前田敦子、勝地涼への“愛妻弁当”披露で大絶賛……「ママタレ化もあり得る」と業界人談

 元AKB48・前田敦子が、今年7月に結婚した勝地涼への“愛妻弁当”をインスタグラムで披露し、ネットユーザーの間で「あっちゃんって料理上手なんだ!」と注目を集めている。

「前田は11月20日、インスタに『朝はフルーツ お昼は初日頑張ってねを込めて。。お弁当』と投稿し、皿に盛られた数種類のフルーツと、具だくさんのお弁当を公開。ボリューミーなだけでなくバランスや彩りもいいし、弁当用と見られる汁物まで写っています。ちなみに、写真には勝地のアカウントがタグ付けされており、彼もまた同日、インスタのストーリー機能を使って『ありがとう 初日がんばる』と、前田に応えていました」(芸能ライター)

 前田の手作り弁当に対し、ネット上には「めっちゃおいしそう!」「おかずの種類豊富で、詰め方も美しい」「料理に慣れてるのがわかる」などと好意的な声が飛び交っている。

「勝地も前田も結婚生活に対しては前々からオープンで、それぞれ独身時代から飼っていた猫がお互いのインスタに登場することも珍しくない。勝地はマスコミの前でも平気でノロケますし、前田も10月2日に出演した『篠田麻里子のGOOD LIFE LAB!』(TBSラジオ)で、新婚生活について『全部が新鮮』などと言及していました。しかし、前田はAKB卒表後に女優として活動してきただけに、『こんなにも私生活をオープンにするんだ』と驚く人もいるようです」(同)

 だが現状、業界内には前田をたしなめるような空気はないらしい。

「所属事務所としては、もう前田に対して『女優としてこうあるべき』『さらなる飛躍を』といった強い思いはないようです。別に見放したわけではないようですが、前田の自由にさせている様子。今、事務所が前田に望んでいるのは『不倫などネガティブな話題で注目されないように』ということくらいでしょう。それに前田自身、もともと結婚願望が強く、女優業一本に命をかけているわけでもなさそう。なので、もし前田が望めば、料理を生かした、主婦タレントやママタレントへの転向も十分あり得ます」(芸能プロ関係者)

 ただ、女優からママタレに移行したところで安泰なわけではない。芸能界では近年、ママタレの飽和状態が続き、「ママタレというだけで世間の目が厳しく傾向もある。もともとアンチが多い前田だけに、ママタレ転向となったら新たな炎上クイーンとなるかもしれません」(同)。

 ネット上には「とっても幸せそうだし、無理して芸能界の第一線で仕事しなくてもいいのでは?」という意見もあるが、芸能人としての前田の今後はいかに……。

北斗晶、デヴィ夫人は見習え!? 獣神サンダー・ライガーの街ブラは「ロケのお手本」!

 バラエティ番組の定番コンテンツとなって久しい街ブラだが、タレントなら誰もが向いているとは限らない。事実、ハライチ・澤部佑の『なりゆき街道旅』(フジテレビ系)では、北斗晶が撮影の許可も取らずに行列ができている店内にズカズカと入り込んだり、コロッケなど揚げ物を売っている店に澤部らが入ろうとすると「ここよりおいしい店を知っている」と入店拒否するなど、やりたい放題。庶民派なイメージから視聴者の好感度も高かった北斗だが、さすがに放送後は「非常識極まわりない」「不愉快すぎる」といった声が続出。一気に株を下げてしまった。

 また、タカアンドトシの『帰れマンデー見っけ隊!!』(テレビ朝日系)に出演したデヴィ夫人は、“話題の観光スポットやグルメを巡りながら、他のチームを探す”という趣旨そっちのけでショッピングに夢中になったり、人力車に乗ったり、挙げ句の果てにはリタイア宣言するなど、いつもの調子を崩さず、「人選ミス」だと視聴者の反感を買ってしまった。

「街ブラロケは拘束時間が長時間に及ぶことも多く、一般人との絡みも多いので、タレントの素の部分が出やすい。スタッフとしては低予算で制作できるというメリットが魅力ですが、“撮れ高”は未知数で、タレントの力量頼りの部分も大きい。そのため、一度視聴者の反感を買ってしまったタレントは、もう二度と番組には呼ばれないでしょう」(テレビ制作会社スタッフ)

