歴史に残る大事件は、繰り返しテレビで放送され、いつの間にか「世紀の瞬間」として、多くの人々が同じ映像を脳裏に焼き付けることとなる。阪神・淡路大震災であれば、横倒しになった高速道路、アメリカ同時多発テロであれば、飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込む瞬間、そして、東日本大震災であれば、押し寄せる津波と、原子力発電所の爆発……といった具合に。 しかし、そんな大事件の中で、渦中にいた人々は、いったいどのような感情で、その様子を見守っていたのだろうか? そんな疑問をもとに立ち上げられた番組が、NHK-BSプレミアムで放送されている『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』だ。そして、この番組で特に人気が高かった放送回を書籍としてまとめた『今だから、話す 6つの事件、その真相』が日経BP社より刊行された。本書には、プロデューサーを務める河瀬大作の視点から、この番組で取り上げられた6つの事件が記録されている。 1986年の「チェルノブイリ原発事故」、89年の「ベルリンの壁崩壊」、97年の「ダイアナ妃事故死」など、同時代を生きてきた人間にとって忘れることのできない大事件をひもとくと、そこには意外な真実が満ちあふれていた。 85年に起こった日航機墜落事故は、乗員乗客520人が死亡する、日本の航空史に刻まれる大惨事となった。31年も前の事故でありながら、墜落現場となった御巣鷹山に、破片となって散らばった航空機の姿をいまだに鮮明に覚えている人は多いだろう。『アナザーストーリーズ』では、これまで幾度も語られてきたこの事故を、さまざまな人々の視点から再び語り直している。 当時、上毛新聞のカメラマンを務めていた伊藤幸雄は、休暇中に事故の発生を知り、取るものも取りあえず、墜落現場に近いとされた群馬県上野村へ向かった。軽装だったものの、捜索隊の後を追って山道に分け入った伊藤。5時間もの間、道なき道を進み、墜落現場にたどり着いたその目に飛び込んできたのが、生存者を救助するヘリの姿だった。そんな大スクープを写真に捉えた彼は、4時間かけて下山し、翌日の朝刊に間に合わせるため、車を飛ばした。 一方、遺体の身元確認現場では、そのほとんどが、損傷が激しい部分遺体だった。遺族が衝撃を受けないように、日本赤十字社群馬県支部の春山典子らは、三角巾や包帯を使って傷を隠しながら遺体と対面させた。歯だけの遺体、頭皮だけの遺体などから、次々と肉親を確認していく遺族たち。ある男性は腹部の帝王切開の傷痕から、それが妻の遺体であることを見抜いた。「すごいんだな、家族って」と、春山は家族の深いつながりを実感したという。 彼らが語る言葉は、これまで多くの人が「知って」いたはずの日航機墜落事故とは、また異なった「真実」だった。 戦後生まれ初のアメリカ大統領となったビル・クリントンに不倫騒動が勃発したのは98年。大統領の不倫スクープは、その相手、モニカ・ルインスキーの名前と共に、世界中を駆けめぐった。この発端を作った人物が、出版エージェントを務めていたルシアン・ゴールドバーグだ。熱心な共和党支持者である彼女は、クリントンが「とにかく大嫌い」であり、「汚いネズミ」とまで罵っている。政治信条ではなく、生理的に彼のことを受けつけなかったようだ。そんな彼女のもとに、同じくクリントンを毛嫌いするホワイトハウス職員のリンダ・トリップから暴露本出版の話が舞い込んできた。カーペットにコーヒーのシミをつけ、ピザの空き箱を放置し、実習生と浮気をする……。そんな、大統領の醜聞は、その権威を失墜させるに十分と判断したゴールドバーグは、その情報をニューズウィークにリークする。当初、クリントンはこの疑惑を否定し、別の裁判で、ルインスキーとの不倫を問われながらも、その関係を否定していた。宣誓の上で証言台に立ちながら、虚偽の証言をしたのであれば、偽証罪にも問われかねないのに……。 しかし、ニューズウィークのみならず、ワシントン・ポストやそのほかの報道機関に疑惑を追及されたクリントンは、ついに観念して「不適切な関係」を認め、大統領としては131年ぶりとなる弾劾裁判にかけられることとなった。