優香の結婚相手「青木崇高」は要注意人物!?  関係者ドン引きさせた“カンヌ映画祭の珍事件”

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優香オフィシャルブログより

 近頃は熱愛の話題もご無沙汰だった優香が、突如青木崇高との結婚を発表した。現在放送中の嵐・松本潤主演の『99.9―刑事専門弁護士―』(TBS系)を始め、話題作に立て続けに出演している青木だが、超有名タレントである優香との結婚で、今後さらに活躍の場を広げることとなりそうだ。そんな青木について、一部マスコミ関係者は、「周囲の迷惑をかえりみないほど上昇志向が強い」と評しているというが――。

 2人の出会いは今年1月に放送されたNHK木曜時代劇『ちかえもん』の撮影現場で、交際期間わずか半年で結婚を決意したという。

「あたしはもう尖ってない」マツコ・デラックスがテレビに染まって自分が変わってしまったと告白!

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号
 ガーリーフォトにミニシアター、クラブカルチャーなど、音楽、映画、写真、アートといったジャンルが融合的に花開いた90年代。その“おしゃれカルチャー”を牽引する役割を担ったのは、「CUT」(ロッキング・オン)「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ/休刊)「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)といったカルチャー誌だ。  が、ゼロ年代に入り、ネットやオタク文化が席巻しはじめると、おしゃれカルチャーはすっかり衰退。前述の雑誌も部数が激減し、アニメやアイドルを特集したり、芸能人などのマスカルチャーに擦り寄ったり、と方向転換を余儀なくされていった。  ところが、最近、その“おしゃれカルチャー”雑誌の代表的存在ともいえる「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号にマツコ・デラックスが登場。辛辣な毒をはいている。  まず、誌面冒頭、マツコはいきなりこう言い放つ。 「『SWITCH』に出ることはないでしょう」 「だって『SWITCH』はアバンギャルド雑誌だから。それも頭にエセがつく」  これから自分を特集しようとする雑誌に対しあんまりな発言だが、マツコの毒舌はこんなものでは終わらない。マツコの攻撃は「SWITCH」編集長で、その記事のインタビュアーでもある新井敏記氏に向かう。新井氏は茨城県下館市(現・筑西市)の出身なのだが、そのことを突いてこんな言葉まで浴びせかけるのだ。 「新井さんは田舎者で、オシャレな世界に憧れていたんでしょう」 「田舎者が作っているから誌面にコンプレックスが現れる。それが直に伝わってくるとダサいわよ」  編集長のコンプレックスまで持ち出しての口撃に、昨今のサブカル誌ではとんと読めなくなったヒリヒリしたものを感じ思わずニヤリとしてしまうが、マツコの「SWITCH」批判はまだつづく。最近の「SWITCH」は最先端の尖ったカルチャーを取り上げておらず、マスに媚びた雑誌に成り下がったとすらこきおろすのだ。 「マスを狙う雑誌はつまらない。「SWITCH」もそうなっているでしょう」 「だけど、「SWITCH」はそうなっちゃいけない雑誌だった気がするのよ。たとえばCoccoさんが「SWITCH」によく出ていたけど、この雑誌じゃないとCoccoさんはいろんなことを話さないんだろうなと思ったの。限られたところにしか心を開かなかったわけよね。でも今「SWITCH」がその受け皿になりうるかというと、そういう時期よりはもっとマスになっている。実際の部数は減ってるかもしれないけれど、イメージ的にも市場的にもマスに行っちゃったんだと思うのよ」  まさに、カルチャー誌がマスに媚を売り、ダメになっていっている状況を言い当てたマツコだが、実はこのインタビューで、マツコは自分に対しても、同様のダメ出しをしている。「SWITCH」同様、自分もまたマスのフィールドに行ってしまい、かつて持っていたはずの尖った部分を失ってしまったと語っているのだ。 「でも最先端で居続けることって恐怖だと思うのよ。それはあたし自身にとってもそう。ずっとバキバキに尖ってられているかと言われたら、やっぱりいろんな人と関わってきて、いろんな人に迷惑を掛けることも知り、丸くなってきちゃうわけじゃない、どうしても。