清水富美加と“ゲス不倫”のKANA-BOON・飯田祐馬、既婚隠し「かわいい男子」ウリの代償

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KANA-BOON official Twitterより
 宗教団体「幸福の科学」への出家騒動で渦中の女優・清水富美加が、告白本『全部、言っちゃうね。~本名・清水富美加、今日、出家しまする。~』(幸福の科学出版)の中で「好きな人」のことで悩んでいたと告白。相手の実名は書かれていなかったが、ロックバンド「KANA-BOON」のベーシスト、飯田(めしだ)祐馬だと判明、当人がこれを認めた。  2月21日に発表された謝罪文では「私は2014年4月に一般人女性と入籍致しました。しかし、私は、既婚の身でありながら、そのことを隠し、2015年6月から、清水さんと交際を始めました。2015年9月に清水さんに既婚の事実を打ち明け、謝罪しましたが、清水さんに対する自分の気持ちを断ち切ることができず、妻との離婚をほのめかしつつ、2016年1月まで交際関係を続けてしまいました」と明かした。  飯田に近い音楽関係者は「2人は番組共演をきっかけに親密になり、飯田からアタックして交際に発展したそうです。結局、清水から別れを告げたようですが……」と話す。  一説には、昨年1月、ベッキーと「ゲスの極み乙女。」川谷絵音の不倫騒動がきっかけで思い直したといわれる。 「飯田は当初、隠し通すつもりだったようですが、マスコミによる不倫相手探しが始まっていた中で、Acid Black Cherryのyasu、[Alexandros]の川上洋平といったメンバーが当人だと誤解され、名乗り出ないと周りに迷惑がかかると見た事務所サイドが、飯田に公表を促したと聞きます」(同)  そんな中、驚かされるのは、飯田が結婚していることを、メンバーも事務所も隠していたことだ。 「もちろん、周囲はみんな知っていて、奥さんがライブ会場に来ることもあった。でも、基本、若い男性ロックバンドは女性ファンを獲得するために、メンバーの結婚を隠す風潮があるんです。飯田もわざとモテないアピールをし、女子受けしそうな仕草をしていました。そうすると、熱狂的な女性ファンの購買力が何倍にもなる。ほかにも、既婚を隠しているバンドマンは大勢います。ある人気バンドのヴォーカルは、奥さんの同意を得て『独身です』とウソをついていて、奥さんはグッズ売り場を仕切っていますよ」(同)  ロックバンドとはいえ、CDの売れない今の時代、アイドル的人気も欲しいところなのかもしれない。KANA-BOONは大阪出身の4人組。13年にメジャーデビューし、ファーストアルバムがオリコン週間ランキング3位となった。 「メンバーは『僕らはイケてない』と公言し、『イケてる人が書いたラブソングはグッとこないから』と、親近感のある歌詞を売りにしていた。わかりやすく言えば、“特別モテるわけでもない普通の男性”であることがセールスポイントだったんですが、そうすると、メンバーに近づけると錯覚する女性ファンが出てくる。飯田は、好きな女性のタイプをきゃりーぱみゅぱみゅで、その手のタイプ“サブカル女子”にモテるというキャラ設定で売り出されていました」(同)  しかし、ファンに対してのみならず、プライベートでも独身設定を用いていたのはモラルを欠いた話だ。少なくとも「モテない」「かわいい」といった飯田の売り出し方は、今後再考の余地がありそうだ。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

中居正広が少年野球の“スペシャルコーチ”に!? 集合写真にも登場

 読売巨人軍のファンを公言するなど、大の野球好きで知られる中居正広。「週刊ベースボール」(ベースボール・マガジン社)では、月に1度の連載「中居正広の『とことん野球大好き!!』」を持ち、野球をメインに扱う不定期番組『World Baseballエンタテイメント たまッチ!』(フジテレビ系)のMCを担当している。趣味を仕事に生かしている中居だが、2月18日放送のラジオ『中居正広 ON&ON AIR』(ニッポン放送)では「地元に帰った話なんですけど」と前置きし、休日のエピソードを語り出した。

 そのときは、日曜日がオフだったため、前日の土曜日に帰省。地元の友人の子どもたちが野球をやっているそうで、以前から「中居先輩、行きましょうよ」と見学に誘われていたことから……

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NEWS・小山慶一郎、女性アイドルと熱愛疑惑! 交際“匂わせ”投稿にファン憤怒

 NEWS・小山慶一郎が、女性アイドルと交際しているのではないかという疑惑が浮上し、現在、ファンの間で検証が進んでいる。女性のインスタグラムなどから小山を連想させるアイテムや記述が見つかり、交際を“匂わせている”と騒動に。女性のTwitterアカウントには小山との関係性を問うメッセージが殺到するなど、ファンの怒りが膨れ上がっている様子だ。

