Gカップグラドル園都の巨乳が暴れまくり!「はっきり言って盛れてます!」

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 Gカップ新人グラドルの園都(その みやこ)が、初のイメージDVD『みやこの園』(イーネット・フロンティア)を発売し、東京・秋葉原で記念のイベントを行った。  1月にタイのプーケットで撮影したという本作。タイは初めてで、本場のタイ料理をたっぷり楽しんだという。気になる内容について聞いてみた。 ――内容を教えてください。 「彼と1泊2日のラブラブ海外デート、みたいな内容です。最初はすごく緊張したんですが、だんだんノリノリになって、楽しくなっちゃいました。小さい水着で激しく動いて、危ないシーンが多かったです。全体的には、ビーチでホテルでお風呂でと、ラブラブなシーンが多いです!」
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――お気に入りのシーンは? 「白の小さなビキニの上からワンピースを羽織っているシーンは、すごくギリギリで、はっきり言って盛れてます! メイドでダンスするシーンは、激しく動いています(笑)。その場でアドリブで踊ったので、ぜひ見てください!」 ――セクシーだったシーンは? 「夕暮れのビーチで撮影したシーンは、レースのスケスケのワンピースが夕景を通して、身体のラインがそのまま出てて、すごくセクシーです!」  小さな水着で激しく動くシーンも多く、胸が暴れて危なかったという。小柄で明るくてよくしゃべるGカップ。グラビアアイドルの王道をゆく大型新人だ。 園 都 オフィシャルブログhttp://ameblo.jp/sono-miyako/

11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在

<p> 昨年、神戸児童連続殺傷事件の元少年Aが出版した手記は大きな話題になった。その多くが手記の出版を批判するもので、元少年Aはその後週刊誌に直撃され再び姿を消した。</p>

フェミニズムは男への復讐が最終目的ではないと教えてくれる映画『駆込み女と駆出し男』

大泉洋と戸田恵梨香主演の『駆込み女と駆出し男』。公開時に見たときは、フェミニズムを感じさせるラブ・ストーリーだと思っていました。ところが、今回見直して見たら、印象ががらっと変わりました。

開始直後に流れる、縄で縛られてどこかへ連れて行かれる大勢の女義太夫たちのカット。彼女たちは路上で芸を披露して風紀を乱したとして、さらし首にされることになっていたのでした。女義太夫たちは、この物語に直接的な関係を持つ人たちではありません。それでも冒頭にこのカットを入れてくるということは、江戸時代、そしてこの映画を見る現代の女性たちには、理不尽に縛られている部分があるいうのを示唆するものだと考えていいでしょう。

この映画の舞台は1841年の江戸時代です。当時は、男性から離縁をつきつけることができても、女性からは離縁を申し出ることができませんでした。そこで、離縁をしたい女性たちは、幕府公認の「駆け込み寺」であった鎌倉の東慶寺に向かいました。東慶寺への駆け込みに成功すると、女性たちは御用宿である柏屋で聞き取り調査を受けます。そこで離縁するに値する事情があると判断されれば、夫と離婚の交渉が始まり、それでもまとまらない場合は、東慶寺で二年間を過ごし、離婚を成立させるのでした。

鉄屋の女将のじょご(戸田恵梨香)は、夫の代わりに鍛冶場を取り仕切る働き者で、日々、炉の火を管理しているため顔に火ぶくれの跡がありました。ある日、夫の浮気や放蕩に耐えられなくなったじょごは、「お暇が欲しい」と切り出します。働くじょごのことを、「男を顎で使うのがうれしくてたまらねーんだこの火ぶくれは」となじる夫でしたが、同時に「はま鉄屋にはお前の技術が必要」と引き止めます。それでも、じょごの決意は固まっていました。

