる上で欠かせない「悪役」として朝鮮族が描かれているからだ。人気俳優が主演し、韓国で大ヒットを遂げた青春アクション映画である本作だが、コラムでは主人公たちの敵となる朝鮮族の描かれ方について考えてみたい。まずは映画の紹介から始めよう。

≪物語≫

 肉体派のギジュン(パク・ソジュン)と頭脳派のヒヨル(カン・ハヌル)は警察大学の同級生。二人はある晩、女の子との出会いを求めて遊びに行ったクラブからの帰り道に、若い女性が車で連れ去られる現場を目撃する。二人は早速、学校で習った捜査の知識を総動員し、チャイナタウンにある犯人のアジトにたどり着く。犯人たちは、若い女性たちの卵子を集め、不妊治療の病院に不法に売りつけるといった犯罪に手を染めた朝鮮族だった。女の子たちを助けようと立ち向かう二人だったが、逆に捕まって監禁されてしまい、辛うじて脱出するも、ほかの捜査が詰まっているからと警察からは後回しにされてしまう。正義感と使命感に燃える二人は、ついに自分たちの手で女性たちを救出しようと計画を立てる。

 韓国の警察大学とは、警察組織の初級幹部を育成するための国立大学で、卒業後には日本の警部補にあたる「警衛」として任用される。学費無料で警察公務員としての将来が保証されるため、競争率の非常に高い難関大学だ。日本の防衛大学のイメージに近いかもしれない。

 監督が「二人の青年の友情と熱い正義感、警察幹部候補としての使命感を通して、就職や経済的な面で苦しんでいる昨今の韓国の若者たちに勇気と希望を与えたかった」と語るように、犯罪捜査と青春をうまく掛け合わせ、男性コンビが大活躍するいわゆる「バディもの」である本作は、スカッとさせるアクションや笑いと涙を誘う物語が好評となり、観客動員560万人を超えるヒット作となった。『パラサイト 半地下の家族』でのキム家・長男の友達役の記憶も新しいパク・ソジュンと、ドラマ『ミセン』『麗』などに出演し、日本でも人気の高いカン・ハヌルという若手俳優の共演や、警察大学という珍しい舞台設定もヒットに一役買ったといえるだろう。

 だがその一方で、劇中に描かれている犯罪グループの描き方をめぐっては、上映禁止を求めて訴訟にまで発展するトラブルが起こった。実は日本語字幕には訳されていないため、日本の観客にはピンとこないと思うのだが、犯罪グループのメンバーが「凶悪な犯罪を起こす朝鮮族」であり、「彼らが暮らすソウルの下町、デリムドンは犯罪の温床」という設定が、差別的で誤解や悪いイメージを与えかねないとして、在韓朝鮮族団体が猛反発したのだ。訴えは退けられ、上映が中止されることはなかったものの、韓国の若者に勇気と希望を与えたいという若手監督の素朴な願いは、皮肉にも差別的でステレオタイプ化されたイメージを朝鮮族にもたらしてしまったのである。

 私自身、男二人が友情を育んでいく様子を描く前半では、どこか照れくささを覚えながらほほ笑ましく見ていたのだが、犯人グループを追いかけて乗り込んだタクシーの運転手の「ここは朝鮮族の街だ。犯罪が頻発して真っ昼間でも怖くて出歩けない。治安も悪く、警察すら入らない」というセリフを聞いて、またかとあきれてしまった。デリムドンがチャイナタウンであることは事実だが、日本の横浜・中華街と同様、むしろ観光名所としていつもにぎわっている。映画の後半になると、完全に「主人公=正義」と「朝鮮族=悪」という二項対立の構図になり、独特な訛りのある朝鮮族の韓国語が過剰に耳に残る(韓国語がわからなくても、耳を澄ましてみるとイントネーションの違いがわかると思う)。

 だが実は、朝鮮族のこのような描写は本作が初めてではない。『哀しき獣』(10)、『新しき世界』(13)、『コインロッカーの女』(15)、そして『犯罪都市』(17)など、近年の韓国映画には「朝鮮族犯罪映画」ともいえる流れが生じており、これらの映画を通して作り上げられた悪いイメージがそのまま「朝鮮族嫌悪」となって朝鮮族全体に向けられてきたのだ。本作も含めて上に挙げた映画は、作品としての出来や評価とは別に、朝鮮族の表象において強い影響力を持っているので、これでは朝鮮族団体が怒るのも当然だろう。

 映画の影響も大きかったとはいえ、「우리 민족(我が民族)」という言い回しが大好きなはずの韓国人は、なぜ他民族ではない「朝鮮族」を嫌悪するようになってしまったのだろうか? 歴史的な話になってしまうが、韓国と朝鮮族をめぐる「ディアスポラから再会まで」の経緯を、ここで簡単に紹介しよう。

 朝鮮族は、主に中国の東北3省(遼寧・吉林・黒竜江)に居住する少数民族としての朝鮮人を意味する。この地域への朝鮮人移住の背景には、二つの歴史的変動があり、一つは1881年に清朝が実施した封禁政策の解除である。清朝発祥の地であるこれらの地方に、清は長い間外国人を入れないようにしていたのだが、漢人や朝鮮人による不法移住が続いたため、解除せざるを得なくなったのだ。とりわけ朝鮮人の場合は、長く続いた凶作による飢餓や貧困から逃れる目的が大半だった。

