『ザ少年倶楽部プレミアム』でNEWS小山・加藤が美の極意を学ぶ! 10月19日(水)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。

●SMAP

21:00~21:54 『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系) 中居正広
23:59~24:54 『ナカイの窓』(日本テレビ系) 中居正広

※『おじゃMAP!!』(フジテレビ系、香取慎吾)は放送休止。

●TOKIO

5:50~ 8:00 『ZIP!』(日本テレビ系) 山口達也
8:00~ 9:55 『白熱ライブビビット』(TBS系) 国分太一
11:25~11:30 『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系) 国分太一
18:55~19:25 『Rの法則』(NHK Eテレ) 山口達也
23:00~23:30 『TOKIOカケル』(フジテレビ系)


『SMAP×SMAP』残り10回!? 同期のイエモンと“再結成の歌”披露で、ファン複雑「切なすぎる」

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 年内の活動をもって解散するSMAPが、17日放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で、THE YELLOW MONKEYと共に“再集結”をテーマにした楽曲「ALRIGHT」をセッションし、大きな反響を呼んでいる。  メインコーナー「ビストロSMAP」のゲストは、吉田沙保里などレスリング女子日本代表チームの5名。同コーナーは、番組開始から約40分間にも及んだ。 「解散発表後の『SMAP×SMAP』は、『ビストロSMAP』を引き伸ばすことに必死。この日も、料理対決や中居正広とゲストのトークだけでなく、ゲストのプロフィールにまつわるクイズや、ゲストの理想のデートをSMAPが叶える『妄想デート こんな恋愛シチュエーション』といった企画を盛り込まれ、ゲストに頼り切った内容に。今の『SMAP×SMAP』は極力、メンバー個人にスポットが当たらないように構成されています」(テレビ誌記者)  番組後半のスタジオライブのコーナーには、今年12年ぶりに再結成したTHE YELLOW MONKEYが登場。再集結の喜びや、メンバーやファンとの絆を歌った「ALRIGHT」をSMAPと共に披露した。実に17年ぶりの共演を果たした両グループだが、ネット上のジャニーズファンからは「奇しくもSMAP解散のタイミングで『ALRIGHT』を歌うなんて、切なすぎる」「歌詞見てたら、涙出てきた」「SMAPのメンバーは、どんな気持ちで歌ってるんだろう」といった声が相次いでいる。 「『ALRIGHT』は、ボーカルの吉井和哉が、バンド再結成への熱い想いを込めた曲。『月日は流れて 力を集めて ひとつに集めて』『もう一度羽ばたけ』『もう一度運命のタイマーを回して』など、直接的な歌詞も多く、今回のセッションにはジャニーズファンも複雑な思いがあったよう。また、SMAPとイエモンの結成年は、同じ1988年。さらに、イエモンが2001年に活動停止した際も、メンバーはさまざまな葛藤で疲弊しきっていたことから、今のSMAPと重ねるファンも」(同)  12月いっぱいまで毎週放送したとしても、放送回数は残すところ10回となった『SMAP×SMAP』。次週の予告映像が放送されなかったことからも、ゲストのキャスティングに難航している様子がうかがえるが、今後もいろいろな意味で目が離せなさそうだ。

「ベストジーニスト賞」で異例の通達!? SMAP・木村&草なぎの受賞映像「使用NG」に

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とはいっても剛のデニム愛は真実だよ

 11日の「ベストジーニスト2016」で、一部マスコミからジャニーズに対して、ブーイングが上がっていたという。同賞を受賞したのは、昨年と同じくKis‐My‐Ft2・藤ヶ谷太輔で、現場にはジャニーズ幹部も同席。その場で、マスコミ関係者には“ある要求”が行われていたようだ。

 「ベストジーニスト賞」を開催する日本ジーンズ協議会は、2013年、これまで5年連続だった「殿堂入り」を3年に再設定。藤ヶ谷は今年で3回目の受賞で、このたび殿堂入りを果たした。

保育園通いの私の家に、「ウチの子を入れろ!」って言ってくるご近所さんがヤバい!

【作品名】「ストーカー」(前編) 【作者】永矢洋子『ご近所の悪いうわさ』

【作品紹介】働くママの私が、マンションで出会ったある親子。無愛想な人なのに、うちの子の保育園を知った途端に様子が変わって……。

【サイゾーウーマンリコメンド】保育園問題を描く作品が「ごき悪」に登場です! ご近所関係と子育てと保育園問題という、絶対面倒なことしか起こらない3つの要素を合わさった、ドロドロ好きにたまらん作品です。

月9『カインとアベル』、茶髪サラリーマン姿が叩かれる山田涼介が気の毒なワケ

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担当の方々、職場・学校で説明して歩いて~!