「小山と親密関係がウワサされているのは、アイドルグループ・放課後プリンセスの候補生&候補生見習いユニット『放プリユース』メンバーの太田希望です。1月中旬に同グループに所属していた森下里奈が活動辞退を発表した際、男性関係のウワサが注目を集めていましたが、同時期にネット上では『太田の男関係もグレー』だという指摘が出ていたんです。内情に詳しい人物による暴露か、熱心なファンによる書き込みなのかは不明ですが、太田が周囲にジャニーズの『NのK』との交際を“自慢”しているといった情報まで記載され、これを機にNEWSファンが太田のマークを始めたようです」(ジャニーズに詳しい記者)

 小山は、昨年12月25日放送の『おしゃれイズム』(日本テレビ系)で「ハマっているグラスのごく一部」として、自宅にある江戸切子のグラスを公開していたが、太田のインスタグラムにも同様のグラスが何度も登場している。手料理写真のそばにグラスが置かれているだけでなく、昨年6月には「友達のお引越し祝いに大好きな江戸切子をプレゼントしようと思って」とインスタグラムで報告。太田と小山の好みが偶然一致していただけとも考えられるが、ほかにも昨年10月中旬に小山が遅い夏休みを取り、ハワイで休暇を過ごした時期に、太田もハワイを訪れていることがインスタグラムから判明している。

「小山と太田は江戸切子やハワイ滞在以外にも、同じデザインとみられるPRADAのバッグを所持しており、複数の共通点が浮上しています。ファンは『偶然かもしれないけど、ここまで重なったら本当に彼女なのかなって思っちゃう』『小山、彼女作るならもっとうまくやって。プロ意識低すぎ』『匂わせたりする女と付き合うってどうなの』と、ショックを受けています。とはいえ、中には『太田さんは撮影でハワイ行ってるし、小山がそれに合わせて夏休みを取れるとは思えない』と、“無実”を信じるファンも一定数存在するようです」(同)

 太田はTwitterで多くのモデルやアイドルをフォローしているが、その中に同じくNEWS・手越祐也との“抱擁写真”が報じられたAKB48・柏木由紀がいる点も、ファンの関心を集めている。また、太田のTwitterに「小山と同棲してるんですか?」「どうしてあからさまに小山さん関連のメッセージだけ無視するんですか?」「全国のNEWSファンが悲しんでるんです。インスタなどに小山君の私物と一致するものをわざと載せたりするのはやめて。ファンの気持ち考えてください」などと突撃するファンも見受けられる。

 先日はメンバーの増田貴久に熱愛疑惑が浮上した際、彼女として名前が取り沙汰された女優・井端珠里は自身のTwitterで増田との交際について「全くの事実無根です。大丈夫、本当に絶対的にそんなことは有り得ませんので、安心してください」と、否定。これを機にファンの騒ぎは収束したが、今回の太田は自身や小山のファンに対して、何らかの釈明を行うのだろうか。

坂上忍、宮根誠司、プロデューサーにも……芸能界に「レプティリアン」大増殖中! その正体とは!?

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 宗教団体「幸福の科学」への出家が波紋を呼ぶ女優・清水富美加の騒動を機に、芸能界では「レプティリアン」なる言葉が飛び交っている。  よく出入りしているテレビ局で、知人の制作スタッフらが「あの人は、もろにレプティリアンだから」といった内容の会話をしていたため、その意味を聞いたところ、清水が所属していた芸能プロダクション「レプロエンタテインメント」寄りの立場を取るタレントや関係者をそう呼んでいるのだという。 「事務所の悪口を言って、一方的に契約解除を突きつけるなんて、芸能界では一番タブーとされる行為ですよ。だから本来は、業界関係者は全員、レプロ側に立って清水バッシングをしてもおかしくないんですけど、今回はちょっと違っています。清水のバックに資金潤沢な宗教団体がついていたり、レプロが業界内で強硬姿勢を取っていることなどから、清水を擁護する人もいて、反応が二分している」(テレビディレクター)  レプティリアンというのは本来、人の姿をして人間社会に入り込んでいるエイリアンのことを指す。SF作家などの間で広まった都市伝説では、トカゲのような姿をしているレプティリアンが人間に化け、各国の王族や政財界など有力者となって地球を支配しようとしているといわれる。  くしくも清水が出家した「幸福の科学」は、まさにそのレプティリアンの存在を以前から示してきた。同団体の大川隆法氏は『レプタリアンの逆襲』(幸福の科学出版)などの関連書籍を多数出版しているのだ。  ただ、ひそかに存在しているエイリアンの都市伝説と違い、今回の出家騒動を受けて芸能界で語られるレプティリアンは、レプロ側につく清水バッシングのタレントや業界人のことを指しているという。 「フジテレビの『バイキング』で連日、清水を目の敵のようにバッシングする坂上忍や、日本テレビの『情報ライブ ミヤネ屋』で厳しく清水を批判した宮根誠司はレプティリアンと言えますね。逆に、その現象を気味が悪いと言った伊集院光、古舘伊知郎は当てはまらない。ただ、タレントは商売トークでやっている感じですけど、テレビプロデューサーや放送作家、芸能リポーターなどにも露骨なレプティリアンがいて、こういう人の前で清水を擁護するようなことを言うと敵視されるので、口を慎むようにしています。レプティリアンは、権力者側についた者という意味も含まれますから……」(前出ディレクター)  エイリアン同様、こちらも十分怖い存在のようだ。 (文=片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

しまむらがアニメ・漫画とコラボしまくり! シュールクソ漫画『ポプテピピック』Tシャツなどハイセンス商品の宝庫に!

