おぞましくも心地よい、表裏一体の快感をもたらす『ぼっけえ、きょうてえ』

 女流作家が書く怪談は、ストレートな性描写がないのに湿度を含んだいやらしい雰囲気を醸す作品が多い。文字を読み進めていくうちに、じわじわと恐怖心に包まれる感覚は、セックスの時の愛撫に似たような、体の内側から感情が沸き上がる感覚と似ているような気がするのだ。

 今回ご紹介する『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)は、奇才・岩井志麻子氏の言わずと知れた代表作である。第6回日本ホラー小説大賞受賞作である本作は、女郎の一人称で語られる物語ではあるものの、直接的な性描写は存在しない。しかし、読み進めていくうちに内臓をくすぐられているような、こそばゆく静かな快感を覚える作品である。

 物語は、女郎の「妾(わたし)」の語り口調で綴られている。岡山出身である妾が、この日彼女を買った旦那に「きょうてえ夢を見るから、寝られん」と言われて、身の上話をしているのだ。「きょうてえ」というのは、岡山地方の方言で「怖い」という意味である。

 妾は、生まれて間もなく双子の姉と共に川に捨てられた。奇跡的に助かった彼女は育ての親と共に、凶作続きの貧しい村で暮らし始める。妾は「間引き専業」の産婆である育ての母の仕事を手伝い、10歳にも満たない頃に父親から「オカイチョウ」をされ始める――。

 淡々とした口調で語られる妾の身の上話は、遊郭に売られる前に父親が何者かに殺されたことや、かつて同じ遊郭で働いていた小桃の自殺騒動などのエピソードが盛り込まれている。そして、物語は妾の体の秘密へと迫ってゆくのだが……。

 たおやかで美しい岡山弁で綴られる物語は、実にグロテスクである。さらりと語られる妾の語りを読み進めてゆくと、「間引かれた」赤子によるおぞましい臭気までもが感じられて、思わず本を閉じたくなる。目を覆いたくなるほど気持ちが悪い描写が続くのに、なぜか目を背けられなくなるのは、岩井志麻子氏の圧倒的な筆力である。彼女が描く物語の空間の中で揺蕩うことが、おぞましくも心地よい。

 決して気持ちの良いストーリーではない。気持ち悪いのに、気持ちいい。そんな表裏一体の部分が、どこかセックスの快感と似ているのである。
(いしいのりえ)

吉本興業岡本社長「芸人は売道具のオモチャや!」お笑い企業のまったく笑えない実情が明らかに

今週の注目記事・第1位「私は吉本興業『闇営業』の監視人だった-元エリートマネージャーが決意告白」(『フライデー』8/23・30号)

同・第2位「宮迫激白150分『さんまさんについていきます』」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第3位「松本一人勝ちで吉本分裂 加藤は別会社に『追放』」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第4位「ギャラ飲みパーティの記念写真-仮想通貨『怪紳士』の誕生会」(『フライデー』8/23・30号)

同・第5位「鈴木誠也&畠山愛理新宿タワマン熱い夜-結婚間近としか思えない親密デート」(『フライデー』8/23・30号)

同・第6位「当選11回なのに大臣固辞、逢沢一郎議員の『違法デリヘル』」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第7位「波瑠が恋する実家住まいの無名役者」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第8位「『京アニ』犠牲者24人の実名公表を閉ざした警察の『遺族アンケート』」(『週刊新潮』8/15・22号)

同・第9位「公金10億円が費やされた『表現の不自由展』にあの黒幕」(『週刊新潮』8/15・22号)

同・第10位「タモリ 結婚49年の妻は知らない“セレブ美魔女”と週1回密会撮」(『女性セブン』8/22・29号)

同・第11位「小泉進次郎の心を溶かした滝川クリステルの『おもてなし』-秘蔵写真」(『フライデー』8/23・30号)

同・第12位「『韓国と徹底的に白黒つけろ』安倍VS.文在寅」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第13位「紀州のドンファン没後一年の墓前にコンドーム」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第14位「小室さんが越えられなかった14人の壁」(『週刊文春』8/15・22号)

同・第15位「東京五輪に便乗『官製地上げ』のキナ臭さ」(『サンデー毎日』8/18・25号)

同・第16位「『総理を目指す』という『山本太郎』のもはや笑えない『集金力30億円』!」(『週刊新潮』8/15・22号)

同・第17位「夏が来れば思い出す『夏目雅子』知られざる悲恋」(『週刊新潮』8/15・22号)

同・第18位「『スマホ』が危ない! 高齢者と子どもを蝕む『脳の病気』」(『週刊新潮』8/15・22号)

 さて、このところフライデーが好調である。吉本興業の闇営業問題で弾みがついたようだ。

 まずは新潮から。スマホは認知症になる確率が高いというが、子どもの脳の発達そのものにも悪影響があるというのである。

 特にLINEや動画、ゲームなどがより悪影響を及ぼすという。ネットを毎日のように使った子供は、脳の灰白質や白質と呼ばれる部位の容積が増加しない、つまり、脳の中であらゆる命令を出す神経細胞そのものが発達しないことになるそうだ。

 そのために学力が低下してしまう。東北大学加齢医学研究所の川島隆太所長によると、学力という観点から見ると、1日1時間の使用がボーダーラインだという。

 だが、1時間で子どもが納得するとは思えない。

 スマホが脳に悪影響を及ぼすのは、私の周りの早稲田大学の学生を見ていてもわかる。電車の中、学校へ行く通り、学内でも、肩を丸めてスマホをのぞき込むアホ学生の何と多いことか。

 姿勢は悪くなる、目は悪くなる、おまけにお頭まで馬鹿になるのでは、スマホは亡国のツールである。

 昔、大宅壮一はテレビが日本人を総白痴化するといったが、いまなら「スマホは学生を総白痴化する」というのだろう。

 少なくとも、路上や駅での歩きスマホは厳禁にすべきである。

 さて、亡くなってからずいぶん経つのに、女優・夏目雅子の人気は衰えることがない。

 クッキーフェイスは1977年の健康的な女性の象徴だったが、その夏目が急性白血病で亡くなろうとは、思いもしなかった。

 彼女に隠されたロマンスがあったと新潮が報じている。夏目とは幼馴染で、夏目が水着姿になってCMや広告に出た時、兄から「うちはそんな家柄じゃない」と怒られ、暴力も振るわれたとき、相談に乗り、以来つき合うようになったという。

 夏目がロケなどに行くたび、隠れて付いていくような仲になったそうだ。夏目は結婚したがっていたが、彼の親が「結婚を諦めるように話した」そうで、以来バッタリ寄り付かなくなったというのである。

 この話いささか信じがたい。親がなぜ、夏目と結婚させなかったのか。なぜ、この男は、あんないい女と別れたのか。俺だったら、親をぶん殴って結婚するがな。

 れいわ新選組の山本太郎は、衆議院選に100人の候補を立てるといっている。そのためには30億という資金が必要だが、「もはや笑えない」(新潮)という。

 総理の座は別にして、もし100人を擁立すれば、細川護熙のように、野党が連立して総理ということもあながちあり得ない事ではないというのである。私は信じないが。

 ところで私は時々、神宮外苑にあるゴルフの練習場に行く。前に神宮球場、周囲は緑が多く、都会のオアシスである。

 少し行くと、秋にはイチョウ並木が見事な青山通りへ向かう通りがある。東京オリンピックで再開発され、緑が少しずつ消えていくことに「憤り」を覚えているが、サンデー毎日が、この周辺を、神宮球場と秩父宮ラグビー場を入れ替え、2つの超高層ビルと複数のホテル、商業施設を建設する計画が進んでいると報じている。

 そもそもここは日本初の風致地区、文教地区である。厳しい規制があるはずだが。

 超高層ビルは伊藤忠ビルが建て替えとなる「事業所棟」と、オフィスなどが入る「複合棟」ができる。イチョウ並木は残すと、商店会に向けてはいっているようだが、何のことはない、イチョウを店の中に入れたレストランを考えているようなのだ。

 民間でできる事業ではない。サンデーは「官製地上げ」といっている。小池都知事は、東京の緑はこれ以上減らさないと断言しているが、この計画をどう考えているのか。

 東京のセントラルパークともいえる神宮外苑を、派手なネオンの輝く、他の街と同じにしてはいけない。

 文春に小室圭の近況が載っている。米フォーダム大のロースクールに留学して1年。LLMコースを無事卒業した。

 注目の成績優秀者が発表された。一番上の「極めて優秀」の14人には入れなかったが、「優秀」の23人の中に圭の名前があったという。学年で37番以内、上位4分の1に入ったのだ。

 大したものだと思うが、問題があるという。授業料が全額カバーされる奨学金は、相当上位にいないともらえない可能性が高いというのである。

 もらえなかった場合、相当な金額を自己負担することになる。果たしてどうクリアするのだろうか?

 紀州のドン・ファンが亡くなってから早1年が経つ。その墓に供えられたのはコンドームだったと文春が報じている。故・野崎幸助はどう思っているのだろう。

 文春によれば、和歌山県警は今も事情聴取を進めていて、野崎の知人は最近、彼の最後の妻について詳しく聞かれたという。なぜ今頃になって?

 同じ文春が、安倍よ、韓国と徹底的に白黒をつけろとタイトルをつけ、巻頭で特集しているが、案外、内容は穏当である。

 首相周辺が、外為法十条を根拠にした制裁案という過激なシナリオもあったが、「今回の輸出管理が、WTOや国際世論、他国や前例との整合性を検討しても、ギリギリ許容できる範囲内の方策だったのです」(首相周辺)

 文春がいっているように、米中経済戦争の影響で、世界同時株安と円高は止まるところを知らない。日韓はこんな不毛なチキンレースを続けている場合ではないはずだ。

 さて、小泉進次郎(38)と滝川クリステル(41)が「電撃できちゃった婚」を発表した。安倍首相と菅官房長官に報告した後、官邸入り口で記者団のインタビューに答えた。

 安倍と菅の名前を出し、昼のワイドショーで生中継される時間帯を選ぶ、だが、週刊誌の締め切りには間に合わないなど、綿密に計算された結婚発表だったことがわかる。

 将来の首相とファーストレディにふさわしいカップルなどと、歯の浮くような麗句を並べるスポーツ紙やワイドショーが多かったが、私が2人を見たときの正直な気持ちは、「嫌な感じ」というものだった。

 恋多き年上女が、恋に奥手の年下男、それも将来の首相候補を手玉に取った。やや容色に衰えが見えるクリステルの「最後の賭け」だったのではないか。「私は賭けに勝ったわよ」。少し緊張気味の彼女の表情から、そんなことを思い浮かべたのは、雑誌屋風情の僻みからだろうか。

 進次郎の家庭にも複雑な問題がある。幼い時に両親が離婚し、父・純一郎の姉を母と思って育ってきた進次郎。別れた母親のところには彼の弟がいる。幼い弟が父に一目会いたいと来ても、父親は邪険に追い払い、会おうとはしなかった。

 父親は進次郎に、「一度は結婚したほうがいい」といったという。その言葉の裏には、「俺みたいに離婚したっていい」という意があるのではと勘繰りたくなる。

 フライデーが小泉進次郎と滝川クリステルのことを記事にしている。ギリギリに突っ込んだのだろう。滝川の元カレ、俳優の小澤征悦とは切れたはずだが、今年の3月、行きつけのバーで一緒に飲んでいたという情報もあり、17年の6月に、滝川の家に小澤がお泊りする姿をフライデーが撮っている。彼女のほうがやや心配だ。

