小倉優子、「真面目な人」と言われた夫との“離婚危機”報道に考える「結婚相手」に必要なもの

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「夫がこんなにも怒りっぽい人とは思わなかった」小倉優子
「サンケイスポーツ」3月11日号

 2019年11月30日放送の『人生最高レストラン』(TBS系)のゲストがタレント・小倉優子だった。小倉は18年に歯科医の男性と再婚をしており、その経緯について話していた。

 きっかけはママ友の紹介で「絶対に合う人がいる。すごい良い人で、絶対2人は合うから」という理由で紹介してもらったのだという。一緒に食事をした際の印象はよかったそうだが、親友であるタレントのギャル曽根が「(小倉の言葉は)信用できない」として、2回目の食事の際に、マネジャーとともに同席したそうだ。

 ギャル曽根は「歯医者さんで今まで結婚したことがなく、40歳超えているとなったときに、『絶対遊んでる! 絶対ダメ!』って思って反対する気持ちだった」そうで、食事の際、小倉を部屋から出して質問攻めにしたという。「お金についても話しました。芸能界って良い時もあれば、悪いときもある。稼ぎがゼロになる可能性だってある。そのときに、あなたは養えますか? って。聞きたいこと全部聞いた」そうだ。その結果、「今まで見たことがないぐらい、真面目な人」という感想を抱き、ゆうこりんを託すことにしたと語っていた。

 おそらく、こういう話を、特に若い女性は「友達のために、ひと肌脱ぐいい話」と思うのだろう。しかし、私には歯科医を紹介したママ友も、ギャル曽根も「気持ち悪い」と感じるのだ。

 何を根拠に「良い人」「絶対、2人は合う」なんて言えるのだろうか。どうして「真面目な人」であれば、結婚生活がうまくいくと言えるのだろうか。ママ友とギャル曽根の行為が善意からきていることはわかっているが、結婚というのは、それなりに大きな人生の選択だし、ましてや小倉には前夫との子どもが2人いる。「相手の連れ子を愛せない」という話は男女関係なくよく聞く話だし、ごく一部の極端な例であるとは言え、夫が妻の連れ子を虐待する事件だって起きている。ママ友はそんなデリケートな状況に首を突っ込んで、「絶対合う」と言える自信がどこから来るのだろう。またギャル曽根のように、デートに友達がしゃしゃり出てくることで、小倉に対する男性の気持ちが萎えてしまわないとも限らない。

 繰り返すが、ママ友もギャル曽根も「ゆうこりんのためを思って」の行動だということはわかっているつもりだ。しかし、善意というのは「いいことをしている」という大義名分がある分、歯止めが利かなくて厄介な部分もある。それに、私にとって「気持ち悪い」ことでも、ゆうこりんの結婚がうまくいけば、全方位的に「いい話」になるはず……だが、現実はそうでもなかったようだ。

 3月11日発売の「サンケイスポーツ」が、小倉の離婚危機について報じている。記事によると、現在小倉は妊娠中だが、昨年の暮れに突然夫が家を出てしまい、離婚を要求してきたという。以降は、弁護士を通してやりとりをしており、離婚だけではなく、連れ子との養子縁組の解消を求めてきたという。なお記事では、夫は歯科医院を開業するにあたり、小倉に専業主婦になることを求めたものの、小倉が拒否したことが原因とされている。

 なぜ、夫が歯科医院を開業すると、妻は専業主婦になる必要があるか私にはわからないが、それはさておき、小倉は「私が悪かった」と詫びて復縁を望んだそうだ。しかし、夫の気持ちは変わらず、生まれてくる子どもに会う気もないという。小倉は「夫がこんなにも怒りっぽい人とは思わなかった。でも、子供たちや生まれてくる子のためにも、元の関係に戻りたい」と話しているそうだ。

 この記事は若干、小倉びいきのきらいがしないでもないが、夫婦の内情はともかく、妻が自分の子どもを妊娠中に、いきなり家を出ていって、弁護士を通して離婚を要求する人の、どこが「真面目な人」「良い人」なのだろうか。そういう冷たい仕打ちをする人と、小倉は「合う」のだろうか。

結婚相手との「性格的な相性」は意味がない?

 断っておくが、私は小倉に夫を紹介したママ友と夫に太鼓判を押したギャル曽根を「見る目がない」と言いたいのではない。数回会ったくらいで性格なんてわかりっこないし、もしかしたら小倉の夫は、本当は「良い人」「真面目な人」かもしれない。しかし、そもそも性格的なものは、結婚生活に意味がないのではないかと思うのだ。

 おそらく、ママ友が「良い人」とアピールし、ギャル曽根が「真面目かどうか」にこだわったのは、小倉の前夫が、小倉の妊娠中に事務所の後輩に手を出したことが影響しているのだろう。しかし、「良い人」「真面目な人」なら不倫をしないという保証はないし、かえって、「良い人」だから、「真面目な人」だから、相手に夢中になりすぎて、家庭を捨ててしまったという話を聞いたこともある。