 今回ツッコませていただくのは、10月17日放送開始『カインとアベル』(フジテレビ系)で月9に初出演・初主演しているHey!Say!JUMP・山田涼介。

 近年のフジテレビの低迷ぶりに加え、「月9」という枠が視聴率ワーストを更新し続け、「オワコン」イメージが定着してしまったいま、「月9」主演をするのは誰にとってもオイシくない、むしろ罰ゲーム状態になっている。

「ポケモンカード」とシゲルくんの話

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“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。  2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。  ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。 「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。  そのポケモンカードゲームが生誕20年! それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。  僕、タカハシヒョウリは、まさにポケモン・ド直撃世代で、20年前に最初の初代『ポケットモンスター赤・緑』(96年)が発売された時、小学3年生だった。その時の衝撃は忘れられないのう……と、古参ぶりたいんだけど、実はポケモン発売直後は、ほとんど話題にならなかったと記憶している。  それもそのはず、ポケモンの最初の出荷数はそれほど多くなく、ほとんどのゲーム雑誌でもスルーされていた。なぜなら、ポケモンの「通信して友達と交換・対戦できる」という魅力がこんなにも子どもの人気を集めると、発売前に予想できたメディアがほとんどなかったからだ(「ファミ通」のゲームレビューでは、パッとしない点数を付けられていた)。  そもそもゲーム機「GAME BOY」自体が、この時点ですでに発売7年目を迎える、現役引退寸前のシニアクラスの老体だった(のちにポケモンの大ヒットで新たな可能性を見いだされ、大復活を遂げる)。  そんな状態だったポケモンが、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こすまでにはしばらくの助走期間が必要で、発売してからポツポツと「めちゃめちゃ面白いゲームがある」という口コミが、子どもたちの間で広がり始めていた。  こうして草の根的にジワジワと人気が過熱していき、数カ月後には爆発。小学生男子にとって「持ってないヤツは、クラスの話題についていけない」という、必殺マストアイテム的な存在となっていった。  僕も「みんながやっている」という理由で、ゲームショップに走った記憶がある。そして、例に漏れず、超ハマった。  学校が終われば対戦、交換(通信ケーブルを持っているヤツが神になった数カ月だった。僕は持ってなかったなあ)、家に帰っても友人どもを出し抜くためにポケモン育成。日本中で、単三電池が大量に消費されていった。  流行がピークに達した夏頃、「ポケモンカードゲーム」というものが近々発売されるらしいという情報が、当時のガキのバイブル「コロコロコミック」(小学館)に掲載された。 「ポケモンのものなら、ふりかけでも欲しい」というくらい、すでにポケモン漬けの毎日を送っていた僕は、その小さな記事にくぎづけになり、5分おきに読みか返しては「ポケモンカードゲーム」という存在に思いをはせた。  ポケモンが画面を飛び出し、自分の手の中にカードとしてやってきて、友達と対戦できる――。はたして、どんなに楽しいんだろう?  そして忘れもしない、「コロコロコミック」(小学館)96年11月号。ポケモンカードゲーム発売の少し前に書店に並んだこの号は、ポケモンの『青』という新バージョンを同誌限定で通販するという一大企画の受け付けを開始した号で、日本中のポケモンキッズが手に取った。  ここに付録として、ポケモンカードが2枚付いてきた。  台紙に裏向きで貼り付けられていて、それをペリペリとはがすと「ピカチュウ」と「プリン」の3DCGの絵柄が姿を現す。ピカチュウとプリンは、当時のアンケート人気投票で1位、2位だった大スターポケモン様だ。  その2体のポケモンがカードになって、いま僕の手の中にある。この感覚は、想像を越えるものだった。いま見ると、ちょっとしょぼいCGも、当時は恐ろしく美麗に感じた。  発売までの5日間、僕はそのカードを使って特訓(イメージトレーニング)にいそしんだ。もちろん、全部で60枚のカードが必要なゲームなので、手元にある2枚だけでは圧倒的に数が足りなすぎるのだが、それでもイメトレせずにはいられなかった。  