タレントの菊地亜美が15日、都内で行われたイベントに出席した際、自身が昨年11月まで所属し、今年10月末に全員卒業したアイドルグループ「アイドリング!!!」に“AV出演禁止令”が出ていることを明かした。 現役タレントが「AV出演」に関して発言することは極めて異例であり、その部分も衝撃的ではあるのだが、ネット上では「どうせ出るだろ」「今はね」など、菊地の発言を真に受けるようなコメントは皆無だ。 「同じくアイドルグループのAKB48では、卒業後AV女優としてデビューする例が非常に多いですからね。一般目線からすれば信用など皆無(笑)。AKB48の黎明期にトップ人気をほこった中西里菜(やまぐちりこ、現在は引退)や、元SKE48の鬼頭桃菜(三上悠亜)など、それなりに名を知られたメンバーでも簡単にAV入りしてしまいますからね。『どのアイドルも一緒』と思われても仕方ないです」(芸能記者) アイドル界のトップを走るAKB48が、「アイドル→AV」というイメージを多くの一般人に植え付けてしまったのは間違いない。AKBよりも明らかに売れていなかった「アイドリング!!!」のメンバーがAVデビューすることには、なんの違和感もない。 菊地自身、「若干(AVの世界に)行きそうだなと思う子はいますけど、たぶん行かない。芯の強い子が多いので、乗せられたりしないと思う」と発言しているが、AVに行くイメージが湧いてしまう時点ですでに“黄信号”ではないのか。この“AV禁止令”にしても、『アイドリング!!!』(フジテレビ系)のMCを務めたバカリズムとの書面上の契約とのこと。なんとも「ゆるい鎖」に思えて仕方がないのだが……。 「仮に元アイドリング!!!でAVデビューとなれば、通常のAVとは比較にならないレベルの売上になることは想像するまでもありません。やまぐちりこのデビュー作は、発売1カ月で8万本(通常は1万本でヒット)を売り上げた実績もある。AVメーカーとしては、元アイドルにはぜひとも出演してほしいでしょうし、今後『出演したい』というメンバーが現れる可能性も十分にあるでしょう。もしその“需要と供給”がマッチした際、今回の菊地の発言が尾を引いてなんらかの『モメゴト』が起こるかも……」(同) 時に、女の子1人のカラダに対して莫大な金銭が動くAV業界。菊地の今回の発言は、甘い誘いに導かれてデビューしてしまう女性アイドルが、決して少なくないということを端的に示しているのかもしれない。大丈夫か
日別アーカイブ: 2015年12月17日
有川浩、文春に続き新潮からも「切られた」! 版権騒動のウラで「病んじゃう編集者続出」!?
『三匹のおっさん』(文藝春秋)
人気作家の有川浩が、またしても版権引き揚げ騒動を起こしていたことがわかった。有川は昨年、文藝春秋から版権を引き揚げて出版業界を驚かせたが、今回は新潮社から版権を引き揚げたのだという。
今年5月、ブログで有川は「ある会社に伝わった話が悪意で歪められてゴシップ記事にされるようになりました」と告白。「悪意で歪めた話が発信されるのは、紀尾井町と矢来町」と、文春と新潮社の所在地を挙げ警告していた。「この被害を回避する」という名目で版権を移動させると予告していたが、その後このブログの通り、新潮社からの版権を引き揚げた。
【アンケート結果発表】『FNS歌謡祭2015 飛天』で最も印象に残った、ジャニーズのコラボ曲は?
