今週取り上げる最新映画は、戦後70年を迎える今夏、戦争をテーマに数多く公開される内外の新作の中でも特に注目すべき2作品。邦画と洋画の違いはあれど、市民の目線から戦争の理不尽さを描く姿勢は共通している。 『この国の空』(公開中)は、高井有一による谷崎潤一郎賞受賞作の同名小説を、ベテラン脚本家の荒井晴彦が18年ぶりにメガホンをとって映画化した人間ドラマ。昭和20年、米軍による空襲が始まっていた東京の杉並で、19歳の里子(二階堂ふみ)は、母(工藤夕貴)と健気に暮らしていた。妻子を疎開させた隣家の銀行支店長・市毛(長谷川博己)の身の回りの世話をするようになった里子は、戦況が悪化する中、結婚できないまま死ぬのではと不安を抱えながら、次第に女として目覚めていく。 役とほぼ同年齢の二階堂が、少女の無垢さの中に女の艶っぽさが芽生える頃の女性を、存在感たっぷりに体現。母役の工藤、途中から同居する伯母を演じた富田靖子と共に、女3人での口論や食事の場面にもリアリティーを感じさせる。若干冗長に感じられる部分もあるが、時代の閉塞感と市井の人々の葛藤がじわじわと迫り、深い余韻を残す1本だ。 『ふたつの名前を持つ少年』(8月15日公開)は、ポーランド人作家ウーリー・オルレブが実話を基にした児童文学『走れ、走って逃げろ』を原作に、短編やドキュメンタリーで実績のあるドイツのペペ・ダンカート監督が映画化した感動作。1942年夏、ポーランドのユダヤ人強制居住区から脱走した8歳の少年スルリックは、森で半年生活した後、凍死寸前で行き倒れたところをヤンチック夫人に救われる。少年の愛らしさと賢さに気づいた夫人は、彼が1人で生きていけるよう「ポーランド人孤児ユレク」としての身の上話を教え込む。少年はユレクを名乗り、ユダヤ人狩りを続けるナチスから必死に逃れながら、寝床と食べ物を求めて農村の家を渡り歩くようになる。 主人公は、700人以上のオーディションを勝ち抜いた双子のアンジェイ・トカチとカミルがシーンによって演じ分けた。時代が生んだ圧倒的な力と過酷な試練を象徴する広大な自然のワイドショットと、ちっぽけな少年の対比が印象的。森暮らしで生き抜く知恵を共有する子どもたち、身の危険を感じながらユレクを助けるポーランド人たちに救われる思いがする。少年の立場だったら、あるいは彼と出会った大人の立場だったら、同じように勇気ある行動ができるだろうか――そんな自問をうながす、力強いメッセージを秘めた作品だ。 (文=映画.com編集スタッフ・高森郁哉) 『この国の空』作品情報 <http://eiga.com/movie/81191/> 『ふたつの名前を持つ少年』作品情報 <http://eiga.com/movie/81913/>(C)2013 Bittersuess Pictures
日別アーカイブ: 2015年8月14日
加山雄三『ゆうゆう散歩』終了の理由で知る、若大将の悠々すぎる余生
人生勝ち逃げって感じよね~
――毒舌コラムニスト・今井舞が、話題のアノ人物やアノニュースをズバッとヒトコトで斬り捨てる!