じょごは決して男を顎で使うタイプの女性ではありません。むしろ腕の良い職人として、鍛冶場の男性たちにも信頼されていました。じょごが働かないと自分は食べられないくせに、女が働くことを女だてらにと非難する夫の様子からも、夫の性質がにじんでいます。酷い仕打ちを受け、駆け込み寺に向かうか悩んでいたじょごが、ご先祖様の霊前で語る「ええ鉄は見分けがつく、でも男は見分けはつかねえ」という言葉が染みます。

◎フェミニズム映画「駆込み女と駆出し男」

じょごは、駆け込みに向かう道中で、同じく駆け込みに向かう途中だったお吟(満島ひかり)と出会います。足をくじいたお吟を荷車に載せるときも、無駄な動きがなく、お吟から「何から何まで手際がいいねえ」と言われるじょご。彼女が何事においても手順が見えていて、何をすべきかの判断のできる聡明な女性だとわかります。

ところが、駆け込みが成就して柏屋での聞き取りが始まった途端、じょごは、おどおどしてうまくしゃべれなくなってしまいます。また、柏屋に居候中の医師見習いで戯作者見習いの信次郎(大泉洋)が、顔の火ぶくれを治療しようと薬を塗ろうとすると、おびえて怒り出す始末。その光景は、怯えた猫が「シャー!」と威嚇するようにも見えました。

そんなじょごですが、あるきっかけで、元々持っている聡明さを発揮するシーンがあります。信次郎が江戸の風呂屋で曲亭馬琴に遭遇したときの話を聞いたじょごは、自分と馬琴、そして祖父との縁について語り始めます。最初は、思いついたことを思いついたままに話しているだけで、うまく伝えるということのできないじょごでしたが、次第に活き活きと当時を思い出し語るようになります。その話は、戯作者を目指す信次郎に迫るほどの達者さで、それを聞いた柏屋の主・源兵衛(樹木希林)は、「話を全部、心で覚えているのね」と感心するのです。

このシーンで、信次郎はじょごの話に興味を持ちすぎて、矢継ぎ早に質問しようとするのですが、源兵衛や柏屋で働くお勝(キムラ緑子)は、じょごの話をかみ砕き、話しやすいように引き出していきます。そのことによって、じょごの気持ちがほぐれ、本来持っていた聡明さが開花します。抑圧されてきた女性の中には、言葉を発することに恐怖心を持つ人もいます。「何を言ってるかわからない」「もっとちゃんとしゃべれ」と煽るのではなく、「あなたの話に興味がり、それを理解したい」という態度をとれば、本来の能力を発揮するということがあるのだなと気づかされます。

聞き取りが終わり、東慶寺に入ってからのじょごは、ますます「仕事」において能力を発揮します。病気になったお吟の病状を克明に記し、薬草の知識を積極的に身につけ、薬を煎じる技術も上達していきます。環境のせいで、学ぶことができなかったり、その能力を認められなかった人が、少しずつ学び、知識を身につけていく姿にはぐっときてしまいます。

映画の後半になると、じょごは、強くて頼もしい女性になっています。それは、演出からも感じられます。一般的に、男性の背中が大きいという表現は褒め言葉として使われますが、女性の背中が頼もしいという表現は、あまり褒め言葉にはなりません。ところが、じょごの背中は小さいけれど頼もしい、そう思える瞬間があるのです。その背中を信次郎はただ見ていました。

じょごは、彼女自身の手で、女たちの悲しみを断ち切ります。その断ち切り方をあからさまに描けば、復讐の物語として観客にカタルシスを与えることもできたでしょう。でもこの映画では、その復讐の部分がことさら克明ではなかったために、一度映画を見ただけでは、その意味に気づかないくらいでした。ところが、二度、三度と見ていくと、この映画に書かれているじょごや女性たちの怒りは軽いものではないことがわかるのです。

この作品は、一見しただけでは気付きにくいけれど、はっきりと女性たちの痛みと怒りを描いたフェミニズム映画です。そして、この映画のフェミニズムは、単に男に復讐することが最終目的ではないし、人を好きになる気持ちも否定していない。そして何より、女には復讐をした先の人生のほうがもっと大切なんだということも教えてくれるのです。