 もう一つは、1910年の日韓併合後、日本の植民地支配から逃れるための朝鮮人の大量流出だ。東北3省は旧満州に当たる地域で、特に抗日闘争の拠点としても重要な役割を果たしたことで知られるが、45年の独立後も中国の解放闘争や朝鮮戦争の混乱の中、半島に戻れない朝鮮人が多く残ったままだった。そして55年、中国の少数民族優遇政策のもと、延辺朝鮮族自治州(吉林省)が成立し、朝鮮の言語や文化、伝統を守りながら現在に至るまでディアスポラとして生活している。

 韓国が朝鮮族との「再会」を果たしたのは、まだ中国と韓国の間に国交がなかった79年のこと。文化大革命の後、中国政府が人道政策の一環として、中国内の朝鮮族に韓国訪問を許可したのだ。当時朝鮮半島をめぐって、日本・韓国・中国・北朝鮮の間で「地域平和のため」人的交流の必要性が共通認識されたことも後押しとなり、まずは中国政府によって厳選された朝鮮族が韓国を訪問した後、88年のソウルオリンピック開催や92年の中韓国交回復によってその数は急増した。およそ70万人が韓国に帰国しているが、現在も中国に暮らす朝鮮族も、いまだ180万人ほどいる。

 以上のような経緯で、朝鮮族は再び朝鮮半島に戻り、韓国人として暮らすようになったのだが、その数が増えるにつれて当然犯罪者も出始めた。犯罪者は朝鮮族のごく一部にすぎないが、何かあればすぐにメディアが大きく取り上げ、まるで朝鮮族そのものに問題があるかのような悪いイメージが作り出されていった。インターネットで「朝鮮族」を検索すると、瞬く間に「殺人」「組織暴力」「臓器売買」「結婚詐欺」「オレオレ詐欺」といったワードが後に続く。

 とりわけ私を驚愕させたのは、韓国公共放送KBSのお笑い番組だった。映画『哀しき獣』に登場する朝鮮族マフィアのコスプレをしたお笑い芸人たちが、オレオレ詐欺をするというコントが、ほぼ1年間にわたって毎週放送されたのだ。しかも、年間で最も優れた番組を表彰する「KBS芸能大賞」のお笑い部門で、このコントが「最優秀アイディア賞」を受賞するという始末。朝鮮族の当事者や2世、3世の子どもたちがどんな思いをするか、そんな当たり前の想像力すら持てないこの公共放送の徹底した無神経ぶりに、私は心の底から失望した。

 こんな状況を生んだ責任は、犯罪ばかりをクローズアップして報じてきたメディアにあると断言できる。韓国に暮らす70万人の朝鮮族を潜在的な犯罪者として扱うのは、あまりに理不尽だ。にもかかわらず、メディアが量産したステレオタイプを無批判に取り込み、その再生産に加担した映画の責任も無視できない。韓国映画は、一体いつになったら本当の意味で朝鮮族を「描ける」ようになるのだろうか? 在日朝鮮人の中から崔洋一や李相日といった監督が輩出されたように、後の世代を待たなければいけないのだろうか?

 韓国に留学した際に受けた朝鮮族に対する日常的な差別を『日本人のための「韓国人と中国人」――中国に暮らす朝鮮族作家の告白』(原題の直訳は『韓国はない』)として上梓した作家・金在国は、韓国での差別がむしろ「中国人である自分に気づかせてくれた」といい、「私の名前はキム・ジェグク(韓国語読み)ではない。ジン・ザイグォー(中国語読み)だ」と語る。彼のみならず、恐らく多くの朝鮮族にとって韓国との再会は、「同じ民族同士の喜び」から「他者という失望」へと変容しているだろう。だがそれでも、再び「再会の喜び」を手にする日への希望は持っていたい、と思う。

 歴史について多く語ってしまったが、最後に再び映画の話題に戻って終わることにしよう。なんでも日本では4月から、本作『ミッドナイト・ランナー』のドラマ版が放送されるらしい。主演はジャニーズの中でも乗りに乗っているSexy Zoneの中島健人とKing&Princeの平野紫耀。『未満警察 ミッドナイトランナー』(日本テレビ系)と題されたこのドラマ、日本を舞台に、果たしてどんな「敵」が待ち受けているのだろうか?

