ラグビーW杯イングランド大会1次リーグ初戦で強豪・南アフリカ撃破の立役者となった日本代表・五郎丸歩(ヤマハ発動機)の出現に、二丁目界隈が歓喜の涙で濡れているという。 身長185センチ、体重100キロのマッチョ体形に、あごヒゲを蓄えたイケメンなのだから鬼に金棒。案の定、南アフリカ戦直後から“ゲイの聖地”では「いい男!」「ファンになったわ」と、ラブコールが続出している。 こうした五郎丸人気には、このところゲイの世界で“悲報”が相次いだのも大きい。人気の双璧を成してきた男子ハンマー投げの室伏広治、サッカー日本代表GKの川島永嗣がそろって結婚を発表。現在、希望の星は現役引退した男子フィギュアスケートの高橋大輔くらいなものだ。 都内在住のオネエ男性は「室伏と川島はずっと“コッチ系”だと思っていたので、ショックはデカかったわ。五郎丸は妻子持ちだけど、最初からわかっている分、傷は浅い。なにせ、ゲイ憧れのスポーツであるラクビーですもの。そりゃあ、みんな興奮するわよ!」と話す。 しかも五郎丸の場合は、あたかもゲイ人気を意識したかのような画像をTwitterにアップしているところが憎らしい。 「チームメイトと上半身裸で肩を組む写真や、短パン&タンクトップで開脚している写真など、ゲイにしてみれば“オカズにしてください”と言っているようなもの。すでにゲイのSNSでは彼のセクシー写真が大量流出してるわ。今後も見逃せないわね!」(同) 次の試合は来月3日のサモア戦。きっと二丁目は、大歓声に包まれることだろう。ヤマハ発動機ジュビロ公式サイトより
日別アーカイブ: 2015年9月29日
福山雅治“内田有紀ら女優と交際”、吹石一恵“スキャンダル処女”ビッグカップルの異性遍歴
千原ジュニア結婚をかき消していったましゃ兄
福山雅治が28日、かねてから交際していた吹石一恵と結婚したことを発表した。「友人関係から始まり、数年前よりお付き合いが続いていく中でいつしか人生を支え合う存在として意識するようになりました」という報告FAXには、ファンのみならずマスコミ関係者も衝撃を受けているという。
両者の交際は、2012年1月発売の「フライデー」(講談社)がスクープした。「超厳戒忍び愛」と銘打たれた同記事では、福山は女性ファンの信頼を守るため、女性と2人きりでは外出さえしないなどと報じていた。
『日本のチキンは安全なのか?』岡田斗司夫
かなり偉い人なので、他の人なら見せてもらえないような研究所や研究結果なんかも見られる。
そういう「門外不出の知識」を多く知っている彼が断定した。・・・(続きは探偵ファイルで)
針供養
元々机に向う事自体が嫌いだっただけに、この仕事を始めて以来その症状は悪化の一途を辿っており、日々この悩みに頭を抱えておりました。・・・(続きは探偵ファイルで)
「まるでリベンジポルノ」不倫告白の一青窈が怖すぎる……“お相手”小林武史の心中や、いかに!?
