――全米の音楽チャートのトップ10すべてがラップという状況も、今やめずらしくなくなった昨今。日本でも今なおフリースタイル・バトル熱が継続する中、「なぜヒップホップがここまで巨大産業になったのか?」を、近年刊行された書籍を中心に徹底分析。音楽はもちろん、映画や宗教といった角度からも攻めてみよう。
ここ数年でポップ・カルチャーにおいて――とりわけポップ・ミュージックにおいて――すっかり巨大な市場を形成するまでになったヒップホップ/ラップ・ミュージック。その間、いわゆる関連書も当然のことながら何冊も出版されている。本稿では、この1年あまりのあいだに出版された書籍を軸に、ヒップホップ/ラップにアプローチする上で欠かせない著書を発表されている杏レラト、長谷川町蔵、そして山下壮起の三氏が太鼓判を押す書籍を紹介しながら、ヒップホップ/ラップの現在に新たな光を当てていきたい。
とはいえ、いきなり本題に入るのは不親切だろう。気にはなるけど、急にヒップホップ/ラップと言われても……と思われる読者諸氏もいるに違いない。
そこで入門書として紹介したいのが『文化系のためのヒップホップ入門1』【1】だ。基本的にヒップホップを聴きながら育ってきたわけではないという、アメリカ・ポピュラー音楽の研究者であり慶応大学の教授も務める大和田俊之氏と、文筆家として活躍する前述の長谷川氏の小気味良いリズムをキープした対話で語られる入門書となっている。一言で言うなら、これはヒップホップ/ラップをほとんど聴いたことのない者にこそ機能する1冊だ。昨年にはその続編となる『文化系のためのヒップホップ入門2』が刊行された。こちらは12~14年までのヒップホップ・カルチャーの動向をしっかりフォローしており、この2冊を読むことで、1970年代から2010年代までのヒップホップ史の要所、ヒップホップ/ラップの勘所をしっかりと押さえることができる。
さらに、具体的なヒット曲を例に挙げ、79年から15年までの歴史やトレンドをつかみとることができるのが、シェイ・セラーノ著『ラップ・イヤー・ブック』【2】だ。タイトルの通り、著者が重要とする曲を年ごとに1曲ずつ選び、それら楽曲の分析だけにとどまらず、適宜文体を変えながら、時にエッセイ風にまとめあげたりもしている、全体的に楽しい雰囲気に包まれた書籍となっている。
ここまで紹介した3冊で扱われているのが、基本的なヒップホップの“正史”だとしたら、その正史に大きな影響を与える“日陰の存在”だったカルチャーに「ミックステープ」【編註:実質、有料で販売されるアルバムのような音源を、アーティスト自身がフリーで配布したり、ストリーミングサイトにアップする作品】がある。のちに正史に堂々と登場することになるが、このヒップホップの裏面史ともいえるミックステープが持つ18年上半期までの歴史を掘り起こしたのが、拙著『ミックステープ文化論』【3】だ。
もう少しわかりやすく説明しよう。今現在のラップ興隆の背景には、スポティファイに代表されるストリーミングサービスの普及や定着も大きく関わっている。ただし、今現在あるストリーミングサービスが誕生したことで、ラップ人気が急激に高まったわけではない。ヒップホップ/ラップに関しては、実は生誕期から楽曲制作に楽器やミュージシャン、設備の整った音楽スタジオなどを特に必要としないこともあり、作品の制作から完成品の発表、そして宣伝・拡散および流通方法までに至るすべての“段取り”を自分たちだけでこなすことが可能だった。こうした段取りのすべてが凝縮された作品が“ミックステープ”なのだ。拙著を読むことでストリーミングという発想そのものは、ミックステープという機構の中に、40年以上も前の遥か昔から組み込まれていたことに、お気づきになるかもしれない。
■映画と共に成長したヒップホップ文化
さて、ここまではヒップホップ/ラップの歴史に則した内容を持つ書籍を紹介してきたが、米在住の映画ライター・杏レラト氏による『ブラックムービー ガイド』【4】を紹介したい。ブラックムービーの始祖でもあるスパイク・リーの登場から、『ブラック・パンサー』までの歴史的変遷をまとめた著書で、同書で取り上げられている80年代半ば以降は、ヒップホップが映画とリンクし始め、ラッパーが演者として映画の世界に足を踏み入れた時期とも重なる。その頃からラッパーと映画との距離の取り方は、ウィル・スミスやアイス・キューブ、そして2パックの例に見られるように三者三様で、映画の世界には音楽とはまた違う面白さを味わうことができる。そんな杏氏が映画的観点で選んだ本が、アンジー・トーマスが書いた小説『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』【5】。そして偶然の一致か、それほどまでに重要な作品であるためか、長谷川氏も同書をチョイス。
