1978年に体外受精によって、ルイーズ・ブラウンさんがイギリスで誕生してから38年。生殖医療の分野では、日進月歩で技術が進化を遂げている。その一方で、テクノロジーと切り離せない“生命倫理”をどう捉えていくかについて、議論はまだまだ道半ばである。
そこで、生殖医療の最前線をレポートした『生殖医療の衝撃』(講談社現代新書)の著者である埼玉医科大学医学部産科・婦人科教授の石原理氏に、現代の生殖医療にまつわる課題について聞いた。
■さまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけない
――生殖医療はどのような問題をはらんでいるのでしょうか?
石原理氏(以下、石原) もともと子どもを授かることは、自然なことで“神様の思し召し”として受け入れられてきました。ある種の“思い込み”だった妊娠について、「子どもができないのは何か原因があるに違いない」として解明した結果、治療をすれば子どもができるのではないかと、医療を適用させる考え方が生まれました。ただ、その治療は文化的、宗教的なものによって大きく影響を受けます。国によっては受け入れ難いものもあるということです。
また、現実に治療方法が開発され、一般の人々の手に届くようになったとき、個人の経済状況によって、治療を手に入れられるかどうかの差があることも問題です。特に、発展途上国の中には高価な不妊治療を受けられない女性がたくさんいるという事実があります。
――生殖医療が“妥当な治療”であるかどうかは、個人ではなく国レベルで左右されてしまうということですね。
石原 生殖医療について、世界標準の見解を得ることには無理があるのではないでしょうか。世界にはいろいろな価値観があるので、それらに基づいてお互いを認めていかなければと思います。“これが絶対だ”とまとめることはできない。それでも「格差」「偏見」「閉鎖性」というキーワードに生殖医療が紐づいているのであれば、それらを解消していく必要があります。
――生殖医療とひとまとめにできないほど、さまざまな治療が存在しますが、日本でも取り入れられている「精子バンク」の運営については、世界共通のルールは設けられているのでしょうか?
石原 特別ないです。国や地域によってそれぞれルールを設定していますが、そもそも「精子バンク」は常々ネガティブに捉えられていました。アメリカでは商業ベースで精子が販売されていて、正直、私自身も偏見がありました。ただ、直接当事者の話を聞くと、必ずしもネガティブなものばかりではないという結論に達しました。
実際に、残念ながらパートナーの精子で妊娠できない女性がいらっしゃいます。さらに、もっと重要なことは、結婚という形態が本当に必要なのかということです。独身女性やレズビアンカップルでも、「結婚は望んでいないが子どもはほしい」と要望する人も圧倒的に多い。
実は、結婚した男女のカップルが、第三者の精子を求めるケースは年々減ってきています。その代わり、精子を求めている人の90%以上は、世界規模で見ると独身女性、あるいはレズビアンカップルです。では、問題は、その方たちが子どもを持つことについてどう考えたらいいか。それについては、国連がすべての婚姻形態やさまざまな家族のあり方を同等に扱わなければいけないと、ガイドラインに示しています。ヘテロセクシュアルとホモセクシュアルのカップルは同等に扱わないといけないと宣言している。各国にも遵守するよう要請しており、日本を除く多くの国がすでに同性婚を認めています。
■日本での精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められている
――生殖医療を考えるにあたって、まずは家族のあり方から考えるべきということですね。
石原 そのように思います。同性婚については、ここ数年で英国と米国が認めるようになり、それに伴って、「精子バンク」の必要性と存在意義についても、見直されるようになりました。従来は知り合いの男性から精子を提供してもらうことが多かったわけですが、しかしそれが日本で語られることや報道されることはない。まるっきり別の世界の話になっています。
その一方で、提供精子により生まれた子どもが、精子提供者が誰なのか知るべきかどうかについては、議論の過程にあります。日本でも自分が提供精子で生まれたことを知って、自分とは何者なのかがわからなくなる「アイデンティティクライシス」を起こした人について報道されました。
――やはり子どもには、誰が精子提供者かを伝えるべきなのでしょうか?
石原 そうとも限りません。「アイデンティティクライシス」の問題は、社会的な父親が生物的な父親だとずっと信じ込んでいたことが裏切られた、という点にあるのであって、精子提供者がどこの誰なのかを知ることとは、別の次元の話です。そもそも、自分が提供精子で生まれたことを知っていれば、精子提供者が誰なのかをそこまで知りたいと思わないかもしれない。
実は、スウェーデンでは、1983年から精子提供者が誰かを、子どもが18歳になったときに知ることができるよう、法律が整備されているんですね。しかし、聞きに来た子どもはほんのわずかしかいない。もしかしたら、親が精子提供で生まれたことを知らせてない可能性もありますが、わざわざ聞きに来るケースは少ないようです。
――ただ、シングル女性やレズビアンカップルの子どもの場合、精子提供を利用したかどうかは、当然気付くはずですよね?
石原 はい。したがって教えないという選択は難しい。教えなければいけないけれど実際、それがどこの誰だかわからないとなってしまうのが、問題の中心になってくるわけです。そのため、やはり精子提供者のアイデンティティをちゃんと明らかにしておく仕組みが必要になってくるのです。
精子提供者は、スウェーデンやイギリスでは自分のアイデンティティをオープンにする必要があります。ただ、フランスや日本は相変わらずアイデンティティをオープンにしない、匿名提供です。日本では、精子提供はヘテロセクシャルの夫婦にのみ認められているので、もうすでに家庭に父親がいるわけです。そこにもう1人、生物学的な父親を持ち込むことが必要不可欠なのかどうかが問われますが、いまのところ必要不可欠ではないという判断で、匿名提供になっているのです。
■未婚女性から生まれる子どもが増えると出生率も向上する
――日本の場合、父親の精子に何かしらの異常があって提供を受ける、かつヘテロセクシャルの夫婦でなければなりません。精子提供は医療的な要素をすごく感じますね。
石原 それは、日本においては婚姻しているカップルから生まれた子どもと、婚姻していない女性に生まれた子どもに明確な差別があるからだと思います。これについては、国連からずっと指摘され続けていますが、同性婚どころか選択的夫婦別姓すら許されていない。
極めて古典的な日本の家庭像が定着していて、未婚女性から生まれる子どもの比率は全体の3%くらいしかいない。ほとんどの国は40%から50%は、未婚女性から子どもが生まれますし、アイスランドに至っては75%が未婚女性の子どもですから。
――画期的な技術があっても、選択ができないようでは、何とも不平等な気がします。
石原 日本はいろいろなパターンや選択肢を許容する幅が狭すぎる。またそれに対して社会的なサポートがないのです。「精子バンク」の商業化は、提供精子の安全性を追求していく上でも極めて有効です。要するに製品として精子をモノ化してしまうことによって、一種の資源となり、扱いが冷静になります。馬や牛でも種付けという行為があります。単純にそれだけのことだと割り切ると話は理解しやすくなる。その方が多くの人たちの幸せにつながると思います。
しかし、日本の社会でそうした考えが受け入れられるようになるには、まだまだ時間がかかるでしょう。ただ、10年たったらどうなるかわからない。重大なのは法の整備であり、基本的な枠組みです。
日本では出生率の著しい低下が社会問題化していますが、婚姻していない女性から生まれる子どもが増えると、出生率も向上する正の相関関係を示すのが常です。保育所が不足していることも問題ですが、それ以外にもやらなければいけないことがたくさんあるはずです。
(末吉陽子)