それはやっぱりメディアも一緒でさ、絶対に関わる人が多ければ多くなるほど、どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ。だからそこを尖り続けられる人が、本当に最先端であり、ムーブメントを作る人になるんだと思うのよ。だからそういう意味では、あたし自身はもうそこから離脱したと思ってる。最初はメディアをぶっ壊してやると思って出てきたから。テレビなんてあたしがぶっ壊してやるって思ってね。そしたら、いつの間にかメディアやテレビと一緒になって走り出した。一緒にテレビ番組を作っている人のことはやっぱり愛しくなってきちゃうじゃない。そうなるとさ、ぶっ壊すんじゃなくて、育てたいなんておこがましいことは思ってないけど、この人たちが幸せになってほしいとか、ぬるい方になっちゃうわけじゃない、どうしても」  確かに、マツコが言う通り、かつてのマツコ・デラックスというコラムニスト、タレントは、もっと過激で尖った発言を繰り出す人であった。  その典型が、2008年に行われた「論座」(朝日新聞出版/休刊)でのインタビューだ。いまから8年前の取材でマツコはいきなりこう畳み掛ける。 「アンタ、テレビでものをしゃべってるなんて、人間として最下層よ」 「新聞社とか、出版社に勤めている人間だってそうよ。なくても誰も死なないものを作ってお金儲けにしているんだから。アタシらみたいな人間が一番、世の中に必要ないのよ」  自分も含め、マスメディアに携わる人間を全否定する言葉をいきなり浴びせかける。さらには、マスコミタブーである広告代理店についても単刀直入にぶった切った。 「お金を儲けようとする電通や博報堂が周りを固めて、そこに利権が発生したりするから、まあ、分かりやすい言い方しちゃうと根腐れするのよね」  そして、雑誌の出版元の親会社である朝日新聞に対し、産経新聞のコラムの名を出しながら、こうダメ出しするのだ。 「好きか嫌いかで言ったら微妙だけどさ、「産経抄」の方がよっぽどいいわよアンタ」 「(朝日は)あれ(産経)と闘わなきゃいけないのに、右だか左だか上だか下だか分からないようなぬるいことばっかり書いて。(中略)いつからか新聞って、公平中立でないといけないものだと見なされるようになって、朝日新聞がその代表になっているじゃない。誰もが不快な思いをすることなく読める新聞をつくろうなんて、初めから闘う意志がないわよ」  かつてはこんなに尖っていたマツコ。「SWITCH」でマツコが「どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ」と発言した裏には、世に出始めたときにもっていたエッジを自分が失いつつあることに対する忸怩たる思いがあったのだろう。  と、思ったのだが、ことはそう単純ではない。前述08年のインタビューでマツコは、数寄屋橋での辻説法が有名な右翼活動家・赤尾敏の生き方をあげながら、過激な活動や言動が出来なくなりつつある自分の置かれている現状に対し、こんなことも語っていたのだ。 「ああやって生きられたらうらやましいよね。残念だけどアタシは、社会順応性や理性が邪魔をして、あそこまで踏み外せないんだよね。女装なんて踏み外したうちに入らないわよ。赤尾敏みたいなことができない人間は、生意気なことを言う資格はないって気持ちが常にあるの。だからすごく嫌なのよ今、自分が。安全地帯から発言しているだけだから」 「魂を売るってこういうことなのねって、日々テレビに出ながら感じてるのよ」  つまり、マツコ・デラックスは8年前からずっと同じように「自分はテレビに染まってしまい、尖っていた部分を失った」ということを言い続けていたのである。8年前といったら、深夜1時45分から15分間だけ放送されていた初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ)すらまだ始まっていない段階である。そんなときからマツコはエッジを失いつつあると告白し続けていた。  こんなふうに自分から「魂を売った」と先回りして言われたら、「最近のマツコは刺が取れて面白くなくなった」とは言えなくなる。この頭の良さがあるから、マツコ・デラックスというタレントはマスでありながら、うるさがたのネットユーザーや辛口コラムニストたちからも一目置かれているのだろう。でも、ちょっとずるいような気もするのだが……。 (新田 樹)

「あたしはもう尖ってない」マツコ・デラックスがテレビに染まって自分が変わってしまったと告白!