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『ミッドナイト・ランナー』での「朝鮮族」の描かれ方と、徹底的「偏見」の背景とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ミッドナイト・ランナー』

 「ディアスポラ(Diaspora)」という言葉がある。「離散」を意味し、何らかの形で祖国を離れ、新しい土地に定着して生きる人々を総称する言葉だ。韓国の近現代史には、日本に住む在日朝鮮人や中国の朝鮮族、旧ソ連のカレイスキー(高麗人)など、朝鮮半島にルーツを持つディアスポラが多数見受けられる。その背景には、日本による朝鮮の植民地支配の歴史がある。日本統治下での弾圧や貧困、戦争への徴用などをきっかけに、多くの朝鮮人が日本へ、中国へ、そして旧ソ連へと散らばっていったのだ。

 世界のどの民族のディアスポラもそうであるように、彼らは定着した新しい土地で、さまざまな差別や偏見と闘いながらマイノリティとしての歴史を築き、現在もなおたくましく生き続けている。いつかは祖国に帰りたいという思いを持ちつつも、移住した先の土着文化と自らの固有文化を融合させた第三の文化を形成し、文化的多様性を担うグローバルな存在でもある。例えば中国語と韓国語を流暢に話す朝鮮族には、日本や諸外国に留学して更に異なる言語を習得し、世界を股にかけて活躍する優秀な人も数多い。

 ディアスポラの話から始めたのは、今回取り上げる『ミッドナイト・ランナー』(キム・ジュファン監督、2017)の中で、物語を成り立たせる上で欠かせない「悪役」として朝鮮族が描かれているからだ。人気俳優が主演し、韓国で大ヒットを遂げた青春アクション映画である本作だが、コラムでは主人公たちの敵となる朝鮮族の描かれ方について考えてみたい。まずは映画の紹介から始めよう。

≪物語≫

 肉体派のギジュン(パク・ソジュン)と頭脳派のヒヨル(カン・ハヌル)は警察大学の同級生。二人はある晩、女の子との出会いを求めて遊びに行ったクラブからの帰り道に、若い女性が車で連れ去られる現場を目撃する。二人は早速、学校で習った捜査の知識を総動員し、チャイナタウンにある犯人のアジトにたどり着く。犯人たちは、若い女性たちの卵子を集め、不妊治療の病院に不法に売りつけるといった犯罪に手を染めた朝鮮族だった。女の子たちを助けようと立ち向かう二人だったが、逆に捕まって監禁されてしまい、辛うじて脱出するも、ほかの捜査が詰まっているからと警察からは後回しにされてしまう。正義感と使命感に燃える二人は、ついに自分たちの手で女性たちを救出しようと計画を立てる。

 韓国の警察大学とは、警察組織の初級幹部を育成するための国立大学で、卒業後には日本の警部補にあたる「警衛」として任用される。学費無料で警察公務員としての将来が保証されるため、競争率の非常に高い難関大学だ。日本の防衛大学のイメージに近いかもしれない。

 監督が「二人の青年の友情と熱い正義感、警察幹部候補としての使命感を通して、就職や経済的な面で苦しんでいる昨今の韓国の若者たちに勇気と希望を与えたかった」と語るように、犯罪捜査と青春をうまく掛け合わせ、男性コンビが大活躍するいわゆる「バディもの」である本作は、スカッとさせるアクションや笑いと涙を誘う物語が好評となり、観客動員560万人を超えるヒット作となった。『パラサイト 半地下の家族』でのキム家・長男の友達役の記憶も新しいパク・ソジュンと、ドラマ『ミセン』『麗』などに出演し、日本でも人気の高いカン・ハヌルという若手俳優の共演や、警察大学という珍しい舞台設定もヒットに一役買ったといえるだろう。

 だがその一方で、劇中に描かれている犯罪グループの描き方をめぐっては、上映禁止を求めて訴訟にまで発展するトラブルが起こった。実は日本語字幕には訳されていないため、日本の観客にはピンとこないと思うのだが、犯罪グループのメンバーが「凶悪な犯罪を起こす朝鮮族」であり、「彼らが暮らすソウルの下町、デリムドンは犯罪の温床」という設定が、差別的で誤解や悪いイメージを与えかねないとして、在韓朝鮮族団体が猛反発したのだ。訴えは退けられ、上映が中止されることはなかったものの、韓国の若者に勇気と希望を与えたいという若手監督の素朴な願いは、皮肉にも差別的でステレオタイプ化されたイメージを朝鮮族にもたらしてしまったのである。

 私自身、男二人が友情を育んでいく様子を描く前半では、どこか照れくささを覚えながらほほ笑ましく見ていたのだが、犯人グループを追いかけて乗り込んだタクシーの運転手の「ここは朝鮮族の街だ。犯罪が頻発して真っ昼間でも怖くて出歩けない。治安も悪く、警察すら入らない」というセリフを聞いて、またかとあきれてしまった。デリムドンがチャイナタウンであることは事実だが、日本の横浜・中華街と同様、むしろ観光名所としていつもにぎわっている。映画の後半になると、完全に「主人公=正義」と「朝鮮族=悪」という二項対立の構図になり、独特な訛りのある朝鮮族の韓国語が過剰に耳に残る(韓国語がわからなくても、耳を澄ましてみるとイントネーションの違いがわかると思う)。

 だが実は、朝鮮族のこのような描写は本作が初めてではない。『哀しき獣』(10)、『新しき世界』(13)、『コインロッカーの女』(15)、そして『犯罪都市』(17)など、近年の韓国映画には「朝鮮族犯罪映画」ともいえる流れが生じており、これらの映画を通して作り上げられた悪いイメージがそのまま「朝鮮族嫌悪」となって朝鮮族全体に向けられてきたのだ。本作も含めて上に挙げた映画は、作品としての出来や評価とは別に、朝鮮族の表象において強い影響力を持っているので、これでは朝鮮族団体が怒るのも当然だろう。

