NEWS手越祐也の趣味は「隠し撮り」!? 小山慶一郎から注意されても、構わずメンバーに写真を送信!

 7月1日に放送された大型音楽番組『THE MUSIC DAY 願いが叶う夏』(日本テレビ系)。「ジャニーズシャッフルメドレー」などのコーナーもあり、大盛り上がりで放送を終えた。『THE MUSIC DAY』では、番組テーマである「願い」にかかわるMCが繰り広げられていたが、その中でNEWSも“願い”をテーマにトークを披露。そのひとつに、小山慶一郎からメンバーの手越祐也に「勝手に隠し撮りを……

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【元Jr.独占手記】「キスマイはイライラしてた」Jr.から好かれていた先輩、嫌われていた先輩

 以前、滝沢秀明くんのことについてお話した時、「タッキーのことはJr.からとにかく愛され、尊敬されている先輩」と言いましたが、ほかにもJr.人気の高いデビュー組の先輩はいました。その逆で、嫌われている人も……(笑)。こればかりは、Jr.も人間だからしょうがないですよね! 今回はそんな「Jr.に好かれていた先輩と嫌われていた先輩」をこっそり教えようと思います。

【元Jr.独占手記バックナンバー】
ジャニーズの「BL営業」舞台裏――本当は仲が悪かったコンビとは?
ヤラカシは全員「頭おかしい」――ハゲ散らかしたおじさん、スパイのような女も
なぜJr.はタッキーが好きなのか? 滝沢秀明の「誰もマネできない後輩育成術」

 例えば、先日大麻取締法違反で逮捕され、不起訴処分になった元KAT‐TUNの田中聖くん。世間の人からは、「危ない人」と思われているかもしれませんが、とっても優しい先輩で、多くのJr.から愛されてたし、信頼されていました。例えば、コンサート中、Jr.に「お前らどんどん前行け!」と声をかけてくれて、Jr.の士気を高めてくれるのが、とてもうれしかったという記憶があります。当時のJr.で、田中くんのことを「怖い」と思っていた人はいなかったし、田中くんはヤンチャっぽいのを“演じていただけ”だと、今でも思っています。

 ほかのKAT‐TUNメンバーは……亀梨和也くんは、もう“王子様”って感じでJr.に限らず、周りから崇められてるタイプ。最近は“兄貴分キャラ”な上田竜也くんだけど、僕がJr.の頃は、楽屋から一歩も出て来ないし、しゃべんないから、謎の先輩でした(笑)。“ザ・芸能人!”って感じ。今とはイメージが違いますよ。やっぱり一番優しいのは、田中くんです。

 あと、Hey!Say!JUMPのメンバーは、若くしてデビューしたので、Jr.との年齢差があまりなかったこともあり、「みんなで一緒にステージを盛り上げよう」「楽しくやろうぜ!」と、同じ目線で接してくれました。特に、Jr.歴の長い薮宏太くん、八乙女光くんは、Jr.のことを気にかけてくれていたイメージ。あ……でも、伊野尾慧くんも、薮くんと同じ年に入所してますが、正直そんな優しい印象はないです(笑)。

 A.B.C‐Zはもう本当に優しいんですよ。先輩のバックについていた時期が長かったからか、全員が全員、後輩思いというか……Jr.にも一対一で接してくれるような、そんな先輩です。関ジャニ∞のバックも楽しかったなぁ。コンサートのとき、踊っていると絡んできたりして、特に丸山隆平くんが“Jr.を生かそう”という接し方をしてくれました。あと、ジャニーズWESTも、関西ノリでJr.を率いてくグループで、特に桐山照史くんは超いい人!! 丸山くん、桐山くんがいい人っていうのは、テレビからも伝わってきますよね。

 嵐のバックにもついたことがあるんですが……嵐は大人数で召集されるから、MADEとか、メインでついているJr.以外は、メンバーと絡みもなかったと思います。ただただ「お仕事をしに行く」という感じで、バックについていた記憶がありますね。

 逆に、Jr.から敬遠されていたのは、Kis‐My‐Ft2、もっと言うと舞祭組かなぁ(笑)。めっちゃ怖かった(笑)。Jr.側が何かミスをして怒られるのは当然なんですが、イライラをぶつけられているような怒り方をされるのが嫌でした。それに、Jr.に対して、「一緒にステージを作ろう」ではなく、「お前らはバックで踊っとけ」ってスタンスだったから、気持ちがついていかなかった。中でも、二階堂高嗣くんは、血の気が多いのか、Jr.に対してすぐカッとなってて、「まさか手を上げるんじゃないか?」とヒヤヒヤしたこともありました。

 Jr.内でも、キスマイについて、「自分自身に余裕がないから、あんなふうに高圧的なんだよ」って言ってましたね。キスマイのバックにつく時は、怒られるのが面倒くさいから、ミスしないようにしっかりやろう……みたいな話もしてました。でも、Jr.のことを考えてくれる先輩のグループのバックにつくのと、キスマイのバックにつくのとでは、モチベーションが全然違います。やっぱり大好きな先輩のステージの方が頑張ろうって思ってました。まぁ、キスマイの話は、何年か前のことなので、今はものすごく優しい先輩になってるかもしれませんけどね。

ファンは「辞めてほしい」も、議員辞職はあり得ない? 今井絵理子の図太い“恋愛体質”