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号
 ガーリーフォトにミニシアター、クラブカルチャーなど、音楽、映画、写真、アートといったジャンルが融合的に花開いた90年代。その“おしゃれカルチャー”を牽引する役割を担ったのは、「CUT」(ロッキング・オン)「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ/休刊)「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)といったカルチャー誌だ。  が、ゼロ年代に入り、ネットやオタク文化が席巻しはじめると、おしゃれカルチャーはすっかり衰退。前述の雑誌も部数が激減し、アニメやアイドルを特集したり、芸能人などのマスカルチャーに擦り寄ったり、と方向転換を余儀なくされていった。  ところが、最近、その“おしゃれカルチャー”雑誌の代表的存在ともいえる「SWITCH」(スイッチ・パブリケーションズ)Vol.34 No.5号にマツコ・デラックスが登場。辛辣な毒をはいている。  まず、誌面冒頭、マツコはいきなりこう言い放つ。 「『SWITCH』に出ることはないでしょう」 「だって『SWITCH』はアバンギャルド雑誌だから。それも頭にエセがつく」  これから自分を特集しようとする雑誌に対しあんまりな発言だが、マツコの毒舌はこんなものでは終わらない。マツコの攻撃は「SWITCH」編集長で、その記事のインタビュアーでもある新井敏記氏に向かう。新井氏は茨城県下館市(現・筑西市)の出身なのだが、そのことを突いてこんな言葉まで浴びせかけるのだ。 「新井さんは田舎者で、オシャレな世界に憧れていたんでしょう」 「田舎者が作っているから誌面にコンプレックスが現れる。それが直に伝わってくるとダサいわよ」  編集長のコンプレックスまで持ち出しての口撃に、昨今のサブカル誌ではとんと読めなくなったヒリヒリしたものを感じ思わずニヤリとしてしまうが、マツコの「SWITCH」批判はまだつづく。最近の「SWITCH」は最先端の尖ったカルチャーを取り上げておらず、マスに媚びた雑誌に成り下がったとすらこきおろすのだ。 「マスを狙う雑誌はつまらない。「SWITCH」もそうなっているでしょう」 「だけど、「SWITCH」はそうなっちゃいけない雑誌だった気がするのよ。たとえばCoccoさんが「SWITCH」によく出ていたけど、この雑誌じゃないとCoccoさんはいろんなことを話さないんだろうなと思ったの。限られたところにしか心を開かなかったわけよね。でも今「SWITCH」がその受け皿になりうるかというと、そういう時期よりはもっとマスになっている。実際の部数は減ってるかもしれないけれど、イメージ的にも市場的にもマスに行っちゃったんだと思うのよ」  まさに、カルチャー誌がマスに媚を売り、ダメになっていっている状況を言い当てたマツコだが、実はこのインタビューで、マツコは自分に対しても、同様のダメ出しをしている。「SWITCH」同様、自分もまたマスのフィールドに行ってしまい、かつて持っていたはずの尖った部分を失ってしまったと語っているのだ。 「でも最先端で居続けることって恐怖だと思うのよ。それはあたし自身にとってもそう。ずっとバキバキに尖ってられているかと言われたら、やっぱりいろんな人と関わってきて、いろんな人に迷惑を掛けることも知り、丸くなってきちゃうわけじゃない、どうしても。それはやっぱりメディアも一緒でさ、絶対に関わる人が多ければ多くなるほど、どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ。だからそこを尖り続けられる人が、本当に最先端であり、ムーブメントを作る人になるんだと思うのよ。だからそういう意味では、あたし自身はもうそこから離脱したと思ってる。