先日実施した「『FNS歌謡祭2015 飛天』で最も印象に残った、ジャニーズのコラボ曲は?」のアンケートに、2,900票余りの投票をいただきましてありがとうございました(12月3日~10日実施)。年末になると多くの音楽特番が放送されますが、『FNS歌謡祭』(フジテレビ系)はさまざまなジャンルのアーティストとコラボするとあって、ジャニーズアイドルの新たな一面を発見できることも。それでは、今年の『FNS歌謡祭』でファンの心を射止めたコラボ曲はどれだったのか、早速結果を見てみましょう。
「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体
“優しい”ドラマである。 今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。 舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。 一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。 これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。 ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。 不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。 さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」 伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」 生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」 自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。 医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。 新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」 まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」 両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
「臆病なくらいがちょうどいい」『コウノドリ』に漂う“強さ”の正体
“優しい”ドラマである。 今期、視聴後の満足度が抜群に高かったのが『コウノドリ』(TBS系)だ。毎回毎回、強く心に響き、涙を禁じ得ない。いよいよ18日、最終回を迎える。まだ終わってほしくないと思わずにはいられないドラマだ。 『コウノドリ』は、鈴ノ木ユウによる同名のマンガを原作に、『八重の桜』『ゲゲゲの女房』(ともにNHK)などの山本むつみが脚本を手掛けた作品。 舞台は産婦人科だ。主人公・鴻鳥サクラを演じているのは綾野剛。愛情深く、常にほほえみを浮かべ、患者に優しく語りかける産婦人科医である。また、謎の天才ピアニスト「BABY」という顔も持っている。 一方、サクラの同期・四宮ハルキ役には星野源が起用されている。彼は、サクラとは対照的に、常に無表情。患者に対しても必要最小限なことしか言わず、冷淡だ。それゆえ、時に患者を傷つけてしまうこともある。 これまで2人が演じてきた役柄を考えると、それぞれのキャラクターは普通、「逆」である。綾野はクールな役柄を演じることが多いし、星野も優しいイメージが強い。だが、あえて反転させることで、この作品を豊かなものにしている。 ドラマ『コウノドリ』において、この「逆」というのは、キャスティングに限った話ではない。もちろん、四宮の冷淡さは、優しさの裏返しだし、サクラは誰よりも厳しい目を持っている。また冒頭で“優しい”ドラマだと書いたが、各エピソードのストーリー自体は、その「逆」であることがほとんどだ。とても“厳しい”現実を描いている。 不妊治療や高齢出産、胎盤早期剥離など、産婦人科が抱えるさまざまな困難を描いているが、『コウノドリ』では、“奇跡”はほとんど起きない。たとえば、第9話では、23週で切迫早産になった妊婦・明子(酒井美紀)が救急搬送される。医師たちの懸命な処置で、赤ちゃんは無事誕生した。だが、明子も夫の大介(吉沢悠)も、生まれてきた赤ちゃんを見て愕然とする。それはあまりに小さく、たくさんの管がつながれていたのだ。 さらに、新生児科医の新井(山口紗弥加)から、両親に厳しい現実が伝えられる。早く生まれたために肺の形成が十分ではなく、呼吸や循環が不安定なために、脳がうっ血や虚血を起こしやすいこと。脳室内の出血が起こってしまえば予後不良、つまり重篤な障害が残ったり、命に関わることがあること、だ。「どうしよう」と泣きだす明子に「大丈夫、心配ないよ」と震える声で励ます夫は、引きつった顔で新井に尋ねる。 「でも先生、障害が残るとか、亡くなるとか……そういう可能性は低いんですよね?」 「低くは……ないです」 伝えられる厳しい現実に耐え切れず、大介は激高する。 