しまむらがアニメ・漫画とコラボしまくり!  シュールクソ漫画『ポプテピピック』Tシャツなどハイセンス商品の宝庫に!の画像1
『しまむら』インスタグラムより。
 お手頃価格の衣料品を取り扱う我ら他「ファッションセンターしまむら」が、ここ最近マンガ・アニメとコラボをしまくっていると話題だ。以前からコラボアイテムを発売していたのだが、最近はオタクたちの心を絶妙にくすぐる作品チョイスやデザインで、ファンのハートを射止めている。  しまむらがこれまでコラボを果たしてきたマンガ・アニメ作品はあまりにも多いので、2016年12月よりコラボしてるものの一部を紹介。まずは映画『君の名は。』とコラボしたパーカー。流星をイメージしているデザインのため、アニメのキャラ絵をプリントしているのではなく、流星の軌道を線で表したハイセンスなものになっているぞ。パッと見では『君の名は。』グッズと分からないため、密かにアニメグッズを身につけたいというオタから好評だったようだ。  次は『銀魂』(作:空知英秋/集英社)のエリザベスパーカー。『君の名は。』パーカーとは打って変わって、こちらはエリザベスを全開に押し出したデザイン。エリザベスのどでかい顔がプリントされているタイプと、エリザベスの小さな顔が無数に印刷されているタイプがある。エリザベスが超シンプルなキャラデザのため、服のデザインとして違和感がまるでなく「意外とアリ」「めちゃカワイイ!」と女性から好評を博した、ハイセンス商品だ。 『3月のライオン』(作:羽海野チカ/白泉社)とのコラボパーカー、コラボTシャツもある。こちらも人型のキャラではなく、作中に登場した「ニャー将棋」という将棋のコマを擬猫化したようなキャラがプリントされているため、これを着て街に繰り出しても、なにも恥ずかしくないどころか「カワイイ!」と絶賛されてしまいそうなハイセンス商品。  2月に入ってからは、1月よりアニメが始まり大反響を起こしている『この素晴らしい世界に祝福を!』(TOKYO MXほか)とのコラボTシャツが発売された。こちらはガッツリとキャラクター(カズキ、アクア、めぐみん、ダクネス)がプリントされている。  一般人が普段着として着用するにはなかなかハードルが高そうだが、グッズとして購入して飾ったりイベント時のみに着用すれば、と考えると逆にその主張感が頼もしい。一方、キャラはデフォルメされていてデザインとしてまとまっているし、タイトルも「KONO SUBARASHII SEKAI NI SYUKUFUKU WO!」とセンス抜群にアルファベット表記になっているので、普段使いができそう。  そしてこの度ついにネットで大人気のシュールギャグクソマンガ『ポプテピピック』(作:大川ぶくぶ/竹書房)ともコラボ。しかもマンガのコマをそのままTシャツに隙間なく印刷するという超絶ハイセンスデザイン。  大人気グラビアアイドルで100cmヒップの尻職人・倉持由香もTwitter(@yukakuramoti)で「しまむら行かなきゃ(使命感)」と即買い宣言をしていたほどで、ネット上でも「これはマジでほしい!」「割とガチで欲しい」「しまむらはやはり俺たちの味方だった」と大反響が起こっている。  ただし、『ポプテピピック』の作中でおおいにディスりまくっている“サブカルくそ女”とおぼしき層にも、大変に好評を博しているようなのだが、そのあたり作者はどう思っているのだろうか……。  なお2月22日からは『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』(作:高橋和希/集英社)とのコラボTシャツが発売された。デザインは「青眼の亜白龍(ブルーアイズ・オルタナティブ・ホワイト・ドラゴン)」「ブラック・マジシャン」「ブラック・マジシャン・ガール」の3種類。デフォルメなどなく、純粋にかっこいいデザインで、小学低学年男子などから大うけしそうなハイセンス商品だ。  今後もアニメとのコラボ商品を多数発売してくれそうなしまむら。注目していきたい。

