伊藤英明主演の大ドンデン返しドラマ『僕のヤバイ妻』(フジテレビ系)の第7話。ここにきて、自己最高の平均視聴率9.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しました。 さて、前回は、真理亜(木村佳乃)が幸平(伊藤)を殺すことを決意し、元研究者の杏南(相武紗季)に、猛毒・アドキシンの抽出を依頼しましたが、幸平はヤバイ妻に殺されちゃうんでしょうか? さらに、夜道で有希ちゃん(キムラ緑子)に突然襲われた杏南は、無事だったのでしょうか? ■アドキシンは実在するか? 孤独なおばさん・有希ちゃんにゴルフクラブで殴られた杏南ですが、意識を取り戻し激昂! 鬼の形相で有希ちゃん家へ向かいます。すると、有希ちゃんだけでなく、レンタル夫の和くん(高橋一生)や、幸平とも鉢合わせ。腹いせに、みんなの前で偽装夫婦であることを暴露。すると、有希ちゃんは「ルルルルルルルー!」と壊れながらスタスタと家へ戻ってしまいました。これは、有希ちゃんが悪い! その後、真理亜から依頼されたアドキシンを、幸平と一緒に自宅でこしらえる杏南。3分クッキングのごとく、作り方を追って丁寧に説明してくれます。そして、幸平は真理亜を殺すための毒であると信じ、せっせとお手伝いしています。誰も疑わない様子がかわいいですね。もう、このドラマの“良心”は幸平っていうことでいいと思います! ところで、このドラマに何度も登場するアドキシンですが、杏南いわく「2mgで人を殺せる」「漆豆から抽出できる」「病死と判断される」「毒素が細胞を壊し、臓器不全で死ぬ」とのこと。恐ろしい……、と思って調べてみると、アドキシンも漆豆も、架空のモノでした。なんともありそうな名前なので、騙されちゃいました、てへ。 ■“小学生脳”幸平の名言! さて次の日、真理亜にアドキシンを渡す杏南。真理亜が今晩、幸平の好物である“カレー味のスペアリブ”に毒を仕込むことを聞いた杏南は、幸平にその計画を伝えます。 その後、デッド・オア・アライブの晩餐を迎えるため、真理亜と外で落ち合う幸平。スーパーで仲良く買い物をする2人ですが、その頃、真理亜の自宅には、岩塩にアドキシンを仕込む杏南の姿が。何やら、幸平いわく「俺がいつもアクアパッツァに使っている、こだわりの塩だ!」だそうで、幸平は自分の手料理で真理亜を殺す計画のようです。 帰宅し、早速、料理を作り始める2人。すると、真理亜が前菜で作ったアヒージョにも、幸平こだわりの岩塩を入れるアクシデント! 結果、毒入りスペアリブ、毒入りアクアパッツァ、毒入りアヒージョと、食卓は毒だらけに……。なんか、アダムスファミリーみたいですね。 幸平が毒に当たらないようビビりながら食事を進めていると、真理亜がついにアクアパッツァを口に運ぼうとします。それを見て、「食え! アドキシンをくらえぇぇぇ!」「とっとと食え。毒を食らって、死ねえぇぇぇ!」と、小学生のドラゴンボールゴッコのような心の声を漏らす幸平ですが、真理亜は結局、口に入れぬまま泣き出し、「やっぱり私、あなたのこと殺せない」と、カレー味のスペアリブに毒を仕込んだことを素直に打ち明けます。 そんな真理亜に胸を打たれる“小学生脳”の幸平。次の瞬間、ピンポーンと杏南が登場。お互いに戦意喪失した2人を見て、イラッとした杏南は、何を思ったのか突然、マッハの速さでアヒージョにパクつき、血を吐いて倒れてしまいました。人ん家のもの、いきなり食べるからだよ! そうこうしてると、横路(宮迫博之)がピンポーンとやってきました。幸平が対応しているすきに、真理亜は杏南を処理するため、急いで車を走らせ、高笑いして第7話は終了です。 なんといっても幸平の「毒を食らって、死ねえぇぇぇ!」というが素敵な名言が飛び出した今回。初回に比べると、全体的にコミカルさに拍車がかかってきた『僕のヤバイ妻』ですが、来週は一体、どんな名珍場面が飛び出すでしょうか? 楽しみでなりません。 (文=どらまっ子TAMOちゃん)フジテレビ公式サイトより
日別アーカイブ: 2016年6月1日
『セカムズ』でも活躍中! 大野智の魅力が満載の1冊!
大好評シリーズ・第8弾!