「じゃあ、なんで助けたんですか!」 生後1週間を越えれば安定するといわれていたが、不眠不休の新井らの献身的な看病にもかかわらず、5日目で赤ちゃんの容体が急変。脳室内出血を起こしてしまったのだ。 「大丈夫。まだなんとかなる。状態さえ落ち着いてくれたら、手術に踏み切れる。大丈夫、大丈夫……」 自分に言い聞かせるように繰り返す新井だったが、やはり“奇跡”は起きなかった。 医者は、ヒーローではない。救えない命がある。その「現実」を、まざまざと『コウノドリ』では描いている。だが、その厳しい現実を描くだけで終わらないのが、このドラマの“優しさ”だ。 新生児科の部長・今橋(大森南朋)は、両親に優しく語りかける。 「洋介くん(赤ちゃん)を、抱っこしてみませんか?」 まだあきらめきれない新井は「ちょっと待ってください。今は保育器から出せません」と、それをさえぎる。「まだあきらめたくない」と。しかし、今橋は毅然として言う。 「新井先生は、洋介くんを、お父さんとお母さんに一度も抱きしめられなかった子にしたいんですか?」 両親は子どもを抱きしめることで初めて、「よく頑張った」「ありがとう」と伝えることができたのだ。 『コウノドリ』はどこまでも優しく、厳しい現実に寄り添っている。理想通りにいかない厳しい現実の中で、いかに希望を見いだして生きるかを描いている。 「誰かの命に寄り添うには、臆病なくらいがちょうどいい」と助産師は言う。臆病なほどに細心の注意を払うことが、「強さ」につながっていくのだ。この作品も同じだ。細心の注意を払って丁寧に「現実」を描くこと。それが作品の「強さ」になっている。 『コウノドリ』は、優しくて強いドラマなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから金曜ドラマ『コウノドリ』|TBSテレビ
集団強姦被害に遭い上京して20歳で社長と結婚した女性の“非・プリンセスストーリー”『私は絶対許さない』
レイプ被害者の手記を、あなたはどう読むか。好奇心で読むか、同情心で読むか。怖いと思うか、気の毒に思うか。自分には関係ないか、自分かもしれないか。集団レイプ被害に遭った女性が、35歳までの人生を記した書『私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由』(雪村葉子/ブックマン社)を読んで、私は震えた。一人の人間を徹底的に壊してしまう強姦という最低最悪の犯罪に、家族にも見捨てられた著者が自分の足で立とうともがく姿に。
編集部によるまえがきには、レイプされた女性の人生がその後どのように狂っていくか、どれほどの深い傷を心に刻み込むものかを赤裸々に綴ったこの手記によって、非道な性犯罪がこの世からなくなることを願う、とある。
セカンドレイプという言葉もあるように、性犯罪被害者は、命こそ助かったものの心身ボロボロの状態にもかかわらず、“その後”も辱めを受けることが少なくない。だからこそ、たとえ被害にあったとしても「言えない」被害者が多いのだ。被害を告発したりこうやって手記を出版したとしても、「エロ」として消費されたりもする。そもそも日本では、若い女性は生きているだけで「エロいもの」扱いだ(他方、老いれば一気に汚物扱いだが)。
だが著者の雪村さんは、そんなことは承知の上だと思う。「この手記がエロとして消費されても構わない。だがこれだけは忘れるな、私はお前を許さない」。強烈なメッセージが、読後もずっと残り続けるからだ。
◎誰も助けてくれない
1980年生まれの葉子は、東北の山奥で育った。農家の娘で五人兄弟、家の建物は立派だったが経済的に比較的貧乏で、両親は子供たちに対して横暴かつ暴力的に振る舞う人たちだった。子どもたちは毎朝、玄関や廊下を雑巾で水拭きするなど掃除をし、季節ごとに田んぼや畑仕事の手伝いをする生活。どれだけ昔のことだろう、と思う人もいるかもしれないが、80~90年代の話だ。葉子の父親は「贅沢を覚えると女は堕落する。女なんてものは、将来どんな男と一緒になるかわからないのだから、どうなっても困らないよう質素に育てないといけないんだ」と言い、葉子におもちゃや洋服を買い与えることはなかった。
1995年、中学三年生の正月、高校受験を控えた葉子は冬休みにもかかわらず入試対策の補修を受けていた。帰路、一面の雪景色の中、無人駅のベンチに座り、母親が軽トラで迎えに来てくれるのを待っていた。するとそこへ、近所で有名などうしようもない不良男たちの乗った車がやって来て、一人の男がいきなり彼女に近寄り、顔を平手で殴打した。倒れた彼女は強引に車に押し込まれた。また顔を殴られ、複数の男たちに強い力で乳房を揉まれたり口淫を強要されたりの暴力を受け続けながら、どこかへ運ばれた。そこは一人の不良男の自宅(実家)らしく、いわゆる田舎の豪邸。その一部屋で、葉子は鼻血を流しながら、朝まで五人の男たちから暴力的に犯され続けた。翌朝、酒に酔った男たちが眠っている隙に葉子は逃げ出し、ぼろぼろの姿で自宅へ帰った。