◎視聴率急上昇の予感
加山雄三の『若大将のゆうゆう散歩』(テレビ朝日系)が9月で終了、後任は高田純次との報道が。庶民と温かく触れ合う地井武男さんから、加山雄三の殿様オラオラロケへの落差には空しさしかなかったが。高田純次とはありがたい。『高田純次のアジアぷらぷら』(BS12)はどうなるんだろうか。
ママタレを飛び越え、姑の域へ!? タレント千秋がテレビに起用され続けるワケ
タレント千秋を「鼻につく」とか「セレブぶっている」と嫌う人は結構多い。反対に、「娘と自然に向き合う姿が素敵」とか、「ものの考え方がストレートで好き」という支持派もいる。前者はテレビでの千秋しか知らない人で、後者は彼女のブログやライフスタイルブックを読んでいる人々だ。残念ながら、世間的にはテレビ好き主婦のほうが多く、結果、前者の「鼻につく」派のほうが多くなる。 さて、そんな“ママタレ”の千秋が最近、ママから成長して、もう姑の域に入ってきている。先日、情報番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で「掃除ができない女」について視聴者の意見を交えつつ討論するというコーナーがあったのだが、超清潔好きの千秋は「片付けられない人は、仕事もできない人」と持論をぶちかました。その時ゲストとして来ていた安田美沙子は「私はまったく片付けができないタイプ」と、いつも通り「ダメなんやわ~」な感じで己のダメっぷりをはんなり公表し、「(物を)出しっ放しなのは、またすぐに使うから」と理由を述べる。それに対して千秋は「整頓できないのは、頭の中も整理できてないから」と、きっぱり応戦。テレビ的には、安田が「ダメなやつだけどかわいくて癒やされる」として株を少しだけ上げ、千秋が「言ってることは正しいけど、こえーよ、この女」という感じで株を少し下げて終わったのかもしれない。 ただ、ここで気になったのは、ゲストとして和泉節子も来ていたことだ。和泉は厳格な姑の代表みたいなポジションで、若いダメな嫁の言い分をバッサリ切る役目。ところが、千秋があんまり(ちょっと暴走気味だけど)正論をキッパリ言うもんだから、和泉のコメントは「まあ、そうですね。旦那様がうんぬん」とテンション低め。普段なら真っ先に自分が言うことを千秋に言われ、完璧に姑ポジションを奪われた形だ。そのほかのコーナーでもダメポジが安田で、バッサリ切るのが千秋。節子、存在感なし。 別のテレビ番組でも、千秋は独特な「正しいかもしれないけど怖い」持論を繰り広げ、もはやママの域から脱し、小言多めの姑の域に入っている。普通“ママ”時代から“姑”時代までの間に、“余裕のあるちょっといい女”時代があるもんなんだが、千秋にはそれがない。いきなり姑だ。主婦層にウケがよくないみたいだし場を凍らせるし、テレビでは使いづらいのではと思ったが、知り合い業界関係者に訊くと、 「千秋は敵が多いように見えて、実は敵が非常に少ないタレント」 なのだとか。 「性格に裏表がないので、ちょっと仲良くなれば非常に付き合いやすい」 なるほど。友人としてはいいかも。 「さらに、目上の人への接し方が丁寧なので、とてもかわいがられる。スタッフにも丁寧。たまに無茶を言うけど、できない理由をちゃんと言って断れば、すぐに理解して引き下がる」 つまりゴネないってことね。それは業界でっていうか、どこの界隈ででも大切! 「小言は多いけどね」 やっぱり姑だ! 「あまりスキルがないのに前に出る若手タレントとか、バカっぽいコメントをする若い女性タレントには、遠慮なくものを言う。シビアすぎて場の空気を回収しきれないこともあるけど、テレビ的には面白い」 それだ! 正直すぎてキツイことを言ってしまう上に空気読めない女だけど、番組に呼ばれ続ける理由は、視聴者の私たちの気持ちを代弁するスキルを持っているからだ。テレビの前の視聴者なんて、みんな姑みたいに小言だらけだもんね。たまに鼻につく上から目線の意見も言い、視聴者にケンカを売るところも飽きさせなくていい! つまり千秋は視聴者の仲間であり、ヒール役であるのだ。これはテレビ的にはスキル高いよ! (文=清水巴)千秋オフィシャルブログより
嫉妬心は、嫉妬心を持つ本人が解決すべきもの。エンジョイ ジェラシー!