宇多田ヒカルの歌う「愛」は、男たちの新たな人間関係のヒントになるかもしれない。

男らしくない男を自称する杉田俊介さんとまくねがおさんが「男らしさ」について模索する対談連載「男らしくない男たちの当事者研究」。男たちは自分の弱さを語る言葉を持ち合わせていないのではないか、もっと自分への理解を深めなければいけないのではないか、そんな問題意識からこの連載は始まりました。 前回まで複数回にわたって、近年の「男性論ルネッサンス」の検証として3冊の本を読み勧めてきたおふたり。今回は、今年1月に上梓された杉田さんの『宇多田ヒカル論』を取り上げます。宇多田ヒカルが歌う様々な「愛」をヒントに、単一で平板な人間関係から脱却する可能性を語り合っていただきました。 人間は他人を一回しか愛せないのか? 杉田 さて「男らしくない男たちの当事者研究」第五回目です。今回は、僕が1月30日に刊行した『宇多田ヒカル論』(毎日新聞出版)を取り上げることにしました。この本は男性問題をモチーフにした本としても読むことができると思っていて、まくさんのご感想を聞いてみたかったんです。 まく 僕も、この本と男性問題を絡めて、ぜひ杉田さんとお話ししたいと思っていました。杉田さんと宇多田さんとの距離については、本の冒頭で語られていましたよね。対話の最初に、この本を読んだ僕の感想と合わせて、僕と宇多田さんとの距離についても、軽く説明させてください。 僕自身は、宇多田さんの歌をこれまで何となく耳にして生活してきたくらいで、特別ファンというわけではありませんでした。ただ、これまでイメージしていた宇多田ヒカルさんのことを、『宇多田ヒカル論』を読むことでよくわかったような気がしながら(あくまで、気がしただけですが)、ぐいぐいと引き込まれるように一気に読んでしまいましたねえ。宇多田さんの人生について、つらつらと考えながら、何よりも宇多田さんの歌自体の面白さを、たっぷり味わうことができました。 僕はいま36歳なので、同世代の人はみんなそうだと思いますが、「Automatic」(1999年リリース)の大ヒットが思春期の頃で、ラジオなどで何度も聴きました。その後、宇多田さんの歌は自然に耳に入ってきたように思います。「traveling」(2002年)は、PVの映像と共に大好きだった記憶があります。 杉田 男性学やメンズリブの観点から『宇多田ヒカル論』を読解すると、どうなりそうですか? まく 僕自身の読書体験から言えば、「男が寂しさとどう向き合うか」を考えていく上で、『宇多田ヒカル論』は有益なのではないか、と思いました。第一回の対談で、男の寂しさについて話題に上りましたよね。寂しさについて語るのは、男性には特に難しいかもしれない、と。ダンディな「男の孤独」の話とも違っていて、かっこいいものでも、感傷的なナルシシズムを許すものでもない。「もっと身も蓋もない、みっともない寂しさ」が、多くの男にはあるんじゃないか。 男性は職場や仕事の繋がりばかりになりがちで。そんな中で将来、寂しさがごまかしようもなくやってきたとき、落ち込みすぎたり、暴発してしまったり、誰かのせいにしがちになる。そうするのではなく、その寂しさにちゃんと向き合って、その時にこそ本当に優しく、幸せに生きられるように、いまのうちから準備をしておきたい。男性は、根本的にそういう準備が足りない気がする。そんな話をしましたよね。 男たちが、寂しさに向き合うための準備とは、どういうことなのか。『宇多田ヒカル論』を読みながら考えると、何かヒントが見つかるんじゃないか。そう思いました。 杉田 僕が宇多田さんの凄さを感じたのは結構遅いんですよ。「Automatic」等ももちろん耳にしていたけど、ある種の緊張感をもって聴くようになったのは三枚目のアルバム『DEEPRIVER』(2002年)の頃。本当に強烈なインパクトを受けたのは『ULTRABLUE』(2006年)の頃でした。 まく 本では『COLORS』(2003年)や「Passion」(2005年)などを聴いたときの「強烈なインパクト」から書き始めていましたよね。改めて、そのインパクトはどういうものだったのですか? 杉田 自分の20代半ばごろまでの恋愛や失恋の経験を重ねましたよね。そして宇多田さんの中にある、人間は他人を一回しか(First Loveとしてしか)愛せないのかもしれない、離別して遠ざかっていくことの中に実は愛があるのかもしれない、という感覚にぞっとしたというか。 まく その感覚が研ぎ澄まされたようにあったという感じですか? 例えば、「Passion」には。 杉田 そうですね。ただ、宇多田さんは初期の『First Love』(1999年)や『DISTANCE』(2001年)でも、同じような感覚を歌っていたとは思います。僕がそういう感覚に気づいたのが『ULTRABLUE』の頃だったと。そういう意味では、やっぱり遅かった。 初愛、純愛、友愛 まく 杉田さんは『宇多田ヒカル論』を男性問題に引き付けて振り返るとどんなことを思いますか? 杉田 そうですね。僕の評論は「宇多田ヒカルという女性の感じ方・考え方を、男性的なロマンティシズムに回収していないか?」という点が気になっています。僕の宇多田論ってロマンティックすぎませんか? つまり、恋愛に対する「男によくあるロマン主義」の夢を女性に対して投影していないか。たとえば人は誰かを本当に愛せるのは一度きりかもしれないとか、好きだった人が遠く離れていっても忘れられないとか……何というか『世界の中心で愛を叫ぶ』っぽい、男性によくある感傷的なナルシシズムを正当化していませんか。その辺、率直にどうでしたか? 宇多田さん自身の中には以前から非ヘテロセクシュアルな側面があるし、また非人間的(ULTRA)な感覚の強い人だから、単純な男女差のバイアスで考えると、それも違うとも思うんだけど……。 まく 「男によるあるロマン主義」に乗せて描き過ぎている、ということですか? うーん、どうなんでしょう……。まず、確かに『宇多田ヒカル論』には、次のようなモチーフがあったと思います。 どんな人でも、愛する人を最初の一瞬しか愛することはできず、以降はその瞬間から遠ざかっていかざるを得ない。