「保毛尾田保毛男」問題……フジテレビ『みなさん』は、放送前の抗議をスルーしていた

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 フジテレビは、9月28日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念SP』で石橋貴明が演じた「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」なるキャラクターについて番組公式サイトに「お詫び」と題した謝罪文を掲載。 「ホモ」という言葉が男性同性愛者への蔑称であるという指摘など、多数の抗議を受けたことを認め、「男性同性愛者を嘲笑すると誤解されかねない表現をしたことで、性的少数者の方々をはじめ沢山の視聴者の皆様がご不快になったことに関して、深くお詫び致します」とした。  番組では「保毛尾田保毛男」の石橋と共に、ビートたけしが「鬼瓦権造」、木梨憲武が「ノリ子」と、それぞれ過去に演じたキャラに扮して出演していた。フジ関係者によると、「保毛尾田保毛男の出演は放送前にも告知していたが、大きな抗議を受けていなかったので、(出演取りやめについての)協議はなかった」という。  しかし、これに異を唱えたのは、当のフジテレビに勤める40代ディレクター男性だ。 「放送の約2週間前に企画を知り、強い嫌悪感があった」  自身は番組に関与していないが、「保毛尾田保毛男」の28年ぶりとなる復活を耳にした際、「あいつはホモだと馬鹿にされた過去を思い出して、つらかった」と、ゲイである自身の苦悩を吐露。 「放送前の内容を漏らすことに罪悪感もあって悩んだけど、放送4日前に、同じゲイの友人たちに話をした」(同)  その結果、友人のひとりは局に抗議の電話をしたというが、局側の対応は「放送前の内容については答えられない」というような返答だったという。  実のところ「保毛尾田保毛男」については、今回の放送と無関係に、過去、局側に抗議をした人権グループもあったという。グループのメンバーは今回の謝罪文に「何をいまさら」とも言っている。 「テレビが昔、性的マイノリティーの人権を無視していたことの代表例が保毛尾田保毛男で、LGBTのコミュニティサイトでもよく話題になる。もちろん放送当時は、今とは社会状況が違っていたのはわかりますが、そういう過去と向き合うのは必要だと思います。私たちは5年前と2年前にも、各テレビ局にそういう意見書を送っていますが、ちゃんとその声を聞いていなかったから、今回の放送があったのでは」(同)  メンバーは2013年から15年まで、各地で開催されたLGBTへの理解を深めるセミナーでも、保毛尾田保毛男について取り上げていた。 「誤解してほしくないのは、なんでもかんでも『差別、差別』と抗議しているわけではないということ。ゲイの人の中には『大騒ぎするほどのことではない』という意見もあります。だからセミナーでは、どこからどこまでを差別と感じるのか、議論をしてきました。個人的には、保毛尾田保毛男には、ゲイそのものを嘲笑する部分があったと思います。実際に『ホモ』という言葉を保毛尾田保毛男で知り、『同性が好きなことは笑われる』という考えを植え付けられたという人もいますからね。いま芸人が『LGBT男』として似たことをやったら、性的マイノリティーに関する知識の少ない人は、『LGBT』という言葉に対して変な印象がついてしまうでしょう?」  ただ、BPO(放送倫理・番組向上機構)は本件について「バラエティーの表現の自由の範囲内」として審議の対象外と判断した。これには前出のディレクター男性が「議論の上で、差別の意図まではなかったというならまだ理解はできますが、まさかここで表現の自由を盾に議論もしないなんて」と驚いていた。一方、ネット上では本件についての議論は続いている。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