最初はメディアをぶっ壊してやると思って出てきたから。テレビなんてあたしがぶっ壊してやるって思ってね。そしたら、いつの間にかメディアやテレビと一緒になって走り出した。一緒にテレビ番組を作っている人のことはやっぱり愛しくなってきちゃうじゃない。そうなるとさ、ぶっ壊すんじゃなくて、育てたいなんておこがましいことは思ってないけど、この人たちが幸せになってほしいとか、ぬるい方になっちゃうわけじゃない、どうしても」  確かに、マツコが言う通り、かつてのマツコ・デラックスというコラムニスト、タレントは、もっと過激で尖った発言を繰り出す人であった。  その典型が、2008年に行われた「論座」(朝日新聞出版/休刊)でのインタビューだ。いまから8年前の取材でマツコはいきなりこう畳み掛ける。 「アンタ、テレビでものをしゃべってるなんて、人間として最下層よ」 「新聞社とか、出版社に勤めている人間だってそうよ。なくても誰も死なないものを作ってお金儲けにしているんだから。アタシらみたいな人間が一番、世の中に必要ないのよ」  自分も含め、マスメディアに携わる人間を全否定する言葉をいきなり浴びせかける。さらには、マスコミタブーである広告代理店についても単刀直入にぶった切った。 「お金を儲けようとする電通や博報堂が周りを固めて、そこに利権が発生したりするから、まあ、分かりやすい言い方しちゃうと根腐れするのよね」  そして、雑誌の出版元の親会社である朝日新聞に対し、産経新聞のコラムの名を出しながら、こうダメ出しするのだ。 「好きか嫌いかで言ったら微妙だけどさ、「産経抄」の方がよっぽどいいわよアンタ」 「(朝日は)あれ(産経)と闘わなきゃいけないのに、右だか左だか上だか下だか分からないようなぬるいことばっかり書いて。(中略)いつからか新聞って、公平中立でないといけないものだと見なされるようになって、朝日新聞がその代表になっているじゃない。誰もが不快な思いをすることなく読める新聞をつくろうなんて、初めから闘う意志がないわよ」  かつてはこんなに尖っていたマツコ。「SWITCH」でマツコが「どうしても尖ってはいられなくなってゆくものよ」と発言した裏には、世に出始めたときにもっていたエッジを自分が失いつつあることに対する忸怩たる思いがあったのだろう。  と、思ったのだが、ことはそう単純ではない。前述08年のインタビューでマツコは、数寄屋橋での辻説法が有名な右翼活動家・赤尾敏の生き方をあげながら、過激な活動や言動が出来なくなりつつある自分の置かれている現状に対し、こんなことも語っていたのだ。 「ああやって生きられたらうらやましいよね。残念だけどアタシは、社会順応性や理性が邪魔をして、あそこまで踏み外せないんだよね。女装なんて踏み外したうちに入らないわよ。赤尾敏みたいなことができない人間は、生意気なことを言う資格はないって気持ちが常にあるの。だからすごく嫌なのよ今、自分が。安全地帯から発言しているだけだから」 「魂を売るってこういうことなのねって、日々テレビに出ながら感じてるのよ」  つまり、マツコ・デラックスは8年前からずっと同じように「自分はテレビに染まってしまい、尖っていた部分を失った」ということを言い続けていたのである。8年前といったら、深夜1時45分から15分間だけ放送されていた初の冠番組『マツコの部屋』(フジテレビ)すらまだ始まっていない段階である。そんなときからマツコはエッジを失いつつあると告白し続けていた。  こんなふうに自分から「魂を売った」と先回りして言われたら、「最近のマツコは刺が取れて面白くなくなった」とは言えなくなる。この頭の良さがあるから、マツコ・デラックスというタレントはマスでありながら、うるさがたのネットユーザーや辛口コラムニストたちからも一目置かれているのだろう。でも、ちょっとずるいような気もするのだが……。 (新田 樹)