 さて、タモリと吉永小百合は私と同じ年だ。年収にはとんでもない差があるが、年は平等に取る。

小百合は早生まれだから74歳、タモリと私は73歳。少し前に、売れっ子の女性脚本家と付き合っていると報じられたが、今週は女性セブンが、セレブ美魔女のところへ週に1回のペースで熱心に通っていると報じている。

 タモリには49年連れ添った糟糠の妻がいる。夫婦仲はいいようだが、男というものはいくつになってもしょうがないものである。

 彼女が訪ねる美魔女は、あら還だという。高級ブランドをさらりと身につけている品の良い女性だという。

 どこか吉永小百合似だという。この女性と、以前報じられた脚本家とは違う女性なのだろうか。まあどうでもいいがね。

 ところで「トリエンナーレ」とは3年に1度という意味だそうだ。津田大介が芸術監督として3年を費やして準備してきた「あいちトリエンナーレ2019」が8月1日から開幕した。テーマは、「表現の不自由展・その後」。過去に公立美術館で展示拒否になったり撤去された作品を集めた展示会である。

 津田はいいところに目をつけたと、私は思った。ところが、河村たかし名古屋市長が平和の少女像として展示してある慰安婦像の撤去を要求し、批判の電話やメールが県庁に殺到、中には「ガソリンをまいてやる」という強迫まであり、たった3日で、津田は「中止」を決定してしまったのだ。

 この展示会には、国や県も補助金を出しているため、菅官房長官までがカネを出さないととられかねない発言をし、戦後最悪の表現の自由の弾圧だという批判が巻き起こった。

 新潮や産經などは、ここぞとばかり、慰安婦像や昭和天皇の御影を焼く映像などの展示に対して猛然と批判している。

 この問題をどう考えればいいのか。日韓関係が最悪の今、慰安婦像を展示すればどうなるかぐらいは、津田をはじめとする、これを手掛けた連中にもわかっていたはずだ。それをあえてやるからには、それ相応の覚悟があったはずだと思いたい。なかったらバカの集まりである。

 ガソリンをまいてやるという脅迫があったから中止したといういい分も、私には納得できない。こうした騒動を含めて、この国には表現の自由、言論の自由は極めて狭められて来ているということを“可視化”できる絶好のチャンスだったはずだ。

 パフォーマンスといういい方は嫌いだが、言論の自由度が韓国よりはるかに低いこの国の「現実」を、わからずやの日本人に突きつけてやる画期的なイベントにできたはずだ。

 それを、津田の涙で終わらせてしまうことこそ、批判されてしかるべきである。

 京都アニメーション放火殺人事件から2週間以上経って、ようやく犠牲者35名のうち、10名の名前を京都府警が発表した。

 なぜ、全員の名前を発表しないのか? その疑問に新潮が応えている。

 新潮によると、府警は遺族にアンケートをしていたというのである。

「質問の内容は、実名公表の可否、マスコミの取材を受けられるか否か、そして、取材を受けるとしたら誰が受けるか、といったもの」(全国紙の社会部デスク)で、了承した遺族が10人、残る25人の遺族は匿名希望だったという。

 しかもこれは府警の判断ではなく、警察庁の栗生俊一長官の意向が働いたと見られているそうである。

 何でも警察が責任を負うのはおかしい、全員の名前を公表すれば、実名公表に反対している遺族もいるから、批判の矛先は警察に向く。そうならないように「遺族の了承が得られた場合のみ公表する」という無難な判断をしたのではないかといわれているそうだ。

 だが、報道されない被害があると話すのは、少年犯罪被害当事者の会の武るり子代表だ。

「私の場合、少年犯罪で息子を失ったのでマスコミにほとんど扱われなかった。それで私と主人は顔も実名も出して声を上げたのですが、しばらく経ってようやく記事になった。その記事を見て、息子の存在が認められたような、息子が生きてきた証を得られたような気持ちになれたのです」

 事件被害者は原則すべて公表する。どうしても公表してほしくないという遺族に関してだけ考慮する。警察が公表するかしないかを決めるのを止めさせないと、恣意的にやるようになり、それはとても危険なことだと田島泰彦早稲田大学非常勤講師が指摘している。私もそう考える。

 私は波瑠(28)という女優が好きだ。中学1年で芸能界入りした彼女は、NHKの連続テレビ小説『あさが来た』でブレイクした。

 文春は、沖縄・宮古島であまり男らしくない男性と仲睦まじく過ごしていたと報じている。

 彼氏は俳優の齋藤雅弘(28)。まだこれからの俳優だそうである。波瑠にも「春が来た」らしい。

 逢沢一郎(65)という国会議員がいる。祖父も父親も衆院議員だった。松下政経塾を出て86年の衆院選で初当選した。

 以来30年。国会対策委員長、予算委員長、幹事長代理と要職を歴任してきた。だが、大臣経験がない。

 菅官房長官も、「何度も入閣をお願いしているのに、なぜか拒否されちゃうんだ」と首を傾げるほど、大臣の椅子にこだわりのない人間だという。

 ではこだわりは何かというと、文春によれば、「デリヘル遊び」だというのだ。

 6月25日、地下鉄と都電を乗り継いで、逢沢議員がたどり着いたのは大塚駅前にあるラブホテルだった。

 そこに約6時間いて、メガネをずり下げ、顔を隠しながら、逢沢議員は赤坂の議員宿舎に舞い戻ったという。

 議員のデリヘル遊びが激しいという情報を、文春が手に入れたのは約4年前だったという。

 彼を長年接客してきた東京・渋谷のデリヘル業者「L」のデリヘル嬢・A子は、こう語っている。

「彼は少なくとも7年以上前から私のような風俗嬢を欲望のまま弄ぶ日々を続けてきました。彼は女性を人間として扱うことをしません。自分勝手な性の道具としてこき使って、耽溺する日々。こんな人が国会議員をしていて良いのでしょうか」

 耽溺するなどという難しい言葉を使うデリヘル嬢は珍しいだろうな。それはさておき、件の議員さん、事をするときはオネエ言葉になるという。こんなように。

「今日はどんだけの男に抱かれてきたのぉ~。悪い子ねェ~、おしおきよぉ~」

「今日はどんなのを入れられてきたのぉ。いけない子ねぇ、いけない子ねぇ」

 これが事実だとしたら、これから国会議員を続けていくのは難しいだろうな。

 この逢沢先生のあだ名は「ちくび」というらしい。事の最中、女性は彼のちくびを強くつねっていることを強いられるからついたそうだ。

 このちくび氏、ときには延長プレイも辞さず、1回料金は17万から20万にもなり、先のA子によると、少なくとも年間1500万円以上は風俗に消えているのではないかという。

 文春の直撃に逢沢議員はどう答えるのか。

――デリヘルを呼んで金銭を渡して性行為をされたか?

「(語気を強めて)そんなことはないですよ」

――六月二十五日は、大塚のラブホテルに?

「いいえ、ございません」

 グラビアページに、何人もの女性たちの姿と、逢沢議員がラブホテルの裏口から出る写真が載っている。他人事ながら、逢沢センセイ、これからどうするのだろう。

 8月9日のスポーツ紙は、広島カープの鈴木誠也(24)と新体操リオ五輪代表でNHKのスポーツキャスター・畠山愛理(24)の「熱愛」を大きく報じている。

 フライデーのスクープである。7月28日、神宮でのヤクルト戦を終えた鈴木は、タクシーを飛ばして赤坂の和食屋へ。そこで、畠山を入れた何人かと飲み、その後、鈴木のだろう、タワーマンションへ2人で入って行った。翌日の昼前、2人して銀座にあるウエディングサロンへ行ったというから、結婚間近なのだろう。美貌のスポーツキャスターに年収1億6000万円といわれる広島カープの主砲。いい組み合わせだ。

 ところで、先日、映画『ライオン・キング』を観た。アニメの実写映画化だ。陳腐ないい方になるが、実にリアルで本物の動物や鳥たちが生き生きと動き、草原の朝の輝き、夕暮れの静けさを見事に表現している。

 ストーリーも大人が観るに十分耐えられる。これほどリアルな映画をつくるにはどれほどの人と、時間と、カネがかかっているのだろうか。

 そんなことを考えずとも、十分楽しめる映画だ。ぜひご覧になることをお勧めする。 

「ギャラ飲み」なる言葉をよく聞くようになってきた。知らない人間のパーティーなどに出て、芸を披露したり、歌ったりして、ギャラをもらうことのようだが、フライデーによると、芸人ばかりではなく政治家もするそうである。

 今年4月8日、東京・代官山の高級レストランで開かれた若手実業家の誕生会には、松井稼頭央や河合俊一、『T-BOLAN』の森友嵐士などが姿を見せる中、平沢勝栄自民党衆議院議員や秋元司衆議院議員なども顔を見せ、スピーチまでしていたという。

 だが、この若手実業家の会社には事務員もおらず、所在地はレンタルオフィスだという。しかも、仮想通貨のオーナーも自称しているようだが、通貨は暴落を続け、1100万円を投資した男性が刑事告訴するとフライデーに話している。

 有名人たちには「お車代」として30万円から5万円が帰りに渡されたというが、フライデーが聞くと、ほとんどが実業家のことを知らないで参加していたというのだ。実業家の「広告塔」にされることを本当に知らなかったのだろうか。

 スピーチまでした平沢議員は「(お車代は=筆者注)300%もらってない」と断言しているが、政治家が面識もない人間のパーティに出て、カネをもらわないなど、信じられるだろうか。

 ここからは吉本興業の騒動についての記事が続く。8月8日に吉本興業の闇営業問題に端を発した諸問題の改善に向けて助言・アドバイスを行う「経営アドバイザリー委員会」の川上和久座長(国際医療福祉大学教授)が会見を行った。

 その中で、共同確認書をすべての芸人・タレントと交わす、その上で従来のマネジメント契約に加えて「専属エージェント契約」というものを導入すると発表した。

 岡本・大崎体制に批判的だった加藤浩次は、今朝(8月9日)の『スッキリ』(日テレ系)で、エージェント契約は、欧米などのタレントがやっているもので、タレント側に主導権があり、吉本だけに縛られず他のプロダクションとも仕事ができるので、僕は、これができるなら納得するというようなことをしゃべっていた。

 だが待ってほしい。加藤のように売れている芸人ならエージェント契約はいいだろうが、そんなことができる芸人は6000人の1%ぐらいだろう。

 大多数の売れない、仕事がない芸人は闇営業まで禁じられ、どうやって生きていけというのか。松本や加藤、明石家さんまたちにいいたい。今度の騒動で明らかになったのは、岡本社長の横暴ともいえる芸人いじめやパワハラ。6000人の芸人たちのほとんどが食えないため、反社とつながりのある闇営業にも手を出しているという「惨状」である。

 ここを変えなければ吉本興業が変わったとはいえない。

 文春は、松本人志の一人勝ちだと報じている。

 加藤が、これで矛を収めてしまえば、松本や大崎、岡本たちは万々歳だろうが、それでは何もなかったことになってしまう。

 少し前にポストで、ビートたけしもこういっていた。

「本当に吉本を辞めたら加藤(浩次)は男を上げるよ。『元SMAPの3人のテレビ出演に圧力あったんじゃないか』ってことで、公正取引委員会がジャニーズ事務所を注意したなんて話が出たばっかりだし、吉本を辞めても『スッキリ』をすぐ切られるみたいなことはなさそうだしね。