ブームから10年、今こそ「ケータイ小説」の話をしよう。

 「ケータイ小説は生きているぞ」と言いたいがためだけにこの記事を書いたら、連載のはこびとなった。というわけで引き続き、ケータイ小説をめぐるあれこれについて書いていきたい。まったくもって大衆向けでなさそうなこんなテーマの連載を、快くひきうけてくれたWEZZYは奇特なメディアである。  それにしても、2017年の今更ケータイ小説。ブームのころならいざ知らず、ミリオンヒットの出なくなった今になってそんな話をしてどうするの、何があるのそんなところに、と疑問に思う方もいるかもしれない。うむ、いったい何があるんでしょうね。この連載は、それを考える連載でもある。すでにわかっていることを書いてもつまらないですし。  さっき「今更」と書いたけど、実のところ、私自身はまったくもって「今更」だなんて思っていない。「ケータイ小説はオワコンだ」と思われているらしい今。今こそがむしろ機の熟しどき、語りどきなんじゃないかとひねくれものの私は考える。 読めますか?たった10年で消滅寸前の「ギャル文字」「ケータイ小説」を改めて味わう  これは本年7月にアップされた記事(ネット番組の書き起こし)だ。この中でケータイ小説は、「消滅寸前」「風前の灯」という扱い。しかも「かつてのケータイ小説」を語っているのは、ブームの頃にケータイ小説の評論本を書いた、ベテランの文筆家。私が「そろそろケータイ小説について何か書くか」と本気で思ったのは、この記事を見たときであった。  ブームが遠い昔の出来事とされ、「ケータイ小説なんてものもあったね昔」と「大人たち」が言い合っている今、まさに地方の書店では、コンスタントにケータイ小説文庫が売れ続けている。ケータイ小説投稿サイトにも、新作が生まれ続けている。この辺のことは、前の記事に書いた。  たしかにもうミリオンヒットは出ない。映画化だの、TVドラマ化だのといった派手な展開もない。「ダ・ヴィンチ」で新作が紹介されることもない。ライトノベルのように、新刊紹介ブログが盛況になるジャンルでもない。でも確実に大勢の女性が、今も日常の中で、ケータイ小説を楽しんでいる。そのことを、10年以上ケータイ小説を眺め続けてきた私はよく知っているのだ。 改ページ  NAVERまとめやスマートニュースでは追えない世界だからこそ、私はケータイ小説が気になってしょうがない。だってケータイ小説は、その向こうにいる大勢の女性たちのニーズを、確実に満たし続けてきた存在なのだ。最大手ケータイ小説投稿サイト「魔法のiらんど」の会員数は250万人。そのうちどれくらいが小説に対してアクティブなユーザーかはわからないが、半分以下だったとしても、100万人くらいがケータイ小説市場に参加していることになる。スマホを持たない小・中学生などが書店で直接書籍を手に取ることも多いだろうから、サイト会員だけがケータイ小説読者というわけでもないだろう。さて、これをとるにたらない小さな世界と見るか、大きな世界と見るか。  結論から言えば、私はこれを「大きい。少なくとも小さいとは言えない。10代の若年層が読者に多いことをふまえても、その影響を過小評価はできない」と見ている。が、これを人に言って、共感してもらえることはほとんどなかった。というよりも、前の記事にも書いた通り、そもそもケータイ小説がまだ存在していること自体、あまり知られていないのだ。  この数年、いろんなメディアの編集者にケータイ小説の話をしてきたが、「え、まだあるんですかアレ」と言われなかったことがない。情報産業のメインストリームに関わる人たちでさえケータイ小説の存在に気づかないということは、その向こうにいる、大勢の女性たちのニーズもまた気づかれにくいものである、ということになりはしないだろうか。そしてそれは、あまりいいことではない気が個人的にしている。  振り返れば、ブーム真っ只中の頃だって、「彼女たちのニーズ」というものが、本当に読み解かれたようには思えなかった。ものを語る立場の大人たちは、多くがケータイ小説の「浅はか」な内容に顔をしかめたし、自分自身の「理解できなさ」をもてあましていた……ように、少なくとも私には見えた。  もちろん、当時出版されたケータイ小説の分析本・評論の多くは、「まっとう」な内容だった。単にケータイ小説を罵倒して終わるような、そんな志の低い本は私の記憶にはない。それぞれの書き手が、それぞれの誠意と知性をもって、ケータイ小説という現象を理解しようとした。