 そんな中、意外な”街ブラ能力”の高さを見せつけたタレントがいる。11月4日放送の千鳥の『相席食堂』(ABC)に出演した新日本プロレスの覆面レスラー、獣神サンダー・ライガーだ。

 この番組は有名人が田舎の食堂を訪れ、地元の人たちと相席してふれあう、街ブラ+食レポ番組。山形県白鷹町に舞い降りたライガーは、登場こそ雄叫びを上げ、“ヒールキャラ”を崩さなかったが、その後は難なく進行。食レポのコメントはもちろんのこと、積極的に地元の人とふれあい、子どもたちとの会話も弾み、白鷹町の魅力を存分にリポート。さらに、カメラからのハケ方までパーフェクトで、千鳥をして「ロケのお手本」と言わせる出来であった。

「同番組といえば、長州力をはじめ、研ナオコ、白竜、亀田興毅など、毎回奇抜な人選が話題で、そんな彼らの言動に千鳥の2人が面白おかしくツッコミを入れるというスタイルですが、今回のライガーさんの優等生ぶりは、スタッフも予想していなかったのでは?」(同) 

 バラエティ番組ではたびたびポンコツぶりが話題となるライガーだが、今後は街ブラに引っ張りだこになるかも!?

【マンガ】「お母さん」とスピリチュアル――33歳だった母は、7歳の私を連れてアメ横を抜けた【東京をディグる・13話】

東京の下町には、酒とサウナとへんなおじさんが吹き溜まる――…。

荒川周辺に暮らすアラサー漫画家・のがみもゆこが
独特の視点で下町のあれやこれやを掘り下げる、ぶらぶらお散歩たのしいルポエッセイ。

水曜の夕方を亜空間へいざなう、へんなおじさんワールドへようこそ!

あやしげな雑居ビル

 

 

 

 

(次回につづく)

――毎週水曜日に、最新話を更新。お楽しみに!

のがみ・もゆこ
1985年茨城生まれ。日本大学芸術学部デザイン学科卒。
茨城の高校でデザイン・映像メディア専攻の非常勤講師をしつつ
個展、グループ展、WEBにてイラストレーションやエッセイマンガを発表しています。

Twitter:https://twitter.com/mogaminoyuko
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<『東京をディグる』バックナンバーはこちら>

【第1章】南千住・三ノ輪をディグる

【第2章】浅草をディグる

【第3章】
(1)……80年代の「上野と母」を追体験!

『獣になれない私たち』6話、懇親会シーンで「こういうヤツが一番ウザい」と叩かれた男

 11月21日夜10時から第7話が放送される、新垣結衣主演の『獣になれない私たち』(日本テレビ系)。視聴率は第1話11.5%、以降は6~8%を推移していたが、第6話で10.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と2桁に復帰した。

 同ドラマは、常に笑顔で仕事も完璧な頼れる女性・深海晶(新垣)と、人当たりが良い好青年・根元恒星(松田龍平)が織り成す物語。2人とも表向きでは“良い人”なのだが、晶は周囲に気を使い続けることに疲れ、恒星は内心誰のことも信用していない。「獣のように自由に生きられたら」と、願う2人の偶然の出会いは、現代社会を生きる大人のリアルなラブストーリーに発展していく。

 第6話では、晶の勤める「ツクモ・クリエイト・ジャパン(TCJ)」に「樫村地所」の筧(吉村界人)が訪ねてくる。樫村地所が立ち上げた新規プロジェクトのサイトを、TCJに依頼したいというのだ。晶は以前、樫村地所で派遣社員として働いていたため、TCJ社長・九十九(山内圭哉)から担当を任されることに。すると、突然の依頼に戸惑う晶を差し置いて、樫村地所の部長・橋爪(山口馬木也)が担当同士での懇親会を開くことを提案。

 懇親会に参加したのは、TCJの晶、上野発(犬飼貴丈)、松任谷夢子(伊藤沙莉)、そして樫村地所の筧と花井京谷(田中圭)。5人は遅れてくる橋爪と九十九を待ちながら、先に懇親会を始めることに。そこで、京谷が晶の彼氏だと知った松任谷は、「筧さんは? いるんですか、彼女」と何気なく質問。すると筧は、松任谷に狙われていると勘違いし「デベロッパーって言うと寄ってくるんですよね。肩書に弱い女性が」と嫌味っぽく返答。