 相手の性格的なものが問われるのは、結婚よりも恋愛ではないだろうか。恋愛は2人の問題だから、性格的な相性がいいほうが楽しめるだろう。しかし、結婚は生活を共にする(稼いで、家事をやって、欲しい人は子どもをつくり、育てる)ことだから、どちらかというと、男女の関係より、ビジネスパートナーと考えたほうがしっくりくるように思う。

 何年一緒にいても、相手の性格というのは、わかっているようで、わからないものではないかと、個人的には感じている。そして、性格が良い(悪い)よりも大事なことは、相手に何か「いいもの」を与えようとする姿勢ではないだろうか。極端な例ではあるが、みんなに「良い人」と思われたくて、後輩におごりまくる人よりも、誰にも1円もおごらず「ケチ」だと言われたとしても、給料をきちんと全額家庭に入れてくれる人のほうが、結婚相手としては向いているだろう。

 離婚はほぼ確定の感のある小倉だが、もう周囲は変な気を回して、次なる夫候補を探すようなことをせずに、そっとしておいたらどうか。数年のうちに「父親が変わること」を繰り返すのは、お子さんにいい影響を与えるとはどうしても思えない。

 仕事をして、子どもを育てるという今のライフスタイルを変えなくても、本当に縁がある人とは出会えるのではないだろうか。ゆうこりんも、歯科医師といった「ステイタスのある職業」や、「両親のそろった家庭」みたいな体裁にこだわらず、もっと自分を信じて頑張ってと言いたい気持ちだ。

キンプリ平野紫耀の自宅を特定し周辺にファン殺到 嵐二宮らも被害か

 King & Prince・平野紫耀の自宅住所がネット上に出回り、自宅周辺にファンが押しかける恐ろしい事態になっていると、「週刊女性PRIME」が報じた。

 平野の住所を一部ファンが特定したきっかけは、「女性セブン」3月5日号(小学館)が「平野紫耀が高級マンションに引っ越した」と伝えたことだったという。

 記事中にはもちろん地名やマンション名の記載はなかったものの、家賃や<室内の平均面積は200平方メートル超>といったマンションの特徴が具体的に書かれており、それを手掛かりに突き止めたファンがいるという。

 しかもこうしたことは初めてではなく、「週刊女性PRIME」によると、平野はファンによる自宅特定が原因で、2015年に地元から上京してわずか5年の間に10回近くも引っ越しを繰り返しているという。

 平野自身も、以前テレビ番組で「引っ越しを頻繫にする」と明かしていた。理由は「飽き性だから……」と濁していたが、一部の異常なファンのせいだとしたらあまりに気の毒である。

二宮和也の新居も特定しようとするファン
 嵐の二宮和也の住まいも、一部ファンによる住所特定が盛んに行われていた。ファンの間では二宮が住んでいると噂されるマンションの住所や部屋番号が出回っており、Twitter上でファン同士が、「嵐はコンサートで北海道にいるはずなのに部屋の明かりがついている」「(現在の妻である)Aさんが部屋にいるからだ」などと会話していたことも。

 さらに昨年9月、「女性自身」(光文社)が二宮が自宅を引っ越し、現在の妻であるAさんと同棲を始めたと報じると、動きが加速。こちらの記事にも地名やマンション名の記載はなかったものの、家賃や近所の様子をヒントに一部ファンが住所を詮索していた。情報の真偽はわからないが、ネット上には「二宮和也のマンションを特定!」との記事も複数出るようになった。

[wezzy_blogcard 61417]

 また先日、NEWS・手越祐也の自宅の部屋と思われる画像がネット上に流出し騒動になったが、その画像から手越の住所を特定しようとするネットユーザーも散見される。

指原莉乃もファンが自宅住所をネットに書き込み引っ越し
 タレントが不特定多数の人間に住所を知られることは当然、危険を伴う。これはジャニーズに所属するアイドルだけの問題ではない。元AKB48指原莉乃は先日、自宅住所が特定されることの恐ろしさをTwitterに投稿し、話題を呼んだ。

 今月6日、指原はInstagramのストーリーで<芸能人に悪口を送って、今訴えられたらヤバイと思う過去があるという人いますか?>という趣旨の質問をしたところ、集まった回答の中に<サッシーが◯◯のマンションに住んでるって書いたことあるw>というものがあったことをTwitterで明かした。

 この回答を指原がストーリーに引用し、<気持ち悪いですね。アカウント控えました>と書くと、一部フォロワーが「話が違う」と非難。指原はあらかじめ「興味本位なのでみるだけ! 載せません」と告知した上で回答を募っていたからだ。

 しかし指原はユーザーアカウントを晒したわけではない。回答を載せた理由について、Twitterで以下のように説明した。

<私としては過去にマンションを書いた犯人が当たり前にメッセージを送ってきたことが異常すぎたのと、私は「悪口」を募集していて実際に悪口を書いた過去があるメッセージは載せずにいたので皆さんの中で「マンションを書く」は「悪口」と同じなんだなあと衝撃的でした>
<本当にゾッとしました。なぜかというと、(〇〇が)過去本当に住んでいたマンションだったこと、その書き込みは当時実際にありそれが理由で引っ越していた事、さらにそのアカウントが裏アカウントでもなんでもなく、自分の名前も子供の顔も載せている本アカウントだった事。あの時の不安だった日々の答え合わせが今更できたようですごく気持ち悪かったです>