◎信次郎はなぜ偽善者に見えないのか

そんな映画の中で、大泉洋演じる信次郎の立ち位置は、本来、難しいものかもしれません。女性たちに寄り添っている姿が偽善的に見えたり、あるいは実は自分を肯定するためであるように見えたりしてしまうこともあるからです。フェミニズムに寄り添う男性がときに偽善的に取られるのと同じでしょう。

それでも、信次郎が受け入れられるのは、じょごを含めた女性たちを自らが救うという上から目線にないところにあるでしょう。また信次郎は「女はこうであれ」という思い込みでは見ていません。じょごの火ぶくれを治そうとするのも、「女は顔に傷があってはいけない」という理由からではなく、じょごの夫が、自身の能力のなさからじょごに嫉妬して、示談の際に彼女の弱みである顔の火ぶくれを責めるだろうと考え、火ぶくれを治してから夫と談判するほうが有利になると判断したのです。信次郎の話を聞いて、半ば自暴自棄だったじょごの顔が、ぱっと明るくなったのは印象的でした。

また、信次郎は見習い医者だけでなく、戯作者見習いでもあります。そして、戯作者(フィクションを描く人)であるということは、自分のついた嘘が良い嘘でないといけないし、物語というものの可能性を信じていないといけないと考えているように見えます(それは前回の『ヘイトフル・エイト』のテーマにもつながります)。言葉の可能性を信じ、そのことで自分と人を救いたいという意味で一本筋が通っているからこそ、偽善者には見えなかったのかもしれません。それは、柏屋に乗り込んできたヤクザの親分(橋本じゅん)を追い払う場面での見事な啖呵が実は作り話であったり、東慶寺で想像妊娠をしたおゆき(神野三鈴)を巧みな話術と機転で治療し、それを見ていた東慶寺の駆込み女たち全員に「つらい立場にあるのは自分のせいだと思い込んで、自分を罰することはない」と納得させる場面からもわかります。

信次郎は決して完璧な男というわけではありません。江戸を怖がるヘタレだし、子供じみた部分もあり、源兵衛やお勝からも突っ込まれるときもある。でも、信次郎が信頼のおける人物であるということは、最初から描かれていました。冒頭の女義太夫が縛られているシーンで、信次郎はその光景に憤りを感じ、「楽しいことは全部悪いことかい?」と野次り、江戸の町を追い出され、駆け込み寺に身を置くことになっていたのでした。監督は、時代設定をわざわざ天保の改革にあわせたそうです。このファーストカットを何度目かに見て初めて、江戸の女性たちの置かれた状況と、天保の世の中で、息苦しさを感じている信次郎がシンパシーを感じる関係性だとわかったのです。

フェミニズムは男への復讐が最終目的ではないと教えてくれる映画『駆込み女と駆出し男』

大泉洋と戸田恵梨香主演の『駆込み女と駆出し男』。公開時に見たときは、フェミニズムを感じさせるラブ・ストーリーだと思っていました。ところが、今回見直して見たら、印象ががらっと変わりました。

開始直後に流れる、縄で縛られてどこかへ連れて行かれる大勢の女義太夫たちのカット。彼女たちは路上で芸を披露して風紀を乱したとして、さらし首にされることになっていたのでした。女義太夫たちは、この物語に直接的な関係を持つ人たちではありません。それでも冒頭にこのカットを入れてくるということは、江戸時代、そしてこの映画を見る現代の女性たちには、理不尽に縛られている部分があるいうのを示唆するものだと考えていいでしょう。

この映画の舞台は1841年の江戸時代です。当時は、男性から離縁をつきつけることができても、女性からは離縁を申し出ることができませんでした。そこで、離縁をしたい女性たちは、幕府公認の「駆け込み寺」であった鎌倉の東慶寺に向かいました。東慶寺への駆け込みに成功すると、女性たちは御用宿である柏屋で聞き取り調査を受けます。そこで離縁するに値する事情があると判断されれば、夫と離婚の交渉が始まり、それでもまとまらない場合は、東慶寺で二年間を過ごし、離婚を成立させるのでした。