 でも、結局辞めなきゃ一番カッコ悪い。『視聴率上げたかっただけじゃないの』なんて悪口言われても仕方ないよ。こういうふうにケツまくるときは、中途半端じゃ絶対ダメだ。

 加藤は昔、“狂犬”なんて呼ばれてたんだって? 本当にそうか、ポーズなのか、世間はみんな見てると思うぜ。

 加藤もそうだし、これで宮迫も亮もみんな辞めないとなりゃこんな茶番はない。『反社と付き合ってゴメンナサイ』ってのもポーズだけだったってことだ。

 この一件は処理を間違うと、吉本といえどちょっと危ないぞ。松本が社内に自分主導の新しい部署を作ればいい、なんて言ってるみたいだけど、そんなの大崎会長の下にいるマネージャーを何人か連れてきて、そいつらに任せて終わりだよ。それじゃあ何も変わらないだろうね」

 川上和久座長は吉本と極めて近いといわれているようだ。出来レースである。これでは下積みの芸人たちは浮かばれない。このままで終わっていいはずはない。

 文春は、詐欺集団の忘年会に出て、謝礼100万円をもらっていた宮迫博之の激白を掲載している。

 宮迫は、振り込め詐欺の被害に遭わないよう注意を喚起するボランティア活動をしていることが、最近話題になった。

 彼の激白の中でいくつか拾ってみよう。7月30日に藤原寛副社長ら幹部3人と会談を行い、そこではっきりこういったという。

「この席で僕は、『吉本に戻る気はないし、戻れない』と伝えましたが、結論はまだ出ていません」

 宮迫と田村亮が、吉本を通さず記者会見を強行したのは、

「決定的だったのは会見二日前に吉本の弁護士と行った最後の話し合いでした。僕はもう一度、僕だけで引退会見をやりたいと言いましたが、実は亮は、最後の最後に吉本に『残りたい』と申し出た。ところが会社の判断は『会見を開くなら二人の引退か契約解消、どちらかを選べ』というものでした。亮は僕の指示で嘘をついたのに、なぜ一緒の処分なんや」

 それを聞いた瞬間、会社に対する感情が切れてしまったという。

 その後、フライデーが、「福岡金塊強奪事件」主犯格の野口和樹被告と宮迫が写真を撮り、カネをもらっていたと報じたが、それには憤りしかない、全くの事実無根だと否定する。

 岡本社長とは腹を割って話す仲ではないという。

「若い頃、岡本さんとは番組のことでブチ切れたり、何度か衝突をしたこともありました。『さん』付けで呼ぶようになったのも、ここ数年です。

 会見で僕や亮との関係を『親子』に喩えたことにもムチャクチャ違和感がありましたね。誰が子どもやねん! 俺の方が吉本入ったの早いやろと」

 今後は明石家さんまのところから連絡があったので、松本人志にも、「さんまさんのところへ行く」と伝えてあるという。

 だが、一連の騒動で問われているのは、吉本興業が持っているブラック企業的体質である。芸人たちを粛正して、それで終わりにするというのでは、メディアも世間も許さない(はすだが)。

 そうして今週の第1位もまたまたフライデーだ!

 吉本のマネージャーだった人間が、こう岡本のことを話している。

「芸人というのはな、商売道具のオモチャやから。お前が出世するための道具として使っていったらええんや。ボロ雑巾みたいに使えばいい」

 焼肉を食べながら岡本がこういったそうだ。その上、体調が悪くて肉が食えないのを見た岡本は、頬をビンタしたという。日常的なパワハラ、残業記録の書き直し、イベントを黒字にするため芸人にはカネを払わないなど、吉本のブラックぶりが赤裸々に語られている。

 吉本は闇営業を認めていると発言しているが、それこそウソだという。

「しかし、吉本は所属芸人の直営業を見逃すような甘い会社ではありません。

 会社は私たち現場の社員に指示して、芸人さんたちが吉本主催でないイベントに勝手に出演していないかを監視させていました。(中略)

 ほかにも、社内にはテレビ番組に出演する芸人さんの発言をチェックする担当社員がいました。

 芸人さんが少しでも吉本に批判的なことを言ったら、リストアップして上長に報告するんです。とにかく芸人さんの監視体制は陰湿でしたね。

 売れている芸人さんであっても、会社の悪口を言えば評価はダウン。(吉本興業HDの)大崎洋会長や岡本社長にペコペコしない芸人さんは、なかなかギャラも上がらないのです」

 SNSも例外ではない。見つけられなければ左遷されることもあるという。

「ただ監視業務をするにあたって、気をつけなくてはならないこともあります。闇営業やSNSでの会社批判を見つけたら、呼び出して注意する前に、その芸人さんが松本人志さんに可愛がられているかどうか調べないといけないのです。

 なぜなら、(松本さんと仲が良い)彼らを呼び出して小言を言えば、すぐに告げ口されて、『問題のあるマネージャーがおる』と松本さんや社長に伝わってしまう。すると社員のほうが飛ばされてしまうこともあり得るのです」

 社内の会議室に盗聴器が仕掛けられているという噂もあるそうだ。これでは本音をいう相手もいなくなる。

「会社は『芸人ファースト』と言いながら、芸人さんたちを蔑ろにしており、私も闇営業の監視などやりたくもない仕事をさせられ、芸人さんたちを第一に考えて働くことができなかった。

 これが『日本一のお笑い企業』を標榜する会社のまったく笑えない実情なのです」

 岡本・大崎体制を終わらせなければ、吉本興業は再生しない。これだけは何が何でも成し遂げなければ、吉本の芸人たちが可哀想で、彼らの芸に笑えはしない。(文中敬称略)

【告知】

8月の「ノンフィクションの醍醐味」のゲストはノンフィクション作家の鎌田慧さんです。

日時 8月23日、金曜日 午後7時から9時まで

カフェ・ミヤマ 高田馬場駅前店2号室

東京都新宿区高田馬場2-17-4 菊月ビル地下1階(電話は03-5292-5772)

(地下鉄高田馬場駅から濡れずに行けます)

レギュラーメンバー以外の参加者はコーヒー・会場代1000円を会議終了後に集めさせていただきます。(元木昌彦)

(鎌田さんの略歴)

昭和13年6月12日生まれ。業界紙記者などをへてフリーとなる。みずから現場を体験し労働者の立場から社会問題全般のルポをかく。昭和48年「自動車絶望工場」を発表、平成2年「反骨―鈴木東民の生涯」で新田次郎文学賞、3年「六ケ所村の記録」で毎日出版文化賞。ほかに「いじめ自殺」など。青森県出身。早大卒。

 

ODや病気、交通事故に射殺……悲劇の死を遂げた人気ラッパーを振り返る!

 

 3月31日、カリフォルニア州クレンシャーでラッパーのニップジー・ハスル(享年33)が銃殺された。彼は、アフリカ系アメリカ人の2大ストリートギャングのひとつ「クリップス」を母体とした「ローリン60sネイバーフッド・クリップス」の一員だったが、抗争や暴力、犯罪は推奨せず、平和を愛し、地元の子どもたちのためによりよい未来を築こうと呼びかけてきた男だった。

 ニップジーと同じくカリフォルニア州を拠点に“西海岸”の看板を背負い活動していたラッパーの2パック(享年25)も1996年9月13日、移動中の車内で銃殺されているが、2パックはもともとニューヨーク出身。「西海岸で生まれ育ち、成功してからは地元に恩返ししてくれていたラッパー」が、事もあろうに地元で射殺されたのはニップジーが初めてとなる。そのため西海岸のギャングたちはもちろんのこと、住民たちは彼の死を深く嘆き悲しんでいる。

 2パックとビーフ関係にあったノトーリアス・B.I.G.も、移動中に銃殺された。2人ともまだ20代半ばだったこと、犯人が逃走し今も捕まっていないことから、ラップ界最大の事件だといわれている。

 活躍が期待されていたのに命を落としてしまったラッパーは、ニップジーや2パック、B.I.G.のほかにも、実はたくさんいる。今回は、そんな悲劇の死を遂げたラッパーたちを紹介したい。

オール・ダーティー・バスタード(ODB)

 1968年11月15日、ニューヨークのブルックリンにラッセル・タイロン・ジョーンズとして誕生。すさんだ地区の貧しい家庭に生まれた彼は、いとこのRZAことロバート・ディグス、GZAことゲイリー・グライスと仲が良く、共にラップを聴いたり、カンフー映画を見たりしながら育った。自然な流れで3人は独自のラップスタイルを確立。インペリアル・マスター、オール・トゥギャザーというグループ名で活動を行い、92年、複数人に声をかけ、香港映画『少林寺武者房』(84)にインスパイアされた「ウータン・クラン」というラップグループを結成。デビューアルバムはヒットし、おしゃべり好きでお調子者のODBは、グループの顔となり、多くの人に愛されるようになった。

 「Brooklyn Zoo」「Simmy Shimmy Ya」などのソロ曲もヒットし、95年にはマライア・キャリーの「Fantasy」リミックス盤に客演する。キャリアの成功を収め、金銭的にも余裕が出てきたが、ODBの私生活は荒れていく。6人の女性との間にもうけた13人の子どものうち3人への養育費未払い、配偶者への暴力、DUI(アルコールや薬物の影響下の運転)、コカイン所持、500ドル(約5万5,000円)持っていたにもかかわらず50ドル(約5,500円)のスニーカーを万引した罪などで逮捕。グラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞したショーン・コルヴィンの受賞スピーチを妨害する騒ぎも起こした。

 収入が上がるにつれ、飲酒、ドラッグ乱用も増え、99年夏にはリハビリ施設に入所することに。同年9月にソロでのセカンドアルバムを発売するが、数週間後にはクラック(コカインの塊)所持などで逮捕。リハビリ施設入所の判決を受けたが、00年10月に施設から逃亡。11月に逮捕、禁錮2年の判決を受け、刑務所内で骨折するほどのリンチを受けた。あまりにもやりたい放題のODBに愛想を尽かしたウータン・クランのメンバーは、誰一人として面会に行かなかったという。

 03年に保釈され、実家に戻ったODBは、ロッカフェラ・レコードと契約を結ぶ。再起するかと思いきや、04年11月13日にレコーディング・スタジオで突然倒れ、病院に救急搬送されたが帰らぬ人となった。死因は複合薬物の過剰摂取。36歳の誕生日まであと2日だった。

 1971年11月10日、ニューヨークのブロンクスにクリストファー・リー・リオスとして誕生。プエルトリコ系の両親は薬物依存症で、父親はビッグの幼少期に死亡。嫌気が差した彼は15歳で家出し、ホームレス生活を送るようになった。そんな過酷な状況の中で高校時代の彼女と結婚。子どもが次々と生まれるが、生活は厳しく、過食でストレスを発散させるようになり、18歳から21歳までの3年間で81kgから181kgまでに体重が激増した。