[wezzy_blogcard 74510]

 自宅住所という極めてプライベートな情報がネット上に流出、そのうえファンが近所をうろうろしているとしたら、タレントにとって“恐怖”以外の何物でもないだろう。ストーカーと同じことだ。「有名税だから仕方ない」などと主張し行為を正当化しようとするネットユーザーもいるが、もはやその範囲内で語れる問題ではない。

カテゴリー: 未分類

Hey!Say!JUMP・伊野尾慧、「ほぼビリです!」と振り覚えの悪さを告白ーーメンバーとのオフショットも披露

 Hey!Say!JUMPの伊野尾慧が木曜レギュラーを務める情報番組『めざましテレビ』(フジテレビ系)が3月12日に放送された。この日の伊野尾のコーナー「いのおピクチャー」では、同じグループの中島裕翔・知念侑李との3ショット写真が披露された。

 伊野尾がキャップにチェックのシャツ、知念がパーカー、中島がグレーのタートルネックを着用し、3人が笑顔を浮かべる穏やかな写真だが、伊野尾はこれを「いま発売中のシングル、『I am』の振り付けの時に撮った」と説明。三宅正治アナウンサーから「伊野尾くんはどうなの? 振り覚えるの早い方なの?」と質問が飛ぶと、伊野尾は正直に「この3人の中では3位です」と告白。続けざまに「全体の中でもほぼビリです!」とあっけらかんと白状し、三宅をはじめ共演者たちの笑いを誘った。この潔さに、視聴者からは「正直でかわいい!」という声も。

 次に放送された「イノ調」では、「1級建築士のお宅訪問」企画の第9弾を放送。今回、横浜市にあるお宅を訪ねた伊野尾は、早速インターホンを押し「どうも〜フランク・ゲーリー(建築家)で〜す」とカナダ出身の世界的建築家の名前を持ち出した。するとこれには1級建築士の家主も思わず大笑い。「めちゃくちゃツボってますよ! どう? この建築ギャグ!」と大喜びの伊野尾だったが、うって変わってレポートは真面目に進行。4面ガラス張りの開放的な空間や、子どもの成長に合わせてプチリノベーションを楽しめる工夫を絶賛していた。

 また、今回の家について伊野尾は、「今まで1級建築士さんの家をたくさん見ましたけど、初めて中古で売ってたら買いたいなと思いました」と相当気に入ったよう。「(住む)人が変わっても使えるというところがあるのが、これからの建築のあり方のような気がします」と語りながら、「ぜひ、中古で売り出す際には一言!」と念を押すことも忘れていなかった。

 この日の放送に視聴者からは、「確かに住みたくなるくらい素敵だった!」「わかる人にだけわかる建築ギャグ、さすがです」「伊野尾くんらしい賢いギャグ、最高」という声が集まっていた。

Hey!Say!JUMP・伊野尾慧、「ほぼビリです!」と振り覚えの悪さを告白ーーメンバーとのオフショットも披露

 Hey!Say!JUMPの伊野尾慧が木曜レギュラーを務める情報番組『めざましテレビ』(フジテレビ系)が3月12日に放送された。この日の伊野尾のコーナー「いのおピクチャー」では、同じグループの中島裕翔・知念侑李との3ショット写真が披露された。

 伊野尾がキャップにチェックのシャツ、知念がパーカー、中島がグレーのタートルネックを着用し、3人が笑顔を浮かべる穏やかな写真だが、伊野尾はこれを「いま発売中のシングル、『I am』の振り付けの時に撮った」と説明。三宅正治アナウンサーから「伊野尾くんはどうなの? 振り覚えるの早い方なの?」と質問が飛ぶと、伊野尾は正直に「この3人の中では3位です」と告白。続けざまに「全体の中でもほぼビリです!」とあっけらかんと白状し、三宅をはじめ共演者たちの笑いを誘った。この潔さに、視聴者からは「正直でかわいい!」という声も。

 次に放送された「イノ調」では、「1級建築士のお宅訪問」企画の第9弾を放送。今回、横浜市にあるお宅を訪ねた伊野尾は、早速インターホンを押し「どうも〜フランク・ゲーリー(建築家)で〜す」とカナダ出身の世界的建築家の名前を持ち出した。するとこれには1級建築士の家主も思わず大笑い。「めちゃくちゃツボってますよ! どう? この建築ギャグ!」と大喜びの伊野尾だったが、うって変わってレポートは真面目に進行。4面ガラス張りの開放的な空間や、子どもの成長に合わせてプチリノベーションを楽しめる工夫を絶賛していた。

 また、今回の家について伊野尾は、「今まで1級建築士さんの家をたくさん見ましたけど、初めて中古で売ってたら買いたいなと思いました」と相当気に入ったよう。「(住む)人が変わっても使えるというところがあるのが、これからの建築のあり方のような気がします」と語りながら、「ぜひ、中古で売り出す際には一言!」と念を押すことも忘れていなかった。

 この日の放送に視聴者からは、「確かに住みたくなるくらい素敵だった!」「わかる人にだけわかる建築ギャグ、さすがです」「伊野尾くんらしい賢いギャグ、最高」という声が集まっていた。

小倉優子、“離婚報道”にインスタで言及!「事実と異なる」別居の本当の理由は“夫婦げんか”!?