さまざまなシチュエーションで、いろいろな対戦相手と戦うことを妄想した。イメトレ以外の時間は、コロコロの記事を穴が開くほど見る。来るべき戦いに備えて、知識も必要だからだ。  その記事の背景には、豆粒くらいの大きさで、さまざまなカードがズラリと並んでいた。それを見て「この絵柄はあのポケモンに違いない……」などと推理したり、脳内でイメトレする。文武両道とはこのことだ。  そして、ついにやってきた発売日。  前夜は、なかなか寝つけなかった。目をつむると、まだ見ぬ無数のポケモンカードたちがズラーッと目の前に現れる。ミュウツーも、リザードンも、ニドキングもいる……。  あぁ、みんなすぐに会えるからね――。  やっと寝付いたあとの夢の中でも、おそらくひたすらカードを愛でていただろう。  翌日、玩具店の開店時間に町へ繰り出した少年タカハシは、衝撃を受けた。 「ぜんぜん売ってねぇ……」  そうなのだ。実は、ポケモンカードゲームは発売時、ほとんど無視された存在だった。  ポケモンカードゲームを開発したクリーチャーズは、製造元の任天堂にも「任天堂ブランド」で発売することを拒否され、やっと見つかった新参の会社・メディアファクトリーからの発売にこぎ着けたものの、大手の流通からも取り扱いを拒否されていた(この辺の詳しい話は、日経BP社の『ポケモンストーリー』を読もう!)。  なんとか流通を見つけて発売にたどり着いたわけだが、ほとんどのお店に満足に商品が並ばない、という不遇のスタートを切った。  ポケモンカードは、完全に「鬼子」だったのだ。  その要因となる背景には、まだ日本でトレーディングカードゲームという文化が根付いていなかったことが挙げられる。実はこの手の、プレイヤーそれぞれがカードを集めて持ち寄り対戦する「トレーディングカードゲーム」が誕生したのは90年代に入ってからだ。  93年にアメリカで誕生した「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦型のカードゲームが大流行してから、さまざまな亜種が登場するようになっていたが、96年当時、まだ日本では市民権が得られていなかった。  そんな「マイナー」で「難しい」ゲームは「子どもにはわからないから、はやらない」というのが、当時の業界の大多数の意見だったのだ。  その後、ポケモンカードゲームが子どもたちに1年で約2億枚、2年目は5億枚以上を売り上げたことを考えると、このときの大人たちの思い込みは間違いだったとわかる。  いつでも大人は子どもを侮ってしまう。閑話休題。    とにかく、どこにも売ってないポケモンカードゲームを求めて、タカハシ少年は自転車で走り回った。  最後の望みをかけ、自転車を飛ばして、やってきたのが隣町のイトーヨーカドー。そこでついに、ポケモンカードゲーム「スターターパック」と邂逅したのだ。  ゲームに必要なカード60枚(キラキラのカードは1枚)と、「ラッキー」というポケモンが彫刻されたコインがセットになり、紙製のケースに入って1,300円。税抜き。子どもにとっては、決して安い値段ではない。  それでも、夢にまで見たそのカードは、お年玉を積んでも惜しくないほど価値のあるものに見えた。    僕は数カ月間、夢に見ていたポケモンカードゲームを、ついに手に入れたのだ!(大人になって知ったのは、ポケモンカードゲームを流通させたのは、イトーヨーカドーに太いラインを持つ流通会社・スターコーポレーションだったのだ。いま思えば、ほかのところで売っていなかったポケモンカードが、イトーヨーカドーにはいつもあったのには、ちゃんと理由があったのだ。面白いね、大人になるって!)  初めて買ったケースから出たキラカードは「ミュウツー」だ! 最強のポケモンとして、子どもたちのスーパーヒーローというか、畏敬の念を集める魔王的存在になっていたミュウツーだ。  手が震えた。  実はこのミュウツー、いわゆる「最強のポケモン」なのに、カードゲームでは何が起きたんだ? っていうくらいクソ弱い。しかし、初めて手にした僕はそんなことを知る由もなく、「最強ポケモン」のカードを引いた自分に運命的な何かを感じて悦に浸っていたのだった。  家に帰り、嫌がる兄をつかまえ、父をつかまえ、カードを半分ずつに分けて(本当はこんな遊び方はない)無理やりゲームの相手をさせた。  やっぱりイメージ通り、ポケモンカードゲームは超楽しい!  意気揚々と登校した翌日、タカハシ少年を新たな衝撃が襲った。 「誰もやってねえ……」  そうなのだ。ポケモンカードを心待ちにして、町中探し回っているようなヤツは自分以外に誰もいなかったのだ。  やばい、このままだと家族内だけでプレイする「お正月の花札」みたいな、ものすごく小規模のゲームになってしまう。そんなのは、僕のイメージしたワールドワイド(学校内)なポケモンカードゲームじゃない!  