 趣味でラップやブレイクダンスをしていた彼は、19歳の時に、子ども時代に公園でケガをした事故の和解金をニューヨーク州から受け取り、その金をもとにラッパーとして本格的に活動を開始。アメリカン・コミックのヒーロー、パニッシャーにちなみ、「ビッグ・パニッシャー」というステージネームにし、ビッグ・パンという愛称で呼ばれるように。「フル・エクリップス」というグループも結成し、巨体だけでなく人柄の良さ、そして息継ぎをせず長時間ラップできる独特のテクニックで注目されるようになった。

 95年に同じくブロンクス出身で、ラティーノ・ラッパーとして活躍していたファット・ジョーに気に入られ、ジョー率いるヒップホップ集団「テラー・スクワッド」の一員となる。ラウド・レコードと契約を結び、97年には「I’m not a player」がヒット。翌年発売したアルバム『Capital Punishment』はソロ・ラティーノ・アーティスト初のプラチナムレコードとなり、R&Bチャート第一位を獲得。グラミー賞にもノミネートされた。

 ラティーノ界のヒーローとなったパンだが、疲労から心臓発作を起こし、医師から2週間休養するよう命じられる。ジェニファー・ロペスら大物アーティストとコラボするなど成功を収めた彼だが、過食を止められず、周囲を心配させた。さすがに本人も危機感を抱いたようで、99年にデューク大学の減量プログラムを受け、36kgの減量に成功。しかし、すぐにリバウンドしてしまい、ジェニファー、ファットと共にパフォーマンスする予定だった00年2月5日の『サタデー・ナイト・ライブ』出演を体調不良でドタキャン。その2日後、家族と共に滞在していたニューヨークのクラウン・プラザ・ホテルで呼吸困難に陥り、心肺停止に。すぐに救急隊員が駆けつけ蘇生を試みたが、息を吹き返すことはなかった。まだ28歳だった。

 司法解剖の結果、パンの死亡時の体重は316kgだったと伝えられている。

ネイト・ドッグ

 1969年8月19日、ミシシッピ州にナサニエル・ドウェイン・ヘイルとして誕生。父親は牧師、母親は教会の合唱団のまとめ役で、ゴスペルミュージックにどっぷりと浸かりながら育った。14歳で両親が離婚。カリフォルニア州ロングビーチに移住し、高校で同級生のスヌープ・ドッグとラップや歌でバトルする日々を送るようになった。

 17歳で高校を中退、海兵隊入りし、沖縄の米軍基地などに配属されたが3年で除隊。ロングビーチに戻り、地元のクラブで活動していたスヌープとウォーレン・Gに誘われ、ヒップホップグループ「213」を結成。スヌープが抜けたのちも、ネイトはウォレンと活動を続け、94年に客演したウォレンの「Regulate」で披露したゴスペル仕込みの甘い歌声が大ウケけし、“Gファンクの先駆け的存在”と呼ばれるようになった。

 94年に窃盗罪で逮捕され、服役した経験を歌ったソロアルバムを98年にリリース。好評だったが、大ヒットとまではいかず、ネイトはソロで活動するより客演アーティストとして活動した方が金もうけができると確信する。そして、エミネム、50セント、リュダクリスら世界的な有名ラッパーを含む数え切れないほど大勢のラッパーとコラボし、ヒット曲を飛ばすようになった。

 女性ファンが多かったネイトは、複数の女性との間に9人の子どもをもうけるなど、プレイボーイとしても知られた。金も名声も得たが、アルコール依存に陥り、泥酔して元交際相手の家に不法侵入したり、その女性の現彼に暴力を振るうなど警察沙汰も起こし、友人たちは「酔っ払うと手がつけられなくなる」と心配した。

 07年、飲酒運転で車が横転するという大きな交通事故を起こして頭を打ち、複数針縫うケガを負う。意識ははっきりしていたネイトは、医師の猛反対を振り切りすぐに退院し、予定していたラスベガスのライブに出演。その数カ月後、脳卒中を起こし倒れた。

 利き手のある左側に麻痺が残ったネイトだが、懸命にリハビリをして奇跡的に復帰を遂げる。改心し、ゴスペル合唱団を結成して活動するようになったが、酒を断つことはできず、08年に2度目の脳卒中を発症。2度目の脳卒中は重く、体が動かなくなり、発語もできず、寝たきりの状態になった。体は動かないが、頭はしっかりしていたため、アルファベット・ボードを使い、目の動きで意思を伝えていたという。家族やスヌープやウォレンは頻繁に彼を見舞い、回復を願った。しかし、11年3月15日、合併症を起こし亡くなった。41歳だった。

 1992年1月19日ペンシルベニア州ピッツバーグに、建築家の父、フォトグラファーの母のもと、マルコム・マコーミックとして誕生した。幼少時代から音楽が好きで、シンガーソングライターになることを夢見るようになった彼は、ギターやピアノ、ドラムなどの楽器を嗜んだ後、14歳でフリースタイルを始める。この頃に出会った初恋の彼女とは、中・高校、卒業後と長期にわたり交際するようになり、12年にリリースしたミックステープ「Macadelic」は、彼女との関係をリリックにしたものだと述べている。

 高校進学後は、学業そっちのけでラップに夢中になり、15歳で初めてのミックステープを発売。高校卒業後にリリースしたミックステープがレコード会社の目に留まり、「ロストラム・レコード」と契約。その後、リリースしたシングル、アルバムが次々と注目され、ツアーも行うスターラッパーとなった。そして、15年には大手の「ワーナー・ブラザース・レコード」と1,000万ドル(約10億9,000万円)の契約を結んだ。

 13年にアリアナ・グランデの「The Way」に客演したことがきっかけで、16年ぐらいから交際がスタート。彼女のコンサート直後に自爆テロ事件が起きた時には、アリアナの精神的な支えとなった。いくつかの曲でコラボし、ゴールイン間近とみられたが、18年5月に破局。アリアナはその数週間後にコメディアンのピート・デヴィッドソンと交際を始め、すぐに婚約。傷心のせいか、マックはその直後に愛車を電柱に激突させ、飲酒運転で逮捕された。

 マックは、高校時代に大麻のディーラーもしていたそうで、11年には大麻所持で逮捕されている。その後、ハードコアドラッグにも手を出すようになり、のちにアリアナは、薬物摂取と飲酒が破局の要因だと明かしている。

 飲酒事件後は、アリアナの婚約を祝福したり、5枚目のアルバムを発売したりと前向きな姿勢を見せていたマック。しかし、18年9月7日、カリフォルニア州スタジオシティの自宅で亡くなっているのが発見された。まだ26歳だった。死因はフェンタニルとコカイン、アルコールの過剰摂取だと報じられている。

XXXテンタシオン

 1998年1月23日フロリダ州プランテーションに、ジャセー・ドウェイン・リカルド・オンフロイとして誕生。母親が女手ひとつで育てようとしたもののうまくいかず、ほぼ祖母に育ててもらった。複雑な家庭環境の中で育った彼は、6歳の時に母親と言い争っている男を刺そうとしたり、けんかっ早いために中学校を退学させられたりとすさんだ少年期を送った。

 10代に入って、ニュー・メタル、ハードロック、ラップに興味を持つようになり、叔母や母の勧めで合唱団に入るものの、クラスメイトも殴り退団。進学した高校は1年で中退。拳銃強盗、押し込も強盗、鎮痛剤で麻薬でもあるオキシコドンの不法所持で逮捕されるなど筋金入りのワルだった。この頃すでに発砲されるなど敵も多かったが、音楽に情熱を注ぐようになり、14年3月にファーストソングを発表。しかし、直後、銃の不法所持で逮捕され、9カ月の間、少年院に入れられる。

 少年院でラッパーのスキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドに出会い、出所後はさまざまななプロジェクトでコラボして、楽曲を音声ファイル共有サービス「SoundCloud」で発表。斬新なサウンドで注目を集め、SoundCloud Rapという新しいジャンルの開拓者として認知されるように。

 しかし、ここからしばらく音楽活動は中断される。16年8月、前年に起こした暴行・窃盗罪で逮捕され、刑務所へ。保釈金を払って出てきたものの、10月にはかねてより暴力で支配していた交際相手に暴行を加えたとして逮捕され、再び投獄された。

 出所後は、マイアミで開催したサプライズショーに集結したファンが暴動を起こし警察が駆けつける騒ぎとなったり、「自己防衛」としてファンを殴ったりと騒動が続いたが、そのたびにテンタシオンの知名度と人気は上がっていった。17年8月発売のファーストアルバム『17』は、ビルボードアルバムチャート2位を獲得。大手レコード会社「キャピトル・レコード」から600万ドル(約6億5,000万円)の契約オファーを受けた。

 金回りが良くなったテンタシオンは、高級車であるBMW i8を購入。自信過剰気味になり、スキー・マスク・ザ・スランプ・ゴッドと仲たがいし、ラッパーのロブ・ストーンとビーフ関係になり、誤解からヒップホップトリオ「ミーゴス」にケンカを売るなど、SNSで暴れまくった。

 このままだと破滅に向かうと思ったのか、SNSの投稿を全部削除して仕切り直したり、イメチェンをしたり、「みんなにポジティブな影響を与えたい」と改心を誓うように。チャリティ活動も行い、18年2月には、フロリダの高校銃乱射事件の被害者に捧げる曲「hope」をリリースした。

 とはいえ、そう簡単にネガティブなイメージを払拭できず、18年5月には音楽ストリーミングサービス「Spotify」がプレイリストから彼の楽曲を外した。しかし、テンタシオンはポジティブ思考を持ち続け、6月14日、インスタグラムに「フロリダでチャリティイベントを計画してるぜ!」と投稿。その4日後の18日、フロリダのバイクショップを出たところで、2人組に銃撃され、殺害された。強盗目的の殺人で、事件直後、BMW i8の車内でぴくりともしない彼の姿がインターネットで拡散された。まだ20歳だった。

 1971年5月27日、ペンシルベニア州フィラデルフィアにリサ・ニコール・ロペスとして誕生。父親は米軍曹で、サクソホーン、ピアノ、ハーモニカ、クラリネットなど楽器演奏が得意で、音楽にどっぷりと浸かりながら育った。5歳の時に子ども用のピアノで初めて作曲したという。10歳になると、妹、弟とともにバンド「ロペス・キッズ」を結成して教会でゴスペルを披露し、音楽スキルを磨いていった。音楽の素晴らしさを子どもたちに教えた父親だが、アルコール依存症で家庭内暴力もひどく、母親とくっついたり離れたりを繰り返し、レフト・アイは落ち着かない環境で成長した。

 19歳の時、当時交際していた恋人から「アトランタでガールズグループのオーディションがあるから、受けてみたら」と勧められ、同地に移住。見事合格し、トリオグループ「セカンド・ネイチャー」の一員となった。グループ名はすぐに、メンバーの愛称、T-ボズ、レフト・アイ、チリの頭文字をとって「TLC」に変更され、92年発売のデビューシングル「Ain’t 2 Proud 2 Beg」、セカンドシングル「Baby-Baby-Baby」が大ヒット。元恋人から「左目がかわいい」と褒められたことから、「レフト・アイ」という愛称がつけられた彼女は、メガネの片方のレンズにコンドームをつけてセーフ・セックスを呼びかけるなど、「前衛的なスタイル」で若い層から人気を集めた。94年にリリースしたセカンドアルバムは全世界で1,100万枚売れ、世界一のガールズグループとして君臨。グラミー賞も獲得した。