あるひとりの人を好きになって気持ちを伝えて、仮にその気持ちが受け入れられて長く一緒に暮らし、どちらかが死ぬまで添い遂げたとしても。やはり愛する一瞬は最初のそのときのみで、以降は同じようには愛せず、ずっと遠ざかるのみである。どんなに再び愛したいと思っても。 こういう愛を指して、「初愛」という言葉も出てきていましたね。他にも『Fantome』(2016年)について書かれている第六章では「友愛」という言葉も出てきています。これらの「愛」が、男たちが寂しさに向き合う際のヒントになると思うんですね。 杉田 「初愛」は田中ユタカさんという漫画家さんの言葉ですね、僕が好きな。 まく 田中ユタカさんが、どんなかたちでこの「初愛」という言葉を使ったか聞いても良いですか? 杉田 田中さんはエロマンガの作家さんなんですが、特に短編作品では「永遠の童貞」とか「永遠の初夜」を描いている感じがあるんです。たとえ肉体関係を経験しても童貞のまま、処女のまま、初夜のままというか。男性的な観念やロマン性なのかもしれないけれど、それが反復され、研ぎ澄まされていて、ある種のすごみがある。全く違うように見えて、宇多田さんの感覚に実は近い面もあるのかもしれない。それが「初愛」の感じかなと。 まく 僕は正直、その「初愛」の感覚がわからないんです。ただ、「純愛」を求める気持ちはある。僕も失恋の経験がありますが、そのとき好きだった人を「あの人を愛していた」と振り返れないんです。しかも、いま僕は身近な家族も愛していないのではないか、冷たい感覚しか実は抱けていないのではないか、という自分への疑念があって……。どこまで言っても自分が寂しい「寂しがり屋」のナルシストなのかな、と思うんです。だからこそ「純愛」に憧れがある。本当に人を愛したいなって思う。でも、それは自分には一生無理かもしれないとも思う。それで愛を求めてしまう、そんな「ロマン主義」を僕は持っていると思っています。 杉田 失恋の相手に対しては「好きだったけど、愛してはいなかった」という感じなんですか? 振り返ると。 まく いや、これは言うのが恥ずかしいんですが……。「周りもみんなお付き合いしているし、僕も誰かとお付き合いした方が良いのかな」みたいな感じでお付き合いを始めて、それでうまくいかなくなって別れた、という感じでして……。 杉田 いまのお話だと「誰も愛していないし、一生誰も愛せないかもしれない、ゆえに純愛への憧れが募っていく……」という感じなのかな。確かに宇多田さん的な恋愛観とは結構違うかもしれないですね。先ほど少しお話になった『Fantome』は、受け止め方によっては「別にロマン的な恋や愛がなくても、友愛によって生き延びていくことができる、世界を花束で彩れる」という作品ではないか、という気もしますがいかがでしょう? まく ええ。「友愛」の話は、とても面白かったですねえ。『Fantome』のところで書かれていた「友愛」って、世間でいう所の友だちとか、友情とも、違うものとして説明されていましたよね? 杉田 そうですね。必ずしも親密な友情には限らないし、ホモソーシャルな男友達関係に対してはアルバム全体を通して基本的に批判的です。僕はそれを「幽霊的な友愛」と呼びました。死んだお母さんや二度と会えない他者たちとすら、友達としての関係を新しく結び直す、というモチーフをも『Fantome』は含んでいるように思えたんです。 まく それは「戦友」とも違うと書かれていましたね。何か共通の経験があるとか、何かを共に乗り越えたとか、それを通じた情感を伴う関係にも限らない、と。 杉田 薄く浅い関係でもいいわけです。ほんの少しすれ違うだけの関係とか。それらも等しく友情たりうると。 まく 「家族みたい」とか、「友だちみたい」とか、「恋人みたい」とか、「友だち以上恋人未満みたい」とか、それらの言葉でも言い表せないような、誰かに惹かれる感覚のことを「幽霊的な友愛」って呼んでいるんですよね、杉田さんは。それが、すごく大事なモチーフだと思ったんです。色んな人との出会いや関係、別れの中で、世間では言葉になっていないような新たな感覚を得ているかもしれない。それらの言葉では表せないような、微妙なものがそこに新たに生まれているのかも、と。 ……ああ、さっき僕があっさりと割り切ってしまった、過去の失恋の関係も、実は色んなものがあったんだろうなあ。いま、そんなことを思いましたよ。 杉田 失恋した相手との間にある種の幽霊のような友情を感じること、それが「正しいサヨナラの仕方」なのかもしれないですよ、たとえその人と二度と会えなくても。 まく 寂しくて、ついつい若い女性との関係ばかりを求めてしまう、とか。そういう平板な関係でしか、どうしてもイメージできない自分、そうやって寂しさを埋めてしまう自分の価値観を、問い直してくるような様々な出会いや別れに対して、僕たちは心と身体を開けるか。そのように準備をしていこう、と宇多田さんの歌が呼びかけているように感じました。本当にそれが可能かどうかは、実生活で試してみないと、わからないですけども……。 杉田 なるほどね。僕も『Fantome』論のパートを書きながら、ヘテロ男性としての自分の生き方や恋愛観が新しい次元に開けていくような、少なくともその端緒を与えられたような、ある種の解放感(珍しく、カタルシスのようなもの)を感じたんですよ。それは貴重な体験でした。 非人間的な感覚のある自分はどう生きていけばいいのか まく 僕は「初愛」はわからないけど、ナルシストとして『宇多田ヒカル論』の議論は分かる気がしたんです。人はみんな孤独で、違う存在だから、必ず距離がある。その距離の中に、大事なものが宿る。まずは『DISTANCE』のアルバムのところで、そんな説明がありましたよね? 杉田 そうですね。distanceの中にかえって愛が宿ると。 まく ええ。前回の対談で取り上げた二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』(文庫ぎんが堂)では、他人を愛するには自分を愛すことからはじめよう、と書かれていました。そのために、自分がひとりでいても寂しくない【居場所】を持とう、と言っていたわけで。 