経済政策を評価されたクリントンは、「お咎めなし」という結果を勝ち取ったが、次の大統領選挙では共和党のジョージ・ブッシュに大統領の座を明け渡すこととなってしまった……。アメリカを揺るがした大スキャンダルは、蛇蝎のごとくクリントンを嫌う女性が、執念によって勝ち得たものだったのだ。 歴史に残る事件の周囲には、それに立ち会った人々が多数存在している。世間に広まった「決定的瞬間」だけではなく、その現場に居合わせた人々それぞれに真実があり、それぞれの思いを抱えながら暮らしている。そんな彼らの視点を、著者の河瀬は「マルチアングル」と表現し、別の角度から歴史を検証することの重要性をこう語る。 「正義は常に正義ではありません。視点が変われば、見える風景はがらりと変わります。こうした視点を持つことで、他人の痛みを知ることができ、無用な諍いを回避できるかもしれません」 「マルチアングル」を持つことで、歴史は多様な姿を浮かび上がらせる。河瀬をはじめ、『アナザーストーリーズ』の取材班は、丹念な取材によって、歴史の別の側面に光を当てているのだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『今だから、話す 6つの事件、その真相』(日経BP社)
年別アーカイブ: 2016年
【磯部涼/川崎】在日コリアンラッパーが夢見る川崎の未来
「日本人/韓国人/フィリピン人/さまざまなルーツが/流れる/この街でオレらは/楽しく/生きてる」。21時、街灯も疎らな住宅街にある公園に足を踏み入れると、暗闇の中にぼうっと浮かぶ白い光が目に留まった。それは、東屋のテーブルに置かれたiPhoneの画面で、周りを少年たちが囲み、YouTubeから流れるビートに合わせてフリースタイル・ラップをしているのだった。すると、ひとりの男がサイファー(フリースタイルの円陣)に歩み寄り、言葉をつないだ。「フィリピン/コリアン/チャイニーズ/南米もいいぜ/ごちゃまぜ/人種ジャンクション……」。BPM90のビートに倍の速さでアプローチしていた少年たちの勢いに比べ、彼のラップはレイドバックしていたが、その言葉には説得力がある。「……集まる/この場所/長崎/じゃなくて川崎/ボム落とす/まるで原子爆弾/拡張してく頭/の中はサイコ/パス・ワードは0022/FUNI(フニ)/で踏み/区切り/誰だ、次」。促された少年のラップは、感化されたのだろう、先ほどよりも熱い。「言ってたな原子爆弾/ならオレらがここで元気出すか!」。ほかの少年たちが歓声を上げる。彼らは暗闇の中で、溜め込んだ気持ちを吐き出していた。川崎区で生まれ育ったラッパーで実業家のFUNI。
ヤクザに殴られる外国人を眺めて教会の屋上でサイファーをした
「この場所は、オレにとってシェルターだったんです。家にも学校にも居場所がないからここに来て、同じような子どもたちと遊びながら、良いことも、悪いことも覚えました。あと、ラップも」。郭正勲(カク・ジョンフン)――通称“FUNI(フニ)”は、灰色の空を見上げながら言う。視線をゆっくり下ろしていくと、煙を吐き出す工場群が、続いてのっぺりとした街並みが、そして、巨大な十字架の裏側が見えた。雨に濡れた梯子をおそるおそる登ってたどり着いたこの場所は、川崎区の多文化地域・桜本にある〈在日大韓基督教会・川崎教会〉の屋根の上だ。「家は厳しかったけど、『教会に行く』って言うと遊びに行けたんですよ。で、みんなでこっそりここでタバコを吸って。中2のときラップにハマってからは、サイファーもやってました。バビロンを眺めながら。すぐそこに不法滞在の外国人が隠れてるアパートがあって、ヤクザにボコられてる姿が見えたり」 FUNIは、83年、桜本に生まれた。4人兄妹の次男。祖父は日本統治時代の朝鮮からやって来たいわゆるオールドカマーで、父は日本生まれの2世。一方、母は結婚のために韓国から嫁いだニューカマーであるため、彼は自身を“2・5世”と称している。やがて、6歳になると1キロほど離れた南大師へと移住。家族はそこで鉄加工工場の経営を始めたが、生活は苦しかったという。「今年、自衛隊の船の部品をつくる仕事が入ってきて、ギリギリ、潰れるのを免れた。つい、『戦争があってよかった』ってホッとしちゃいましたよ。『戦争反対』とか言いたくても言えない。原発立地帯と同じ。子どもの頃から工場で働かされてましたけど、『絶対に継ぎたくない、もっとデカいディールがやりたい、この街を抜け出してやる』と思ってましたね」川崎区の多文化地域・桜本にある在日大韓基督教会・川崎教会は、1947年に建てられて以降、