メンバーひとりひとりにスポットを当てた嵐のソロ・バージョンフォトレポート。
結婚願望ナシの女から見た、「結婚したい男女」の欲望と誰もが抱える「不安」のゆくえ
<p>結婚にまつわる取材記事を5回にわたって連載してきた。1回目【婚活】では、女性が思うよりよっぽど男性は女性の年齢を気にするという事実を、2回目【男性学】では</p>
被害総額3,500万円でも刑事処罰なし! 好奇心から放火に走る韓国・中学生たちと、少年法の“壁”
5月中旬、釜山のとある船舶エンジン部品工場で火災が発生した。工場近くの空き地に積み重ねられた木材などから火の手が上がり、工場へと飛び火。船舶エンジンなどの資材に燃え移り、総額3億5,000万ウォン(約3,500万円)の損害となった。 容疑者として逮捕されたのは、中学1年生の少年だった。警察の取り調べに対し、「好奇心から火をつけた」と供述しているという。 韓国では最近、中学生の犯罪が目につく。2月にも中学生の集団レイプ事件が起こっており、主犯格の男子生徒が懲役6年の実刑判決を受けた(参照記事)。また、オレオレ詐欺のように電話で詐欺を働く“ボイス・フィッシング”で、3人の中学生が警察に逮捕されたという報道があった。ただ、中学生による犯罪の中でも特徴的なのが放火だ。 韓国の警察が発表する「警察犯罪統計」によると、2014年に14歳が起こした放火は41件。15歳33件、16歳31件、17歳20件、18歳5件などと比べると、その差は歴然だろう。13年の同じ統計を見ても、14歳42件、15歳31件、16歳23件、17歳14件、18歳8件と、やはり14歳の中学生に“放火犯”が相対的に多いことがわかる。 実際、昨年5~8月にかけてソウルのマンションやアパートに6度火をつけた放火犯も、中学生4人のグループだった。その1カ月後には、別の中学生が自分の通う学校の教室に火をつける動画がネット上にアップされる事件もあった。同年3月には、13歳の中学生が遅刻を注意された腹いせに教師のオートバイを燃やしている。 11~14年に凶悪犯罪で逮捕された10代の青少年は、1万3,846人にも上る。1日に平均9件にも及ぶ凶悪犯罪を彼らが引き起こしているということになる。ただし警察関係者は「10代の凶悪犯罪が深刻な水準に達しているが、年々進行する低年齢化は、とりわけ大きな問題だ」と指摘している。 実際、10大凶悪犯罪のうち、法的に処罰されない年齢である“触法少年”(満10歳~14歳未満)による犯罪は、さらに深刻だ。 韓国における触法少年の凶悪犯罪は、11年363件から14年479件に増加。青少年犯罪における触法少年の犯罪割合も11年10.1%、12年11.7%、13年11.9%、14年15.4%と毎年少しずつ高まっている。15年こそ368件と若干縮小したが、まだまだ予断を許さない状況だ。 今回、釜山の工場に放火した少年も12歳であるため、刑事責任が問われない。韓国メディアによると、彼は今後、管轄の裁判所少年部に送致され、裁判所で審理後、必要があれば社会奉仕や少年院送致などの保護処分が下されるという。 好奇心や憂さ晴らしで、放火に走る韓国の中学生たち。彼らがどんな大人に成長するのか、心配でならない。イメージ画像
『とと姉ちゃん』、“強烈ドSキャラ”で真野恵里菜ブレーク!? 大コケ女優の汚名返上なるか?
真野恵里菜オフィシャルブログより
視聴率も絶好調のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(高畑充希主演/月~土曜午前8時~)に、強烈なキャラクターが登場した。同ドラマの主人公・小橋常子(高畑)は、女学校を卒業し、鳥巣商事にタイピストとして就職し、初仕事も回ってきたのだが、その5月28日放送回から本格的に登場したのが、常子の指導役となる早乙女朱美役の真野恵里菜だ。
常子は先輩タイピストたちから、いわれなき嫌がらせを受けることになるが、その中でも、最も常子にきつくあたるのが、浄書室の責任者である早乙女。そのサマはまさに、“ドS”そのもので、インパクトは絶大。毎朝、早乙女が常子をいびる様子がオンエアされることで、真野=“ドSキャラ”として、視聴者の頭にインプットされそうだ。
『とと姉ちゃん』、“強烈ドSキャラ”で真野恵里菜ブレーク!? 大コケ女優の汚名返上なるか?