 名声を得たレフト・アイだが、父親同様、アルコール依存症に陥る。そして父のようなDV気質の男性に惹かれるようになり、嫉妬深く暴力的な性格だとされるNFL選手アンドレ・リソンと交際。ケンカを繰り返すようになり、94年に殴られた腹いせに彼のスニーカーを燃やしたところ、火の手が回り、アンドレ豪邸はほぼ全焼。刑務所入りは逃れたが、5年間の保護観察を命じられてしまった。

 スキャンダルは翌年も起きる。レーベルとの契約上、TLCの手元にはほとんど収入が残らないというカラクリになっており、借金で首が回らなくなり、95年にメンバー3人そろって破産法適用を申請するハメになったのだ。

 TLCは休止状態となり、レフト・アイはリル・キムとのコラボ曲「Not Tonight」(97)をリリースするなど、ソロ活動を行う。しかし、爆発的なブレイクとはならず、99年に発売したアルバム『No Scrubs』で、T-ボズ、チリと共に完全復活を遂げた。しかし、レフト・アイは2人と意見が合わなくなり、単独で行動するように。人気歌手とコラボしたり、授賞式の司会者を務めたり、国民的クイズ番組に出演したりと、積極的に活動。ソロアルバム『Supernova』を制作するが、レーベルの判断でアメリカではリリースされないことに。激怒した彼女は「N.I.N.A.」名義で、悪名高いデス・ロウとソロ契約した。

 02年4月25日、心身の休暇のために訪れた中米ホンジュラスで車を運転中、木に衝突。頭部を激しく損傷し、死亡した。

 07年、30歳の若さで亡くなった彼女の最期の27日間を追うドキュメンタリーが放送され、亡くなる直前に受けたセラピーで、「(悪い)スピリチュアルに追いかけられている」とおびえる姿が映された上、ホンジュラスで男の子を轢き殺したことが明かされ、大きな反響を呼んだ。

イージー・E

 1963年9月7日、カリフォルニア州コンプトンにエリック・リン・ライトとして誕生。全米屈指の犯罪地区だったが、父親は郵便局員、母親は小学校の理事を務めていたため、家庭は比較的まともだった。しかし周りの環境が悪かったため、12歳で女性を覚え、13歳の頃からストリートで悪い遊びを覚えるようになり、イージー・Eという愛称で呼ばれるように。自然な流れでストリートギャング「ケリー・パーク・コンプトン・クリップス」の一員となり、大麻を売りさばいていたいとこを見習って、麻薬売人へと成長していった。

 ガレージで大好きな音楽をレコーディングするようになったイージーは、高校1年生で学校を中退。麻薬売人として荒稼ぎし、22歳になる頃には貯金が25万ドル(約2,700万円)もあったという。しかし、薬物売人への道に引きずり込んだいとこが射殺されたことで、足を洗おうと決意。稼いだ大金をもとに、音楽業界に精通しているジェリー・ヘラーという白人とタッグを組み、ルースレス・レコードを設立。86年、ラッパーとして一旗揚げようとしていたドクター・ドレー、アイス・キューブと共にヒップホップグループ「N.W.A.」を結成。翌年、DJ・イェラ、MC・レンを迎え入れ、88年に発売したデビュー・スタジオアルバム『Straight Outta Compton』が爆発的にヒットし、西海岸の象徴とされる“ギャングスタ・ラップ”を確立した。

 人気・活動共に順風満帆に思えたが、契約においてイージーのギャラの取り分が多いことに不満を抱いたアイス・キューブとドクター・ドレーが、相次いでグループを脱退。以来、3人は互いをディスる曲を制作し、至る所でののりし合うなど、ビーフを展開するように。

 ネガティブなイメージを嫌うイージーは、ビーフ騒動の傍ら、ラジオ番組の司会をしたり、国民的コメディ番組『イン・リビング・カラー』に出演したりと、新しい分野での活動を行うようになる。しかし、95年、突然呼吸困難に陥って入院。ぜんそくだろうと軽い気持ちで検査を受けたところ、エイズの発症が判明し、同年3月17日にHIV陽性だと告白して全米に衝撃を与えた。

 診断を受けた1カ月後の26日に、エイズによる合併症で死去。金の棺桶に、トレードマークだった、ジーンズにフランネル・シャツ、コンプトンのロゴ入りキャップをかぶった姿で納められ、埋葬された。まだ31歳だった。

 6人の女性と7人の子どもをもうけたイージーは、エイズ末期に2人目を妊娠中だった交際相手と結婚。妻も子どもたちもHIVには感染していなかった。イージーがどのようにしてHIVに感染したかは、今なお判明していない。

加藤ミリヤが結婚&出産――いま振り返る“泣き歌”アーティストに見る平成の恋愛観

 2019年4月、公式サイトを通じて一般男性との結婚と妊娠をダブルで発表した加藤ミリヤ。去る6月上旬には第一子となる男児の出産を発表し、まさしく幸せの真っ只中のアーティストと言っていいだろう。一方で、ファン界隈やネットニュースでは「もう以前のように不幸な曲を歌わないんじゃ?」と、ミリヤの方向性の変化を心配する意見も散見された。幸せな状況にあっても“不幸”が付いて回る——それがミリヤ最大の特徴であり、揺るがぬ持ち味でもある。

 着うた全盛期であった2000年代後期、俗に“泣き歌”と呼ばれる失恋ソングを主体とするアーティストが続々と登場したのは記憶に新しい。ミリヤはその中心的存在として猛威を振るい、一時は“病みソングの女王”の肩書を欲しいままにもしていたほどだ。04年にデビューし、翌年にリリースしたシングル「ディア ロンリーガール」ではささくれ立った10代女子の孤独を赤裸々にぶちまけ、瞬く間に同年代のカリスマに。その痛々しいほどストレートな心情描写はやがて、恋愛においての抑制できない不安や苛立ち、寂しさまで鮮明に浮き立たせるようになり、「SAYONARAベイベー」(08年)や「WHY」(09年)といった激情派な名曲も数多く生み出した。

 ひたすら相手に執着し、ヒステリックなまでにヒートアップするも、根底にはいつも大きな愛が渦巻く。誤解を承知で言えば、“重めなオンナ”なのだが、世の女子たちはそんな病める楽曲に共感し、自らを思い思いに投影した。ミリヤに慰めてもらいたくて、気持ちを受け止めてほしくて、ケータイで楽曲に浸る女子が当時どれだけいたことか。ちなみに、感動的なバラードに仕上がっている最新シングルの「愛が降る」でも、〈愛は愛は愛は あなただけに捧げる〉という強烈な一節を落とし込むなど、デビュー15年目の今なおミリヤの愛・至上体質は衰えを見せていない。

着うたと共にブームとなった「泣き歌」

 さて。平成の時代、ミリヤのほかにはどんなアーティストが女子の感傷に寄り添ったのか、せっかくなので振り返ってみたい。まず挙げたいのが、バラエティ番組でも活躍中の青山テルマ。遠距離恋愛中の男女の強い絆を綴った「そばにいるね feat. Soulja」(08年)が、着うたフル史上初のダウンロード数200万件を突破。その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場を果たすなど、文字通りの大ヒットを記録した。その影響力たるや絶大で、以降はやるせない恋愛模様を歌い上げた楽曲や、シンガーとラッパーによるコラボレーションが急増。切ない時代の本格的な幕開けである。

 ミリヤと同じく今年結婚を発表した西野カナも、泣き歌ブームの一翼を担った歌い手のひとり。「会いたくて 会いたくて 震える」という揶揄されながらも、しっかりと西野の代名詞となり、名フレーズともなった「会いたくて 会いたくて」(10年)を筆頭に、耳なじみの良いメロディとやりきれないシチュエーションの合わせ技が大の得意。しかしながら、西野カナの本当にすごいところは、「私たち」のような“ズッ友”モノ、さらには「GO FOR IT!!」(共に12年)に代表される恋の応援物語など、全方位から同世代のニーズに応えられる器量の大きさにある。「トリセツ」(15年)あたりからは結婚や仕事といった社会人特有のテーマも頭をもたげ始め、実年齢に沿ったレディらしい嗜みを自然体で届けるように。

 09年にソロデビューしたYU-Aは、ミリヤの楽曲が纏う病的な雰囲気の正当後継者として期待を持たれていた女性アーティスト。なにせデビューシングルの「逢いたい・・・」(09年)からして、とてつもなくナーバスな失恋ソング。この徹底した辛気臭さは、一周回って高い中毒性を誇る。また、「そばにいて、すぐ消えて。」(10年)に至っては、この手のアーティストがこぞって追求した“矛盾する気持ち”を極限まで高めた上で暴発させた超名(迷?)曲。それはまるで、ケータイでの軽薄なコミュニケーションに疲れ、途方に暮れた女子たちの怨念が取り憑いているかのよう。

 容赦なく噛み付くという点では、JASMINEという猛者の存在も忘れてはならない。「クソくらえ」「ちくしょう」など、“女子力”というかわいらしさからかけ離れた、ぶっきらぼうな言い回しを用いながらやり場のない喪失感を嘆いた「sad to say」(09年)で一躍注目の的に。泣き叫ぶような歌唱によって発せられる切れ味鋭いメッセージは、まさしくティーン時代のミリヤのそれそのもの。無論、着うた世代の大好物として受け入れられ、多くの女子の枕を濡らしたのだった。

 平成から令和、ガラケーからスマホ。この10年だけでもさまざまな事象が移り変わり、かつて若者に親しまれた泣き歌系アーティストたちも今や、アラサーと呼ばれる年齢になった。ミリヤをはじめ、それぞれがそれぞれの道で幸せを手にしているだろうが、また近い将来、カムバックした彼女たちはどんな歌を聴かせてくれるのか。人生の深みを増した泣きソングで我々リスナーの心をとことんかき乱してほしいものだ。

加藤ミリヤ(かとう・みりや)
1988年、愛知県生まれ。2004年に「Never let go/夜空」でデビュー。BUDDHA BRANDやUAなどの名作をサンプリングした楽曲で注目を集める。自身のアパレルブランド「KAWI JAMELE」のデザイナー、小説家としても活躍。

「愛が降る」(通常盤)1300円 :発売中
「ほんとの僕を知って」(初回限定盤)1700円:9月4日発売

加藤ミリヤが結婚&出産――いま振り返る“泣き歌”アーティストに見る平成の恋愛観

 2019年4月、公式サイトを通じて一般男性との結婚と妊娠をダブルで発表した加藤ミリヤ。去る6月上旬には第一子となる男児の出産を発表し、まさしく幸せの真っ只中のアーティストと言っていいだろう。一方で、ファン界隈やネットニュースでは「もう以前のように不幸な曲を歌わないんじゃ?」と、ミリヤの方向性の変化を心配する意見も散見された。幸せな状況にあっても“不幸”が付いて回る——それがミリヤ最大の特徴であり、揺るがぬ持ち味でもある。

 着うた全盛期であった2000年代後期、俗に“泣き歌”と呼ばれる失恋ソングを主体とするアーティストが続々と登場したのは記憶に新しい。ミリヤはその中心的存在として猛威を振るい、一時は“病みソングの女王”の肩書を欲しいままにもしていたほどだ。04年にデビューし、翌年にリリースしたシングル「ディア ロンリーガール」ではささくれ立った10代女子の孤独を赤裸々にぶちまけ、瞬く間に同年代のカリスマに。その痛々しいほどストレートな心情描写はやがて、恋愛においての抑制できない不安や苛立ち、寂しさまで鮮明に浮き立たせるようになり、「SAYONARAベイベー」(08年)や「WHY」(09年)といった激情派な名曲も数多く生み出した。