地元の在日コリアンの拠り所となってきた。
しかし、地元は彼の人格形成に多大な影響を与えたようだ。「南大師に引っ越したら、桜本とそんなに離れていないのに、ガクンとプールが深くなるみたいに疎外感が強くなったんです。小学校で在日はオレひとりでしたし。で、週末になったら桜本の教会で在日の友達と会う。そのボーダーを行ったり来たりする感覚が自分にとって大きかったですね。当たり前だと思ってたことも、決して当たり前じゃないんだとわかった」。やがて、FUNIは川崎北部の高等学校に進学し、地元の特殊性をさらに思い知る。「この街って欲望がむき出しにされてるんで、子どもも大人になるのが早いんですよ。だから、北部に行って、『なんでみんなこんなに子どもなの?』ってビックリしましたね。勉強や部活のことばっかり考えてるのがカルチャーショックだった」 あるいは、FUNIが川崎の不良のしがらみに足を取られることがなかったのは、うんざりしていた地元の、大人たちのおかげでもあったのかもしれない。「川崎の大人って『ああはなりたくない』ってヤツらばっかりで。でも、みんな、結局、そういう大人になってしまう。そんな中でオレは侮れない大人と出会えたんですよね。両親の民族教育の厳しさは常軌を逸してたけど、今は感謝してるし、あと、教会で牧師先生に、キング牧師やマルコム・Xのような先達の存在を教えてもらったことも大きかった」。また、前述した通り、彼はその屋根の上でラップを知ったのだ。「川崎って罪深い街なんで、聖書がよく合うんですけど、それ以上にラップが合う。ナズや2パックの訳詞を読んだときに、国も世代も違うのに置かれてる状況とか考えてることが同じで、しかも、表現がカッコいいことに感動した。で、オレもリリックを書き始めたんです」左:FUNIの父親が描いた絵。なぜ、工場を題材にするのかと訊くと、「この街で一番美しいから」という答えが。右:休日の工場に佇む、FUNIの伯父と猫。
新宿のタワーマンションを離れ川崎に舞い戻ってきた理由
02年、FUNIはラップ・デュオ“KP”を結成する。相方で、世田谷区成城に住んでいた李育鉄(リー・ユンチョル)ことリユンとは川崎教会が縁で出会ったばかりだったが、03年、ラップ・ブームと韓流の勢いに押されるように、KPはいきなりメジャー・デビューを果たす。「ただ、“コリアンラッパー・デビュー”って触れ込みには、そりゃないだろって感じでしたね。『せめて、在日コリアンラッパーだろ、オレらアンニョンハセヨって言われたらブチギレちゃうよ』って」。周囲の無理解に憤った彼らは、若い在日コリアンのリアリティを積極的に打ち出していくが、それによって、依頼される仕事には、NHK『ハングル講座』のレギュラーや、舞台『GO』の主演など、常にエスニシティが付きまとうことになってしまった。「メディアにラッパーではなく、在日の代表として登場させられるんですよね。いつも、『もっとラップを聴いてくれ』と思ってました」 一方、00年代初頭のラップ・ブームは早々と終わってしまったが、若いラッパーたちは才能を発揮する場所を自分たちでつくり、むしろ、そこからこそ、多くの名曲が生まれていった。「その盛り上がりはうらやましかったですよ。自分たちは下地をつくらずに世の中に出たんで、ヒップホップのうわべをなぞることになってしまった。だから、『シーンで名前を売るならやっぱりMCバトルだろう』ってことで大会に出て、それなりに成果を上げた。そのおかげで、『あ、KPのヤツってラップうまいんだ』って認知してもらえたと思う」。また、当時、川崎区からはA-THUG率いるSCARSが登場したほか、〈川崎教会〉にて牧師を務め、桜本のコミュニティ・センター〈ふれあい館〉も創設した李仁夏(イ・インハ)の孫息子のラッパー、INHAが評価を高めていた。FUNIは彼とプロデューサーのOCTOPODの3人でラップ・ユニット、MEWTANT HOMOSAPIENCEを結成、アルバムの制作を始めるが、そんな折、INHAはドロップアウトしてしまう。