 夫との別居が報じられた小倉優子が、3月12日、インスタグラムを更新し、騒動を謝罪した。投稿では、夫の勤務先への取材自粛を求めるほか、一部報道について「事実と異なることもあります」などと綴られており、メディア関係者の間でもこの「事実とは異なること」は何なのか、諸説飛び交っているようだ。某メディア関係者によれば、「確かに第一報となったスポーツ紙や週刊誌の記事には、夫婦にとって“青天の霹靂”だったであろうと言える箇所がある」というが……。

 3月11日付の「サンケイスポーツ」、また翌12日発売の「女性セブン」(小学館)では、別居に至った決定打として「夫が小倉の仕事に口を挟んだ」ことが挙げられていた。

「小倉の第3子妊娠を受け、夫が『仕事をセーブしてほしい』あるいは『芸能界を引退してほしい』と、小倉が家庭に入ることを希望。ここでの価値観の違いが夫婦関係に亀裂を生み、結果的に別居に至ったと報じられています」(週刊誌記者)

 小倉が指摘した「事実と異なること」は、まさにこの箇所だとみられているという。

「小倉はごく親しいママ友たちに、出産後も『これまで通りに芸能活動を続ける』と話していたそうで、夫もそれに賛同していたとか。騒動の“核”となった部分が誤りという点には、夫婦揃って首を傾げていることでしょう。各メディアの報道の中では、原因を『夫婦げんか』と伝えた『文春オンライン』記事が最も実情に近く、『小倉の所属事務所が「文春」にリークしたのでは』とささやかれています」(テレビ局芸能デスク)

 別居騒動をめぐっては、ほかにも“ガセ情報”とされる話がいくつも出回っていているのだそうだ。

「『夫が小倉に中絶を迫った』というのも“ガセ”のようです。しかし夫婦ともに、別居の真相を明らかにするよりも、まずは現状を解決することが最優先だけに、表立って積極的にコメントを出すことはないでしょうが」(同)

 真相や実情がまるで見えてこない「別居騒動」だけに、今後も「事実と異なる」報道が多数噴出してしまうかもしれない。

小倉優子、“離婚報道”にインスタで言及!「事実と異なる」別居の本当の理由は“夫婦げんか”!?

 夫との別居が報じられた小倉優子が、3月12日、インスタグラムを更新し、騒動を謝罪した。投稿では、夫の勤務先への取材自粛を求めるほか、一部報道について「事実と異なることもあります」などと綴られており、メディア関係者の間でもこの「事実とは異なること」は何なのか、諸説飛び交っているようだ。某メディア関係者によれば、「確かに第一報となったスポーツ紙や週刊誌の記事には、夫婦にとって“青天の霹靂”だったであろうと言える箇所がある」というが……。

 3月11日付の「サンケイスポーツ」、また翌12日発売の「女性セブン」(小学館)では、別居に至った決定打として「夫が小倉の仕事に口を挟んだ」ことが挙げられていた。

「小倉の第3子妊娠を受け、夫が『仕事をセーブしてほしい』あるいは『芸能界を引退してほしい』と、小倉が家庭に入ることを希望。ここでの価値観の違いが夫婦関係に亀裂を生み、結果的に別居に至ったと報じられています」(週刊誌記者)

 小倉が指摘した「事実と異なること」は、まさにこの箇所だとみられているという。

「小倉はごく親しいママ友たちに、出産後も『これまで通りに芸能活動を続ける』と話していたそうで、夫もそれに賛同していたとか。騒動の“核”となった部分が誤りという点には、夫婦揃って首を傾げていることでしょう。各メディアの報道の中では、原因を『夫婦げんか』と伝えた『文春オンライン』記事が最も実情に近く、『小倉の所属事務所が「文春」にリークしたのでは』とささやかれています」(テレビ局芸能デスク)

 別居騒動をめぐっては、ほかにも“ガセ情報”とされる話がいくつも出回っていているのだそうだ。

「『夫が小倉に中絶を迫った』というのも“ガセ”のようです。しかし夫婦ともに、別居の真相を明らかにするよりも、まずは現状を解決することが最優先だけに、表立って積極的にコメントを出すことはないでしょうが」(同)

 真相や実情がまるで見えてこない「別居騒動」だけに、今後も「事実と異なる」報道が多数噴出してしまうかもしれない。

なにわ男子・長尾謙杜が釣りリベンジ! 藤原丈一郎と共にアノ大物を釣り上げる!?