 ひたすら相手に執着し、ヒステリックなまでにヒートアップするも、根底にはいつも大きな愛が渦巻く。誤解を承知で言えば、“重めなオンナ”なのだが、世の女子たちはそんな病める楽曲に共感し、自らを思い思いに投影した。ミリヤに慰めてもらいたくて、気持ちを受け止めてほしくて、ケータイで楽曲に浸る女子が当時どれだけいたことか。ちなみに、感動的なバラードに仕上がっている最新シングルの「愛が降る」でも、〈愛は愛は愛は あなただけに捧げる〉という強烈な一節を落とし込むなど、デビュー15年目の今なおミリヤの愛・至上体質は衰えを見せていない。

着うたと共にブームとなった「泣き歌」

 さて。平成の時代、ミリヤのほかにはどんなアーティストが女子の感傷に寄り添ったのか、せっかくなので振り返ってみたい。まず挙げたいのが、バラエティ番組でも活躍中の青山テルマ。遠距離恋愛中の男女の強い絆を綴った「そばにいるね feat. Soulja」(08年)が、着うたフル史上初のダウンロード数200万件を突破。その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場を果たすなど、文字通りの大ヒットを記録した。その影響力たるや絶大で、以降はやるせない恋愛模様を歌い上げた楽曲や、シンガーとラッパーによるコラボレーションが急増。切ない時代の本格的な幕開けである。

 ミリヤと同じく今年結婚を発表した西野カナも、泣き歌ブームの一翼を担った歌い手のひとり。「会いたくて 会いたくて 震える」という揶揄されながらも、しっかりと西野の代名詞となり、名フレーズともなった「会いたくて 会いたくて」(10年)を筆頭に、耳なじみの良いメロディとやりきれないシチュエーションの合わせ技が大の得意。しかしながら、西野カナの本当にすごいところは、「私たち」のような“ズッ友”モノ、さらには「GO FOR IT!!」(共に12年)に代表される恋の応援物語など、全方位から同世代のニーズに応えられる器量の大きさにある。「トリセツ」(15年)あたりからは結婚や仕事といった社会人特有のテーマも頭をもたげ始め、実年齢に沿ったレディらしい嗜みを自然体で届けるように。

 09年にソロデビューしたYU-Aは、ミリヤの楽曲が纏う病的な雰囲気の正当後継者として期待を持たれていた女性アーティスト。なにせデビューシングルの「逢いたい・・・」(09年)からして、とてつもなくナーバスな失恋ソング。この徹底した辛気臭さは、一周回って高い中毒性を誇る。また、「そばにいて、すぐ消えて。」(10年)に至っては、この手のアーティストがこぞって追求した“矛盾する気持ち”を極限まで高めた上で暴発させた超名(迷?)曲。それはまるで、ケータイでの軽薄なコミュニケーションに疲れ、途方に暮れた女子たちの怨念が取り憑いているかのよう。

 容赦なく噛み付くという点では、JASMINEという猛者の存在も忘れてはならない。「クソくらえ」「ちくしょう」など、“女子力”というかわいらしさからかけ離れた、ぶっきらぼうな言い回しを用いながらやり場のない喪失感を嘆いた「sad to say」(09年)で一躍注目の的に。泣き叫ぶような歌唱によって発せられる切れ味鋭いメッセージは、まさしくティーン時代のミリヤのそれそのもの。無論、着うた世代の大好物として受け入れられ、多くの女子の枕を濡らしたのだった。

 平成から令和、ガラケーからスマホ。この10年だけでもさまざまな事象が移り変わり、かつて若者に親しまれた泣き歌系アーティストたちも今や、アラサーと呼ばれる年齢になった。ミリヤをはじめ、それぞれがそれぞれの道で幸せを手にしているだろうが、また近い将来、カムバックした彼女たちはどんな歌を聴かせてくれるのか。人生の深みを増した泣きソングで我々リスナーの心をとことんかき乱してほしいものだ。

加藤ミリヤ(かとう・みりや)
1988年、愛知県生まれ。2004年に「Never let go/夜空」でデビュー。BUDDHA BRANDやUAなどの名作をサンプリングした楽曲で注目を集める。自身のアパレルブランド「KAWI JAMELE」のデザイナー、小説家としても活躍。

「愛が降る」(通常盤)1300円 :発売中
「ほんとの僕を知って」(初回限定盤)1700円:9月4日発売

「ブスVS美人」は“男”がつくった構図――山崎ナオコーラ氏が語る、美醜問題の元凶とは?

 ウェブマガジン「よみもの.com」で連載されていた山崎ナオコーラ氏のエッセイ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)が、7月10日に単行本として出版された。本書は「世間は、ブスに消えて欲しがっていない。むしろ、ブスの存在を望んでいる。ブスには、『自信がありません』という顔で、隅っこでにこにこしながら立っていて欲しいのだ」など、「ブス」をテーマに社会に生じた、“歪み”について考える一冊となっている。著者の山崎氏は「ブス」という言葉について「単体では差別語ではない」と書いているが、なぜ世間は「ブス」を差別し侮辱するのだろうか。なぜ容姿に序列を付けたがるのだろうか。その心理について、山崎氏に聞いた。

――なぜ「ブス」をテーマに本書を執筆されたのでしょうか。

山崎ナオコーラ氏(以下、山崎) 私は2004年に作家としてデビューしたんですが、その時に新聞のネット版に掲載された顔写真がインターネット上のあちこちに転載されて、「ブスは作家になるな」といった誹謗中傷の言葉や、かなり激しい性的な侮辱を書かれたんです。他人にとっては小さな話かもしれないですが、私にとっては大きな出来事だったので、以来15年間、「ブスってなんだろう」と考えてきました。時々、エッセイなどに「ブス」というワードをちらりと出し、容姿に触れるようなことを書いたところ、結構な反応が返ってきて、「ブスについて悩んでいる、または考えている人が、世の中にたくさんいるんじゃないか。いつかド直球の『ブス』に関する本を書きたい」と思うようになり、今回やっと念願がかなった形です。

――ウェブマガジンでの連載時、読者からの反響はいかがでしたか。

山崎 私のエッセイにしては反響が大きくて、やはり「ブス」について多くの人が興味を持っているように感じました。10年前だと「ブス」という単語を出すだけで「ブスなんて言っちゃだめ」という反応があったり、また「私はブスと言われるのだが……」と書くと「頑張ってください」「自分をブスと認めて偉い」といった応援的な反応も多かったような印象です。でも今は、「ブス」という単語に驚く人がいない。それは、お笑い芸人の方が、テレビ番組などで「ブス」という言葉をよく使うようになったからなのかもしれないし、LBGTQなどの言葉が浸透して性の多様性について考える人が増え、容姿に関しても人それぞれだと捉える人が多くなったからかもしれない。そんなふうに思っています。

――本書には、お笑い番組などが、ブス“キャラ”芸人を使って、「美人女優さんやモデルさんに向かってケンカをふっかけさせる」演出をすることについても触れられています。ブス“キャラ”芸人とブスの関係性についてどう思われますか。

山崎 ブスキャラ芸人さんと美人によるケンカのシーンというのは、つまり、男性がつくった美醜の序列において下位にいる女性が上位の女性をバッシングしたり、うらやましがったりする……そうすると男性が“一段高い”ところに行くことができ、「ただ見てる側」の人になれる、という構図を作っているんだと思うんです。それは、男性にとっては生きやすい社会に違いありません。男性からのそういう需要に応えるために女性同士のケンカのシーンが演じられるんでしょうね。でも、ブスに美人の悪口を言わせるという番組の作り方は古いと思います。序列に関しての文句を言うべき相手は美人ではなく、ヒエラルキーを作り、「下にいる人(ブス)は、上にいる敵(美人)を攻撃しろ」とあおってくる人たち。現実の女性同士の関係においては、「ブスVS美人」はまず起こりませんし、そもそもお互いをバッシングする理由がないので、普通に友達になることが多いです。

――バラエティ番組では、ブスキャラ芸人がイケメンタレントに媚びるシーンもよく見かけます。

山崎 ブスキャラ芸人さんが、自虐ネタを言わされたり、イケメンタレントに媚びることを強いられたりするシーンは、「ブスのキャバクラ」といったものに私には見えます。テレビ番組では、「私は美醜の序列で下位にいるけれど、頑張ります。男性が微笑んでくれるだけでうれしいです」という謙虚な態度でいることをブスに強いることがよくありますよね。男性のタレントさんがブスキャラ芸人さんに対して「ブスを恋愛対象にしない」という姿勢を見せて笑いを取ろうとすることもありますが、「ブス」だってたとえイケメンだろうが好きでもない男性から恋愛対象に見てもらったところでうれしくもなんともないないですし、恋愛に興味がない人もいます。本当は、ブスキャラ芸人さんの世界はもっと広いと思うんですけどね……。ブス同士で笑えるブスネタや、容姿差別のある社会をブス側から批評する笑いを作ることもできると思うのですが、テレビ番組やお笑いの世界は「古い男性」が多くて、なかなかブス発信での制作が難しいのかもしれません。でも、新しい価値観の萌芽は感じられます。私は渡辺直美さんが大好きで、写真集も購入し、インスタグラムもフォローしているんですが、自分で考えた新しいセンスを発信していて、昔のブスキャラ芸人さんとは一線を画する仕事をしていますよね。直美さんを見ていると、「時代は変わってきているなぁ」と感じます。あと、オアシズの光浦さんとか、我が道を行く人や、本音を言う人も、少しずつ増えてきていますよね。

――本書では、女性アイドルグループの総選挙にも異議を投げかけています。男性アイドルのファンは、「誰が一番か」という順位付けよりも、「誰と誰が仲良しか」「この子とこの子の仲良し度合いを見たい」といった組み合わせを楽しむものだけれども、一方で女性アイドルのファンはアイドル同士を競い合わせて人気順位を作り、「アイドルの人間力や容姿を評価する立場」から見下ろしたいのではないか、と。

山崎 女性のアイドルだって実際は順位を競うより、みんなと仲良く仕事したいと思っている子の方が多いのではないでしょうか。なのに、運営側やファンは順位付けをして盛り上がる。これも、まあ、キャバクラですよね。女性のアイドルにキャットファイトをさせることで、王様的な立場になれるファンがいるわけです。キャバ嬢だったら成人して自分の意思で活動しているし状況も認識できているわけですけれども、アイドルには10代も多く、ましてや中学生もいます。子どもに対して性的な魅力で順位付けをするというのは人道的ではありません。大問題です。もしも、30~40代の女性が10代の男性アイドルに対して、順位付けをするシーンがあったら、「子どもを性的な目で見て順番を付けるなんて気持ち悪い」と感じる人が結構いると思うのですが、「女性に限っては、たとえ10代でも大人扱いしていい」という間違った考えを持っている人が多いんでしょうね。「10代の少女を性的な目線で見るのはおかしい」「このシステムは間違っている」といったことに、10代の女の子が気付くことはなかなか難しいでしょうから、大人が考えていかなければいけないと思います。