 映画の影響も大きかったとはいえ、「우리 민족(我が民族)」という言い回しが大好きなはずの韓国人は、なぜ他民族ではない「朝鮮族」を嫌悪するようになってしまったのだろうか? 歴史的な話になってしまうが、韓国と朝鮮族をめぐる「ディアスポラから再会まで」の経緯を、ここで簡単に紹介しよう。

 朝鮮族は、主に中国の東北3省(遼寧・吉林・黒竜江)に居住する少数民族としての朝鮮人を意味する。この地域への朝鮮人移住の背景には、二つの歴史的変動があり、一つは1881年に清朝が実施した封禁政策の解除である。清朝発祥の地であるこれらの地方に、清は長い間外国人を入れないようにしていたのだが、漢人や朝鮮人による不法移住が続いたため、解除せざるを得なくなったのだ。とりわけ朝鮮人の場合は、長く続いた凶作による飢餓や貧困から逃れる目的が大半だった。

 もう一つは、1910年の日韓併合後、日本の植民地支配から逃れるための朝鮮人の大量流出だ。東北3省は旧満州に当たる地域で、特に抗日闘争の拠点としても重要な役割を果たしたことで知られるが、45年の独立後も中国の解放闘争や朝鮮戦争の混乱の中、半島に戻れない朝鮮人が多く残ったままだった。そして55年、中国の少数民族優遇政策のもと、延辺朝鮮族自治州(吉林省)が成立し、朝鮮の言語や文化、伝統を守りながら現在に至るまでディアスポラとして生活している。

 韓国が朝鮮族との「再会」を果たしたのは、まだ中国と韓国の間に国交がなかった79年のこと。文化大革命の後、中国政府が人道政策の一環として、中国内の朝鮮族に韓国訪問を許可したのだ。当時朝鮮半島をめぐって、日本・韓国・中国・北朝鮮の間で「地域平和のため」人的交流の必要性が共通認識されたことも後押しとなり、まずは中国政府によって厳選された朝鮮族が韓国を訪問した後、88年のソウルオリンピック開催や92年の中韓国交回復によってその数は急増した。およそ70万人が韓国に帰国しているが、現在も中国に暮らす朝鮮族も、いまだ180万人ほどいる。

 以上のような経緯で、朝鮮族は再び朝鮮半島に戻り、韓国人として暮らすようになったのだが、その数が増えるにつれて当然犯罪者も出始めた。犯罪者は朝鮮族のごく一部にすぎないが、何かあればすぐにメディアが大きく取り上げ、まるで朝鮮族そのものに問題があるかのような悪いイメージが作り出されていった。インターネットで「朝鮮族」を検索すると、瞬く間に「殺人」「組織暴力」「臓器売買」「結婚詐欺」「オレオレ詐欺」といったワードが後に続く。

 とりわけ私を驚愕させたのは、韓国公共放送KBSのお笑い番組だった。映画『哀しき獣』に登場する朝鮮族マフィアのコスプレをしたお笑い芸人たちが、オレオレ詐欺をするというコントが、ほぼ1年間にわたって毎週放送されたのだ。しかも、年間で最も優れた番組を表彰する「KBS芸能大賞」のお笑い部門で、このコントが「最優秀アイディア賞」を受賞するという始末。朝鮮族の当事者や2世、3世の子どもたちがどんな思いをするか、そんな当たり前の想像力すら持てないこの公共放送の徹底した無神経ぶりに、私は心の底から失望した。

 こんな状況を生んだ責任は、犯罪ばかりをクローズアップして報じてきたメディアにあると断言できる。韓国に暮らす70万人の朝鮮族を潜在的な犯罪者として扱うのは、あまりに理不尽だ。にもかかわらず、メディアが量産したステレオタイプを無批判に取り込み、その再生産に加担した映画の責任も無視できない。韓国映画は、一体いつになったら本当の意味で朝鮮族を「描ける」ようになるのだろうか? 在日朝鮮人の中から崔洋一や李相日といった監督が輩出されたように、後の世代を待たなければいけないのだろうか?

 韓国に留学した際に受けた朝鮮族に対する日常的な差別を『日本人のための「韓国人と中国人」――中国に暮らす朝鮮族作家の告白』(原題の直訳は『韓国はない』)として上梓した作家・金在国は、韓国での差別がむしろ「中国人である自分に気づかせてくれた」といい、「私の名前はキム・ジェグク(韓国語読み)ではない。ジン・ザイグォー(中国語読み)だ」と語る。彼のみならず、恐らく多くの朝鮮族にとって韓国との再会は、「同じ民族同士の喜び」から「他者という失望」へと変容しているだろう。だがそれでも、再び「再会の喜び」を手にする日への希望は持っていたい、と思う。

 歴史について多く語ってしまったが、最後に再び映画の話題に戻って終わることにしよう。なんでも日本では4月から、本作『ミッドナイト・ランナー』のドラマ版が放送されるらしい。主演はジャニーズの中でも乗りに乗っているSexy Zoneの中島健人とKing&Princeの平野紫耀。『未満警察 ミッドナイトランナー』(日本テレビ系)と題されたこのドラマ、日本を舞台に、果たしてどんな「敵」が待ち受けているのだろうか?