妊娠中の歌手、一青窈が週刊誌で7年間の不倫について告白したことに、衝撃が走っている。 「このタイミングでわざわざ告白して、いやらしいにもほどがあります。まるで嫌がらせにも見えますから、2人を知る関係者からは“リベンジポルノと大差ない”という声も上がっているんです」(音楽関係者) もちろん不倫告白とリベンジポルノではまったく別物であるが、一青の不倫相手が音楽プロデューサーの小林武史だったことは周知の事実。小林は女優の松下由樹と長く交際した後、当時自らが所属していた「My Little Lover」のakkoと1999年に結婚。2人の子どもをもうけたが、05年ごろに一青と知り合い、07年に不倫交際が発覚した。妻との関係がおかしくなった小林は「My Little Lover」を脱退し、その後に離婚。晴れて一青と同棲していたため「略奪愛」といわれてきたが、その関係にも昨年、ついに終止符が打たれていた。 一青の「7年間の不倫」は、この“周知の事実”にぴったり合致するもので、告白記事では交際当時は小林が既婚者だとは知らなかったこと、家庭があることを知っても不倫を続け、結婚・出産の希望もあったが、それはかなわず別れたとしている。小林とakkoの結婚は大きく報じられていたことでもあり「知らなかった」というのは疑わしくもあるが、いずれにせよ、そんな過去を今さら蒸し返されて迷惑なのは小林だ。 というのも、小林は「My Little Lover」がデビュー20周年を迎えることでシングル曲を書き下ろし、10月下旬に発売する。さらに11月には、デビューアルバム『evergreen』を再プロデュースした形の新作もリリース。長くakkoのソロプロジェクトとなっていたグループに、再結成に近い形で合流したわけだ。 「そんな中で、2人の亀裂の原因になった不倫話を持ち出す一青さんの無神経ぶりにびっくりです。元夫妻が過去の問題を超えてまた仕事をするのは、長い時間、関係者の尽力もあって実現したこと。ムッとしている関係者も多いですよ」(前出関係者) 一青は今年4月、ギタリスト・山口周平と妊娠4カ月での“できちゃった婚”を発表。小林と破局が伝えられたのは昨年10月の話で、あまりの展開の早さに世間を驚かせたが、なんの因果か「My Little Lover」の新作が出る同じ11月に出産予定。幸せの渦中で、わざわざ不倫告白をした理由はなんだろうか? 「いかにも彼女がやりそうなこと」と、前出関係者は一青の性格的なものを挙げる。 「とにかく気が強いし、攻撃的なところがある方ですからね。音楽番組に出ても、偉いプロデューサーや大物ミュージシャンにだけ挨拶をして、ほかは一切無視するような人。別れた彼氏が元妻とうまくやっていることに嫉妬して、何か仕返ししてやりたいと思っても不思議じゃない」(同) 一青の強烈なキャラクターは、出演番組のスタッフからも聞かれる。 「確かに、一介のスタッフたちには目も合わせないところがありますね。局入りするときも、びっくりするぐらい大勢のスタッフをゾロゾロ連れてきて、実際にそんなに必要なくても、人数が少ないだけで機嫌が悪くなるとかで……」 一青は父親が台湾人で、同国の5大財閥に数えられる資産家一族の出身。それだけにプライドが高いのは当然かもしれないが、それにしても新婚の妊娠中に、ただでさえ恥である過去の不倫について語るのは常識外の行動で、相手男性への気遣いもない話だ。 小林の元妻akkoは昨年、一般男性と再婚しており、小林との再結成はあくまで仕事上のものだが、そんなことすらも許せない気持ちになってしまうのだろうか。一青は7月にカバーアルバムを発売し、そのCDの帯には「口伝えに子どもに読み聞かせする絵本のようにずっとずっと残しておきたいんです」との言葉を記している。不倫の過去も、消さずに残したかったのだろうか。 (文=片岡亮)一青窈オフィシャルサイトより
ロージー・オドネル、別居中の妻が自殺未遂!
