
オダギリジョー、蒼井優が主演した函館ロケ作品『オーバー・フェンス』。おもちゃ箱のような小さな街を舞台に、男女の痛い出会いが描かれる。
あっ、この人と自分はセックスすることになるな。予知能力者でなくとも、ある種の予感がピピピッと働くことはないだろうか。映画『オーバー・フェンス』の主人公であるバツイチ男と函館のキャバクラに勤めるヒロインとの2度目の遭遇には、そんなエロい空気が濃密に漂う。フェロモンとコドクさを滲ませたお互いの視線が田舎のキャバクラで激しく絡み合い、店内ですでに前戯が始まっているかのようだ。山下敦弘監督の『オーバー・フェンス』は人生の美味しい時季はすでに終えてしまった男と女が惹かれ合い、傷つけ合いながらも生の灯火を再点火させていくドラマとなっている。
映画の序盤、男たちはみんな灰色の作業服を着て、やる気がなさそうに木工作業に取り組んでいる。『オーバー・フェンス』というタイトルから、刑務所内の話なのかなと思わせるが、そうではなかった。男たちが集まっているのは職業訓練学校で、東京から故郷の函館に帰ってきた白岩(オダギリジョー)は大工になるための実習を受けていた。でも、ここに通っている生徒たちのほとんどは真剣に大工になろうとは考えていない。職業訓練学校に通えば、失業手当ての受給が1年間延長されるからに過ぎない。荷物のない安アパートに戻った白岩は、近所で買った弁当を肴にして缶ビールを毎晩2本飲み干す。まるで刺激のない生活だったが、東京の建設会社を辞め、妻や子どもと別れて心の中はズタズタな白岩にはそんなヌルい暮らしが妙に心地よかった。
ひとり暮らしのアパートに戻って、その日も缶ビールを2本飲むつもりだった白岩は、奇妙なひとりの女に出くわす。コンビニに立ち寄ろうとしたところ、中年男性の連れの女がダチョウの求愛ダンスをいきなり店の前で踊り始めたのだ。かなりヤバそうな女だが、なんだか気になってしまう。数日後、同じ職業訓練学校に通う元営業マンの代島(松田翔太)に連れられ、代島の行きつけのキャバクラへ入ったところ、そこで働いていたのがあの求愛ダンスの女、さとし(蒼井優)だった。男みたいな名前のさとしは、店でもやっぱり変わり者だった。離婚の傷が癒えていない白岩は、他人と適度に距離を置くようにしていたが、さとしはズカズカと間合いを破って白岩に迫ってくる。社会から浮いた者同士で、お似合いなのかもしれない。さとしが運転する車で、アパートまで送ってもらう白岩。「うちに寄ってく?」と白岩が軽く声を掛けさえすれば、さとしとはそのままベッドインすることになるだろう。あまりにイージーな展開に、白岩はかえって躊躇してしまう。