「オレとしてはそのアルバムが出れば、KPのセルアウト(売れ線)なイメージを脱却して、表現者としての地位を確立できると思ってたんですが……ヒップホップ・シーンとは、入口を間違えた分、何か常にうまくいかないなって感じがありましたね」 そして、彼が成功を果たしたのは、ラッパーとしてではなくビジネスマンとしてだった。14年、FUNIはタワーマンションの自宅から新宿の喧噪を見下ろしていた。4年前、KPの活動を休止すると同時に、友人2人と始めたIT関連企業は、社員80人を抱えるまでに成長。仕事は多忙を極めたが、それも、愛するフィアンセのためだからこそできることだった。「川崎で、日系ブラジル人の女の子と出会ったんです。『同じ移民の子だね』ってお互い惹かれ合って、『民族にこだわるなんて古い、在日コリアンと日系ブラジル人で子どもをつくって、新しい世代を切り開いていこう』と約束した。『金が必要だ。じゃあオレ、ビジネスやるよ』って。でも、がむしゃらにやってるうちに、いつの間にかいかにも日本人的な働き蟻になってたんです。で、14年の大みそか、『あんた、ラップやってたときのほうが輝いてた』ってフラれてしまう」。次の日、彼は会社を譲り渡すことを決める。「どこかで『人生こんなもんか、いちあがりだな』って高をくくってたんですよね。それが真っ白に。でも、彼女には感謝してます。あのままだったら、つまらない人生になってたと思う」。やがて、川崎どころか日本に嫌気が差したFUNIは、放浪の旅へと出発した。川崎教会の屋上から眺める川崎区の風景。遠くに臨海部に建つ工場の煙が見える。
しかし、現在、FUNIは川崎で、相変わらず忙しい日々を送っている。例えば、南大師の実家に拠点を置きながら行っている業務のひとつに、〈ノーベル・ライフ〉や〈電話居酒屋〉といった、悩みや愚痴を聞く電話サービスの運営がある。「アメリカで依然として人種差別が横行している一方、ブラック・ライヴス・マター(警官によるアフリカ系アメリカ人男性殺害事件に端を発する反差別運動)が盛り上がってるのを目の当たりにして。でも、日本は変わらないんだろうなと思ってたら、川崎でヘイト・スピーチに対してカウンターが起こったと知り、『川崎、すげぇじゃん!』と見直して、帰ってきたようなところがある。それで、オレが桜本の教会に救われたように、どこかで苦しんでる人のためのヴァーチャルなコミュニティがつくれないかと思ったんです」。FUNIは子どもの頃のように地元を外から見ることによって、改めてその可能性に気づいたのだ。 また、FUNIはラップも再開、川崎の子どもたちのために、同文化を使ったワークショップの準備を進めている。桜本・桜川公園のサイファーに顔を出した日は、その前に市立川崎高校で講演を行い、そこでも生徒を次々とステージに上げて、フリースタイルを交わした。あるいはFUNIは、子どもたちに、かつての自分の姿や、生まれてくるかもしれなかった自分の子どもの姿を重ね合わせているのではないか。「最近、INHAと連絡がついて、頓挫したアルバムを完成させたんです。MEWTANT HOMOSAPIENCEっていうのは、ミュータント・タートルズみたいに川崎の光化学スモッグを吸いすぎて進化しちゃった人間、って意味なんですね。川崎は日本の未来の姿だと思うんですよ。それは、東京が2020年に向けて目標として掲げるダイバーシティの課題でもある。だからこそ、オレも侮れない大人になって、キング牧師やマルコム・Xのように、未来を生きる子どもたちにオープンソースとして使ってもらえたらと」。10月20日より配信されるMEWTANT HOMOSAPIENCEのアルバムのタイトル、『KAWASAKI』の下敷きとなったのは、映画『未来世紀ブラジル(原題:BRAZIL)』だという。きっと、未来世紀カワサキでも子どもたちはサイファーを組んでいるのだろう。(つづく) (写真/細倉真弓) 【第一回】 【第二回】 【第三回】 【第四回】 【第五回】 【第六回】 【番外編】 【第七回】 【第八回】 【第九回】 磯部涼(いそべ・りょう) 1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。川崎教会の倉庫に置かれていたドラム・セット。
水素の次は“ケイ素”!? 美容業界のネクストブレークは「水晶」アイテムか?
