「ベッキーに結婚願望なんてなかった」!? 関係者が明かす不倫常習犯という素顔

 ベッキー(31)が休業を発表したことで、年明けから続いたケズの極み乙女。川谷絵音(27)との不倫騒動は終息しつつある。一連の報道に対して、元タレントの島田紳助(59)は「すべてを失っていいと思って人を好きになるって、すごいやん」「ロクに恋もさせてもらえなかった31歳のベッキーが、人生かけた恋を、人生かけて恋したことない人間には、理解してもらえないよね」「僕は全てを掛けたベッキーが素敵に思えます」とコメントした。しかし、この発言に待ったの声があがった。 「ベッキーが多くの既婚男性と不倫してきたのは、業界内では有名な話です。『ロクに恋もさせてもらえなかった』なんてとんでもないですね。中でも女癖の悪いJリーガー・E氏とはかなり昔から関係が続いていました。あとはお笑い芸人・M氏やH氏。幼い頃から芸能界で活躍した人の典型的パターンで、世間知らずなんですよ。  さらに彼女は、以前から『結婚願望がない』と再三言っていたんです。彼女にとっては、結婚しなくて良い既婚者がちょうどよかったのでしょう。『人生をかけて恋をする』なんて言葉は、彼女がこれまでしてきた行為とはかけ離れています。とにかく、今回の一件でベッキー側のLINEが漏れたわけじゃないことで、胸を撫で下ろした男はいっぱいいますよ」(芸能関係者)  先月21日発売の「週刊文春」(文藝春秋)にて公開されたLINEによると、以前ベッキーは、川谷に離婚届の書き方が掲載されたサイトURLを「練習しといてね」と送付している。結婚願望がなく不倫癖のある彼女が離婚を促すものだろうか? しかし〈別れさせるのが好き〉〈既婚者に手を出し、奥さんと別れたらポイ〉などは、不倫を繰り返す人によく見られる傾向でもある。  9日発売の「女性自身」(光文社)によると、川谷の所属事務所関係者は、テレビ局を訪ねて「彼は離婚するつもりはありません」と言い、別の芸能関係者は、川谷は妻から離婚を切り出されているにも関わらず、ベッキーとは別れて夫婦関係を修復したいと言っているとのこと。これが事実だとしたら、奥さんを選んだ川谷の決断は賢明だっただろう。もちろん夫婦関係を修復できるとは限らないが……。 (夏木バリ)

