会員登録で、“SMAPの存在意義”を特集した「Jマニア93号」が1冊無料

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「Jマニア」93号(鹿砦社)

 ただいま「ジャニーズ研究会」では、会員登録した人に限り、“SMAPの存在意義”を特集した「Jマニア93号」(2009年発行)を無料開放中です! それまでのジャニーズアイドルとは異なり、バラエティ進出や国立競技場でのコンサートなど、「先駆者」としての彼らの歩みと事務所にもたらした影響を解説。今だからこそ見直したい、読み応えのある1冊となっています。

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Hey!Say!JUMP・知念侑李、初主演映画! 『金メダル男』の鑑賞券プレゼント

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『金メダル男』公式サイトより

 先日閉幕したリオ五輪。その感動も睡眠不足の仇も取れぬなか、10月22日、知念侑李(Hey!Say!JUMP)がW主演する映画『金メダル男』が公開となります。本作は2011年に上演されたウッチャンナンチャン・内村光良の1人芝居『東京オリンピック生まれの男』をベースに、脚本・監督・原作・主演すべてを内村が手がける、まさに内村ワールド全開のコメディ。一体どんなストーリーなのでしょうか?

 1964年、日本中が東京五輪に沸くなか長野県塩尻市に生まれた秋田泉一(青年期:知念、壮年期:内村)。彼は小学生のときに徒競走で1位を取って以来、1位の快感に取り憑かれ、絵画に火起しなど、ありとあらゆるもので金メダルを獲得し「塩尻の金メダル男」との異名がつくまでになった。しかし、それも中学校入学を境に金メダルから見放されてしまう。そんな挫折を味わいながらも金メダルを追いかけて日々奮闘していく泉一なのだが……。

関ジャニ∞と東山紀之が『関ジャム 完全燃SHOW』で共演! 8月28日(日)ジャニーズアイドル出演情報

――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!

※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。

●SMAP

26:00~26:05 『ベビスマ』(フジテレビ系) ※放送回によって変動


●TOKIO

11:25~11:55 『男子ごはん』(テレビ東京) 国分太一

※『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)は放送休止。

「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」――西加奈子『きりこについて』

「きりこは、ぶすである。」西加奈子の小説『きりこについて』(角川文庫)は、このような衝撃的な一文から始まります。空気を抜く途中の浮き輪のようにぶわぶわと頼りない輪郭。がちゃがちゃと太い眉毛。点のような目に、アフリカ大陸をひっくり返したような鼻。アラビア文字のように難解な生え方の歯。首も胴体のくびれもなく、足は立派な芋虫のよう。百人が百人「ぶすである」というであろう奇跡の女の子、それが、この小説の主人公・きりこです。

 マァマのお腹から生まれ出たときから、その「ぶす」さ加減で周囲を圧倒してきたきりこ。しかし、きりこのことを心から愛してやまないマァマとパァパの「可愛いなぁ」をたっぷり浴びせられて育った彼女は、自分が世間一般で言う「ぶす」であることに、つゆほども気づかないまま、すくすくと成長していきます。それどころか、自分のことを、「世界一可愛い」女の子であると信じています。いかなるときもふりふりの可愛い洋服に身を包み、目立ちたがりで、自分が大好きで、きまぐれでわがままで、でも心のやさしいきりこ。まだ幼く、一般的な「美醜」の判断基準をインストールされておらず、きりこの「ぶす」を「衝撃」としてしか捉えることのできない周囲の子どもたちは、彼女からあふれ出す自信(あまりにも自信たっぷりの「うちって、かわええやろ?」に、子どもたちはみな暗示をかけられてしまいます)や溌剌として大人ぶった態度に惹かれ、きりこをリーダーとして慕うようになります。そんなきりこと運命の出会いを果たすのが、この小説の語り部でもある、世にも聡明な黒猫・ラムセス二世なのです。

 ラムセス二世とともに日々を過ごし、小学五年生となったきりこにはある変化が訪れます。それは、初潮と、胸をえぐるような失恋、そして、周囲がきりこのことを「ぶす」と認識するようになってしまったことでした。初潮を迎えたきりこは、かねてから思いを寄せていた初恋の人・こうた君に愛を告白します。しかし、彼から返ってきたのは、「やめてくれや、あんなぶす。」という残酷な一言。同時に、これまできりこのことを慕ってきたクラスメイトたちも、「きりこちゃんって、ぶす、やわ!」と態度を一変させてしまうのです。しかし、生まれてからずっと、パァパとマァマの心からの「可愛い」を浴びせられて育ってきた彼女には、どうしても理解ができなかったのです。いったい、うちの、どこが「ぶす」?