ファンは「辞めてほしい」も、議員辞職はあり得ない? 今井絵里子の図太い恋愛体質の画像1
今井絵理子オフィシャルサイトより
 元SPEEDの今井絵理子参議院議員が、「週刊新潮」(新潮社)に不倫疑惑を報じられた。7月中旬、今井は自民党の橋本健・神戸市議会議員とホテルに宿泊。新幹線で手をつなぐ様子なども伝えられた。  橋本議員は別居中の妻と2人の子がいる既婚者で、今井について「新潮」報道では「恋愛感情もありません」と交際も否定したが、今井は文書での弁明で橋本議員から交際を申し込まれたと暴露。好意は持っているが、一線は越えていないと釈明した。  ただ、誰の目にも不倫は明らかで、これには今井の熱狂的なファンから「恋愛も自由にできない政治家なんか辞めて、歌手に戻ってほしい」という切実なラブコールもある。  聴覚障害のある息子を育てるシングルマザーということを前面に押し出し、昨年の参院選で安倍チルドレンとして当選した今井だが、SPEED時代からのファンの多くも投票したと思われる。政策の知識はほとんどゼロに等しく、記者のインタビューには「選挙中なので」と回答を拒否。毎日新聞が行った候補者アンケートでも、憲法改正や消費税の引き上げなど24の質問すべて無回答というありさまで、出身である沖縄の問題についても「これから考えます」と無知ぶりをさらしていたが、それでも演説に駆けつけたファンたちからは「絶対に入れるね!」と約束される場面が目立った。  1996年にデビューした女性4人組のアイドルグループSPEEDは、デビュー当時にメンバー全員が小中学生であることで話題となって即、大ブレーク。爆発的なヒットを連発し、セカンドアルバムは累計200万枚を超えるメガヒットとなった。  ただ、メンバー間のギクシャクや恋愛への傾倒などが漏れ聞こえ、3年目で早くもメンバーが活動の中心をソロに移し、99年10月には翌年3月の解散を発表した。  しかし、この短い活動期間が逆に伝説となり、根強く活動再開を望むファンを残し、その後は何度も再結集があった。  今井は2004年、175RのSHOGOと妊娠発覚を機に結婚も、3年後に離婚。長男の聴覚障害を公表し、講演活動などをしていたが、ファンからの願いはやはり音楽活動で、その多くは一昨年、元SPEEDの島袋寛子と結成した新ユニット「ERIHIRO」も応援していた。  ただ、このユニットは長続きせず、翌年に選挙への出馬を表明。これは聴覚障害者教育福祉協会会長でもある山東昭子議員からのスカウトで、狙い通り自民党比例候補者で5位となる約32万票を得て初当選。しかし、ファンからはこれを歓迎しない向きも出ていた。 「できれば落選してほしかった。選挙は応援しましたけど、前よりも歌手活動が難しくなってしまったのです。一緒に写真を撮ろうとしても『党から禁止されているので』と断られた。今も本格的なSPEED再結成の夢をあきらめてないファンにとっては、政治家・今井絵理子は好きじゃないんです」(埼玉在住のファン女性)  その意味では、今回のゴシップは辞職の好タイミングというわけだ。ただ、SPEED時代から今井を知る芸能関係者によると「本人はかなり図太い性格しているので、批判とか気にならないタイプ」と辞任には否定的だ。  実際、今井は元風俗店経営の婚約者が女子中学生を売春させていた疑いで逮捕(不起訴)されたときも、その報道に参っている様子はなかった。そもそも政治に無関心なのを平然と公にできる点を見ても、強心臓に見える。それを考えると、今回のゴシップも「一線は越えていない」と言い張ってやり過ごしそうではある。  ただ、関係者は「今井はグループ時代から恋愛体質。好きな人ができると仕事そっちのけみたいなところがあるから、既婚者だろうが、本気なら立場関係なく恋愛に突き進むと思う。逆に相手に飽きて見放すのも早い感じだけどね」と話している。  恋愛第一なら、人のために尽くす政治家は向かないと思うのだが……。 (文=片岡亮/NEWSIDER)

ファンは「辞めてほしい」も、議員辞職はあり得ない? 今井絵理子の図太い“恋愛体質”

