韓国のバラエティ番組で紹介された、とある女性の“必殺技”が注目を集めている。その女性とは、スポーツモデルのイ・ソヒョンさん。ニックネームは「風船ボリューム女」だ。 イさんが披露したのは、「わずか10分でバストサイズが2cm大きくなる運動法」というもの。運動法といっても、腕を左右に力強く交差させるだけ。ただその効果は驚きで、本当にバストがいきなり大きくなるということを実証してみせた。 スタジオでは、バストが大きくなりすぎて、イさんのブラウスのボタンが外れてしまうアクシデントも。サイズを測ると、81.8cmから88cmにサイズアップ。共演した女性芸能人もこの運動法にチャレンジすると、86cmから90cmになった。 解説によれば、こちらの必殺技を繰り出す前に、鎖骨まわりや、腹部、胸部を伸ばすストレッチをすると効果が如実に表れるのだとか。あとは10分程度、両腕をクロスさせ、洗濯物を絞る要領でねじればよいそうだ。 イさんは、韓国総合格闘技団体・ロードFCの“華”である、ロードガールも務める美人スポーツモデル。セクシーかつハリのある肉体で、韓国人男性の人気を集めている。また、最近では釣り専門チャンネル・FTVの専門リポーターも務め、「釣り妖精」という愛称で親しまれている。経営者、歌手、アナウンサーとしての顔も持ち、マルチに活躍中だ。 彼女の登場以降、韓国女性の間では「強くて、かっこいい女性」という新カテゴリーが受け入れられるようになった。昨今、韓国ではボディビルディングを楽しむ女性が増えたという報道もあるが、彼女はそんな新しい韓国の女性像を体現した人物でもある。 体を張った視聴者サービスを欠かさないところも、人気の秘訣なのかもしれない。 (文=河鐘基)SBSプラスチャンネルより
月別アーカイブ: 2016年10月
8.8%ショック! 月9初回史上最低視聴率の『カインとアベル』ピンとこない企画の正体とは
連ドラ秋クール、連敗続きの「フジテレビ月9」も満を持してスタートです。タイトルは『カインとアベル』。うーん、ピンときません。聖書を原案にした兄弟のお話だそうですが、ピンとこないですよねえ。あのジェームズ・ディーンの名作映画『エデンの東』(1955年)も、この「カインとアベル」を下敷きにしているそうです。といわれても、ピンとこない。 主演は、今をときめくHey!Say!JUMP・山田涼介くん。こちらも正直、ピンとこない。ピンとこないものだからググってみたところ「乱交」「妊娠」「CM打ち切り」という文字が目に飛び込んできて、ようやくピンときました。例の東スポのアレのあの子ですね。 それにしても、どうしてこんなにピンとこない企画になったんだろうと、不思議に思うんです。山田涼介が主演ということは、明らかにティーン女子向けだと思うんですけど、今どきのティーン女子は、たぶんあんまり聖書とか読んでないし、『エデンの東』も見てないでしょう。ジェームズ・ディーンなんて知らないでしょう。 それでもせめて、タイトルをまんま『エデンの東』にしとけば、「山田涼介が和製ジェームズ・ディーンに!」と告知を打てたところでしょうが、これは比較されるのをジャニーズが嫌がったのかな。いずれにしろ、ピンとこないまま始まった『カインとアベル』は、初回視聴率8.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。月9の初回としては過去最低となりました。やっぱり日本中がピンときてなかったんだと思います。 そんなピンとこない『カインとアベル』で、山田くんは日本を代表するデベロッパー「高田総合地所」社長の次男坊・優くんを演じます。優くんの兄で副社長の隆一には桐谷健太、父で社長の貴行には高嶋政伸が配されています。この父と兄の配役……なんか、ピンとくる! 優くんは、デキる兄貴にコンプレックスを持っている男の子。父の会社でマジメに働いていますが、営業成績はあんまりよくないようです。ところが、兄・隆一副社長の粋な計らい(?)で、新規事業のプロジェクトチームに抜擢されました。明らかなコネ採用ですが、周囲からあんまり反感を買わなかったところを見ると、ジュニアのわりに性格はいいみたいです。 チームは、白樺湖に新しくできるアウトレットモールを受注するためのコンペに出場することになります。目玉はグルメコーナー。いかに有名なレストランを誘致することができるかで勝負が決まるようです。 ほかのメンバーが次々と有名店から仮契約を取ってくる中、優くんと、彼とイイ感じになってる先輩女子・梓(倉科カナ)だけが、自分の担当の店を落とすことができません。といっても、優くんはただ営業力が弱いだけの感じで描かれますが、梓は自らチームに提案した長野・松本の蕎麦の名店に「うちは家族だけでやってるから」「裏山の湧き水がないと、この味が出ないから」と理にかなった事情でお断りされていました。 優くんが担当するピザ屋は、優くんに対して「金の問題じゃない」と言いきっていました。副社長兄貴は「支度金を積め」と提案しますが、ピザ屋の言い分を鵜呑みにした優くんは「あの人は職人だから金じゃ落ちない」と主張。しかし、何度目かの訪問でピザ屋に「支度金をがっぽり持ってくるとかしろよ」と身もフタもない本音をぶつけられてしまいます。 後日、優くんは50万円の支度金を用意してピザ屋を訪れますが、「なめてんのか、二度と来るな」と、なしのつぶて。ショックを受けた優くんは「ピザの味、なんか変わったような気がする」「3年前に中目黒の一号店で食べたときと、何か違う」と捨て台詞を吐き、プロジェクトチームを降りることにしました。 深夜、荷物をまとめている優くんでしたが、梓に「それが弟くんのやり方なの?」「私なら絶対あきらめない」とハッパをかけられ、すぐ翻意。ピザ屋を最初に訪問したとき「図面じゃわかりにくい」と言われたときから考えていたという、モールのジオラマ作りに取り掛かります。 徹夜で、イチャイチャイチャイチャしながらジオラマを作る優くんと梓。「この仕事に人生を賭けてる」と大見得を切った梓は、午前1時30分くらいになると寝てしまいます。で、ひとしきりその寝顔を愛でていた優くんも、すぐ寝ちゃいます。2人とも20代なのに、あんまりタフじゃないみたい。 で、なんだかんだでコンペには勝利。梓は蕎麦屋と、優くんもピザ屋と仮契約を結ぶことができました。 