 関西地方で放送されている夕方の報道・情報番組『キャスト』(朝日放送)に、水曜レギュラーとして出演している関西ジャニーズJr.内ユニット「なにわ男子」。メンバー7人の中から週替わりで2人がロケに出て、関西のさまざまな仕事に体当たりでチャレンジするコーナー「なにわの仕事を学びまSHOW」を担当している。

 3月11日の放送回は、長尾謙杜と藤原丈一郎が「桜鯛釣り」の仕事に挑戦。長尾は2019年12月18日のオンエア回で、道枝駿佑とともに「クエ漁」に挑戦したが、その時は残念ながら釣り上げることができなかったため、リベンジに燃えているようだ。

 今回の舞台は和歌山県・加太漁港。エサが豊富で潮の流れが速いため、良質の天然マダイが1年を通して獲れるという加太は、全国屈指の鯛の町だ。長尾と藤原が今回狙うのは、春先にしか獲れない特別な鯛である「桜鯛」。春先の産卵期を迎える直前だけ、マダイの雌は美しい桜色をしていることから、そう呼ばれるという。

 ところが、藤原と長尾が早朝にロケを敢行したその日はかなりの強風で、港では漁の準備をしている気配がない。藤原の「大丈夫なん?」という不安は的中し、結局この日の漁は中止になり、翌日に仕切り直しすることに。ここで藤原が地元の漁師に、「このへんって何が有名なんですか?」と尋ねると、「鯛しゃぶ」が有名という情報が舞い込む。これを聞いた長尾は思わず「うわあー!」と歓喜の雄叫び。すでに食べる気満々の2人にスタッフから、「朝から鯛しゃぶ食べるの?」とツッコミが入る。

 しかしここで藤原は、「これは勉強ですから、明日の桜鯛がどんなんかっていう。ぜいたくで食べるわけじゃなくて下見です!」と熱弁を振るってみせ、これが功を奏してか、朝から鯛しゃぶにありつくことに成功。そのあまりのおいしさに感動した藤原が、「明日絶対釣らなあかんやん」と言うと、長尾も「絶対釣りたくなってきた」と続け、十分に気合が入ったようだ。

 そして翌日、無事に船が出て「桜鯛釣り」に挑むことになった2人は「桜鯛釣るぞー!」「イッツフィッシング―!」とハイテンションで出発。桜鯛釣りは、「高仕掛け」と呼ばれる全長12メートル以上の仕掛けを使った一本釣り漁で行われ、長尾と藤原もこの方法で挑戦。通常の釣り竿とは勝手が違うため、釣り経験のある長尾ですら感覚がつかめず「全然わからへん」と戸惑いを見せるも、一投目に桜鯛を見事ゲット。幸先のいいスタートを切ったが、その後3時間まったく引っかからず、まだ1匹も釣れていない藤原は「ほんまに釣れるの? わからへん」と不安げな表情を浮かべる。

 その後、場所を移動し、今度は方法を変えて挑戦すると、ここでようやく藤原の竿がしなりだし、大物ヒットの予感。そして、とうとう40センチの桜鯛を釣りあげたのだった。最終的には、合計3匹の桜鯛を獲ることに成功し、長尾のリベンジも果たせた結果に。

 これを受け、ネット上は「長尾君にリベンジの機会をありがとうございました。釣れてよかった~」と、長尾への祝福のコメントがあふれることに。また、「丈一郎、海が似合うわ〜」「2人とも楽しそうだった!」「丈くんと長尾くんコンビ最高にかわいかった!」といった声も寄せられた。

なにわ男子・長尾謙杜が釣りリベンジ! 藤原丈一郎と共にアノ大物を釣り上げる!?

 関西地方で放送されている夕方の報道・情報番組『キャスト』(朝日放送)に、水曜レギュラーとして出演している関西ジャニーズJr.内ユニット「なにわ男子」。メンバー7人の中から週替わりで2人がロケに出て、関西のさまざまな仕事に体当たりでチャレンジするコーナー「なにわの仕事を学びまSHOW」を担当している。

 3月11日の放送回は、長尾謙杜と藤原丈一郎が「桜鯛釣り」の仕事に挑戦。長尾は2019年12月18日のオンエア回で、道枝駿佑とともに「クエ漁」に挑戦したが、その時は残念ながら釣り上げることができなかったため、リベンジに燃えているようだ。

 今回の舞台は和歌山県・加太漁港。エサが豊富で潮の流れが速いため、良質の天然マダイが1年を通して獲れるという加太は、全国屈指の鯛の町だ。長尾と藤原が今回狙うのは、春先にしか獲れない特別な鯛である「桜鯛」。春先の産卵期を迎える直前だけ、マダイの雌は美しい桜色をしていることから、そう呼ばれるという。