ジブリ高畑勲監督、世界で評価される理由は? 宮崎駿監督との比較から作家性を探る

【リアルサウンドより】  「彼の通ったあとは、ぺんぺん草も生えないですからね」   当時、『おもひでぽろぽろ』のプロデューサーを務めていた宮崎駿が、苦笑いしながらそう表現したのは、同作の監督を務めた、日本アニメーション界の重鎮、高畑勲のことである。  完璧主義者で理想の高い高畑監督の異常なこだわりは、用意された時間と労働力を、限界を超えて費し、スタジオジブリをはじめとする製作環境の屋台骨を軋ませながら、今までに規格外の名作を生み出してきた。最近になって、そのジブリも、高畑・宮崎両監督が、長編作品からの引退を示唆すると、当時製作中だった『思い出のマーニー』を最後に、早々に作品の製作がストップしてしまった。それほどまでに、このスタジオは、「両監督のためのもの」であったという事実が分かる出来事だ。しかし、それも無理はないと思わせるのは、ジブリのみならず、現在の日本の若手・中堅アニメーション監督と比べても、その演出の力量に、あまりに歴然とした差があると感じさせるからだ。  『かぐや姫の物語』では、惜しくもアカデミー賞の受賞を逃した高畑勲監督だが、この度「アニメ界のアカデミー賞」とも呼ばれるアニー賞で、アニメ界の功労者に贈られる「ウィンザー・マッケイ賞」を受賞した。過去にウォルト・ディズニーやフレデリック・バック、そして川本喜八郎、手塚治虫、宮崎駿、大友克洋など日本人クリエイターにも同賞が贈られているが、高畑監督の作品が世界に与えた功績を思うと、むしろ受賞は遅すぎるといえるかもしれない。今回は、世界が評価する高畑作品のすごさはどこにあるのか、宮崎駿監督との比較も交えながら考えていきたい。  東映動画時代、監督として頭角を現し始めた高畑勲は、右腕として宮崎駿を見出し、その後数十年、お互いの作品に協力し、また競い合いながら関係を続けてきた。それまでミリタリーや、東映動画『白蛇伝』などのアニメ美少女に夢中だった宮崎が、東大仏文科出身である高畑の、インテリジェンスや思想、文化的な豊かさや高尚さに傾倒し、憧れていったのは想像に難くない。宮崎は、高畑監督のために身を粉にして作品のレイアウトなどを担当し、作品の質を大幅に向上させた。宮崎は後に、「青春を全て高畑に捧げた」と語る。  主に日本のTVアニメで使われた、数枚の動画を繰り返すことで簡略化を図る「リミテッド・アニメーション」に対抗し、本来のリッチな動きに立ち戻る「フル・アニメーション」にこだわることで、繰り返しの鑑賞にも堪える、高い質を持った作品が、高畑らを中心とした、熱意を持つ優秀なスタッフによって作られていく。だが宮崎駿は、高畑監督の静的な作風に次第に不満を感じ、冒険娯楽活劇を自分で監督することに熱意を燃やし、その後、絶大な人気を集めていく。また高畑も、「それとは違うものを作りたい、作らざるを得ない」と、さらに自分の作風を深化させ、同じスタジオの中にいながら、二人の道は分かれてゆくことになる。  自分で絵コンテを描き、自らが陣頭に立つ「闘将」である宮崎駿と比べ、高畑勲は、自分で作画をしない。彼は、「ディズニーは、すでに無声映画時代から絵を描いていません。あとの半生は、アンサンブルを作り出すことに徹していました」と言っている。ここから、「日本のディズニー」の役割を目指し、自分が日本アニメーションの道を切り拓こうという、高畑監督の強い意志を感じるのである。その達成のためには、独自のアニメ表現を模索することが何より必要だった。  そのひとつが、「日常表現」へのこだわりだ。宮崎駿が、高畑監督の最高傑作だと言う、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」では、地味な生活の描写を、リアリティを持って丁寧に描きあげることで、「生活を通して人間の本質や美を描き得る」ことを証明した。その後、プロデューサーとなった宮崎の資産を投じさせて撮った実写ドキュメンタリー『柳川堀割物語』は、日本に残る、古い水路や水門の仕組みや歴史、そこでの生活について執拗に追った、ただただ研究的な作品である。こんな作品を作ってしまう、病的なまでに他の追随を許さない「生活への探究心」が、凄まじい「静的な熱」を、以後の演出作品にも与えていく。  もうひとつは、アニメーションによる映像表現への実験的取り組みである。代表的なのは、『ホーホケキョ となりの山田くん』で試みられた、従来のペッタリした色の動画とは異なった、「紙に描いた絵が、塗った色がそのまま動き出す」ように見えるという、画期的な表現方法だ。それは監督が研究する、カナダのアニメーション作家フレデリック・バックの作品をはじめ、ロシアや中国のアニメーションの技術を発展させた、非ディズニー的な映像へのアプローチでもある。世界的にCGによる実写的な3D表現が主流になりつつあるなかで、CG技術を使い、手描きの味を活かすという独自性と意義は、日本よりも、むしろ海外で評価され、「山田くん」は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に永久収蔵されることにもなった。  現時点で最後の作品となる『かぐや姫の物語』は、そのふたつの方法論と美学を極限まで突き詰める、高畑勲監督の代表作といえる傑作になった。さらに、この作品は、理解しづらい「竹取物語」の内容を、仏教哲学や、社会における女性の苦難などを中心に、わずかに改変することによって、より普遍的で、現代に必要とされる作品に生まれ変らせている。原作のテーマを追求し、考え抜くことで、さらに深いところで作品の本質をとらえる。世界の名作や宮沢賢治文学、そして古典に至るまで、高畑監督がアニメ化して新たな生命を吹き込むことができるのは、他を寄せ付けない知性と教養、そして高い志あってこそである。同作の西村プロデューサーは、「高畑監督は、雑談レベルの日常会話ですら高尚すぎて、まともに付いていける人が誰もいないぐらい、ジブリの中でも特別な存在でした」と語っている。  高畑監督作の描くヒロイン達、ヒルダ、ハイジ、じゃりン子チエ、そしてかぐや姫などは、主体性を持って、自分の力で前に進んでいく強さを持っている。かぐや姫が都の屋敷を逃げ出し、山へ走り出すシーンを覚えているだろうか。「女性は男のための消費物である」という封建的で男性優位の社会のシステムに気づいたかぐや姫は、その世界から必死の逃亡をする。与えられた十二単を脱ぎ捨てながら、都の大路を、野山を一気に走り抜ける。この「逃亡」は、現在の、観客に媚びる都合のよい女性キャラの魅力を下敷きにしたアニメが蔓延する現状を見続けてきた、高畑監督の心の叫びでもあるだろう。アニメーションは観客の欲望をそのまま叶えてあげるような、ただの商品でも消費物でもない。「アニメーションとは、全ての表現に勝る芸術である」。この監督の高い志とアニメーションに人生を捧げてきた執念が、ここでの狂気を帯びた怒りの疾走表現に宿っているのである。だからこそ、この場面は本当に感動的だ。  日本にいると、ついついアニメーションというのは盤石な文化で、「日本はアニメ先進国である」と思ってしまう。だがその中で、本当に観る価値のある作品はどれだけあるだろうか。優れて芸術的な作品を生み出すには、ウォルト・ディズニーや東映動画の大川博のように、常識を逸脱したトップの狂気じみた決断があってこそだ。高畑監督や宮崎監督は、スタジオジブリで、それらと同等の狂気と芸術性を保ち、世界のトップ・クリエイターとして、その流れを絶やさなかったという意味でも、考えられている以上に重要な功績を残している。このような普遍的な作品を手がける狂気の作家たちが、いかに例外的に貴重だったかという事実は、これから年月が過ぎることで証明され、伝説的に語られていくだろう。渦中に生きていた我々は、そのことの重大さをまだ実感しきれていない。 ■小野寺系(k.onodera) 映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