鉄屋の女将のじょご(戸田恵梨香)は、夫の代わりに鍛冶場を取り仕切る働き者で、日々、炉の火を管理しているため顔に火ぶくれの跡がありました。ある日、夫の浮気や放蕩に耐えられなくなったじょごは、「お暇が欲しい」と切り出します。働くじょごのことを、「男を顎で使うのがうれしくてたまらねーんだこの火ぶくれは」となじる夫でしたが、同時に「はま鉄屋にはお前の技術が必要」と引き止めます。それでも、じょごの決意は固まっていました。

じょごは決して男を顎で使うタイプの女性ではありません。むしろ腕の良い職人として、鍛冶場の男性たちにも信頼されていました。じょごが働かないと自分は食べられないくせに、女が働くことを女だてらにと非難する夫の様子からも、夫の性質がにじんでいます。酷い仕打ちを受け、駆け込み寺に向かうか悩んでいたじょごが、ご先祖様の霊前で語る「ええ鉄は見分けがつく、でも男は見分けはつかねえ」という言葉が染みます。

◎フェミニズム映画「駆込み女と駆出し男」

じょごは、駆け込みに向かう道中で、同じく駆け込みに向かう途中だったお吟(満島ひかり)と出会います。足をくじいたお吟を荷車に載せるときも、無駄な動きがなく、お吟から「何から何まで手際がいいねえ」と言われるじょご。彼女が何事においても手順が見えていて、何をすべきかの判断のできる聡明な女性だとわかります。

ところが、駆け込みが成就して柏屋での聞き取りが始まった途端、じょごは、おどおどしてうまくしゃべれなくなってしまいます。また、柏屋に居候中の医師見習いで戯作者見習いの信次郎(大泉洋)が、顔の火ぶくれを治療しようと薬を塗ろうとすると、おびえて怒り出す始末。その光景は、怯えた猫が「シャー!」と威嚇するようにも見えました。

そんなじょごですが、あるきっかけで、元々持っている聡明さを発揮するシーンがあります。信次郎が江戸の風呂屋で曲亭馬琴に遭遇したときの話を聞いたじょごは、自分と馬琴、そして祖父との縁について語り始めます。最初は、思いついたことを思いついたままに話しているだけで、うまく伝えるということのできないじょごでしたが、次第に活き活きと当時を思い出し語るようになります。その話は、戯作者を目指す信次郎に迫るほどの達者さで、それを聞いた柏屋の主・源兵衛(樹木希林)は、「話を全部、心で覚えているのね」と感心するのです。

このシーンで、信次郎はじょごの話に興味を持ちすぎて、矢継ぎ早に質問しようとするのですが、源兵衛や柏屋で働くお勝(キムラ緑子)は、じょごの話をかみ砕き、話しやすいように引き出していきます。そのことによって、じょごの気持ちがほぐれ、本来持っていた聡明さが開花します。抑圧されてきた女性の中には、言葉を発することに恐怖心を持つ人もいます。「何を言ってるかわからない」「もっとちゃんとしゃべれ」と煽るのではなく、「あなたの話に興味がり、それを理解したい」という態度をとれば、本来の能力を発揮するということがあるのだなと気づかされます。

聞き取りが終わり、東慶寺に入ってからのじょごは、ますます「仕事」において能力を発揮します。病気になったお吟の病状を克明に記し、薬草の知識を積極的に身につけ、薬を煎じる技術も上達していきます。環境のせいで、学ぶことができなかったり、その能力を認められなかった人が、少しずつ学び、知識を身につけていく姿にはぐっときてしまいます。