『宇多田ヒカル論』の『DISTANCE』について書いている第二章を読みながら、ひとりで立ち続けることの充実感を、自分だけでなく相手も感じていくことを祈る、ということが愛なのかもしれない、と思ったんですね。独りになることを分け合おうとする、それが愛なのではないか、と。人は本来的に独りで、ときにぼんやりと「孤立」に苦しんでしまう。ひとりでいても寂しくない場所を手に入れることができて、そのときはじめて、そういう自分を愛している、ということであるならば。他者が、それをできるようになることを望むことが、他者を愛するということなんだろうな、と。そんな風に腑に落ちたんです。 杉田 なるほど。まくさんのいう「ナルシスト」とは「愛したいが愛せない」というアパシー状態(無気力)のことでしたよね。だからこそ純愛というロマンを希求してしまうと。その場合の「ナルシスト」とは、いわゆるアセクシュアル(無性愛)とはまた違う話ですよね? まく はい。僕には性欲があるし、性愛で人とつながりたいと思う気持ちもあります。でも、目の前の人とは、そうできない(気がする)。望んではいるけど、でも愛を感じられない男、そんな無感覚状態な感じですね。 杉田 「愛されない苦しみ」じゃなくって、「他者を愛せない」というアパシー状態を「ナルシスト」と呼んでいるわけですね。それは世間一般のナルシストの定義とは違うんだろうね。愛せないけど、性愛によって寂しさを埋めたいという感じはあると。ふむ。 そういうアパシー=ナルシストの状態から、『Fantome』以前の宇多田さんの歌にシンパシーを覚えるとすると、それはどの辺なんですかね? ある意味で宇多田さんの世界って、割と豊富な恋愛経験がデフォルトな感じもあるから、息苦しかったりはしないのかな。 まく そうですねえ。僕が引き寄せられたのは、「非情な感じ」ですね。本の最初の方の、宇多田さんの生い立ちのところで「感情を消していった」と書かれていた部分が、まずは気になって。宇多田さんの生い立ちと僕のそれとが重なるわけでは全くないのですが、無感覚な感じに何となく悩んでいた僕としては、そこに目を持っていかれたんです。そして『ULTLABLUE』に入っている「BLUE」という曲の詩から、宇多田さんの非人間的な感じを読み取っていた箇所がありましたよね。感情が何だかよく分からない感じ、と言いますか。そういう非人間的な感じが自分にもあるような気もして、そんな自分がどう生きていけば良いのか、と。それを知りたくて、ぐいぐい最後まで読んでいったっていうのが、僕の『宇多田ヒカル論』の読書体験でしたね。 結局、『宇多田ヒカル論』は「男性的」? 杉田 話を元に戻しますが、やっぱり僕の宇多田論ってロマンティックすぎるんでしょうか? 『長渕剛論』(毎日新聞出版)は、対象が長渕さんだから、僕の批評スタンスも「男性から男性への憑依」というモードになっていたんですね。今回の宇多田論は、それとはまったく批評方法が異なる。憑依はしていないと思うんです。ある種の「距離」はあると思う。しかし、その「距離」の取り方自体に僕の男性的な歪みはあるのかもしれないと思っていて。 まく うーむ……どうなんでしょうか……。 杉田 あんまりそういう感じはしなかった? まく ……何か、ロマンティックなものを求めてしまう、熱いものをどうしても求めてしまう。それは、杉田さんの底に確実にありますよね。そういうものを求めてしまう「過剰なもの」とどう共に生きるかという模索が今回の『宇多田ヒカル論』でもなされていたように思いますけど……。こういう論じ方自体がそもそもダメなのかもしれないということですか? それと、こういう議論が「男性的」と言うことでしょうか? これを「男性的」と言ってしまって良いものなのかどうか……。ちょっといまの僕にはわかりません……。いやー、このへんは、すっげーもやもやします……。 杉田 たとえば長渕論は、男性の立場から男性としての長渕さんの葛藤を論じたものだと思うんですね。それは『非モテの品格』(集英社)の議論と連続していると思う。ただ、宇多田論はあまり自分の中の「男性性」を意識せずに書けたんです。実際に、遅筆の僕としては珍しくスピーディに、するっと書けた。それはある種の「普遍性」に軸を置いているからなのか、それともそれ自体にどこかブラインドがあるのか。僕自身もちょっともやもやしているんですけどね。 まく ……うん、僕はまず率直に振り返って、『宇多田ヒカル論』が男性的なロマンティシズムに回収した議論だとは思わなかったですね。だから、この論点自体も、言われるまで僕は思い浮かばなかったです。この対談のテーマの関係で、僕は『宇多田ヒカル論』を読みながら男性性と絡めて考えたり、僕自身が自分の文脈で捉えて考えたりはしました。でも、そんな僕でさえも『宇多田ヒカル論』を読んで「この議論は男性性に引き付けすぎているな」とは思いませんでした。 杉田 そうですか。 まく 『Fantome』について書かれた第六章の後半が、一読してもなかなか理解し難い内容だな、とは思いました。だから、じっくり読んだ。そしたら超面白かった。どこが面白かったかは、今日の対談でお話しした内容につながります。そんな感じでした。 杉田 まあ、その辺は僕自身が反省的に考えてもダメで(それ自体が男性的な反省モードかもしれなくて)。実際に女性や様々なセクシュアリティの人々からの感想を聞いてみたいな、という感じですね。『宮崎駿論』『長渕剛論』『非モテの品格』という連続性の中で書いた面もあるので、男性学やメンズリブのテーマを含んではいると思う。ただ、作者である僕自身が『宇多田ヒカル論』における男性問題をちゃんと自覚できていない。誰か、批評して下さい! まく (笑)。確かに、色んな人の感想は聞いてみたいですねえ。男性以外の性自認の人で、ジェンダーやセクシュリティの議論を深く考えてきた人が『宇多田ヒカル論』を読んだときの感想をぜひ聞いてみたい。そして僕的には、「自分は人を愛せるのか……?」とぼんやり悩んでいるような人に読んでもらって、その読んだ感想を聴いてみたいです。もちろんこの本は、忘れられない大切な恋愛をしたことのある人にとってド真ん中の本なので、そういう人たちにはぜひ、広く手に取ってもらえたら良いなと思いましたね。