<p> めまぐるしく移り変わる、ダイエット&ビューティー業界のトレンド。ちょっと前まで、テレビや雑誌をにぎわせていたあのダイエット法や美容・健康法が、すでに見る影もナシ……なんてことも珍しくない。では、2016年秋のトレンドは一体何なのだろうか? ダイエット&ビューティー系の企業が“ネクストブレーク”を狙っている“最新兵器”は何か、健康ライターである筆者がレポートする。</p>
ラジオでの発言はファンへのトラップ!? 三宅健が大好評だった『ドリフェス』セトリの意図を明かす
10月22日~24日の3日間、国立代々木競技場第一体育館で行われた『テレビ朝日ドリームフェスティバル2016』(以下『ドリフェス』)に出演したV6。デビュー21年目にして、今回が初めての国内フェス出演ということが話題を集めていた。そんなV6の三宅健が、10月31日深夜に放送されたラジオ『三宅健のラヂオ』(bayfm)で『ドリフェス』の裏話を披露した。
番組の中盤で三宅は、「この間ですか。10月23日、我らがジャニーさんのハッピーバースデーの日に行われた『ドリームフェスティバル2016』にV6が出演するということで、『ドリフェス』に関する感想がたくさん届いたということですね。(略)もー、すごいですよみなさん、興奮冷めやらぬ感じで」と、リスナーから届いた感想メールを紹介した。
フジの新番組『フルタチさん』いよいよ始動! 黒歴史化のボーダーラインは“5%前後”!?
あら、こんなにおぼこい時代もあったのね
今年3月いっぱいでの『報道ステーション』(テレビ朝日系)降板以来、古舘伊知郎にとって初のレギュラー番組となる『フルタチさん』(フジテレビ系/日曜午後7時~8時54分)が11月6日に、いよいよスタートする。
日曜午後7時台は、日本テレビ系『ザ!鉄腕!DASH!!』(午後7時~7時58分)が常時15~20%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)前後の視聴率でトップを独走しており、今秋の改編では各局が『DASH!!』に対抗すべく、テコ入れを図ってきた。
垂れた皮膚で顔が覆われた全盲の“エレファントマン”女性に、1億円の募金集まる
10月20日に放送された、韓国・SBSのドキュメンタリー番組『瞬間捕捉 世界にこんなことが』で、神経線維腫症を患った女性、シム・ヒョニさんの苦境を取り上げた。 神経線維腫症とは、皮膚の病変をはじめ、骨、眼、神経系などに、さまざまな症状が生じる遺伝性の病気。レックリングハウゼン病とも呼ばれている。発生率は約3,000人に1人の割合で、日本における患者数は約4万人という調査データもあるそうだ。 番組が放送されるきっかけとなったのは、シムさんの父親の切なる想いだった。父親は「2年以上も外出せず、家に閉じこもっている娘を助けてほしい」と、テレビ局に救いの手を求めた。 シムさんは2歳の時に緑内障を患い、13歳で視力を完全に失った。さらに15年前から、神経線維腫症の症状が悪化。垂れた皮膚に顔が覆われてしまい、また先天的に頭の一部分の骨が成長せず、陥没してしまうという症状に見舞われた。 番組放送後、韓国では多くの人々がシムさんに支援の手を差し伸べた。集まった支援者の数は5万6,000人以上、支援額は10億ウォン(約1億円)を超えたという。 シムさんを支援する福祉財団関係者によれば、個人に対してこれほど多くの支援が集まったことは初めてだそう。支援金は手数料や運営費などが差し引かれることなく、すべてシムさんに届けられる予定となっている。 シムさんは、「あまりにもありがたくて、涙が出た」と、SBSの制作陣および支援者に感謝の意を伝えている。これまで一歩踏み出す勇気が持てずにいたそうだが、支援に後押しされ、手術を決心。現在、両親とともにソウルの病院で検査を受けているという。 一方、海外では過去に、アメリカに住むジェームス・オニールさんが同じ病気を患った人物のひとりとして注目された。彼の場合、米国内で約24万ドル(2,500万円)の支援が集まったそうだが、そのケースと比べても、今回の募金額は相当多いといえそうだ。 今後、手術を決心したシムさんの症状が、回復に向かうことを願うばかりだ。
新垣結衣『逃げ恥』大ヒットで、“のん”こと能年玲奈が窮地に追いやられるウラ事情
キナ臭さを発する前の能年玲奈
事務所からの独立を主張するのん(能年玲奈)と、それを認めないレプロエンタテインメントの“冷戦”がいまだ続いている。10月31日発売の「週刊現代」(講談社)では、双方の相容れない主張が掲載されるなど、まだまだ騒動は収束しそうにないが、本来であれば味方になりうる芸能プロ関係者からも、レプロに対して「世論を見誤っている」という批判が出ている。
「現代」は連載「ザ・芸能界 テレビが映さない真実」の中で、のんの代理人である弁護士とレプロ担当者、それぞれの弁を掲載。のんの弁護士は、彼女がレプロとの契約中に「株式会社三毛andカリントウ」を立ち上げたことに関して、契約に違反するような活動が目的ではなかったと説明しているが、これに対してレプロ担当者は「契約違反だけでなく、信義則に反している」と反論。ほかにも“能年玲奈”という名前の使用を禁止した事実はないことや、それについての話し合いに、のんサイドが応じなかったことなどを強調している。
新垣結衣『逃げ恥』大ヒットで、“のん”こと能年玲奈が窮地に追いやられるウラ事情
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矢口真里「ミニモニ。」衣装で再結成熱望も、たび重なる“呪い”は解けず!?