葉子の両親は、烈火のごとく怒った。娘をレイプし、顔も体も傷だらけにした男たちにではなく、「連絡なしに外泊して、レイプされて戻ってきた娘に」である。葉子の母は昨日、葉子が連れ去られた駅へ軽トラで迎えにいく途中、吹雪のせいで脱輪したのだと愚痴り、「母親になんていう仕打ちをするんだい」と理不尽な言いがかりをつける。父親は帰宅した葉子を「この不良娘が!」と張り倒す。この家の中に、葉子の安息はなかった。『自分の子どもを完全に「所有物」と見なしていて、(中略)娘に人間としての感情があることなど、想像すらしたことがないようだった』(p.31)。
一刻も早くそんな家から逃げ出したいが、15歳の葉子にはその術、具体的にはお金がなかった。しかし偶然にも葉子が大金を得るチャンスが巡ってくる。レイプから数日後、刺青のびっしり入った糖尿病の中年ヤクザに売買春を持ちかけられ、葉子は応じる。売春契約の際、葉子は『セックスなんて、最低だ。最低なことをさせてあげる代わりに私はお金をもらうのだ』(p.65)と、経済と若い肉体の誠実な等価交換を理解する。男は勃起しなかったが、若い葉子の肉体にきっちり毎回お金を払い続けた。関係は3年継続し、高校を卒業する頃には400万円を手にしていた。それを元手に、彼女は大学進学し、東京に出た。
「レイプされた女」「ヤリマン女」という噂が地域で立っていた葉子には、高校生活で友達もできず、事件の後遺症で過食嘔吐や自傷行為も癖になっていて完全にぼろぼろだった。それでも実家にい続けるよりはよほどマシなはずだと希望を持って、彼女は東京に向かったのだった。そして上京後、スカウトされて「おっぱいキャバクラ」で働き出す。「ちょうどアルバイトを探しているところだった」から。
ここで「えっ、何で?」と思う読者もいるだろう。ひょっとしたら、売春契約うんぬんの時点で違和感を覚えた人もいるかもしれない。おぞましいレイプ被害に遭って、男を憎んでいるはずなのに、どうして男(しかもEDだけどヤクザ)と密室で 二人きりになれたり、男性客しか来ないセクキャバで働こうと思ったりするのか? さらに、「おっぱいキャバクラ」はそれなりに面倒なお客との駆け引き(つまり、アフターでセックスまで持ち込めるか否か)があるため、それをしなくていい風俗で「働いてもいいかな」と考えた葉子は、店舗型ヘルス(挿入はしない。フェラチオや素股で射精に導く)へ面接に行き、働き出す。こうしたストーリーを追いながら読者は、葉子に男性嫌悪やフラッシュバックはないのかと、疑問に思うのではないか。
「15歳で集団強姦に遭ったのなら、普通は男性嫌悪になるだろう。自ら風俗嬢になるなんて、この娘の人間性に問題があるのでは?」
出来事だけを聞いて、そんなふうに思ったとしたら、それは誤りだ。葉子の男性嫌悪は、少しも変化していない。そもそもセックスしているからといって、女が男を愛しているわけではない。もっと言えば、フェラチオしているからといって、男を嫌悪していないわけでもない。
風俗以外にも東京にアルバイト先がたくさんあることは事実だ。ただ葉子は大学の学費も東京での生活費も自分で稼がなければならなかった。「月3万円」の約束だった親からの仕送りはすぐ滞った。でも。それにしても、である。他の選択肢は? たとえば、「卒業してもろくな仕事にありつけそうにない三流大学」を辞めて(=学費分を稼ぐ必要がなくなる)、水商売でない仕事をするとか。でもそうしたところで、それが風俗バイトの日々よりもマシなのかどうか、さっぱりわからないのも確かだった。より高額を稼げる可能性があるぶん、風俗バイトのほうがマシなのかもしれないし、心身が疲弊していくのはどんな働き方をしても同じかもしれない。
本書に解説を寄せている精神科医の和田秀樹は、『葉子さんの体験した、一見不可解な世界は、トラウマの精神医学の立場から言うと、むしろ腑に落ちるものばかり』だという。反復強迫といって、「たとえばレイプをされた人がレイプされそうな場所に再び出かけていくなど、自らトラウマを招くような行為をすることがある」からで、「最近の学説では、トラウマの際に、その苦しみを和らげるために脳内麻薬が出るのだが、その依存症状態になって、さらにトラウマを求めるのではないかという考えもある」。
◎結婚で帳消しになる過去などない
葉子は20歳の若さで、求婚してくれた40歳の会社経営者と結婚する。おっぱいキャバクラで出会った男性で、とても穏やかで知的で、葉子を包み込んでくれるような人だと思った。でっぷりと太ったガマガエルのような男だし、輪姦された過去を打ち明けた葉子に「レイプしたくなるほど魅力的な女の子だったってことだろう」と言ってのける馬鹿野郎だし、彼女に高層マンションで着せ替え人形のような暮らしを強いる人でもあったが。そして生活できるギリギリの金額しか葉子に渡さず、ストッキング一枚新調するのも「夫自身の財布から現金を出し、目の前で購入」するのでなければ認めなかった。倹約家なのではなく、彼女を徹底的にコントロールしたかったためである。
その夫によって、葉子はついにオーガズムを覚えることになるが、そのことについてこう綴っている。
『私はペニスというペニスを、「お金になる棒」として十代後半を過ごした。でもこれからは、「私が気持ちよくなる棒」「一瞬でもすべてを忘却できる魔法の棒」として使っていくまでなの。そうこれだって! これだって充分に男たちへの復讐なの』(p.162)
彼女は復讐を忘れてはいなかった。