川谷絵音がまたまた“ベッキーへのオセンチ”を発動か?「『はなればなれ』がハッピーエンドになるの」

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「川谷絵音 (@indigolaend)・Instagram」より
 ベッキーと川谷絵音の不倫騒動が下火となる中、当の川谷が13日、インスタグラムに「会えないベッキーへの想い」を連想させる意味深な投稿をした。  川谷は、「久々にMV見てる」と、自身が率いるバンド・indigo la Endが2013年にリリースした楽曲「名もなきハッピーエンド」のMVのキャプチャー画像を投稿。同時に、「名もなきハッピーエンドってさ、サビが『はなればなれ』じゃないですか。でも『なも無き』で『な』を取ると『はればれ』つまり『晴れ晴れ』になるのね。だから最終的にはハッピーエンドになるの」と、この曲に隠された“言葉遊び”について説明した。  「名もなきハッピーエンド」は、彼女とケンカ別れした際の寂しさを歌った恋愛ソング。歌詞に「はなればなれ」が12回登場するほか、彼女に「私今なら1人でやれるって。そう思って嫌いになる努力をしてみたの」と告げられるも、平静を装う彼氏の心情などが描かれている。  突然、3年前の楽曲を掘り返した川谷に対し、ネット上では「完全にベッキーと自分を当てはめてる」「ベッキーのことを忘れられないのか」「相当の粘着質」「未練タラタラ」といった声が相次いでいる。  川谷といえば、先月出演したロックフェスで披露した新曲「夜の恋は」の歌詞が、ベッキーとの関係を連想させるとして話題に(関連記事)。さらに、今月リリースされた新曲「藍色好きさ」についても、サビの「君が好きだってこと以外は この際どうだっていい」などの部分が「男女の不倫関係を連想させる」として注目された。 「“売れ線”のゲスの極み乙女。では、CM起用曲などキャッチーな楽曲を多く手掛ける川谷ですが、一方でindigo la Endでは、気のままに制作した“ナルシスト曲”が目立つ。テレビで心情を明かしたベッキーとは違い、いまだ直接語らずじまいの川谷ですが、indigo la Endのほうで『ベッキーの曲』を量産する可能性があり、歌詞が注目されている。しかし、川谷への恋心を断ち切ろうと努力したベッキーにとって、無鉄砲に心情を吐き出す川谷は迷惑でしかないかもしれない。恋愛をいつまでも美化したがる男性とは違い、女性はさっぱりしたものですから」(音楽誌ライター)  ベッキーから一方的に連絡手段を閉ざされ、間接的に別れを切り出された形の川谷。不倫報道から半年がたった今も、夜な夜なベッキーのことを想っては、センチメンタルにギターを爪弾いているのかもしれない。

嵐・大野智主演の映画『忍びの国』ヒロインは石原さとみ「大野たっての希望で……」

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「ジャニーズ事務所は、今後はドラマよりも映画の大作の話があれば、そちらを優先してキャスティングするそうですよ。あまり映画に縁のなかった大野さんの起用も、その意向があったからのようです」(映画関係者)  発行部数50万部を誇る和田竜のベストセラー小説を、嵐・大野智の主演で実写化する映画『忍びの国』が、2017年夏に公開されることがわかった。大野は時代劇映画初主演となる。 「大野クンにとっては、映画自体も11年に公開された『映画 怪物くん』以来、6年ぶりになります。もともと、映画は嵐として出演した『ピカンチ』シリーズと『黄色い涙』、それにドラマを映画化した『怪物くん』だけで、オリジナル映画の単独出演はこれが初めてになります。嵐の映画担当といえば二宮(和也)クンですが、この大作に抜擢するということは、事務所としても大野クンでも賞を獲りにいくという意思の現れでしょう」(芸能事務所関係者)  共演にも、肉体派で知られる伊勢谷友介や鈴木亮平を抜擢し、スタントなしといわれるアクションシーンを盛り上げる。 「ヒロインは大野クンたっての希望で、石原さとみさんになりました。実は大野クンは石原さんの大ファンで、魚拓をプレゼントしたり、その好意は、そばにいる人が見れば丸わかりだとか(笑)。2人ともいい年でフリーですからね。こういった撮影中に距離が接近するのはよくあること。ただ、残念ながら抱擁シーンはあるのですが、キスシーンまではないようです」(テレビ局関係者)  大野が石原とキスする日はやってくるのか――。

『嵐のワクワク学校』直前! 去年のフォトレポートで“授業”をおさらい

「嵐のワクワク学校2015 ~日本がもっと楽しくなる四季の授業~」に密着のフォトレポート!
嵐のメンバーが「先生」となって、生きる上での大切なことを教えてくれる毎年恒例のこのイベントに、今年はHey!Say!JUMPが生徒役として初登校!
普段のコンサートでは見られないみんなの普段着、浴衣姿は完全保存級!とっておきの仲良し・わちゃわちゃ&爆笑授業をレポートしました!