 筧の発言を見かねた上野が、「松任谷さん彼氏いますよ?」と反論し続いて松任谷も、彼氏とのツーショットが映し出されたスマホの待ち受け画面を披露。すると筧は、「待ち受けを彼氏彼女にするヤツは寒い」と言い放ち、さらなる持論を展開していく。京谷は筧の暴走を止めようとするが、筧と松任谷の言い争いはヒートアップ。九十九たちが現れるまで続くのだった。

「懇親会のシーンには、視聴者から『筧の空気読まなさ加減がすごい』『こういうヤツが一番ウザいよね』『松任谷さんに初めて共感した!』『筧くんって絶対ナルシスト』といった声が続出。晶が松任谷を支持したり上野が京谷を気にしたりと、さまざまな思惑が絡み合う様子には『このシーンが今日1番面白い』『懇親会の掛け合い最高だった』との声も上がっていました。また、普段は部下に横暴な九十九が、先輩である橋爪には頭が上がらないことも発覚。『いつもよりおとなしい九十九社長が笑えた』と溜飲を下げた視聴者も多かったようです」(同)(芸能ライター)

 第7話では、怠ける社員や転職を目論む社員を警戒した九十九が、社内に録音機能付きの監視カメラを設置。常に監視されているような緊張感に、誰もが息苦しさを感じ始めていく。その様子を見た晶とSEチームリーダー・佐久間(近藤公園)は、会社全体の空気が停滞してしまうのではないかと心配する。

 一方、寝たきり状態だった京谷の父の容態が悪化したことにより、母・千春(田中美佐子)は、京谷の弟と「病院にいれるかどうか」で揉めていた。しかし、京谷とケンカしたきりで、その状況を知るよしもない晶は、千春と連絡がつかないことに疑問を抱くのだった。

 順調な仕事とは裏腹に社員のストレスは溜まる一方。晶がこの状態をどう打破するのだろうか。

メイウェザー・那須川天心戦、実現なら「RIZINもフジテレビも終わる」大みそか“憤死”の予感

 格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行実行委員長が17日、東京都内でマスコミ各社の取材に応じ、プロボクシングの元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザーとキックボクシングで33戦無敗の那須川天心が、12月31日の「RIZIN.14」(さいたまスーパーアリーナ)で対戦することを明言した。

 2人の対戦は今月5日、都内で行われた2人が出席した会見で発表された。しかし、メイウェザーが8日、SNSに中止を匂わす投稿をしたため、榊原氏は10日に緊急渡米。メイウェザー陣営と話し合って合意を確認し同日帰国したという榊原氏は、「天変地異でも起こらない限り、絶対やる」と開催に自信を示した。

「RIZINは、これまでフジテレビが中継していましたが、今年の大みそかで契約切れを迎えます。そこでRIZINとしては契約延長のための切り札としてメイウェザー側と交渉。なんとか那須川戦にこぎ着けました。気分屋のメイウェザーだけに直前でのドタキャンの可能性もありますが、実現すればそれなりの視聴率が期待できます」(格闘技業界関係者)

 試合形式は3分3ラウンドで、蹴りはなくパンチのみ。非公式のエキシビションマッチでジャッジによる判定は行わない方向だというが、試合が実現すれば、日本中に大ブーイングが吹き荒れることになりそうだという。

「メイウェザーは確かに伝説的なボクシング王者ですが、その試合ぶりを見たことがあるのは一部のボクシングファン、格闘技ファンだけでしょう。はっきり言って、誰がどう見ても退屈の極みですよ。屈強な黒人トップ選手だからといって、マイク・タイソンのようなボクサーを想像したら拍子抜けします。しかも今回はエキシビションで、体重が10キロも軽い相手、さらにメイウェザー本人が『9分間動くだけ』と公言しているわけですから、世紀の茶番といわれた昨年のUFC王者・コナー・マクレガー戦より、さらに緊張感のない試合になりそうです。やる気のないメイウェザーがヘコヘコとリングを走り回り、それをいくら追い回してもタッチすらできない天心、という展開に、お茶の間が凍りつくのが目に見えます。放送後には、初めてメイウェザーの消極的な戦いぶりを目の当たりにした視聴者から怒りの声が噴き出すことになるでしょうね。ついでに言えばメイウェザーは、ほかの多くのトップアスリートと違い、まったく人格者ではないので、とんだ不適切発言や不規則行動が飛び出す可能性もありますよ(笑)」(同)