これがプリンセス物語ならば、お金持ちの男の人に見初められて結婚した葉子は、愛し愛されて末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし。レイプで負った傷も癒えて、子供たちに手を焼きながらも素敵なお母さんをやっています。なんて展開していくのかもしれない。だが誰の人生だって、たった20歳で「めでたしめでたし」の結末を迎えるはずがない。
大学を卒業して数年、専業主婦になっていた葉子は、検索したいことがあったため夫のパソコンを立ち上げた。すると、夫が「お気に入り」登録しているアダルトサイトが開いた。それは幼女の写真が目いっぱい掲載されているロリコン向けサイトだった。これをきっかけに、葉子は重度のうつ病にかかった。床に伏せる日々が続くが、夫は仕事と趣味のツーリングなどで家をあける。そのくせ、彼女をどんどん太らせようとしているのか、大量のケーキやピザを買ってきて食べさせたりもしていた。妻が社会性を失い、家の中に閉じこもらざるを得ないことが、夫はうれしくて仕方がないようだったという。
結婚とは何なのか。大半の人間は、幸せになりたくてその決断をするが、では結婚によって得られる幸せと、結婚しない人生で得られるはずだった幸せ、どちらのほうが上だったか。検証することはできない。葉子にとっても、がまがえるとの結婚が不幸を招いた側面もあるし、一方でより深く彼女を傷つける外界からの防御シェルターとして機能した側面もあっただろう。まともな親も友人も持たない葉子を、唯一、この夫だけが守ろうとしたことは間違いない。この手記を出版した2015年末現在も、夫婦は離婚せず暮らしている。
葉子は28歳で看護学校を受験し、夫を説得して東北の学校に進学、一人暮らしをしながら看護を学ぶ。そして、平日昼間は学生/放課後は風俗バイト/週末は東京へ帰り夫婦で過ごす生活を送った。翻って現在。35歳になった彼女は、東京で看護師として働きながら、SM嬢としても仕事をする。自宅では勃起力の弱まった50代の夫の妻として、炊事や洗濯をする。仕事が休みの日には、セックスフレンドとの性行為を楽しむ。しかし葉子のポリシーは、「どんな相手とセックスするときでも、お金をいただくことは忘れない」。
『嘘は決して女の専売特許ではない。男というものは、相手に対して何の責任を取る気もないくせに、セックスをするためならば、「愛している」「好きで好きで仕方ない」などと平気で耳触りのいい嘘をつくのだから』(p.222)
見知らぬ男たちや親から徹底的な暴力に晒され、ロリコン夫に束縛され、風俗の客たちの身勝手さにうんざりしてきた葉子が、男を信じることはないだろう。
看護師としてそれなりの給与を得、会社経営者の夫を持ち、セフレとの逢瀬も重ねる彼女は、傍からは“ヤリ手の女”に見えるかもしれない。あるいは性に貪欲で、金にも強欲な女として映るだろうか。今の彼女を、裕福な男に愛されて結婚し、手に職も持ち、セックスも楽しめるようになったのだから、「立派に回復してるじゃないか、もうレイプのことなんて忘れなよ!」と見る向きもあろう。
再び、精神科医・和田秀樹の解説から引用すると、現在の彼女の様子は『その傷が癒えているわけでも、完治したわけでもない』。理不尽な性暴力を受けた15歳の元日から、心を殺したまま生きている。因果応報の言葉通り、非道な性犯罪を犯した5人の男たちが不幸に苦しみながら死んでいくことを信じて。
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性犯罪被害者であり、地方の貧困家庭の娘であり、毒親の子供であり、風俗嬢であり、看護師である35歳のひとりの女性・雪村葉子の半生は、異世界の出来事ではない。「知らない、知りたくない」で遠ざけてはならない、直視すべき一冊ではないだろうか。
集団強姦被害に遭い上京して20歳で社長と結婚した女性の“非・プリンセスストーリー”『私は絶対許さない』
レイプ被害者の手記を、あなたはどう読むか。好奇心で読むか、同情心で読むか。怖いと思うか、気の毒に思うか。自分には関係ないか、自分かもしれないか。集団レイプ被害に遭った女性が、35歳までの人生を記した書『私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由』(雪村葉子/ブックマン社)を読んで、私は震えた。一人の人間を徹底的に壊してしまう強姦という最低最悪の犯罪に、家族にも見捨てられた著者が自分の足で立とうともがく姿に。
編集部によるまえがきには、レイプされた女性の人生がその後どのように狂っていくか、どれほどの深い傷を心に刻み込むものかを赤裸々に綴ったこの手記によって、非道な性犯罪がこの世からなくなることを願う、とある。
セカンドレイプという言葉もあるように、性犯罪被害者は、命こそ助かったものの心身ボロボロの状態にもかかわらず、“その後”も辱めを受けることが少なくない。だからこそ、たとえ被害にあったとしても「言えない」被害者が多いのだ。被害を告発したりこうやって手記を出版したとしても、「エロ」として消費されたりもする。そもそも日本では、若い女性は生きているだけで「エロいもの」扱いだ(他方、老いれば一気に汚物扱いだが)。