 ところが、藤原と長尾が早朝にロケを敢行したその日はかなりの強風で、港では漁の準備をしている気配がない。藤原の「大丈夫なん?」という不安は的中し、結局この日の漁は中止になり、翌日に仕切り直しすることに。ここで藤原が地元の漁師に、「このへんって何が有名なんですか?」と尋ねると、「鯛しゃぶ」が有名という情報が舞い込む。これを聞いた長尾は思わず「うわあー!」と歓喜の雄叫び。すでに食べる気満々の2人にスタッフから、「朝から鯛しゃぶ食べるの?」とツッコミが入る。

 しかしここで藤原は、「これは勉強ですから、明日の桜鯛がどんなんかっていう。ぜいたくで食べるわけじゃなくて下見です!」と熱弁を振るってみせ、これが功を奏してか、朝から鯛しゃぶにありつくことに成功。そのあまりのおいしさに感動した藤原が、「明日絶対釣らなあかんやん」と言うと、長尾も「絶対釣りたくなってきた」と続け、十分に気合が入ったようだ。

 そして翌日、無事に船が出て「桜鯛釣り」に挑むことになった2人は「桜鯛釣るぞー!」「イッツフィッシング―!」とハイテンションで出発。桜鯛釣りは、「高仕掛け」と呼ばれる全長12メートル以上の仕掛けを使った一本釣り漁で行われ、長尾と藤原もこの方法で挑戦。通常の釣り竿とは勝手が違うため、釣り経験のある長尾ですら感覚がつかめず「全然わからへん」と戸惑いを見せるも、一投目に桜鯛を見事ゲット。幸先のいいスタートを切ったが、その後3時間まったく引っかからず、まだ1匹も釣れていない藤原は「ほんまに釣れるの? わからへん」と不安げな表情を浮かべる。

 その後、場所を移動し、今度は方法を変えて挑戦すると、ここでようやく藤原の竿がしなりだし、大物ヒットの予感。そして、とうとう40センチの桜鯛を釣りあげたのだった。最終的には、合計3匹の桜鯛を獲ることに成功し、長尾のリベンジも果たせた結果に。

 これを受け、ネット上は「長尾君にリベンジの機会をありがとうございました。釣れてよかった~」と、長尾への祝福のコメントがあふれることに。また、「丈一郎、海が似合うわ〜」「2人とも楽しそうだった!」「丈くんと長尾くんコンビ最高にかわいかった!」といった声も寄せられた。

『いつもひとりだった、京都での日々』『わたしの好きな街』レビュー:新生活=有意義な日々、じゃなくていい

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

【概要】

『いつもひとりだった、京都での日々』(宋欣穎・著、光吉さくら・訳、早川書房)

 東京アニメアワードをはじめ複数の映画賞を受賞し、2019年、米アカデミー賞長編アニメーション賞エントリー25作にも選出されたアニメーション映画『幸福路のチー』を手掛けた台湾の女性映画監督・宋欣穎(ソン・シンイン)。彼女が留学生として京都大学で過ごしたひとときを振り返ったエッセイ。

『わたしの好きな街:独断と偏愛の東京』(SUUMOタウン編集部監修、ポプラ社)

 雨宮まみ、岡田育、ひらりさ・もぐもく(いずれも劇団雌猫)、山田ルイ53世、山内マリコら総勢20名の著名人・文化人が、東京で暮らすこと、偏愛する街、上京の思い出について本音を語るエッセイ・インタビュー集。

***********

 進学、就職などで、見知らぬ土地で新生活を始める人が多い春。慣れない環境に身を置き、生き抜く人に向けて、孤独感や寂しさが力に変わるような2冊の本を紹介したい。

 『いつもひとりだった、京都での日々』は、台湾の作家・映画監督の宋が京大生として京都に滞在した約2年間を、色彩豊かに振り返ったエッセイ。京都に暮らすさまざまな人との触れ合いを中心につづられているが、タイトルに冠されているように、どこか孤独感が漂っている。しかし、著者が漂わせる寂しさは、同時にどこかすがすがしさを連れてくるものだ。

 「湯婆婆」のような老女が夜だけ開く古い喫茶店、電灯のない真っ暗な部屋で一人の生活を愛する「金子さん」、南米の音楽に乗りながら創作料理を振る舞ってくれる60歳の「名和さん」、舞妓を偏愛する「赤内くん」――。このエッセイに登場する京都の人々は、外部の人が「日本人」「京都の人」と聞いた時に想像するような、典型的なタイプはほぼいない。それは、変わった人ばかりを取り上げているわけではなく、“普通の人”が普通に持つその人だけの個性を著者が逃さずすくい上げているからだろう。そんな彼女のフィルターを通して京都の暮らしをのぞき見ることで、市井の人々の普通の日常生活が、時には幻想小説の一幕のような光景として映し出されていく。