 とはいえ今回のエキシビションが、将来的にキックボクシングから国際式ボクシングへの転向もささやかれる天心にとって、この上ないレッスンになることは間違いないだろう。決まったからには、天心に一発ブチかましてほしいところだが……。

メイウェザー・那須川天心戦、実現なら「RIZINもフジテレビも終わる」大みそか“憤死”の予感

 格闘技イベント「RIZIN」の榊原信行実行委員長が17日、東京都内でマスコミ各社の取材に応じ、プロボクシングの元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザーとキックボクシングで33戦無敗の那須川天心が、12月31日の「RIZIN.14」(さいたまスーパーアリーナ)で対戦することを明言した。

 2人の対戦は今月5日、都内で行われた2人が出席した会見で発表された。しかし、メイウェザーが8日、SNSに中止を匂わす投稿をしたため、榊原氏は10日に緊急渡米。メイウェザー陣営と話し合って合意を確認し同日帰国したという榊原氏は、「天変地異でも起こらない限り、絶対やる」と開催に自信を示した。

「RIZINは、これまでフジテレビが中継していましたが、今年の大みそかで契約切れを迎えます。そこでRIZINとしては契約延長のための切り札としてメイウェザー側と交渉。なんとか那須川戦にこぎ着けました。気分屋のメイウェザーだけに直前でのドタキャンの可能性もありますが、実現すればそれなりの視聴率が期待できます」(格闘技業界関係者)

 試合形式は3分3ラウンドで、蹴りはなくパンチのみ。非公式のエキシビションマッチでジャッジによる判定は行わない方向だというが、試合が実現すれば、日本中に大ブーイングが吹き荒れることになりそうだという。

「メイウェザーは確かに伝説的なボクシング王者ですが、その試合ぶりを見たことがあるのは一部のボクシングファン、格闘技ファンだけでしょう。はっきり言って、誰がどう見ても退屈の極みですよ。屈強な黒人トップ選手だからといって、マイク・タイソンのようなボクサーを想像したら拍子抜けします。しかも今回はエキシビションで、体重が10キロも軽い相手、さらにメイウェザー本人が『9分間動くだけ』と公言しているわけですから、世紀の茶番といわれた昨年のUFC王者・コナー・マクレガー戦より、さらに緊張感のない試合になりそうです。やる気のないメイウェザーがヘコヘコとリングを走り回り、それをいくら追い回してもタッチすらできない天心、という展開に、お茶の間が凍りつくのが目に見えます。放送後には、初めてメイウェザーの消極的な戦いぶりを目の当たりにした視聴者から怒りの声が噴き出すことになるでしょうね。ついでに言えばメイウェザーは、ほかの多くのトップアスリートと違い、まったく人格者ではないので、とんだ不適切発言や不規則行動が飛び出す可能性もありますよ(笑)」(同)

 とはいえ今回のエキシビションが、将来的にキックボクシングから国際式ボクシングへの転向もささやかれる天心にとって、この上ないレッスンになることは間違いないだろう。決まったからには、天心に一発ブチかましてほしいところだが……。

中居正広に芸能界引退を相談した俳優は、斉藤慶太!? ネット上から詮索の声が続出

 11月19日の深夜に放送された『中居くん決めて!』(TBS系)に、“現役30代俳優”が登場。芸能界引退に関して、ガチすぎる悩みを相談して話題になっている。

 同番組は、街の人から寄せられた悩みに中居正広が結論を導き出すバラエティー番組。19日放送回には、ニット帽を被ってマスクをした“33歳の俳優”が匿名&モザイク&音声を変えて出演し中居に悩みを打ち明けた。

 俳優の男性は中継先の中居に、「役者業やテレビのオファーが少なくなってきまして、現在アルバイトもしながら生活している」「今年結婚して家族を養うことになり、不安定な芸能界で頑張るべきか、安定した仕事に就くべきか悩んでいまして中居さんに決めてほしい」と相談。このお悩みにスタジオ出演者は議論を続けるが、なかなか結論は出ないまま。

 スタジオからの「奥さんは何て言ってらっしゃるんですか?」という質問に、男性は「『やりたいことを全力で頑張って』と言ってもらっている」と回答。結局、中居の結論は“奥さんの言葉がすべて”ということで「俳優を続けるべき」と答えた。