嵐、Hey!Say!JUMPらジャニーズ性風俗事情――「メンズエステ」でのプレイにハマる者続出!?

 俳優・京本政樹の長男で、ジャニーズJr.ユニットSixTONESのメンバーとして活動する京本大我の“下半身スキャンダル”に、ファンが大荒れしている。2月21日発売の「フラッシュ」(光文社)では、京本を接客した性感マッサージ店の女性従業員が、性的暴行を受けたと告発。ジャニーズ事務所も、同誌の取材に対し、“本番強要”こそ否定したものの京本の店舗利用は認めている。そして、ジャニーズの風俗事情に詳しい業界関係者らも、京本のこの行為に眉をひそめているという。  “アイドル”という立場であることから、性や異性の話題はタブー視されているジャニーズタレント。情報漏えいの心配がない風俗店情報は、主に先輩から後輩たちへ口コミで“伝授”されているようだ。 「TOKIOのメンバーは、都内に複数の系列店を持つ高級デリヘルの常連です。店舗型の風俗とは違い、デリヘルであれば高級ホテルや自宅、またジャニーズが所有している部屋でのプレイなど、店舗側の暴露にさえ気をつけていれば、プライバシーは万全ですからね」(風俗店関係者)  この高級店の存在は、TOKIOから後輩たちへも受け継がれていったというが、ここ数年は、まったく別の「メンズエステ」なる店舗でのサービスを利用するのが、ジャニーズタレントの主流になりつつあるという。 「メンズエステは、デリヘルとは違って、風俗店ではありません。内容は基本的に、女性からマッサージを受けるのみ。ただ、男性側はほぼ全裸になり、太ももの付け根やお尻など、それこそ“前戯”に近いタッチを受けますし、女性スタッフが応じれば、その後は、いわゆる“手コキ”や本番まで……という場合もあります」(メンズエステ嬢)  そんなメンズエステは、マンションの一室などプライベートに近い環境での施術になるため、もしマッサージ以外の行為を受けていても、周囲に怪しまれにくいというメリットもあるそうだ。 「都内の有名なメンズエステ店には、嵐のメンバーが訪れた後、関ジャニ∞やHey!Say!JUMPメンバーが次々と訪れています。風俗店に比べると、女性の容姿レベルが高いとされており、ハマってしまう芸能人が続出しているんです」(前出・風俗店関係者)  一方、京本が今回トラブルを起こしたのは、「風俗エステ」と呼ばれる派遣型の店だという。 「マッサージと手コキのハイブリッドサービスが受けられます。本番を強要したというのは許されないことですが、それ以前に“ラブホテルを利用した”のは、情報漏えいの危機管理能力が著しく欠けている印象です。プラス『風俗エステ』の価格は控えめなだけに、『京本政樹の息子、しかもジャニーズなのにケチだね』と語る風俗関係者の人は多いですよ」(同)  ファンが抱く幻想とは程遠いジャニーズの“風俗事情”だが、だからこそ利用する際には、細心の注意を払ってもらいたいものだ。