 きりこは毎日毎日鏡に向かい、自分の顔のどこが「ぶす」なのかを、検証するようになります。しかし、そこに映るのは「ぶす」ではなく、「きりこそのもの」。ありのままの「自分」でしかないのです。「ぶす」の定義に悩み続けるきりこが決定的に自分を「ぶす」であると認識するのは、「ぶす」の正反対に位置する「可愛い」女の子像を発見したときでした。大きな二重の目、すうと通った鼻筋、口角の上がった桃色の唇……自分と同じように「ぶす」であるクラスメイトのみさちゃんが理想とするヒロインの姿であり、思春期を迎えた男の子たちにモテモテの「可愛い」すずこちゃん。彼女たちの顔が「可愛い」とされるならば、その対極にいる者は、「ぶす」だ! 自分が「ぶす」であることをはっきりと自覚したきりこは、その日から鏡を見ることをやめ、人の目を避け自室に篭もり、つらい現実から逃れるために眠り続けるようになります。ラムセス二世をはじめとする猫たちだけが、きりこが笑顔を向けられる相手でした。彼らにとっては、きりこが人間界で「ぶす」だと言われていることなど、まったくどうでも良かったのです。

 きりこは、自分が「可愛い」女の子になれないことに苦しんでいるのではありません。「自分」はどこまでいっても「自分」であり、ほかの誰かになることは不可能なのだということを、きりこはよく分かっていましたし、何より彼女自身がそうして生きていくことを望んでいませんでした。「きりこの体はきりこのもの」。だから、大好きな、自分の体と心が一番よろこぶ、可愛いお洋服を着て外を歩きたい。しかし彼女にぶつけられるのは、「ぶすのくせに」という心ない言葉ばかりでした。きりこのそんな姿が、そんな思いが、周囲から受け入れられないということに、彼女は絶望していたのです。

 長い間、部屋に篭もっていたきりこ。しかし、十八歳になった彼女に、外の世界へ出て行くことを決意させる、ある出来事が起こります。それは、同じ団地に住む、ちせちゃんという女の子が、強姦の被害にあったことでした。きりこはそれを夢の中で知ります。脚の間から血を流して「私は望んでいない」と泣く彼女を、どうにかして助けたいと、きりこは四年ぶりに太陽の降り注ぐ外へと出て行きます。ラムセス二世と、たくさんの猫たちを引き連れて。

 セックスが大好きなちせちゃんは、自分の欲求を満足させるために、出会い系サイトを利用していましたが、相手はきちんと選び、「生理中はセックスをしない」「避妊具を必ずつける」といったルールを決めて、安全な性交を楽しんでいました。そんななかで、ある男が、「生理が始まったからしたくない」という彼女の言葉を聞かず、無理やりに挿入をしてくるという事件が起こります。ちせちゃんはそれを「レイプである」と警察や周囲の人々に訴えますが、挑発的な服装の、「ヤリマン」と噂される彼女の言うことを、誰も聞いてはくれません。出会い系サイトを利用して、不特定多数の異性との性交に励んできた、自分の体を大切にしてこなかったちせちゃんが強姦されるのは、「自業自得」だというのです。

 きりこは、必死に周囲と闘うちせちゃんについて、このように話します。「セックスをたくさんしてるから、体を大切にしてへん、のやなくて、ちせちゃんは、自分の体が何をしたいのかをよく分かってて、その望む通りにしてるんやから、それは、大切にしてる、ていうことやと思う。自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらんと思うから。」それはきりこ自身が、自分に対して言い聞かせた言葉でもありました。

ぶすって、何だ。

誰が決めたのだ。目が大きいのがいいって誰が? 顎の下がなだらかなのは、美しくない? では、美しさとは? 誰が決定する? 誰が?