それは確かである。しかしそこにしかない異様な力、あるいは切実さといったものに本当に迫るような、そういう分析に私は巡り合えなかった。物足りない、といつも思っていたのだ。それは多分多くの分析が、「自分には理解しがたいが……」という前置きを、つまり「あちら側」に対しての絶対的な線引きを必要としていたからだったと思う。「他人事として語られているケータイ小説」に、私個人はあまり興味がなかったのだ。  そして当時、ケータイ小説に対して悪感情が発生することは、いわば「まっとうな大人にとっては当然のこと」として受け止められていた。評論家の中にも「内容に我慢できなくて本を壁に投げつけた」と著書に書く人がいたし、『恋空』(2006)のAmazonレビュー欄なんてすさまじいことになっていた。  そう、覚えている方もいるだろうか。かつて『恋空』のAmazonレビュー欄が、2ちゃんねらーたちの遊び場になっていたことがあるのだ。単純にボロクソな批判を書き込むユーザーだけでなく、「縦読み」と呼ばれる、文章を縦に読むと別の言葉が現れるようにする手法を用いて、遊び半分で罵詈雑言を書き込むユーザーもあとを絶たなかった。  これらは全て、「ケータイ小説(そしてその書き手・読み手)なんて、所詮まともに扱う必要のない存在だ」という意識に基づいてはいなかっただろうか?  ネット上で10年前に起きたことなんて、太古の昔の物語に近い。しかし、かつて大人たちから(大人といえない年齢の人々もいただろうが)そこまでの過剰反応を引き出したコンテンツ群が、「ケータイ小説は、地方のヤンキー女子だけが読む、極めて特殊な読み物だ」というくくられ方ひとつで忘却の彼方に追いやられてしまったことに、執念深い私はいまだ納得がいっていなかったりする。 改ページ  実をいえば私も最初は、『DeepLove』(2002)を「浅はか」だと思い、嫌悪感をむき出しにした一人だったのである。はっきり気色悪いと思ったし、「これに熱狂する人々」のことが理解できなかった。しかしだからこそ、気になって類似コンテンツを読み続けた。そして数年も読むうちに——ちょうど『恋空』ブームが起きる頃には、「これを理解したくない自分、理解できないものであってほしいと思っている自分」に向き合わざるを得なくなった。  そうだ。理解したくなかったのだ。これについてよく考えたくないのだ、私は。  それに気づいてからだ。ケータイ小説のことを、「自分ごと」として考えられるようになったのは。  ケータイ小説を、私は浅はかだと感じる。その理由はたとえば、「セックスや病気や死が軽々しく扱われている」からだ。でも、じゃあどこからが「軽い扱い」で、どこからが「重い扱い」なのだろう? 何より、なぜ他ならぬ「私」は、「セックスや病気や死が軽々しく扱われている物語」が許せないんだろう? 許せない「私」と、それを愛する「彼女たち」の間には何が横たわっているんだろう?  あまりにもたくさんの疑問があった。それをひとつひとつ考えるのに忙しくて、気づけば『恋空』ブームから10年も経ってしまっていたではないか。基本的に、長々とものを考える方なのである。  しかしそのおかげで、「ケータイ小説と自分の関係」については、ひととおり考えをめぐらせ終わっている。私は何の専門家でもないライターだけれども、どんな評論家よりも、ケータイ小説との個人的な付き合いは長い(たぶん)。「線引き」をせずに何年もかけて作り上げた、この「ケータイ小説を見る自分」という土台の上に立ち、私は改めてケータイ小説の世界を見ていこうと思う。  けっこう広いのだ。そして、けっこういろんなものがあるのだ。キュレーションメディアが拾ってくれない情報、Amazonレビューには上がってこない声、Instagramではアップされない光景を見に、ちょっくらあっちの方まで一緒に行きましょう。 ※スマホが普及した2017年現在、ケータイ小説は、厳密には「ケータイ」小説ではなく、単に「WEB小説」の一端である。以前取材で話したケータイ小説編集者も、「あえて『ケータイ小説』という呼称を使うことはほとんどない」と話していた。しかし「魔法のiらんど」や「野いちご」といった大手サイトがあきらかにケータイ小説時代の独特なフォーマットを踏襲し続けていること、読者の間ではSNS上などを中心に、まだ根強く「ケータイ小説」という呼称が使われていることなどから、本連載でも基本的に「ケータイ小説」の語を用い続けていく。