真野恵里菜オフィシャルブログより
視聴率も絶好調のNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(高畑充希主演/月~土曜午前8時~)に、強烈なキャラクターが登場した。同ドラマの主人公・小橋常子(高畑)は、女学校を卒業し、鳥巣商事にタイピストとして就職し、初仕事も回ってきたのだが、その5月28日放送回から本格的に登場したのが、常子の指導役となる早乙女朱美役の真野恵里菜だ。
常子は先輩タイピストたちから、いわれなき嫌がらせを受けることになるが、その中でも、最も常子にきつくあたるのが、浄書室の責任者である早乙女。そのサマはまさに、“ドS”そのもので、インパクトは絶大。毎朝、早乙女が常子をいびる様子がオンエアされることで、真野=“ドSキャラ”として、視聴者の頭にインプットされそうだ。
吉野朔実が残した他者との戦い方 ひとつになれなかった双子の妹が「いち抜け」する『ジュリエットの卵』
◎虚無の美を描いた吉野朔実
こんにちは、さにはにです。今月も漫画を通じて女性の生き方について考えるヒントを探したいと思います、よろしくお願いします。
今回ご紹介するのは今年4月20日に57歳で逝去された吉野朔実先生の『ジュリエットの卵』です。1980年にデビューされた吉野先生は、集英社が1978年から2000年まで発行していた少女漫画誌『ぶ〜け』を中心に活躍された作家です。残念ながら2000年に実質的には廃刊となった『ぶ〜け』ですが、1988年に第12回講談社漫画賞少女部門を受賞した松苗あけみ先生の『純情クレイジーフルーツ』、1991年に第15回講談社漫画賞少女部門を受賞した逢坂みえこ先生の『永遠の野原』をはじめとした超名作が掲載されていた雑誌です。また、岩館真理子先生の『子供はなんでも知っている』や鈴木志保先生の『船を建てる』なども『ぶ〜け』に連載されおり、卓越したストーリー性や叙情性を通じて人生のありかたに接近する、奥深い作品の掲載でも知られているところかと思います。
吉野先生は1985年から『少年は荒野をめざす』、1988年より今回取り上げる『ジュリエットの卵』を連載されていて、『ぶ〜け』の看板作家のおひとりでした。フワフワとした髪の毛や一本ずつ書き込まれたまつげなどにみられる繊細な描線とダイナミックでクールな構図、登場人物の内面を深く掘り下げる描写、そして何よりも巧みなストーリー展開は多くの読者を獲得していて、改めて説明する必要もないほどです。
『私の男』で第138回直木賞を受賞されている小説家の桜庭一樹先生は、吉野先生の訃報に接して「その精神に現代の若者と近しい虚無の美を持ち、描き続けた漫画家だった」との評論を朝日新聞に寄せられています。吉野先生の作家性の基盤ともいえる「虚無の美」は「現代の若者と近しい」という桜庭先生の指摘は、私としても大変興味深く、かつ、共感できる部分です。朝日新聞の論考は「だからこそ『いまこのとき紐解かれ語り直されるべき現代性』に満ち、光っているのだ」との文で閉じられています。
80年代の少女漫画である『ジュリエットの卵』で描かれている物語と現代の若者との共通点とはどのようなものなのでしょうか。いつも通り統計を用いて概観し、作品に踏み込んでいきましょう……と書いたものの、未読の方は『ジュリエットの卵』をまずは読んでいただきたいとも思います。最後の大展開に向けて細部をじわじわと積み重ねていくダイナミズムは吉野作品の大きな魅力で、先入観なく味わってこそ作品の魅力に深く接近できるようにも感じるからです。本稿では中盤までの展開にある程度言及しますので、あらかじめその点をご了承いただければと思います。
◎SNSのない時代の双子が損なったアイデンティティ
『ジュリエットの卵』は千葉県の美大に入学した「度を外れた美人」飴屋螢と、地元の金沢で母親と暮らす双子の兄、水(ミナト)をめぐる物語です。第1巻の冒頭で、螢と水はそれまで24時間以上離れたことがなく「一生二人で生きていこうと誓った恋人」であること、水を溺愛する母親に対して疎外感を持って生きて来たことが螢の口から語られます。螢と水は二卵性の双子で、性別だけでなく性格も対照的なキャラクターです。しかし見た目はとても似ており、境界が曖昧な二人が持つ濃密で排他的な関係が持つインパクトは物語の序盤で決定的な印象を与えてくれます。続く2話では「螢」は主人公だけでなく母親の名前でもあること、父親とはほとんど接点を持たずに育っていることが明かされます。
衝撃の告白ではじまる本作なのですが、こうした混み入った事情は、家族との分離の難しさや青年期におけるアイデンティティの獲得の困難といった大きなテーマに、80年代後半の女子大生である螢を通じてアプローチする上で見事な設定のように感じられます。そしてこれらの視点は現在の若者を考えるうえでも重要な示唆をもたらしてくれるものです。