 露出の多い服を着ていれば、ただちにレイプされるのか? レイプをされれば、心を奪われたことになるのか? セックスが好きなのは、自分の体を大切にしていないこと? 体の欲求に素直なことは、「自分を大切に」していると、言えないのだろうか?

 ふたりは約束をします。「自分」の欲求に、従うこと。思うように生きること。誰かに「おかしい」といわれても、「誰か」は「自分」ではないのだから、気にしないこと。

 きりこは、決して「きりこ」のことを否定しません。「ぶす」なきりこも、可愛いお洋服を着たいと思うきりこも、誰が作ったのかも分からない「基準」に傷つけられたきりこも、そして、「ぶす」な自分のことが大好きなきりこも、そのぜんぶが「きりこ」なのです。「可愛く」ならなければいけない、「ぶす」だから可愛いお洋服は着てはいけない、正しい「基準」に従わなければならない、「ぶす」のままの自分に、満足してはいけない。そんなふうに、誰もが心の中に抱えてしまう呪縛から、きりこは自由であろうとします。彼女はとてつもない「ぶす」ですが、「ぶす」の自分を受け入れ、愛することができました。しかし、きりこが「ぶす」の自分を否定していたら、どうでしょう。自分自身を「ぶす」という「基準」で否定するということは、同様に「ぶす」である誰か、「基準」にそぐわない誰かを、そのまま否定することにも繋がってしまいます。

 ではそもそも「自分」ってなんなのだろう? 数え切れないほど多くの要素――生まれ持ったもの、自らの手で選び取ったもの、そして誰かから押し付けられたもの――が、これ以上ないほど複雑に組み合わさって作られるものではないでしょうか。しかもそれは、刻一刻と変化し続けている。容姿も立場も考え方も、そのときどきで驚くほど簡単に変わってしまいます。そう考えると、誰が作ったのかも分からない外側の「基準」に判断をまかせようとするのは、あまりにも窮屈で乱暴なことだというのが分かります。そしてその「基準」というのも、実際のところ、時代や環境などのさまざまな都合で形を変えていく、不確かなものに過ぎません。「自分」にも「他人」にも、そして「基準」にも、「正しい」姿というものはないのです。だからこそ、いまここにある「自分」というものが、自分とは違う要素の組み合わせである「他人」に、そして社会の「基準」に受け入れられるという保証など、どこにもありません。

 「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」きりこの言葉は、ある意味とても孤独です。自分のことを本当に知っていて、受け入れられるのは、ただひとり自分だけ、ということなのですから。しかし、ひとりひとりが孤独であるということは、ばらばらで不確かなひとりひとりの存在が、確かに認められているということです。

 「ぶす」のきりこは今日も、大好きな、ふりんふりんの可愛いお洋服に身を包みます。誰が何と言おうと、それはきりこの心と体が、何よりよろこぶことだから。そして、そのことを本当に知っているのは、ほかならぬ「きりこ」なのだから。

 きっとこの小説を読み終わるころには、読者は「ぶす」という言葉の意味を見失っていることでしょう。そこには、ふりふりの黄色いドレスを纏い、ラムセス二世を腕に抱いて、がちゃがちゃの歯をこぼして笑うきりこの姿が、燦然と輝いているのです。

(餅井アンナ)

「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」――西加奈子『きりこについて』

「きりこは、ぶすである。」西加奈子の小説『きりこについて』(角川文庫)は、このような衝撃的な一文から始まります。空気を抜く途中の浮き輪のようにぶわぶわと頼りない輪郭。がちゃがちゃと太い眉毛。点のような目に、アフリカ大陸をひっくり返したような鼻。アラビア文字のように難解な生え方の歯。首も胴体のくびれもなく、足は立派な芋虫のよう。百人が百人「ぶすである」というであろう奇跡の女の子、それが、この小説の主人公・きりこです。

