前編では、保守派が教育問題に介入する理由や、戦後の教育行政の変遷、その結実としての教育基本法の「改悪」について、実践女子大学の広井多鶴子教授に解説してもらった。後編では、教育基本法「改悪」を受けて、自民党や保守団体が国会への上程をもくろんでいる、家庭教育支援法について話を聞いた。
(前編:“教育の憲法”教育基本法を改悪した安倍政権の狙いは?――「自己責任論」の徹底で縮小された教育行政の責任)
立法の正当性がない家庭教育支援法
――教育基本法の家庭教育の条項と連動する形で、自民党が上程しようとしているのが、家庭教育支援法です。家庭教育支援法については、どのようにお考えですか?
広井多鶴子教授(以下、広井) 家庭教育支援法は国家権力の家庭への介入という点で批判されてきました。確かにその通りなのですが、国家介入自体がいけないということにはなりません。たとえば児童虐待に対して介入すべきではないと考える人はほとんどいないでしょう。フェミニズムも、DVやセクハラや性犯罪に関して国家が正当に介入することを求めてきました。ですから、問題は介入そのものではなくて、何のために、どのように介入するのか、つまり国家介入の正当性があるかどうかという問題だと思います。とはいえ、そうした観点から見ても、家庭教育支援法には多くの問題があり、法を制定する正当性自体がないと思います。
――「正当性がない」とおっしゃる具体的な理由を教えてください。
広井 まず、今日の社会において、家庭教育支援法を制定する必要性や理由があるのか、ということです。自民党の法案では、家族の構成員の減少、家族が共に過ごす時間の減少、家庭と地域社会との関係の希薄化等による「家庭をめぐる環境の変化」から家庭教育への支援が必要になったと書かれています(第1条目的)。ですが、どれも法律を作成する根拠、つまり、立法事実としてはあまりに疑わしいものです。
たとえば、世帯人数の減少というのは、三世代家族の減少や核家族化を想定しているのでしょうが、現在は近居が増えており、しかも、今日ほど祖父母が健在で、「孫育て」に関わっている時代はありません。
それに、かつては三世代同居が多かったから子どもがよく育ったというのは、幻想にすぎません。今より三世代家族が多かった高度経済成長期は、少年による殺人、強盗などの凶悪事件の検挙人員がとても多い時代でした。それが、近年は戦後最低水準です。今の70代以上の世代が未成年だった頃のほうが、今よりはるかに凶悪犯罪が多かったのです。親が悪いから犯罪が起きるという考えからすれば、今日の親は歴史上最も子どもを凶悪な犯罪に走らせない親であり、子どもの規範意識を最もよく育てている親だといえるでしょう。
つまり、同法案が挙げている根拠(立法事実)はどれも根拠とはなりえず、法を制定する必要性も正当性もありません。にもかかわらず同法を制定するとすれば、いたずらに家族に対する介入を強め、教育基本法が禁止する「不当な支配」を招くことになりかねません。
――たしかに教育基本法との矛盾が感じられます。
広井 それに、そもそも家庭教育支援法を制定する目的がよくわかりません。自民党の法案の第2条1項では、教育基本法と同様に、「家庭教育は、(略)父母その他の保護者が子に生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めることにより、行われるものとする」と規定しています。家庭教育支援法は、教育基本法第10条が掲げる家庭教育の理念を実現するための法として位置づけられているわけです。そうである以上、家庭教育支援法の目的もまた、親が子どもに生活習慣を身に付けさせ、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図ることを支援するということになるはずです。
しかし、同法案の家庭教育支援はずいぶん違います。第2条2項は、「家庭教育支援は、家族が共同生活を営む場である家庭において、父母その他の保護者が子に社会との関わりを自覚させ、子の人格形成の基礎を培い、環境の整備を図ることを旨として行われなければならない」となっています。これでは第1項とのつながりがよくわかりません。それでも関連しているのだというのであれば、家庭教育支援は教育基本法の規定と直接関わらないことまで行ってもいいということになり、教育基本法を逸脱してしまいます。