梓は実は副社長兄貴の彼女でしたが、予告などによると今後、優くんが奪うことになるようです。 父・貴行社長は基本的に優くんの仕事ぶりを認めていないようですが、「セオリーなんか、まるで無視」なやり方に、将来性を感じている様子です。 優くんのピザ屋との契約が難航したのは、兄弟間の関係とかは全く関係なく、ただビジネスの進め方が未熟だっただけですし、逆転契約に持ち込めたのは優くんの性根の良さが出た結果でした。 つまり、優くんはあんまり兄貴にコンプレックスを感じる必要がないように見えるんですよね。 原案の聖書の『カインとアベル』は、兄が嫉妬に狂って弟を殺す話でした。このドラマ『カインとアベル』は、弟が兄から彼女を奪う展開になりそうですし、やはりどちらかというと主人公キャルが兄アロンに反感を抱き、アロンの恋人アブラを略奪しようとする『エデンの東』がベースになっているように思えます。 しかし、往年の名評論家・淀川長治をして「あれだけ悲劇的な詩情を匂わせる役者はいない」と評されるほど、美しい顔面に万感の悲しみを湛えていたジェームズ・ディーンほど、山田くんが悲しそうじゃないんですね。イラついてる感じがしない。どちらかというと、恋に仕事に一生懸命で、世間知らずの能天気な坊ちゃんに見える。 そういう坊ちゃんが、『エデンの東』のキャルみたいにマジメで優秀な兄貴を追い詰めて狂わせていく展開になるとすると、なんか「イケメンによる先輩イジメ」みたいな雰囲気になりはしないかと、そういう心配はあります。 あと、全体的に暗いしテンポがないので、視聴率がどんどん下がる心配もあります。がんばってください。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『カインとアベル』番組サイトより
8.8%ショック! 月9初回史上最低視聴率の『カインとアベル』ピンとこない企画の正体とは
連ドラ秋クール、連敗続きの「フジテレビ月9」も満を持してスタートです。タイトルは『カインとアベル』。うーん、ピンときません。聖書を原案にした兄弟のお話だそうですが、ピンとこないですよねえ。あのジェームズ・ディーンの名作映画『エデンの東』(1955年)も、この「カインとアベル」を下敷きにしているそうです。といわれても、ピンとこない。 主演は、今をときめくHey!Say!JUMP・山田涼介くん。こちらも正直、ピンとこない。ピンとこないものだからググってみたところ「乱交」「妊娠」「CM打ち切り」という文字が目に飛び込んできて、ようやくピンときました。例の東スポのアレのあの子ですね。 それにしても、どうしてこんなにピンとこない企画になったんだろうと、不思議に思うんです。山田涼介が主演ということは、明らかにティーン女子向けだと思うんですけど、今どきのティーン女子は、たぶんあんまり聖書とか読んでないし、『エデンの東』も見てないでしょう。ジェームズ・ディーンなんて知らないでしょう。 それでもせめて、タイトルをまんま『エデンの東』にしとけば、「山田涼介が和製ジェームズ・ディーンに!」と告知を打てたところでしょうが、これは比較されるのをジャニーズが嫌がったのかな。いずれにしろ、ピンとこないまま始まった『カインとアベル』は、初回視聴率8.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。月9の初回としては過去最低となりました。やっぱり日本中がピンときてなかったんだと思います。 そんなピンとこない『カインとアベル』で、山田くんは日本を代表するデベロッパー「高田総合地所」社長の次男坊・優くんを演じます。優くんの兄で副社長の隆一には桐谷健太、父で社長の貴行には高嶋政伸が配されています。この父と兄の配役……なんか、ピンとくる! 優くんは、デキる兄貴にコンプレックスを持っている男の子。父の会社でマジメに働いていますが、営業成績はあんまりよくないようです。ところが、兄・隆一副社長の粋な計らい(?)で、新規事業のプロジェクトチームに抜擢されました。明らかなコネ採用ですが、周囲からあんまり反感を買わなかったところを見ると、ジュニアのわりに性格はいいみたいです。 チームは、白樺湖に新しくできるアウトレットモールを受注するためのコンペに出場することになります。目玉はグルメコーナー。いかに有名なレストランを誘致することができるかで勝負が決まるようです。 ほかのメンバーが次々と有名店から仮契約を取ってくる中、優くんと、彼とイイ感じになってる先輩女子・梓(倉科カナ)だけが、自分の担当の店を落とすことができません。といっても、優くんはただ営業力が弱いだけの感じで描かれますが、梓は自らチームに提案した長野・松本の蕎麦の名店に「うちは家族だけでやってるから」「裏山の湧き水がないと、この味が出ないから」と理にかなった事情でお断りされていました。 優くんが担当するピザ屋は、優くんに対して「金の問題じゃない」と言いきっていました。副社長兄貴は「支度金を積め」と提案しますが、ピザ屋の言い分を鵜呑みにした優くんは「あの人は職人だから金じゃ落ちない」と主張。しかし、何度目かの訪問でピザ屋に「支度金をがっぽり持ってくるとかしろよ」と身もフタもない本音をぶつけられてしまいます。 後日、優くんは50万円の支度金を用意してピザ屋を訪れますが、「なめてんのか、二度と来るな」と、なしのつぶて。ショックを受けた優くんは「ピザの味、なんか変わったような気がする」「3年前に中目黒の一号店で食べたときと、何か違う」と捨て台詞を吐き、プロジェクトチームを降りることにしました。 深夜、荷物をまとめている優くんでしたが、梓に「それが弟くんのやり方なの?」「私なら絶対あきらめない」とハッパをかけられ、すぐ翻意。ピザ屋を最初に訪問したとき「図面じゃわかりにくい」と言われたときから考えていたという、モールのジオラマ作りに取り掛かります。 徹夜で、イチャイチャイチャイチャしながらジオラマを作る優くんと梓。「この仕事に人生を賭けてる」と大見得を切った梓は、午前1時30分くらいになると寝てしまいます。で、ひとしきりその寝顔を愛でていた優くんも、すぐ寝ちゃいます。2人とも20代なのに、あんまりタフじゃないみたい。 で、なんだかんだでコンペには勝利。