Hey!Say!JUMP・知念侑李と乃木坂46・北野日奈子が交際中? 裏垢告発DM流出で両者ファンに激震!!

 Hey! Say! JUMPの知念侑李(23)と、乃木坂46の人気メンバー北野日奈子(21)が交際していると告発する文章がネット上に流出して大騒動になっている。  流出した情報は、北野の友人が送ったダイレクトメールのスクリーンショットで、「突然DM失礼します。乃木坂46の北野日奈子の友達なのですが、最近平成ジャンプの知念くんと付き合いだし、裏垢を作ったり同じ乃木坂メンバーの齋藤飛鳥の悪口を言ったり調子に乗っているので晒してほしいです。裏垢のFFに他のJUMPメンバーらしき人もいたので、結構繋がっていると思います」と書かれている。  告発者がメッセージとともに添付した北野の裏Twitterアカウントと思われるスクリーンショットには、「また皆でご飯行こ 全国の知念担ごめんなさいwww」と知念ファンを煽る発言や、「飛鳥、加入した時は優しかったのに選抜といる時間多くなって何であんなに見下す感じなの めっちゃうざい」と乃木坂46のセンター常連者・齋藤飛鳥(19)の陰口などが書かれている。  この流出にはどちらのファンも悲しみを浮かべており、知念ファンは「ごめんなさいとか喧嘩売ってんなこいつ。北野日奈子って誰だよクソ」「北野? 誰それ? こんなブスと知念ちゃんを一緒にすんな」、北野ファンは「きぃちゃんマジかよ。ショックでご飯食べられない」「きぃちゃん嘘でしょ。メンバーの悪口とか最低じゃないか」と声をあげている。  一方で流出画像が作り物・意図的なデマだという説もある。Twitterのアカウントはいくらでも作ることが可能であり、流出画像には本人だと確定できる情報も一切ないためだ。「さすがにガセでしょ」「この2人が付き合ってたら文春がスクープしてるはず」「書き方がヲタ丸出し」「本当か嘘かわからない情報で騒ぐなんてばかばかしい」といった冷静な意見も多数だ。  ちなみに北野は、今年8月あたりからライブを欠席するなど体調不良が続いており、9月17日のブログでは「しばらくは皆さんの思いや期待にこたえられない状況が出てきてしまうと思います」と長期療養を示唆していた。  しかし「乃木坂46 アンダーライブ全国ツアー2017」の「~九州シリーズ~」10月18日公演で久々にステージ復帰を果たしている。ライブレポートを投稿しているファンによると、北野は復帰の挨拶の中でやる気に満ち溢れた言葉を発していたそうだ。  ファンにとってはガセだと信じたい情報だが、以前、同じく乃木坂46の齋藤飛鳥(19)の裏アカウントが流出した際には、同グループの2期性はジャニーズ目当てが多いと書かれていた。北野は奇しくも2期性で、その上、以前はジャニーズJr.の松田元太(18)の自撮り画像に、乃木坂46の星野みなみ(19)、堀未央奈(21)らとともに映っていた疑惑もある。さらに、他AKBグループメンバーとジャニーズタレントのスキャンダルが相次いでいることも、今回の交際疑惑の信憑性を高める。果たして真相は……。 (ゼップ)

清水良太郎のキメセク事件――“強要されて使用”した側も「使用罪は成立する」理由

 ものまねタレント・清水アキラの三男でタレントの清水良太郎が、10月11日、覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕された。10日、風俗嬢が良太郎から「薬物を飲まされた」と110番通報し、良太郎の尿から覚せい剤の陽性反応が出たため、11日に逮捕。当初は容疑を否認していたものの翌12日に認めたという。  今回の事件で、風俗嬢は違法薬物を“強要された”身となる。20日発売の「フライデー」(講談社)では、この女性が誌面に登場して、「『クスリをキメて、セックスしようよ』と誘ってきた」「彼がガラスパイプを私の口に近づけて、『吸って』と要求してきました。今度は私の鼻の穴を指で塞いで、キスするように直接口で煙を入れてきたんです」「文句を言うと何をされるかわからないので、『やめてよ~』と冗談っぽく返すのが精一杯でした」などと事件の様子を明かしており、「違法薬物を強要され、断ると逆上されるのが怖く、結果的に使用した形となった」という状況が浮き彫りになった。  こういったケースでは、強要された側も罪に問われてしまうのだろうか。一般人にも起こらないとは限らない事態だが、弁護士法人ALG&Associatesの山岸純弁護士に話を聞くと、意外な回答が返ってきた。 「完全に抵抗できない状態で覚せい剤を吸引させられた、という状況ではない限り『覚せい剤使用罪』は成立します。『強要された』程度では、断ることができる意思を押し通せる可能性があった以上、使用罪は成立します。罪を免れることはできません」  この「完全に抵抗できない状態」というのは、具体的には、「『寝ている間に』や、『応じないと殺される程度の脅迫・暴行によって』という程度の立証が必要です」(山岸氏)だそうだ。確かに、自ら使用していたとしても、「強要された」と嘘を吐いて罪を免れようとするケースも考えられるだけに、その立証は厳しいのかもしれない。  一方で、良太郎のように、覚せい剤を自分が使用するだけでなく、他人に強要した場合は、「他人に覚せい剤を使用することも、1つの『覚せい剤使用罪』が成立します」(同)とのこと。したがって、良太郎のような場合は、「自分が使った罪と、他人に使った罪と、2つの『覚せい剤使用罪』が成立するので、法定刑は、通常の『10年以下の懲役』から、併合罪により『15年以下の懲役』となります。つまり、最大で15年の懲役もあり得るということですが、初犯なら、まずありません」(同)。ちなみに良太郎の場合「おそらく、『1年6月の懲役、執行猶予3年』程度の判決が言い渡されるでしょう」(同)という。  覚せい剤使用を“強要”された側も罪に問われるというだけに、日常生活の中でそのような状況に決して出くわさないよう、十二分に気をつけたいものだ。