また、同条3項は、「家庭教育支援は、家庭教育を通じて、父母その他の保護者が子育ての意義についての理解を深め、かつ、子育てに伴う喜びを実感できるように配慮して行われなければならない」と書かれています。2項もそうですが、この3項も奇妙な条文です。家庭教育支援のあり方を定めるわけですから、通常であれば、「家庭教育支援は親の意思や自主性を尊重して行われなくてはならない」というような規定になるはずです。ところが、これではまるで親は家庭教育支援を受けることによって、自ら家庭教育を行いつつ「子育ての意義についての理解を深め」て、「子育てに伴う喜びを実感」しなくてはならないかのようです。「配慮規定」のような形をとりながら、親や家庭教育を拘束しているわけです。
このように、自民党の家庭教育支援法案は、教育基本法の範囲を超えて、無限定に家庭教育のあり方や支援の方法を定め、それによって、国や自治体が恣意的に家庭教育に介入することを可能にするものです。こうした恣意性ゆえに、同法案は何を目指して何をし、どんな成果や効果を上げようとしているのかわからない法案だといえるでしょう。
――とはいえ、すでに8県6市で家庭教育支援条例が制定されています。
広井 そうですね。どの自治体の条例も、ほとんど同様です。まず、現在の家庭の問題を列挙し、親の「第一義的責任」と親の任務、家庭教育のあり方を定め、家庭教育を支援するための自治体、学校、地域、事業者の役割などを規定しています。親の役割や家庭教育に関する条文は基本的に教育基本法第10条に基づいているのですが、教育基本法の規定以上に親の役割を拡大させている条例が少なくありません。
たとえば、2012年に全国に先駆けて制定された熊本県の条例第6条は、「保護者の役割」について、「子どもに愛情をもって接し、子どもの健全な成長のために必要な生活習慣の確立並びに子どもの自立心の育成及び心身の調和のとれた発達を図るよう努めるとともに、自らも成長していくよう努めるものとする」と定めています。「愛情をもって」子どもに接するとともに、自ら「成長していく」ことを親の任務として定めているのです。そのため、親は県が提供する「親としての学び」を支援する講座に参加しなくてはならず、しかも、それによって自ら「成長」しなくてはならないかのようです。
他の条例もこの熊本県の条例によく似ているのですが、岐阜県と鹿児島県南九州市の条例は、さらに詳しく家庭教育の内容や保護者の役割を定めています。「祖父母の役割」や、子どもに対して「親になるための学び」を規定している条例も少なくありません。18年制定の埼玉県志木市の条例は、「子どもは、その発達段階に応じて、責任感を持ち、自らの生活を律するよう努めるものとする」という条文まで設けています。これは家庭教育支援の主旨から大幅に外れています。
――まるで「あるべき理想的な家庭像」を押し付けるかのような内容に驚きます。
広井 そうですね。家庭教育支援法と条例は、かつて法や政策が踏み込むことを抑制してきた家庭教育に対して、国と自治体が直接的に介入できるようにするものであり、90年代末から進められてきた政策転換の集大成ともいうべきものだと思います。つまり、子どもの教育の「第一義的責任」を親に課し、親が果たすべき任務と役割、家庭教育のあり方を定めた上で、そうした責任と任務を担うにふさわしい親へと「成長」するよう、「社会総がかり」で親を「支援」する政策だということです。
そのため、家庭教育支援は「支援」や「学び」といいながら、親の自主的な学びではなく、親への啓蒙、啓発、矯正のための「親教育」となります。家庭教育支援がそうした発想から逃れ得ないのは、そもそも「今の親はダメだ」という認識が出発点あり、「ダメな親」を教育によって変え、問題を解決しようとする政策だからです。そうである以上、家庭教育支援は、それぞれの家庭の要望や必要に応えて家庭を支援するものではなく、家庭教育の自由や自主性、家庭の多様性を侵害して、すべての家庭をあるべき方向に誘導しようとするものにならざるを得ません。
しかも、家庭教育支援法案や条例を見ると、法や条例によって国や自治体が求めるあるべき家庭教育のあり方や支援の方法を無限定に定め得るかのようです。法を制定する根拠も目的も定かでなく、したがって、その効果もまったくわかりません。だからこそ、家庭教育支援は近年の法や政策の中でもひときわ政治的でイデオロギッシュに見えるのだと思います。
――子育て世代は日々の暮らしに精いっぱいで、こういった教育基本法の改悪や家庭教育支援法の危険性に気づかない人がほとんどです。同時に、「やはり今の親は問題だ」と思っている人は少なくないと感じます。
広井 親一般に関して、悪いイメージが作られているからですね。実際に自分の身の周りにいる人たちを想起すれば、そうは思わないはずなのですが。現実と一般論とが乖離しているように思います。