――「ブス」と言われて傷ついた人が、別の誰かを「ブス」と攻撃することもありますよね。

山崎 私自身は、ブスについて考えはじめたのが作家としてデビューした26歳頃からなので、そんなに幼稚なシーンを見ることはありませんでしたが、「ブス」と言われたことで傷つき、ほかの人を攻撃したくなる心理は想像できる気がします。容姿の序列を、「これが社会なんだ」「動かせない絶対的なシステムなんだ」と思い込み、「この中でどう生きていこうか」と考えてしまうと、他人を攻撃するしかなくなるんじゃないでしょうか。でも、既存のシステムにハマるのではなくて、「このシステムを作った人がおかしい」という目線を持てたら変わっていくんじゃないですかね。私に言わせれば変えられるんですよ、社会もシステムも。

――ティーン向けの雑誌では相変わらず「恋愛するためにはキレイにならなければならない。痩せなければならない」といった圧力をかける企画が多く、攻撃の対象が他人ではなく、自分に向かい過酷なダイエットをする少女もいるようです。

山崎 大人向けの雑誌は、容姿に関係なく“仕事”で輝いている人が出てきたり、社会的な話題も取り上げられたりするようになって、ちょっとずつ変わってきていると思います。ティーン向けの雑誌ではまだそのような企画が取り上げられるということは、作り手が10代を甘く見ているのかもしれません。私たちが、本当に面白い本、真に新しい雑誌を頑張って作っていかなくてはいけないのだと思います。責任を感じます。

(後編につづく)

山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)
1978年生まれ。作家。國學院大學文学部日本文学科卒業。2004年『人のセックスを笑うな』が文藝賞を受賞し、作家デビュー。著書に、小説『趣味で腹いっぱい』など。エッセイに『指先からソーダ』『母ではなくて、親になる』(いずれも河出書房新社)、『かわいい夫』(夏葉社)などがある。
2019年7月10日、新刊『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)が発売。

「ブスVS美人」は“男”がつくった構図――山崎ナオコーラ氏が語る、美醜問題の元凶とは?

 ウェブマガジン「よみもの.com」で連載されていた山崎ナオコーラ氏のエッセイ『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)が、7月10日に単行本として出版された。本書は「世間は、ブスに消えて欲しがっていない。むしろ、ブスの存在を望んでいる。ブスには、『自信がありません』という顔で、隅っこでにこにこしながら立っていて欲しいのだ」など、「ブス」をテーマに社会に生じた、“歪み”について考える一冊となっている。著者の山崎氏は「ブス」という言葉について「単体では差別語ではない」と書いているが、なぜ世間は「ブス」を差別し侮辱するのだろうか。なぜ容姿に序列を付けたがるのだろうか。その心理について、山崎氏に聞いた。

――なぜ「ブス」をテーマに本書を執筆されたのでしょうか。

山崎ナオコーラ氏(以下、山崎) 私は2004年に作家としてデビューしたんですが、その時に新聞のネット版に掲載された顔写真がインターネット上のあちこちに転載されて、「ブスは作家になるな」といった誹謗中傷の言葉や、かなり激しい性的な侮辱を書かれたんです。他人にとっては小さな話かもしれないですが、私にとっては大きな出来事だったので、以来15年間、「ブスってなんだろう」と考えてきました。時々、エッセイなどに「ブス」というワードをちらりと出し、容姿に触れるようなことを書いたところ、結構な反応が返ってきて、「ブスについて悩んでいる、または考えている人が、世の中にたくさんいるんじゃないか。いつかド直球の『ブス』に関する本を書きたい」と思うようになり、今回やっと念願がかなった形です。

――ウェブマガジンでの連載時、読者からの反響はいかがでしたか。

山崎 私のエッセイにしては反響が大きくて、やはり「ブス」について多くの人が興味を持っているように感じました。10年前だと「ブス」という単語を出すだけで「ブスなんて言っちゃだめ」という反応があったり、また「私はブスと言われるのだが……」と書くと「頑張ってください」「自分をブスと認めて偉い」といった応援的な反応も多かったような印象です。でも今は、「ブス」という単語に驚く人がいない。それは、お笑い芸人の方が、テレビ番組などで「ブス」という言葉をよく使うようになったからなのかもしれないし、LBGTQなどの言葉が浸透して性の多様性について考える人が増え、容姿に関しても人それぞれだと捉える人が多くなったからかもしれない。そんなふうに思っています。

――本書には、お笑い番組などが、ブス“キャラ”芸人を使って、「美人女優さんやモデルさんに向かってケンカをふっかけさせる」演出をすることについても触れられています。ブス“キャラ”芸人とブスの関係性についてどう思われますか。

山崎 ブスキャラ芸人さんと美人によるケンカのシーンというのは、つまり、男性がつくった美醜の序列において下位にいる女性が上位の女性をバッシングしたり、うらやましがったりする……そうすると男性が“一段高い”ところに行くことができ、「ただ見てる側」の人になれる、という構図を作っているんだと思うんです。それは、男性にとっては生きやすい社会に違いありません。男性からのそういう需要に応えるために女性同士のケンカのシーンが演じられるんでしょうね。でも、ブスに美人の悪口を言わせるという番組の作り方は古いと思います。序列に関しての文句を言うべき相手は美人ではなく、ヒエラルキーを作り、「下にいる人(ブス)は、上にいる敵(美人)を攻撃しろ」とあおってくる人たち。現実の女性同士の関係においては、「ブスVS美人」はまず起こりませんし、そもそもお互いをバッシングする理由がないので、普通に友達になることが多いです。

――バラエティ番組では、ブスキャラ芸人がイケメンタレントに媚びるシーンもよく見かけます。

山崎 ブスキャラ芸人さんが、自虐ネタを言わされたり、イケメンタレントに媚びることを強いられたりするシーンは、「ブスのキャバクラ」といったものに私には見えます。テレビ番組では、「私は美醜の序列で下位にいるけれど、頑張ります。男性が微笑んでくれるだけでうれしいです」という謙虚な態度でいることをブスに強いることがよくありますよね。男性のタレントさんがブスキャラ芸人さんに対して「ブスを恋愛対象にしない」という姿勢を見せて笑いを取ろうとすることもありますが、「ブス」だってたとえイケメンだろうが好きでもない男性から恋愛対象に見てもらったところでうれしくもなんともないないですし、恋愛に興味がない人もいます。本当は、ブスキャラ芸人さんの世界はもっと広いと思うんですけどね……。ブス同士で笑えるブスネタや、容姿差別のある社会をブス側から批評する笑いを作ることもできると思うのですが、テレビ番組やお笑いの世界は「古い男性」が多くて、なかなかブス発信での制作が難しいのかもしれません。でも、新しい価値観の萌芽は感じられます。私は渡辺直美さんが大好きで、写真集も購入し、インスタグラムもフォローしているんですが、自分で考えた新しいセンスを発信していて、昔のブスキャラ芸人さんとは一線を画する仕事をしていますよね。直美さんを見ていると、「時代は変わってきているなぁ」と感じます。あと、オアシズの光浦さんとか、我が道を行く人や、本音を言う人も、少しずつ増えてきていますよね。

――本書では、女性アイドルグループの総選挙にも異議を投げかけています。男性アイドルのファンは、「誰が一番か」という順位付けよりも、「誰と誰が仲良しか」「この子とこの子の仲良し度合いを見たい」といった組み合わせを楽しむものだけれども、一方で女性アイドルのファンはアイドル同士を競い合わせて人気順位を作り、「アイドルの人間力や容姿を評価する立場」から見下ろしたいのではないか、と。

山崎 女性のアイドルだって実際は順位を競うより、みんなと仲良く仕事したいと思っている子の方が多いのではないでしょうか。なのに、運営側やファンは順位付けをして盛り上がる。これも、まあ、キャバクラですよね。女性のアイドルにキャットファイトをさせることで、王様的な立場になれるファンがいるわけです。キャバ嬢だったら成人して自分の意思で活動しているし状況も認識できているわけですけれども、アイドルには10代も多く、ましてや中学生もいます。子どもに対して性的な魅力で順位付けをするというのは人道的ではありません。大問題です。もしも、30~40代の女性が10代の男性アイドルに対して、順位付けをするシーンがあったら、「子どもを性的な目で見て順番を付けるなんて気持ち悪い」と感じる人が結構いると思うのですが、「女性に限っては、たとえ10代でも大人扱いしていい」という間違った考えを持っている人が多いんでしょうね。「10代の少女を性的な目線で見るのはおかしい」「このシステムは間違っている」といったことに、10代の女の子が気付くことはなかなか難しいでしょうから、大人が考えていかなければいけないと思います。

――「ブス」と言われて傷ついた人が、別の誰かを「ブス」と攻撃することもありますよね。

山崎 私自身は、ブスについて考えはじめたのが作家としてデビューした26歳頃からなので、そんなに幼稚なシーンを見ることはありませんでしたが、「ブス」と言われたことで傷つき、ほかの人を攻撃したくなる心理は想像できる気がします。容姿の序列を、「これが社会なんだ」「動かせない絶対的なシステムなんだ」と思い込み、「この中でどう生きていこうか」と考えてしまうと、他人を攻撃するしかなくなるんじゃないでしょうか。でも、既存のシステムにハマるのではなくて、「このシステムを作った人がおかしい」という目線を持てたら変わっていくんじゃないですかね。私に言わせれば変えられるんですよ、社会もシステムも。

――ティーン向けの雑誌では相変わらず「恋愛するためにはキレイにならなければならない。痩せなければならない」といった圧力をかける企画が多く、攻撃の対象が他人ではなく、自分に向かい過酷なダイエットをする少女もいるようです。

山崎 大人向けの雑誌は、容姿に関係なく“仕事”で輝いている人が出てきたり、社会的な話題も取り上げられたりするようになって、ちょっとずつ変わってきていると思います。ティーン向けの雑誌ではまだそのような企画が取り上げられるということは、作り手が10代を甘く見ているのかもしれません。私たちが、本当に面白い本、真に新しい雑誌を頑張って作っていかなくてはいけないのだと思います。責任を感じます。

(後編につづく)

山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)
1978年生まれ。作家。國學院大學文学部日本文学科卒業。2004年『人のセックスを笑うな』が文藝賞を受賞し、作家デビュー。著書に、小説『趣味で腹いっぱい』など。エッセイに『指先からソーダ』『母ではなくて、親になる』(いずれも河出書房新社)、『かわいい夫』(夏葉社)などがある。
2019年7月10日、新刊『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)が発売。

「ママ友ランチ会」でドン引き!? 子どもの年齢偽りドリンクバー代をケチるママに困惑……

今や日常生活において、かかせないツールとなっているコミュニケーションアプリ「LINE」。かつては子どもの送迎時に、ママたちが立ち話をしているような光景が見かけられたが、時間に追われ忙しく過ごす共働き世帯が増えた今、ママたちのコミュニケーションの場は、LINEのグループチャットになっているという。そんな、ママたちの「グループチャット」から浮き彫りになった、彼女たちの悩みや、苦悩、気になる話題を覗いてみる。

 ママ友間では、「ランチ会」なるものがよく開催されているという。昼食を食べながら、育児の悩みや夫への愚痴などを語らう場となっているというが、その際LINEは、複数のママ友たちと予定を合わせるための最適なツールなのだそうだ。