ファンは「辞めてほしい」も、議員辞職はあり得ない? 今井絵里子の図太い恋愛体質の画像1
今井絵理子オフィシャルサイトより
 元SPEEDの今井絵理子参議院議員が、「週刊新潮」(新潮社)に不倫疑惑を報じられた。7月中旬、今井は自民党の橋本健・神戸市議会議員とホテルに宿泊。新幹線で手をつなぐ様子なども伝えられた。  橋本議員は別居中の妻と2人の子がいる既婚者で、今井について「新潮」報道では「恋愛感情もありません」と交際も否定したが、今井は文書での弁明で橋本議員から交際を申し込まれたと暴露。好意は持っているが、一線は越えていないと釈明した。  ただ、誰の目にも不倫は明らかで、これには今井の熱狂的なファンから「恋愛も自由にできない政治家なんか辞めて、歌手に戻ってほしい」という切実なラブコールもある。  聴覚障害のある息子を育てるシングルマザーということを前面に押し出し、昨年の参院選で安倍チルドレンとして当選した今井だが、SPEED時代からのファンの多くも投票したと思われる。政策の知識はほとんどゼロに等しく、記者のインタビューには「選挙中なので」と回答を拒否。毎日新聞が行った候補者アンケートでも、憲法改正や消費税の引き上げなど24の質問すべて無回答というありさまで、出身である沖縄の問題についても「これから考えます」と無知ぶりをさらしていたが、それでも演説に駆けつけたファンたちからは「絶対に入れるね!」と約束される場面が目立った。  1996年にデビューした女性4人組のアイドルグループSPEEDは、デビュー当時にメンバー全員が小中学生であることで話題となって即、大ブレーク。爆発的なヒットを連発し、セカンドアルバムは累計200万枚を超えるメガヒットとなった。  ただ、メンバー間のギクシャクや恋愛への傾倒などが漏れ聞こえ、3年目で早くもメンバーが活動の中心をソロに移し、99年10月には翌年3月の解散を発表した。  しかし、この短い活動期間が逆に伝説となり、根強く活動再開を望むファンを残し、その後は何度も再結集があった。  今井は2004年、175RのSHOGOと妊娠発覚を機に結婚も、3年後に離婚。長男の聴覚障害を公表し、講演活動などをしていたが、ファンからの願いはやはり音楽活動で、その多くは一昨年、元SPEEDの島袋寛子と結成した新ユニット「ERIHIRO」も応援していた。  ただ、このユニットは長続きせず、翌年に選挙への出馬を表明。これは聴覚障害者教育福祉協会会長でもある山東昭子議員からのスカウトで、狙い通り自民党比例候補者で5位となる約32万票を得て初当選。しかし、ファンからはこれを歓迎しない向きも出ていた。 「できれば落選してほしかった。選挙は応援しましたけど、前よりも歌手活動が難しくなってしまったのです。一緒に写真を撮ろうとしても『党から禁止されているので』と断られた。今も本格的なSPEED再結成の夢をあきらめてないファンにとっては、政治家・今井絵理子は好きじゃないんです」(埼玉在住のファン女性)  その意味では、今回のゴシップは辞職の好タイミングというわけだ。ただ、SPEED時代から今井を知る芸能関係者によると「本人はかなり図太い性格しているので、批判とか気にならないタイプ」と辞任には否定的だ。  実際、今井は元風俗店経営の婚約者が女子中学生を売春させていた疑いで逮捕(不起訴)されたときも、その報道に参っている様子はなかった。そもそも政治に無関心なのを平然と公にできる点を見ても、強心臓に見える。それを考えると、今回のゴシップも「一線は越えていない」と言い張ってやり過ごしそうではある。  ただ、関係者は「今井はグループ時代から恋愛体質。好きな人ができると仕事そっちのけみたいなところがあるから、既婚者だろうが、本気なら立場関係なく恋愛に突き進むと思う。逆に相手に飽きて見放すのも早い感じだけどね」と話している。  恋愛第一なら、人のために尽くす政治家は向かないと思うのだが……。 (文=片岡亮/NEWSIDER)