そこで僕は、ポケモンカード啓蒙活動を開始した。   「ポケモンカード知ってる?」「こんなに面白いよ」「まずはスターターを1つ買うだけ」と、押し売りかネズミ講ばりの詐欺師口調でポケモンカードを啓蒙して回った。  すると、そこで1人のクラスメイトが、ポケモンカードに興味を持ってくれた。彼(仮にシゲル君としよう)とは、もともとはそこまで親しくなかったが、彼がポケモンカードを買って2人で対戦や交換をしてハマり込んでいくうちに、どんどん親しくなった。  ポケモンカードも少しずつはやりだし、どんどん売り上げを伸ばして、品薄になるほどの人気を集めた。  ポケモンカードゲームが最初はそんなにはやっていなかった証しに、初代のカード(右下にレアリティマークがない)は意外に数が少なく、今ではプレミア価格がついていたりする。その後もカードは第2弾、第3弾と発売され、全151種類がカードとして出そろい、ポケモンのゲームやアニメと一緒に、日本中で大ブームを巻き起こしていた。  人気を呼んだのは、社会現象になるほどの本家ポケモンやアニメの影響もあると思うが、何よりも丁寧にこだわって作られたカードゲームが、戦略に富んだ真に「面白いカードゲーム」だと、少しずつ子どもたちに理解されていったからだろう。  その頃には、僕とシゲル君の2人は対戦を重ねすぎてかなり強くなっていたので、後から参入してくる友人たちとはちょっと次元が違うバトルを繰り広げていた。少年漫画的にいうなら、まさに「友」と書いてライバルだ。  毎日、放課後は友人たちとカードで対戦する毎日で、新シリーズが出ては買い、親にねだってイベントに出かけ、あっという間に1年近くが過ぎた。  そして97年冬、第4弾が発売された頃だったと思う。僕は相変わらず、ポケモンカードに夢中だったが、ある時からシゲル君とあまり遊ばなくなった。別にケンカしたとかいうわけではなかったのだが、なんだかシゲル君の付き合いが悪くなったようだった。シゲルくんは人が変わって社交性を失ったように見えて、僕は子ども心に、何か腑に落ちないものを感じていた。対戦する機会も激減した。  ライバルを失ったこともあってか、僕自身も少しずつポケモンカードの熱が別のところに移っていって、次第にポケモンカードを追いかけなくなっていった。  ポケモンカードに夢中になったのは、ちょうど1年間くらいだっただろうか?   あれから20年。大人になった今、僕はポケモンカードの原稿を書いている。思い出話だけをしているわけじゃない。実は20年目の今年、僕はポケモンカードに復帰したのだ。  きっかけは、2月に発売された20周年復刻スターターだ。あの日、自転車を飛ばしてイトーヨーカドーで買ったのと同じパッケージで発売された復刻スターターを買ってから、またハマってしまった。  あの頃のようにパックを開けては一喜一憂し、友達(やってる人は2人しかいないけど)と、たまに対戦をしている。  20年ぶりのポケモンカードは、相変わらず興味深くて、戦略的な、面白いゲームだ。9月には、20年前の第1弾のイラストそのままの復刻ブースターも出た。かつてのカードはもう使えないけど、この同じ絵柄の復刻カードは、今のゲーム環境でも使えるように作られている。  懐かしさにほだされて、ポケモンカードに久々に触れてみるのに、こんなに最高のタイミングはない!  一緒にやろうよ、ポケモンカード!  そうそう、最後に、シゲルくんの話だ。  大学生になったころ、母親が地域のボランティア委員会みたいなものに入っていて、シゲルくんの家を訪ねたことがあった。シゲルくんが家族に対して暴力を振るう、というので母親のところに相談が来ていたのだ。  シゲルくんはあれから私立の高校に進学したがすぐに退学し、いくつかの高校に入っては辞めるを繰り返し、3度目の高校生を迎えていた。  その原因を、帰宅した母親はこんなふうに聞かせてくれた。 「シゲルくんの小学6年生の誕生日の前日に、お母さんが家を出て行ったんだって。それから少しずつ荒れていったみたい」  あぁ、あの時だ。  僕たちがポケモンカードで遊ばなくなった、あの時だ。  シゲルくんにとって、ポケモンカードに夢中だった1年間は、いい思い出だろうか? それとも、思い出したくない季節なんだろうか?  大人になった今、彼の中で折り合いがついているのなら、ポケモンカードの話がしたい。 takahashi1017.jpg ●タカハシ・ヒョウリ “サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。 HP:http://www.owarikara.com/ ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/ Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw

「ポケモンカード」とシゲルくんの話

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“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。  2016年10月20日は、「ポケモンカードゲーム」20周年だ。エネルギーリムーブ20周年だ。突風20周年だ。にせオーキド博士20周年だ。  ポケモンではなく、「ポケモンカードゲーム」。その名の通り、全世界で大人気の『ポケモン』を題材にしたカードゲームで、ポケモン本体に負けず劣らず、20年間、世界中で人気を集める一大コンテンツだ。 「子どものカードゲームでしょ?」と侮ることなかれ。子どもから大人まで楽しめる、っていうか、もう大人のほうが夢中でやっているカードゲームだ。  そのポケモンカードゲームが生誕20年! それを記念して、初代「ポケモンカード」の復刻リメイクも発売された。  僕、タカハシヒョウリは、まさにポケモン・ド直撃世代で、20年前に最初の初代『ポケットモンスター赤・緑』(96年)が発売された時、小学3年生だった。その時の衝撃は忘れられないのう……と、古参ぶりたいんだけど、実はポケモン発売直後は、ほとんど話題にならなかったと記憶している。  それもそのはず、ポケモンの最初の出荷数はそれほど多くなく、ほとんどのゲーム雑誌でもスルーされていた。なぜなら、ポケモンの「通信して友達と交換・対戦できる」という魅力がこんなにも子どもの人気を集めると、発売前に予想できたメディアがほとんどなかったからだ(「ファミ通」のゲームレビューでは、パッとしない点数を付けられていた)。  そもそもゲーム機「GAME BOY」自体が、この時点ですでに発売7年目を迎える、現役引退寸前のシニアクラスの老体だった(のちにポケモンの大ヒットで新たな可能性を見いだされ、大復活を遂げる)。  そんな状態だったポケモンが、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こすまでにはしばらくの助走期間が必要で、発売してからポツポツと「めちゃめちゃ面白いゲームがある」という口コミが、子どもたちの間で広がり始めていた。  こうして草の根的にジワジワと人気が過熱していき、数カ月後には爆発。小学生男子にとって「持ってないヤツは、クラスの話題についていけない」という、必殺マストアイテム的な存在となっていった。  僕も「みんながやっている」という理由で、ゲームショップに走った記憶がある。そして、例に漏れず、超ハマった。  学校が終われば対戦、交換(通信ケーブルを持っているヤツが神になった数カ月だった。僕は持ってなかったなあ)、家に帰っても友人どもを出し抜くためにポケモン育成。日本中で、単三電池が大量に消費されていった。  流行がピークに達した夏頃、「ポケモンカードゲーム」というものが近々発売されるらしいという情報が、当時のガキのバイブル「コロコロコミック」(小学館)に掲載された。 「ポケモンのものなら、ふりかけでも欲しい」というくらい、すでにポケモン漬けの毎日を送っていた僕は、その小さな記事にくぎづけになり、5分おきに読みか返しては「ポケモンカードゲーム」という存在に思いをはせた。  ポケモンが画面を飛び出し、自分の手の中にカードとしてやってきて、友達と対戦できる――。はたして、どんなに楽しいんだろう?  そして忘れもしない、「コロコロコミック」(小学館)96年11月号。ポケモンカードゲーム発売の少し前に書店に並んだこの号は、ポケモンの『青』という新バージョンを同誌限定で通販するという一大企画の受け付けを開始した号で、日本中のポケモンキッズが手に取った。  ここに付録として、ポケモンカードが2枚付いてきた。  台紙に裏向きで貼り付けられていて、それをペリペリとはがすと「ピカチュウ」と「プリン」の3DCGの絵柄が姿を現す。ピカチュウとプリンは、当時のアンケート人気投票で1位、2位だった大スターポケモン様だ。  その2体のポケモンがカードになって、いま僕の手の中にある。この感覚は、想像を越えるものだった。いま見ると、ちょっとしょぼいCGも、当時は恐ろしく美麗に感じた。  発売までの5日間、僕はそのカードを使って特訓(イメージトレーニング)にいそしんだ。もちろん、全部で60枚のカードが必要なゲームなので、手元にある2枚だけでは圧倒的に数が足りなすぎるのだが、それでもイメトレせずにはいられなかった。  さまざまなシチュエーションで、いろいろな対戦相手と戦うことを妄想した。イメトレ以外の時間は、コロコロの記事を穴が開くほど見る。来るべき戦いに備えて、知識も必要だからだ。  