『嵐のワクワク学校』直前! 去年のフォトレポートで“授業”をおさらい

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北朝鮮レストラン従業員集団亡命事件に見る、美女たちの“異変” 茶髪解禁は、体制崩壊の前兆か?

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「民族通信」が公開した脱北美女の顔写真
 黒髪で薄化粧が常識だった北朝鮮の美女が、茶髪で派手なメークに変身を遂げているという衝撃の事実が、中国にある北朝鮮直営レストラン従業員集団亡命事件で明るみになった。韓国に逃げ込んだ美女のほとんどが茶髪で、平壌市内でもフツーに茶髪ギャルが闊歩しているという。軍幹部の粛正劇など、恐怖政治を繰り広げる金正恩党委員長だが、美女軍団には甘いようだ。  社会主義路線を突っ走る北朝鮮では、TシャツにGパン、さらにミニスカートなどは「資本主義」「アメリカ」を連想させるため、厳禁だ。男性はワイシャツかポロシャツ、女性はブラウスに、頑張ってもタイトスカートといったパリッとした服装の着用が義務付けられている。だが、変化の兆しが透けて見えたのは、北朝鮮直営レストラン従業員集団亡命事件だった。     北朝鮮シンパの在米韓国人が開設したニュースサイト「民族通信」は、4月に中国・浙江省寧波の店から逃げ出し、韓国入りした12人の顔写真を公開した。いずれもクールな小顔の美女が多く、一部の娘は茶髪と判別できる。また、韓国の統一部が公開した亡命直後の写真でも、はっきりと茶髪が確認できる。    北は事件を「南朝鮮の諜報機関による拉致」と断定し、美女軍団の両親のインタビューを対外宣伝用ウェブページの「わが民族同士」にアップした。
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脱北美女の父。自室にはリラックマが!(わが民族同士より/以下同)
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脱北したキム・ソルギョンさん(左)と叔母。ほんのりと茶髪
 このうち、キム・ソルギョンさん(22)の両親と叔母が動画で登場し、涙ながらにソルギョンさんを返してほしいと訴えている。父親のボクナムさんは、「リラックマ」の写真立てに娘の写真を入れて自室に飾り、溺愛ぶりをアピールする。また、ソルギョンさんが過去に叔母と撮影したツーショット写真が映し出されるが、2人とも茶髪と確認できる。
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脱北しなかった美女軍団は黒髪だった
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脱北しなかった美女。濃いめのメークだ
 当局は、さらに同サイトで「《集団亡命》事件の卑劣な陰謀を暴き、明らかにする」という動画を公開。12人と同じ店にいたが、脱北しなかった7人のウエイトレスらが「拉致」を証言するという生々しい内容だ。ここに登場する7人はさすがに黒髪だが、海外勤務するだけに、アイラインや眉をはじめ、派手めメークが目立つ。  毎年、平壌に出入りする、在日ビジネスマンの50代男性が言う。 「言われてみれば、普通に茶髪の女の子が歩いている。平壌だけだが、昨年夏ぐらいから女の子の様相が中国の都市部のように派手めで、明るい服装になった気がする。ウブっぽい娘が多いのがよかったが、ちょっと残念だ」  北朝鮮直営レストランで働く美女の多くは良家の出身で、当局が「北を裏切らない」と判断した女性たちのはずだが、今回の集団亡命事件は、核やミサイル開発のために外貨稼ぎを彼女たちに押しつけ、厳しいノルマで苦しめたことが原因だともいわれている。  図らずも外の世界に触れることで、国家への忠誠心を失ってしまったウエイトレスたち。国内の茶髪女性増加も、金正恩体制崩壊の予兆なのかもしれない。