だが著者の雪村さんは、そんなことは承知の上だと思う。「この手記がエロとして消費されても構わない。だがこれだけは忘れるな、私はお前を許さない」。強烈なメッセージが、読後もずっと残り続けるからだ。
◎誰も助けてくれない
1980年生まれの葉子は、東北の山奥で育った。農家の娘で五人兄弟、家の建物は立派だったが経済的に比較的貧乏で、両親は子供たちに対して横暴かつ暴力的に振る舞う人たちだった。子どもたちは毎朝、玄関や廊下を雑巾で水拭きするなど掃除をし、季節ごとに田んぼや畑仕事の手伝いをする生活。どれだけ昔のことだろう、と思う人もいるかもしれないが、80~90年代の話だ。葉子の父親は「贅沢を覚えると女は堕落する。女なんてものは、将来どんな男と一緒になるかわからないのだから、どうなっても困らないよう質素に育てないといけないんだ」と言い、葉子におもちゃや洋服を買い与えることはなかった。
1995年、中学三年生の正月、高校受験を控えた葉子は冬休みにもかかわらず入試対策の補修を受けていた。帰路、一面の雪景色の中、無人駅のベンチに座り、母親が軽トラで迎えに来てくれるのを待っていた。するとそこへ、近所で有名などうしようもない不良男たちの乗った車がやって来て、一人の男がいきなり彼女に近寄り、顔を平手で殴打した。倒れた彼女は強引に車に押し込まれた。また顔を殴られ、複数の男たちに強い力で乳房を揉まれたり口淫を強要されたりの暴力を受け続けながら、どこかへ運ばれた。そこは一人の不良男の自宅(実家)らしく、いわゆる田舎の豪邸。その一部屋で、葉子は鼻血を流しながら、朝まで五人の男たちから暴力的に犯され続けた。翌朝、酒に酔った男たちが眠っている隙に葉子は逃げ出し、ぼろぼろの姿で自宅へ帰った。
葉子の両親は、烈火のごとく怒った。娘をレイプし、顔も体も傷だらけにした男たちにではなく、「連絡なしに外泊して、レイプされて戻ってきた娘に」である。葉子の母は昨日、葉子が連れ去られた駅へ軽トラで迎えにいく途中、吹雪のせいで脱輪したのだと愚痴り、「母親になんていう仕打ちをするんだい」と理不尽な言いがかりをつける。父親は帰宅した葉子を「この不良娘が!」と張り倒す。この家の中に、葉子の安息はなかった。『自分の子どもを完全に「所有物」と見なしていて、(中略)娘に人間としての感情があることなど、想像すらしたことがないようだった』(p.31)。
一刻も早くそんな家から逃げ出したいが、15歳の葉子にはその術、具体的にはお金がなかった。しかし偶然にも葉子が大金を得るチャンスが巡ってくる。レイプから数日後、刺青のびっしり入った糖尿病の中年ヤクザに売買春を持ちかけられ、葉子は応じる。売春契約の際、葉子は『セックスなんて、最低だ。最低なことをさせてあげる代わりに私はお金をもらうのだ』(p.65)と、経済と若い肉体の誠実な等価交換を理解する。男は勃起しなかったが、若い葉子の肉体にきっちり毎回お金を払い続けた。関係は3年継続し、高校を卒業する頃には400万円を手にしていた。それを元手に、彼女は大学進学し、東京に出た。
「レイプされた女」「ヤリマン女」という噂が地域で立っていた葉子には、高校生活で友達もできず、事件の後遺症で過食嘔吐や自傷行為も癖になっていて完全にぼろぼろだった。それでも実家にい続けるよりはよほどマシなはずだと希望を持って、彼女は東京に向かったのだった。そして上京後、スカウトされて「おっぱいキャバクラ」で働き出す。「ちょうどアルバイトを探しているところだった」から。
ここで「えっ、何で?」と思う読者もいるだろう。ひょっとしたら、売春契約うんぬんの時点で違和感を覚えた人もいるかもしれない。おぞましいレイプ被害に遭って、男を憎んでいるはずなのに、どうして男(しかもEDだけどヤクザ)と密室で 二人きりになれたり、男性客しか来ないセクキャバで働こうと思ったりするのか? さらに、「おっぱいキャバクラ」はそれなりに面倒なお客との駆け引き(つまり、アフターでセックスまで持ち込めるか否か)があるため、それをしなくていい風俗で「働いてもいいかな」と考えた葉子は、店舗型ヘルス(挿入はしない。フェラチオや素股で射精に導く)へ面接に行き、働き出す。こうしたストーリーを追いながら読者は、葉子に男性嫌悪やフラッシュバックはないのかと、疑問に思うのではないか。
「15歳で集団強姦に遭ったのなら、普通は男性嫌悪になるだろう。自ら風俗嬢になるなんて、この娘の人間性に問題があるのでは?」
出来事だけを聞いて、そんなふうに思ったとしたら、それは誤りだ。葉子の男性嫌悪は、少しも変化していない。そもそもセックスしているからといって、女が男を愛しているわけではない。もっと言えば、フェラチオしているからといって、男を嫌悪していないわけでもない。
風俗以外にも東京にアルバイト先がたくさんあることは事実だ。ただ葉子は大学の学費も東京での生活費も自分で稼がなければならなかった。「月3万円」の約束だった親からの仕送りはすぐ滞った。でも。それにしても、である。他の選択肢は? たとえば、「卒業してもろくな仕事にありつけそうにない三流大学」を辞めて(=学費分を稼ぐ必要がなくなる)、水商売でない仕事をするとか。でもそうしたところで、それが風俗バイトの日々よりもマシなのかどうか、さっぱりわからないのも確かだった。より高額を稼げる可能性があるぶん、風俗バイトのほうがマシなのかもしれないし、心身が疲弊していくのはどんな働き方をしても同じかもしれない。
