<p> 数年前から「そろそろ終わる」と言われ続けるも、毎日のように新しいアイドルグループが誕生し、アイドルを目指す女の子も減ることがない、現在の女性アイドルブーム。最近ではオタク系やヘビーメタル系、ぽっちゃり系など、他グループとの差別化を図るために、キャラ設定やテーマなどさまざまな趣向を凝らしたグループも珍しくなくなってきた。</p>
日別アーカイブ: 2016年8月14日
応募条件“我こそはと思うブス”――炎上した「ブスiD」オーディションの波紋と背景
<p> 数年前から「そろそろ終わる」と言われ続けるも、毎日のように新しいアイドルグループが誕生し、アイドルを目指す女の子も減ることがない、現在の女性アイドルブーム。最近ではオタク系やヘビーメタル系、ぽっちゃり系など、他グループとの差別化を図るために、キャラ設定やテーマなどさまざまな趣向を凝らしたグループも珍しくなくなってきた。</p>
Hカップグラドル鈴木ふみ奈、胸も尻もポロリか!?「サイズが全然合っていなくて……」
Hカップグラドルの鈴木ふみ奈が、21作目のDVD & BD『ふみももリターンズ』(ラインコミュニケーションズ)を発売し、東京・秋葉原で記念のイベントを行った。 4月に沖縄で撮影したという本作。過去に発売した『ふみもも』の続編で、これを持っている人なら2倍楽しめるという。詳しい内容についても聞いてみた。 ――内容を教えてください。 「『ふみもも』は、親が再婚同士で義理のお姉ちゃんができちゃった……という内容なんですが、今回はそのお姉ちゃんが久しぶりに帰ってきて……という内容です。前作を踏まえたシーンも多く、大きくなったね、懐かしいねと言いながら、一緒にお風呂に入るシーンもあります(笑)」
――お気に入りのシーンは? 「前回に引き続き、半裸エプロンというか(笑)、水着は下だけでエプロンを着け、家事をするというシーンです。掃除の途中で制服を見つけて、なぜか着てしまうシーンもあります(笑)。この歳で制服を着せてもらえるとは思いませんでした!」 ――恥ずかしかったシーンは? 「パッケージにも使われているシーンの水着は、実はサイズが全然合っていなくて。胸を隠すとお尻が出て、お尻を隠すと胸が出てしまう(笑)、究極の選択水着でした(笑)。カットごとに前をひっぱったり、後ろをひっぱったりして撮影しました!」 作中では年下の義弟を積極的にリードしたり誘惑しているが、実生活では「自分からはいけないです。ホントに好きな人には、話しかけるのも難しくて、お友達で終わっちゃうことが多いです」と、複雑な乙女心をにおわせていた。次回の写真集やカレンダーの発売も決まっており、こちらは順調のようだ。 鈴木ふみ奈 オフィシャルブログ「ふみにゃんのお部屋」 <http://ameblo.jp/fuminyan-blog/>
【宗教学者・島薗進×社会学者・橋爪大三郎 対談本出版記念!】宗教的、社会学的『人類の衝突』連載特別再録
なぜ、宗教と文明は対立するのだろうか? そして、日本は何を考え、どう立ち振る舞うべきなのか――。 日本を代表する宗教学者と社会学者の泰斗による対談『人類の衝突』が「月刊サイゾー」に掲載されたのは2015年3月号。当時、イスラム国による日本人拘束事件は、最悪の結末を迎えた。あれから1年半以上経った現在、宗教の対立に、解決の道筋は見えていない――。 ここでは、「月刊サイゾー」に掲載された連載を大幅に加筆し、注釈を加えた書籍化を記念し、第一回を特別に無料公開としてお届けしたい。『人類の衝突』8月17日発売。予約受け付け中。