森三中・大島の妊活本がトンデモの宝箱すぎた件
宮台真司の『野火』『日本のいちばん長い日』評:戦争を描いた非戦争映画が伝えるもの
『野火』と『シン・レッド・ライン』の共通モチーフ

『野火』場面写真
末端もデタラメ、頂点もデタラメ
一方、原田眞人監督『日本のいちばん長い日』(2015年)は、『シン・レッド・ライン』と『野火』が、否定的にせよ肯定的にせよ、せいぜいが軍曹くらいまでの「末端」の、戦場におけるデタラメぶりを描くのに対し、本作は参謀本部や御前会議のような「最上層部」の、「末端」に勝るとも劣らないデタラメぶりを描きます。そこが昨年公開されたピーター・ウェーバー『終戦のエンペラー』(2014年)と重なります。『野火』と『日本のいちばん長い日』は、対照的に見えて、共通して戦争(という人間の時間)の茶番を描きます。 『日本のいちばん長い日』は、1967年に一度映画化され、1980年にテレビドラマ化(TBS系『歴史の涙』)もされました。本作はそれらと少し違います。過去の作品は無条件降伏を阻止しようとする将校らが皇居を占拠した宮城反逆事件をメインに描いたサスペンスですが、本作は天皇の御振る舞いを綿密に描くことで、陛下のあまりのマトモさに比べて、参謀本部や御前会議に陣取る首相以下各大臣のデタラメぶりが浮き彫りになるという仕掛けになっています。 デタラメな指導陣ですが、阿南惟幾陸相と鈴木貫太郎首相だけが肯定的に描かれます。阿南は陸軍の尊厳護持と陛下への尊崇との間で板挟みになった境界的存在。鈴木貫太郎首相もクソ連中を宥め賺して陛下の御意向に沿うべく苦心した境界的存在。共通します。実は境界的存在を擁護するのが原田監督流。鈴木首相を演じた山崎努の凄い演技を見ると、史実的な「耳の遠さ」も詐病かと疑うほど(笑)。いずれにせよ、余程のタヌキか強烈な矜持を持つ者でなければ、指導者層の余りのクソぶりゆえに自分を保てないことが描かれます。天皇戦争責任論を一掃した作品群
『終戦のエンペラー』と『いちばん長い日』は噛み合います。『終戦のエンペラー』は天皇の戦争責任が3点で成り立たないとします。第一に、12月8日開戦3カ月前に明治天皇の御製短歌を引用し御前会議で開戦反対意思を表明されたこと。第二に、陛下が意志を表明されたから総玉砕を回避できたこと。第三に、終戦後のマッカーサー拝謁が周囲の反対を排けて独断でなされたこと。マッカーサー回顧録には陛下が他の者に罪はないから私を処刑せよと述べたとあり、これでアメリカの天皇処刑論が一掃されて国体が護持されました。 しかし、第二の終戦の詔勅については、敗戦を決断できるぐらいなら、開戦を回避できただろうとして、やはり天皇の責任を問う議論があります。これについて原田監督の『いちばん長い日』は、陛下による終戦の決断が、天皇単独で出来うるものでは到底なく、鈴木貫太郎首相や阿南陸軍大臣らの「タヌキの大芝居」を通じてようやく可能になったことを、原作に即してちゃんと描いています。というわけで、この二つの映画を見れば、天皇の戦争責任論が完全に粉砕されているのが分かるでしょう。 『終戦のエンペラー』と同じく今回の『いちばん長い日』もまた、天皇主義者の僕としては納得の行く描き方をしていて、満足です。『終戦のエンペラー』もソクーロフ監督『太陽』(2005年)も日本映画ではありませんから、日本映画としては殆ど初めてじゃないでしょうか。これまで大東亜戦争における陛下の役割とは何だったのかについて、日本の映画は明確に描いて来なかったのです。昨年『終戦のエンペラー』を見たときも、僕はどうして日本がこれを描けないのかと憤慨していました。その意味で良かったです。一方的な感情移入を排する原田流
ちなみに僕は、原田眞人監督と『バウンス ko GALS』(1997年)のプロモーションでお会いし、一時期交流していたことがあります。彼の作品はたいてい見ていますか、原田監督の資質が最もよく表れているのが『狗神 INUGAMI』(2001年)という作品でしょうか。これを観たとき、この監督は本当にすごいと思いました。そして、『一番長い日』では、彼が『狗神』で見せた演出方法を完全に踏襲しているのです。一口で言えば“一方的な感情移入”を排除しようとするのです。 『狗神』は狗神筋が存在する高知の山深い尾峰の村での悲劇を描きます。オカルト映画としては異色で、オカルト映画に見えて、実際オカルト現象は一切映し出されません。