性暴力被害に押し付けられる「かわいそうな人」か「聖人」というドレスコード。私は好きな服を着て生きていきたい

 前回は誰もが持つ「枠」について、セカンドレイプや私の経験を通じてお話しました。今回は実際に活動をしていくなかで感じた「枠」について考えていきます。  性被害に遭った影響で体調や精神状態に波はあったものの、私は2009年からセミナーやイベントを運営したり、経験を発信したり、被害に遭った方の話を聞いたりと、性暴力に関わる活動を続けてきました。そのなかでたくさんの“両極端な物の見方や考え方”に出会い、葛藤してきました。特にそれを強く感じた3つの場面を挙げていきます。  まずひとつは、性の情報についてです。性の話は性暴力・ジェンダーのような性の問題や妊娠出産といった生殖の話か、エロの文脈の娯楽コンテンツとしての性の話か、このどちらかの文脈で語られます。  学校での性教育は生殖や出産についてが中心で、性行為についてはAVや漫画などの娯楽コンテンツから学ぶしかない……ここにも両極端な状況があります。エロの情報やネタはあふれていますが、娯楽コンテンツはあくまで娯楽として楽しむものであり、正しい知識でも教科書でもありません。 「性暴力はダメ」では伝わらない  近頃ジャンプの性表現が話題になり、「“普通は”フィクションと現実の区別はつく」という意見が聞かれました。本当にそうでしょうか? 性に関する話題はネタとして以外に、身近に触れる機会も語ることもなかなかありません。そんななかでは何が性暴力で、何がそうではないのかがわかりません。性や性のコミュニケーションについて共通認識を持つ機会が少ないことから、知識が人によってばらつきすぎているので、何をしてはいけないのかというラインを見極めることが困難なのです。  結果、人と関わるうえで大事な、“互いを尊重する”というコミュニケーションが、セックスになると適応されず、「嫌がっているように見えても本当は喜んでいる」といったようなセックスに関する“暗黙のルール”ができている状態です。  私が関わる性暴力に関するイベントに来てくれたり興味を持ってくれたりする方のほとんどはとても真面目で、真剣に考えてくれました。しかしそんな状態だからこそ、「性暴力をしてはいけない」というだけでは真剣に考えてくれている人にしか伝わりにくいという現状があります。  性暴力と聞くと身構えて距離を置いてしまう人、自分には関係ないと考えている人が多くいます。自身や身近な人の身に振りかかり深刻になってから初めて、自分ごとになります。それは前回でもお話したとおり、それは前回でもお話したとおり、性暴力に遭う人は“普通”ではないと思っているからです。こうしてセックスについてや身近な性についてコミュニケーションを取ったり、正しい知識をつける機会が持てない現状が性暴力を招くことになるのではないかと思うようになりました。 詩織さんが求められたドレスコード  ふたつめは、被害者像についてです。私のように被害当事者であるとオープンにしたうえで人前に出ると、「傷ついて弱くてかわいそうな人」か「乗り越え、悟った強い聖人」か、どちらかのイメージを求められます。  フリージャーナリストの詩織さんが今年5月に記者会見を開いて準強姦の被害体験を告発したとき、その振る舞いや服装が話題になりました。それに対し、評論家の荻上チキさんが「被害者のドレスコードを求められる」と指摘されていましたが、これはまさに私自身がずっと抱えてきた葛藤でもあります。 “被害者らしいイメージ”というドレスコード(枠)ーーここから少しでも外れてしまえば、被害に遭ったことを認められない、ということを私も経験してきました。ネット上では「人前に出て話せるなら被害なんてなかったのでは」と、真偽を検証するという大義名分のもと、私が“イメージからいかに外れているのか”が議論されました。これはセカンドレイプです。  まず話を聞いてもらわないと伝えることもできないので、求められるコードに従い最低限は「被害者らしくしなければ」と思う気持ちと、「被害者のイメージとは違っても自分のままを伝えたい」という気持ちでいつも悩み、引き裂かれていました。  実際には、被害を受けた後に肌を露出をするのが怖くなってスカートを履けなくなる方や男性と接することに恐怖を感じる方がいて、そういった方々がどれだけ苦しむのかを伝え、性暴力の与える影響の大きさを発信していく必要がある、と思っています。  その反面、私個人は回復途中で発信をはじめたことで情報を多く得られる立場にあったり、もともと学生団体やボランティアなどさまざまな活動をしていたりといった、やや特殊な経歴のおかげで、環境には大いに恵まれました。信頼できる男性も周囲に多かったのです。そのため回復が早く、男性の友人も多く、恋愛やセックスもできていました。浴びせられた悪意と同じくらいには人の優しさや美しさに触れることができ、「人を好きでいるのを諦めたくない」と思い、被害経験をバネにして前向きに動けていました。 スカートを履いていいのか葛藤する  しかし発信する当事者に求められるのは、自身の経験を語ることです。それが一番説得力があるからです。そのなかで、回復が早くイメージに合わない自分のパーソナリティと、多くの被害者が被害を受けたあとに見られる傾向とを、どう分けて伝えればいいのかと葛藤していました。  また性暴力の被害当事者として、メディアに出る機会があるときは「スカートを履きたい」「でも短すぎないものを選ばないと、そこばかり指摘されてしまう」「服装の批判ばかりになったら肝心の話が届かない……」と、ジレンマを抱えながら自分の気持ちとイメージの折り合いを付けて服を選んできました。  本来は服装は関係ないと伝えたいのに、その枠を意識しながらバランスを取ろうとする自分の矛盾に罪悪感を感じていました。  そして私は実は“男性向けオタク”で、アニメや漫画、そしてシナリオのよいエロゲ(18禁美少女ゲーム)が好きという一面があり、それについても被害者のドレスコードに合わないと長く葛藤した経緯があるのですが、それに関しては回を改めて詳しくお話します。  被害の経験はあくまでその人の一部であり、さまざまな段階があります。私と同じように被害者のドレスコードと異なる経緯をたどった方も多くいるはずです。それなら多様なケースの一例として、自分のパーソナリティを隠したり抑圧したりしたくない。でもそう思う一方、「私が前に出たせいで、ほかの被害者が誤解されないようにしないと」と“代表者にふさわしい聖人”や“正しい被害者像”のドレスを前に揺れていました。 問題がごちゃ混ぜにされる弊害 「被害者のイメージを押し付けられたくないなら、被害に遭ったことを隠せばいい」 「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」  そんなことも言われます。でもこれは、本来は別個にある問題の論点を混ぜて、自己責任論に収めているだけです。私はそれに抵抗していきたい。問題を“切り分け”て考えていきたい。wezzyでは、前回お伝えした“知らないことによる枠”の話とともに、“問題の切り分け”もひとつのテーマとしていきたいと思います。枠に収めてしまう理由のひとつは、この“切り分け”ができていないことにあるからです。  たとえば「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」というのは「“本当に被害に遭ったのならスカートを履けなくなるはず”というイメージを持っている人が多い以上、被害者と認められたいならそれを受け入れるべきだ」ということになります。「露出していると性犯罪に遭いやすくなる」という誤解、そして「犯罪に遭うのは被害者が自衛していないことが原因だ」「傷ついているなら、被害に遭いやすい格好をできるわけがない」という、“問題をすべてごちゃ混ぜにした主張”なのです。  これは、たとえ誤ったイメージでも多くの人が持っているならそれに合わせるのが正しいという主張であり、その情報が正しいかどうかより、多くの人に受け入れられるかどうかが優先されているので非常に危険です。  そして性犯罪が起きる原因は加害者の認知が歪んでいるからであって、女性がスカートを履いているから起きるのではありません。たとえどんなに自衛をしても、加害者の認知が歪んでいれば想定外のことが起きます。  悪いのは「性犯罪」という加害行為です。女性が肌を出さずに“自衛”をしていないということが“加害を誘発する”原因として置き換えられ、それによって自己責任論がまかり通るようになるのです。こうして“問題の切り分け”ができていないことこそが、性犯罪に限らずさまざまな生きづらさの原因となっていると私は思います。  また自衛は権利であって義務ではありません。そして“被害に遭って傷ついて露出ができなくなる人がいる”ことは、“被害に遭った全ての人が露出ができなくなる”ことではありません。それを“露出をしている人が傷ついていない”や“被害に遭ってもいいと思っている”とすることは論理の飛躍です。そしてこの発言は、被害者に“行動の制限”を強要することになり、自由を奪い、結果、回復を阻害することになるのです。 服は#ハッシュタグに似ている  このようなことから私は、 「私はスカートが好きだけど、性被害に遭うのは嫌」 「着たい服を着て楽しく生きていきたい」 「被害者として縮こまるのではなく、自分で選択して生きていいい。まずは自分がそう発信することで、押し付けられたドレスを前に悩んでいる人をエンパワメントしていきたい」  そう考えるようになりました。  服は、SNSなどで使われる“# ハッシュタグ”と似ています。何を着るかは、自分で選択していいはず。被害者だろうとオタクだろうと、どんな要素を前に出すかは自分で選んでいいはず。気分で選んでいいし、相手や場面や目的によって変えてもいいはず。自分でアレンジしても作ってもいい。そして、どんな服があるのか知らなければそれについての情報を得ることはもちろん、着ることを選択することもできません。  本来ドレスコードは、その場を心地よく過ごすための心配りであるはずです。そのドレスコードができた前提が変化したり、そこに間違った認識、差別があるのならアップデートする必要があります。あくまで”服装”や“その場にいること”を選択できる状況にあるときに使われるべきもので、日常的に押し付けられるものではありません。また“着たい服を着ている”ことで別の原因から起きる不利益を肯定されるものでもないはずです。  こうして私は、性被害やセカンドレイプから始まる息苦しさは、被害自体や性の問題だけではなく「ドレスコードを押し付けられる」という、ごく身近なことからもきていると思うに至りました。私は「被害者のドレスコード」を求められましたが、たとえば、「自分を犠牲にしてでも家族に尽くさないと母親として失格」という「母親のドレスコード」のように、誰しも求められるドレスコードがあるのではないでしょうか。 身近な「ねばならない」に気づく  社会問題のなかにはさまざまな要素が絡み合っており、それぞれが独立しながらも関連しているものが多くあります。だからこそ、まずは絡んだ糸をほぐすようにして、問題を切り分ける必要があります。そのうえで違う分野と掛け合わせることで、興味を持つきっかけを作ったり、ひとつの分野だけでは解決できないことに、さまざまな観点が生まれるようにしたい。化学反応を起こしたい。  なにより私は私のままでいることで抑圧から自由になりたい。私にはほかにもいろんなパーソナリティがある。だったら、同じように多様な生き方をしている人がいることを伝えるために、知る機会や対話する機会を作る必要がある。  そう考えてこれまでさまざまな活動を続けてきました。今後はこのwezzyという場で発信することで、もっと多くの方に届いてほしいと思っています。  wezzyでは、自分の経験や身近な話題から社会問題につながるようなトピックを取り扱っていきます。生きづらさや社会問題というと少し遠いものに思われるかもしれませんが、なんとなく息苦しく感じてモヤッとする「こうあらねばならない」「こういうものだ」ということがみなさんの周りにもありませんか? そこから少し自由になるためにはどうしたらよいのか、一緒に考えていきましょう。