その記事の背景には、豆粒くらいの大きさで、さまざまなカードがズラリと並んでいた。それを見て「この絵柄はあのポケモンに違いない……」などと推理したり、脳内でイメトレする。文武両道とはこのことだ。  そして、ついにやってきた発売日。  前夜は、なかなか寝つけなかった。目をつむると、まだ見ぬ無数のポケモンカードたちがズラーッと目の前に現れる。ミュウツーも、リザードンも、ニドキングもいる……。  あぁ、みんなすぐに会えるからね――。  やっと寝付いたあとの夢の中でも、おそらくひたすらカードを愛でていただろう。  翌日、玩具店の開店時間に町へ繰り出した少年タカハシは、衝撃を受けた。 「ぜんぜん売ってねぇ……」  そうなのだ。実は、ポケモンカードゲームは発売時、ほとんど無視された存在だった。  ポケモンカードゲームを開発したクリーチャーズは、製造元の任天堂にも「任天堂ブランド」で発売することを拒否され、やっと見つかった新参の会社・メディアファクトリーからの発売にこぎ着けたものの、大手の流通からも取り扱いを拒否されていた(この辺の詳しい話は、日経BP社の『ポケモンストーリー』を読もう!)。  なんとか流通を見つけて発売にたどり着いたわけだが、ほとんどのお店に満足に商品が並ばない、という不遇のスタートを切った。  ポケモンカードは、完全に「鬼子」だったのだ。  その要因となる背景には、まだ日本でトレーディングカードゲームという文化が根付いていなかったことが挙げられる。実はこの手の、プレイヤーそれぞれがカードを集めて持ち寄り対戦する「トレーディングカードゲーム」が誕生したのは90年代に入ってからだ。  93年にアメリカで誕生した「マジック:ザ・ギャザリング」という対戦型のカードゲームが大流行してから、さまざまな亜種が登場するようになっていたが、96年当時、まだ日本では市民権が得られていなかった。  そんな「マイナー」で「難しい」ゲームは「子どもにはわからないから、はやらない」というのが、当時の業界の大多数の意見だったのだ。  その後、ポケモンカードゲームが子どもたちに1年で約2億枚、2年目は5億枚以上を売り上げたことを考えると、このときの大人たちの思い込みは間違いだったとわかる。  いつでも大人は子どもを侮ってしまう。閑話休題。    とにかく、どこにも売ってないポケモンカードゲームを求めて、タカハシ少年は自転車で走り回った。  最後の望みをかけ、自転車を飛ばして、やってきたのが隣町のイトーヨーカドー。そこでついに、ポケモンカードゲーム「スターターパック」と邂逅したのだ。  ゲームに必要なカード60枚(キラキラのカードは1枚)と、「ラッキー」というポケモンが彫刻されたコインがセットになり、紙製のケースに入って1,500円。税抜き。子どもにとっては、決して安い値段ではない。  それでも、夢にまで見たそのカードは、お年玉を積んでも惜しくないほど価値のあるものに見えた。    僕は数カ月間、夢に見ていたポケモンカードゲームを、ついに手に入れたのだ!(大人になって知ったのは、ポケモンカードゲームを流通させたのは、イトーヨーカドーに太いラインを持つ流通会社・スターコーポレーションだったのだ。いま思えば、ほかのところで売っていなかったポケモンカードが、イトーヨーカドーにはいつもあったのには、ちゃんと理由があったのだ。面白いね、大人になるって!)  初めて買ったケースから出たキラカードは「ミュウツー」だ! 最強のポケモンとして、子どもたちのスーパーヒーローというか、畏敬の念を集める魔王的存在になっていたミュウツーだ。  手が震えた。  実はこのミュウツー、いわゆる「最強のポケモン」なのに、カードゲームでは何が起きたんだ? っていうくらいクソ弱い。しかし、初めて手にした僕はそんなことを知る由もなく、「最強ポケモン」のカードを引いた自分に運命的な何かを感じて悦に浸っていたのだった。  家に帰り、嫌がる兄をつかまえ、父をつかまえ、カードを半分ずつに分けて(本当はこんな遊び方はない)無理やりゲームの相手をさせた。  やっぱりイメージ通り、ポケモンカードゲームは超楽しい!  意気揚々と登校した翌日、タカハシ少年を新たな衝撃が襲った。 「誰もやってねえ……」  そうなのだ。ポケモンカードを心待ちにして、町中探し回っているようなヤツは自分以外に誰もいなかったのだ。  やばい、このままだと家族内だけでプレイする「お正月の花札」みたいな、ものすごく小規模のゲームになってしまう。そんなのは、僕のイメージしたワールドワイド(学校内)なポケモンカードゲームじゃない!  そこで僕は、ポケモンカード啓蒙活動を開始した。   「ポケモンカード知ってる?」