人間の文明は、なぜ互いに衝突し合うのか――。社会学、そして宗教学の重鎮2人による「現代日本と宗教」というテーマを予定して始まったこの対談、"宗教"という概念の性質上、話題は"人間と文明""国家とイデオロギー""文化と民族"といった幅広い範囲に及んだ。 日本における宗教学の第一人者・島薗進と、社会学の第一人者・橋爪大三郎。この日が事実上の初顔合わせだったが、同じ1948年生まれの2人は、宗教学と社会学という別の学問領域から、実は同じところを見ていたようだ。「日本と世界の文明はどのように構成され、21世紀の今、どこに向かおうとしているか」というテーマを、縦横無尽に語り合う。文明の構造を知らなければ、なぜ文明が相争うのかも説明できない。イスラム国によるテロや、日中韓の関係悪化を考えるためにも、その考察は欠かせないだろう。数回に分けてお送りするこの対談は、両氏が共同で作り上げた、21世紀を生き延びるための「文明論の概略」である。 島薗 橋爪さんは非常に大きい世界史的規模で宗教について考えていらっしゃるので、今日はそういったまなざしで日本の世相を見るとどう見えるのかな、ということを伺いたいと思っています。 社会学が全体的にデータの取れる領域をこぢんまりと実証する方向に向かいがちな中で、橋爪さんのなさっている仕事は、社会学が本来持っているべき視野を回復するという意味で、私はとても共鳴しているんです。 橋爪 それは恐れ入ります。 例えば、社会学者のマックス・ウェーバーはひと昔前、日本で評価が高く、ウェーバリアンといわれる研究者が大勢いましたが、今では時代遅れということになっています。 当時、ウェーバリアンたちがなんと言っていたかというと、「日本は、ウェーバーの掲げる近代化のものさしに従って、しっかり近代化しなければいけない」といった主張だった。そうこうするうち「日本は先進国に成り上がって、高度資本主義やポストモダンの段階になったのだから、日本は実ははるかに進んでいるのだ」と、80年代から言われだした。 ただ、ウェーバーは別に近代化論をやろうとしたのではない。ウェーバーが優れていたのは、「世界はまだらだ」と言ったことだと私は思います。キリスト教文明は絶対でも普遍でもなく、単なる「ワンオブゼム」にすぎない。世界にはユダヤ教も、イスラムもヒンドゥーも、儒教文明もある。そういう人類社会の多様性を、ウェーバーは一番描いてみたかったんだと思います。 島薗 確かに日本の社会学ではウェーバーの近代化論の影響はとても大きかったと思いますが、宗教倫理の図式を整理し直すという話はウェーバー専門家の中で終わってしまって、世界の文化の違いが深刻な問題として残り続けるという現在の問題意識については、学問研究が十分に進んだとは言い難いような気がします。 それは世界においてもそうで、やはり異文明の研究というのは文献学的な土台が必要になることから、なかなか取り組めない。西洋の学者は、インドや中国・東アジアの文明については、少なくとも古典文献から読むという姿勢はなかなか身に付いていないようです。 そういった中で、日本人は西洋人とは違うという自意識を持ってきていますから、それを踏まえれば、日本的な観点から世界文明を比較し、それが私たちの生活にどう影響しているかを考察するという視座が出てきてしかるべきだと思います。そのあたりを今日はじっくりお話ししたいですね。 橋爪 そうですね。 島薗 そう考えたときに、ひとつの大きな基盤となる考え方は、冷戦後の社会は世界がいくつかにブロック化するということです。 これは、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(邦訳98年/集英社)などでも似たような議論がなされましたが、かつて冷戦時代は東対西という分裂があった。つまり「西=自由主義陣営で個人の自由を重んじる世界」と「東=共産主義陣営で集団的な秩序を重んじる世界」という枠組みがあったわけですが、冷戦終結後はそれに代わって、各文明圏が各々の宗教的伝統にのっとって社会を構成するようになっていった。 一般的にはそのように理解されているし、私自身もそれに近い考えを持っていますが、それでは、日本は儒教と大乗仏教の組み合わせにより構成される東アジア文明圏に属するのかというと、ハンチントンは中国と韓国は儒教文明だが、日本は独立した別の文明であると提唱していた。あの議論には政治主義的な要素もうかがえるので怪しい箇所もありますが、確かにうなずける部分はあると私も見ているのですが、いかがでしょうか。 続きを読む(写真/江森康之)