本書に解説を寄せている精神科医の和田秀樹は、『葉子さんの体験した、一見不可解な世界は、トラウマの精神医学の立場から言うと、むしろ腑に落ちるものばかり』だという。反復強迫といって、「たとえばレイプをされた人がレイプされそうな場所に再び出かけていくなど、自らトラウマを招くような行為をすることがある」からで、「最近の学説では、トラウマの際に、その苦しみを和らげるために脳内麻薬が出るのだが、その依存症状態になって、さらにトラウマを求めるのではないかという考えもある」。
◎結婚で帳消しになる過去などない
葉子は20歳の若さで、求婚してくれた40歳の会社経営者と結婚する。おっぱいキャバクラで出会った男性で、とても穏やかで知的で、葉子を包み込んでくれるような人だと思った。でっぷりと太ったガマガエルのような男だし、輪姦された過去を打ち明けた葉子に「レイプしたくなるほど魅力的な女の子だったってことだろう」と言ってのける馬鹿野郎だし、彼女に高層マンションで着せ替え人形のような暮らしを強いる人でもあったが。そして生活できるギリギリの金額しか葉子に渡さず、ストッキング一枚新調するのも「夫自身の財布から現金を出し、目の前で購入」するのでなければ認めなかった。倹約家なのではなく、彼女を徹底的にコントロールしたかったためである。
その夫によって、葉子はついにオーガズムを覚えることになるが、そのことについてこう綴っている。
『私はペニスというペニスを、「お金になる棒」として十代後半を過ごした。でもこれからは、「私が気持ちよくなる棒」「一瞬でもすべてを忘却できる魔法の棒」として使っていくまでなの。そうこれだって! これだって充分に男たちへの復讐なの』(p.162)
彼女は復讐を忘れてはいなかった。
これがプリンセス物語ならば、お金持ちの男の人に見初められて結婚した葉子は、愛し愛されて末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし。レイプで負った傷も癒えて、子供たちに手を焼きながらも素敵なお母さんをやっています。なんて展開していくのかもしれない。だが誰の人生だって、たった20歳で「めでたしめでたし」の結末を迎えるはずがない。
大学を卒業して数年、専業主婦になっていた葉子は、検索したいことがあったため夫のパソコンを立ち上げた。すると、夫が「お気に入り」登録しているアダルトサイトが開いた。それは幼女の写真が目いっぱい掲載されているロリコン向けサイトだった。これをきっかけに、葉子は重度のうつ病にかかった。床に伏せる日々が続くが、夫は仕事と趣味のツーリングなどで家をあける。そのくせ、彼女をどんどん太らせようとしているのか、大量のケーキやピザを買ってきて食べさせたりもしていた。妻が社会性を失い、家の中に閉じこもらざるを得ないことが、夫はうれしくて仕方がないようだったという。
結婚とは何なのか。大半の人間は、幸せになりたくてその決断をするが、では結婚によって得られる幸せと、結婚しない人生で得られるはずだった幸せ、どちらのほうが上だったか。検証することはできない。葉子にとっても、がまがえるとの結婚が不幸を招いた側面もあるし、一方でより深く彼女を傷つける外界からの防御シェルターとして機能した側面もあっただろう。まともな親も友人も持たない葉子を、唯一、この夫だけが守ろうとしたことは間違いない。この手記を出版した2015年末現在も、夫婦は離婚せず暮らしている。
葉子は28歳で看護学校を受験し、夫を説得して東北の学校に進学、一人暮らしをしながら看護を学ぶ。そして、平日昼間は学生/放課後は風俗バイト/週末は東京へ帰り夫婦で過ごす生活を送った。翻って現在。35歳になった彼女は、東京で看護師として働きながら、SM嬢としても仕事をする。自宅では勃起力の弱まった50代の夫の妻として、炊事や洗濯をする。仕事が休みの日には、セックスフレンドとの性行為を楽しむ。しかし葉子のポリシーは、「どんな相手とセックスするときでも、お金をいただくことは忘れない」。
『嘘は決して女の専売特許ではない。男というものは、相手に対して何の責任を取る気もないくせに、セックスをするためならば、「愛している」「好きで好きで仕方ない」などと平気で耳触りのいい嘘をつくのだから』(p.222)
見知らぬ男たちや親から徹底的な暴力に晒され、ロリコン夫に束縛され、風俗の客たちの身勝手さにうんざりしてきた葉子が、男を信じることはないだろう。
看護師としてそれなりの給与を得、会社経営者の夫を持ち、セフレとの逢瀬も重ねる彼女は、傍からは“ヤリ手の女”に見えるかもしれない。あるいは性に貪欲で、金にも強欲な女として映るだろうか。今の彼女を、裕福な男に愛されて結婚し、手に職も持ち、セックスも楽しめるようになったのだから、「立派に回復してるじゃないか、もうレイプのことなんて忘れなよ!」と見る向きもあろう。
再び、精神科医・和田秀樹の解説から引用すると、現在の彼女の様子は『その傷が癒えているわけでも、完治したわけでもない』。理不尽な性暴力を受けた15歳の元日から、心を殺したまま生きている。因果応報の言葉通り、非道な性犯罪を犯した5人の男たちが不幸に苦しみながら死んでいくことを信じて。