梓は蕎麦屋と、優くんもピザ屋と仮契約を結ぶことができました。 梓は実は副社長兄貴の彼女でしたが、予告などによると今後、優くんが奪うことになるようです。 父・貴行社長は基本的に優くんの仕事ぶりを認めていないようですが、「セオリーなんか、まるで無視」なやり方に、将来性を感じている様子です。 優くんのピザ屋との契約が難航したのは、兄弟間の関係とかは全く関係なく、ただビジネスの進め方が未熟だっただけですし、逆転契約に持ち込めたのは優くんの性根の良さが出た結果でした。 つまり、優くんはあんまり兄貴にコンプレックスを感じる必要がないように見えるんですよね。 原案の聖書の『カインとアベル』は、兄が嫉妬に狂って弟を殺す話でした。このドラマ『カインとアベル』は、弟が兄から彼女を奪う展開になりそうですし、やはりどちらかというと主人公キャルが兄アロンに反感を抱き、アロンの恋人アブラを略奪しようとする『エデンの東』がベースになっているように思えます。 しかし、往年の名評論家・淀川長治をして「あれだけ悲劇的な詩情を匂わせる役者はいない」と評されるほど、美しい顔面に万感の悲しみを湛えていたジェームズ・ディーンほど、山田くんが悲しそうじゃないんですね。イラついてる感じがしない。どちらかというと、恋に仕事に一生懸命で、世間知らずの能天気な坊ちゃんに見える。 そういう坊ちゃんが、『エデンの東』のキャルみたいにマジメで優秀な兄貴を追い詰めて狂わせていく展開になるとすると、なんか「イケメンによる先輩イジメ」みたいな雰囲気になりはしないかと、そういう心配はあります。 あと、全体的に暗いしテンポがないので、視聴率がどんどん下がる心配もあります。がんばってください。 (文=どらまっ子AKIちゃん)フジテレビ系『カインとアベル』番組サイトより
『ザ少年倶楽部プレミアム』でNEWS小山・加藤が美の極意を学ぶ! 10月19日(水)ジャニーズアイドル出演情報
――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!
※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。
●SMAP
21:00~21:54 『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系) 中居正広
23:59~24:54 『ナカイの窓』(日本テレビ系) 中居正広
※『おじゃMAP!!』(フジテレビ系、香取慎吾)は放送休止。
●TOKIO
5:50~ 8:00 『ZIP!』(日本テレビ系) 山口達也
8:00~ 9:55 『白熱ライブビビット』(TBS系) 国分太一
11:25~11:30 『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系) 国分太一
18:55~19:25 『Rの法則』(NHK Eテレ) 山口達也
23:00~23:30 『TOKIOカケル』(フジテレビ系)
『SMAP×SMAP』残り10回!? 同期のイエモンと“再結成の歌”披露で、ファン複雑「切なすぎる」
年内の活動をもって解散するSMAPが、17日放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で、THE YELLOW MONKEYと共に“再集結”をテーマにした楽曲「ALRIGHT」をセッションし、大きな反響を呼んでいる。 メインコーナー「ビストロSMAP」のゲストは、吉田沙保里などレスリング女子日本代表チームの5名。同コーナーは、番組開始から約40分間にも及んだ。 「解散発表後の『SMAP×SMAP』は、『ビストロSMAP』を引き伸ばすことに必死。この日も、料理対決や中居正広とゲストのトークだけでなく、ゲストのプロフィールにまつわるクイズや、ゲストの理想のデートをSMAPが叶える『妄想デート こんな恋愛シチュエーション』といった企画を盛り込まれ、ゲストに頼り切った内容に。今の『SMAP×SMAP』は極力、メンバー個人にスポットが当たらないように構成されています」(テレビ誌記者) 番組後半のスタジオライブのコーナーには、今年12年ぶりに再結成したTHE YELLOW MONKEYが登場。再集結の喜びや、メンバーやファンとの絆を歌った「ALRIGHT」をSMAPと共に披露した。実に17年ぶりの共演を果たした両グループだが、ネット上のジャニーズファンからは「奇しくもSMAP解散のタイミングで『ALRIGHT』を歌うなんて、切なすぎる」「歌詞見てたら、涙出てきた」「SMAPのメンバーは、どんな気持ちで歌ってるんだろう」といった声が相次いでいる。 「『ALRIGHT』は、ボーカルの吉井和哉が、バンド再結成への熱い想いを込めた曲。『月日は流れて 力を集めて ひとつに集めて』『もう一度羽ばたけ』『もう一度運命のタイマーを回して』など、直接的な歌詞も多く、今回のセッションにはジャニーズファンも複雑な思いがあったよう。また、SMAPとイエモンの結成年は、同じ1988年。さらに、イエモンが2001年に活動停止した際も、メンバーはさまざまな葛藤で疲弊しきっていたことから、今のSMAPと重ねるファンも」(同) 12月いっぱいまで毎週放送したとしても、放送回数は残すところ10回となった『SMAP×SMAP』。次週の予告映像が放送されなかったことからも、ゲストのキャスティングに難航している様子がうかがえるが、今後もいろいろな意味で目が離せなさそうだ。
「ベストジーニスト賞」で異例の通達!? SMAP・木村&草なぎの受賞映像「使用NG」に
とはいっても剛のデニム愛は真実だよ
11日の「ベストジーニスト2016」で、一部マスコミからジャニーズに対して、ブーイングが上がっていたという。同賞を受賞したのは、昨年と同じくKis‐My‐Ft2・藤ヶ谷太輔で、現場にはジャニーズ幹部も同席。その場で、マスコミ関係者には“ある要求”が行われていたようだ。
「ベストジーニスト賞」を開催する日本ジーンズ協議会は、2013年、これまで5年連続だった「殿堂入り」を3年に再設定。藤ヶ谷は今年で3回目の受賞で、このたび殿堂入りを果たした。
保育園通いの私の家に、「ウチの子を入れろ!」って言ってくるご近所さんがヤバい!