極楽とんぼのラジオ『吠え魂』寂しすぎる“最終回”生きる場所は、やっぱり「ネットのみ?」

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 昨年、コンビ活動を再開した極楽とんぼの名物深夜ラジオ『吠え魂』(TBSラジオ)が19日深夜、一夜限りの復活を果たした。  2000年10月にスタートした『吠え魂』だが、06年7月に山本圭壱が起こした不祥事により打ち切りとなった。今回の放送は、加藤浩次一人の出演となった302回に続く、303回目の“2人そろった最終回”と銘打たれ、歴代スタッフが集ったほか、リスナーからの巨大な寄せ書きもスタジオ内に掲げられた。ファンにとっては待望の復活となるが、気になるのは放送時間帯だろう。 「『吠え魂』はレギュラー放送時は、金曜深夜1~3時に放送されていましたが、今回は日曜の深夜1~3時でした。この時間帯は、本来ならば放送休止枠です。ネット上には、普段『JUNK』をネットしている地方局のリスナーが番組が聴けず、嘆く声も見られました。ノンスポンサーの時間帯ですので、予算もありません。2人のギャラもゼロ、もしくは、かなり低く抑えられたのではないでしょうか」(放送作家)  コンビ活動再開とはいえ、山本は古巣の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)をはじめ、地上波へのレギュラー復帰はかなっていない。依然として、スポンサーの風当たりはきついのだろうか? 「実は『吠え魂』は、07年から3年間、加藤さん単独の番組として復活しています。それでも今回の復活ラジオは、ソロ活動の回数はカウントに入っていません。2人のラジオの最終回をやることで、ケジメをつけたかったのでしょう。そのため、“今回の企画が好評だったから、即レギュラー枠で復活”というわけにはいかないでしょうし、一夜限りだからこそ意味のある企画だったといえます」(同)  極楽とんぼは3月4日から5日にかけて、インターネット番組『極楽とんぼ「KAKERU TV」~24時間AbemaTV生JACK~』(AbemaTV)において24時間生放送に挑む。これまでも、極楽とんぼは毒気たっぷりのDVD作品をリリースするなど“地上波で放送できない”味わいを持つコンビだったが、メディアが多様化した今だからこそ、彼らの魅力が生きる場所もありそうだ。 (文=平田宏利)

極楽とんぼのラジオ『吠え魂』寂しすぎる“最終回”生きる場所は、やっぱり「ネットのみ?」

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 昨年、コンビ活動を再開した極楽とんぼの名物深夜ラジオ『吠え魂』(TBSラジオ)が19日深夜、一夜限りの復活を果たした。  2000年10月にスタートした『吠え魂』だが、06年7月に山本圭壱が起こした不祥事により打ち切りとなった。今回の放送は、加藤浩次一人の出演となった302回に続く、303回目の“2人そろった最終回”と銘打たれ、歴代スタッフが集ったほか、リスナーからの巨大な寄せ書きもスタジオ内に掲げられた。ファンにとっては待望の復活となるが、気になるのは放送時間帯だろう。 「『吠え魂』はレギュラー放送時は、金曜深夜1~3時に放送されていましたが、今回は日曜の深夜1~3時でした。この時間帯は、本来ならば放送休止枠です。ネット上には、普段『JUNK』をネットしている地方局のリスナーが番組が聴けず、嘆く声も見られました。ノンスポンサーの時間帯ですので、予算もありません。2人のギャラもゼロ、もしくは、かなり低く抑えられたのではないでしょうか」(放送作家)  コンビ活動再開とはいえ、山本は古巣の『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)をはじめ、地上波へのレギュラー復帰はかなっていない。依然として、スポンサーの風当たりはきついのだろうか? 「実は『吠え魂』は、07年から3年間、加藤さん単独の番組として復活しています。それでも今回の復活ラジオは、ソロ活動の回数はカウントに入っていません。2人のラジオの最終回をやることで、ケジメをつけたかったのでしょう。そのため、“今回の企画が好評だったから、即レギュラー枠で復活”というわけにはいかないでしょうし、一夜限りだからこそ意味のある企画だったといえます」(同)  極楽とんぼは3月4日から5日にかけて、インターネット番組『極楽とんぼ「KAKERU TV」~24時間AbemaTV生JACK~』(AbemaTV)において24時間生放送に挑む。これまでも、極楽とんぼは毒気たっぷりのDVD作品をリリースするなど“地上波で放送できない”味わいを持つコンビだったが、メディアが多様化した今だからこそ、彼らの魅力が生きる場所もありそうだ。 (文=平田宏利)