
ダニエル・クレイグ主演作『007 スペクター』。メキシコの祭り“死者の日”に参加したボンドは、亡霊(スペクター)に苦しめられることに。
自由奔放に生きてきた男が、生き方を改めるときが来る。職場で責任ある仕事を任されるようになったとき、肉体的もしくは精神面での変化が生じたとき、そしてマジで惚れた女ができたとき。多くはこの3つのケースのどれかか、もしくはそれらの要素が複合した場合だろう。シリーズ最高傑作と評されている『007 スペクター』は、“世界一のプレイボーイ”として知られたジェームズ・ボンドがそれまでのライフスタイルを改める大転機作となっている。
初代ボンドをショーン・コネリーが演じた『ドクター・ノオ』(62)から、すでに半世紀以上が経つ。映画館で楽しむ英国発の伝統芸能となっている世界屈指の長寿シリーズ『007』は、英国の諜報員であるボンドが世界を股に掛けて国際的犯罪組織と戦うアクション映画としての面白さに加え、ボンドがどんな美女たちとメイクラブするのかがお楽しみとなっていた。ボンド自慢の濃厚フェロモンとベッドテクで、敵の放ったハニートラップ要員さえもボンドの虜にしてしまう。シャレたスーツを着こなし、どんなピンチにも動じず、美女たちとのロマンスも欠かせない。ジェームズ・ボンドは男が頭の中で思い描く“理想の男性像”だった。しかし、50年という時間の経過に伴い、社会情勢も大きく変化し、憧れの男性像もずいぶんと変わった。
ダニエル・クレイグ扮する6代目ボンドは、『ダイヤモンドは永遠に』(71)以来となる巨大犯罪組織スペクターと死闘を繰り広げることになる。前作『スカイフォール』(12)に続いての登板となるサム・メンデス監督はボンドとスペクターの首領(クリストフ・ヴァルツ)との因果関係を解き明かし、ダニエル・クレイグ就任後の『カジノ・ロワイヤル』(06)、『慰めの報酬』(08)、『スカイフォール』、そして本作に至る4作品を総括する。ボンドカーの秘密装置は『ゴールドフィンガー』(64)、ボンドが列車内で戦うシーンは『ロシアから愛をこめて』(63)や『私を愛したスパイ』(77)のオマージュとなっており、オールドファンを喜ばせる。その上で、これまでの歴代ボンドたちがうかつには手を出すことができなかった問題に6代目ボンドは挑むことになる。
スパイとしては非常に優秀だが、愛する女性を守ることができなかったというトラウマを6代目ボンドは抱えている。『カジノ・ロワイヤル』では本気で惚れた女ヴェスパー(エヴァ・グリーン)を目の前で失い、前作『スカイフォール』では家族のいないボンドにとって母親代わりだったM(ジュディ・リンチ)の死も見届けるはめになった。仕事はできても、自分にとっての大切な人を守れずにいることに悩むボンド。メキシコ、イタリア、オーストリア、モロッコ……と世界各地で大掛かりなロケが行なわれ、スケールの大きさを感じさせる本作だが、作品の主題はボンド自身のとてもプライベートなものとなっている。

『アデル、ブルーは熱い色』でギンギンの官能艶技を披露したレア・セドゥがボンドガールに。役名はマドレーヌ・スワンと『007』ならではの珍名。
6代目ボンドの何とストイックなことか。初代ボンドことショーン・コネリーは『ゴールドフィンガー』ではレズビアンである悪女プッシー・ガロア(オナー・ブラックマン)を濃厚キスで改心させた(今だったらLGBT関係の団体から訴えられるよ)。日本ロケ作品『007は二度死ぬ』(67)では海女である浜美枝と偽装結婚するというダークな一面も見せている。3代目ボンドのロジャー・ムーアは『ムーンレイカー』(79)で無重力ファックしている様子を衛星生中継され、『美しき獲物たち』(85)では筋肉女グレイス・ジョーンズとベッドを共にした。かつてのボンドたちのお盛んぶりに比べると、亡くなった女性を想い続ける現在のボンド像は隔世の感がある。
本作には2人のボンドガールが登場する。年季の入ったファンのために、美熟女モニカ・ベルッチを用意。しかも夫を亡くしたばかりの喪服が似合う後家さんというマニア好みの設定にしてある。ボンドは自分が殺した男の未亡人と危険な関係を持ち、首尾よく犯罪組織の情報を手に入れる。モニカ・ベルッチはボンドに利用される旧来のボンドガール的役回りだ。もうひとりはボンドと対等なパートナーシップを結ぶことになる新しいボンドガール像のレア・セドゥ。『アデル、ブルーは熱い色』(13)で大胆ヌードを披露したレア・セドゥは、我が道を突き進むジェンダーフリーなキャラがよく似合う。そんな彼女が演じるマドレーヌは、ボンドと生死を共にすることで激しい恋愛感情が燃え上がる。自分の意志を持つマドレーヌと出会い、親密な関係になることで、組織の一員であるボンドはそれまでの自分の生き方を問い直すことになる。任務のためとはいえ数多くの女性たちと夜を共にしてきたセックスライフも、死んだ女性に捕らわれ続けるネガティブな思考性もリセットすることを考え始める。かつては男が憧れる“理想の男性”だったボンドが、女性にとっても好ましい“理想の大人”へと成熟していく。

歴代最年長ボンドガールとなったモニカ・ベルッチ。『アレックス』(02)でも悲惨な目に遭ったが、薄幸キャラは美女だけに許された特権だ。
代替わりの度にボンド像は軌道修正が加えられてきたが、過去いちばん顕著だったのは2代目ボンド、ジョージ・レーゼンビーが唯一主演した『女王陛下の007』(69)だった。このときの2代目ボンドはピンチを救ってくれたテレサ(ダイアナ・リグ)と結婚式を挙げ、ハネムーンに出掛ける。生涯独身だと思っていたボンドが身を固めたことに、当時のファンは驚き、またあまりのサプライズなエンディングに『女王陛下の007』は興行的にコケてしまった。ニューシネマ風味のドラマとしては高く評価できる『女王陛下の007』だが、ファンの間ではなかったことになっている。当時は支持されなかった、ひとりの女性を愛したことで欠番扱いとなっていたボンド像を、サム・メンデス監督は現代的にリブートした格好だ。
長年のファンが観ても楽しめ、女性層も納得できる『007 スペクター』は非常に完成度が高い作品だが、でもそれゆえに一抹の侘しさも覚える。かつてのボンドたちがセクシーなボンドガールたちを相手にハチャメチャしていた頃の能天気さが胸に去来する。男が生き方を改めるとき、男は一瞬だけ過去を懐かしむノスタルジックな想いに駆られる。
(文=長野辰次)

『007 スペクター』
監督/サム・メンデス 出演/ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レア・セドゥ、ベン・ウイショー、ナオミ・ハリス、デイヴ・バウティスタ、モニカ・ベルッチ、レイフ・ファインズ
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 12月4日(金)よりTOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー
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