性暴力被害に押し付けられる「かわいそうな人」か「聖人」というドレスコード。私は好きな服を着て生きていきたい

 前回は誰もが持つ「枠」について、セカンドレイプや私の経験を通じてお話しました。今回は実際に活動をしていくなかで感じた「枠」について考えていきます。  性被害に遭った影響で体調や精神状態に波はあったものの、私は2009年からセミナーやイベントを運営したり、経験を発信したり、被害に遭った方の話を聞いたりと、性暴力に関わる活動を続けてきました。そのなかでたくさんの“両極端な物の見方や考え方”に出会い、葛藤してきました。特にそれを強く感じた3つの場面を挙げていきます。  まずひとつは、性の情報についてです。性の話は性暴力・ジェンダーのような性の問題や妊娠出産といった生殖の話か、エロの文脈の娯楽コンテンツとしての性の話か、このどちらかの文脈で語られます。  学校での性教育は生殖や出産についてが中心で、性行為についてはAVや漫画などの娯楽コンテンツから学ぶしかない……ここにも両極端な状況があります。エロの情報やネタはあふれていますが、娯楽コンテンツはあくまで娯楽として楽しむものであり、正しい知識でも教科書でもありません。 「性暴力はダメ」では伝わらない  近頃ジャンプの性表現が話題になり、「“普通は”フィクションと現実の区別はつく」という意見が聞かれました。本当にそうでしょうか? 性に関する話題はネタとして以外に、身近に触れる機会も語ることもなかなかありません。そんななかでは何が性暴力で、何がそうではないのかがわかりません。性や性のコミュニケーションについて共通認識を持つ機会が少ないことから、知識が人によってばらつきすぎているので、何をしてはいけないのかというラインを見極めることが困難なのです。  結果、人と関わるうえで大事な、“互いを尊重する”というコミュニケーションが、セックスになると適応されず、「嫌がっているように見えても本当は喜んでいる」といったようなセックスに関する“暗黙のルール”ができている状態です。  私が関わる性暴力に関するイベントに来てくれたり興味を持ってくれたりする方のほとんどはとても真面目で、真剣に考えてくれました。しかしそんな状態だからこそ、「性暴力をしてはいけない」というだけでは真剣に考えてくれている人にしか伝わりにくいという現状があります。  性暴力と聞くと身構えて距離を置いてしまう人、自分には関係ないと考えている人が多くいます。自身や身近な人の身に振りかかり深刻になってから初めて、自分ごとになります。それは前回でもお話したとおり、それは前回でもお話したとおり、性暴力に遭う人は“普通”ではないと思っているからです。こうしてセックスについてや身近な性についてコミュニケーションを取ったり、正しい知識をつける機会が持てない現状が性暴力を招くことになるのではないかと思うようになりました。 詩織さんが求められたドレスコード  ふたつめは、被害者像についてです。私のように被害当事者であるとオープンにしたうえで人前に出ると、「傷ついて弱くてかわいそうな人」か「乗り越え、悟った強い聖人」か、どちらかのイメージを求められます。  フリージャーナリストの詩織さんが今年5月に記者会見を開いて準強姦の被害体験を告発したとき、その振る舞いや服装が話題になりました。それに対し、評論家の荻上チキさんが「被害者のドレスコードを求められる」と指摘されていましたが、これはまさに私自身がずっと抱えてきた葛藤でもあります。 “被害者らしいイメージ”というドレスコード(枠)ーーここから少しでも外れてしまえば、被害に遭ったことを認められない、ということを私も経験してきました。ネット上では「人前に出て話せるなら被害なんてなかったのでは」と、真偽を検証するという大義名分のもと、私が“イメージからいかに外れているのか”が議論されました。これはセカンドレイプです。  まず話を聞いてもらわないと伝えることもできないので、求められるコードに従い最低限は「被害者らしくしなければ」と思う気持ちと、「被害者のイメージとは違っても自分のままを伝えたい」という気持ちでいつも悩み、引き裂かれていました。  実際には、被害を受けた後に肌を露出をするのが怖くなってスカートを履けなくなる方や男性と接することに恐怖を感じる方がいて、そういった方々がどれだけ苦しむのかを伝え、性暴力の与える影響の大きさを発信していく必要がある、と思っています。  その反面、私個人は回復途中で発信をはじめたことで情報を多く得られる立場にあったり、もともと学生団体やボランティアなどさまざまな活動をしていたりといった、やや特殊な経歴のおかげで、環境には大いに恵まれました。信頼できる男性も周囲に多かったのです。そのため回復が早く、男性の友人も多く、恋愛やセックスもできていました。浴びせられた悪意と同じくらいには人の優しさや美しさに触れることができ、「人を好きでいるのを諦めたくない」と思い、被害経験をバネにして前向きに動けていました。 スカートを履いていいのか葛藤する  しかし発信する当事者に求められるのは、自身の経験を語ることです。それが一番説得力があるからです。そのなかで、回復が早くイメージに合わない自分のパーソナリティと、多くの被害者が被害を受けたあとに見られる傾向とを、どう分けて伝えればいいのかと葛藤していました。  また性暴力の被害当事者として、メディアに出る機会があるときは「スカートを履きたい」「でも短すぎないものを選ばないと、そこばかり指摘されてしまう」「服装の批判ばかりになったら肝心の話が届かない……」と、ジレンマを抱えながら自分の気持ちとイメージの折り合いを付けて服を選んできました。  本来は服装は関係ないと伝えたいのに、その枠を意識しながらバランスを取ろうとする自分の矛盾に罪悪感を感じていました。  そして私は実は“男性向けオタク”で、アニメや漫画、そしてシナリオのよいエロゲ(18禁美少女ゲーム)が好きという一面があり、それについても被害者のドレスコードに合わないと長く葛藤した経緯があるのですが、それに関しては回を改めて詳しくお話します。  被害の経験はあくまでその人の一部であり、さまざまな段階があります。