 マァマのお腹から生まれ出たときから、その「ぶす」さ加減で周囲を圧倒してきたきりこ。しかし、きりこのことを心から愛してやまないマァマとパァパの「可愛いなぁ」をたっぷり浴びせられて育った彼女は、自分が世間一般で言う「ぶす」であることに、つゆほども気づかないまま、すくすくと成長していきます。それどころか、自分のことを、「世界一可愛い」女の子であると信じています。いかなるときもふりふりの可愛い洋服に身を包み、目立ちたがりで、自分が大好きで、きまぐれでわがままで、でも心のやさしいきりこ。まだ幼く、一般的な「美醜」の判断基準をインストールされておらず、きりこの「ぶす」を「衝撃」としてしか捉えることのできない周囲の子どもたちは、彼女からあふれ出す自信(あまりにも自信たっぷりの「うちって、かわええやろ?」に、子どもたちはみな暗示をかけられてしまいます)や溌剌として大人ぶった態度に惹かれ、きりこをリーダーとして慕うようになります。そんなきりこと運命の出会いを果たすのが、この小説の語り部でもある、世にも聡明な黒猫・ラムセス二世なのです。

 ラムセス二世とともに日々を過ごし、小学五年生となったきりこにはある変化が訪れます。それは、初潮と、胸をえぐるような失恋、そして、周囲がきりこのことを「ぶす」と認識するようになってしまったことでした。初潮を迎えたきりこは、かねてから思いを寄せていた初恋の人・こうた君に愛を告白します。しかし、彼から返ってきたのは、「やめてくれや、あんなぶす。」という残酷な一言。同時に、これまできりこのことを慕ってきたクラスメイトたちも、「きりこちゃんって、ぶす、やわ!」と態度を一変させてしまうのです。しかし、生まれてからずっと、パァパとマァマの心からの「可愛い」を浴びせられて育ってきた彼女には、どうしても理解ができなかったのです。いったい、うちの、どこが「ぶす」?

 きりこは毎日毎日鏡に向かい、自分の顔のどこが「ぶす」なのかを、検証するようになります。しかし、そこに映るのは「ぶす」ではなく、「きりこそのもの」。ありのままの「自分」でしかないのです。「ぶす」の定義に悩み続けるきりこが決定的に自分を「ぶす」であると認識するのは、「ぶす」の正反対に位置する「可愛い」女の子像を発見したときでした。大きな二重の目、すうと通った鼻筋、口角の上がった桃色の唇……自分と同じように「ぶす」であるクラスメイトのみさちゃんが理想とするヒロインの姿であり、思春期を迎えた男の子たちにモテモテの「可愛い」すずこちゃん。彼女たちの顔が「可愛い」とされるならば、その対極にいる者は、「ぶす」だ! 自分が「ぶす」であることをはっきりと自覚したきりこは、その日から鏡を見ることをやめ、人の目を避け自室に篭もり、つらい現実から逃れるために眠り続けるようになります。ラムセス二世をはじめとする猫たちだけが、きりこが笑顔を向けられる相手でした。彼らにとっては、きりこが人間界で「ぶす」だと言われていることなど、まったくどうでも良かったのです。

 きりこは、自分が「可愛い」女の子になれないことに苦しんでいるのではありません。「自分」はどこまでいっても「自分」であり、ほかの誰かになることは不可能なのだということを、きりこはよく分かっていましたし、何より彼女自身がそうして生きていくことを望んでいませんでした。「きりこの体はきりこのもの」。だから、大好きな、自分の体と心が一番よろこぶ、可愛いお洋服を着て外を歩きたい。しかし彼女にぶつけられるのは、「ぶすのくせに」という心ない言葉ばかりでした。きりこのそんな姿が、そんな思いが、周囲から受け入れられないということに、彼女は絶望していたのです。

 長い間、部屋に篭もっていたきりこ。しかし、十八歳になった彼女に、外の世界へ出て行くことを決意させる、ある出来事が起こります。それは、同じ団地に住む、ちせちゃんという女の子が、強姦の被害にあったことでした。きりこはそれを夢の中で知ります。脚の間から血を流して「私は望んでいない」と泣く彼女を、どうにかして助けたいと、きりこは四年ぶりに太陽の降り注ぐ外へと出て行きます。ラムセス二世と、たくさんの猫たちを引き連れて。