映画の後半になると、じょごは、強くて頼もしい女性になっています。それは、演出からも感じられます。一般的に、男性の背中が大きいという表現は褒め言葉として使われますが、女性の背中が頼もしいという表現は、あまり褒め言葉にはなりません。ところが、じょごの背中は小さいけれど頼もしい、そう思える瞬間があるのです。その背中を信次郎はただ見ていました。

じょごは、彼女自身の手で、女たちの悲しみを断ち切ります。その断ち切り方をあからさまに描けば、復讐の物語として観客にカタルシスを与えることもできたでしょう。でもこの映画では、その復讐の部分がことさら克明ではなかったために、一度映画を見ただけでは、その意味に気づかないくらいでした。ところが、二度、三度と見ていくと、この映画に書かれているじょごや女性たちの怒りは軽いものではないことがわかるのです。

この作品は、一見しただけでは気付きにくいけれど、はっきりと女性たちの痛みと怒りを描いたフェミニズム映画です。そして、この映画のフェミニズムは、単に男に復讐することが最終目的ではないし、人を好きになる気持ちも否定していない。そして何より、女には復讐をした先の人生のほうがもっと大切なんだということも教えてくれるのです。

◎信次郎はなぜ偽善者に見えないのか

そんな映画の中で、大泉洋演じる信次郎の立ち位置は、本来、難しいものかもしれません。女性たちに寄り添っている姿が偽善的に見えたり、あるいは実は自分を肯定するためであるように見えたりしてしまうこともあるからです。フェミニズムに寄り添う男性がときに偽善的に取られるのと同じでしょう。

それでも、信次郎が受け入れられるのは、じょごを含めた女性たちを自らが救うという上から目線にないところにあるでしょう。また信次郎は「女はこうであれ」という思い込みでは見ていません。じょごの火ぶくれを治そうとするのも、「女は顔に傷があってはいけない」という理由からではなく、じょごの夫が、自身の能力のなさからじょごに嫉妬して、示談の際に彼女の弱みである顔の火ぶくれを責めるだろうと考え、火ぶくれを治してから夫と談判するほうが有利になると判断したのです。信次郎の話を聞いて、半ば自暴自棄だったじょごの顔が、ぱっと明るくなったのは印象的でした。

また、信次郎は見習い医者だけでなく、戯作者見習いでもあります。そして、戯作者(フィクションを描く人)であるということは、自分のついた嘘が良い嘘でないといけないし、物語というものの可能性を信じていないといけないと考えているように見えます(それは前回の『ヘイトフル・エイト』のテーマにもつながります)。言葉の可能性を信じ、そのことで自分と人を救いたいという意味で一本筋が通っているからこそ、偽善者には見えなかったのかもしれません。それは、柏屋に乗り込んできたヤクザの親分(橋本じゅん)を追い払う場面での見事な啖呵が実は作り話であったり、東慶寺で想像妊娠をしたおゆき(神野三鈴)を巧みな話術と機転で治療し、それを見ていた東慶寺の駆込み女たち全員に「つらい立場にあるのは自分のせいだと思い込んで、自分を罰することはない」と納得させる場面からもわかります。

信次郎は決して完璧な男というわけではありません。江戸を怖がるヘタレだし、子供じみた部分もあり、源兵衛やお勝からも突っ込まれるときもある。でも、信次郎が信頼のおける人物であるということは、最初から描かれていました。冒頭の女義太夫が縛られているシーンで、信次郎はその光景に憤りを感じ、「楽しいことは全部悪いことかい?」と野次り、江戸の町を追い出され、駆け込み寺に身を置くことになっていたのでした。監督は、時代設定をわざわざ天保の改革にあわせたそうです。このファーストカットを何度目かに見て初めて、江戸の女性たちの置かれた状況と、天保の世の中で、息苦しさを感じている信次郎がシンパシーを感じる関係性だとわかったのです。

不倫相手との“交換日記ブログ”が奥さんにバレた――ネットに翻弄された主婦が欲しかったモノ

<p> 携帯電話やSNSの普及により、不倫率は急激に増加したように感じられる。実際、これまで筆者が婚外恋愛経験者にインタビューをしてきた中で、出会いや連絡方法で必ずといっていいほど話題に上るのが「ネット」や「SNS」というキーワードだ。婚外恋愛をするにあたって、家庭内で秘密の会話をするには、無言でも相手にメッセージを送ることが可能なネットは切っても切り離せない便利なツールである。</p>

「J-GENE」5月号は、赤西仁&田中聖を含めたKAT-TUNの歴史を振り返る!

