小説『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』(文藝春秋、『賢者の石、売ります』から改題)について、ネット上で興奮の声が次々と上がっている。「エセ科学ネタがたっぷり詰め込まれてて、面白かった」「パワーストーン、自然分娩・母乳育児周辺、がん代替医療と全部盛り。物語の構成がすごい」など、エセ科学やトンデモ科学に引っかかりを覚えたことのある人々から、絶賛を浴びているのだ。
科学ファンの賢児は、仕事でエセ科学の美容家電を扱うことになり、家でもパワーストーンや代替医療に傾倒する母や姉に囲まれる。それらを正論で否定し続ける賢児は、職場や家族から疎まれていくが、次第に賢児の「科学」を信じる心にも変化が訪れる――。そんな物語を執筆したのは、ドラマ化されて話題になった『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)などの作品で知られる朱野帰子氏。なぜ、人はエセ科学にハマってしまうのか? エセ科学の「生温かさ」とは? 朱野氏に話を聞いた。
――『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』。理系の研究者方面からの反響も大きいようですね。科学界をテーマにした小説とあって、理系と文系を股にかけたような作品です。
朱野帰子氏(以下、朱野) 私自身は超文系なので、股にはかけてないです(笑)。でも小さい頃から、うっすら“科学好き”ではありました。『NHKスペシャルシリーズ 人体』を録画して見たり。中学の理科の先生がすごく面白い方だったので、理系に進みたいと思ったこともあったんですが、数学の成績は下から数えた方が早いという感じで。ちょうど『動物のお医者さん』(白泉社)もはやっていて、微生物を培養する人になりたいと思ったんですけどね。職業としてやっていけるだけの得意分野ではないな、と思ったので、書く方に行ったんです。
2000年代の後半、私が20代最後の頃に小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星のサンプル採取に成功したり、中川翔子さんが「しんかい6500」で深海に潜ったりして、科学ブームが起きました。一般人も科学に親しみを持てるニュースも増えて、そのあたりから私の科学を好きな気持ちも再燃しました。
――今回、エセ科学をテーマにしたきっかけは?
朱野 「エセ科学の話を書きませんか」というお話をいただきまして。科学に詳しい人がエセ科学をばったばったと斬っていくような話を想定されてるんだろうな、と思ったんですけど、自分は理系ではないし、会社員時代にはエセ科学商品に関わったことがありますし。
出版社だって、怪しい健康記事や、エセではないにしても気休めにしかならない健康本を出していますよね。血液型占いも広義な意味でのエセ科学。エセ科学商品を売ることに加担せずに生きていけるのは科学者くらいじゃないでしょうか。だから白が黒を一方的にやっつける物語ではなくてその境界に生きている人たちを書きたかった。エセ科学にハマってしまう人たちと生きていかなければならなかったり、科学者自身もエセ科学に騙されることがあったりという、あるがままの世界を。
――科学者や科学ファンが騙されたケースとして、本書にSTAP細胞の一件が出てきます。
朱野 一般の人にとっては、STAP細胞に強い興味も持たないまま「科学者も騙されるんだな」という印象とともにあの騒動は終わったんだと思います。でも、科学ファンの私はかなりのショックを受けました。莫大な税金を使って研究している研究者たちから「論文不正なんていっぱいある」「なんであの事件だけマスコミは取りあげるんだ」という発言が出たり、「いちいち関わっていたら研究する時間がなくなっちゃうよ」という意見が出たりするのを見てしまったから。
理化学研究所は科学界最高峰の機関です。にもかかわらず、不祥事へのリスクマネジメント体制が全くできていなかったことにも驚きました。研究者の性別を前面に押し出すこと自体、一般企業に勤める人たちの目には、危なっかしく映ったことと思います。あの事件によって日本における「科学者の権威」は失墜したように思います。それが、今のエセ科学ブームにつながっているとは単純には言えませんが。
――マーケティング会社では、美容系商材を扱っていた経歴があるそうですが、美容商材を売る上で、女性の心をつかむような戦略はありましたか?