【作品名】「ストーカー」(前編) 【作者】永矢洋子『ご近所の悪いうわさ』
【作品紹介】働くママの私が、マンションで出会ったある親子。無愛想な人なのに、うちの子の保育園を知った途端に様子が変わって……。
【サイゾーウーマンリコメンド】保育園問題を描く作品が「ごき悪」に登場です! ご近所関係と子育てと保育園問題という、絶対面倒なことしか起こらない3つの要素を合わさった、ドロドロ好きにたまらん作品です。
月9『カインとアベル』、茶髪サラリーマン姿が叩かれる山田涼介が気の毒なワケ
担当の方々、職場・学校で説明して歩いて~!
今回ツッコませていただくのは、10月17日放送開始『カインとアベル』(フジテレビ系)で月9に初出演・初主演しているHey!Say!JUMP・山田涼介。
近年のフジテレビの低迷ぶりに加え、「月9」という枠が視聴率ワーストを更新し続け、「オワコン」イメージが定着してしまったいま、「月9」主演をするのは誰にとってもオイシくない、むしろ罰ゲーム状態になっている。
「ポケモンカード」とシゲルくんの話
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。 2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。 ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。 「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。 そのポケモンカードゲームが生誕20年! それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。 僕、タカハシヒョウリは、まさにポケモン・ド直撃世代で、20年前に最初の初代『ポケットモンスター赤・緑』(96年)が発売された時、小学3年生だった。その時の衝撃は忘れられないのう……と、古参ぶりたいんだけど、実はポケモン発売直後は、ほとんど話題にならなかったと記憶している。 それもそのはず、ポケモンの最初の出荷数はそれほど多くなく、ほとんどのゲーム雑誌でもスルーされていた。なぜなら、ポケモンの「通信して友達と交換・対戦できる」という魅力がこんなにも子どもの人気を集めると、発売前に予想できたメディアがほとんどなかったからだ(「ファミ通」のゲームレビューでは、パッとしない点数を付けられていた)。 そもそもゲーム機「GAME BOY」自体が、この時点ですでに発売7年目を迎える、現役引退寸前のシニアクラスの老体だった(のちにポケモンの大ヒットで新たな可能性を見いだされ、大復活を遂げる)。 そんな状態だったポケモンが、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こすまでにはしばらくの助走期間が必要で、発売してからポツポツと「めちゃめちゃ面白いゲームがある」という口コミが、子どもたちの間で広がり始めていた。 こうして草の根的にジワジワと人気が過熱していき、数カ月後には爆発。小学生男子にとって「持ってないヤツは、クラスの話題についていけない」という、必殺マストアイテム的な存在となっていった。 僕も「みんながやっている」という理由で、ゲームショップに走った記憶がある。そして、例に漏れず、超ハマった。 学校が終われば対戦、交換(通信ケーブルを持っているヤツが神になった数カ月だった。僕は持ってなかったなあ)、家に帰っても友人どもを出し抜くためにポケモン育成。日本中で、単三電池が大量に消費されていった。 流行がピークに達した夏頃、「ポケモンカードゲーム」というものが近々発売されるらしいという情報が、当時のガキのバイブル「コロコロコミック」(小学館)に掲載された。 「ポケモンのものなら、ふりかけでも欲しい」というくらい、すでにポケモン漬けの毎日を送っていた僕は、その小さな記事にくぎづけになり、5分おきに読みか返しては「ポケモンカードゲーム」という存在に思いをはせた。 ポケモンが画面を飛び出し、自分の手の中にカードとしてやってきて、友達と対戦できる――。はたして、どんなに楽しいんだろう? そして忘れもしない、「コロコロコミック」(小学館)96年11月号。ポケモンカードゲーム発売の少し前に書店に並んだこの号は、ポケモンの『青』という新バージョンを同誌限定で通販するという一大企画の受け付けを開始した号で、日本中のポケモンキッズが手に取った。 ここに付録として、ポケモンカードが2枚付いてきた。 台紙に裏向きで貼り付けられていて、それをペリペリとはがすと「ピカチュウ」と「プリン」の3DCGの絵柄が姿を現す。ピカチュウとプリンは、当時のアンケート人気投票で1位、2位だった大スターポケモン様だ。 その2体のポケモンがカードになって、いま僕の手の中にある。この感覚は、想像を越えるものだった。いま見ると、ちょっとしょぼいCGも、当時は恐ろしく美麗に感じた。 発売までの5日間、僕はそのカードを使って特訓(イメージトレーニング)にいそしんだ。もちろん、全部で60枚のカードが必要なゲームなので、手元にある2枚だけでは圧倒的に数が足りなすぎるのだが、それでもイメトレせずにはいられなかった。 さまざまなシチュエーションで、いろいろな対戦相手と戦うことを妄想した。イメトレ以外の時間は、コロコロの記事を穴が開くほど見る。来るべき戦いに備えて、知識も必要だからだ。 その記事の背景には、豆粒くらいの大きさで、さまざまなカードがズラリと並んでいた。それを見て「この絵柄はあのポケモンに違いない……」などと推理したり、脳内でイメトレする。