 セックスが大好きなちせちゃんは、自分の欲求を満足させるために、出会い系サイトを利用していましたが、相手はきちんと選び、「生理中はセックスをしない」「避妊具を必ずつける」といったルールを決めて、安全な性交を楽しんでいました。そんななかで、ある男が、「生理が始まったからしたくない」という彼女の言葉を聞かず、無理やりに挿入をしてくるという事件が起こります。ちせちゃんはそれを「レイプである」と警察や周囲の人々に訴えますが、挑発的な服装の、「ヤリマン」と噂される彼女の言うことを、誰も聞いてはくれません。出会い系サイトを利用して、不特定多数の異性との性交に励んできた、自分の体を大切にしてこなかったちせちゃんが強姦されるのは、「自業自得」だというのです。

 きりこは、必死に周囲と闘うちせちゃんについて、このように話します。「セックスをたくさんしてるから、体を大切にしてへん、のやなくて、ちせちゃんは、自分の体が何をしたいのかをよく分かってて、その望む通りにしてるんやから、それは、大切にしてる、ていうことやと思う。自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらんと思うから。」それはきりこ自身が、自分に対して言い聞かせた言葉でもありました。

ぶすって、何だ。

誰が決めたのだ。目が大きいのがいいって誰が? 顎の下がなだらかなのは、美しくない? では、美しさとは? 誰が決定する? 誰が?

 露出の多い服を着ていれば、ただちにレイプされるのか? レイプをされれば、心を奪われたことになるのか? セックスが好きなのは、自分の体を大切にしていないこと? 体の欲求に素直なことは、「自分を大切に」していると、言えないのだろうか?

 ふたりは約束をします。「自分」の欲求に、従うこと。思うように生きること。誰かに「おかしい」といわれても、「誰か」は「自分」ではないのだから、気にしないこと。

 きりこは、決して「きりこ」のことを否定しません。「ぶす」なきりこも、可愛いお洋服を着たいと思うきりこも、誰が作ったのかも分からない「基準」に傷つけられたきりこも、そして、「ぶす」な自分のことが大好きなきりこも、そのぜんぶが「きりこ」なのです。「可愛く」ならなければいけない、「ぶす」だから可愛いお洋服は着てはいけない、正しい「基準」に従わなければならない、「ぶす」のままの自分に、満足してはいけない。そんなふうに、誰もが心の中に抱えてしまう呪縛から、きりこは自由であろうとします。彼女はとてつもない「ぶす」ですが、「ぶす」の自分を受け入れ、愛することができました。しかし、きりこが「ぶす」の自分を否定していたら、どうでしょう。自分自身を「ぶす」という「基準」で否定するということは、同様に「ぶす」である誰か、「基準」にそぐわない誰かを、そのまま否定することにも繋がってしまいます。

 ではそもそも「自分」ってなんなのだろう? 数え切れないほど多くの要素――生まれ持ったもの、自らの手で選び取ったもの、そして誰かから押し付けられたもの――が、これ以上ないほど複雑に組み合わさって作られるものではないでしょうか。しかもそれは、刻一刻と変化し続けている。容姿も立場も考え方も、そのときどきで驚くほど簡単に変わってしまいます。そう考えると、誰が作ったのかも分からない外側の「基準」に判断をまかせようとするのは、あまりにも窮屈で乱暴なことだというのが分かります。そしてその「基準」というのも、実際のところ、時代や環境などのさまざまな都合で形を変えていく、不確かなものに過ぎません。「自分」にも「他人」にも、そして「基準」にも、「正しい」姿というものはないのです。だからこそ、いまここにある「自分」というものが、自分とは違う要素の組み合わせである「他人」に、そして社会の「基準」に受け入れられるという保証など、どこにもありません。

 「自分のしたいことを、叶えてあげるんは、自分しかおらん。」きりこの言葉は、ある意味とても孤独です。自分のことを本当に知っていて、受け入れられるのは、ただひとり自分だけ、ということなのですから。しかし、ひとりひとりが孤独であるということは、ばらばらで不確かなひとりひとりの存在が、確かに認められているということです。

 「ぶす」のきりこは今日も、大好きな、ふりんふりんの可愛いお洋服に身を包みます。誰が何と言おうと、それはきりこの心と体が、何よりよろこぶことだから。そして、そのことを本当に知っているのは、ほかならぬ「きりこ」なのだから。

 きっとこの小説を読み終わるころには、読者は「ぶす」という言葉の意味を見失っていることでしょう。そこには、ふりふりの黄色いドレスを纏い、ラムセス二世を腕に抱いて、がちゃがちゃの歯をこぼして笑うきりこの姿が、燦然と輝いているのです。

(餅井アンナ)

錯綜する「有吉・夏目 熱愛報道」の舞台裏――交際の事実はあるが…事務所からの圧力でマスコミ沈黙か?