「こんなに面白いよ」「まずはスターターを1つ買うだけ」と、押し売りかネズミ講ばりの詐欺師口調でポケモンカードを啓蒙して回った。  すると、そこで1人のクラスメイトが、ポケモンカードに興味を持ってくれた。彼(仮にシゲル君としよう)とは、もともとはそこまで親しくなかったが、彼がポケモンカードを買って2人で対戦や交換をしてハマり込んでいくうちに、どんどん親しくなった。  ポケモンカードも少しずつはやりだし、どんどん売り上げを伸ばして、品薄になるほどの人気を集めた。  ポケモンカードゲームが最初はそんなにはやっていなかった証しに、初代のカード(右下にレアリティマークがない)は意外に数が少なく、今ではプレミア価格がついていたりする。その後もカードは第2弾、第3弾と発売され、全151種類がカードとして出そろい、ポケモンのゲームやアニメと一緒に、日本中で大ブームを巻き起こしていた。  人気を呼んだのは、社会現象になるほどの本家ポケモンやアニメの影響もあると思うが、何よりも丁寧にこだわって作られたカードゲームが、戦略に富んだ真に「面白いカードゲーム」だと、少しずつ子どもたちに理解されていったからだろう。  その頃には、僕とシゲル君の2人は対戦を重ねすぎてかなり強くなっていたので、後から参入してくる友人たちとはちょっと次元が違うバトルを繰り広げていた。少年漫画的にいうなら、まさに「友」と書いてライバルだ。  毎日、放課後は友人たちとカードで対戦する毎日で、新シリーズが出ては買い、親にねだってイベントに出かけ、あっという間に1年近くが過ぎた。  そして97年冬、第4弾が発売された頃だったと思う。僕は相変わらず、ポケモンカードに夢中だったが、ある時からシゲル君とあまり遊ばなくなった。別にケンカしたとかいうわけではなかったのだが、なんだかシゲル君の付き合いが悪くなったようだった。シゲルくんは人が変わって社交性を失ったように見えて、僕は子ども心に、何か腑に落ちないものを感じていた。対戦する機会も激減した。  ライバルを失ったこともあってか、僕自身も少しずつポケモンカードの熱が別のところに移っていって、次第にポケモンカードを追いかけなくなっていった。  ポケモンカードに夢中になったのは、ちょうど1年間くらいだっただろうか?   あれから20年。大人になった今、僕はポケモンカードの原稿を書いている。思い出話だけをしているわけじゃない。実は20年目の今年、僕はポケモンカードに復帰したのだ。  きっかけは、2月に発売された20周年復刻スターターだ。あの日、自転車を飛ばしてイトーヨーカドーで買ったのと同じパッケージで発売された復刻スターターを買ってから、またハマってしまった。  あの頃のようにパックを開けては一喜一憂し、友達(やってる人は2人しかいないけど)と、たまに対戦をしている。  20年ぶりのポケモンカードは、相変わらず興味深くて、戦略的な、面白いゲームだ。9月には、20年前の第1弾のイラストそのままの復刻ブースターも出た。かつてのカードはもう使えないけど、この同じ絵柄の復刻カードは、今のゲーム環境でも使えるように作られている。  懐かしさにほだされて、ポケモンカードに久々に触れてみるのに、こんなに最高のタイミングはない!  一緒にやろうよ、ポケモンカード!  そうそう、最後に、シゲルくんの話だ。  大学生になったころ、母親が地域のボランティア委員会みたいなものに入っていて、シゲルくんの家を訪ねたことがあった。シゲルくんが家族に対して暴力を振るう、というので母親のところに相談が来ていたのだ。  シゲルくんはあれから私立の高校に進学したがすぐに退学し、いくつかの高校に入っては辞めるを繰り返し、3度目の高校生を迎えていた。  その原因を、帰宅した母親はこんなふうに聞かせてくれた。 「シゲルくんの小学6年生の誕生日の前日に、お母さんが家を出て行ったんだって。それから少しずつ荒れていったみたい」  あぁ、あの時だ。  僕たちがポケモンカードで遊ばなくなった、あの時だ。  シゲルくんにとって、ポケモンカードに夢中だった1年間は、いい思い出だろうか? それとも、思い出したくない季節なんだろうか?  大人になった今、彼の中で折り合いがついているのなら、ポケモンカードの話がしたい。 takahashi1017.jpg ●タカハシ・ヒョウリ “サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。 HP:http://www.owarikara.com/ ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/ Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw