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

ジャニーズ・ラウール×ディオールは「メイク文化の解放」か? 「男でも美しくあれ」の拘束か? メディア論教授が解説

 

【前編の記事はコチラ:ジャニーズ・ラウールとディオールコラボの意義――化粧品業界を席巻する「男性モデル」と、韓国コスメの広告事情

 「パルファン・クリスチャン・ディオール」とSnowMan・ラウールのコラボレーションが話題となった。2月下旬、ファッションウェブサイト「ELLE ONLINE」上で公開された動画は、ラウールが自らの唇にリップを塗ってみせるという演出も相まって、すぐさまSNS上で拡散され、先行販売されたラウールの使用色のリップとグロスは、即完売だったという。

 さかのぼること24年前、くしくもジャニーズ事務所の先輩にもあたる木村拓哉の口紅の広告が、当時大きな反響を呼んだ。カネボウ「Super Lip」のイメージモデルを務めた木村は、頬に赤いリップを走らせた姿でどこか挑発的な視線を送り、「スーパーリップで攻めてこい。」というキャッチコピーとともに強烈な印象を残した。この広告で木村は、キャッチコピーからもわかる通り「リップをつけた女性に攻められる相手」として、つまり、欲望の受け手という役割を担っていた。一方、今回のコラボ動画の中で、ラウールは真っ白い衣装を身にまとい、リップを自らの唇に引いて踊った。男性でありながら、リップをつける主体として立ってみせたのだ。

 双方を比較すると、同じ「リップの広告の男性モデル」ながら、そのイメージは大きく異なっていることがわかる。では今の時代、男性タレントが化粧品の広告に登場し、また自らの唇をリップで彩る行為には、どんな意味があるのだろうか。これについて、メディア文化論を専門とする大妻女子大学の田中東子教授は、まず「男性がメイクをすること自体は、特に目新しいことではない」と話す。

「男性のメイクは、70~80年代に流行したグラム・ロック、ニュー・ウェイヴといったイギリスの音楽カルチャーの中でも見られた現象です。それは日本にも派生し、坂本龍一をはじめとするアーティストたちがメイクを施したり、少女マンガに美しく化粧した男性たちが登場したりしました」(田中教授)

 その後、アーティストのメイクはヴィジュアル系バンドカルチャーに受け継がれ、男性のメイク文化は残り続けることになる。その上で、田中教授は、今回のラウールとディオールのコラボの目新しさは「男性のメイクを広告したこと」だと説明する。

「ディオールとのコラボ広告で、ラウールさんは化粧する主体として表象されています。また、ガールズコレクションのステージで彼が一般人男性に向けてリップをすすめたこと、それがこの広告の新しさです」

 2月29日に開催された「東京ガールズコレクション」に出演したラウールはディオールのリップを施したてランウェイを歩き、「メンズの方にも使っていただきたいです」と話している。これまで、美容のカルチャーは「女性のもの」とされてきた。そこにディオールとラウールのコラボ広告は、男性にリップを引く権利を公然と与えたのだ。男性にとってタブー視されていた「日常的にメイクする自由」という扉を開いたのである。またこれは、分断されてきた「男性の消費」と「女性の消費」の境界をなくそうという試みとも解釈できる。

「ただ、この裏には、女性全体に行き渡ってしまった美容産業が、市場拡大のため男性をターゲットにせざるを得なかったという事情もあるはず。つまり、男性は解放されると同時に、搾取の対象になるということでもあるのです」(田中教授)

 さらに田中教授は、男性のメイクが肯定されることは、既成概念や偏見の助長にもつながりかねないとも指摘する。

「男性までもがメイクをするようになれば、女性に対する『メイクをして当然』という風潮はより強まるかもしれません。メイクをしたくない女性たち、メイクにお金をかけられない女性たちに対する風当たりが強くなる可能性もある」

 また男性のメイクが一般化すれば、容姿の良し悪しによる差別意識(=ルッキズム)も強まるだろう。「『人は男であろうとも美しくあらねばならない』といった考えに行き着けば、男性は解放されるどころか縛り付けられることにもなるかもしれない」。

 ラウールとディオールのコラボは、メイクをするという選択肢を男性に提案した。田中教授が示したとおり、それが資本主義の権威やルッキズムを助長することへの懸念も、また捨て置けない問題だ。「メイク」が性別を超えた「選択肢」として残り続けるためには、多様性への理解がさらに深まっていかなければならないのだろう。

 多様性とは、それぞれが違いを否定することなく受容しあって存在することだ。いま萌芽しつつあるのが「性別を問わないメイクの自由」であるならば、同時に「メイクをする自由」と「メイクをしない自由」の両方が認められるべきだろう。もちろん、従来的な美しさを目指さずとも肯定されなくてはいけない。ラウールが見せたのは、「男性がリップを引く」という目新しい行為だけでない。その先にある多様性への希望なのではないだろうか。