赤坂 “ユニコ”菜生です。赤坂沙世がまだ台湾なので、今回も、私がひとりでお送りします。
今日は、以前、ポリアモリーを実践する方から寄せられた相談に答えます。
『ポリアモリーを実践しているときでも、恋人たちは私の中で明確に序列化されてしまいます。それは、恋愛やセックス以前に、私の中での人としての評価が違うため避けられません。でも、私の心の中にある序列を知った序列の低い女性が、強い嫉妬を感じているのが分かったりします。 菜生さんはどうしているのでしょうか。ポリアモリーを実践する人の中には、完全に平等に扱うべきだと主張する人もいますが、その点について菜生さんはどう考えますか。「なんで、あの女と、私を平等に扱えないのか」と言われたことがあるのです』
◎恋人同士が仲良くなるようにすることが、ジェラシーの解決方法のひとつ
私のポリアモリーのスタイルは、私に何人もの恋人がいるといったものではなく、網の目のようにみんなでトライブを形成するようなものです。そうした性質上、恋人同士が嫉みあったりすることはほとんどありません。男同士、女同士、 恋人同士が仲良くすることで、どんどん関係が良くなっていきます。
例えば私の場合、私の恋人たちが、男同士で話しているとき、それぞれ私とふたりでいるとき以上に楽しそうだったりします。「菜生ちゃん、下で寝てきたら」と、促され、私が席を離れなくてはいけないほどです。私も、恋人のガールフレンドと一緒にいるときはとてもウキウキします。恋人同士が親密な関係になれるよう、配慮してあげるといいでしょうね。 恋人たちの序列は、生活を共有する度合いや、社会的な能力、性的な能力、トライブ全体への貢献度などにより、誰もが納得せざるを得ない形で、その場その場で自然に形成されています。
また、完全に平等に扱うべきだと考えるかどうかという質問ですが、私は、恋愛においては、平等であることより、フェア(公平)であることが大切だと思っています。フェアであろうとし、また、それぞれがそれぞれに責任を負うことで、役割分担が生まれ、場面に応じて緩やかな序列が生まれるものだと思います。
「なんで、あの女と、私を平等に扱えないのか」などと言ってくる人には、同じことを言い返してあげればいいと思います。
「君は、私と、あの女を、平等に扱っているのか?」と。
◎合意した関係を守ることが鍵
また、ポリアモリーというのは、関係に参加する全員が、関係のあり方に合意しているものを指します。全員が合意した関係を守っている以上、その中で不満が生じたとしても、それは不満を感じている本人の責任だと言えます。不満があるなら関係を持たなければいいだけのことだからです。
もちろん、「デートの時間配分は均等に行い、セックスの頻度は全員全く同じにし、情熱は偏らないように心がける」などといったルールに全員が合意している関係の中なら、それを守る必要はあると思いますが、私や私の恋人たちなら、そんなルールには決して合意しないでしょう。
私自身は、恋人の生活の向上や心身の健康については、全員に対して互いに責任を持ちます。しかし、恋愛感情や性欲などに関わることは、自分も相手も、すべて、自由にしています。
ただ、もし、恋愛感情や性欲が強く湧かなくなったら、(そういうことは今までほとんど起こったことがないのですが)そういう相手にこそ、生活の向上や心身の健康のために出来るだけのことをしてあげたいな、と思います。この考え方は、愛人とも家族ともうまくやっている既婚者にも似ているかもしれません。また、私の場合、私と一緒にいるだけで幸せだと感じる人とお付き合いするので、「平等に扱え」 などと見返りのようなものを求められること自体があまりありません。
◎本来ジェラシーは、ジェラシーを感じる本人が解決すべきもの。「エンジョイ ジェラシー!」
「平等に扱え」「もっと好きになってくれ」などといった嫉みの多くは、自己評価の低さや、社会的成熟度の低さから生まれます。自己評価や社会的成熟度を高めていくのは、本人の意思、向上心です。
私の場合、私と出会ったことが、恋人にとってそうした向上心を持つきっかけとなり、どんどん成長して立派になっていくこともよくあります。それはとても嬉しいことですが、私自身は、相手にそうした意志や向上心を持つことを強要しません。
いずれにしても、そうした嫉みは、嫉みを持つ本人が解決すべき問題であり、嫉まれる側の問題ではないと私は考えます。世の中には、寝取られるのが大好きな方や、不幸な恋愛を求めるマゾヒストなど、嫉むこと自体が好きな方も沢山いるのです。「ひどいひどい」と言いながらも離れていかないのであれば、嫉むこと自体が大好きなのかもしれませんし、そうした喜びをわざわざ奪うこともありません。
■赤坂沙世/ 活動家。モデル、フォトグラファー、様々なアートディレクションを手掛ける。世界各国で活躍中。https://instagram.com/sayoakasaka/
■赤坂“ユニコ”菜生/ テトラヒドロン人間関係研究所所長。日本におけるポリアモリーコーチングの第一人者としてPolyamory JPを運営。
グラビアアイドル横山あみが、激しく運動しちゃった!? ホッピングで期待のポロリは……?
