スザンヌのヨガインストラクター就任に批判が殺到した理由

 4月、自身のブログで、3カ月間の勉強の末にグラヴィティヨガインストラクターの試験に合格したことを明かしていたタレントのスザンヌ(28)。3月に離婚してから、バラエティー番組出演時には離婚絡みのネタにも笑顔で応え、離婚特需的にメディア露出を増やしていた彼女だが、一方ではグラヴィティヨガインストラクターという新たな道も開拓していたようだ。  ブログ記事で彼女は、「夏頃にはイベントやクラスができたらいいな」と今後の展望を綴っていたが、今月25日に初のレッスンが開催されるという。レッスンは彼女の地元である熊本で行われ、定員は45名、参加費は4500円だ。  しかし、そんなスザンヌの新たなお仕事に、ネット上で多数の批判が向けられている。 「3カ月で先生になれるヨガに長く通い続ける生徒さんがいるんですかね?」 「お金払ってまで行こうとは思わない」 「元々ヨガ経験者だったワケでもないのに」  どうやら、彼女が取得したグラヴィティヨガインストラクターの資格が“3カ月”で取れるものであることから、「お金を取って人に教えられるほどの技術はない」と捉え、否定的に受け止めた人が多いようだ。  資格といっても、長期的に勉強に取り組まなければ取得が難しいものから、短期間の講習や勉強で取れるものまで様々ある。スザンヌが取ったものは後者のようであるが、そうした資格があるから取得したまでのことで、彼女自身を批判の矛先にしていい理由にはならないだろう。  また、彼女は現在一人息子を育てるシングルマザーであり、東京でのタレント活動の際は息子を熊本の実家に預けて単身で東京に来なければならないことを気に病んでいた。しかし、地元でヨガ講師をすれば息子との時間も確保できる。彼女の知名度であれば、レッスンの集客力もあるだろうし、合理的で堅実なやり方なのではないだろうか。オバカキャラで世に出た彼女だが、やはり馬鹿ではなさそうだ。  彼女が“出稼ぎ状態”である現状を公表したときには、「子供のそばにいてあげて」との批判が沸き、実際彼女が子供との時間を確保できる方法を見い出すと、また別の批判があった。では一体、どうしろというのか。ああしろこうしろ、いやするな、とうるさい世間の声が、スザンヌのみならず母親たちが働きづらさを感じる要因のひとつとなっている。 (シュガー乙子)

共演者は“竿姉妹”だらけ? 志村けんがテレビ番組で美女ハーレムを作れる秘密とは?

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※イメージ画像:『志村流―金・ビジネス・人生の成功哲学』
 数多くの芸人が活躍する芸能界において、生粋のコメディアンとして知られ、憧れを抱く芸人も多い志村けん。現在65歳でありながら独身を貫いているが、相手がいないわけではない。むしろ、若い女優やグラビアアイドル、モデルなどと浮き名を流すことも多く、モテている印象が強い。  だが、その“モテる”状況には賛否がある。自らが気に入った女性タレントを番組に抜擢させるなどして、公私混同とも言われているからだ。このような状況に業界関係者は不満を抱くことはないのであろうか。 「志村さんは、間違いなく公私混同している芸人さんです。自分が好きになった女性を共演者に呼ぶのは日常茶飯事ですからね。しかし、それを批判する人はほとんどいないです」(テレビ局関係者)  公私混同をしながら批判がないとは、どういうことか。 「志村さんは全てがストレートなんです。スタッフにも『あの子が好きだから呼んでほしい』とストレートに言います。『才能がある』などと、それっぽい理由を付けて好きな女性を番組に呼ぼうとする人も芸能界には多いですが、志村さんは遠まわしな言い方をしません。それが、かえって清々しいので、誰も嫌がりませんね。それに、いくら好きでもコントができる才能があることを見抜いた上で呼んでいるので、現場的には迷惑もしません」(同)  現場のスタッフは特に気にしていないようだが、番組を利用して好きな芸能人と出会うのは問題ないのであろうか。 「そういうふうに見えると思いますが、そもそも共演する前に出会って、口説いており、共演する前の段階で付き合っているんです。その上で番組にも呼ぶので、番組を使って付き合おうとしているとか、そういうことではなく、純粋に自分の彼女が現場にいたほうがやる気にも繋がるから呼んでいるわけです。ただし、別れたらレギュラーも辞めてもらうので、まるで小中学生の恋愛のように好き嫌いがハッキリしていますね」(同)  何も付き合うために番組を利用しているわけではないようだ。さらに、この関係者は志村けんがモテる秘訣も教えてくれた。 「志村さんはモテるというイメージが強いですが、それは自分から動いているからです。女性のほうから言い寄ってくると見られがちですが、実際は志村さんから口説きにかかっています。テレビで見て気になれば知り合いになり、全力で口説くという感じです。女性が喜ぶサプライズを積極的に行い、またマメな性格も影響して、女性が付き合いを承諾することも多く、色々な女性との色恋沙汰が表に出ているわけですね。そのため、厳密に言えばモテているわけではないのかもしれません」(同)  大御所芸人としての地位と権力を使って女性を口説いているのかと思いきや、実際には本人の努力とマメさで女性たちを落としているようだ。しかし、そうなると、一体どんな口説き方をしているのかも気になるところだが、それは当事者のみが知るところのようだ。 (文=吉沢ひかる)