松方弘樹、30歳年下女性に“殉愛”疑惑? たかじん騒動と大きく異なる「金」事情

<p> 世の中は公平ではない。芸能界、そして芸能マスコミはもっともっと公平ではない。それをまざまざと見せられたのが能年玲奈を巡る報道だ。</p>

福山雅治、轟沈──!フジテレビ『ラヴソング』は、なぜ“史上最低の月9”になったのか

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フジテレビ系『ラヴソング』番組サイトより
 フジテレビ月9『ラヴソング』最終話は視聴率9.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)。全話平均は8.4%と、月9史上最低の結果になりました。  前クールの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』で、9.7%と初めて2ケタを割り込んだのに続き、連敗となった同枠。『いつ恋』では盛んに「それでも若年層は熱を持って見ている」「評価は高い」とアピールされていましたが、『ラヴソング』は内容的にも惨敗だったと思います。今までの月9を全部見ていたわけではないですが、名実ともに「史上最低の月9」だったのではないでしょうか。  というわけで、最終話です。  第8話で佐野さくら(藤原さくら)の喉にガンが見つかるというアクロバティックな展開を登場させたことで、この作品は第1話~第7話までの伏線を回収しつつ、8・9話でひん曲げてしまったプロットを、なんとかしてエンディングに落とし込む必要が出てしまいました。この最終話は、『ラヴソング』1~7話と『ラヴソング』8・9話という2本のドラマを同時に終わらせなければいけないという、ものすごい無理難題が課せられたわけです。  まあ、そんなことできるわけなくてね。  吃音の少女が親友・真美(夏帆)の結婚式でスピーチをするために、勇気を持って治療を始める。その治療の過程で元ミュージシャンの神代(福山雅治)に出会い、歌を歌うことに目覚め、歌に支えられて成長し、ついにその日を迎える。1~7話のクライマックスである結婚式は、最終回開始5分で処理されました。  続いて、喉のガンによって声を失うかもしれない。先延ばしにすれば命にもかかわる。その手術も「無事終了」ということで、こちらもあっさり解決。ここまで16分です。  たった16分で、お話はだいたい全部終わりました。あとは、全話を通じて脚本を紆余曲折させながらあちこちにバラ撒かれた伏線を回収して、辻褄を合わせるだけの時間に費やされます。もう誰が主人公とか関係ありません。というか、もう辻褄を合わせる努力も放棄しているように見えました。それっぽく、それっぽく。ただそれだけ。  退院後、さくらは姿を消します。真美によれば、結婚式のときには出ていくことを決めていたそうです。結婚式の直前、さくらは空一(菅田将暉)と同棲していました。遊園地デートしたり、路上ライブしたりもしました。神代と一緒に新曲「soup」も完成させました。それからたった数日の間に、夜逃げを決意したんだそうです。  空一には「気持ちに応えられない」、真美には「先生(神代)への気持ちを絶ち切れない」と書き残し、さくらはどこかへ行ってしまいました。  真美は、「さくらの気持ち、知ってたんでしょ!」と神代を突き飛ばします。どうやら神代は知ってたみたいですけど、わたしたち視聴者はよく知りません。遊園地で、路上ライブで、空一と過ごすさくらは楽しそうだったし、少し前には海辺で子どもに「わたしは強くなった」「わたしは幸せだ」なんて偉そうに説教してたし。直後に姿を消すようなことをすれば、あの子どもにもウソを言ってたことになりますからね。あの子どもは幼少期のさくら自身だったはずなのにね。  前回、第9話はストーリーが完全に破たんしているにもかかわらず、そこそこ泣けました。それは、さくらのガンが、施設で一緒に育った3人に同じ重みで降りかかった悲劇だったからです。この3人がお互いを自分のことのように考えていたからこそ、その感情のぶつかり合いに重みが出たんです。そこに、3人の「今まで」が現出したんです。親のない子たちだけが共有しているであろう「断ちがたい絆」が見えたんです。だから泣けたんです。  それも放り投げちゃうんだもんなぁ。これ、つらいですよ。案の定ワケのわからない空一はゾンビと化して「さくらー! さくらー!」と夜の町をさまよい歩くしかありませんでした。  で、もうあとは、ちゃちゃっとアレしてハイ! って感じですね。まったく泣けない。いろいろ飲み込んで、あとは泣く準備だけしてたのに、泣けない。あー。  