まず踏まえておきたいのは「進学して家を出る」という行動の社会的背景です。人口学者の清水昌人は大学進学にともなう転出/入(引っ越しをして住民票を出したり入れたりすること)の年次推移について詳細な検討をおこなっています。図1、図2にその内容の一部を示しました。
(図はmessyにて)
図1は大学進学をきっかけに大都市圏に転入/出した人の総数、図2は大都市圏に転入/出した人に全体対して大学進学をきっかけとした移動が占める割合です。この分析は東京や大阪を含む1都2府8県を対象にしたものですが、それでも女性と男性とでは移動の様子がかなり違うことがみえてきます。
図1にみられるように、大学進学をきっかけに大都市に転入してくる人は1970年代以降一貫して男性に多く、それに比べると女性は少ないという状況が維持されています。これを人口移動の総数との比として表現したものが図2です。1970年代から2000年代にかけて、男性の比率は20程度に維持されています。バブル期には10ポイントほど低下しているのですが、これは男性の人口移動の総数が増えために進学による移動が相対的に減ったとみることができそうです。
これに対し、女性の移動は1980年代の半ば以降一貫して上昇傾向にあり、本作連載時の1980年代後半はこれまでになかった新しいタイプの人口移動が女性において生じていた時期だという状況を読み取ることができます。本作が連載開始された1988年は女性の進学率の上昇や1980年代の「女性の社会進出」などを背景に、進学をきっかけとした引っ越しを女性が経験し始めた時代だったといえそうです。このような当時の状況をふまえれば、進学を契機とした女性の転出には「親への反目」や「子供の教育に対する期待」、「自立心」などたくさんの物語をつむぐ要素があるように感じられます。しかし螢の転出の背景はそのいずれでもなく、母親からの疎外にありました。
親または本人の主体的選択がないままに家族と離れて暮らし、家族との心理的な分離がうまくいかないという特殊な状況を、80年代後半という時代において無理なく演出するうえで、「疎外」は絶好の装置であるように思えます。そのうえで、「疎外」をいかに変革するか――親兄弟から自立して主体性をいかに獲得するか――という成長の物語に接近するという構造を、本作はあらかじめ有しているのです。
この「人間関係を組み替える主体性やきっかけが失われているため、それまでの関係が維持され続けてしまい、自立しにくくなる」という状況は、現代社会を考えるうえでも踏まえておきたい事象です。少なくとも90年代までは、生まれ育った家からの転出は否応なくこれまでと違う人間関係への直面をもたらしていました。しかし近年は、空間的断絶=コミュニケーションの断絶とは必ずしもいえなくなってきています。その背景にあるのがSNSや携帯電話、スマートフォンに代表されるITによるコミュニケーションの発達です。例えばLINEやFacebookの利用を考えてみればわかりやすいでしょう。地元を離れても同級生とつながり続けている、一人暮らしをしているのに何かと親に相談してしまう、という状況が近年では生じるようになっています。
社会学者の鈴木謙介は、コミュニケーションを含む情報空間と現実の空間が必ずしもイコールでなくなった状況を「現実の多孔化」と呼んでいます。1980年代を舞台としている本作は、SNSどころか携帯電話もない時代ですから、登場人物たちは固定電話と手紙でやりとりをしています。しかし、千葉の大学にいるにもかかわらず金沢の兄を思い続ける螢と、螢以外の女性に対して興味を持たない水が見せる双子ならではのシンクロニシティは、その場にいない相手とつながり続けているという点で「多孔化」した現実を生きているようにもみえます。そして、そうした関係は他者を排除するだけでなく、自分自身のアイデンティティの獲得を阻害するという点が本作の先見性であるように感じられます。
◎「おそ松さん」から抜け出す可能性
物語の複雑さゆえに様々な読み方ができる『ジュリエットの卵』ですが、今回は「他者とはなにか」という点について考えてみたいと思います。螢によって物語冒頭でおこなわれる衝撃の告白の聞き手は、千夏と夜貴子というふたりのクラスメイトです。彼女たちは螢らの人生を左右する重要な人物になっていくのですが、いずれも螢とはまったく違うキャラクターとして造形されている点で興味深いです(千夏はボーイッシュで健全、夜貴子は社交的な美人)。
自分とは違うがゆえに自分を写すための鏡となりえる存在のことを社会学では「他者」と呼んでいます。アメリカの社会学者チャールズ・H・クーリーは自分自身のありかたは他者という鏡によって規定されていて、自我とは対人関係を通して形成されるものであると論じています。あらかじめ自我があって、それを踏まえて他者と関わるという図式を私たちは描きがちです。しかしそうではなく、自我の形成とは、他者との関わりの中で他者という鏡に映った自分を認識することに他ならないとクーリーはいいます。