文武両道とはこのことだ。 そして、ついにやってきた発売日。 前夜は、なかなか寝つけなかった。目をつむると、まだ見ぬ無数のポケモンカードたちがズラーッと目の前に現れる。ミュウツーも、リザードンも、ニドキングもいる……。 あぁ、みんなすぐに会えるからね――。 やっと寝付いたあとの夢の中でも、おそらくひたすらカードを愛でていただろう。 翌日、玩具店の開店時間に町へ繰り出した少年タカハシは、衝撃を受けた。 「ぜんぜん売ってねぇ……」 そうなのだ。実は、ポケモンカードゲームは発売時、ほとんど無視された存在だった。 ポケモンカードゲームを開発したクリーチャーズは、製造元の任天堂にも「任天堂ブランド」で発売することを拒否され、やっと見つかった新参の会社・メディアファクトリーからの発売にこぎ着けたものの、大手の流通からも取り扱いを拒否されていた(この辺の詳しい話は、日経BP社の『ポケモンストーリー』を読もう!)。 なんとか流通を見つけて発売にたどり着いたわけだが、ほとんどのお店に満足に商品が並ばない、という不遇のスタートを切った。 ポケモンカードは、完全に「鬼子」だったのだ。 その要因となる背景には、まだ日本でトレーディングカードゲームという文化が根付いていなかったことが挙げられる。実はこの手の、プレイヤーそれぞれがカードを集めて持ち寄り対戦する「トレーディングカードゲーム」が誕生したのは90年代に入ってからだ。 93年にアメリカで誕生した「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦型のカードゲームが大流行してから、さまざまな亜種が登場するようになっていたが、96年当時、まだ日本では市民権が得られていなかった。 そんな「マイナー」で「難しい」ゲームは「子どもにはわからないから、はやらない」というのが、当時の業界の大多数の意見だったのだ。 その後、ポケモンカードゲームが子どもたちに1年で約2億枚、2年目は5億枚以上を売り上げたことを考えると、このときの大人たちの思い込みは間違いだったとわかる。 いつでも大人は子どもを侮ってしまう。閑話休題。 とにかく、どこにも売ってないポケモンカードゲームを求めて、タカハシ少年は自転車で走り回った。 最後の望みをかけ、自転車を飛ばして、やってきたのが隣町のイトーヨーカドー。そこでついに、ポケモンカードゲーム「スターターパック」と邂逅したのだ。 ゲームに必要なカード60枚(キラキラのカードは1枚)と、「ラッキー」というポケモンが彫刻されたコインがセットになり、紙製のケースに入って1,300円。税抜き。子どもにとっては、決して安い値段ではない。 それでも、夢にまで見たそのカードは、お年玉を積んでも惜しくないほど価値のあるものに見えた。 僕は数カ月間、夢に見ていたポケモンカードゲームを、ついに手に入れたのだ!(大人になって知ったのは、ポケモンカードゲームを流通させたのは、イトーヨーカドーに太いラインを持つ流通会社・スターコーポレーションだったのだ。いま思えば、ほかのところで売っていなかったポケモンカードが、イトーヨーカドーにはいつもあったのには、ちゃんと理由があったのだ。面白いね、大人になるって!) 初めて買ったケースから出たキラカードは「ミュウツー」だ! 最強のポケモンとして、子どもたちのスーパーヒーローというか、畏敬の念を集める魔王的存在になっていたミュウツーだ。 手が震えた。 実はこのミュウツー、いわゆる「最強のポケモン」なのに、カードゲームでは何が起きたんだ? っていうくらいクソ弱い。しかし、初めて手にした僕はそんなことを知る由もなく、「最強ポケモン」のカードを引いた自分に運命的な何かを感じて悦に浸っていたのだった。 家に帰り、嫌がる兄をつかまえ、父をつかまえ、カードを半分ずつに分けて(本当はこんな遊び方はない)無理やりゲームの相手をさせた。 やっぱりイメージ通り、ポケモンカードゲームは超楽しい! 意気揚々と登校した翌日、タカハシ少年を新たな衝撃が襲った。 「誰もやってねえ……」 そうなのだ。ポケモンカードを心待ちにして、町中探し回っているようなヤツは自分以外に誰もいなかったのだ。 やばい、このままだと家族内だけでプレイする「お正月の花札」みたいな、ものすごく小規模のゲームになってしまう。そんなのは、僕のイメージしたワールドワイド(学校内)なポケモンカードゲームじゃない! そこで僕は、ポケモンカード啓蒙活動を開始した。 「ポケモンカード知ってる?」「こんなに面白いよ」「まずはスターターを1つ買うだけ」と、押し売りかネズミ講ばりの詐欺師口調でポケモンカードを啓蒙して回った。 すると、そこで1人のクラスメイトが、ポケモンカードに興味を持ってくれた。彼(仮にシゲル君としよう)とは、もともとはそこまで親しくなかったが、彼がポケモンカードを買って2人で対戦や交換をしてハマり込んでいくうちに、どんどん親しくなった。 ポケモンカードも少しずつはやりだし、どんどん売り上げを伸ばして、品薄になるほどの人気を集めた。 ポケモンカードゲームが最初はそんなにはやっていなかった証しに、初代のカード(右下にレアリティマークがない)は意外に数が少なく、今ではプレミア価格がついていたりする。その後もカードは第2弾、第3弾と発売され、全151種類がカードとして出そろい、ポケモンのゲームやアニメと一緒に、日本中で大ブームを巻き起こしていた。 人気を呼んだのは、社会現象になるほどの本家ポケモンやアニメの影響もあると思うが、何よりも丁寧にこだわって作られたカードゲームが、戦略に富んだ真に「面白いカードゲーム」だと、少しずつ子どもたちに理解されていったからだろう。 