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「J-GENERATION」2016年5月号(鹿砦社)

 ジャニーズ専門グラビア誌「J-GENERATION」(鹿砦社)、2016年5月号の巻頭特集は「ARASHI スマイルコレクション」で、嵐メンバー5人の爽やかな笑顔をまとめた特集になっている。メンバーごとに見開きページで“スマイルフォト”をお届け。メンバーのキュートな笑顔に癒やされることはもちろん、嵐の笑顔を参考に性格や人付き合いの傾向を占う、「ワンポイントスマイル診断」も付いている。自分がどのメンバーに近いか、比較しながら楽しむことができそうだ。

 次にご紹介するのは、「KAT-TUNとhyphenの絆は永遠!」という特集。3月末でメンバーの田口淳之介が脱退し、KAT-TUNは亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人体制に。その“新生KAT-TUN”も5月1日に行われる東京ドームでのコンサートをもって充電期間に入り、グループ活動は一時休止することが決定している。今回はそんなKAT-TUNの歴史を懐かしい写真とともに振り返っているもので、グループを去ったばかりの田口だけでなく、元メンバー・赤西仁と田中聖のページも。今なお人気の“仁亀”2ショットや、亀梨のソロページにある“マメチク”(豆のような乳首)カットなど、お宝写真が味わい深い。

韓国で昆虫食がブーム前夜? “究極のB級グルメ”ポンデギをしのぐ昆虫料理は現れるのか

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 韓国で昆虫レストラン第1号店がオープンし、話題になっている。レストランの名前は「パピヨンのキッチン」。年配の映画ファンなら、スティーブ・マックイーンの主演の名作『パピヨン』の主人公が、ゴキブリを捕まえて食するシーンが真っ先に浮かぶであろう絶妙なネーミングセンスだが、その奇抜さもあって、大盛況のようだ。  メニューは、パン、パスタ、アフターヌーンティーセットなど、普通のレストランとさほど変わらない品ぞろえだが、もちろん、食材には昆虫が使われている。バッタ、コオロギ、セミの幼虫など、韓国で食用が許可されている昆虫7種類だ。  気になる料理の見た目は、意外にも普通の料理と変わらない。昆虫を粉末・液体化して調理するため、例えばイナゴを食べたときのような昆虫独特のサクサクとした歯ごたえはまったくないそうだ。  利用客によると「思ったよりも香ばしくて、おいしかった」など、かなり好評だ。ネットでも「さすがに抵抗感はあるけど、見た目が普通なら一度は試してみたい」「ついに昆虫か。確かに栄養はあるかもな。味が気になる」と、興味津々な反応だ。  実は、これまで韓国に昆虫食がまったくなかったわけではない。日本人でも知る人ぞ知る、“ポンデギ”という食べ物があるのだ。これは、カイコのサナギをゆでたり蒸したりしたもので、遊園地などでも普通に売っている。韓国人なら誰もが一度は口にしたことがある、昔ながらの定番おやつでもある。  韓国では今、ポンデギを超える昆虫食の実用化を目指して、研究開発が活発に行われている。すでに昆虫プリン、昆虫クッキー、昆虫羊かんなどの食品を製造している中小企業もあり、大手食品メーカーも昆虫食事業に本格的に取りかかるという。  今夏には昆虫料理フェスティバルも開催予定で、昆虫食に対する国民の抵抗心を取り除く狙いのようだ。日本でも公開された、ポン・ジュノ監督の映画『スノーピアサー』で“ゴキブリようかん”が登場したことがあったが、まさにそれが現実になったわけだ。  迫り来る食糧危機から人類を救うには昆虫食しかないといわれる中、韓国の専門家たちも「もうじき韓国でも、昆虫食が大衆化されるはず」と口をそろえている。しかし、韓国の飽きっぽい国民性を考えると、昆虫料理は物珍しさばかりが先行し、一時的なブームで終わりそうな感も否めない。昆虫キムチが登場するまでになったら、話は別だが……。 (文=李ハナ)