アイドルグループ「PPP! PiXiON」メンバーで現役女子大生アイドルの横山あみ が、3作目のDVD&BD『あみにゃっぷる』を発売し、東京・秋葉原で記念のイベントを行った。 5月に伊豆で撮影したという本作。天候気候に恵まれ、特にハプニングもなく、順調すぎて怖くなるほどのロケだったという。気になる内容についても聞いてみた。 ――内容を教えてください。 「両親が旅行に行っている間に、男の人が遊びに来るという内容になっています。自宅の寝室やバスルームという設定のシーンとか、朝のベッドのシーンがオススメです!」
――お気に入りのシーンは? 「白い下着風の水着で、ベッドでゴロゴロしているシーンが、清楚な感じで気に入っています。逆に青い水着のプールのシーンはセクシーだと思います!」 ――特に見てほしいシーンは? 「バランスボールやホッピングで激しく運動しているシーンです(笑)。ちなみにポロリはありません! しっかりガードしています(笑)!」 女子大生の夏休みと言えば、さまざまなエピソードがありそうだが、「今のところ夏を満喫できてないんです!」と悲痛な叫び。グラビアやライブ活動の合間を縫って、一度は友達とプールに行きたいと、控えめな希望を語っていた。 PPP! PiXiON オフィシャルブログ「3ピースランドへの旅」横山あみ <http://ameblo.jp/ppppixion/theme-10063799992.html>
「あ~和田アキ子殺してえ」発言から3年……“普通の女”に戻った鬼束ちひろ、大人な対応に報道陣が肩透かし
すっかり毒気が抜けたシンガーソングライターの鬼束ちひろ(34)に、賛否が飛び交っている。 鬼束は12日、「全日本国民的美少女コンテスト」の音楽部門賞を受賞した新人歌手・花岡なつみ(19)のデビューシングル発売記念イベントに、楽曲提供者としてサプライズ登場。花岡を「エモーショナルで個性的です。うまい!」と称賛し、「自分のデビューのインストア・ライブを思い出し、一緒に裏で歌っていました」と、先輩らしく激励した。 数年前に奇抜な容姿への激変ぶりが話題となり、Twitterで「あ~和田アキ子殺してえ」「なんとか紳助も殺してえ」とつぶやくなど、問題発言を連発していた鬼束。しかし、この日は白っぽいカットソーに、黒いパンツというカジュアルな出で立ち。ヘアメイクもナチュラルですっきりしており、集まった報道陣に対しても大人な対応に終始した。 「2013年末頃からファンの間では『普通に戻った』と話題になっていた鬼束ですが、中には、いまだに彼女の衝撃発言を期待して集まった記者もいたようで、あまりの普通ぶりに肩透かしをくらっていた。また、イベント中は特に何事も起きなかったため、メディアも、鬼束にあこがれる花岡に対し『私みたいにならない方がいい』と返したやり取りを拾うのが精一杯。いざ、毒気が抜けてしまうと、なんだか寂しいですね……」(芸能記者) 一方、ネット上では、同イベント時の鬼束に対し「美しい!」「全盛期に戻った」「花岡なつみより、かわいい」と、相変わらずの美貌を絶賛する声も。 ごく普通の振る舞いが世間をザワつかせている鬼束。狂気に満ちた彼女の姿は、もう2度と見られないのかもしれない。鬼束ちひろ公式サイトより
父親みたいなモラハラ男なんて御免! フェミ男を専業主夫にして、私はキャリアに邁進するわ!!
【作品名】「遺伝」(前編) 【作者】桐野さおり『ご近所の悪いうわさ』
【作品紹介】母に暴言を吐き続けたモラルハラスメントな父親を嫌って、合コンで出会ったフェミ男と結婚した私。専業主夫とキャリア妻でバッチリうまくいくわ!! と思っていたのに……。
【サイゾーウーマンリコメンド】主人公のお父さんの言動が、いまや『渡る世間は鬼ばかり』でしか目にしない、昭和の伝統芸能のようですよ。「誰のおかげで飯が食えてるんだ!」「女房が入院したくらいで仕事が休めるか!」ですって……。しかし男の多い職場だと、この価値観がいまだに普通にあるから悩ましいですよね~。
てれびのスキマが見た【日本テレビ】と【フジテレビ】──「平成テレビの完成形」と「元祖テレビの王様」の現在地