清水良太郎のキメセク事件――“強要されて使用”した側も「使用罪は成立する」理由

 ものまねタレント・清水アキラの三男でタレントの清水良太郎が、10月11日、覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕された。10日、風俗嬢が良太郎から「薬物を飲まされた」と110番通報し、良太郎の尿から覚せい剤の陽性反応が出たため、11日に逮捕。当初は容疑を否認していたものの翌12日に認めたという。  今回の事件で、風俗嬢は違法薬物を“強要された”身となる。20日発売の「フライデー」(講談社)では、この女性が誌面に登場して、「『クスリをキメて、セックスしようよ』と誘ってきた」「彼がガラスパイプを私の口に近づけて、『吸って』と要求してきました。今度は私の鼻の穴を指で塞いで、キスするように直接口で煙を入れてきたんです」「文句を言うと何をされるかわからないので、『やめてよ~』と冗談っぽく返すのが精一杯でした」などと事件の様子を明かしており、「違法薬物を強要され、断ると逆上されるのが怖く、結果的に使用した形となった」という状況が浮き彫りになった。  こういったケースでは、強要された側も罪に問われてしまうのだろうか。一般人にも起こらないとは限らない事態だが、弁護士法人ALG&Associatesの山岸純弁護士に話を聞くと、意外な回答が返ってきた。 「完全に抵抗できない状態で覚せい剤を吸引させられた、という状況ではない限り『覚せい剤使用罪』は成立します。『強要された』程度では、断ることができる意思を押し通せる可能性があった以上、使用罪は成立します。罪を免れることはできません」  この「完全に抵抗できない状態」というのは、具体的には、「『寝ている間に』や、『応じないと殺される程度の脅迫・暴行によって』という程度の立証が必要です」(山岸氏)だそうだ。確かに、自ら使用していたとしても、「強要された」と嘘を吐いて罪を免れようとするケースも考えられるだけに、その立証は厳しいのかもしれない。  一方で、良太郎のように、覚せい剤を自分が使用するだけでなく、他人に強要した場合は、「他人に覚せい剤を使用することも、1つの『覚せい剤使用罪』が成立します」(同)とのこと。したがって、良太郎のような場合は、「自分が使った罪と、他人に使った罪と、2つの『覚せい剤使用罪』が成立するので、法定刑は、通常の『10年以下の懲役』から、併合罪により『15年以下の懲役』となります。つまり、最大で15年の懲役もあり得るということですが、初犯なら、まずありません」(同)。ちなみに良太郎の場合「おそらく、『1年6月の懲役、執行猶予3年』程度の判決が言い渡されるでしょう」(同)という。  覚せい剤使用を“強要”された側も罪に問われるというだけに、日常生活の中でそのような状況に決して出くわさないよう、十二分に気をつけたいものだ。