自分と同じ名前を持つ母親、自分と同じ顔を持つ兄の水は螢にとっては自分の分身であり、他者にはなりえません。家庭内における他者の不在は、母親である「螢」と水にとっても同じ効果を持っています。つまり、螢の問題は「螢」と水の問題でもあります。しかし大学進学をきっかけに「外」の世界に触れた螢だけが、他者との接点を通じてアイデンティティの獲得に成功していきます。その大きな契機となるのが、仕事を得、恋をしたことです。
物語の中盤、家族からの自立を意識した螢は自らの美貌を生かしてファッションモデルをするようになります。その飛躍のきっかけになるのが、ロングヘアをばっさり切るというCMの仕事でした。螢と水を区別するのは性別と髪型に他ならないことからもわかるように、本作において髪型は人格を象徴しています。水さながらのショートヘアに生まれ変わった螢は、鏡に映った自らの姿に水を見出し、「別々に生まれてきたという間違い」を修正して完全体に変容したかにみえます。物語の中では、水の要素を持つことで母親からの寵愛を得られるタイミングも描かれます。しかし、水のコピーとしての愛情を螢は受け入れませんでした。そしてそのことによって、最後の大展開に向けた引き金を自ら引いてしまうのです。
内気な螢が母親の愛情を拒否するほどの強さを身につけるに至った背景のひとつが、隣人の田上との友愛関係です。螢をして「爪の先まで他人」と言わしめる田上は彫刻を専攻する大学の先輩で、男らしいナイーブさと優しさを持ち合わせたキャラクターです。田上への好意を自覚した螢は「(水以外の)他人を触ったら汚れるような気がしていたが、触れてみなくてはなにひとつわからない」と語ります。田上という決定的な他者を得たことにより、それを鏡として螢は自分の像を結ぶことに成功していくのです。螢と異なり、母親である「螢」と水は他者と対峙することがとうとう叶いませんでした。ここが運命の分かれ道であり、最終的な大展開につながっていくのです。
その大展開をここで紹介するのは止めておきます。いろいろと「考えさせる」終わり方をしていますので、ぜひご自身で解釈していただければと思います。
それにしても、同質性の高い居心地の良さからの卒業に向けて他者と格闘する螢の姿は、今日の私たちにこそ必要なものであると思えてなりません。以前「おそ松さん」の回でもご紹介したように、現在の日本社会は人間関係の閉鎖・内輪化と呼べる状況に直面しています。その背景には、雇用の流動化や不景気などを基底に、所属や肩書きに代わって個人が持つコミュニケーション能力がその人のポジションを決定するようになったという社会状況があります。
本作が連載された1980年代の後半、日本はまだバブル経済の影響下にありました。螢のナイーブさと前向きさ、力強さは経済的好機にあった当時の世相を反映したもののようにも感じられます。そのさなかに「虚無の美」と向き合っただけでなく、「紐解かれ語り直されるべき現代性」を備えた作品を紡ぎ出した吉野先生の才能と本作の素晴らしさにただただ感動するばかりです。最後になりますが、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
■永田夏来/さにはに先生。ニックネームの由来は"SUNNYFUNNY"(パラッパラッパーというゲームのキャラクター)→"さにふぁに"→"さにはに"です。1973年長崎県生まれ。2004年に早稲田大学にて博士(人間科学)を取得後、現職は兵庫教育大学大学院学校教育研究科助教。専門は家族社会学ですが、インターネットや音楽、漫画などのサブカルチャーにも関心を持っています。
吉野朔実が残した他者との戦い方 ひとつになれなかった双子の妹が「いち抜け」する『ジュリエットの卵』
◎虚無の美を描いた吉野朔実
こんにちは、さにはにです。今月も漫画を通じて女性の生き方について考えるヒントを探したいと思います、よろしくお願いします。
今回ご紹介するのは今年4月20日に57歳で逝去された吉野朔実先生の『ジュリエットの卵』です。1980年にデビューされた吉野先生は、集英社が1978年から2000年まで発行していた少女漫画誌『ぶ〜け』を中心に活躍された作家です。残念ながら2000年に実質的には廃刊となった『ぶ〜け』ですが、1988年に第12回講談社漫画賞少女部門を受賞した松苗あけみ先生の『純情クレイジーフルーツ』、1991年に第15回講談社漫画賞少女部門を受賞した逢坂みえこ先生の『永遠の野原』をはじめとした超名作が掲載されていた雑誌です。また、岩館真理子先生の『子供はなんでも知っている』や鈴木志保先生の『船を建てる』なども『ぶ〜け』に連載されおり、卓越したストーリー性や叙情性を通じて人生のありかたに接近する、奥深い作品の掲載でも知られているところかと思います。