模索される「新しい男らしさ」は、マッチョに回帰するのか。いま必要とされている長渕剛成分。/杉田俊介×西森路代【2】
4月に『長渕剛論』(毎日新聞出版)を出した批評家・杉田俊介さんと、女性性・男性性に関する映画批評をmessyで連載しているライター・西森路代さんの「男らしさ」対談。「マッチョな男らしさ」を否定する先に「新しい男らしさ」は見つかるのか。全3回。
・否定形で語られる「男らしさ」から、「男らしくない男らしさ」の探求へ
西森 暴力的な作品を見て「なんかわかんないけどすごい」といった感想を持つ風潮がありますよね。私はその風潮に乗れないけれど、そういう気分が存在する理由みたいなものはなんとなくわかるんですよね。だからこそ、「その気分はなんだろう」と思って暴力が描かれた作品は全部見に行くようにしてるんです。そのことは日々起こる事件とまったく無関係にも思えなくて。
杉田 社会正義的な、PC(ポリティカルコレクトネス)としての正しさに対する息苦しさを感じている人は多いと思うんですね。『ズートピア』にはその辺りの両義性があると思います。あれは一つのリベラルユートピアの夢だと思うけど、ラディカルなものを根こそぎにしたディストピアでもある。ラストにみんなでダンスするシーンは、結構不気味でした。現実はもっと酷いんだ、とアメリカ社会は多分よく分かっていて、だからこそ、これまでの歴史が積み上げてきた人類の英知を大事にして、未来に向けてさらにリベラルな夢を育てていこうよ、という方法的な感じだと思うんです。完全なユートピアは実現不可能かもしれないけど、少しずつリベラルな世界を目指そうよ、と。PC的な政治性と大衆的な娯楽性を融合させることに、見事に成功している。
でも、日本の場合、アメリカに比べてはるかにPC的な意識が根付いていないから、『ズートピア』の世界はまさに空想にしか思えない。日本では、近代化すら十分に根付いてないのに近代批判(ポストモダン化)の意識が強い、としばしば言われますけど、PCが十分に根付いてないのにPC批判が先行しているから、『ズートピア』に対しても、もう一段階、ねじれた感情を持たざるを得ないのかなと。「SNSなんかで微妙な発言を少しでもすると、すぐにリベラルな人々が集まってきて、火だるまにされる」という被害者意識を抱えていて、そういう社会をどこか息苦しく思っているがゆえに、ある種の保守的な発言や愚直な暴力へ魅かれていく、ということもあるのでしょうか。そういう人々にとっては、『ズートピア』はきっとディストピアですよね。
西森 ある時、私にはちゃんと線引きができない発言に対して、「それはいけないことである」と断言している人がいたんですね。それを見たときに、良い/悪いの線引きを自分よりも知ってる人が、すごく権力を持っているように思えて。PCについて語られるようになって、「これは良い、これは悪い」っていう尺度が急にたくさん必要になったし、その尺度をちゃんと理解していかないと、置いていかれたような気分になるのではないかなと思ったんです。まあ、だからと言って、PCを無視しようって言ってるわけじゃないんです。私も人を傷つけるような発言はしないように、と思っています。ただ、どういう気持ちでPCが忌み嫌われるか、息苦しく感じるのかを、想像してみようと思って。だってもう、そこ考えないと身の危険すら感じるわけじゃないですか。
杉田 不思議なんだけど、マジョリティの人間は、社会構造的にはぜんぜん被害者じゃないのに、逆に被害者意識に染まりやすい。社会的弱者やマイノリティのせいで俺たちは不当に制限され、損していると。昨今の暴力映画がそうした「マジョリティの被害者意識」に変にシンクロしてしまうと、危うい面もあるのかもしれません。僕は障害者介助の仕事をしてきたから、「PC疲れ」「リベラル疲れ」は確かにある、というかリベラルってそもそも疲れるものなんだよ、と認めた上で、それでもユーモアや笑いを見失わないでいたいですね。そういう意味では、『アイアムアヒーロー』は、暴力と男性性の問題、PCと娯楽の問題などに、結構しっかりと向き合っている感じはしました。