ドラマのオファーゼロ、嵐・松本潤との“破局勧告”も……井上真央が苦しむ「大コケ女優」のレッテル

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『花燃ゆ 完全版 第弐集』(ポニーキャニオン)
 井上真央の「女優生命」と「結婚」が大ピンチだ。  井上といえば、昨年主演したNHK大河ドラマ『花燃ゆ』が終わり、交際がウワサされている嵐・松本潤との結婚は秒読み段階と言われてきた。  昨年9月には、女性週刊誌のインタビューで結婚と女優の両立について聞かれると、「もし好きな人から『辞めてくれ』と言われたら辞めます」と発言。寿引退も辞さない覚悟を見せていただけに、「1月9日の井上の誕生日がXデー」「2月に挙式をすることで関係者に挨拶済み」といった報道も飛び交ったものだった。ところが……。 「『花燃ゆ』の視聴率が大河歴代最低視聴率のタイ記録となったことで、“女優としての価値が下がった”と判断したジャニーズからストップがかかったようです。ジャニーズサイドは“今後の井上の活動をもう少し様子見してから、もう一度検討する”としているようですが、事実上の“破局勧告”ですよ」(芸能記者)  この証言を裏づけるかのように、テレビ関係者がこう続ける。 「4月スタートの新ドラマの発表が相次いでいますが、井上の名前は一切ありません。NHK大河に主演すると、その後、民放のギャラがアップするのが通例です。井上についても、1本150万円だったのが、現在は200万円に上がっている。それでいて“大コケ女優”のイメージがついてしまっているため、スポンサーからOKが出ないんです。4月クールどころか、今後しばらくはオファーがかからない状況に追い込まれています」  仕事がなくなり、松本との結婚も暗礁に乗り上げるなど、いいことが1つもなかった井上の大河ドラマ主演。今年はその呪縛に苦しむことになりそうだ。