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テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』HPより
 24日に日刊スポーツがスクープした有吉、夏目の交際報道だが、ビッグカップル誕生にもかかわらず、当日のワイドショーは完全無視を決め込むなど異様な展開を見せている。2人の交際、妊娠の有無は果たして事実なのか。 「昨年から交際の噂があり、写真週刊誌をはじめ、各誌が2人の自宅を張り込みましたが、ツーショットどころか、互いに異性の気配すらありませんでした。しかし急に週末にかけて夏目が妊娠しているという怪情報が流れ、各誌裏取りに動きましたが、確証が掴めず見送りに。そんな中で日刊スポーツがスッパ抜いたので、皆驚き、『やられた!』と悔しがっています。もっとも日刊の記事では双方の事務所からのコメントはなく、不可解な点も多い。現在も各誌が取材に動いています」(週刊誌記者)  ビッグニュースでありながら、テレビは腫れ物に触るかのように熱愛騒動をスルーしている。 「夏目が所属している田辺エージェンシーの上層部から各局の編成に『一切報じるな』と当日の早朝に連絡があったようです。田邊社長のマスコミに対する影響力は絶大で、テレビ局にも睨みを利かせています。現場レベルではどうしようもなく、各局のワイドショーはだんまりを決め込むことになりました。田辺サイドがマスコミ報道を仕切っているため、有吉の所属する太田プロもコメントすら出せない、というのが実情です」(ワイドショー関係者)  田辺サイドからの動きがあるまで、テレビは静観することになるのだろうか。 「現在進行形か否かは不明ですが、2人が交際していたのは事実のようです。日刊スポーツの報道にあるように本当に妊娠ともなれば『あさチャン!』の司会をしている夏目への影響は大きく、スポンサーをはじめ関係各所との調整にも時間がかかります。また妊娠の事実がなければ、交際自体を揉み消す可能性もなくはない。それほど田辺サイドはナーバスになっており、今後の対応を含め、現在双方の事務所が話し合っています。事務所側は、今後子飼いのマスコミを使って情報戦を仕掛けてくる可能性もあります。ワイドショーは腰が引けているので期待できず、週刊誌がどう報じるか、腕の見せ所といったところでしょう。」(前出・週刊誌記者)  水面下での動きも活発化しているようだ。今後の動向に注目しよう。

ガングロギャル映画『黒い暴動♥』、アラサー女子こそ“ギャルマインド”に触れるべき理由

<p> ギャルは消えてもギャルマインドは永遠に不滅だ。90年代に一世を風靡したギャルは、当事者たちの姿こそ街中で見なくなったが、文化やコンテンツとしていまだに根強く人々に支持されている。</p>