 渡日直前、親友の自死に直面したエピソードから幕を開ける本作には、ある種の感傷が最後まで通底している。親友に最後にぶつけた言葉を後悔しつつ、ロボットのように無理やり日常生活をこなしていた著者は、あるきっかけで鴨川の光る川面を眺めながら、どうしても過去には戻れないことを悟る。川の水は流れ続け、戻ることはないが、彼女はそこに寂しさだけでなく美しさも見いだす。日本でできた友人「金子さん」が「ずっと同じ環境にいると、きれいな風景も目に入らなくなる。そうなると人は麻痺しちゃう」と彼女に漏らしたように、長く親しんだ人や風景から無意識に受け取っていた美しさや幸福に気づくのは、たいてい受け取れなくなってからだ。過去に戻れないことは人を苦しめるが、進むしかないからこそ、新たな場所で別の幸福を見つけることもある。

 この一冊の中で、著者自身も、出会った友人たちも、すみかを替え仕事を替え、家族を作ったり離れたり、亡くなったりして、とどまることなく移ろいゆく。表層はあくまで淡々とすべらかな筆致だが、状況や環境が変わることで生じる景色が開けるような楽しさと、息が止まるほどの悲しさ、両方が丁寧に写し取られている。だからこそ、新たな環境で戸惑う人々の感傷を優しく包み、前を進ませてくれるようなエッセイになっている。

 『わたしの好きな街: 独断と偏愛の東京』は、時に「住む場所ではない」などと揶揄される過密都市・東京に暮らす多様な20名の著名人・文筆家らが、東京や上京について語ったエッセイ&インタビュー集。「この街のオススメスポット」といったガイドブック的な要素はないが、書き手が個人的に愛する場所や思い入れのある街の思い出により、「東京」という都市の魅力が複層的に描き出されている。

 東京は、いわば複数の街の集合体であり、一言でその特色を語り尽くすのは難しい。しかし、「あの街で暮らした十年間が、たぶん、私の青春だった」とつづる雨宮まみのエッセイ「西新宿」には、まさに「一つの側面では語りきれない東京像」が凝縮されている。都庁やパークハイアット東京、高層ビルが林立するエリアと、昔ながらの住宅が密集するエリアがほぼ隣接する西新宿。古アパートの1階に住みながら、2つのエリアを日常的に行き来していた雨宮が、「こんな生活には、いつか別れを告げてやる」と怒りにも近い情熱をじりじり燃やす日々は、その熱も相まって、東京と、東京という場所が象徴する「上への情熱」が端的に書き残されている。

 また、作家・山内マリコが「本当に全然ダメだった」「一体なにをしていたかというと、なにもしていなかった」と振り返る「吉祥寺」も、まるで一編の短編小説のような味わいを残す。25歳で上京し、駅まで徒歩30分、立派な畑や野生のタヌキを確認できる部屋で過ごした4年間は、一見優雅なようで、自身の不安に押しつぶされないようもがいた日々でもあった。玉川上水ののどかな景色を背景に、とある吉兆を大切に受け取ったエピソードは、少し滑稽ながらも美しい。

 ほかにも「あの街での毎日が明るいものではなかった」と回顧する芸人・山田ルイ53世の「中目黒」、自身の育った街の魅力を「なんとなくぐちゃっと、全部入り」と愛たっぷりに表した、もぐもぐ(劇団雌猫)の「町田」など、都心から郊外まで、本書にはそれぞれ東京についての思い出や偏愛が詰まっている。この一冊で、表情をさまざまに変える東京の一端を知ることができるだろう。

 書き手たちが振り返る思い出は各人各様だが、輝かしいばかりの時期より、あやふやに過ごした日々や、映えない日常を重ねていた街のエピソードが圧倒的に多い。うまくいかなかった時期や無為に過ごした風景のほうが、書き手の記憶に強く焼き付き、それが人生を助ける礎石になることもある。上京を控える人や東京で暮らす人だけではなく、先の見えない日々にもどかしさを抱える人々にも届いてほしい一冊だ。

『いつもひとりだった、京都での日々』『わたしの好きな街』レビュー:新生活=有意義な日々、じゃなくていい

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

【概要】

『いつもひとりだった、京都での日々』(宋欣穎・著、光吉さくら・訳、早川書房)

 東京アニメアワードをはじめ複数の映画賞を受賞し、2019年、米アカデミー賞長編アニメーション賞エントリー25作にも選出されたアニメーション映画『幸福路のチー』を手掛けた台湾の女性映画監督・宋欣穎(ソン・シンイン)。彼女が留学生として京都大学で過ごしたひとときを振り返ったエッセイ。

『わたしの好きな街:独断と偏愛の東京』(SUUMOタウン編集部監修、ポプラ社)

 雨宮まみ、岡田育、ひらりさ・もぐもく(いずれも劇団雌猫)、山田ルイ53世、山内マリコら総勢20名の著名人・文化人が、東京で暮らすこと、偏愛する街、上京の思い出について本音を語るエッセイ・インタビュー集。

***********

 進学、就職などで、見知らぬ土地で新生活を始める人が多い春。慣れない環境に身を置き、生き抜く人に向けて、孤独感や寂しさが力に変わるような2冊の本を紹介したい。

 『いつもひとりだった、京都での日々』は、台湾の作家・映画監督の宋が京大生として京都に滞在した約2年間を、色彩豊かに振り返ったエッセイ。京都に暮らすさまざまな人との触れ合いを中心につづられているが、タイトルに冠されているように、どこか孤独感が漂っている。しかし、著者が漂わせる寂しさは、同時にどこかすがすがしさを連れてくるものだ。