『インサイド・ヘッド』のインサイド "狂気の情報量"を投入する米国アニメに迫る

【リアルサウンドより】

宮﨑駿を魅了した、ピクサー監督の奇想と愛情

 先日、宮﨑駿が、あるアニメーション映画の試写を鑑賞直後、立ち上がって拍手したという。その作品は細田守監督の『バケモノの子』......ではなく、ピクサー・アニメーション・スタジオ新作『インサイド・ヘッド』であった。『バケモノの子』で、バケモノの精神を少年が受け継ぐ物語が、ややもすると「アニメ界のバケモノ宮﨑駿の魂を受け継ぐのは自分である」という宣言に見えるほど、細田監督が自作で宮崎作品へのラブコールを繰り返してきたのと同様、『インサイド・ヘッド』のピート・ドクター監督も、『カールじいさんの空飛ぶ家』の空中戦などにおいて、同様に宮崎作品からの影響を熱く表現してみせている。巷では「ポスト宮崎待望論」がささやかれるが、近年の見事なピクサー作品を観ると、日本のアニメーション監督に限定して考える必要はないかもしれないと感じる。  『インサイド・ヘッド』で目を引くのは、頭の中をひとつの世界として戯画化する挑戦だ。ヨロコビ、イカリ、ムカムカなど5つの感情が、それぞれ擬人化したキャラクターとして現れ、それらが脳の持ち主である人間の行動をコントロールし、ピンボールのように流れ込んでくる個々の記憶を整理し、巨大な図書館の棚のような脳内のひだに格納していく。映画は、少女ライリーが直面する現実の物語と、脳内の物語が、それぞれに干渉し合いながら進行し、その両面が描かれる。ピクサー作品のなかで最も個性的なコンセプトの作品といえるだろう。  ピクサー内部でも「天才」と名高いブラッド・バード監督が実写作品に移行するなか、主要スタッフ、監督としてピクサーでアニメーション表現を追及し続けてきたピート・ドクターは、ジョン・ラセターやバードと比較すると、テーマや演出においては、個性がやや弱い印象がある。だが、彼の持ち味は、モンスターの会社や、風船で空を飛ぶ家など、物語を生み出す上での突飛な発想力だといえる。ピートは、瞑想室のような薄暗いプライヴェート・オフィスで独創的な案をひねり出す。
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(C)2015 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 物語のなかで、都会に引っ越し、生まれ住んだ家や友達と離れた悲しみを無理に抑圧しようとしたライリーは、転校初日、教室のみんなに挨拶をしながら思わず涙を溢れさせてしまう。それは脳内では、悲しみの感情を司るカナシミの、無意識の行動としても描かれる。ライリーを不幸にするだけの存在だと思われていたカナシミだが、ヨロコビとともに脳内を冒険するなかで、他人の傷ついた心に寄り添い共感する特別な能力を持っているということが分かってくる。ライリーは、脳内の感情たちとともに、世界の実像に触れ成長していく。  ピート・ドクターは、監督作『モンスターズ・インク』の少女を、自身の小さな娘をモデルに、『インサイド・ヘッド』でも思春期に入った娘の心理からインスピレーションを得ている。それが少女の心理や、その親の感情表現に、より深い実感を与えていることは言うまでもない。完成まで5年と、ピクサー作品としても例外的に長期製作になったことから分かるように、この難物の企画を、それでも完成し得たのは、奇想と実直を併せ持つピート・ドクターならではといえる。  脳の構造と精神分析的な知識を散りばめた物語は、小さな子供の観客には難し過ぎるかもしれない。けれども、現実世界がそうであるように、子供たちは作品世界の全てを理解する必要はない。脳内世界の住人の謎や、精神の奥底への畏怖や美しさは、子供たちの心の奥に、咀嚼できない体験として、そのままゴツンと残り続けるだろう。そして、脳のしわのなかに潜んでいた、あのイマジナリー・フレンドのように、いつか再会できる日が来るかもしれない。
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アメリカ製劇場アニメの狂気の情報量