その頃には、僕とシゲル君の2人は対戦を重ねすぎてかなり強くなっていたので、後から参入してくる友人たちとはちょっと次元が違うバトルを繰り広げていた。少年漫画的にいうなら、まさに「友」と書いてライバルだ。 毎日、放課後は友人たちとカードで対戦する毎日で、新シリーズが出ては買い、親にねだってイベントに出かけ、あっという間に1年近くが過ぎた。 そして97年冬、第4弾が発売された頃だったと思う。僕は相変わらず、ポケモンカードに夢中だったが、ある時からシゲル君とあまり遊ばなくなった。別にケンカしたとかいうわけではなかったのだが、なんだかシゲル君の付き合いが悪くなったようだった。シゲルくんは人が変わって社交性を失ったように見えて、僕は子ども心に、何か腑に落ちないものを感じていた。対戦する機会も激減した。 ライバルを失ったこともあってか、僕自身も少しずつポケモンカードの熱が別のところに移っていって、次第にポケモンカードを追いかけなくなっていった。 ポケモンカードに夢中になったのは、ちょうど1年間くらいだっただろうか? あれから20年。大人になった今、僕はポケモンカードの原稿を書いている。思い出話だけをしているわけじゃない。実は20年目の今年、僕はポケモンカードに復帰したのだ。 きっかけは、2月に発売された20周年復刻スターターだ。あの日、自転車を飛ばしてイトーヨーカドーで買ったのと同じパッケージで発売された復刻スターターを買ってから、またハマってしまった。 あの頃のようにパックを開けては一喜一憂し、友達(やってる人は2人しかいないけど)と、たまに対戦をしている。 20年ぶりのポケモンカードは、相変わらず興味深くて、戦略的な、面白いゲームだ。9月には、20年前の第1弾のイラストそのままの復刻ブースターも出た。かつてのカードはもう使えないけど、この同じ絵柄の復刻カードは、今のゲーム環境でも使えるように作られている。 懐かしさにほだされて、ポケモンカードに久々に触れてみるのに、こんなに最高のタイミングはない! 一緒にやろうよ、ポケモンカード! そうそう、最後に、シゲルくんの話だ。 大学生になったころ、母親が地域のボランティア委員会みたいなものに入っていて、シゲルくんの家を訪ねたことがあった。シゲルくんが家族に対して暴力を振るう、というので母親のところに相談が来ていたのだ。 シゲルくんはあれから私立の高校に進学したがすぐに退学し、いくつかの高校に入っては辞めるを繰り返し、3度目の高校生を迎えていた。 その原因を、帰宅した母親はこんなふうに聞かせてくれた。 「シゲルくんの小学6年生の誕生日の前日に、お母さんが家を出て行ったんだって。それから少しずつ荒れていったみたい」 あぁ、あの時だ。 僕たちがポケモンカードで遊ばなくなった、あの時だ。 シゲルくんにとって、ポケモンカードに夢中だった1年間は、いい思い出だろうか? それとも、思い出したくない季節なんだろうか? 大人になった今、彼の中で折り合いがついているのなら、ポケモンカードの話がしたい。
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
HP:http://www.owarikara.com/
ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/
Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw
「ポケモンカード」とシゲルくんの話
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。 2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。 ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。 「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。 そのポケモンカードゲームが生誕20年! それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。 僕、タカハシヒョウリは、まさにポケモン・ド直撃世代で、20年前に最初の初代『ポケットモンスター赤・緑』(96年)が発売された時、小学3年生だった。その時の衝撃は忘れられないのう……と、古参ぶりたいんだけど、実はポケモン発売直後は、ほとんど話題にならなかったと記憶している。 それもそのはず、ポケモンの最初の出荷数はそれほど多くなく、ほとんどのゲーム雑誌でもスルーされていた。なぜなら、ポケモンの「通信して友達と交換・対戦できる」という魅力がこんなにも子どもの人気を集めると、発売前に予想できたメディアがほとんどなかったからだ(「ファミ通」のゲームレビューでは、パッとしない点数を付けられていた)。 そもそもゲーム機「GAME BOY」自体が、この時点ですでに発売7年目を迎える、現役引退寸前のシニアクラスの老体だった(のちにポケモンの大ヒットで新たな可能性を見いだされ、大復活を遂げる)。 そんな状態だったポケモンが、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こすまでにはしばらくの助走期間が必要で、発売してからポツポツと「めちゃめちゃ面白いゲームがある」という口コミが、子どもたちの間で広がり始めていた。 こうして草の根的にジワジワと人気が過熱していき、数カ月後には爆発。小学生男子にとって「持ってないヤツは、クラスの話題についていけない」という、必殺マストアイテム的な存在となっていった。 