<第1回、第2回はこちらから> 「テレビは終わった」 などと語られる時、その「テレビ」は「フジテレビ」的なものを指すことが多いのではないでしょうか。なぜなら80年代以降、フジテレビこそがテレビの主役であり、象徴であり続けたからです。本当にテレビは、フジテレビは終わってしまったのでしょうか? 視聴率はわずか1%でも、30~40万人が見ているといわれています。インターネットをはじめ、あらゆるエンタテインメント業界で、その人数を集めるのは至難の業です。しかし、テレビにおいては、わずか視聴率1%でそれだけの人が見ている計算になるのです。その影響力は、今もとてつもなく大きいことは間違いありません。 「テレビ裏ガイド」連載100回記念企画の最終回は、フジテレビと日本テレビについて見ていきたいと思います。 82年から12年間にわたり民放の中で「視聴率三冠王」に君臨したフジテレビ。だが今、フジテレビはテレビ凋落の象徴のように見られている。実際、視聴率では日本テレビに大きく水をあけられているどころか、2位の座も明け渡してしまった。 そもそも、視聴率をこんなにも一般的に注目されるものにしたのはフジテレビ自身だった。「視聴率三冠王」を名乗り、自分たちの威光を大々的にプロモーションしたからだ。それまで、三冠王なんて概念はなかったし(もちろん数値上は存在していたが)、一部の看板枠(土曜夜8時など)の視聴率の動向が注目されることはあったが、個別の番組の視聴率なんて一般の視聴者は気にしていなかった。いわば、現在のフジテレビの首を絞めているのは過去のフジテレビなのだ。 今年の『27時間テレビ』は「テレビの時代はもう終わり?…でも俺、本気出しちゃいます」というコピーで「本気」をテーマに行われた。ナインティナインが総合司会を務め、同局の看板番組のひとつである『めちゃ×2イケてるッ!』がベース。場面場面を見れば、見どころのあるシーンは多々あったものの、正直言って、全体を通してみると、その「本気」が空回りしていたり、肩透かしにあった部分のほうが目立っていた。 そのエンディングが行われている時間帯に、日本テレビでは『世界の果てまでイッテQ!』の看板企画のひとつ、イモトアヤコを中心とした「登山部」による「マッキンリー登頂プロジェクト」が放送されていた。もともとの苛酷さに加え、登山は自分たちの力ではどうしようもない天候という障害もある。どんなに「本気」であろうと、ゴールが約束されていない残酷な旅だ。そんな過酷な状況でも、『イッテQ』ではあくまでも「笑い」をベースにした編集で、その偉業を伝えていた。まさに、日テレ式のドキュメントバラエティの最高峰と呼ぶにふさわしいものだった。 フジテレビ全盛だった80年代後半、日テレは民放3位に低迷していた。その突破口を開いたのが『進め!電波少年』や『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』といった日テレ式のドキュメントバラエティだった。そして94~03年の10年間、「視聴率四冠王」の座に君臨、その後も、現在に至るまで日テレは王者であり続けているのだ。 ゴールデンでは愚直にファミリー向けの番組づくりを徹底して行い、『ザ!鉄腕!DASH!!』『イッテQ』『世界まる見え!テレビ特捜部』『踊る!さんま御殿!!』『笑ってコラえて!』『ぐるぐるナインティナイン』『世界一受けたい授業』……と、各曜日に看板番組と呼べる番組を抱えている。さらに深夜帯には『ガキの使いやあらへんで!!』はもとより、『月曜から夜ふかし』『ナカイの窓』『マツコとマツコ』『有吉反省会』など多様な番組をそろえ、お昼も『ヒルナンデス!』『スクール革命!』と、いまや盤石の構えだ。まさに、現在の日本テレビは、平成のテレビ界の完成形のひとつと言っても過言ではない。 そのライバルであるはずのフジテレビは現在、確かに迷走しているように見える。けれど、この状況は、実は70年代後半の頃とそっくりだ。当時、フジテレビは「振り向けば12チャンネル」などと言われ、低迷していた。それを80年代に入って『THE MANZAI』や『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』の成功で覆していったのだ。 『ヨルタモリ』や『久保みねヒャダこじらせナイト』の演出・プロデューサー木月洋介や、『アウト×デラックス』のディレクター鈴木善貴など、若く優秀な人材も活躍し始めている。たとえば『ヨルタモリ』では、無意味なテロップや過剰な煽りなどを徹底的に排している。