タレントの矢口真里が、インターネット放送「AbemaTV」のイベントに「ミニモニ。」時代の衣装で登場し、話題となっている。ウエスト回りはきつかったようだが、ほぼ15年前と変わらぬ姿を披露した。 ミニモニ。は、モーニング娘。らが所属したハロー!プロジェクト内で、2000年に結成された企画ユニット。第1期メンバーは、矢口真里、加護亜依、辻希美、ミカの4人。身長150センチ以下のメンバーが集められ「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」「ミニモニ。テレフォン! リンリンリン」など、多くのヒット曲を生み出した。 当時、多くの企画ユニットが誕生する中で、ミニモニ。はセールス、人気ともにトップクラスを誇っていた、しかし、その一方で、メンバーが次々と不幸に見舞われる、“呪われたグループ”としても知られている。 「リーダーの矢口は2005年に恋愛スキャンダルが発覚し、モー娘。を脱退。その後、俳優の中村昌也と結婚するも、13年、自宅に男性を連れ込んでいたところ、中村と鉢合わせした事件は有名です。ミニモニ。全盛期には『ミニモミ。FUCKだぴょん!』(メディアステーション)なるパロディAVが制作されたことがありますが、のちに矢口がセックス絡みのスキャンダルを起こすことを考えれば、このタイトルは示唆的ですね」(アイドルライター) 加護も負けてはいない。度重なる未成年喫煙、不倫騒動、結婚した年上の夫が傷害罪で逮捕、それにショックを受けての自殺未遂事件、はては離婚と、不幸のオンパレードである。 一方、加護とともに「W」(ダブルユー)として活躍した辻は、07年に杉浦太陽と結婚。3人の子宝にも恵まれ、幸せな家庭を築いていると思いきや、こちらも安泰ではないようだ。 「辻はママタレとして活躍していますが、子どもの扱い方や、一般常識の欠如から、たびたびブログが炎上することで知られています。アンチも多く、いつ、ベッキーや、長谷川豊のような“ネットリンチ”の対象となってもおかしくありません」(同) もう一人忘れてはならないのが、ハワイ出身のミカ・トッドである。結成時はメンバー最年長の16歳。04年にハロプロを卒業後は音沙汰がなかったが、14年に過激な反捕鯨団体として知られる「シーシェパード」のメンバーではないかという疑惑が巻き起こった。 「実際は、インターネット上で、反捕鯨記事に賛同を示しただけのようです。海外では取り立てて珍しいことではありませんが、それが大きく拡散されてしまった格好です。元アイドルという経歴ゆえに、SNSがウォッチャーたちに“監視”されてしまうのも、ある種の不幸ですね」(同) ここまで不幸やトラブルに見舞われているとなれば、矢口が呼びかける、オリジナルメンバーによる再結成は当分、望めないだろう。ファンにとっては、これが最大の不幸であるかもしれない。 (文=平田宏利)『ミニモニ。ソング大百科1巻』(ZETIMA)
Sexy Zoneの中で最もセクシーなのは? 『Rの法則』が直球アンケートを実施
TOKIO山口達也が司会を務め、ジャニーズJr.がレギュラー出演している番組『Rの法則』(NHK Eテレ)に、まもなくデビュー5周年を迎えるSexy Zoneがゲストとして初登場した。デビュー秘話や当時の映像を振り返りながら、スタジオのメンバーたちと和やかなムードでトークをくり広げた。
デビュー当時は平均年齢14.4歳だったSexy Zoneもすっかり大人になり、佐藤勝利、中島健人、菊池風磨の3人はすでに20代に。そんな彼らに、グループ名になぞらえて「“セクシー”とは?」という質問が。マリウス葉は、「“エロい”とかそっちのセクシーじゃなくて、オーラっていうか」とアイドルらしい回答だが、山口から「風磨は違うよね?」と聞かれた菊池は、素直に「ボクはちょっとエッチな方……」と発言。メンバーが考える「セクシー」には、若干差が出ているようだ。