その根拠となっているのが、90年代末の少年犯罪に代わり、今は児童虐待です。ほとんどの人が、児童虐待が急増していると考えているでしょう。児童相談所の虐待に関する相談対応件数の増加から、毎年、マスコミは児童虐待が急増しているかのように報道してきましたから。ですが、児童相談所の相談対応件数はいわば児童相談所の業務報告であって、虐待の発生件数ではありません。
――相談件数は年々増大していますが、虐待による死亡児童数は減少していますね。
広井 はい。警察庁の統計では、2000年代の初めは年間約100人の子どもが虐待によって死亡していたのですが(無理心中が約4割を占める)、09年ごろから減少し、18年は36件です。うち、無理心中が8件、出産当日の殺害が6件、それ以外の虐待死が22件となっています(※1)。
虐待死に関する長期的なデータはないのですが、警察庁の嬰児(1歳未満)殺のデータを見ると、70年代までは年間200人以上の0歳児が殺害されていました。それが80年代以降急減し、18年は10人です。厚生労働省の「人口動態統計」の「他殺」に関するデータでも、子どもの殺人被害は同様に減少しています。つまり今日の親は、歴史上、最も子どもを殺さない親なのです。そうである以上、児童虐待が増加・深刻化しているとは、とても考えられません。
児童虐待が社会問題になるのは90年代ですが、90年代は嬰児殺しや子どもの他殺が大幅に減少した時代です。ということは、児童虐待問題が登場したのは、虐待が増加したからではなくて、逆に虐待が減少したからだということになります。親が子どもを大事に育てることが当たり前の時代になったからこそ、子どもを害する親の行為が許しがたい児童虐待と見なされるようになったのです。
――では、現在の虐待対策についてどう考えますか?
広井 児童虐待に社会の関心が集まり、対策がとられるようになったことは、子どもの権利を保障する社会になったということです。ですが、現在の虐待対策は、別の問題を生み出しているように思います。今日の虐待対策では、あれもこれも虐待と見なし、範囲を拡大することが虐待を予防すると考えています。また、「どんな家庭でも虐待が起こり得る」として、乳幼児のいる家庭を全戸訪問(※2)し、すべての親をチェックしようとしています。
そのため、社会が子どもを育てている親を監視し、不寛容になり、子育てをしている親を萎縮させているように思います。今の若い親は子どもを泣かせるだけで虐待と思われるのではないかと、かなりプレッシャーを感じているのではないでしょうか。親の負担は相当重くなっていると思います。
――世間が「今の親はダメ」という色眼鏡で見ていることも、親にとってはプレッシャーです。
広井 「昔の親は、ちゃんとしつけていた」「昔は良かった」といった言説をよく耳にしますが、いつの時代も「今の親はダメだ」と批判されてきました。50年代から60年代にはしばしば「年寄りっ子は三文安い」(甘ったれでわがままに育つ)と言われ、直系家族は人間関係が複雑なため、子どもの人間形成にとってよくないと考えられていました。ところが、70年代になると、核家族では「多角的な人間関係の中で育つ機会に乏しい」などと言われるようになりました。親や保護者は、常に政治家や学者から問題にされてきたのです。
――真面目に子育てをしようとしている親ほどそういった根拠なき批判を気にしてしまうような土壌が、現代の日本にはあります。
広井 これ以上、親にプレッシャーをかけない社会にするためには、今の親はとてもよく子育てをしているということを伝えていく必要があると考えています。社会が若い親たちをそのように見れば、親が「ダメ」だから支援するのではなくて、よくがんばっているから、あるいは、子育ては社会にとって大切なことだから、親を支援する社会になるのではないでしょうか。
そうすれば、家庭教育支援法のような法が制定されることもないと思います。家庭教育支援法は、「今の親はダメだ」と見なし、「ダメ」な親の意識や態度を教育によって変えようとする法なのですから。
※1 児童虐待に関するデータは、「児童虐待は本当に『増加』『深刻化』しているのか」現代ビジネス(講談社)を参照
※2 厚労省による乳児家庭全戸訪問。対象乳児が生後4カ月に達するまでに、自治体が各家庭に保健師らを派遣。厚労省は「子育ての孤立化を防ぐために、その居宅において様々な不安や悩みを聞き、子育て支援に関する必要な情報提供を行う」としているが、訪問者が乳児の身長や体重を測りながら、あざなどの虐待痕の有無をチェックする、虐待対策という面も持ち合わせている





