
エクアドル「YouTube」より
1980年、南アメリカ西部に位置するエクアドル共和国のアンバトで、8歳~12歳の少女たちが次々と行方不明になるという事件が発生した。両親は必死になって探したが、地元警察は「家出ではないか」と判断し、積極的に捜査をしようとはしなかった。娘の顔写真をコピーし、情報提供者には報酬を渡すというビラを街灯に貼りまくった親もいたが、有力な手がかりは寄せられなかった。

連続殺人が起きていた場所「YouTube」より
しばらくすると少女たちの遺体がひとつ、またひとつと発見された。そしてみな強姦された上で絞殺されていた。しかし警察は「犯人につながる遺留品がない」「目撃者もいない」として容疑者が特定できない事件として捜査をするのを面倒くさがった。そうしているうちにも少女たちは誘拐されレイプされ殺されていった。
■不審な男が捕まる
3月9日の日曜日、午後4時頃、食事もできる人気市場プラザ・ウービナで軽食を販売していた老女に「何を売ってるんだ」と話しかけてきた男がいた。男は料理よりも老女の11歳になる娘エリーシアを舐めるようにじろじろと眺め、話しかけた。

老女「YouTube」より
エリーシアは無視したのだが、男は何度も彼女のもとに戻ってきては「こっちにおいで」「一緒に遊ぼう」と誘った。気味悪いと思ったエリーシアは老女である母親に告げ口をした。老女は「そういえば最近、少女たちが次々と誘拐され犯されて殺されるという事件が起こってるじゃない!」と直感。
市場の仲間に声をかけ大急ぎで立ち去ろうとした男を取り押さえた。老女は「アタシの娘をさらって殺そうとしたんだろ!」とヒステリックに叫びながら問いつめた。男は「無実だ。オレはおとなしくて真面目な男だ。盗みなんかもできやしない、清らかな心を持つ男だ」と必死で反論。しかし市場の者たちは男を疑い、警察に突き出した。
■300人ほどの少女たちを誘拐し強姦した上で殺した男
警察署で男の身元はすぐに判明した。コロンビア出身のペドロ・アロソン・ロペス。拘束直後、彼は黙秘し続けたが、パストロ・コードーバという聞き上手なベテラン刑事に心を開き始めた。そして、「この7年間、コロンビアとエクアドル、ペルーを行き来してきた。そして300人ほどの少女たちを誘拐し強姦した上で殺した」と自供した。

画像は、ペドロ・アロソン・ロペス「YouTube」より
刑事は一瞬「この気の弱そうな男が、そんな大量殺人をしたのだろうか」と疑った。しかしペドロが、少女たちを強姦殺人して遺体を埋めたという場所からは次々と遺体が発見され、全く罪悪感なく供述する様子を見て、その疑いは消えた。性的欲求のために少女たちを襲う冷酷な連続殺人鬼だと確信するようになったのだ。
■少しずつ明らかになるペドロの性格
マスコミに大々的に報道され、メディアの取材を受けるようになると、ペドロは、「オレは歴史的なことをやったんだよな。オレは重要な男だったことだよな。生かせておくべきだと思うがね。死ぬにはまだ若すぎるし」とふてぶてしく豹変。少女たちを強姦殺人したことを誇りに思うようなそぶりを見せるようになった。発見された遺体は骨になっているケースが多かったが、洋服などの遺留品があり身元は意外にも簡単に判明した。白骨化した小さな遺体に張り付いている布が、我が子の服だと気がつき、泣き崩れる遺族を見てもペドロは平然としていた。実況見分の度に、怒りに満ちた群衆から罵られ石を投げつけられたが、なぜそんなことをされるかも分からないようだった。

犠牲者のひとり「YouTube」より
刑事たちは少しでも早く事件の全貌を暴こうとペドロにタバコやチキンなどの食事、コーヒーや酒までふるまった。ペドロはもったいぶりながら、逮捕後6カ月間かけて遺体を埋めた場所に警察を連れて行った。驚いたことに、いつどこでどんな外見の少女をどういう風に強姦し、殺して埋めたのか、ペドロは鮮明に記憶していた。遺体が掘り起こされるとペドロはとても満足そうな表情になった。
長期にわたる警察の調査を通してペドロはパストロ刑事に信頼を寄せ、父親のように尊敬すらするようになっていった。ペドロ自身は父親を知らずに育った子供だった。父無し子だっただけでなく、壮絶な半生を歩んで来たのだ。
■ペドロの半生/母親から日常的な虐待?
ペドロの父親はコロンビアの内戦ラ・ビオレンシアで戦った保守党員で1948年4月9日に命を落とした。その時、既婚者だった父の浮気相手である娼婦はペドロの母親であり、彼を身ごもっていた。そして、父の死から6カ月後の10月8日、サンタイザベルでペドロを出産。13人兄弟の7番目としてこの世に誕生した。