僕も「みんながやっている」という理由で、ゲームショップに走った記憶がある。そして、例に漏れず、超ハマった。 学校が終われば対戦、交換(通信ケーブルを持っているヤツが神になった数カ月だった。僕は持ってなかったなあ)、家に帰っても友人どもを出し抜くためにポケモン育成。日本中で、単三電池が大量に消費されていった。 流行がピークに達した夏頃、「ポケモンカードゲーム」というものが近々発売されるらしいという情報が、当時のガキのバイブル「コロコロコミック」(小学館)に掲載された。 「ポケモンのものなら、ふりかけでも欲しい」というくらい、すでにポケモン漬けの毎日を送っていた僕は、その小さな記事にくぎづけになり、5分おきに読みか返しては「ポケモンカードゲーム」という存在に思いをはせた。 ポケモンが画面を飛び出し、自分の手の中にカードとしてやってきて、友達と対戦できる――。はたして、どんなに楽しいんだろう? そして忘れもしない、「コロコロコミック」(小学館)96年11月号。ポケモンカードゲーム発売の少し前に書店に並んだこの号は、ポケモンの『青』という新バージョンを同誌限定で通販するという一大企画の受け付けを開始した号で、日本中のポケモンキッズが手に取った。 ここに付録として、ポケモンカードが2枚付いてきた。 台紙に裏向きで貼り付けられていて、それをペリペリとはがすと「ピカチュウ」と「プリン」の3DCGの絵柄が姿を現す。ピカチュウとプリンは、当時のアンケート人気投票で1位、2位だった大スターポケモン様だ。 その2体のポケモンがカードになって、いま僕の手の中にある。この感覚は、想像を越えるものだった。いま見ると、ちょっとしょぼいCGも、当時は恐ろしく美麗に感じた。 発売までの5日間、僕はそのカードを使って特訓(イメージトレーニング)にいそしんだ。もちろん、全部で60枚のカードが必要なゲームなので、手元にある2枚だけでは圧倒的に数が足りなすぎるのだが、それでもイメトレせずにはいられなかった。 さまざまなシチュエーションで、いろいろな対戦相手と戦うことを妄想した。イメトレ以外の時間は、コロコロの記事を穴が開くほど見る。来るべき戦いに備えて、知識も必要だからだ。 その記事の背景には、豆粒くらいの大きさで、さまざまなカードがズラリと並んでいた。それを見て「この絵柄はあのポケモンに違いない……」などと推理したり、脳内でイメトレする。文武両道とはこのことだ。 そして、ついにやってきた発売日。 前夜は、なかなか寝つけなかった。目をつむると、まだ見ぬ無数のポケモンカードたちがズラーッと目の前に現れる。ミュウツーも、リザードンも、ニドキングもいる……。 あぁ、みんなすぐに会えるからね――。 やっと寝付いたあとの夢の中でも、おそらくひたすらカードを愛でていただろう。 翌日、玩具店の開店時間に町へ繰り出した少年タカハシは、衝撃を受けた。 「ぜんぜん売ってねぇ……」 そうなのだ。実は、ポケモンカードゲームは発売時、ほとんど無視された存在だった。 ポケモンカードゲームを開発したクリーチャーズは、製造元の任天堂にも「任天堂ブランド」で発売することを拒否され、やっと見つかった新参の会社・メディアファクトリーからの発売にこぎ着けたものの、大手の流通からも取り扱いを拒否されていた(この辺の詳しい話は、日経BP社の『ポケモンストーリー』を読もう!)。 なんとか流通を見つけて発売にたどり着いたわけだが、ほとんどのお店に満足に商品が並ばない、という不遇のスタートを切った。 ポケモンカードは、完全に「鬼子」だったのだ。 その要因となる背景には、まだ日本でトレーディングカードゲームという文化が根付いていなかったことが挙げられる。実はこの手の、プレイヤーそれぞれがカードを集めて持ち寄り対戦する「トレーディングカードゲーム」が誕生したのは90年代に入ってからだ。 93年にアメリカで誕生した「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦型のカードゲームが大流行してから、さまざまな亜種が登場するようになっていたが、96年当時、まだ日本では市民権が得られていなかった。 そんな「マイナー」で「難しい」ゲームは「子どもにはわからないから、はやらない」というのが、当時の業界の大多数の意見だったのだ。 その後、ポケモンカードゲームが子どもたちに1年で約2億枚、2年目は5億枚以上を売り上げたことを考えると、このときの大人たちの思い込みは間違いだったとわかる。 いつでも大人は子どもを侮ってしまう。閑話休題。 とにかく、どこにも売ってないポケモンカードゲームを求めて、タカハシ少年は自転車で走り回った。 最後の望みをかけ、自転車を飛ばして、やってきたのが隣町のイトーヨーカドー。そこでついに、ポケモンカードゲーム「スターターパック」と邂逅したのだ。 ゲームに必要なカード60枚(キラキラのカードは1枚)と、「ラッキー」というポケモンが彫刻されたコインがセットになり、紙製のケースに入って1,500円。税抜き。子どもにとっては、決して安い値段ではない。 それでも、夢にまで見たそのカードは、お年玉を積んでも惜しくないほど価値のあるものに見えた。 僕は数カ月間、夢に見ていたポケモンカードゲームを、ついに手に入れたのだ!(大人になって知ったのは、ポケモンカードゲームを流通させたのは、イトーヨーカドーに太いラインを持つ流通会社・スターコーポレーションだったのだ。いま思えば、ほかのところで売っていなかったポケモンカードが、イトーヨーカドーにはいつもあったのには、ちゃんと理由があったのだ。面白いね、大人になるって!) 初めて買ったケースから出たキラカードは「ミュウツー」だ! 