 「湯婆婆」のような老女が夜だけ開く古い喫茶店、電灯のない真っ暗な部屋で一人の生活を愛する「金子さん」、南米の音楽に乗りながら創作料理を振る舞ってくれる60歳の「名和さん」、舞妓を偏愛する「赤内くん」――。このエッセイに登場する京都の人々は、外部の人が「日本人」「京都の人」と聞いた時に想像するような、典型的なタイプはほぼいない。それは、変わった人ばかりを取り上げているわけではなく、“普通の人”が普通に持つその人だけの個性を著者が逃さずすくい上げているからだろう。そんな彼女のフィルターを通して京都の暮らしをのぞき見ることで、市井の人々の普通の日常生活が、時には幻想小説の一幕のような光景として映し出されていく。

 渡日直前、親友の自死に直面したエピソードから幕を開ける本作には、ある種の感傷が最後まで通底している。親友に最後にぶつけた言葉を後悔しつつ、ロボットのように無理やり日常生活をこなしていた著者は、あるきっかけで鴨川の光る川面を眺めながら、どうしても過去には戻れないことを悟る。川の水は流れ続け、戻ることはないが、彼女はそこに寂しさだけでなく美しさも見いだす。日本でできた友人「金子さん」が「ずっと同じ環境にいると、きれいな風景も目に入らなくなる。そうなると人は麻痺しちゃう」と彼女に漏らしたように、長く親しんだ人や風景から無意識に受け取っていた美しさや幸福に気づくのは、たいてい受け取れなくなってからだ。過去に戻れないことは人を苦しめるが、進むしかないからこそ、新たな場所で別の幸福を見つけることもある。

 この一冊の中で、著者自身も、出会った友人たちも、すみかを替え仕事を替え、家族を作ったり離れたり、亡くなったりして、とどまることなく移ろいゆく。表層はあくまで淡々とすべらかな筆致だが、状況や環境が変わることで生じる景色が開けるような楽しさと、息が止まるほどの悲しさ、両方が丁寧に写し取られている。だからこそ、新たな環境で戸惑う人々の感傷を優しく包み、前を進ませてくれるようなエッセイになっている。

 『わたしの好きな街: 独断と偏愛の東京』は、時に「住む場所ではない」などと揶揄される過密都市・東京に暮らす多様な20名の著名人・文筆家らが、東京や上京について語ったエッセイ&インタビュー集。「この街のオススメスポット」といったガイドブック的な要素はないが、書き手が個人的に愛する場所や思い入れのある街の思い出により、「東京」という都市の魅力が複層的に描き出されている。

 東京は、いわば複数の街の集合体であり、一言でその特色を語り尽くすのは難しい。しかし、「あの街で暮らした十年間が、たぶん、私の青春だった」とつづる雨宮まみのエッセイ「西新宿」には、まさに「一つの側面では語りきれない東京像」が凝縮されている。都庁やパークハイアット東京、高層ビルが林立するエリアと、昔ながらの住宅が密集するエリアがほぼ隣接する西新宿。古アパートの1階に住みながら、2つのエリアを日常的に行き来していた雨宮が、「こんな生活には、いつか別れを告げてやる」と怒りにも近い情熱をじりじり燃やす日々は、その熱も相まって、東京と、東京という場所が象徴する「上への情熱」が端的に書き残されている。

 また、作家・山内マリコが「本当に全然ダメだった」「一体なにをしていたかというと、なにもしていなかった」と振り返る「吉祥寺」も、まるで一編の短編小説のような味わいを残す。25歳で上京し、駅まで徒歩30分、立派な畑や野生のタヌキを確認できる部屋で過ごした4年間は、一見優雅なようで、自身の不安に押しつぶされないようもがいた日々でもあった。玉川上水ののどかな景色を背景に、とある吉兆を大切に受け取ったエピソードは、少し滑稽ながらも美しい。

 ほかにも「あの街での毎日が明るいものではなかった」と回顧する芸人・山田ルイ53世の「中目黒」、自身の育った街の魅力を「なんとなくぐちゃっと、全部入り」と愛たっぷりに表した、もぐもぐ(劇団雌猫)の「町田」など、都心から郊外まで、本書にはそれぞれ東京についての思い出や偏愛が詰まっている。この一冊で、表情をさまざまに変える東京の一端を知ることができるだろう。

 書き手たちが振り返る思い出は各人各様だが、輝かしいばかりの時期より、あやふやに過ごした日々や、映えない日常を重ねていた街のエピソードが圧倒的に多い。うまくいかなかった時期や無為に過ごした風景のほうが、書き手の記憶に強く焼き付き、それが人生を助ける礎石になることもある。上京を控える人や東京で暮らす人だけではなく、先の見えない日々にもどかしさを抱える人々にも届いてほしい一冊だ。