私と同じように被害者のドレスコードと異なる経緯をたどった方も多くいるはずです。それなら多様なケースの一例として、自分のパーソナリティを隠したり抑圧したりしたくない。でもそう思う一方、「私が前に出たせいで、ほかの被害者が誤解されないようにしないと」と“代表者にふさわしい聖人”や“正しい被害者像”のドレスを前に揺れていました。 問題がごちゃ混ぜにされる弊害 「被害者のイメージを押し付けられたくないなら、被害に遭ったことを隠せばいい」 「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」  そんなことも言われます。でもこれは、本来は別個にある問題の論点を混ぜて、自己責任論に収めているだけです。私はそれに抵抗していきたい。問題を“切り分け”て考えていきたい。wezzyでは、前回お伝えした“知らないことによる枠”の話とともに、“問題の切り分け”もひとつのテーマとしていきたいと思います。枠に収めてしまう理由のひとつは、この“切り分け”ができていないことにあるからです。  たとえば「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」というのは「“本当に被害に遭ったのならスカートを履けなくなるはず”というイメージを持っている人が多い以上、被害者と認められたいならそれを受け入れるべきだ」ということになります。「露出していると性犯罪に遭いやすくなる」という誤解、そして「犯罪に遭うのは被害者が自衛していないことが原因だ」「傷ついているなら、被害に遭いやすい格好をできるわけがない」という、“問題をすべてごちゃ混ぜにした主張”なのです。  これは、たとえ誤ったイメージでも多くの人が持っているならそれに合わせるのが正しいという主張であり、その情報が正しいかどうかより、多くの人に受け入れられるかどうかが優先されているので非常に危険です。  そして性犯罪が起きる原因は加害者の認知が歪んでいるからであって、女性がスカートを履いているから起きるのではありません。たとえどんなに自衛をしても、加害者の認知が歪んでいれば想定外のことが起きます。  悪いのは「性犯罪」という加害行為です。女性が肌を出さずに“自衛”をしていないということが“加害を誘発する”原因として置き換えられ、それによって自己責任論がまかり通るようになるのです。こうして“問題の切り分け”ができていないことこそが、性犯罪に限らずさまざまな生きづらさの原因となっていると私は思います。  また自衛は権利であって義務ではありません。そして“被害に遭って傷ついて露出ができなくなる人がいる”ことは、“被害に遭った全ての人が露出ができなくなる”ことではありません。それを“露出をしている人が傷ついていない”や“被害に遭ってもいいと思っている”とすることは論理の飛躍です。そしてこの発言は、被害者に“行動の制限”を強要することになり、自由を奪い、結果、回復を阻害することになるのです。 服は#ハッシュタグに似ている  このようなことから私は、 「私はスカートが好きだけど、性被害に遭うのは嫌」 「着たい服を着て楽しく生きていきたい」 「被害者として縮こまるのではなく、自分で選択して生きていいい。まずは自分がそう発信することで、押し付けられたドレスを前に悩んでいる人をエンパワメントしていきたい」  そう考えるようになりました。  服は、SNSなどで使われる“# ハッシュタグ”と似ています。何を着るかは、自分で選択していいはず。被害者だろうとオタクだろうと、どんな要素を前に出すかは自分で選んでいいはず。気分で選んでいいし、相手や場面や目的によって変えてもいいはず。自分でアレンジしても作ってもいい。そして、どんな服があるのか知らなければそれについての情報を得ることはもちろん、着ることを選択することもできません。  本来ドレスコードは、その場を心地よく過ごすための心配りであるはずです。そのドレスコードができた前提が変化したり、そこに間違った認識、差別があるのならアップデートする必要があります。あくまで”服装”や“その場にいること”を選択できる状況にあるときに使われるべきもので、日常的に押し付けられるものではありません。また“着たい服を着ている”ことで別の原因から起きる不利益を肯定されるものでもないはずです。  こうして私は、性被害やセカンドレイプから始まる息苦しさは、被害自体や性の問題だけではなく「ドレスコードを押し付けられる」という、ごく身近なことからもきていると思うに至りました。私は「被害者のドレスコード」を求められましたが、たとえば、「自分を犠牲にしてでも家族に尽くさないと母親として失格」という「母親のドレスコード」のように、誰しも求められるドレスコードがあるのではないでしょうか。 身近な「ねばならない」に気づく  社会問題のなかにはさまざまな要素が絡み合っており、それぞれが独立しながらも関連しているものが多くあります。だからこそ、まずは絡んだ糸をほぐすようにして、問題を切り分ける必要があります。そのうえで違う分野と掛け合わせることで、興味を持つきっかけを作ったり、ひとつの分野だけでは解決できないことに、さまざまな観点が生まれるようにしたい。化学反応を起こしたい。  なにより私は私のままでいることで抑圧から自由になりたい。私にはほかにもいろんなパーソナリティがある。だったら、同じように多様な生き方をしている人がいることを伝えるために、知る機会や対話する機会を作る必要がある。  そう考えてこれまでさまざまな活動を続けてきました。今後はこのwezzyという場で発信することで、もっと多くの方に届いてほしいと思っています。  wezzyでは、自分の経験や身近な話題から社会問題につながるようなトピックを取り扱っていきます。生きづらさや社会問題というと少し遠いものに思われるかもしれませんが、なんとなく息苦しく感じてモヤッとする「こうあらねばならない」「こういうものだ」ということがみなさんの周りにもありませんか? そこから少し自由になるためにはどうしたらよいのか、一緒に考えていきましょう。