V6・三宅健、 滝沢秀明と 「サシで4時間ご飯食べた」! 口説かれて“裸解禁”になった夜を明かす

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当代一の脱がせ屋・滝沢にロックオンされた健ちゃん

 4月10日~5月15日まで新橋演舞場で上演される舞台『滝沢歌舞伎2016』に初出演が決まった、V6・三宅健。1月19日に行われた会見では、座長を務めるタッキー&翼・滝沢秀明に関して「“健&タッキー”というおいしい関係になれたら」などと意気込みを語っていたが、今回の“サプライズ人事”は滝沢の熱心な説得により、実現に至ったようだ。

 同舞台は2006年に『滝沢演舞城』として誕生。昨年は『滝沢歌舞伎 10th Anniversary』と題し、ジャニーズJr.やHey!Say!JUMP・薮宏太&Kis‐My‐Ft2・北山宏光が出演。8月にはシンガポール公演を行い、北山とA.B.C‐Z・河合郁人が初の海外公演に華を添えた。

薬物逮捕された清原和博と、謝罪した清原亜希――元夫婦に見る“漢”という生き物の甘さ

<p> 元プロ野球選手・清原和博が逮捕されたことに関して、「まさか!」と思う人はどのくらいいたのだろう。2014年、「週刊文春」(文藝春秋社)が清原の薬物疑惑を取り上げ、本人は完全否定したが、入れ墨や服装からして、“あっち側”の価値観に染まった清原の発言は、いまいち信憑性に欠けるものだった。</p>

“男社会”だった吉本興業の伝説的女性マネジャーが語る、セクハラ・パワハラと女の媚

<p> 社員数約650人、タレント数約6000人といわれる吉本興業株式会社(2015年9月時点)。その吉本がまだ30人程度の社員しかいなかった1984年、史上3人目の女性社員として新卒入社し、「泥酔してテレビ番組に出演した横山やすしを裏で殴った」「今いくよ・くるよの事務所に1年間タダ下宿していた」といった伝説が、今なお語り継がれているマネジャーが大谷由里子さんだ。現在、大谷さんは吉本を退社し、社会人向け人材育成学校「リーダーズカレッジ」を立ち上げ、研修会社「志縁塾」を開校。吉本で培った経験を糧に、「笑い」をテーマにしたユニークな人材育成法を用いて、全国各地で講演活動なども行っている。</p>

セックスにスピリチュアルな意味はいらない。まして母性はもっといらない

 気、カルマ、エネルギー……などなど、スピリチュアル的なワードにセックスを結び付けられると、途端に腰が引けてしまいます。

 代々木忠著『つながるーセックスが愛に変わるために』(新潮社)は、AV界の生ける伝説的な存在となっている同氏が、制作現場で目の当たりにした物事から、日本人のセックス観、時代によるその変遷をあぶり出し、セックスの本質を問う1冊です。

 氏のAVはセックスを通して男女の人間性をえぐり出す実験的な作品が多いといわれ、そのために接してきた女性は5,000人以上。半世紀以上にわたって男女の性と対峙してきたうえでの洞察は、さすがの説得力を感じます。「ザ・面接シリーズ」では、男優・一徹さんのエピソードも盛りこまれ、SILK LABOでブレイク前の一徹さんを知らない者としては、たいへん興味深かったです。