 ピクサーの映像表現は、新作の度に大幅に更新されるが、本作においても、数作前のピクサー作品と比較にならないほど、さらに繊細に鬼気迫る完成度に達している。カラフルに彩られ、漫画的軽やかさに満ちた脳内世界に対し、彩度が抑えられ、ひんやりとした質感でライリーを追った現実世界のパートは、日常シーンが多く見逃しがちになるが、例えばライリーが自己紹介する教室の、生徒たちが思い思いに行動する描写など、目を凝らすと気が遠くなるほどの情報が画面にあふれ、従来の作品であれば大スペクタルになり得る表現が、多くのシーンで当たり前に炸裂していることが分かる。  作品づくりへの愛情や、ピクサーを立ち上げたジョン・ラセターの信念に裏打ちされていることはもちろんだが、この狂気のような情報量を投入する理由は、ライバルとなるスタジオの存在も大きい。今夏は、アニメ作品だけでも イルミネーション・エンターテインメントの『ミニオンズ』、アードマン・アニメーションズの『ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム』など強敵が立ちふさがる。同じくジョン・ラセターが製作の最高責任者として統括する同系列のスタジオとはいえ、CGアニメーションの祖・ピクサーとして、ディズニーに負けたくないという想いもあるだろう。  その戦いは、CGの限界に挑んだ豪華な映像だけにとどまらない。ピクサーでは脚本づくりのため、制作者、監督、ストーリー・アーティスト、各部門のスタッフによる、ときに数年に及ぶ脚本会議によって、ストーリーをブラッシュアップさせてゆく方法をとっている。これはラセターがピクサーで確立したストーリー作成法であり、今では『アナと雪の女王』などディズニー映画も、ラセターが製作責任者になったことで、この「ピクサー流」で進行されている。シナリオの弱い部分について「こうした方がいい」と鑑賞後に言い合ったりするのは、映画好きにとっても楽しい儀式だ。だがピクサー作品においては、大多数が考えるだろう脚本上の致命的な問題点は、すでに脚本会議で克服されている場合が多い。  『ミニオンズ』もそうであるように、近年のアメリカ製アニメ大作の脚本は、大量のギャグを含めた案を休まず次々に投入する。CGなど表に出る部分だけでなく、脚本でも加速競争が過熱し、熾烈な総力戦が展開されるのである。この異常にスピーディなテンポの作品に慣れてしまうと、カンフーの達人にでもなったように、日本の一般的なアニメ作品が、まるでスローモーションのように見え、物足りなくなってしまう。

古典喜劇へと回帰するアニメーションの舞台

 この、次々にユーモアを繰り出す作劇は、アメリカ映画においては、かつて「スクリューボール・コメディ」と呼ばれた、洒脱なコメディ・ジャンルを想起させる。それは、アメリカのアニメーションが本質的に喜劇として作られているからであろう。ハリウッドで成功したエルンスト・ルビッチ、ビリー・ワイルダーという、演出家、脚本家でもあるアイディアマンは、ひとつの映画の中に大量の案を詰め込み、ハワード・ホークス監督はハイスピードの演出が連続する一連の喜劇を生み出した。日本においては川島雄三監督が代表的だ。  スクリューボール・コメディの源流は、「ヴォードヴィル」と呼ばれるパリの舞台喜劇である。そこでは、比較的ナンセンスギャグの少ない『インサイド・ヘッド』のような感動させる作品も同ジャンルとして扱われる。かつてチャップリンやバスター・キートン、ハロルド・ロイドなどサイレント期の喜劇スターたちは、芸人として様々なコメディ表現を映画に持ち込んだが、とくに好評を博したのが「スラップスティック」という、大げさな身振りや活劇で観客を沸かせる方法であり、これをそのまま継承したのが、ジャッキー・チェンやトム・クルーズのスタント・アクションである。  ハリウッド映画は、商業的に、より多くの観客に好まれる、映像的なスラップスティック的価値観に傾き、ヴォードヴィル風作品は、一部例外を除き、映画よりむしろTVが主戦場になっていったといえるだろう。TVで生まれた「ザ・シンプソンズ」は、ブラックなギャグが限界量まで連打され続けるコメディとして、アメリカの象徴的アニメーションになっているし、TV演出家であった『ブライズメイズ』のポール・フェイグなど、スクリューボール的感覚を映画に逆輸入した監督もいる。CGによってときに実写を乗り越える圧倒的リアリティを獲得したことで、米国製アニメーションは、このような、かつての洗練された質の高いコメディ表現を「映画」の世界にふたたび蘇らせることのできる、一大フィールドを得たといえる。  この圧倒的な質と情報量を持つ大作に、他国のスタジオが対抗するとき、映像や脚本を、「余韻」「情緒」という曖昧な「芸術性」でごまかすことは、もう難しくなってきているのではと感じる。英国のアードマン・スタジオのように、粘土の手作り感を強調し伝統工芸化することで、CGに対する生存戦略を選び取ったように、日本で主流の手描きアニメーションに必要なのは、ドローイングの魅力の追求であるように思う。また脚本においても、かつてガレージ・カンパニーであったピクサーのように、『インサイド・ヘッド』などの独創的発想を生み出すことや、脚本の整合性強化へ向け、手立てを打つことはできるはずである。  しかし、ピクサー流の会議による脚本づくりが、唯一の正しい道というわけでもない。ひとりで脚本を練り上げることは、思い込みに引っ張られもするが、それだけに常識をはずれた強い推進力を得ることもある。実際、宮﨑駿は多くの監督作品において、絵コンテを描きながらひとりで物語を作り出してきたのである。『バケモノの子』では、細田監督が初の単独脚本に挑んだが、彼が目指し挑戦するのは、紛れもなくこの強い作家性による作品づくりの道であろう。そして、その先には強烈な作家性を持つ「天才」ブラッド・バードもいるはずである。 ■小野寺系(k.onodera) 映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト ■公開情報 『インサイド・ヘッド』 公開中 公式サイト