村では「壺の中に狗神が見えれば狗神筋」だとされ、「狗神が見える」と称する人たちが登場します。しかし、映像に登場する壺の中はただ真っ暗。「狗神が見える」と称する人たちの体験に相応する現実があるのかどうかには触れません。怪異を体験したと称する人が描かれても、怪異現象自体は決して描かれないのです。 これはスタンリー・キューブリック監督の名作『シャイニング』(1980年)に通じる描き方です。『シャイニング』でも、主人公を含めた登場人物たちが経験する怪異な体験について、それに相応する現実があるかどうかはやはり描かれません。ラストシーンで主人公のジャック・ニコルソンが「All work and no Play makes Jack a dull boy」という文章を原稿用紙にただ打ち込み続けているという描写がありますが、それも悪魔憑きによるものなのかどうかについては描かれません。 カール・グスタフ・ユングは、「神秘体験の存在は、神秘現象の存在を意味しない」という有名な言葉を残しました。神秘体験は催眠誘導などで簡単に引き起こせるので、そのことを知らないと、オウム信者がそうだったように「似非グル」に心酔しがちです。ことほどさように「体験と現実との間に必ずしもリンクがない」という発想は近代的です。そうした発想を原田監督はお持ちです。そうした彼の感性が『いちばん長い日』でも発揮されています。宮城反逆事件を起こした将校たちの描かれ方が典型です。宮城反逆事件の将校らの描かれ方
普通ならば「過激派」的な悪役イメージを配当されがちですが、原田監督の『いちばん長い日』は違う。ある種の観客には十分に共感できる描き方をしています。これは倫理的に正しい。国民の多くは二・二六事件の青年将校が好きで、『実録・阿部定』(1975年)や『愛のコリーダ』(1976年)など映画で何度も描かれています。宮城反逆事件の青年将校と二・二六の青年将校との間に、あるいは多くの国民が大好きな赤穂浪士との間に、さしたる違いはない。みな純粋無垢な反逆者です。そのことが何を意味するのでしょうか。 かつては丸山眞男、最近は宗教学者の島薗進氏が仰るように、天皇制ファシズムを主導したのが統制派つまり軍エリートだったという説は間違いで、むしろ庶民の共感を背景としたノンエリート層の皇道派が主導的でした。天皇を支配の道具とみなしつつ国民には天皇を天孫と崇めさせる天皇機関説的なエリート層を大衆から見ると、イケ好かないインテリどもの天皇利用だと感じられたのです。そうした庶民の憤激を背景に、蓑田胸喜・国士舘専門学校教授のような連中が、東京帝国大学のリベラルな教授たちを追放していきます。 東京裁判で、戦争責任は専らA級戦犯にあるとする「手打ち」になり、天皇と国民から戦争責任が免じられました。国民が悪くなかったという話は元々はネタなのに、やがてベタになりました。でも、庶民もヤバイ。というか、庶民がヤバイ。現に二・二六事件の青年将校を応援したがるメンタリティが、陸軍内部の反逆である宮城事件に直結する。原田監督はそれを意識するから、否定的にも肯定的にも描きません。狗神がいるのかいないのか言及しないのと同じように、何が本当に正しいのか言及しない。とても正しい演出です。 前回『バケモノの子』を論じて、言語と言語以前という二項図式があることを言いました。(参考:宮台真司の『バケモノの子』評:言葉ならざる親子の関係を描く、細田守監督の慧眼)渋谷(人間界)は言語が優位な世界。澁天街(バケモノ界)は言語以前的なものが優位な世界。親子関係はそもそもは言語以前的な感情が中心を占めるべき関係じゃなかったのか──と。最近の映画には、言語と言語以前、理性と感情といった二項図式を使うものが目立ちます。『いちばん長い日』でも、天皇の佇まい、阿南陸軍相の佇まい、畑中少佐の佇まいなどが丹念に描かれます。そのことが僕たちに、ある投げかけをしています概念言語と言語以前の微妙な関係