「吃音症はメガネをかけているのと同じ」“どもり”の漫画家が語るコンプレックス克服法

<p> 言葉がうまく出てこないコミュニケーション障害、吃音症。いわゆる、「どもり」は昔から存在している障害ですが、認知度はそう高くない印象です。漫画家の安藤たかゆきさんも、吃音症に悩まされた1人。現在はニコニコ静画にて、吃音症をテーマにしたエッセイ漫画『<u><a href="http://seiga.nicovideo.jp/comic/20214?track=verticalwatch_epinfo1" target="_blank">どもる私がコンプレックスを解消できるその日まで</a></u>』をアップしています。今回は、安藤さんに吃音症の苦難や、社会からの偏見について聞きました。</p>

「高良健吾は華がない」「香取慎吾は地味」1月クールドラマ「イマイチだった主演男優ランキング」

<p> 脚本が悪かったのか、役者が悪かったのか――視聴率が散々だった冬ドラマ。4月からの新ドラマスタートを前に、今回は「1月クールドラマ、パッとしなかった主演男優」を男女100名に調査した。(Sagooooワークス調べ/調査地域:全国/調査対象:男女年齢不問/調査期間:2016年3月21日~2016年3月25日/有効回答数:100サンプル)。</p>

朝のラッシュアワーに裸で街を闊歩! ソウル・変態男のトンデモ動機「新しい自分を…」

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カンナムの裸男
 昔から春になると、変わった人が増えてくるという。事実、お隣・韓国でも春の陽気に影響されたのか、とある変人が起こした奇行がちょっとした騒動になっている。  3月30日午前7時ごろ、通学や通勤でにぎわうソウル・江南(カンナム)駅周辺道路に激震が走った。なんと、朝の混雑する道路を、一糸まとわぬ姿で闊歩する男が現れたのだ。  突然の奇行に走ったのは、46歳の男。男は、通報を受けた警察が到着するまでの約15分間、街中を我が物顔で歩き続けたのだった。  普通、こうした事件が起こればアルコールや精神疾患を疑うところなのだが、取り調べで明らかになったのは、予想の斜め上をいく理由だった。 「私の変化した姿を社会に見せたくて」  なんと男は、酒や病気ではなく、完全に自分の意思で裸をさらしたのだ。  男の“ある意味”堂々とした発言は、韓国ネット民の笑いのツボを見事にヒットし「変化した姿って……」「見せる場所が違う(笑)」などの書き込みが相次いだ。  こうしたまだ笑える事件であればいいのだが、周辺に迷惑をかける不審者も当然のように存在する。 “捕まらない自慰男”が、それだ。今年1月からソウルでたびたび目撃されている男なのだが、男は昼夜を問わず下半身を露出して、通りゆく女性たちを見つめながら自慰行為にふけっているという。    不審者が出没する地域は、大学生たちのワンルームが密集する学生街のような場所。未成年も多く住む地域だけに、周辺住人たちの不安感も大きい。同様の目撃談が相次いでいることから、警察は同一犯による犯行として捜索を続けている。が、犯人は監視カメラのある場所には姿を決して姿を見せず、さらに巧妙に出現スポットを変更しているため、いまだ逮捕にまで至っていない。  新たな始まりを予感させる春。だからといって、裸体を露出することで新しい世界を切り開くのは違うと思うが……。