テレ東が意表突く人事『モヤさま』新アシスタントは、無名の中途採用・福田典子アナ

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テレビ東京 アナウンサーパークより
 テレビ東京が意表を突く人事を発動し、視聴者、関係者を驚かせた。というのは、同局の人気バラエティ番組『モヤモヤさまぁ~ず2』(日曜午後6時30分~)の新アシスタントに、中途採用されたばかりの福田典子アナ(25)を起用することが発表されたからだ。  同番組の2代目アシスタント・狩野恵里アナが、10月16日放送の「狩野アナ卒業SP in ハワイ」をもって卒業。そのエンディングで、3代目となる新アシスタントが福田アナになることが明らかになった。  同番組の初代アシスタントは、同局の看板となった大江麻理子アナ。2代目の狩野アナは、この番組への出演をきっかけに、同局の人気ナンバー1女子アナへと飛躍を遂げた。そのため、『モヤさま』のアシスタントを務めるのは“出世コース”と称されており、新担当が誰になるのか注目を集めていた。多くの女子アナファンからは、巨乳で人気急上昇中の鷲見玲奈アナあたりの起用が待望されていたようだが、最終的には中途入社したばかりで無名の福田アナに落ち着いた。  福田アナは1991年2月12日生まれ、福岡県福岡市出身。立教大学経営学部経営学科3年のときには、『BSフジニュース』の第21期女子大生キャスターを務めた。同大卒業後、故郷に戻り、TBS系のRKB毎日放送に入社。『サンデーウォッチ』『今日感テレビ』などに出演し、スポーツニュースや、情報番組のロケ・中継などを担当していたが、今年6月末で同局を退社。8月1日付でテレ東に中途採用された。  入社早々、『速報!リオデジャネイロオリンピック』を担当。10月から『追跡LIVE!Sports』の月曜キャスターに就任したばかり。  すでに、それなりに人気がある女子アナではなく、無名の女子アナを抜擢するあたり、テレ東らしいともいえる今回の人事。スポーツ番組の経験が多く、バラエティは不慣れな福田アナだが、このチャンスをモノにできるかどうかは本人の腕次第。狩野アナのように、『モヤさま』でブレークを果たせるか、お手並み拝見だ。 (文=田中七男)

元AKB48・高橋みなみソロアルバムが大爆死! 『MUSIC FAIR』で「素人カラオケレベル」の歌唱力露呈

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 4月にAKB48を卒業した高橋みなみのソロ初アルバム『愛してもいいですか?』(ユニバーサルミュージック)が大コケしているという。  プロデューサーの秋元康氏が「高橋みなみとつながりのあるアーティスト、本人の才能をより引き出していただけるアーティストに楽曲を提供してもらう」というコンセプトで制作した同アルバムは、槇原敬之、玉置浩二、岸谷香、高見沢俊彦、HYの名嘉俊など、豪華アーティストが楽曲を提供。数曲にタイアップが付いているほか、15日に出演した音楽番組『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)では、収録曲「GIRLS TALK」を、作詞・作曲を手掛けた岸谷香とともにフルコーラスで披露した。  さらに、アルバム購入者を対象とした「ライブ&握手会」を東名阪で開催。楽曲、プロモーションともに抜かりのない同アルバムだが、売り上げは振るわないという。 「初週売り上げは約1万枚で、オリコン週刊ランキングは9位に。初日こそ約3,000枚を売り上げたものの、その後はガクンと下がり、発売1週間も経たないうちにオリコンデイリーランキングで30位まで急落。かつてのシングル選抜総選挙で約14万票を獲得していた高橋ですが、ファンはどこへ行ってしまったのか……」(芸能記者)  なお、元AKB48・板野友美が約2年前にリリースしたソロ初アルバムは、初動約2万枚。同・前田敦子が今年6月にリリースしたソロ初アルバムは、初動約1万7,000枚だった。 「高橋は、ソロアーティストとしてのウリがまったく伝わってこないため、消費者もアルバムを手に取るきっかけが見つからないのでしょう。また、『MUSIC FAIR』では、完全に岸谷のバックコーラスの迫力に負けてしまい、高橋の特徴のなさが際立つ結果に。さらに、高橋の歌唱の後、いきものがかり・吉岡聖恵のステージが続いたため、本物の歌手との差が明確に。目標に歌姫・中森明菜を掲げる高橋ですが、今のままでは明菜はおろか、プロ歌手として世間に認められる日も遠いでしょう」(同) 「魅力がわからない」「素人のカラオケレベル」という声も聞かれる高橋の歌声。次のリリースまでに、歌手としてのウリを提示することはできるだろうか?

「UFO」240分耐久ダンスというA.B.C-Zのトンチキ企画に、ファンも「謎すぎる」「意味わからない」

 出題されたクイズに答えられないとメンバーを“即帰宅”させ、変わりに素人が代役を務める「クイズサバイバル」という企画があったり、ゲスト登場したジャニーズの先輩を川に沈めたり記者会見を開かせたり、破天荒な企画が度々話題となる、A.B.C-Zの冠番組『ABChanZOO』(テレビ東京系)。

 放送時間が深夜帯に移動してからますます“トンチキ度”が上がっている同番組だが、10月15日深夜に放送された内容が「謎すぎる」と、ファンの間で物議を醸している。

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