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性犯罪被害者であり、地方の貧困家庭の娘であり、毒親の子供であり、風俗嬢であり、看護師である35歳のひとりの女性・雪村葉子の半生は、異世界の出来事ではない。「知らない、知りたくない」で遠ざけてはならない、直視すべき一冊ではないだろうか。
SKE48卒業の宮澤佐江“澤とかぶり”発言に、サッカー関係者激怒「勘違いするな!」
女性アイドルグループ・SKE48とSNH48を兼任する宮澤佐江が16日、来夏をメドにグループから卒業することを発表したが、ある発言をめぐってサッカー関係者の怒りを買っているという。 同日、宮澤はフジテレビ系で放送された音楽特番で卒業を発表。その後、場所を移し、報道陣の取材に応じた。事前に大島優子、秋元才加ら同期メンバーに相談した上であいさつしたこともあり「清々しい気持ちですね。優子からも『よくできました』とメールが届いた」と充実の表情を浮かべていた。 だが、この日はサッカー女子日本代表のパイオニア・澤穂希が現役引退を発表したばかり。なでしこジャパンを最初から引っ張った“顔”を失うこともあって、各界から惜しむ声が続々と報道されていた。そんなこともあってか、宮澤も「私なんかが同じ日に並んじゃって申し訳ありません」と頭を下げたが、この発言がよろしくないという。 「要は、自分の卒業と澤の引退は“同等レベル”というふうに自覚していると思われても仕方がない発言。澤は、W杯の優勝メンバーですが、あちらは単にアイドルグループを卒業脱退するだけのこと。それを一緒にされたら、たまったもんじゃない。確かにメディアは両方を大きく取り上げるでしょうけど、スポーツ・芸能と活躍の場も異なる。勘違いをするのはやめていただきたいですね」(サッカー関係者) もっとも、澤は芸能界に顔が広く、宮澤の発言にいちいち目くじらを立てるような人間ではないと思われる。が、最後の最後に「失言」したという事実だけは、今後も残ってしまう。今回の件が、芸能活動に悪影響を及ぼさなければいいのだが……。
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いまや“No.1アゲマン女優”! 榮倉奈々の「同世代ゴボウ抜き」と「ハゲしめ私生活」に驚愕
女優の榮倉奈々がヒロインで出演する『遺産相続』(テレビ朝日系)が、17日に最終回を迎える。榮倉が演じるのは、向井理が演じる主人公の結婚相手で資産家令嬢という役どころだが、これまでにない大人っぽい演技に視聴者からは好評価が続出。「まだ見ていたい」「可愛すぎる」と絶賛の嵐だ。 榮倉は2002年に芸能界入りし、ファッション誌「SEVENTEEN」(集英社)の専属モデルとして活動。04年から本格的に女優としてのキャリアを歩み出したが、その後は年の近い長澤まさみや新垣結衣、綾瀬はるか、北川景子などがクローズアップされる中、どことなく地味な印象だった。もちろん一定の人気はあったが、主役としてはパンチが足りないイメージだったのは否定できない。 ところが、最近の榮倉は出演作品がことごとくヒットし、注目度もそれに比例して上昇の一途をたどっている。昨年の主演ドラマ『Nのために』(TBS系)は視聴率こそ振るわなかったものの、視聴者の評価は上々。主演映画『図書館戦争-THE LAST MISSION-』は、前作『図書館戦争』(2013)の初日動員数、興行成績で150%の伸びを見せた。その上、「実は大根」といわれる向井理との『遺産相続』も高評価で、全話平均視聴率も2ケタに乗せる可能性を残しており、「アゲマン」の称号まで出てくる勢いだ。同級生である長澤まさみが「劣化した」とひんぱんに騒がれる中で、ルックスにほぼ変化がないのも強みといえる。 「20代前半に一気に売れる傾向がある若手女優の中では、榮倉はどちらかというと『苦労人』ですが、ここへきてブレークしましたね。これまでは熱愛報道こそありましたが、キナ臭いウワサや怪しげなスクープをされたことは一度もないのも大きい。素朴な雰囲気な分、飽きられることもないということでしょう。年配世代の人気も高いですよ」(芸能記者) なんともスキのない榮倉奈々。ただ、プライベートに関しては、水面下で仰天のウワサが飛び交ってはいるが……。 「相当な酒好きで、酔うと下ネタを大声で言う“酒乱”のウワサもありますし、喫煙者であるという情報もずいぶん前から流れています。オトコ関係でいえば、俳優の山本裕典とのツーショットプリクラの流出、フジテレビ社員とのデートスクープが目立つところ。最近では女優の賀来千香子の甥で、『Nのために』で共演した賀来賢人とのUSJデートやドン・キホーテでの目撃談などもあり、熱愛がささやかれてもいますが、明確な証拠は得られていません。見た目に反して意外とイケイケであることだけは、何となくわかりますね(笑)」(同) モテにモテるだろうし、身長も高く自分に自信を持つのも当然。その自信が演技にも表れているのであれば、女優としてはいいことだ。榮倉奈々公式サイトより