吉野先生は1985年から『少年は荒野をめざす』、1988年より今回取り上げる『ジュリエットの卵』を連載されていて、『ぶ〜け』の看板作家のおひとりでした。フワフワとした髪の毛や一本ずつ書き込まれたまつげなどにみられる繊細な描線とダイナミックでクールな構図、登場人物の内面を深く掘り下げる描写、そして何よりも巧みなストーリー展開は多くの読者を獲得していて、改めて説明する必要もないほどです。
『私の男』で第138回直木賞を受賞されている小説家の桜庭一樹先生は、吉野先生の訃報に接して「その精神に現代の若者と近しい虚無の美を持ち、描き続けた漫画家だった」との評論を朝日新聞に寄せられています。吉野先生の作家性の基盤ともいえる「虚無の美」は「現代の若者と近しい」という桜庭先生の指摘は、私としても大変興味深く、かつ、共感できる部分です。朝日新聞の論考は「だからこそ『いまこのとき紐解かれ語り直されるべき現代性』に満ち、光っているのだ」との文で閉じられています。
80年代の少女漫画である『ジュリエットの卵』で描かれている物語と現代の若者との共通点とはどのようなものなのでしょうか。いつも通り統計を用いて概観し、作品に踏み込んでいきましょう……と書いたものの、未読の方は『ジュリエットの卵』をまずは読んでいただきたいとも思います。最後の大展開に向けて細部をじわじわと積み重ねていくダイナミズムは吉野作品の大きな魅力で、先入観なく味わってこそ作品の魅力に深く接近できるようにも感じるからです。本稿では中盤までの展開にある程度言及しますので、あらかじめその点をご了承いただければと思います。
◎SNSのない時代の双子が損なったアイデンティティ
『ジュリエットの卵』は千葉県の美大に入学した「度を外れた美人」飴屋螢と、地元の金沢で母親と暮らす双子の兄、水(ミナト)をめぐる物語です。第1巻の冒頭で、螢と水はそれまで24時間以上離れたことがなく「一生二人で生きていこうと誓った恋人」であること、水を溺愛する母親に対して疎外感を持って生きて来たことが螢の口から語られます。螢と水は二卵性の双子で、性別だけでなく性格も対照的なキャラクターです。しかし見た目はとても似ており、境界が曖昧な二人が持つ濃密で排他的な関係が持つインパクトは物語の序盤で決定的な印象を与えてくれます。続く2話では「螢」は主人公だけでなく母親の名前でもあること、父親とはほとんど接点を持たずに育っていることが明かされます。
衝撃の告白ではじまる本作なのですが、こうした混み入った事情は、家族との分離の難しさや青年期におけるアイデンティティの獲得の困難といった大きなテーマに、80年代後半の女子大生である螢を通じてアプローチする上で見事な設定のように感じられます。そしてこれらの視点は現在の若者を考えるうえでも重要な示唆をもたらしてくれるものです。
まず踏まえておきたいのは「進学して家を出る」という行動の社会的背景です。人口学者の清水昌人は大学進学にともなう転出/入(引っ越しをして住民票を出したり入れたりすること)の年次推移について詳細な検討をおこなっています。図1、図2にその内容の一部を示しました。
(図はmessyにて)
図1は大学進学をきっかけに大都市圏に転入/出した人の総数、図2は大都市圏に転入/出した人に全体対して大学進学をきっかけとした移動が占める割合です。この分析は東京や大阪を含む1都2府8県を対象にしたものですが、それでも女性と男性とでは移動の様子がかなり違うことがみえてきます。
図1にみられるように、大学進学をきっかけに大都市に転入してくる人は1970年代以降一貫して男性に多く、それに比べると女性は少ないという状況が維持されています。これを人口移動の総数との比として表現したものが図2です。1970年代から2000年代にかけて、男性の比率は20程度に維持されています。バブル期には10ポイントほど低下しているのですが、これは男性の人口移動の総数が増えために進学による移動が相対的に減ったとみることができそうです。
これに対し、女性の移動は1980年代の半ば以降一貫して上昇傾向にあり、本作連載時の1980年代後半はこれまでになかった新しいタイプの人口移動が女性において生じていた時期だという状況を読み取ることができます。本作が連載開始された1988年は女性の進学率の上昇や1980年代の「女性の社会進出」などを背景に、進学をきっかけとした引っ越しを女性が経験し始めた時代だったといえそうです。このような当時の状況をふまえれば、進学を契機とした女性の転出には「親への反目」や「子供の教育に対する期待」、「自立心」などたくさんの物語をつむぐ要素があるように感じられます。しかし螢の転出の背景はそのいずれでもなく、母親からの疎外にありました。
親または本人の主体的選択がないままに家族と離れて暮らし、家族との心理的な分離がうまくいかないという特殊な状況を、80年代後半という時代において無理なく演出するうえで、「疎外」は絶好の装置であるように思えます。そのうえで、「疎外」をいかに変革するか――親兄弟から自立して主体性をいかに獲得するか――という成長の物語に接近するという構造を、本作はあらかじめ有しているのです。