ほしのあきの胸が消えて「どこいった!?」と大騒ぎ! MEGUMI、井上和香、熊田曜子…巨乳グラドルたちの“産後の胸”事情

 20日発売の「女性セブン」(小学館)、25日発売の「女性自身」(光文社)にて、立て続けに写真が掲載されたタレントのほしのあき(40)。夫・三浦皇成騎手(27)とのお祭りデート現場や、三浦のレース復帰に関するインタビューと、両誌ともに夫にまつわる話題だった。しかしネットでは、記事内容よりも「ほしのの胸」に注目が集まっている。  結婚前のほしのと言えば、「プロ巨乳」と呼ばれたほど、巨胸が売りのグラビアアイドルだった。デビュー当時はBカップだった胸を、「牛乳を飲んでから腕立て伏せをする」「プロテインを飲んで体重を増やし、胸以外の脂肪を落とすダイエット」などの地道な努力の末、1カ月程度でFカップまで急成長させたという逸話もある。  しかし、両誌に掲載されたほしのの写真には、当時の「プロ巨乳」の面影はなく、胸元は平たくスッキリしている。その姿に、ネットでは「胸どこいった!?」「痩せただけじゃここまでなくならなくね?」「完全に悲報」と驚きの声があがっている。  ほしのは、2012年4月に第一子を出産。産後、乳腺がしぼんだり、女性ホルモンが減少することで、出産前よりも胸が小さくなる女性は多く、ほしのもバストがサイズダウンする体質だったのかもしれない。  一方、同じく巨乳グラドルとして一斉を風靡したMEGUMIも2009年に第一子を出産しているが、まだ現役時代のHカップを保っているようだ。近年はメディアに姿を見せる際、肌の露出の少ない、ゆったりしたシルエットの洋服の着ていることの多いMEGUMIだが、今年6月に胸元がパックリと開いたトップスを着ている姿を自身のInstagramに投稿したところ、「オッパイ。ステキすぎる」「セクシー」と大反響。グラビア時代には、胸を大きく見せるポージングのテクニックに定評のあったMEGUMIだが、現在は、ただ直立しているだけでも服の上からでもわかる巨乳ぶりを維持している。  2015年に第一子を出産した井上和香(37)の「ワカパイ(Fカップ)」もいまだ健在の様子。井上もMEGUMIと同じく、自身のInstagramに投稿する近影はゆったりとした洋服を着ている写真ばかりだが、服の上からでもその存在感はしっかりと確認できる。  熊田曜子(35)に至っては、2012年12月に第一子、2015年に第二子を出産しているが、今年5月に発売された写真集『The GREATEST!』(講談社)にて、妊娠を期に「人生で一番(胸が)大きくなった」というB92(Jカップ)・W56・H84の抜群のプロポーションを披露。今も、Fカップと言われていた妊娠前のバストを維持しているとのこと。  女性の身体は、妊娠、出産、育児を経て、大きく変化する。かつて活躍した巨乳グラドルといえど、全盛期時代の身体と異なるのは当たり前であり、以前のように巨乳を売りにしてメディア露出していない現在のほしのの胸が小さくなった(ように見える)ことは、何の「悲報」でもない。同じように出産を通して胸が小さくなった人にとっては、「あー、わかる」程度のことではないだろうか。 (夏木バリ)