阿南一家のあり方、阿南陸相と陛下との心の通い合い、狡猾な東条英機とピュアな畑中少佐の対比などから、「古い人たちの人間関係や古い人の佇まいは、いいものだな」と感じさせます。オーラが感染するのです。僕たちはこうして言語以前的な感情に動機づけられるのですが、しかし、その感情が概念言語によって水路づけられてしまうので、ミソもクソも一緒になりがちなのです。例えば、阿南陸相と幕僚たちが「ともに陸軍幹部」ということになり、「東条英機と畑中少佐が同じ尊皇主義者」ということになってしまいます。 イデオロギーつまり概念言語の如何を以てヒトを分ける仕方とは別に、他者を感染させる力をもつ立派な存在かどうかでヒトを分ける仕方もあります。玄洋社の遠山満は、左右のイデオロギーを問わず、コイツは立派だと判断すれば食客にしました。そのように、ヒトの立派さや情念や心意気への感染を良しとする構えが、ただの保守と区別されて、右翼的=主意主義的と見做されてきた歴史があります。映画でも、暴発した若手将校はただのキチガイとしては描かれていません。しかしそこにこそ、これから述べる悲劇があります。 例えば、僕が誰かの情念や心意気に感染したとして、その誰かが抱くイデオロギーが愚昧であれば、僕は愚昧なイデオロギーに引き回されます。逆に、イデオロギーが愚昧だったにせよ、情念や心意気への感染自体が間違っていたわけではありません。しかし、情念や心意気への感染を、イデオロギーの正しさと取り違えると、悲劇がもたらされます。概念言語と言語以前のものとの間に、こうした微妙な関係があります。だから、かつての京都学派のように、言語以前的なものへの注目を切口に、愚昧な全体主義を呼び出せます。概念言語はミソもクソも一緒くた
京都大学で人類進化論を研究しておられる山極寿一先生は、人間の始まりは言葉でも火でもなく「共同保育」を行うようになったことだとします。猿は四肢が手ですが、ヒトは下肢が足に戻ったので、赤子が母親に常時つかまれず、仰向けに寝かされます。母親は赤子を置いて遠くに出かけられます。赤子は母親を呼ぶために泣きます。母親以外の周囲も駆けつけてあやせます。赤子は笑顔で報償を返します。こうした経緯で母親以外が育児に関わる可能性が開かれ、共同保育につながります。 ヒトは下肢が足になったので、物を持って遠くに狩猟採集に出かけられます。それに必要な皮下脂肪を蓄えるべく満腹反応が遅れるようになります。遠くで狩猟採集してもその場で食べずに共同保育の場に持ち帰るようになりますが、可能にしたのが共感能力です。つまり「自分が空腹であるように家族や仲間も空腹なはずだ」などと他者に生じている反応を自らに引き起こす力です。こうしたことに加えて、山極先生はヒトが戦争をするようになったのは言葉のせいだとします。 現存する原初的な部族を見ても分かるように、とりわけ女をめぐる争いが部族間抗争に発展しがちなものの、ジェノサイド(全面殺戮)は起こりません。基本的にメンツの争いなので、互いのメンツが立つよう抗争を収束させるための知恵が蓄積されてきました。ところが、4万年余り前から言葉を使うようになって、ミソもクソも一緒くたに全て敵のせいにできるようになります。それゆえ、言語以前的な感染力──感染する力やさせる力──が、概念言語に水路づけられるようになり、暴走しがちになったのだと。 ロゴス中心主義的な西欧文明が一部を失った言語以前的なものへの鋭敏ぶりは、断固として擁護されるべきですが、そうであるにせよ、そうした言語以前的なものへの鋭敏ぶりが、概念言語によるデタラメな構築物に向けて動員されてきた歴史もあります。その意味で、言語以前的なものを擁護しつつ否定し、否定しつつ擁護するのが合理的です。原田監督は、英米で大学教育を受けて来られたのもあってか、『日本のいちばん長い日』では、日本的なものを「擁護しつつも距離をとり、距離をとりつつ擁護する」立場をとっておられます。 そういうことも踏まえ、後編では主に『ドローン・オブ・ウォー』について話しましょう。 (取材=神谷弘一) ■宮台真司 社会学者。首都大学東京教授。近著に『14歳からの社会学』(世界文化社)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎)など。Twitter ■公開情報 『日本のいちばん長い日』 公開中 役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山﨑努 監督・脚本:原田眞人 原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊) 配給:アスミック・エース、松竹 ©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会 『野火』 公開中 原作:大岡昇平「野火」 出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作 監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也 製作年:2014年 製作:日本 上映時間:87分 PG12 配給:海獣シアター共演者キラー・石原さとみを事務所関係者が徹底ガード! 山下智久も思わず「口説かねーよ……」