ジャニーズ・ラウール×ディオールは「メイク文化の解放」か? 「男でも美しくあれ」の拘束か? メディア論教授が解説

 

【前編の記事はコチラ:ジャニーズ・ラウールとディオールコラボの意義――化粧品業界を席巻する「男性モデル」と、韓国コスメの広告事情

 「パルファン・クリスチャン・ディオール」とSnowMan・ラウールのコラボレーションが話題となった。2月下旬、ファッションウェブサイト「ELLE ONLINE」上で公開された動画は、ラウールが自らの唇にリップを塗ってみせるという演出も相まって、すぐさまSNS上で拡散され、先行販売されたラウールの使用色のリップとグロスは、即完売だったという。

 さかのぼること24年前、くしくもジャニーズ事務所の先輩にもあたる木村拓哉の口紅の広告が、当時大きな反響を呼んだ。カネボウ「Super Lip」のイメージモデルを務めた木村は、頬に赤いリップを走らせた姿でどこか挑発的な視線を送り、「スーパーリップで攻めてこい。」というキャッチコピーとともに強烈な印象を残した。この広告で木村は、キャッチコピーからもわかる通り「リップをつけた女性に攻められる相手」として、つまり、欲望の受け手という役割を担っていた。一方、今回のコラボ動画の中で、ラウールは真っ白い衣装を身にまとい、リップを自らの唇に引いて踊った。男性でありながら、リップをつける主体として立ってみせたのだ。

 双方を比較すると、同じ「リップの広告の男性モデル」ながら、そのイメージは大きく異なっていることがわかる。では今の時代、男性タレントが化粧品の広告に登場し、また自らの唇をリップで彩る行為には、どんな意味があるのだろうか。これについて、メディア文化論を専門とする大妻女子大学の田中東子教授は、まず「男性がメイクをすること自体は、特に目新しいことではない」と話す。

「男性のメイクは、70~80年代に流行したグラム・ロック、ニュー・ウェイヴといったイギリスの音楽カルチャーの中でも見られた現象です。それは日本にも派生し、坂本龍一をはじめとするアーティストたちがメイクを施したり、少女マンガに美しく化粧した男性たちが登場したりしました」(田中教授)

 その後、アーティストのメイクはヴィジュアル系バンドカルチャーに受け継がれ、男性のメイク文化は残り続けることになる。その上で、田中教授は、今回のラウールとディオールのコラボの目新しさは「男性のメイクを広告したこと」だと説明する。

「ディオールとのコラボ広告で、ラウールさんは化粧する主体として表象されています。また、ガールズコレクションのステージで彼が一般人男性に向けてリップをすすめたこと、それがこの広告の新しさです」

 2月29日に開催された「東京ガールズコレクション」に出演したラウールはディオールのリップを施したてランウェイを歩き、「メンズの方にも使っていただきたいです」と話している。これまで、美容のカルチャーは「女性のもの」とされてきた。そこにディオールとラウールのコラボ広告は、男性にリップを引く権利を公然と与えたのだ。男性にとってタブー視されていた「日常的にメイクする自由」という扉を開いたのである。またこれは、分断されてきた「男性の消費」と「女性の消費」の境界をなくそうという試みとも解釈できる。

「ただ、この裏には、女性全体に行き渡ってしまった美容産業が、市場拡大のため男性をターゲットにせざるを得なかったという事情もあるはず。つまり、男性は解放されると同時に、搾取の対象になるということでもあるのです」(田中教授)

 さらに田中教授は、男性のメイクが肯定されることは、既成概念や偏見の助長にもつながりかねないとも指摘する。

「男性までもがメイクをするようになれば、女性に対する『メイクをして当然』という風潮はより強まるかもしれません。メイクをしたくない女性たち、メイクにお金をかけられない女性たちに対する風当たりが強くなる可能性もある」

 また男性のメイクが一般化すれば、容姿の良し悪しによる差別意識(=ルッキズム)も強まるだろう。「『人は男であろうとも美しくあらねばならない』といった考えに行き着けば、男性は解放されるどころか縛り付けられることにもなるかもしれない」。

 ラウールとディオールのコラボは、メイクをするという選択肢を男性に提案した。田中教授が示したとおり、それが資本主義の権威やルッキズムを助長することへの懸念も、また捨て置けない問題だ。「メイク」が性別を超えた「選択肢」として残り続けるためには、多様性への理解がさらに深まっていかなければならないのだろう。

 多様性とは、それぞれが違いを否定することなく受容しあって存在することだ。いま萌芽しつつあるのが「性別を問わないメイクの自由」であるならば、同時に「メイクをする自由」と「メイクをしない自由」の両方が認められるべきだろう。もちろん、従来的な美しさを目指さずとも肯定されなくてはいけない。ラウールが見せたのは、「男性がリップを引く」という目新しい行為だけでない。その先にある多様性への希望なのではないだろうか。