 都内で生後7カ月になる女児を自宅育児中の慶子さん(仮名)は、現在、専業主婦。そのため、ママ友ランチ会が唯一の社交場だと語る。子どもを同じ保育園や幼稚園に通わせているママ同士が友達になるケースが一般的だが、最近では月齢が低い頃から外出をするママも増えたため、出会い方も多様だ。

「ずっと派遣社員として働いていたのですが、35歳になったとき、妊活のために仕事を辞めました。結果的に、すぐ自然妊娠でき、都内の有名な産院で出産。地方にいる母と仲が良くないのもあって、里帰り出産は視野にありませんでしたね。その産院では、同じ週に出産したママさんたちと“お祝い膳”と呼ばれる豪勢な料理を最後に食べるんですが、その時に、LINEを交換したママや、産院主催のベビーマッサージで知り合った月齢が近いママと友達になり、ランチをしています」

 慶子さんは、ママ友と1カ月に1度くらいのペースで、ランチ会をしたり、赤ちゃん向けのイベントに出掛けたりしているという。

「ママ友ランチでは、離乳食の進み具合や、予防接種のスケジュールなどを共有し合っています。育児雑誌だけでは得られない情報が入ってくるので、例えば成長具合について『うちの子だけではないんだ』とほっとできることも。あと、ママ友ランチでは、キッズカフェを利用しているのですが、暑すぎて外遊びができない子どもを思いっきりボールプールで遊ばせられ、かつ私もママ友と話せるので、だいぶ気分転換できますね」

 しかし、ママ友付き合いの中で、新たなる悩みが生まれたそうだ。「うちの産院は出産費用が高額なため、比較的高齢出産のママが多かったんです。仲良くなったママさんは、みんな正社員で、それなりの役職に就いて働いているワーママで、今は保活の話題で盛り上がっています」と、慶子さんはやや落ち込んだ口調で語る。

「キッズカフェで撮った写真をLINEで交換したり、今は交流が続いているのですが、グループのママさんが『もうすぐ保活で忙しくなるから、暫くランチは無理かな』って連絡がきて、さみしくなりました。私は専業主婦なので、子どもが幼稚園に入園するまで自宅育児予定なんです。LINEのグループで、1人だけ話についていけなくなる日も近いのかもって。このままみんなが保育園に入園すると、ママ友が減ってしまうのではないのかと、心配になっています……」

 関東近県で3歳になる男児を育児中の由紀子さん(仮名)は、幼稚園のママたちとのランチ会に気を使うと語った。彼女の息子が通っている幼稚園は、制服もスモックと帽子だけで、近隣でも費用が安い方の庶民的な幼稚園だという。

「近隣に高層マンションが建ったため、『都内は無理でも郊外なら』という理由で、こちらに引っ越してきたファミリーが増えています。保護者会の後は、決まってファミレスで子連れのランチ会が開かれるのですが、その際、引っ越してきた組のママとの間に、壁を感じることがあるんです」。

 由紀子さんの属するママ友グループは、ランチ会をする際、事前に「〇〇に食べに行きませんか?」といった提案をLINEのグループチャットで行うという。

「最近引っ越してきたあるママ友がグループチャットに、『あの店はサービスが良くない』『ここら辺のママたちを味方につけないと、生き残っていけない』というような上から目線の書き込みをしていて驚きました。地元のことをよく知らないのに……」

 それ以来、そのママ友から不満が出ないように、サービスが一律なファミレスでランチ会を行うようになったそう。

「そのママ友の子どもは、私の息子のクラスメイトで、現在3歳なんですが、この前一緒にファミレスに行った際、店員さんに『3歳からはドリンクバーが有料』と伝えられると『うちの子は2歳です』と言おうとしていて、引いてしまいました。結局、子どもの方がそれを遮って『3歳です』と店員さんに伝えたものの、後からママに怒られていたんです。その姿を見ていたら、付き合いを考え直したいなと思いましたよ。『そんな節約の仕方をするなら、無理してタワマンを買わなくてもいいのに』とも……」

 しかし、子ども同士の付き合いがある限り、園ママとの関係は切れないという。「そのママを抜きにした新しいグループチャットを作るのも気が引けますし、バレたら面倒ですしね」と由紀子さんはため息をついていた。

 平日の昼間でも、高級住宅街と呼ばれる地域にあるカフェや、ホテルのビュッフェ、都内にある人気パンケーキの店などには、入口にずらっと海外製のベビーカーが並び、賑わいを見せている。2歳になる男児と、1歳になる女児を育児中の美穂さん(仮名)は、「休職中で暇を持て余しているので、昔の職場のママたちとランチをしている」と語った。

 美穂さんが以前勤めていた企業は、大手IT企業。夫が取締役などになっている同僚もいるため、ランチ価格が数千円するのが悩みという。

「前職は忙しくて辞めたのですが、社員寮に入っていたこともあり、同僚とはとても仲が良く、付き合いが続いているんです。今の会社の人には会いづらくって……というのも、うちの子たちは年子なので、育児休暇を延長している手前、気が引けるというか……。それで、前の会社のママたちと会っているんですが、昼から子連れでオーシャンビューのホテルビュッフェを食べに行ったりしているので、夫から『ママ会なのに贅沢しすぎ』とあきれられています」

 彼女は「LINEで『次のランチ会はここにしよう』と店を提案されると、『高いな……』と思いつつも、『もう少し安いところはどう?』なんて言えなくて。でも、たまに都心の方にオシャレして出かけないと、育児だけだと取り残された感じがするので不安になるんです。だから彼女たちとの付き合いは辞めるつもりはないですね」という。

 傍から見るとわからないが、参加するママ一人ひとりの心情はそれぞれのようだ。ストレスを溜めずに参加できる会になるよう、グループとの距離感の持ち方を見つめ直すことも大切なのかもしれない。
(池守りぜね)

「ド正論!」「どんどん言った方がいい」“新幹線マナー”に苦言を呈し称賛された芸能人

 お笑いコンビ・NON STYLEの石田明が、7月30日に自身のTwitterへ「新幹線。すげー不愉快。みんなマナーは守ろうね」と投稿。後ろにいた利用者が座席の隙間から足を出し、真横まで侵入している写真が添えられており、石田へ同情の声が集まった。大きな反響を呼んだこの投稿だったが、石田は以前も“新幹線マナー”について苦言を呈していた。

「石田は2018年1月にも、自身のTwitterで『新幹線で移動中、娘のオムツかえるためにトイレへ。じゃあまさかのタバコの臭い』と、禁煙が徹底されているはずの新幹線のトイレで、煙草を吸ったと思われる喫煙者を告発。続けて、『禁煙の新幹線のトイレでタバコ吸うクソダサい人種まだおんのかい』と批判しました。ネット上では、『石田さん、ド正論! 本当にダサいと思う』『子どもがいる立場からすると、こうやってはっきり言ってくれる人はありがたい』『マナーを守らない人への苦情は、どんどん言った方がいい』という声が続出し、共感を得ていました」(芸能ライター)

 新幹線のマナー違反を批判し、反響を集めた芸人はほかにもいる。そのひとりが、お笑いコンビ・ブラックマヨネーズの吉田敬だ。

「18年8月、吉田は『新幹線でパソコン』と前置きし、『キーボードを、自分の家でパソコンやってんのかというくらい強く叩いてる人がいる。これは、「車内での電話はやめて下さい」とか「全車両禁煙です」と同じくらい、アナウンスするべきだ』と、Twitterに投稿。移動時間が比較的長い新幹線では、ノートパソコンで仕事をする人も少なくないとはいえ、タイピングで大きな音を立てられたら、確かに気になるでしょう。このツイートにも『気遣いができない人も多いから、アナウンスが必要かもしれない』『わざと!? って思うぐらいうるさい人がいるよね』『私も同じ経験ある。キーボードの音が気になって寝れなかったんだよね……』と、吉田の意見に賛同するネットユーザーが多数見られました」(同)

 また、現在は“闇営業問題”の渦中にいる雨上がり決死隊・宮迫博之も、15年5月放送の『バイキング』(フジテレビ系)にて、新幹線に居合わせた人に直接注意をしたと明かしている。

「自身の“貧乏ゆすり被害”として、新幹線でのマナー違反を告発した宮迫。後ろの座席に座る男性が、フットレストに足を置いて延々と貧乏ゆすりをしていたため、気になって眠れなかったそう。宮迫は、何度か“舌打ち”で対抗したものの通じず、とうとう『これ、やめてもらっていいかな?』と男性に注意したとか。これでようやく『申し訳ない!』と気が付き、貧乏ゆすりをやめたとのこと。『本人は自覚ないから、注意されないとわかんないんだよね』『我慢する人が多い中、宮迫は注意しててすごい』『SNSで文句言うより、宮迫みたいに直接注意するのが正しいと思う』など、ネット上では宮迫がその場で行動を起こしたことに対して、称賛の声が寄せられていました」(同)

 影響力のある芸能人が注意することによって、マナー違反者が減る可能性も。彼らの告発が無駄にならないよう、新幹線の乗車マナーには気を付けたいものだ。
(立花はるか)

馬場ふみか、大胆ランジェリーでジャニーズとの”交際匂わせ疑惑”のとばっちり

 モデルで女優の馬場ふみかが8月5日、専属モデルを務めるファッション誌『non-no』(集英社)の公式インスタグラムに登場。オフショットを披露した。

「馬場は、同誌9月号のランジェリー特集に出演しており、同インスタグラムでは『ワンショルダーの服みたいなブラをヘルシーに着こなしてくれました』と、肩が大胆に露出し、上乳が丸見えの最新ランジェリーを着用。ピースでポーズを決めている姿を投稿しました。 この画像にはネット上で『美しい』『巨乳だけど細い』『女神』といった賛辞が噴出しています」(芸能ライター)

 そんな馬場は、10月26日から放送されるジャニーズWESTの小瀧望の主演ドラマ『決してマネしないでください。』(NHK総合)にてヒロインを務めることが決定している。5日のインスタグラムでは、ドラマの発表に合わせて告知文を掲載。その際、ブレスレットを付けた自撮り写真も一緒にアップしたのだが……。

「そのブレスレットが以前、小瀧が雑誌などで付けたものと同じではないかという疑惑が浮上したのです。同ドラマは恋愛に無関心だった主人公が、学生食堂のお姉さんに恋をし、成就させるために努力を行うという恋愛モノということもあり、馬場が交際を匂わせたとしてジャニーズファンの間で瞬く間に熱愛の噂が広まりました。また、小瀧は今作が連ドラ初主演であることから、馬場のインスタには『今、大事な時期なんです!』『匂わせとかショックすぎる』『傷ついてる人がいるってことをわかって!』といったコメントが連打され、一時は炎上状態となりました」(女性誌ライター)

 しかしその後、彼女のブレスレットは、以前から親友である新木優子とのお揃いで付けていたことが、別の写真により判明。するとインスタには、早とちりしたジャニーズファンから「申し訳ございません」と、今度は謝罪コメントが殺到する事態に。

「これまでも、幾度となくジャニーズファンが、憶測だけで芸能人のインスタを荒らしてきましたが、馬場もなぜ炎上したのかわからず、驚いたことでしょう」(前出・女性誌ライター)

 今回の件で、馬場もジャニーズファンの恐ろしさを知ったはず。番宣には最新の注意を払ったほうがよさそうだが、ジャニーズファンがやきもきしたのも、馬場の絶品すぎる女神ボディゆえのことだろう。