最強のポケモンとして、子どもたちのスーパーヒーローというか、畏敬の念を集める魔王的存在になっていたミュウツーだ。 手が震えた。 実はこのミュウツー、いわゆる「最強のポケモン」なのに、カードゲームでは何が起きたんだ? っていうくらいクソ弱い。しかし、初めて手にした僕はそんなことを知る由もなく、「最強ポケモン」のカードを引いた自分に運命的な何かを感じて悦に浸っていたのだった。 家に帰り、嫌がる兄をつかまえ、父をつかまえ、カードを半分ずつに分けて(本当はこんな遊び方はない)無理やりゲームの相手をさせた。 やっぱりイメージ通り、ポケモンカードゲームは超楽しい! 意気揚々と登校した翌日、タカハシ少年を新たな衝撃が襲った。 「誰もやってねえ……」 そうなのだ。ポケモンカードを心待ちにして、町中探し回っているようなヤツは自分以外に誰もいなかったのだ。 やばい、このままだと家族内だけでプレイする「お正月の花札」みたいな、ものすごく小規模のゲームになってしまう。そんなのは、僕のイメージしたワールドワイド(学校内)なポケモンカードゲームじゃない! そこで僕は、ポケモンカード啓蒙活動を開始した。 「ポケモンカード知ってる?」「こんなに面白いよ」「まずはスターターを1つ買うだけ」と、押し売りかネズミ講ばりの詐欺師口調でポケモンカードを啓蒙して回った。 すると、そこで1人のクラスメイトが、ポケモンカードに興味を持ってくれた。彼(仮にシゲル君としよう)とは、もともとはそこまで親しくなかったが、彼がポケモンカードを買って2人で対戦や交換をしてハマり込んでいくうちに、どんどん親しくなった。 ポケモンカードも少しずつはやりだし、どんどん売り上げを伸ばして、品薄になるほどの人気を集めた。 ポケモンカードゲームが最初はそんなにはやっていなかった証しに、初代のカード(右下にレアリティマークがない)は意外に数が少なく、今ではプレミア価格がついていたりする。その後もカードは第2弾、第3弾と発売され、全151種類がカードとして出そろい、ポケモンのゲームやアニメと一緒に、日本中で大ブームを巻き起こしていた。 人気を呼んだのは、社会現象になるほどの本家ポケモンやアニメの影響もあると思うが、何よりも丁寧にこだわって作られたカードゲームが、戦略に富んだ真に「面白いカードゲーム」だと、少しずつ子どもたちに理解されていったからだろう。 その頃には、僕とシゲル君の2人は対戦を重ねすぎてかなり強くなっていたので、後から参入してくる友人たちとはちょっと次元が違うバトルを繰り広げていた。少年漫画的にいうなら、まさに「友」と書いてライバルだ。 毎日、放課後は友人たちとカードで対戦する毎日で、新シリーズが出ては買い、親にねだってイベントに出かけ、あっという間に1年近くが過ぎた。 そして97年冬、第4弾が発売された頃だったと思う。僕は相変わらず、ポケモンカードに夢中だったが、ある時からシゲル君とあまり遊ばなくなった。別にケンカしたとかいうわけではなかったのだが、なんだかシゲル君の付き合いが悪くなったようだった。シゲルくんは人が変わって社交性を失ったように見えて、僕は子ども心に、何か腑に落ちないものを感じていた。対戦する機会も激減した。 ライバルを失ったこともあってか、僕自身も少しずつポケモンカードの熱が別のところに移っていって、次第にポケモンカードを追いかけなくなっていった。 ポケモンカードに夢中になったのは、ちょうど1年間くらいだっただろうか? あれから20年。大人になった今、僕はポケモンカードの原稿を書いている。思い出話だけをしているわけじゃない。実は20年目の今年、僕はポケモンカードに復帰したのだ。 きっかけは、2月に発売された20周年復刻スターターだ。あの日、自転車を飛ばしてイトーヨーカドーで買ったのと同じパッケージで発売された復刻スターターを買ってから、またハマってしまった。 あの頃のようにパックを開けては一喜一憂し、友達(やってる人は2人しかいないけど)と、たまに対戦をしている。 20年ぶりのポケモンカードは、相変わらず興味深くて、戦略的な、面白いゲームだ。9月には、20年前の第1弾のイラストそのままの復刻ブースターも出た。かつてのカードはもう使えないけど、この同じ絵柄の復刻カードは、今のゲーム環境でも使えるように作られている。 懐かしさにほだされて、ポケモンカードに久々に触れてみるのに、こんなに最高のタイミングはない! 一緒にやろうよ、ポケモンカード! そうそう、最後に、シゲルくんの話だ。 大学生になったころ、母親が地域のボランティア委員会みたいなものに入っていて、シゲルくんの家を訪ねたことがあった。シゲルくんが家族に対して暴力を振るう、というので母親のところに相談が来ていたのだ。 シゲルくんはあれから私立の高校に進学したがすぐに退学し、いくつかの高校に入っては辞めるを繰り返し、3度目の高校生を迎えていた。 その原因を、帰宅した母親はこんなふうに聞かせてくれた。 「シゲルくんの小学6年生の誕生日の前日に、お母さんが家を出て行ったんだって。それから少しずつ荒れていったみたい」 あぁ、あの時だ。 僕たちがポケモンカードで遊ばなくなった、あの時だ。 シゲルくんにとって、ポケモンカードに夢中だった1年間は、いい思い出だろうか? それとも、思い出したくない季節なんだろうか? 大人になった今、彼の中で折り合いがついているのなら、ポケモンカードの話がしたい。
●タカハシ・ヒョウリ
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。
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