
ファン・ジョンミンが熱血刑事に扮した『ベテラン』。ジョンミンは『新しき世界』(13)のエスカレーターでの血みどろの死闘が忘れがたい
サム・メンデス監督の『007 スペクター』(公開中)が洗練された娯楽映画の極致ならば、それとは真逆の味わいが楽しめるのがリュ・スンワン監督の『ベテラン』だ。『007』シリーズと同じくアクション映画だが、刑事ドラマである本作はとことん泥くさく、汗くさい。主人公である刑事たちはまるでドブすくいするかのように、現代社会の闇の部分に手足を突っ込むことになる。スタイリッシュなかっこ良さには無縁の主人公だが、汗だくでキムチ鍋を食べ終えた後のような爽快さのあるエンディングが待っており、韓国で1300万人を動員する大ヒットとなった。
リュ・スンワン監督は『生き残るための3つの取引』(10)で警察組織の腐敗、『ベルリンファイル』(13)で北朝鮮と韓国との熾烈な諜報戦、と硬派なテーマを扱ってきた。スンワン監督が今回斬り込んだのは、韓国社会を実質的に支配している財閥企業の横暴さだ。大韓航空(韓進グループ)の副社長が起こした「ナッツリターン事件」が大騒ぎになったことは記憶に新しい。また近年だけでも、自動車メーカーを中心にした現代グループでは創業者の孫たちが大麻吸引、韓国最大の財閥であるサムソン電子グループでは会長の孫息子のエリート中学への裏口入学疑惑が問題となった。企業内だけでなく、一般社会でもわがもの顔で振る舞うオーナー一族への庶民の不満は溜まりに溜まっている。そんな庶民の鬱憤を代弁するのが、韓国きっての男気俳優ファン・ジョンミン演じるベテラン刑事とその仲間たちだ。
広域捜査隊のソ・ドチョル(ファン・ジョンミン)はいつも荒っぽい捜査で、出世には縁遠い刑事だった。そんなドチョルは監修をつとめたTVドラマ『女刑事』の打ち上げに呼ばれる。華やかな女優たちがいるパーティー会場で、鼻の下を思いっきり伸ばすドチョル。美味しい食事とお酒にありつこうとするが、会場で異様な光景に出くわす。身なりのいい若者が、美人モデルや屈強なボディガードたちをまるで家畜同然に扱っている。その若者はTVドラマのスポンサーである財閥企業シンジングループの御曹司チョ・テオ(ユ・アイン)だった。テオはずっと鼻をグシュグシュさせていた。ドラッグ常用者の癖だ。せっかくの酒の席を台無しにされたドチョルは、テオに向かって「法は守れよ」と釘を刺すことしかできなかった。
しばらくしてドチョルに電話が掛かってくる。以前から交流のあった子連れのトラック運転手ペ(チョン・ウンイン)が自殺未遂で病院に運ばれたのだ。ペが自殺した場所はシンジングループの中核会社シンジン物産の本社ビルだった。ペ親子は賃金の未支払いが続いていることを本社まで直訴し、その直後にペは非常階段から身投げしたという。事件の臭いを感じたドチョルは、大企業の社内で起きた自殺事件の真相を探り始める。「先輩と一緒にいるとロクなことにならない」と嘆きながらも、ミス・ボン(チャン・ユンジュ)ら広域捜査隊の同僚もドチョルの捜査に協力する。

財閥企業の三代目チョ・テオ(ユ・アイン)。エリート然とした態度を見せるが、後妻の息子であることをコンプレックスに感じている。
大企業がマスコミに広告を大量出稿することで不祥事ネタを封じるのは日本でも見慣れた風景だ。本作ではそれ以上に財閥系大企業のおかしさが描かれる。シンジングループの全体会議に会長が出席することになり、社員は全員紙オムツをはくことが強要される。会長がいる会議の途中でトイレに立つなど許されないからだ。また、会長の息子テオはスポンサーである立場を利用し、CMやTVドラマに出演する女優やモデルを好きなようにもてあそぶ。オーナー一族が法律や企業倫理に反することをしていても社員は誰もとがめない。むしろ積極的にその尻拭いに努め、社内での自分の立場を守ろうとする。韓国では創業者一族によるグループ企業の経営が当たり前となっており、そんな財閥によって韓国経済は支えられている。韓国において巨大財閥は、実にアンタッチャブルな存在なのだ。
アクション演出を得意とするリュ・スンワン監督ならではの痛~い描写がある。トラック運転手のペが幼い息子を連れて、シンジン物産まで陳情に向かったシーンだ。一見すると温厚そうなチョ・テオはペの言い分を熱心に聞き、賃金を支払わない運送会社のチョン所長(チョン・マンシク)を呼び出す。ここまではいい。そこでテオは、ペとチョンにそれぞれボクシンググローブを渡し、男らしくこの場で決着をつけろという。ただ働いた分の賃金を受け取りたいだけのペは一方的にボコボコにされ、その様子をテオはニヤニヤして観戦している。殴られているペは肉体以上に心が痛い。息子の前で無様に殴られ続けているからではない。息子が正義よりも権力や暴力のほうが強いと思うようになってしまうことが辛いのだ。

ミス・ボン(チャン・ユンジュ)をはじめとする広域捜査隊の仲間たち。出世の見込みのない先輩ドチョルの男気にほだされて捜査に協力する。
今回のスンワン監督はアクションとドラマとの配分が抜群にうまい。出番は少ないが、主人公ドチョルの妻ジュヨン(チン・ギョン)の出演パートも効果的だ。稼ぎが少なく、ひとり息子の教育にも理解が乏しい夫のことをいつも愚痴っているジュヨン。そんな彼女のもとにシンジン物産の常務チェ(ユ・ヘジン)が現われ、ブランド品の高級バッグを手渡そうとする。バッグの中には札束がぎっしり。これ以上、夫に余計な首を突っ込ませるなということだ。このシーンの直後、ジュヨンは夫の職場に怒鳴り込み、同僚たちの前で夫をこっぴどく責める。「私だって女だから、高級バッグやお金を目の前にしたら、気持ちが揺れ動いてしまうのよ!」。誰だってお金は欲しい。権力者とうまく付き合って、夫にはもっと出世して稼いでほしい。でも、私が愛した男が、息子の父親がそんなケツの穴の小さな人間でいいのか。私や息子が惚れ惚れしてしまうような、かっこいい男でいてくれと。
古女房にケツを叩かれたドチョルは、大企業の威光に守られたテオへの追求の手を緩めない。シンジングループは政界にも手を回し、警察上層部から捜査中止命令が下りる。それでもドチョルはテオを追う。もう司法問題うんぬんではない。病院で意識不明状態のままのペやその息子に、このままでは合わせる顔がない。我が子に対しても、胸を張れる父親ではいられなくなってしまう。時として人間は自分のことよりも、自分以外の人間のためのほうがガムシャラになれる。クライマックスはソウルの繁華街・明洞でのド派手なカーチェイス&肉弾戦だ。逃げるテオに、汗くさくて重たいお父さんパンチが炸裂する。
(文=長野辰次)

『ベテラン』
監督・脚本/リュ・スンワン 出演/ファン・ジョンミン、ユ・アイン、ユ・ヘジン、オ・ダルス、チャン・ユンジュ
配給CJ Entertainment Japan 12月12日(土)よりシネマート新宿ほか全国順次ロードショー
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