共演者キラーといわれる女優・石原さとみを、事務所関係者が徹底ガードしているという。 石原は10月からスタートのフジテレビ月9ドラマ『5→9~私に恋したイケメンすぎるお坊さん~』で山下智久と共演するが、ほかの出演者である速水もこみち、ジャニーズJr・長妻怜央らイケメン俳優に囲まれる中で、事務所関係者が連絡先すら交換させまいとしていたというのだ。 ドラマ関係者によると「表向き『ジャニーズが厳しいから』ということを理由に、石原サイドの関係者がお互いの楽屋に入り浸らないよう通達していたり、石原さんがトイレに行くときもドアの前に立って、撮影の合間の雑談にまで立ち会っている感じで、何か異様だった」という。 石原はこれまで、共演者とのウワサが絶えなかった“肉食”女優だ。嵐・松本潤ほか、佐藤健、小栗旬、生田斗真ら、ドラマなど仕事で共演するたびに交際のウワサが持ち上がってきた。実際、石原本人も恋人役になった共演者については「その一瞬は、すごい好きなんです。ドキドキもするし、会いたくてしょうがない」と、撮影中にマジ惚れしてしまう性癖を吐露しているほど。 昨年、週刊誌記者がインターネット番組で暴露したところによると、石原は舞台『ロミオとジュリエット』の打ち上げでも役作りが解けず、スタッフの目前で共演者の佐藤健とキスしていたという。また、同記者は「石原は『友達としてなら』という条件で気軽に連絡先を交換したり、飲み会に足を運ぶので、相手が勘違いしやすい」と、石原のガードの甘さも一因のようだ。 そんな石原が今回のドラマで演じるのは、「人生最大のモテ期」が訪れる英会話講師役。石原自身はこれを「棚からぼた餅みたい」と笑ったが、当然ながらそのマジ惚れ癖が危ないとみられ、中でも警戒感を強めていたのは相手役の山下のファンたちだ。石原の「月9ドラマ(主演)はデビュー当時からの夢だった」という発言には「いつも以上の入れ込みようだから、山Pが食べられてしまう!」といった声も上がっていた。そうした空気を察知したのか、石原サイドがやたら神経質になっていたわけだ。 「撮影前の顔合わせからピリピリしていて、番組宣伝用の撮影でも、撮り終わるとスタッフが間に割って入っていたんです。あまりに石原のスタッフが配慮しようとするので、山下が小さく『口説かねーよ』ってつぶやいたほど」と前出関係者。 ただ、スタッフが神経質になっていたのは「石原が、やたら肉食とか小悪魔とかいわれるイメージを払拭したい狙いがあってのこと」と話す芸能プロ関係者もいる。 「結婚秒読みといわれた長谷川博己と鈴木京香の関係が怪しくなった原因が、長谷川と映画『進撃の巨人』で共演した石原のせいだとかマスコミに書かれ、事務所のトップが『どうにかしろ』と指示したらしい」(同) 毎年、番組改編の季節になると、とってつけたかのような共演者同士の“宣伝ゴシップ”が出ることは多いが、今回はそれもNGになりそうだ。 (文=ハイセーヤスダ)
「次、城島君でしょ」「もう45歳じゃない?」SMAP・中居、ジャニーズ結婚事情を語る
茂が結婚する暁には中居くん泣くでしょ、これ
SMAP・中居正広が、自身のラジオ番組『中居正広のSome girl’SMAP』(ニッポン放送、9月26日放送)で、9月11日に一般女性との入籍を発表したTOKIO・国分太一からの「結婚報告」の様子を明かした。若い頃の遊び仲間である国分の結婚に感慨深い気持ちになったのか、合宿所時代のエピソードやジャニーズタレントの結婚に関する話も飛び出した。
この日の番組では「TOKIOの国分君が結婚されました。おめでとうございます」と切り出した中居。国分からは、何日か前にショートメールで「話したいことがあるんで電話ください」という連絡があったといい、電話したところ「結婚することになりました」と、報告を受けたとのこと。中居と国分、V6・井ノ原快彦の3人は何年かに1回のペースで食事に行く間柄のため、交際相手についても「直接お会いはしたことないですけど、話はずっと聞いてた」そうだ。また、結婚については国分が「タイミングですね」と話していたといい、「本当、良かったなぁと思いますよね」と、交際7年でようやくゴールインに至った国分を祝福した。