その上で、スタジオコントである合間のVTRは、かなりマニアック。どの番組の真似でもない、昨今のテレビのつくり方とはまったく違うアプローチだ。『アウト×デラックス』では、これまで「テレビ的」ではないとされていた人たちに光を当て、多くの新たな人材を発掘している。80~90年代のフジテレビはファミリー層を大胆に切り捨て、時代の最先端にいる若者をターゲットの中心に据えた上で、自分たちが時代を先取りし、牽引していた。それまでの大衆のための「テレビ」観とはまったく違う価値観で、新しい「テレビ」観をつくっていったのだ。そのあたりに、再浮上のヒントがあるのではないだろうか? かつてフジテレビは、どん底からはい上がり、栄華を極めた。ならば再びフジテレビが、そしてテレビが復活を遂げることは、決して絵空事ではないのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) ◆「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから
Kis-My-Ft2・横尾渉が“裏千賀”を告発! 「進行が鬼のようにヘタ」な千賀のヒミツの顔
千賀、横尾さんに言われ放題の巻
3年3か月ぶりとなった、Kis-My-Ft2北山宏光・横尾渉コンビがパーソナリティーを務めた『キスマイRadio』(文化放送、8月5日放送)。舞祭組では横尾がトークを仕切る場面が多いが、キスマイでは基本的には年長の北山が司会進行を務めている。今回も、北山が番組を進行させ、「カミまくる」ことでおなじみの横尾も安心して進行を預けていたが、やはりメンバーが7人もいると日頃からトークの立ち位置も難しいようで、番組ではあるメンバーの“トークスキル”について厳しい指摘が飛んだ。
その名前が挙げられたのは、「進行をやりたがるメンバー」の話題になったとき。横尾は千賀健永の名前を出して、「途中ですげー仕切り始めるんですけど、ボケにやっぱ回るんですよ。だから、どっちがしたいのかなあ、みたいな」と、千賀の立ち位置について疑問を呈した。すると、北山も千賀・二階堂高嗣と一緒にラジオ出演した際のことを振り返り、「千賀さんは大体わけわかんないとこまで文章を読みだして、進行が鬼のようにヘタだった」と同意。さらに、そんな千賀の様子を見て笑っていた北山と二階堂に対し、「教えてよ! 僕さ、わかんないんだから教えてよ!」と千賀は逆ギレしたという。
空襲で焼け死ぬ前に一度セックスしてみたい……二階堂ふみが演じる戦時下の青春『この国の空』
「私はこのまま結婚もせず、死んでいくのかしら」。19歳になった里子は空襲警報を聞きながら、ふとそんな考えがよぎる。男と愛し合うことも知らず、私は処女のまま死んでしまうのね。そんなことを考えているうちに、里子の頭の中は真っ白になってしまう。二階堂ふみ主演映画『この国の空』は太平洋戦争末期の東京を舞台にした官能系青春ドラマだ。連日のように空襲が続き、本土決戦が叫ばれている。広島には新型爆弾が投下されたらしい。もうすぐ、みんな死んでしまうかもしれない。それなら、死ぬ前に想いを寄せる男性に一度でいいから抱かれたい。戦争に対する恐怖と性への好奇心が心の中で激しく葛藤する主人公・里子に、沖縄出身の人気女優・二階堂ふみがヌードシーンも厭わず成り切ってみせる。 1945年3月の大空襲で東京の大部分は焼け野原になってしまった。里子(二階堂ふみ)が母・蔦枝(工藤夕貴)と暮らす杉並区善福寺一帯は空襲の直撃は免れていたが、若い男たちは徴兵され、子どもたちは田舎に集団疎開してしまい、女性と年輩の男しか残っていない。まるでセミの抜け殻のように、町は活気を失っていた。里子はそろそろ縁談話が持ち上がってもいい年ごろだったが、どこにもその相手がいない。そんな中、里子は隣に住む銀行支店長の市毛(長谷川博己)のことが気になり始める。38歳になる市毛は妻と子どもを田舎に預け、ずっとひとり暮らしを続けていた。時折、敵性音楽であるバイオリンをこっそり演奏したりしている。留守がちな市毛に配給品を届けたり、市毛に頼まれて部屋を片付けているうちに、里子は既婚者である市毛との禁断の恋にどうしようもなく引き寄せられていく。 おしゃれな現代っ子のイメージの強い二階堂ふみだが、昭和初期の「~ですわ」という丁寧な言葉遣いと質素なファッションが逆に新鮮に映る。