近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『ミッドナイト・ランナー』
「ディアスポラ(Diaspora)」という言葉がある。「離散」を意味し、何らかの形で祖国を離れ、新しい土地に定着して生きる人々を総称する言葉だ。韓国の近現代史には、日本に住む在日朝鮮人や中国の朝鮮族、旧ソ連のカレイスキー(高麗人)など、朝鮮半島にルーツを持つディアスポラが多数見受けられる。その背景には、日本による朝鮮の植民地支配の歴史がある。日本統治下での弾圧や貧困、戦争への徴用などをきっかけに、多くの朝鮮人が日本へ、中国へ、そして旧ソ連へと散らばっていったのだ。
世界のどの民族のディアスポラもそうであるように、彼らは定着した新しい土地で、さまざまな差別や偏見と闘いながらマイノリティとしての歴史を築き、現在もなおたくましく生き続けている。いつかは祖国に帰りたいという思いを持ちつつも、移住した先の土着文化と自らの固有文化を融合させた第三の文化を形成し、文化的多様性を担うグローバルな存在でもある。例えば中国語と韓国語を流暢に話す朝鮮族には、日本や諸外国に留学して更に異なる言語を習得し、世界を股にかけて活躍する優秀な人も数多い。
ディアスポラの話から始めたのは、今回取り上げる『ミッドナイト・ランナー』(キム・ジュファン監督、2017)の中で、物語を成り立たせる上で欠かせない「悪役」として朝鮮族が描かれているからだ。人気俳優が主演し、韓国で大ヒットを遂げた青春アクション映画である本作だが、コラムでは主人公たちの敵となる朝鮮族の描かれ方について考えてみたい。まずは映画の紹介から始めよう。
≪物語≫
肉体派のギジュン(パク・ソジュン)と頭脳派のヒヨル(カン・ハヌル)は警察大学の同級生。二人はある晩、女の子との出会いを求めて遊びに行ったクラブからの帰り道に、若い女性が車で連れ去られる現場を目撃する。二人は早速、学校で習った捜査の知識を総動員し、チャイナタウンにある犯人のアジトにたどり着く。犯人たちは、若い女性たちの卵子を集め、不妊治療の病院に不法に売りつけるといった犯罪に手を染めた朝鮮族だった。女の子たちを助けようと立ち向かう二人だったが、逆に捕まって監禁されてしまい、辛うじて脱出するも、ほかの捜査が詰まっているからと警察からは後回しにされてしまう。正義感と使命感に燃える二人は、ついに自分たちの手で女性たちを救出しようと計画を立てる。
韓国の警察大学とは、警察組織の初級幹部を育成するための国立大学で、卒業後には日本の警部補にあたる「警衛」として任用される。学費無料で警察公務員としての将来が保証されるため、競争率の非常に高い難関大学だ。日本の防衛大学のイメージに近いかもしれない。
監督が「二人の青年の友情と熱い正義感、警察幹部候補としての使命感を通して、就職や経済的な面で苦しんでいる昨今の韓国の若者たちに勇気と希望を与えたかった」と語るように、犯罪捜査と青春をうまく掛け合わせ、男性コンビが大活躍するいわゆる「バディもの」である本作は、スカッとさせるアクションや笑いと涙を誘う物語が好評となり、観客動員560万人を超えるヒット作となった。『パラサイト 半地下の家族』でのキム家・長男の友達役の記憶も新しいパク・ソジュンと、ドラマ『ミセン』『麗』などに出演し、日本でも人気の高いカン・ハヌルという若手俳優の共演や、警察大学という珍しい舞台設定もヒットに一役買ったといえるだろう。
だがその一方で、劇中に描かれている犯罪グループの描き方をめぐっては、上映禁止を求めて訴訟にまで発展するトラブルが起こった。実は日本語字幕には訳されていないため、日本の観客にはピンとこないと思うのだが、犯罪グループのメンバーが「凶悪な犯罪を起こす朝鮮族」であり、「彼らが暮らすソウルの下町、デリムドンは犯罪の温床」という設定が、差別的で誤解や悪いイメージを与えかねないとして、在韓朝鮮族団体が猛反発したのだ。訴えは退けられ、上映が中止されることはなかったものの、韓国の若者に勇気と希望を与えたいという若手監督の素朴な願いは、皮肉にも差別的でステレオタイプ化されたイメージを朝鮮族にもたらしてしまったのである。
私自身、男二人が友情を育んでいく様子を描く前半では、どこか照れくささを覚えながらほほ笑ましく見ていたのだが、犯人グループを追いかけて乗り込んだタクシーの運転手の「ここは朝鮮族の街だ。犯罪が頻発して真っ昼間でも怖くて出歩けない。治安も悪く、警察すら入らない」というセリフを聞いて、またかとあきれてしまった。デリムドンがチャイナタウンであることは事実だが、日本の横浜・中華街と同様、むしろ観光名所としていつもにぎわっている。映画の後半になると、完全に「主人公=正義」と「朝鮮族=悪」という二項対立の構図になり、独特な訛りのある朝鮮族の韓国語が過剰に耳に残る(韓国語がわからなくても、耳を澄ましてみるとイントネーションの違いがわかると思う)。