ペドロの母親「YouTube」より
母親は、「ペドロは子どものころ、学校の先生になるという夢を持っていた。私は、そうね、お前はほかの子どもたちに教えるのがうまいものね、と見守りながら育てた」と語っているが、ペドロは、母親はとんでもない毒親だったと証言。「ひどい暴力をふるわれながら育った。日常的に虐待されてきた」と述べている。ペドロはそんな母親から逃げようと、8歳のときに家出。コロンビアの首都・ボゴタへ向かい、危険極まりないストリートで生活をするようになった。母親は占い師に頼り、ペドロを探したと主張しているが、ペドロは母親に嫌われ捨てられたという絶望的な気持ちでいっぱいだったと語っている。なお、ほかにも、ペドロが妹に性的いたずらをしているのを見つけた母親が激怒し、家を追い出したという説もあるが、どちらにせよ、母親はそう積極的に彼を探すことはしなかった。
■ペドロ、男に強姦される
ボゴタには何千人ものストリートがいたが、そのほとんどが親の虐待から逃げてきた子どもたちだった。ペドロはすぐにとけ込み、食べ物を求めてごみをあさる生活を始めた。マスコと呼ばれるコカインを吸うようになり、身を守るためにギャングに入った。寝る場所をめぐり、ほかのストリートチルドレンとナイフで喧嘩をすることもあった。盗みも始めた。暴力は、生きるために欠かせない、彼の人生の一部となっていったのだった。
このストリートチルドレン時代、ペドロは男に強姦されている。パストロ刑事に、「寝る場所を提供すると誘われ、人を疑うことをしなかった少年のオレはついて行った。男は廃墟にオレを連れ込み、アナルにペニスをねじり込み強姦した」「オレは純粋で無垢な少年だった。それをあんなひどい方法で奪われたんだ。思い出したくもない。でも、オレの純粋な少年の心を奪った責任者が誰なのか、そいつを懲らしめたいと思い続けている」と語り、今でも似たような大人を見るとメチャクチャにしたくなると明かした。強姦されたとき、警察に届けなかったのかと聞かれると、「なにもしてくれないしね。届けるだけ無駄だ」と吐き捨てるように言ったという。
強姦された後、ペドロはますます荒んだ生活を送るようになったが、10歳のとき現地に住んでいたアメリカ人老夫婦から保護したいとオファーされ、その申し出を受けた。老夫婦は善意からストリートチルドレンを保護する活動をしており、ペドロは平安を手に入れ、孤児が通う学校で勉強するようになった。安定した子どもらしい生活をおくれるようになったのだが、幸せは長続きしなかった。12歳のとき、学校の教師に性的虐待されるという被害にあったのだ。絶望したペドロは学校に保管されていた金を盗み、夫婦のもとを去り、再びストリートに舞い戻った。
■刑務所での荒んだ日々が人格を形成
1969年、21歳のとき車を盗み、逮捕されたペドロは、刑務所に送り込まれたのだが、すぐにほかの囚人に強姦されまくるという悲惨な目にあう。泣き寝入りしていた少年とは違い、成人していたペドロは、制裁を加えようとナイフで強姦した男2人を殺した。
複雑なゴタゴタを嫌う刑務所はこの事件を「自己防衛」と処理しペドロに刑は加算されず、1971年、23歳で釈放された。これ以上、被害者にはならないと心に誓ったペドロは加害者になる決心をし、獲物を探す旅に出た。
そして簡単に誘いだすことができる、貧しく学もない無垢な少女たちに目をつけ、自分と同じ目にあわせることにした。セールスマンのふりをして彼女たちに近づき、「道に迷っちゃって。一番近いバス停まで連れて行ってくれないかな」と話しかけた。優しそうな笑顔と子どもの感心をひきつける話術でペドロは少女たちを人気のない犯行現場まで連れて行った。