「この放送を見た視聴者からは、『誰だろう? ライダー系?』など俳優男性を詮索する声が続出しました。その中で多かったのが、『斉藤兄弟のどっちかだろ』『斉藤祥太か慶太のどちらかが今年結婚したと言ってたからそうかも』『今年結婚した33歳俳優って斉藤慶太?』といった声です。斉藤兄弟の弟である斉藤慶太は、今年9月に一般女性と結婚。斉藤兄弟はドラマ『キッズ・ウォー』(TBS系)や映画『タッチ』(2005年)などで人気を博しましたが、現在はメディア露出がめっきり減っていますし、条件に当てはまる部分は多いです」(芸能ライター)

 テレビで見かける機会が減った斉藤兄弟だが、今年9月には『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)へ2人で出演。現状について語っていた。

「番組内で2人は『副業に力を入れている』と語り、兄の祥太は解体屋や水道屋、ガス屋などでアルバイトを経験。慶太は水道屋で働いていたそうです。現在は慶太がストレッチインストラクターの資格をとるなど、2人は様々な職を転々としながら芸能活動を継続中。番組に登場した俳優男性は、現在のアルバイトについて『ちょっと変わったアルバイトもしてまして』『いまは芸能のお仕事が無い時は内装屋さんで頑張ってます』と答えていることも“斉藤慶太説”に拍車をかけているようです」(同)

 収録があった数日後、番組宛てに届いた男性からのビデオメッセージには「いい芝居ができるように日々精進していきたい」といった言葉が収められていた。いつか中居と共演する日が来たら、この時のエピソードを語ってほしいものだ。

中居正広に芸能界引退を相談した俳優は、斉藤慶太!? ネット上から詮索の声が続出

 11月19日の深夜に放送された『中居くん決めて!』(TBS系)に、“現役30代俳優”が登場。芸能界引退に関して、ガチすぎる悩みを相談して話題になっている。

 同番組は、街の人から寄せられた悩みに中居正広が結論を導き出すバラエティー番組。19日放送回には、ニット帽を被ってマスクをした“33歳の俳優”が匿名&モザイク&音声を変えて出演し中居に悩みを打ち明けた。

 俳優の男性は中継先の中居に、「役者業やテレビのオファーが少なくなってきまして、現在アルバイトもしながら生活している」「今年結婚して家族を養うことになり、不安定な芸能界で頑張るべきか、安定した仕事に就くべきか悩んでいまして中居さんに決めてほしい」と相談。このお悩みにスタジオ出演者は議論を続けるが、なかなか結論は出ないまま。

 スタジオからの「奥さんは何て言ってらっしゃるんですか?」という質問に、男性は「『やりたいことを全力で頑張って』と言ってもらっている」と回答。結局、中居の結論は“奥さんの言葉がすべて”ということで「俳優を続けるべき」と答えた。

「この放送を見た視聴者からは、『誰だろう? ライダー系?』など俳優男性を詮索する声が続出しました。その中で多かったのが、『斉藤兄弟のどっちかだろ』『斉藤祥太か慶太のどちらかが今年結婚したと言ってたからそうかも』『今年結婚した33歳俳優って斉藤慶太?』といった声です。斉藤兄弟の弟である斉藤慶太は、今年9月に一般女性と結婚。斉藤兄弟はドラマ『キッズ・ウォー』(TBS系)や映画『タッチ』(2005年)などで人気を博しましたが、現在はメディア露出がめっきり減っていますし、条件に当てはまる部分は多いです」(芸能ライター)

 テレビで見かける機会が減った斉藤兄弟だが、今年9月には『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)へ2人で出演。現状について語っていた。

「番組内で2人は『副業に力を入れている』と語り、兄の祥太は解体屋や水道屋、ガス屋などでアルバイトを経験。慶太は水道屋で働いていたそうです。現在は慶太がストレッチインストラクターの資格をとるなど、2人は様々な職を転々としながら芸能活動を継続中。番組に登場した俳優男性は、現在のアルバイトについて『ちょっと変わったアルバイトもしてまして』『いまは芸能のお仕事が無い時は内装屋さんで頑張ってます』と答えていることも“斉藤慶太説”に拍車をかけているようです」(同)

 収録があった数日後、番組宛てに届いた男性からのビデオメッセージには「いい芝居ができるように日々精進していきたい」といった言葉が収められていた。いつか中居と共演する日が来たら、この時のエピソードを語ってほしいものだ。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。