国内約223万人! メディアが報じない外国人“奴隷労働”の実態『ルポ ニッポン絶望工場』

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『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社)
『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社)は、日本にやってきた外国人留学生たちが陥る“奴隷労働”の実態に迫ったルポだ。24時間営業のコンビニ、早朝の新聞配達、工場内での単純作業など、日本人が好んでやらなくなった仕事に従事する彼らは、日本に対して何を思うのだろうか?  著者の出井康博は、新潮社のウェブメディア「フォーサイト」での連載をきっかけに、外国人労働者への取材を始める。今現在、日本で一番多いのはベトナムからの留学生だという。  ベトナムでは、現在空前の日本ブームだ。さまざまな面で融通が利くので、多くが留学生として日本に入るが、文字通り勉強し大学に進学する者と、出稼ぎのために来日する2種類の留学生がいる。そんな彼らに現地で「カイシャ」と呼ばれるブローカーたちが留学を斡旋。ブローカーたちは紹介料として、ベトナムの一般的な家庭の7年分の収入に相当する150万円ほどを請求し、家族は泣く泣く先祖代々の農地を質に入れるなどして、費用を工面する。“留学の斡旋”とは形だけで、実際は日本語学校と現地のブローカーがグルになった悪徳ビジネスと化している。  晴れて日本にやってきた留学生たち。日本語の習得に勤しみながら卒業後は大手企業の戦力として活躍する……そんな夢を閉ざす現実が待っている。留学生の多くは日本にやってきた時点で、負債を抱えているからだ。さらに、母国からの仕送りもなく、借金の返済や月々の家賃、食費に学費など生活に関わる一切を稼がなくてはならない。  しかし、政府は留学生に対して“週28時間以内”の労働しか許可しておらず、日に働ける時間は約4時間。ブローカーから「日本に行けば月20~30万円稼げる」と騙された留学生の中には、違法就労をする者も多い。  違法就労を行う彼らの労働環境は、最悪だ。働き口を2カ所掛け持ちし、“週28時間”を超える“週50時間”働く者も。職場も人手が足りないこともあり、違法就労に目をつぶる。留学生の間で情報が共有され、同じ境遇の者が集まり、日本語の能力が全く伸びないという悪循環が出来上がってしまう。  ほかにも、給料のピンハネはもちろんだが、精神的に追い込まれることが多いという。現地では、優秀な人材として海外へ留学した彼らが、自分より能力の劣る日本人に“外国人だから”という短絡的な理由で侮蔑を受けるのが日常的だそうだ。憧れを持ってやってきた外国の若者は、“奴隷労働”の中で反日感情を募らせていく。  15年9月、埼玉県・熊谷市で日系ペルー人による、小学生を含む6人が殺害される事件が起きた。出井は、またこのような凄惨な事件が必ず起こると断言する。なぜなら、この犯人もまた“奴隷労働”の犠牲者だったのだから。

平山あやを「お母さん」と呼んだ“ダメ男”すぎる元カレは、あのジャニーズ!?

 芸能人の悩みを振り返り、人生の“アンサー”を追求する番組『解決! ナイナイアンサー』(8月23日放送、日本テレビ系)に、NEWS増田貴久が出演した。この番組は、VTRで芸能人の体験談を再現するのだが、先入観を持たないよう、役者はゲストには似せていない。しかし、セリフやシチュエーションは忠実に再現しているのがこの番組の注目ポイントだ。

 今回の放送では、結婚・再婚についてどんな選択をしたのかをテーマに、3人のゲストがエピソードを披露した。ここでジャニーズファンから注目されたのは、出演していた増田ではなく、証言者として登場した女優の平山あや。

 平山は、「完璧すぎる青年実業家」との結婚を考えたことがあったそうなのだが、なかなか踏み切れない原因があったという。それは、以前付き合っていた彼氏のことが引っかかっていたからなのだとか。「学生時代からの友人」「もともと近くに住んでいた」という元カレと平山は、なんでも話せる仲で、当時は半同棲状態。「なにもできないタイプだった」という元カレは、食事から洗濯、掃除まで平山に頼りきりだったそう。

平山あやを「お母さん」と呼んだ“ダメ男”すぎる元カレは、あのジャニーズ!?

 芸能人の悩みを振り返り、人生の“アンサー”を追求する番組『解決! ナイナイアンサー』(8月23日放送、日本テレビ系)に、NEWS増田貴久が出演した。この番組は、VTRで芸能人の体験談を再現するのだが、先入観を持たないよう、役者はゲストには似せていない。しかし、セリフやシチュエーションは忠実に再現しているのがこの番組の注目ポイントだ。

 今回の放送では、結婚・再婚についてどんな選択をしたのかをテーマに、3人のゲストがエピソードを披露した。ここでジャニーズファンから注目されたのは、出演していた増田ではなく、証言者として登場した女優の平山あや。

 平山は、「完璧すぎる青年実業家」との結婚を考えたことがあったそうなのだが、なかなか踏み切れない原因があったという。それは、以前付き合っていた彼氏のことが引っかかっていたからなのだとか。「学生時代からの友人」「もともと近くに住んでいた」という元カレと平山は、なんでも話せる仲で、当時は半同棲状態。「なにもできないタイプだった」という元カレは、食事から洗濯、掃除まで平山に頼りきりだったそう。