 ただ、ところどころスピリチュアル的要素が入ってくるのが引っかかって、うまく読み進められないのです。イク=オーガズムは〈自分を明け渡すこと〉というのはわからなくもないのですが、物理的な刺激だけでもオーガムは可能です。私は、日々ラブグッズでオーガムを経験しています。それは自分で自分を明け渡す行為、といわれるかもしれませんね。たしかに、オーガムは一種の開放感をもたらします。でも、それは精神的な感覚ではなく、むしろ我慢したうえで放尿するときの開放感に似ています。生理現象というと味気ないでしょうか。でも、「人間のなかにある見えない“気”のようなもの」=オーガズムであり、潮吹きである……と壮大な話にされると強い違和感を覚えるのです。

 心も満たされるセックスのほうが、気持ちいい。そこに異論はありません。バイブオナニーによる物理的な刺激もイイものですが、セックスで相手とともに高まるのは、物理的な快楽とはまったく別モノです。心の隅々にまで満足感が染みわたっていく感覚は、何度体験しても新鮮です。性欲は物理的な刺激で満たせますが、性交欲はこうした精神的な充足感なくしては満たせません。

◎スピなセックスは精神医学を上回る

 でもそれを、気とかエネルギーとか実体のないものに帰結したいとも思わないのです。「イキそうでイケない子が苦しそうな表情をするのは、外に出て相手と交じり合いたい『気』が、心をブロックすることでせき止められ、出る場所を探してもがき苦しんでいる」「その苦しさが最高潮に達したとき、出る場所を探していた『気』が潮吹きを誘発する」と、潮吹きというセックスにおいて不要なもの(どころか、女性にとっては迷惑でしかないもの)を、スピリチュアル的な到達点のひとつとして提示されるのは、弊害しか感じません。

 ほか、セックスの前に「催淫CD」を聴かせると、トラウマを刺激されてその女性が多重人格だと発覚したり、幼児退行がはじまったり……という下りには、辟易します。私自身が「催淫」というものに胡散臭さしか感じていない(ほんとうにそういうものができれば、ノーベル賞ものだと思っています。性欲減退障害、性機能障害に悩む多くの人たちに寄与できるから!)ので、そもそも強いバイアスがかかっているのですが、こうも精神医学的なことがセックスひとつで解決できてしまうとなると、眉ツバ感ばかりがむくむくと大きくなっていき当惑します。

 セックスで自己が損なわれることは多々あります。それとは逆に、セックスで開放される、あるいは自己を取り戻せることもあるでしょう。だからといって、そこまで万能だとも思えません。描かれている女性たちの一部は、催淫CDを聴かされて生じる役割期待に応えているだけのようにも見え、かえって痛々しくなりました。

 要は、スピリチュアルな色づけをしたり精神面をことさら強調することで、セックスと女性の身体、性を壮大で神秘的なものに見せることに、私は抵抗感があるのです。それは数々の宗教(カルト)がやってきたことでもあります。なかでも本書では、そうしたセックスの精神効果が行き着く先のひとつが「母性」とされています。出たよ、母性……。

「もっと深いオーガズムを体験すると、『愛/対人的完成』はさらに『母性』へと変容を遂げる」
「オーガズムを体験すると、感情の中ではエゴが取れ、体の中では新たなホルモンが分泌されて、心身ともに変化するということなのだろう。それが母性のスイッチを入れるきっかけになる」

 と持論を披露し、母親がAV出演でオーガズムを感じた途端、ちょっと遅れているのかなと心配していた子どもの発育が急に進んだり、子どもを授かったり、子宮筋腫がなくなったりした例が挙げられています。最後の筋腫については、母性は関係ないですね、失礼しました。にしてもオーガズムって、どんだけ万能。じゃあ、男性はオーガズムのたびに父性が目覚めたりしないんですかね?