この「人間関係を組み替える主体性やきっかけが失われているため、それまでの関係が維持され続けてしまい、自立しにくくなる」という状況は、現代社会を考えるうえでも踏まえておきたい事象です。少なくとも90年代までは、生まれ育った家からの転出は否応なくこれまでと違う人間関係への直面をもたらしていました。しかし近年は、空間的断絶=コミュニケーションの断絶とは必ずしもいえなくなってきています。その背景にあるのがSNSや携帯電話、スマートフォンに代表されるITによるコミュニケーションの発達です。例えばLINEやFacebookの利用を考えてみればわかりやすいでしょう。地元を離れても同級生とつながり続けている、一人暮らしをしているのに何かと親に相談してしまう、という状況が近年では生じるようになっています。
社会学者の鈴木謙介は、コミュニケーションを含む情報空間と現実の空間が必ずしもイコールでなくなった状況を「現実の多孔化」と呼んでいます。1980年代を舞台としている本作は、SNSどころか携帯電話もない時代ですから、登場人物たちは固定電話と手紙でやりとりをしています。しかし、千葉の大学にいるにもかかわらず金沢の兄を思い続ける螢と、螢以外の女性に対して興味を持たない水が見せる双子ならではのシンクロニシティは、その場にいない相手とつながり続けているという点で「多孔化」した現実を生きているようにもみえます。そして、そうした関係は他者を排除するだけでなく、自分自身のアイデンティティの獲得を阻害するという点が本作の先見性であるように感じられます。
◎「おそ松さん」から抜け出す可能性
物語の複雑さゆえに様々な読み方ができる『ジュリエットの卵』ですが、今回は「他者とはなにか」という点について考えてみたいと思います。螢によって物語冒頭でおこなわれる衝撃の告白の聞き手は、千夏と夜貴子というふたりのクラスメイトです。彼女たちは螢らの人生を左右する重要な人物になっていくのですが、いずれも螢とはまったく違うキャラクターとして造形されている点で興味深いです(千夏はボーイッシュで健全、夜貴子は社交的な美人)。
自分とは違うがゆえに自分を写すための鏡となりえる存在のことを社会学では「他者」と呼んでいます。アメリカの社会学者チャールズ・H・クーリーは自分自身のありかたは他者という鏡によって規定されていて、自我とは対人関係を通して形成されるものであると論じています。あらかじめ自我があって、それを踏まえて他者と関わるという図式を私たちは描きがちです。しかしそうではなく、自我の形成とは、他者との関わりの中で他者という鏡に映った自分を認識することに他ならないとクーリーはいいます。
自分と同じ名前を持つ母親、自分と同じ顔を持つ兄の水は螢にとっては自分の分身であり、他者にはなりえません。家庭内における他者の不在は、母親である「螢」と水にとっても同じ効果を持っています。つまり、螢の問題は「螢」と水の問題でもあります。しかし大学進学をきっかけに「外」の世界に触れた螢だけが、他者との接点を通じてアイデンティティの獲得に成功していきます。その大きな契機となるのが、仕事を得、恋をしたことです。
物語の中盤、家族からの自立を意識した螢は自らの美貌を生かしてファッションモデルをするようになります。その飛躍のきっかけになるのが、ロングヘアをばっさり切るというCMの仕事でした。螢と水を区別するのは性別と髪型に他ならないことからもわかるように、本作において髪型は人格を象徴しています。水さながらのショートヘアに生まれ変わった螢は、鏡に映った自らの姿に水を見出し、「別々に生まれてきたという間違い」を修正して完全体に変容したかにみえます。物語の中では、水の要素を持つことで母親からの寵愛を得られるタイミングも描かれます。しかし、水のコピーとしての愛情を螢は受け入れませんでした。そしてそのことによって、最後の大展開に向けた引き金を自ら引いてしまうのです。
内気な螢が母親の愛情を拒否するほどの強さを身につけるに至った背景のひとつが、隣人の田上との友愛関係です。螢をして「爪の先まで他人」と言わしめる田上は彫刻を専攻する大学の先輩で、男らしいナイーブさと優しさを持ち合わせたキャラクターです。田上への好意を自覚した螢は「(水以外の)他人を触ったら汚れるような気がしていたが、触れてみなくてはなにひとつわからない」と語ります。田上という決定的な他者を得たことにより、それを鏡として螢は自分の像を結ぶことに成功していくのです。螢と異なり、母親である「螢」と水は他者と対峙することがとうとう叶いませんでした。ここが運命の分かれ道であり、最終的な大展開につながっていくのです。
その大展開をここで紹介するのは止めておきます。いろいろと「考えさせる」終わり方をしていますので、ぜひご自身で解釈していただければと思います。