たとえば『キャプテン・アメリカ』の場合も、ヒーローの正義が自明ではなくなったポストヒーロー的な時代に、どうやって新しい正義や秩序を見出すのか、という物語でした。キャプテン・アメリカって、じつは長渕にそっくりです。もともと体が貧弱で、女性にもてず、でも祖国の役に立ちたくて、肉体改造して、マッチョになり、でもどこか滑稽で……冗談と本気の区別がつかなくなるその時にこそ、真のキャプテン=ヒーローが誕生する、という感じ。そのねじれ方が面白い。長渕にも『Captain of the Ship』という曲がありました。彼はキャプテン・ジャパンなんです。
西森 私は『キャプテン・アメリカ』の中に出てくる「強者は生まれつき力が強く力に敬意を払わない、だが弱者は力の価値を知っている。そして哀れみも」ってセリフを聞いて、長渕と同時に清原のことを考えました。子供の頃から常に周囲の人より体が大きかった清原はキャプテン・アメリカと違って体格にコンプレックスはなかった。でも成績不振になって、2000年頃に初めて肉体改造をする。ただ、急激に鍛えたためにヒザを悪くしてしまった。もともと体格的に恵まれている、つまり力を持っている人は、その価値を意識するときが、なかなかないものなのかもしれないなと気づきました。これって、体格の面だけじゃなくて、力のある立場の人は、他人の置かれた立場を想像することも難しいのかもしれないし。
杉田 清原と長渕はかつて友人だったけど、決別したと言われています。長渕と清原、どちらの人生がどうこうという話は僕にはわかりませんが、今の状況を見ると、清原は苦しいですよね。ほんの少しのたまたまの違いで、行きつく場所が変わってしまうのかなあ、と。逆に言うと、清原氏だってこれから変わり得るのかもしれない。
漫画の『ヒメアノ~ル』(講談社)も似たようなことを感じました。森田と岡田も学生時代はそんなに変わらない境遇にいたのに、大きく異なった人生になってしまう。岡田は平凡な幸せを手に入れ、森田は殺人を重ねて破滅していく。
原作を読んでいくと、作者の古谷実さんは、森田の非人間性に最後まで寄り添っていて、ぎりぎりまで粘ったけど、でも最後まで救いは見出せなかった……という感じです。ドストエフスキーの『罪と罰』みたいなことを試みていた。経済的な貧困とか社会問題にすら回収できないような、脳の機能の損壊すれすれの、現実に対する宿命的な齟齬が、言葉にならない森田の悲しみであり、「どうしようもなさ」なんですね。そういう意味での「階級」の話だと思う。映画版ではそれを90年代的な「いじめのトラウマゆえの殺人」というメロドラマに回収してしまった。思想としての暴力の問題を考え続けてほしかったですね。
本音をいえば、『アイアムアヒーロー』の場合も、花沢さんの原作にあるような、どろどろのルサンチマンやミソジニーや非モテ意識を抱えたもっと嫌な人間が、いろいろな状況に巻き込まれて、試行錯誤を続けながら、現代日本にふさわしい別の男性像やヒーロー像をふと実現してしまう、というような物語を見てみたかった。
西森 映画の中の英雄だと、最初からルサンチマンとミソジニーを持っていない人として出てくるから、物語が進むにつれて価値観を変化させたというわけではない、と解釈できちゃいますもんね。それは、大泉さんの持つ資質と映画の中の英雄があわさったからこそできあがったキャラクターなのかもしれませんけど。
『青天の霹靂』という映画で大泉さんが演じた役って、まさに最初はルサンチマンの塊で、後にいろいろな出来事があって新しい価値観を獲得する物語だったんですよ。そのルサンチマンの塊のときの大泉さんの、卑屈で憂鬱そうな表情にやたらとリアリティがあって。ルサンチマンの塊だったら、今みたいな人気者になってないかもと思うと、人はどっちにも行く可能性があるのかなって思っちゃいますね。