朱野 あります。美容雑誌などで目にするのは“恐怖マーケティング”です。「私の後ろ姿が母に似てきた」ってキャッチフレーズで脅しておいて「加齢のせいだ」と原因を示し、「こういうことをすれば防げる」と救いの手を差し出す。「※個人の感想です」を加えることもある。エセ科学をつくるのは簡単です。でも、それって自己啓発系の記事でもよくやる手法だし、小説でもできてしまう。作り手がどこまでやるかの倫理的な問題もある。
私が担当していたのは大企業の商品でした。法の監視下にあるので、「ない効果」を「ある」とは言えない。だから厳密にエセ科学商品と言えるかというと、違うかもしれない。でも中小企業は大企業の商品をまねる戦略に出ます。彼らは違法な表現も厭わない。「これを飲めば痩せる」とか。嘘だとわかっていて買う消費者もいるでしょう。
――騙されてるかもしれないけど、もしかしたら効くかもといった期待や興奮にお金を出す側面があるのかもしれません。
朱野 パワーストーンだって心の底から「絶対に幸せになれる」と思って買う人は少数だと思います。神社のお守りと一緒で気休めだとわかっているけど、エンタメとして消費をしたい人もいる。そうやって売る側と買う側のリテラシーがマッチしていれば害はないと思うんです。ただ、売る側も買う側も効果を信じ込んでしまっているパターンもある。
マイナスイオンという物質についても、存在するかどうかをそこまで真剣に考えている人ってほとんどいないと思います。ドライヤーとしての性能を総合した結果、髪がきれいになればよいと思っている消費者がほとんどではないでしょうか。ただ、そういうものを無批判に受け入れていった先に、家族の病気や出産などで直面した「不安」に漬け込んで、お金を払わせたり、治療を遅らせたりするような商品と出会ってしまうことはあると思うんです。
――エセ科学を使った商法は、どれだけ批判されてもなくなりませんよね。
朱野 私は科学を信じる側の人間なので認めたくないですが、エセ科学的なものが心身の痛みを和らげてくれることもありますよね。病気になったときに「生存確率は50%です」と言われて、それを受け入れられる人がどれだけいるか。「このパワーストーンを持っていれば大丈夫」と言われた方が救われることもある。エセ科学は必ずしも害悪ではない。エセ科学が全くない世界は、それはそれで息苦しいし、救いがないですよね。
――本書では母乳信仰、自然分娩信仰というテーマにも触れています。それについて「生温かい科学」と書いていますね。
朱野 エセ科学側の人たちって現実を受け入れられない気持ちに寄り添ってくれたり、希望を持たせてくれたりする。だから優しい世界に一見見えるんです。それに対して科学はすごく「冷たい」。出産に不安を抱えて、我が子だけは助かってほしいと願う親に、「この確率で流産します」と宣告するのが科学です。
――女性の方がエセ科学に興味を持ちやすいんでしょうか?
朱野 女性は美容好きが多いので、早めにエセ科学に触れるかもしれません。妊娠出産に対する関心が高いこともあるでしょう。子どもに予防接種する・しない、などの決断を迫られるのも大体の場合、母親です。科学とエセ科学の境界に向き合わされる場面が多いんだと思います。男性は60代くらいまで老いを感じない人がいると聞いたことがありますが、老いを感じてから先は、女性よりもハマる人が多い印象があります。
――エセ科学にお金を出す人を、賢児は「未開人」と言っています。「それはデタラメだ」と言っても通じない。
朱野 エセ科学そのものを叩いても意味がないと思っています。なぜその人がエセ科学を信じるに至ったかという“ストーリー”に向き合わなければ、根本的解決はできないと思います。一人ひとり違うから大変ですけど。手っ取り早く論破したくなりますが、やればやるほど向こうを向かれてしまう。寄り添ってくれる人の方がいいに決まってます。
この小説を書き始めた頃に、エセ科学を論破する本を何冊か読みました。中には「理系の頭のいい男性が文系の無知な女性を救う」という構図をとっているものがあって、嫌な気持ちになったこともあります。なぜかというと私も同じ構図で家族に説教することがあるから。私は女性ですが、「賢い私が教える」モードになることはあります。水素水がスーパーマーケットで出されていたりするのを見ても、「この未開人どもが」とスイッチがつい入ってしまう。
――論理的に諭すほど、エセ科学にハマっている人はそっちに向かってしまう。難しいですね。
朱野 うちの祖母は生前「いいことをしていればガンにならない」と言っていたそうです。「なんて非科学的なんだ、悪いことをしたからガンになるわけじゃない」と言いたくなりますが、祖母は戦争中、目の前で夫と幼い子を亡くしています。壮絶な体験を経て、大事な人が再び死ぬのではないかという恐怖から逃れるために「いいことをしていれば……」と言っていたのかもしれない。それに対して「非科学的だ」という言葉はあまりにも冷たい。
科学を尊敬しているからエセ科学にハマる
――エセか否か見極められないのは、学校教育との関係もありそうです。学校で、賢児の姉が光合成について質問すると、「説明してもお前になんかわからない。それよりスカートが短すぎる」と取り合ってもらえない描写がリアルでした。
朱野 勉強嫌いな子だって、どんなに学力が低い子だって、理科のすばらしさを知る権利ってあると思うんです。「なんで光合成ってあるんだろう」「葉緑体って何?」「それは生き物なのか? 細胞なのか? 無機物なのか? 何なんだろう?」という好奇心を持ったとしても「そんなのはいいから、覚えなさい」って言われるのが学校教育ですよね。でも多くの人の心の底には科学への憧れや興味が残っているはずなんです。だから科学的な文句に惹かれてしまう。科学に興味がない人はエセ科学にも興味を持ちません。
――朱野さんは、この商品や情報は怪しいと思ったとき、どのようにジャッジしていますか。
朱野 私の場合は、Twitterでフォローしている人がエセ科学と戦っていたり、科学機関に属していたりするケースが多いです。こういうエセ科学がはやっている、という情報が頻繁に回ってきます。科学が好きな人たちの近くにいるっていうのは、対策のひとつとしてあると思います。それから、自分と正反対の意見にも頑張って耳を傾けること。
また、大好きな科学者の研究発表であったとしても、疑ってみること。国民はスポンサーですから、「これお金いくらかかったんだ?」「不正はしていないかな?」とチェックする権利もあると思います。エセ科学との戦いは冷たくて厳しいんです。
朱野帰子(あけの・かえるこ)
1979年、東京生まれ。マーケティング会社に7年勤務した後、09年に『マタタビ潔子の猫魂』(KADOKAWA)でデビュー。ドラマ化された『海に降る』(幻冬舎)『わたし、定時に帰ります。』(新潮社)ほか、『くらやみガールズトーク』(KADOKAWA)など多数。