だが実は、朝鮮族のこのような描写は本作が初めてではない。『哀しき獣』(10)、『新しき世界』(13)、『コインロッカーの女』(15)、そして『犯罪都市』(17)など、近年の韓国映画には「朝鮮族犯罪映画」ともいえる流れが生じており、これらの映画を通して作り上げられた悪いイメージがそのまま「朝鮮族嫌悪」となって朝鮮族全体に向けられてきたのだ。本作も含めて上に挙げた映画は、作品としての出来や評価とは別に、朝鮮族の表象において強い影響力を持っているので、これでは朝鮮族団体が怒るのも当然だろう。
映画の影響も大きかったとはいえ、「우리 민족(我が民族)」という言い回しが大好きなはずの韓国人は、なぜ他民族ではない「朝鮮族」を嫌悪するようになってしまったのだろうか? 歴史的な話になってしまうが、韓国と朝鮮族をめぐる「ディアスポラから再会まで」の経緯を、ここで簡単に紹介しよう。
朝鮮族は、主に中国の東北3省(遼寧・吉林・黒竜江)に居住する少数民族としての朝鮮人を意味する。この地域への朝鮮人移住の背景には、二つの歴史的変動があり、一つは1881年に清朝が実施した封禁政策の解除である。清朝発祥の地であるこれらの地方に、清は長い間外国人を入れないようにしていたのだが、漢人や朝鮮人による不法移住が続いたため、解除せざるを得なくなったのだ。とりわけ朝鮮人の場合は、長く続いた凶作による飢餓や貧困から逃れる目的が大半だった。
もう一つは、1910年の日韓併合後、日本の植民地支配から逃れるための朝鮮人の大量流出だ。東北3省は旧満州に当たる地域で、特に抗日闘争の拠点としても重要な役割を果たしたことで知られるが、45年の独立後も中国の解放闘争や朝鮮戦争の混乱の中、半島に戻れない朝鮮人が多く残ったままだった。そして55年、中国の少数民族優遇政策のもと、延辺朝鮮族自治州(吉林省)が成立し、朝鮮の言語や文化、伝統を守りながら現在に至るまでディアスポラとして生活している。
韓国が朝鮮族との「再会」を果たしたのは、まだ中国と韓国の間に国交がなかった79年のこと。文化大革命の後、中国政府が人道政策の一環として、中国内の朝鮮族に韓国訪問を許可したのだ。当時朝鮮半島をめぐって、日本・韓国・中国・北朝鮮の間で「地域平和のため」人的交流の必要性が共通認識されたことも後押しとなり、まずは中国政府によって厳選された朝鮮族が韓国を訪問した後、88年のソウルオリンピック開催や92年の中韓国交回復によってその数は急増した。およそ70万人が韓国に帰国しているが、現在も中国に暮らす朝鮮族も、いまだ180万人ほどいる。
以上のような経緯で、朝鮮族は再び朝鮮半島に戻り、韓国人として暮らすようになったのだが、その数が増えるにつれて当然犯罪者も出始めた。犯罪者は朝鮮族のごく一部にすぎないが、何かあればすぐにメディアが大きく取り上げ、まるで朝鮮族そのものに問題があるかのような悪いイメージが作り出されていった。インターネットで「朝鮮族」を検索すると、瞬く間に「殺人」「組織暴力」「臓器売買」「結婚詐欺」「オレオレ詐欺」といったワードが後に続く。
とりわけ私を驚愕させたのは、韓国公共放送KBSのお笑い番組だった。映画『哀しき獣』に登場する朝鮮族マフィアのコスプレをしたお笑い芸人たちが、オレオレ詐欺をするというコントが、ほぼ1年間にわたって毎週放送されたのだ。しかも、年間で最も優れた番組を表彰する「KBS芸能大賞」のお笑い部門で、このコントが「最優秀アイディア賞」を受賞するという始末。朝鮮族の当事者や2世、3世の子どもたちがどんな思いをするか、そんな当たり前の想像力すら持てないこの公共放送の徹底した無神経ぶりに、私は心の底から失望した。
こんな状況を生んだ責任は、犯罪ばかりをクローズアップして報じてきたメディアにあると断言できる。韓国に暮らす70万人の朝鮮族を潜在的な犯罪者として扱うのは、あまりに理不尽だ。にもかかわらず、メディアが量産したステレオタイプを無批判に取り込み、その再生産に加担した映画の責任も無視できない。韓国映画は、一体いつになったら本当の意味で朝鮮族を「描ける」ようになるのだろうか? 在日朝鮮人の中から崔洋一や李相日といった監督が輩出されたように、後の世代を待たなければいけないのだろうか?
韓国に留学した際に受けた朝鮮族に対する日常的な差別を『日本人のための「韓国人と中国人」――中国に暮らす朝鮮族作家の告白』(原題の直訳は『韓国はない』)として上梓した作家・金在国は、韓国での差別がむしろ「中国人である自分に気づかせてくれた」といい、「私の名前はキム・ジェグク(韓国語読み)ではない。ジン・ザイグォー(中国語読み)だ」と語る。彼のみならず、恐らく多くの朝鮮族にとって韓国との再会は、「同じ民族同士の喜び」から「他者という失望」へと変容しているだろう。だがそれでも、再び「再会の喜び」を手にする日への希望は持っていたい、と思う。
歴史について多く語ってしまったが、最後に再び映画の話題に戻って終わることにしよう。なんでも日本では4月から、本作『ミッドナイト・ランナー』のドラマ版が放送されるらしい。主演はジャニーズの中でも乗りに乗っているSexy Zoneの中島健人とKing&Princeの平野紫耀。『未満警察 ミッドナイトランナー』(日本テレビ系)と題されたこのドラマ、日本を舞台に、果たしてどんな「敵」が待ち受けているのだろうか?
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。