杉田 映画版の英雄はかなり「いい人」になってるので、原作ファンの中には物足りなく感じる人もいたでしょうね。古谷さんも花沢さんもルサンチマン系で、男性のダメなところ、嫌なところを執拗にえぐっていく作家ですよね。そういう人たちだけが描くことができる、新しい現代日本のマスキュリニティ(男らしさ)って何だろう、と。
西森 さっきから、「考え続ける」って話が出ていますが、杉田さんの本に出てくる「憑依」も大切だなと思うんですよ。憑依って特殊なことに見えるけれど、「人のことを他人事だと思わない」ってことではないかと。私は、自分以外の人のことを考えられるだけでいいのではないか、と思ってるんです。それこそ、力のある人が力を持ってない人のことを想像できないことって一番危険じゃないですか。
杉田 長渕剛ってインドの最貧困の子供とか、アフガンの女の子とか、沖縄の人にあっさり憑依してしまうんですね。政治的な文脈や歴史をすっとばして。それはマジョリティ男性による危ういマイノリティ憑依なのかもしれない。ただ、長渕さんの場合、変な上下関係とか権力意識が限りなく希薄な気がするんですね。目の前の存在をつねに対等に見るというか。逆にいえば、他人に対しても自分と同等の熱量を求めてくるので、暑苦しさを感じる人もいるでしょうけれど。
僕の長渕論は、男性の内側から男性性を食い破ろうとして、マッチョではない非暴力的な男らしさを求めて試行錯誤し、ひたすら考え続ける、というものです。そうした方法自体が男性的な独りよがりという気もしますが、率直なところ、これは女性から見てどうなのでしょうか?
西森 私は、そんな風にはあまり思いませんでした。杉田さんは、森岡正博さんの『感じない男』(筑摩書房)を意識してると言われてましたよね。『感じない男』を初めて読んだときに、男性が自分の中に目を向けようとしていることを珍しく感じたんです。なかなか男性ってそういうことが難しいのかなと思うと、それをしようとしていることに興味を持ちました。ただ、ちょっと思うのは、考える行為ってけっこうマチズモとつながっていくこともあるのかもしれないという危惧もあります。人より考えたからこそ、考え方が強固になりすぎるのはちょっとなと。
杉田 最近、男性学の本がたくさん出てきたのは、戦後的な家父長制的なシステムが崩れたことで、男性が今まで通りの社会的な承認が受けにくくなったために、内省モードを強いられてるからだって思うんですね。戦後的な男性像や父親像に変わる、男性たちの代替的なライフスタイルのモデルが手元にない。最近のカルチャーもその辺りの感じを共有しているのかな。ただ、足元に基盤のない中で男らしさを求めていくと、過剰な男らしさとか、国家の暴力性みたいなものに、割とあっさり取り込まれてしまうかもしれないですね。
西森 それはどういうところに出ていると……。
杉田 保守的な強い男性観に急激に自分をフィットさせようとしたり、あるいはその裏返しとして、自分より立場が弱い人間を叩いてコンプレックスを解消するとか……。よく言われますけど、フリーターとかニートというよりも、中高年の中流層の男性がネトウヨ的な行動にコミットしやすい、という話もありますよね。自分に自信がなかったりするんでしょうね。
西森 そういう中で、長渕は新たなモデルとして存在している部分はあるんですか。
杉田 『長渕剛論』の元となるエッセイを「すばる」(集英社)に書いたとき、結構びびっていました。僕の長渕論は、強さも弱さも男らしさも女々しさも、色んな矛盾を抱えたところが面白いんだよ、というスタンスでした。だから、熱狂的な長渕ファンから苦情や批判が来るのではないか、とちょっと心配していた。でも、「自分も長渕のそういうところが好きだった」とメールやメッセージをくれる人が結構いたんですね。男らしくはなれないけど、男であることを捨てられない、という葛藤の中で、長渕の存在に魅力を感じているファンの人たちも結構いるのかもしれない、と思いました。
――杉田さんは、書く前から感覚としてそれを感じていたんですか? 書きながら長渕剛の矛盾などを感じ始めるようになった?