ブルゾンちえみ、“円満退社”じゃなかった? 「弁護士立て話し合い」報道に「闇深い」の声

 「35億」の一発ギャグで大ブレークし、一躍人気者となった、お笑い芸人のブルゾンちえみ。3月18日に自身のブログで、所属のワタナベエンターテインメントから退社し、イタリアへ留学をすることを発表。ブルゾンの決断を支持するファンもいたが、どうやら退社をめぐってある問題が生じていたようだ。

 ブルゾンはブログで「円満退社します」とつづっていたものの、同27日発売の「フライデー」(講談社)は事務所がブルゾンの退社に難色を示していると報じた。

「記事によると、ナベプロは、ブルゾンが事務所を出た後も引き続き“ブルゾンちえみ”の芸名で活動すること、またフォロワー数が225万人いるインスタグラムのアカウントを使用し続けることについて、あまりよく思っていないようです。『どのような形で退社するか、弁護士を立てて事務所と話し合いを重ねた』という関係者の証言も掲載されています」(芸能ライター)

 記事の中では、この件について記者がブルゾンに直撃取材を行っているが、「それは事務所のほうに問い合わせていただければ」というあいまいな回答だった。

「真相はわかりませんが、ブルゾンが事務所との対立を否定しなかったことから、ネット上では『やっぱり円満退社じゃないんだろうね』『円満退社ってブルゾンが一方的に思ってるだけなんじゃない?』『なんか闇が深そうな気がする……ブルゾン大丈夫か?』と、怪しむ声が上がっている状況です」(同)

 「フライデー」によると、ブルゾンは退社後に「憧れの渡辺直美のようなインフルエンサーを目指す」と意向を示しているとか。しかし、世間からは懐疑的な意見もある。

「そもそも、ブルゾンのフォロワーが200万人以上もいると知らないネットユーザーは多く、『ブルゾンってどこに需要があるの!?』『そんなにフォロワーがいること自体驚き……』『失礼かも知れないけど、彼女の何がいいの?』と驚きの声が続出。実際、レギュラーとして出演し、今月25日をもって卒業した『ヒルナンデス!』(日本テレビ系) についても、『なんにも面白いこと言わないし、まるで置物』『出演中に芸人らしさを一切見せないし、いる意味なかった』と辛辣な声が多く、“需要”を疑う声が出ても無理はないでしょう」(同)

 新型コロナウイルス感染症の流行により、予定していたイタリア留学の延期が決まったというブルゾン。世間からの厳しい声に加え、思わぬ逆風が吹く形となっているが、200万人を超えるフォロワーを裏切らない活躍を見せてほしい。

ブルゾンちえみ、“円満退社”じゃなかった? 「弁護士立て話し合い」報道に「闇深い」の声

 「35億」の一発ギャグで大ブレークし、一躍人気者となった、お笑い芸人のブルゾンちえみ。3月18日に自身のブログで、所属のワタナベエンターテインメントから退社し、イタリアへ留学をすることを発表。ブルゾンの決断を支持するファンもいたが、どうやら退社をめぐってある問題が生じていたようだ。

 ブルゾンはブログで「円満退社します」とつづっていたものの、同27日発売の「フライデー」(講談社)は事務所がブルゾンの退社に難色を示していると報じた。

「記事によると、ナベプロは、ブルゾンが事務所を出た後も引き続き“ブルゾンちえみ”の芸名で活動すること、またフォロワー数が225万人いるインスタグラムのアカウントを使用し続けることについて、あまりよく思っていないようです。『どのような形で退社するか、弁護士を立てて事務所と話し合いを重ねた』という関係者の証言も掲載されています」(芸能ライター)

 記事の中では、この件について記者がブルゾンに直撃取材を行っているが、「それは事務所のほうに問い合わせていただければ」というあいまいな回答だった。

「真相はわかりませんが、ブルゾンが事務所との対立を否定しなかったことから、ネット上では『やっぱり円満退社じゃないんだろうね』『円満退社ってブルゾンが一方的に思ってるだけなんじゃない?』『なんか闇が深そうな気がする……ブルゾン大丈夫か?』と、怪しむ声が上がっている状況です」(同)

 「フライデー」によると、ブルゾンは退社後に「憧れの渡辺直美のようなインフルエンサーを目指す」と意向を示しているとか。しかし、世間からは懐疑的な意見もある。

「そもそも、ブルゾンのフォロワーが200万人以上もいると知らないネットユーザーは多く、『ブルゾンってどこに需要があるの!?』『そんなにフォロワーがいること自体驚き……』『失礼かも知れないけど、彼女の何がいいの?』と驚きの声が続出。実際、レギュラーとして出演し、今月25日をもって卒業した『ヒルナンデス!』(日本テレビ系) についても、『なんにも面白いこと言わないし、まるで置物』『出演中に芸人らしさを一切見せないし、いる意味なかった』と辛辣な声が多く、“需要”を疑う声が出ても無理はないでしょう」(同)

 新型コロナウイルス感染症の流行により、予定していたイタリア留学の延期が決まったというブルゾン。世間からの厳しい声に加え、思わぬ逆風が吹く形となっているが、200万人を超えるフォロワーを裏切らない活躍を見せてほしい。