「ティーン向けに書かれたいわゆるYA(ヤングアダルト)小説なのですが、内容は滅茶苦茶ヘビー。なにしろ主人公の黒人女子校生・スターは、幼馴染みの黒人少年・カリルが白人警官に射殺される瞬間を目の当たりにしてしまうのだから。その後の彼女の抗議活動や暴動の描写は、完全にトレイボン・マーティン射殺事件やファーガソン騒動を下敷きにしている。黒人のティーンがいかに死の危険に晒されていると感じているかが、平易な言葉で記された重要作。著者はラッパーを志していた人なので、ドレイクやJ・コールといったラッパーの名も頻発します。タイトル自体も2パックの言葉『The Hate U Give Little Infants Fuck Everybody(憎しみを植え付けられた子どもが社会に牙を剥く)』からの引用となっています」(長谷川氏)
杏氏が続ける。
「『ザ・ヘイト~』はフィクションなのですが、今のアメリカ、とりわけアフリカ系アメリカ人の現状を克明にわかりやすく描いています。長谷川さんが述べられているように、ティーン向けの小説なので難しい言い回しや表現を用いず、若者たちが牽引するポップ・カルチャーを色濃く反映した物語になっている。ポップ・カルチャーが好きな方であれば、日本人でもわかりやすく読めるという利点もあると思いますね。
また、本書で描写されている事件は、実際に昔からたくさん起きているのも事実です。55年にリンチで殺された黒人の少年、エメット・ティルの名前が出てくることからも、黒人がアメリカで抱え込んでいる問題はなんら変わっていないという現状も叩きつけられます。2パックをはじめ、ジェイ・Zやケンドリック・ラマーといったラッパーたちがラップを通じて伝えたいことが、ページをめくるたびに目に、そして心に飛び込んでくる本です」(杏氏)
この『ザ・ヘイト~』の物語、および作者であるアンジー・トーマスの言葉から改めて気づかされるのは、現在のヒットチャートのほとんどがラップであること同様、日常生活に当たり前のようにヒップホップ/ラップが溶け込んでいるということなのだ。
■避けては通れないキリスト教とラップ
ヒットチャートをにぎわすヒップホップ/ラップが、日常に溶け込んだ形はほかにもある。表立って語らることがないため見過ごされがちだが、ヒップホップにおける宗教的表現の類いがそれだ。ギャングスタ・ラッパーは教会から厳しい批判を受けてきたが、中には普段からキリストの頭部をかたどった“ジーザス・ピース”なるチェーンをぶら下げるだけでなく、リリックで神や天国、さらにはイエス・キリストに言及する者も多く存在する。一方で、80年代初頭には、キリスト教徒によってクリスチャン・ラップ/ゴスペル・ラップが誕生した。日本基督教団阿倍野教会の牧師、そして神学者である山下壮起氏による『ヒップホップ・レザレクション―ラップ・ミュージックとキリスト教』【6】(発売は7月25日を予定)は、ヒップホップの担い手であるアフリカ系アメリカ人における宗教観をテーマにした画期的な著書。アフリカ系アメリカ人の宗教史を紐解きながら、キリスト教にとどまらない宗教の多様性や聖俗観までもフォローしている。
「ヒップホップにおいて、ラッパーたちは薬物の違法売買や銃による暴力といったストリートの現実を題材として取り上げてきました。そのため、反社会的な音楽と見なされ、キリスト教会から厳しく批判されてきた。しかし、ラッパーたちの中にはそうした現実に重ね合わせながら、神や天国、さらにはイエス・キリストといった宗教的モチーフに言及する者が多数いるんですね。それは一体なぜなのか? 拙著はその問いを端緒として、ヒップホップの宗教的な側面を掘り下げたものであり、黒人神学者ジェイムズ・H・コーンの『黒人霊歌とブルース―アメリカ黒人の信仰と神学』【7】における議論を継承したものです。西洋的な宗教観では、聖なるものは世俗から切り離して考えられるのに対して、アフリカでは、“聖”と“俗”は人間の現実の中に混在しているとされる。そうしたアフリカ的な宗教性が宗教音楽である黒人霊歌だけでなく、世俗のものと規定された音楽にも継承されているんです」(山下氏)
その音楽にあたるものが、ヒップホップだというのだろうか。キリスト教とヒップホップといえば、ここ最近もっとも注目を集めたものとして、アメリカ・カリフォルニア州の野外フェス「コーチェラ・フェスティバル」の一環として開催された、ご存知カニエ・ウェストの“サンデーサービス(日曜礼拝)”がある。
「カニエはゴスペル・ソングと自身の楽曲を一緒に演奏することで、ゴスペル・ソングとヒップホップに神の救いのメッセージが通底していることを示そうとしたのかもしれません。教会がヒップホップを批判してきたことに対して、カニエはサンデーサービスを通して、自由に神を賛美する在り方を教会やクリスチャンに提示。その一方で、非クリスチャンにも神を賛美する喜びや、神への賛美は自由であることを伝えるという目的があったようにも思えます」(同)
つまり、山下氏が選んだ『黒人霊歌とブルース』の著者、ジェイムズ・H・コーンの考察が、カニエのサンデーサービスにも当てはまるということなのだろうか。さらに山下氏は興味深い見解を示す。