杉田 僕は中学の頃にいちばん長渕の音楽を聴いていたのですが、彼が急速に愛国化して、日の丸のイメージをまとっていった時には、やっぱり一度、ついていけなくなったんですね。でも、ずっと経ってから、東日本大震災の後に彼が自衛隊の人々を励ますために行ったライブの映像を見て、印象がまた変わった。この人は一貫して優しかったし、自分を変え続けようとしてきたんだ、って。書きながら、その辺の感覚を言葉にしようと思いました。
西森 それは、杉田さんの見方が変わっただけではなく、長渕自身も変わったからついていけると思ったんですか?
杉田 そうですね。確かに、彼が長い時間をかけて、少しずつ自分を変えて、円熟し続けてきたから、僕は長渕さんに出会い直せたのかもしれないです。たとえばやはり愛国的な論客としての小林よしのりという人は、若者に対して最終的に「父親」になろうとするんですね。価値観を上から教え込む、厳しい父親。それに対し、長渕剛の場合、一貫して「兄貴」なんですよね。父親じゃなくて兄貴。対等だけど、ちょっと年上。そういう感じかな。ぎりぎりのところで父権的にはならない。彼がファンからアニキと呼ばれ続けてきたのは、理由があると思います。
西森 さっき杉田さんが、英雄がどろどろのルサンチマンやミソジニーを持っているところからスタートして新しい男らしさに到達できたらいいのにって言われいてましたけど、長渕って、英雄のようになると思えないスタート地点から始まっても、ここまで到達できるんだよ、というモデルになりそうですよね。
杉田 長渕さんは個性の強い人だから、人によって好みは分かれると思うけど、少なくとも、僕にとってはそうでしたね。そういう具体的なモデルになる人間や作品が、たくさん増えればいいですね。選択肢が増えますしね。たとえば、僕自身がものすごい非モテ意識やルサンチマンの塊りなので、花沢さんの原作の『アイアムアヒーロー』にも、この先に、さらに何か新しい突き抜けたマスキュリニティのあり方を見せてほしい、とどうしても期待してしまいます。
※第三回に続く
『SMAP×SMAP』で中居がゲストを質問攻め!? 8月15日(月)ジャニーズアイドル出演情報
――翌日にジャニーズアイドルが出演予定の番組情報をお届けします。見逃さないように、録画予約をお忘れなく!
※一部を除き、首都圏の放送情報を元に構成しています。
※番組編成、及び放送日時は変更になることがあります。最新情報は番組公式サイト等をご確認ください。
●SMAP
22:00~22:54 『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)
24:20~25:05 『Momm!!』(TBS系) 中居正広
●TOKIO
5:50~ 8:00 『ZIP!』(日本テレビ系) 山口達也
8:00~ 9:55 『白熱ライブビビット』(TBS系) 国分太一
11:25~11:30 『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系) 国分太一
18:55~19:25 『Rの法則』(NHK Eテレ) 山口達也
19:25~19:55 『テストの花道 ニューベンゼミ』(NHK Eテレ) 城島茂
中居正広、リオ五輪キャスター期間中……SMAP解散発表が「最悪のタイミング」になった裏事情
ファンにとっては、最高のタイミングもないけれど
ジャニーズ事務所がSMAPの解散を正式発表した。その衝撃的な内容もさることながら、ネット上ではファンを中心に「一体なぜ今?」といった疑問が飛び交っている。中居正広がTBSのリオ五輪メインキャスターを務めるている時期であることから、「こんな関係各所に迷惑がかかるタイミングで発表するなんて」といった声が多数出ているが、その事情を探ると――。