だいたいさー、第1話でさー、タバコ吸わせたりバイクの運転や言葉遣いが乱暴だったり、さくらというのは「吃音だけど、かわいそうじゃない」「同情されたくない」キャラクターという設定が打ち出されていたわけですよ。演出も脚本も「悲劇ではありません」という部分だけは非常に強くアピールしていた。それが終わってみればガンだもんねー、もうね、何を信じていいのやら。 ■無駄なキスシーンがすべてを壊した?  お話としては、やっぱり分水嶺は第4話だったと思うんです。3話のクライマックスのライブまでは実に丁寧に作られていて、放送前にさんざん「キモい」と指摘されていた藤原さくら(20)と福山雅治(47)の恋愛についても「陽性転移」という専門用語を持ちだすことで、展開しそうになっていたんです。「陽性転移」の反対語はたぶん「本物の恋」でしょうから、ドラマチックな匂いがしていました。  推測ですけど、あくまで推測ですけどね。  4話の空一とのキスシーンが最初のイレギュラーだったんじゃないかなぁ。テコ入れのために、4話のCMにキスシーンを挿入する必要があったんじゃないかと。もともとは、3話のライブにスカウトに来ていたグリスターミュージックと契約する話で、それを、なんとか4話のうちに2人にキスをさせなければならなくなり、きっかけ作りのために反故にしてしまったんじゃないかと。  そう考えると、いろいろ収まるんですよね。グリスターの取締役・桑名(りりィ)は神代と元恋人・春乃の過去についていろいろ知っている人物でした。つまり、桑名の出番が減れば減るほど、春乃について説明される機会が減るということです。この桑名が、あっという間にいなくなっちゃったことで、結局最後まで春乃については説明不足のまま、ドラマの中でなんの役割も果たせませんでした。  神代は春乃とさくらを重ねている節がありましたので、春乃について理解が進まないことには、神代のさくらに対する執着にも説明がつかなくなります。夏希の別人格が登場してさくらを攻撃しだしたときも、春乃と神代に何があったのか説明されていなかったので唐突に見えました。  シェリル(Leola)も、もしかしたらグリスターのトップアーティストだったのかもしれませんね。たとえば映画『ドリームガールズ』(2006)のジェニファー・ハドソンとビヨンセみたいなライバル関係として登場する予定だったのかもしれない。まあ、今となってはどうでもいいですけど。  CMのためにストーリーを壊すって、そんなことあるのかって常識的には思いますけど、ありそうなのが今のフジテレビなんですよねえ。推測ですけど。 ■もっとしっかりゴリ押して!  もうひとつ、もともとグリスターだったんじゃないかという根拠があります。  佐野さくらは「天賦の歌声をもつ女性」として登場する予定だったんですね。これは公式に発表されていたことですし、現にグリスターのスカウト・水原(りょう)も、すぐに目を付けていたし、演出的にも3話で難曲「Summer time」を歌わせたのは、そういうことでしょう。  ところがグリスターとの契約が反故になったことで、さくらの歌声がプロの音楽家たちにとって「なんとしても世に出さなければならない絶対的な才能」ではなくなってしまった。デビューさせてもさせなくても、別にどっちでもいい程度の「天賦」だったということになっちゃったんです。  しかも、シェリルがトップレコーズの所属として登場したことで、冴えない一発屋だったはずの神代のほうが、さくらより音楽的な才能が優れていることになっちゃった。ドラマの中で、誰も「さくらこそが天才だ」と言わない。神代がさくらに「歌わせたい」動機も、「歌声」そのものではなく「歌いたいんだから歌わせたい」というカウンセラー的な思いやりになってしまっていたし、最終的には「恋」ってことになってるし。恋って。  少なくとも、企画段階でね、アミューズにとって藤原さくらは「なんとしても世に出さなければならない絶対的な才能」だったはずでしょう。そういうドラマを作るために、ゴリ押ししたわけでしょう。世間からのキャスティングに対する反発も、歌の実力で跳ね返しつつあったのに、ドラマ自体が「そんな上手くないかも」と言い出したんだもん。実は、これがいちばん残念なことでした。歌、いいんだから、もっとしっかりゴリ押して! と思ったんです。  どうあれ、さくらの歌声がドラマの中心に屹立してさえいれば、どうにかなったような気がするんです。歌の力、音楽の力が人を変えるドラマだというなら、そういう物語であるべきだと思うんです。 ■じゃあ、具体的にどうすればよかったのか?  知りませんよ。帰ったら『ドリームガールズ』のDVD見ようと思います。以上です、編集長! (文=どらまっ子AKIちゃん)