カーディ・B、アジア系差別に「ヘイトはやめて」発言も「中国に媚びてる」と批判! 新型コロナで騒然

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、欧米豪ではアジア系へのゼノフォビック(外国人嫌悪)的な差別的言動が広まっている。欧米人は、アジア人の細かな見分けがつかないため、中国、日本、韓国だけでなく、早期の水際対策が功を奏して感染者増加のスピードを抑えているシンガポール・台湾・香港の人でさえも「新型コロナウイルス感染者だ」と見なし、暴行する事件まで起きている。

 感染者が急増している米ニューヨーク市に住むアジア系住民も、顔を見られた途端、あからさまに避けられたり、舌打ちされたり、「コロナは帰れ」と言われたりといった差別を受けているとSNSに投稿しているのが多く目につく。同地下鉄では、アジア系の乗客が暴言を吐かれたり、暴行されたり、消毒効果のない消臭スプレーをかけられるなどの事件も発生。今後ますますエスカレートするのではないかと懸念されている。

 そんなニューヨーク市のブロンクスで生まれ育ったラッパーのカーディ・Bが、現地時間3月22日に配信したインスタグラム・ライブで、アジア系住民に対する差別的言動をやめるように呼びかけたことが話題を集めている。

 カーディは、6100万以上のフォロワーを持つインスタのライブで、「お願いだからゼノフォビックするの、やめて」「理不尽な怒りを持つのはやめにしよう。アジア人への暴行が多すぎるよ。本当よくない」と呼びかけ、「(差別する)理由をいろいろとつけてるけどさ」「こういう時こそ、ヘイトをやめて、うちらはみんな同じ人種なんだって気づかなくちゃ。(人間という)1つの人種なのだから」と熱く述べた。

 「神さまから見たら、うちらはみんな同じ。たくさんの思いやりを持って互いに接することができたら、神さまは早めに許してくださるはず。そしたら、このクソなウイルスを早く治癒できるようになるんだから」と、クリスチャンらしい発言も飛び出した。

 また、「中国はこの国(アメリカ)が(新型コロナ)ウイルスを持ち込んだって主張してるじゃん?  まぁ、この国には中国に借りがある人が多いからねぇ」と、あながち間違った説ではないという持論を展開。「どんな人でもゼノフォビック・ジョークを、軽いノリで言ったりするよね」「でもさ、国を代表する人は、言っちゃいけないことだと思うの」と、新型コロナウイルスのことを「チャイナ・ウイルス」と呼んでいたトランプ大統領がアジア系住民へのゼノフォビックを助長していると非難した。

 続けて、「誰が中国とケンカしたい? 自問してみな」「たくさんの人が、中国に借りがあるわけ。中国はなんでも手掛けてるからね。服や靴、電化製品とか、すべてが中国から輸入されてるわけ」「中国人は愛国心が強いんだよ。国のために死ねるし」と発言。このまま差別が続けば、中国と欧米豪諸国が対立し、とんでもないことになってしまうと示唆した。

 カーディは、この前日のインスタ・ライブでも、中国政府が厳しく対応しているから、武漢市では感染者数が減っているのだと発言。「毎日、自宅での隔離措置を受けている(軽症の)感染者の家に行き、体温を測っている」「本当に厳しくやってる。でもアメリカ政府は『自宅にいなさい』って言うだけなんだよ?」と、中国の対策を評価。

 中国叩きをする人たちに対して、「中国はクレイジーなんだよ。すごくパワフルで。怒らせないほうがいい相手なわけ。アタシは中国と問題起こしたくないし」「中国をディスるコメントがすごく多いけど、彼らは頭がいいし、行動力があるからね。アタシはケンカしたくない」と発言したのだが、これにアンチが過剰に反応。ネット上で、「カーディが中国に媚びてる」「いつから中国の広告塔になったんだ」「中国から、どんだけ金もらったの?」などとバッシングされる騒ぎとなり、カーディは「2週間前にYouTubeで(武漢の新型コロナ対策に関する)45分間のドキュメンタリーを見たわけ」「その番組を見てからアタシにケンカを売りな」とTwitterで言い放っていた。

 実はカーディ自身も人種をめぐって、理不尽な嫌がらせを受けたことがある。彼女の両親はそろって中米の出身だが、昨年インスタ・ライブで「『おまえは黒人じゃない』『アフロ系の顔してるけど、両親の肌の色は薄いし、黒人じゃない』とか言われて本当にうんざり」と吐露。「父方の祖母の肌は私の肌よりも濃い。母方の祖母は真っ黒」と説明。「両親ともにカリブ諸国出身だから、黒人を含むいろいろな人種が混ざっている」と説明していたが、その表情は疲れ切っていた。

 アイデンティティを攻撃されたり、マイノリティとして差別を受けたりしながら育ったため、人種差別には敏感なカーディ。アジア系住民が受けている理不尽極まりない差別が増えていることに、苦言を呈さずにはいられなかったのだろう。

 カーディの発言はネットで拡散され、大手メディアも報じるようになった。だが、さすがに彼女ひとりの呼びかけだけで、ゼノフォビックに基づく差別を止めることは難しいだろう。カーディに続いてほかのセレブたちも、アジア系住民への差別をやめようと呼びかけてくれることを期待したい。