「ジャニーズは“なるべく解散が騒がれないタイミング”を狙ったのでしょう。まず、土曜日の深夜に発表したのは、翌日曜日に芸能ニュースを扱うテレビ番組が少ないから。また五輪開催中とあって、スポーツ紙もSMAP解散だけを集中して報じることはありません。さらに、週刊誌も世間もお盆休み中であるため、ジャニーズ的には14日がベストタイミングだったと考えられます」(芸能プロ関係者)
17歳年下恋人と交際の果て――46歳の旧華族令嬢が殺めた、「日商岩井社員射殺事件」
<p><strong>世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。</strong></p>
都心のオシャレなレストランに現れた三種のダム『六本木 夏限定カレー』
照りつける夏の猛烈な日差しの中、そよ風に揺らぐ庭の緑を眺めながらスパークリングワインを楽しむ。そんなオトナな日曜日のランチタイム。 場所はミッドタウン東京にあるフレンチ&ワインバーである。シックな中にも華やいだ雰囲気の店内には、前夜の余韻がいまだ醒めないのか、はしゃぎ声を上げる女子大生風グループや、ママ友同士とおぼしき着飾ったセレブな人妻たち、そしてもちろん仲よさそうなカップルが、それぞれに週末のランチを楽しんでいる。 冒頭の観葉植物は、店の外周をぐるりと囲ったガラスから見える庭の景色である。洗練された都心のフレンチレストランでいただくのは、店おすすめのランチメニュー“menu déjeuner”ではなく、なんと「ダムカレーライス」なのだ。 以前、ダムカレーラーメンを紹介した際、「ダムカレーは、ダムのある地域限定のグルメ」と紹介したはずだが、ダムもない東京のど真ん中・六本木でダムカレーが楽しめちゃうのだ。 ダムカレーのメニューは全部で3種類。すべてが模したダムのある地域の特産物を使用したメニューとなっている。 筆者がオーダーしたのはその中でも季節感を最も表現したと思われる『夏野菜ダムカレー』である。これは、北海道の豊平峡ダム(アーチ式コンクリートダム)を模したカレーで、ベビーコーンや芽キャベツ、たまねぎ、ジャガイモなど、北海道特産の野菜のローストが添えられている。
しかし、そのもっとも大きな特徴は、大きな器に美しいアーチを描いたライスダムと、その隣に満々とたゆたうカレーの湖である。 まずはローストされて引き出された夏野菜の風味と甘味を味わってから、おもむろにダムの真ん中にスプーンの発破を仕掛け、ダムを崩壊させた。 すると、そこからユルユルと流れ出して来るのは、クリーミーな中にもスパイスを感じるカレーである。しかもこのカレー、銀座の『マキシム・ド・パリ』で提供されていた『銀座プラチナカレー』を再現したもの。これぞ、オトナな休日のランチにピッタリの味である。夏野菜をカレーに浸けて食べても、もちろんおいしい。
3種のダムカレーは、9月25日までの期間限定メニュー。他の2つのメニューもそれぞれに目でも舌でも楽しめるに違いない。 真夏の東京都心のダムカレー、うもうございました。 六本木 ジーニーズトウキョウ『夏野菜ダムカレー』1300円(税込み) インパクト ☆☆☆ 味 ☆☆☆! 店、店員 ☆☆☆!
(写真・文=よしよし)
SMAP解散発表FAX、一部メンバーの“戦犯扱い”に猛ブーイング
ジャニーズは中居くんの誠実さを学んで……
14日の午前0時50分、ジャニーズ事務所はSMAPの解散を報告するFAXを、一部マスコミに送付した。これが“情報解禁”の合図となり、NHKをはじめ各メディアは一斉に解散を報道。そのFAX内容をめぐっては「芸能史上まれに見る、最低の内容」と業界内で大ブーイングが巻き起こっているという。
SMAP解散報道は、ジャニーズ事務所が懇意のスポーツ6紙に先行して情報を明かし、メンバーのコメントを仕込ませた。