レトロな開衿シャツに亡くなった父親の遺品を仕立て直したと思われるズボンを組み合わせたシックなコーディネイト。防空頭巾ですら、チャーミングに着こなしてみせる。そんな二階堂ふみが演じる里子の、戦時中という非常時の日常生活が描かれる。娘の嫁ぎ先に疎開することになったご近所の木南さん(石橋蓮司)のところに転出届けを渡しに行き、お礼に貴重なブドウ糖をもらう。甘い物に飢えていた里子は手に付いたブドウ糖の粉を舐め、小さく笑みをこぼす。空襲で焼け出された伯母の瑞江(富田靖子)を居候させることになるが、日に日に少なくなる食事をめぐって母は伯母とすぐケンカになる。その度に里子が間に入って仲裁しなくてはならない。庭に植えたカボチャやトマトに、モンペ姿でかいがいしく柄杓で肥えを掛けるのも里子の役目だ。里子が物心ついたときから日本は戦争をしていたので、もうすっかり戦時下の慎ましい生活が身に付いてしまった。「今すぐ食べて」。体が熱くなって仕方がない里子(二階堂ふみ)は、隣に住む妻子持ちの市毛(長谷川博己)にトマトを差し出しながら懇願する。
ゴーストタウン化してしまった東京を、里子は久しぶりに離れることに。母と一緒に郊外の農家まで闇米の買い出しに出掛ける。夏の陽射しの中をずいぶん歩いて汗を掻いた里子は裸足になり、清流の中でしばし涼む。開放感のあるこのシーンを観て多くの男性は思うだろう。「あぁ、川を流れる水になって、二階堂ふみの足の指のすき間を流れたい」と。またある日、里子は市毛の留守中、片付けを口実に市毛の寝室にまで足を踏み入れる。そして、おもむろに市毛が使っている枕カバーの匂いを嗅ぐ。やはり、多くの男性は思うだろう。「あぁ、二階堂ふみに匂いを嗅がれる枕カバーになりたい」と。そんな不埒な妄想をしてしまうほど、里子と実年齢が重なる二階堂ふみの美しさが匂い立っている。 1983年に発表された原作小説『この国の空』を映画化したのはベテランシナリオライターの荒井晴彦。二階堂ふみのキャスティングよりも先に、脚本だけでなく監督も兼任することを決めていたそうだが、『私の男』(14)でも10代と思えぬ妖艶さを見せた二階堂ふみを演出することが『身も心も』(97)以来となる監督業の大きなモチベーションになったのは間違いない。脚本家・荒井晴彦の初期代表作に『遠雷』(81)がある。ハウストマトを育てる農家に嫁入りすることになったデビュー間もない頃の石田えりの熟れたてのトマトのような、たわわなおっぱいが目に染みる作品だった。本作でもトマトが重要なツールとして使われている。夜更け、悶々として寝付けずにいた里子は庭で実ったばかりのトマトをもいで、市毛宅を訪ねる。真っ赤なトマトを市毛に差し出して、「今すぐ食べて」と迫る。6歳上の親戚の女の子は戦時下でも嫁入りしたのに、もうすぐ20歳になる里子には縁談話がひとつもない。里子の頭の中は市毛のことでいっぱいになる。
「今すぐ食べて」という里子の気迫に押された市毛は、うなずきながらトマトにむしゃぶりつく。市毛の手に握られたトマトは汁を垂らしながら、市毛の口の中へと吸い込まれていく。もう里子も市毛も我慢できない。里子のシャツのボタンは慌ただしく外され、ふんどし一丁になった市毛に押し倒される。里子の頭の中は真っ白になっていく。 『この国の空』は反戦映画ながら、とてもエロチックな作品だ。里子は戦争に負けた日本がこれからどうなっていくのかという社会情勢よりも、年上の市毛には妻子があるという倫理観よりも、処女のまま死んでしまうのは嫌だという自分の衝動に正直に生きる。戦争は嫌。竹槍で戦うよりも、愛する男の肌に触れていたい。わずかな時間でいいから、結婚生活を味わってみたい。二階堂ふみが演じる里子の一途な願望を、誰も否定することはできない。 (文=長野辰次)里子は市毛と闇米の買い出しに出掛ける。先行きの見えない戦争と夏の暑さが、2人の間にある年齢差と倫理観をドロドロに溶かしてしまう。
『この国の空』 原作/高井有一 脚本・監督/荒井晴彦 出演/二階堂ふみ、長谷川博己、富田靖子、利重剛、上田耕一、石橋蓮司、奥田瑛二、工藤夕貴 配給/ファントム・フィルム 8月8日よりテアトル新宿、丸の内TOEI、シネ・リーブル池袋ほか全国公開中 (c)2015「この国の空」製作委員会 http://kuni-sora.com