香取慎吾は大丈夫!? ジミー大西、藤井フミヤ、石井竜也……“芸術に走った”芸能人たちの末路

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 元SMAPの香取慎吾が、2017年9月のジャニーズ事務所退所後の仕事のひとつとしてアーティストを選んだ。  10月13日から表参道で開催中の展覧会『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS 企画展 ミュージアム・オブ・トゥギャザー』に、2点のペインティング作品を出品したのだ。作品は油性マジックを用いたポップな画風の『イソゲマダマニアウ』と、大胆な配色を施した『火のトリ』の2点。自由人としての香取の性格が感じられる作風に仕上がっている。香取に限らず“芸術に走る”芸能人は多い。過去にはどういった人たちがいたのか。 「有名どころではジミー大西が挙げられますね。もともと天然ボケを生かしたお笑い芸人として活躍していましたが、深夜のワイドショー『EXテレビ』(読売テレビ系)で、ネタとして描いた抽象画が思わぬ高評価を受けます。その才能は岡本太郎にも絶賛され、1990年代なかばに本格的に画家転向を果たします。ピカソを尊敬し、一時期はスペインに在住するなど芸術活動に軸足を置いていましたが、数年前からタレント業に本格復帰しています。その理由が『(自分の画家としての時給が)焼鳥屋のアルバイト時給より安い』ことに気づいてしまったという切ないものでした」(芸能事務所関係者)  ジミーに先駆けて、芸術家転向を果たした片岡鶴太郎は、最近は出発前に6時間をかけてヨガをやる様子が、バラエティ番組でイジられ話題となっている。ジミーも片岡も“本籍地”は、あくまでも芸人なのだろう。芸人のほかには、ミュージシャンがアーティスト化するケースが多い。 「藤井フミヤはチェッカーズ解散後、90年代に入ると『FUMIYART(フミヤート)』の活動を始めます。当時最先端のコンピューターであったマッキントッシュを使ったCGアートなどを披露していましたが、高い評価を獲得するに至っていません。カールスモーキー石井こと石井竜也も米米CLUBでは、音楽だけでなくダンスやパフォーマンスを取り入れて評価されましたが、90年代に入ると映画監督業を始めます。しかし監督作の『河童 KAPPA』『ACRI』はともに興行的に伸び悩みました」(同)  藤井と石井の場合はファンだけが支える“信者ビジネス”といわれても仕方あるまい。こうして見ると完全にアーティスト化を成功させた芸能人は少ないと言える。香取の行く先にも不安要素はありそうだ。 (文=平田宏利)

香取慎吾は大丈夫!? ジミー大西、藤井フミヤ、石井竜也……“芸術に走った”芸能人たちの末路

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 元SMAPの香取慎吾が、2017年9月のジャニーズ事務所退所後の仕事のひとつとしてアーティストを選んだ。  10月13日から表参道で開催中の展覧会『日本財団DIVERSITY IN THE ARTS 企画展 ミュージアム・オブ・トゥギャザー』に、2点のペインティング作品を出品したのだ。作品は油性マジックを用いたポップな画風の『イソゲマダマニアウ』と、大胆な配色を施した『火のトリ』の2点。自由人としての香取の性格が感じられる作風に仕上がっている。香取に限らず“芸術に走る”芸能人は多い。過去にはどういった人たちがいたのか。 「有名どころではジミー大西が挙げられますね。もともと天然ボケを生かしたお笑い芸人として活躍していましたが、深夜のワイドショー『EXテレビ』(読売テレビ系)で、ネタとして描いた抽象画が思わぬ高評価を受けます。その才能は岡本太郎にも絶賛され、1990年代なかばに本格的に画家転向を果たします。ピカソを尊敬し、一時期はスペインに在住するなど芸術活動に軸足を置いていましたが、数年前からタレント業に本格復帰しています。その理由が『(自分の画家としての時給が)焼鳥屋のアルバイト時給より安い』ことに気づいてしまったという切ないものでした」(芸能事務所関係者)  ジミーに先駆けて、芸術家転向を果たした片岡鶴太郎は、最近は出発前に6時間をかけてヨガをやる様子が、バラエティ番組でイジられ話題となっている。ジミーも片岡も“本籍地”は、あくまでも芸人なのだろう。芸人のほかには、ミュージシャンがアーティスト化するケースが多い。 「藤井フミヤはチェッカーズ解散後、90年代に入ると『FUMIYART(フミヤート)』の活動を始めます。当時最先端のコンピューターであったマッキントッシュを使ったCGアートなどを披露していましたが、高い評価を獲得するに至っていません。カールスモーキー石井こと石井竜也も米米CLUBでは、音楽だけでなくダンスやパフォーマンスを取り入れて評価されましたが、90年代に入ると映画監督業を始めます。しかし監督作の『河童 KAPPA』『ACRI』はともに興行的に伸び悩みました」(同)  藤井と石井の場合はファンだけが支える“信者ビジネス”といわれても仕方あるまい。こうして見ると完全にアーティスト化を成功させた芸能人は少ないと言える。香取の行く先にも不安要素はありそうだ。 (文=平田宏利)