それにしても、同質性の高い居心地の良さからの卒業に向けて他者と格闘する螢の姿は、今日の私たちにこそ必要なものであると思えてなりません。以前「おそ松さん」の回でもご紹介したように、現在の日本社会は人間関係の閉鎖・内輪化と呼べる状況に直面しています。その背景には、雇用の流動化や不景気などを基底に、所属や肩書きに代わって個人が持つコミュニケーション能力がその人のポジションを決定するようになったという社会状況があります。
本作が連載された1980年代の後半、日本はまだバブル経済の影響下にありました。螢のナイーブさと前向きさ、力強さは経済的好機にあった当時の世相を反映したもののようにも感じられます。そのさなかに「虚無の美」と向き合っただけでなく、「紐解かれ語り直されるべき現代性」を備えた作品を紡ぎ出した吉野先生の才能と本作の素晴らしさにただただ感動するばかりです。最後になりますが、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
■永田夏来/さにはに先生。ニックネームの由来は"SUNNYFUNNY"(パラッパラッパーというゲームのキャラクター)→"さにふぁに"→"さにはに"です。1973年長崎県生まれ。2004年に早稲田大学にて博士(人間科学)を取得後、現職は兵庫教育大学大学院学校教育研究科助教。専門は家族社会学ですが、インターネットや音楽、漫画などのサブカルチャーにも関心を持っています。
受け付け終了から約3年……「新ジュニア情報局(仮)」がようやくオープンもファンは早くも混乱
出演番組や番組協力、コンサート情報の告知など、ジャニーズファンがアイドルを応援する中でもっとも頼りにしているのがファンクラブの存在。CDデビューを果たした、いわゆる“デビュー組”の多くのグループには単独のファンクラブがあり、メールなどで細かに情報を配信している。一方、ジャニーズJr.の情報を得られるファンクラブのような存在が「ジャニーズJr.情報局」。会員番号や会員証を発行するほか、コンサートや舞台のチケット、番組協力の申し込みを受け付けていた。
しかし、2013年4月に、突如Jr.情報局側が「入会・継続の受け付けを終了する」と、会員へのメールやジャニーズ公式サイト「Johnny's net」で告知。理由としてリニューアルが挙げられていたが、その後は音沙汰もなく、ファンの不満が高まっていた。
メール情報サービス「ジャニーズJr.情報メール」で出演情報告知やコンサート申し込みなどの救済処置はされていたものの、番組協力の申し込みは不可。また、タッキー&翼の滝沢秀明がプロデューサーを務めてジャニーズJr.の魅力を紹介する動画サイト「滝CHANnel」は16年2月にサービス終了、とJr.人気に反して、ファンを囲む環境は厳しくなっていた。
それが、6月1日に急遽、「Johnny's net」に「新ジュニア情報局(仮)」の登録方法が掲載された。「Johnny's net」によると、「ジャニーズJr.情報局が『新ジュニア情報局(仮)』としてリニューアルします!! 11月のリニューアルにむけ、現在、プレオープンとして新規会員登録の事前受付を開始いたしました」とのこと。「(仮)」という不安な名称は、あくまでプレオープン段階のものと思われる。
受け付け終了から約3年……「新ジュニア情報局(仮)」がようやくオープンもファンは早くも混乱
出演番組や番組協力、コンサート情報の告知など、ジャニーズファンがアイドルを応援する中でもっとも頼りにしているのがファンクラブの存在。CDデビューを果たした、いわゆる“デビュー組”の多くのグループには単独のファンクラブがあり、メールなどで細かに情報を配信している。一方、ジャニーズJr.の情報を得られるファンクラブのような存在が「ジャニーズJr.情報局」。会員番号や会員証を発行するほか、コンサートや舞台のチケット、番組協力の申し込みを受け付けていた。
しかし、2013年4月に、突如Jr.情報局側が「入会・継続の受け付けを終了する」と、会員へのメールやジャニーズ公式サイト「Johnny's net」で告知。理由としてリニューアルが挙げられていたが、その後は音沙汰もなく、ファンの不満が高まっていた。
メール情報サービス「ジャニーズJr.情報メール」で出演情報告知やコンサート申し込みなどの救済処置はされていたものの、番組協力の申し込みは不可。また、タッキー&翼の滝沢秀明がプロデューサーを務めてジャニーズJr.の魅力を紹介する動画サイト「滝CHANnel」は16年2月にサービス終了、とJr.人気に反して、ファンを囲む環境は厳しくなっていた。
それが、6月1日に急遽、「Johnny's net」に「新ジュニア情報局(仮)」の登録方法が掲載された。「Johnny's net」によると、「ジャニーズJr.情報局が『新ジュニア情報局(仮)』としてリニューアルします!! 11月のリニューアルにむけ、現在、プレオープンとして新規会員登録の事前受付を開始いたしました」とのこと。「(仮)」という不安な名称は、あくまでプレオープン段階のものと思われる。