 オーガズムの後に感じる多幸感は、オキシトシンが原因とされています。幸せホルモンとも呼ばれる脳内物質で、授乳中のお母さんもこれが出ているそうです。同じホルモンが出ていても、状況が違えばそこに芽生える感情は違ってきます。オーガズムの後の多幸感は、基本的に相手への愛情であり、自分への満足感です。もっと、大きく博愛的なものもを感じる人もいるでしょう。でも、それはイコール母性ではありません。男性だってそれを感じているのに、なぜ女性だけが母性に結び付けられなければいけないのか。

◎余計な味つけはいりません。

 セックスやそれによってもたらされるオーガズムは、たしかに特別な体験です。その度合が強いほど、なんだか自分が高まった感じもあるのでしょう。でも、セックスってもっと個人的で卑近で、日常のなかにあるありふれた行為でいいのではないでしょうか。

 こうして男性が女性を神秘化するだけでなく、女性が女性を神秘化するケースもめずらしくありません。子宮をやたら特別視したり、オナニーのことを「ひとり宇宙」といったり。子宮はたしかに大事な器官だけど、ほかの器官だって大事です。オナニーは、生理的欲求を解消するひとつの手段。エンタテインメント的に愉しむことはあっても、それ以上でも以下でもありません。

 こう書くと、即物的な快感しか知らない心貧しい人間だと思われそうですね。きっと性体験も貧しいに違いない、と。だったら私は、即物的上等です。意味や付加価値を持たせることで肯定されるセックスではなく、セックスそのものを愉しみたい。神棚にあげるような特別なものではなく、日常にあるものとして愉しみたい。「ほんとうにおいしい野菜は、調味料なんていらないのよ。そのままかじればおいしいの」的な感じでしょうか。食生活においてはそういう思考が苦手なので、矛盾している部分もあるのですが……。セックスや女性の性をあがめ奉るほどに、セックスレスになっていくと思うのは私だけではないと信じています。

■桃子/オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

小林悠、吉田明世、佐藤渚……TBS女子アナ“連続スキャンダル”で問われるプロ意識

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吉田明世オフィシャルブログより

 TBSの人気女子アナたちが、次々とマスコミにデート現場を押さえられた。その話題の主は、小林悠アナ(30)と吉田明世アナ(27)。

 小林アナは、東京・六本木にある高級ホテルの高層階のバーラウンジで、男性と夜景を見ながら酒を酌み交わした後、運転手付きの超高級車マイバッハで夜の街へ消えていったと、週刊誌に報じられた。相手はITベンチャー企業を設立した起業家。現在は経営から退いているが、高級マンションに住む資産家だという。TBSラジオの『たまむすび』で、浅草キッド・玉袋筋太郎に、この件を突っ込まれた小林アナは決して否定はしなかった。

【アンケート結果】SMAPはどうすべきだったのか

 1月26日~2月2日に実施したアンケート「SMAPはどうすべきだったのか」に、たくさんの投票をいただきましてありがとうございました! 1月中旬に突如巻き起こった「SMAP解散報道」。週刊誌やスポーツ紙の報道によると、SMAPチーフマネジャーの飯島三智氏が、ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川氏と対立したことをきっかけに、SMAPの独立を画策。しかし、木村拓哉がジャニーズ事務所に残留を希望したことや、受け入れてくれる事務所との交渉が難航したことから、飯島氏が芸能界から身を引き、メンバーが『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で“謝罪”したことで騒動は収束したものと見られています。

【アンケート結果】SMAPはどうすべきだったのか

 1月26日~2月2日に実施したアンケート「SMAPはどうすべきだったのか」に、たくさんの投票をいただきましてありがとうございました! 1月中旬に突如巻き起こった「SMAP解散報道」。週刊誌やスポーツ紙の報道によると、SMAPチーフマネジャーの飯島三智氏が、ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川氏と対立したことをきっかけに、SMAPの独立を画策。しかし、木村拓哉がジャニーズ事務所に残留を希望したことや、受け入れてくれる事務所との交渉が難航したことから、飯島氏が芸能界から身を引き、メンバーが『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で“謝罪”したことで騒動は収束したものと見られています。