さとし(蒼井優)は感情の起伏が激しいメンヘラ女だった。白岩(オダギリジョー)はさとしを懸命に受け止めようとするが……。
原作は函館出身の作家・佐藤泰志の短編小説集『黄金の服』(河出書房新社)に収録された同名小説。5度芥川賞候補になりながらも不遇のまま41歳の生涯を終えた佐藤文学を、『海炭市叙景』(10)の熊切和嘉監督、『そこのみにて光輝く』(14)の呉美保監督に続いて、両監督と同じく大阪芸術大学映像学科卒業の山下敦弘監督が映画化している。原作では主人公・白岩の年齢は20代前半だったが、映画では40歳前後に変更。ヒロインとなるさとしも、実家の花屋の手伝いからキャバクラで働く、躁鬱が激しいメンヘラ女となった。職業訓練学校に通う主人公のモラトリアムな日々を描くという山下監督らしい内容ながら、『リアリズムの宿』(03)や『リンダ リンダ リンダ』(05)のような作品全体に流れていた大らかさは消え、痛々しさや苦味が先に伝わってくる。
主人公の年齢変更に加え、蒼井優扮するヒロインが物語の要所要所で踊ってみせるダチョウや白鳥の求愛ダンスも、原作にはないアイデア(脚本・高田亮)。かつて蒼井優は岩井俊二監督の『花とアリス』(04)で匂い立つような可憐なバレエを披露してみせた。10代の少女ならではのイノセントさに溢れた踊りだった。あの頃、彼女の未来には無限の可能性が広がっていた。それから10年あまりが経ち、『フラガール』(06)や『百万円と苦虫女』(08)などゼロ年代の邦画シーンで脚光を浴びてきた蒼井優も今年で30歳。そんな彼女が20代最後の役に選んだのが、“メンヘラ系の女”さとしだった。さとしが路上で踊る求愛ダンスは、どこか滑稽で物哀しい。代島をはじめ街で暮らす男たちは、みんな彼女のエキセントリックさを持て余していることが次第に分かってくる。さとしは迂闊に手を出すと痛い目に遭う、それはそれは恐ろしい“地雷女”だった。
オダギリジョーと山下監督は共に1976年生まれで、今年で40歳を迎えた。世間的には“不惑”なんて言うけれど、40歳になっても男は悩みから解放なんてされない。出演ドラマの視聴率が悪いと、戦犯扱いされてネットで叩かれる。芥川賞受賞作をメジャー系で全国公開したところ、残念な興収結果に終わってしまった。数字よりも中身で評価してくれよと言いたいところだが、そういう弁解もできない年齢に2人ともなってきた。本作の白岩は、オダギリと山下監督の本音が混じったキャラクターだろう。故郷の職業訓練学校にのんびり通う白岩のように、これからの人生を考えるモラトリアムな時間が男は欲しくなってしまう。

白岩の別れた妻・洋子(優香)。白岩が残業続きで家を空けていた時期、洋子は育児に追われて精神バランスを崩した過去があった。
若い頃は挑戦することが賞讃されたが、いつの間にか大人になってしまい、失敗することが許されない窮屈な世界で暮らすはめになっていた。『オーバー・フェンス』というタイトルには幾つもの意味が込められている。キャバ嬢のさとしは、昼間は函館山にある小さな遊園地兼動物園で働いており、暇を持て余していた白岩はさとしに逢いに函館山へと自転車を漕ぐ。昼間は檻の中でおとなしくしている動物たちだったが、夜の動物園は独特な雰囲気に変わる。動物たちの解き放たれた野性の匂いが、フェンス越しに伝わってくる。白頭鷲の求愛ダンスを踊ってみせるさとしが、白岩の目にはとても愛しく思えた。さとしは天岩戸を開けてみせたアメノウズメのような女だった。ずっと自分の心の中の檻に篭っていた白岩だったが、その夜は檻を出て外へ出てみる。地雷女だと分かっていながらも、白岩は生まれたままの姿になったさとしとベッドを共にすることになる。
最初は滑稽さや痛々しさが強く感じられた蒼井優の求愛ダンスだが、何度か繰り返されるダンスを観ているうちに、そのダンスには人生を生きるおかしみや切実さも含まれていることに気づく。イノセントな季節はもう終わった。周囲から笑われてもかまわない。今は求愛ダンスを遮二無二踊るこの女を精一杯抱きしめてやりたい。蒼井優やオダギリジョーたちの力を借りて、モラトリアムにこだわる主人公を描き続けてきた山下監督の作風がほんの少しだけ変わった。フェンスから一歩外へ出たのは山下監督自身だった。新しい物語がここから始まる。
(文=長野辰次)

『オーバー・フェンス』
原作/佐藤泰志 脚本/高田亮 監督/山下敦弘
出演/オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、松澤匠、鈴木常吉、優香
配給/東京テアトル 9月17日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
http://overfence-movie.jp

『パンドラ映画館』電子書籍発売中!
日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。
詳細はこちらから!