鈴木京香と同棲解消の長谷川博己、原因は『進撃の巨人』共演・石原さとみの猛アプローチだった!

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 交際期間5年で入籍秒読みといわれていた鈴木京香と9歳年下の長谷川博己。7月に発売された女性週刊誌に“同棲解消”と報じられたが、その引き金となったのは、現在公開されている映画『進撃の巨人』で長谷川と共演した女優の石原さとみと長谷川の親密さを京香が誤解したためだという情報を入手した。  京香と長谷川は、2010年に放送されたNHKのドラマ『セカンドバージン』の共演をきっかけに交際をスタートさせた。当時、京香はロス在住の真田広之との関係を引きずっているといわれたが、3年後には自宅マンションで長谷川と同棲生活に入った。それ以降、京香の誕生日に当たる5月31日が“入籍Xデー”といわれたが、昨年も今年も、入籍はなかった。しかし、今年6月にポリネシアに婚前旅行していたことが明らかになって、入籍間近と注目されたのだ。ところが、7月に入って2人の関係は急転。同棲を解消していたという。  一方で、同棲を解消する前に長谷川が携帯を買い替えていたことが明らかになった。長谷川本人は周囲に「壊れた」と言っていたらしいが、どうやら、石原との携帯メールのやりとりを知って、京香が嫉妬して“壊した”というのが真相のようだ。  というのも、石原は映画『進撃の巨人』がクランクインするや、共演の長谷川に急接近。撮影現場では、いつの間にかあの“たらこ唇”で長谷川のことを「ハセキョン」と呼び、体や腕にボディタッチするようになったという。以降、メールのやりとりも頻繁にするようになって、長谷川は一時、その気になったらしい。  ところが、石原には密会デートを報じられたEXILE・岩田剛典という本命恋人がいる。クランクアップと同時に長谷川とはオサラバ。長谷川は、“魔性の女”として名高い石原にスケベ心をくすぐられただけだったのだ。しかし、京香はそれを浮気だと誤解、きっぱりと同棲を解消したようだ。  そういえば京香には、15年くらい前にも似たようなケースがあった。  京香は、99年に映画『39 刑法第三十九条』で共演した堤真一と熱愛に発展。同棲生活に入ったが、堤が仕事で一緒になった小雪とウワサになったことに嫉妬。同棲を解消して、堤と別れた。今回の長谷川も同様のケース。どうやら、京香は相手の男に潔癖さを求めるタイプの女性のようだ。  しかし、彼女が付き合ってきたような人気俳優たちに、そこまでの潔癖さを求めるのは酷というもの。高望みばかりしていては、いつまでたっても結婚はできないだろう。 (文=本多圭)

TOKIO・長瀬智也、ジャニーズ最強の天然伝説「ドッグフード食い」の真相が明らかに

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「そうそう、食べちゃったの~」

 初詣に行った際、「あけましておめでとうございます」と挨拶した神主に対して「ありがとうございます」と返した話など、数々の天然エピソードを持つTOKIO・長瀬智也。その中の1つに、「ドッグフードを食べた」という伝説があるが、その真相についてジャニーズJr.時代からの親友であるKinKi Kids・堂本光一が語った。

 フジテレビのニュース番組『FNNレインボー発』を『レインボ一発(れいんぼいっぱつ)』だと思っていたことや、SMAP・中居正広&とんねるず・石橋貴明がMCを務めた音楽バラエティ『うたばん』(TBS系)に出演した際は「東京都の都知事」についての質問に、「土地の持ち主?」と返すなど、愛すべきおバカキャラが魅力の長瀬。ネット上には本人が語った話から、TOKIOメンバーやジャニーズ仲間が暴露したものまで、長瀬のおバカな言動に関する多くのエピソードが出回っている。