「憶測になりますが、サンデーサービスはカニエの“トランプ支持”から考えることも可能だと思います。福音派の81%がトランプを支持していることを考えるなら、カニエは自身の“宣教”のために福音派をリスナーとして取り込もうと考えているのかもしれません。つまり、サンデーサービスのようなパフォーマンスを行い、世俗音楽に距離を置く福音派からも自身の動向に注目を集めようとしているということです。もしそうだとするなら、カニエはゴスペル・ソングとヒップホップをクロスオーバーさせ、両者に通底する神への視点に気づかせることで、福音派の教条主義的な側面の克服を目指しているとも考えられます。カニエは自身の宣教の課題を聖と俗のクロスオーバーに据えて、宗教の枠を超えたキリスト教的霊性に基づく運動を展開しようとしているのかもしれませんね」
こうして三氏の選書を並べると、ヒップホップ/ラップは、単なる音楽として扱うだけでは済まされないほど、日常のさまざまな局面において、その深部にまで浸透しているといえるだろう。
そもそもヒップホップ・カルチャーの流行と共に知られるようになった「キープ・イット・リアル(Keep It Real)」という言葉がある。「自分を偽るな、自分自身であれ」という意味だ。それには、まず自分自身を知らなければならない。だが、そう容易ではなく模索し続けるのが、ヒップホップなのである。さらに、それを聴いた人々が触発され、今回紹介した小説『ザ・ヘイト~』、あるいは論考『ヒップホップ・レザレクション』のような著作が生まれ、ヒップホップ/ラップ・ミュージックにほとんどなじみのない人たちにも影響を与えることになる。
最初のラップ・レコードが発売された時から数えても。およそ40年の歳月を経た19年、ヒップホップ・カルチャーから生まれたヒップホップ/ラップ・ミュージックは、単にヒットチャートやストリーミングのデータ上だけで人気を得ているだけではない。そのエッセンスが、歳月を重ねることで、さらに濃縮されてもいるのだ。長谷川氏は近年のヒップホップに対する所感として、いみじくも次のように述べている。
「ヒップホップは単なる音楽というよりも、今のアメリカ社会を生きる人々の“集合的無意識のサウンドトラック”だと思う」
音楽的観点はもちろんだが、文化や映画など、本稿で紹介してきた本を通じ、別の視座からヒップホップ/ラップを眺めてみるのも、実に新鮮なのである。(月刊サイゾー7月号特集『ヤバい本』より)
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【1】『文化系のためのヒップホップ入門1』
長谷川町蔵×大和田俊之/アルテスパブリッシング(11年)
11年に発売された第一弾に続き、昨年には第二弾も登場した「ヒップホップの正しい聴き方」の入門書。かの山下達郎も太鼓判を押すほどのベストセラーだ。
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【2】『ラップ・イヤー・ブック』
シェイ・セラーノ/小林雅明訳/DU BOOKS(17年)
ラップ創成期から現在に至るまでの約40年間の軌跡を振り返るバイブル。図解でわかりやすく、ビギナーはもちろん、上級者でもじっくり楽しめる内容になっている。
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【3】『ミックステープ文化論』
小林雅明/シンコーミュージック(18年)
ヒップホップ文化を語る上では、決して外すことのできない“ミックステープ”という一種のプロモーション。今やグラミー賞も受賞するその文化の歴史を探る。
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【4】『ブラックムービー ガイド』
杏レラト/スモール出版(18年)
『ワイルド・スタイル』や『ストレイト・アウタ・コンプトン』『ゲット・アウト』など、ブラックムービー黎明期から近年作まで、ブラックカルチャーの歴史と変遷を追う。
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【5】『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ あなたがくれた憎しみ』
アンジー・トーマス/服部理佳訳/岩崎書店(18年)
女子高生のスターは、10歳のときに幼馴染みのカリルが拳銃で撃たれる現場を目撃してしまう。実際にアメリカで起きている社会問題と重ね合わせられる傑作。
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【6】『ヒップホップ・レザレクション―ラップ・ミュージックとキリスト教』
山下壮起/新教出版社(19年7月25日発売予定)
ヒップホップのオリジネイターであるアフリカ系アメリカ人の宗教性にスポットを当て、キリスト教との関係や聖俗観を徹底的に分析する。
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【7】『黒人霊歌とブルース―アメリカ黒人の信仰と神学』
ジェイムズ・H・コーン/梶原寿訳/新教出版社(83年)
黒人が奴隷制時代に生き延びるために作り出した黒人霊歌と、奴隷解放後に黒人が生みだしたブルースを結びつけ、その表現形態を考察する。