木村&嵐・二宮、『検察側の罪人』台本読み合わせは「空気最悪」「やる気なし」とスタッフ苦言

 木村拓哉と嵐・二宮和也が初共演する2018年公開予定の映画『検察側の罪人』。すでに撮影が始まっており、ジャニーズファンを中心に話題となっている同作だが、「7月上旬、出演者が一堂に会して行われた台本読み合わせの場では、空気が凍りついていた」(制作会社スタッフ)との証言が飛び出した。  雫井脩介の同題小説を実写化した本作は、原田眞人監督がメガホンを取り、木村と二宮のほかには吉高由里子などの出演も発表されているという。 「木村も二宮も、それぞれ自身のラジオ番組で、一緒に食事をしたことや、連絡を取り合っていることを明かすなど、ファンを喜ばせていました。しかし、読み合わせの時点では、現場の空気は最悪だったんです」(同)  撮影スタートに向けての重要な場で、一体何があったのか。 「読み合わせの際、主演の木村はなぜか小声で、終始ボソボソとセリフを読んでいるだけ。また、二宮も木村ほどのやる気のなさは見せないものの、怒りを表現するシーンでは共演者がドン引きするほどの“大根演技”を披露。本読み終了後、一部スタッフたちが『あの2人、やる気ないの?』と心配していたほどです」(同)  キャスト間の空気がおかしくなれば、制作側、特に演出陣が黙っていなさそうだが、この現場に限っては事情が違うようだ。 「台本の読み合わせは“本番のための空気を作っていく場”。たまに、脇役出演のベテラン役者なんかだと、棒読みで適当に済ませることもありますが、主演は当然真面目にやっていますよ。しかし、この現場では、監督より木村の方が力関係が上なので、当の監督でさえ木村に対しては口出しできない状況。スタートとしては最悪も最悪でしたね」(同)  また、木村、二宮と他共演者とでは、“演技力の差”も不安視されていたという。 「大倉孝二や八嶋智人、キムラ緑子など、舞台出身の実力派が名を連ねており、そもそもアイドルとは比較対象にならない。話題性だけはあるものの、この有様では公開後の客足も不安が残ります」(芸能プロ関係者)  せめて撮影現場では、2人ともやる気を見せていることを願うばかりだ。

中居正広『ミになる』打ち切り回避!? プライム昇格『陸海空』ナスD、元SMAPメンバーへの献身ぶり

中居正広『ミになる』打ち切り回避!? プライム昇格『陸海空』ナスD、元SMAPメンバーへの献身ぶりの画像1
 いま芸能界で最も数字を持っている男が、一気にお茶の間に浸透しそうだ。  ひょんなことから、顔がナス色になってしまった「ナスD」こと友寄隆英ディレクターの破天荒リポートが人気のバラエティ番組『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて』(テレビ朝日系)が、10月からプライムタイムに進出することが決まった。7月2日のゴールデン特番で平均視聴率9.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録したことで、早河洋会長兼CEOも「考えていた以上にナスDの活躍が話題になっている」と、“昇格”理由を説明した。  4月のレギュラー放送開始からわずか半年での昇格となったが、その裏にはテレビ朝日が抱える“ある問題”も関係しているようだ。テレビ関係者が耳打ちする。 「『陸海空』の火曜深夜帯では、4月まで中居正広がMCを務める『中居正広のミになる図書館』が放送されていました。同番組はリニューアルして4月からゴールデンに昇格したものの、視聴率は1ケタ台続き。視聴者からも『深夜帯時代のほうが面白かった』との声が聞かれる始末。予想以上の不調から、早くも月に1回程度しか放送されない異常事態となっています。しかし、『ミになる』のゴールデン昇格は、ジャニーズ事務所が中居を残留させるために打ち出した条件のひとつ。テレ朝としても、ジャニーズとの関係性を維持するために打ち切るわけにはいかない。そこで中居の顔を立てながら『陸海空』と『ミになる図書館』の時間帯を入れ替えようと考えているのかもしれません」(テレビ関係者)  いわば、中居のピンチをナスDがカバーする形だが、ナスDの元SMAPメンバーへの献身ぶりは昔から有名だったという。 「ナスDは、テレ朝初のSMAPのバラエティ番組『SMAP☆がんばりますっ!!』の総合演出を手がけていました。木村拓哉に『丸3日間トマトだけ食べて過ごす』という企画を提案するために、自ら1週間トマト生活を実践したり、香取慎吾に過酷ロケをお願いするために、気に入られようと自腹で彼の舞台を観にニューヨークに駆けつけたりしていたそうです」(女性誌記者)  いまや人気者となったナスD、中居以外のメンバーにも救いの手を差し伸べてほしいものだ。