犠牲者のひとり「YouTube」より
犯行現場に着くまでは身体に触れることはしなかった。誰にも叫び声が聞こえないような場所に着くと、ペドロは豹変し、繰り返し少女を強姦した。夜になると一緒に寝て、朝に再び強姦するということもした。そして、殺したのは口封じではなく、この世から解放する手伝いをしただけと証言。「バレるから殺したんじゃない。こんな汚い荒んだ世の中に生きるより、死んで天国に行った方が幸せだから、殺してあげたんだ」と、ドヤ顔で語った。
■動かぬ警察、バレぬペドロ
コロンビア、エクアアドル、ペルーを行き来しながら次々少女たちを強姦殺害していったペドロだが、少女たちが行方不明になり、その一部が遺体となって発見されても、警察は動かなかった。1979年4月、エクアドル入りしたペドロは、殺す前に殴る蹴るの暴行を加えるまでにエスカレートしていった。

被害者少女たち「YouTube」より
警察はたくさんの少女が行方不明になっても、貧しい家庭の子のだからか、動いてはくれなかった。貧しい少女たちを誘拐し、白人に奴隷として売り飛ばすグループがいたこともあり、家出かその手のグループにさらわれたのだろうと考えていたからだ。
しかし、1980年2月にペドロが強姦殺害した9歳のイバノバ・ハコメの両親は地元で人気のパン屋を営んでおり、ちょっとした権力者だった。そのため届け出を受けた警察はすぐに動いた。地元新聞も、イバノバだけでなくほかにも数多くの少女たちが行方不明になっていると報じるようになった。エクアドルは少女を次々と誘拐する凶悪犯がいるという話で持ち切りになった。22日後、郊外の農村地帯でイバノバは腐乱遺体となって発見された。

遺体や骨など「YouTube」より
イバノバの遺体が発見されて間もなく逮捕されたペドロは、57人の被害者の埋葬場所を明かし、110人を殺した罪で起訴された。しかしペドロはもう200人殺したと主張。ここまでベラベラと自供したのにはわけがあった。
1981年7月31日、裁判所に立ったペドロは57人の少女たちの誘拐、強姦、殺人を認め、有罪判決が下った。なんと、禁錮16年。死刑を廃止したエクアドルの法律では、1人殺しても10人殺しても1000人殺しても同じ刑にしか処されないことになっていたのだ。そのため、300人以上殺したと自供しているペドロでも、たったの16年でシャバに出てこれるのである。1人の犠牲者につきたった4カ月の服役という計算である。
■46歳のとき、釈放される

一見おとなしそうな男「YouTube」より
余裕綽々のペドロは刑務所で数多くのインタビューを受けた。「子どもの頃に受けた虐待と性的虐待のせいで、こうなった」「汚れのない清純なオレの心は奪われた。だから少女たちの清純を奪った」と語った。彼にとってセックスは愛を確かめ合うものや楽しむものではなく、強要されるか、強要するもの。自分がされたことを少女たちにして何が悪いという態度を示した。そうかと思えば、「ホルヘ・パティーニオスという人格が出てきて殺した。オレじゃない」と訴えたりした。
やりたい放題のペドロに刑務所は精神鑑定を行い、その結果、サイコパスで反社会性パーソナリティ障害だと診断された。50歳になれば釈放されると知っていたペドロはその日を待ち望み、問題を起こさないよう日々を過した。そして、1994年8月31日。模範囚だとして早期釈放されることになった。この時、ペドロはまだ46歳。「世界一の犯罪者」だと自負し「喜んで同じことを繰り返すよ」と笑う彼が再犯するのは確実だとして、被害者の遺族たちはどうにかしてくれと訴えた。
しかしペドロが自由の身になったのはわずか1時間だけだった。コロンビアに身柄を引き渡すため再び拘束されたのだ。コロンビアに戻ったペドロは殺人罪に問われたが、1995年、精神異常者だと診断され精神病院に収容。1998年、50ドルの保釈金を支払い「精神病院での治療を定期的に受けること」「毎月、裁判所に出廷すること」を条件に仮釈放された。
仮釈放されたペドロは実家に戻り、何十年も疎遠になっていた母親に向かって「オレの前でひざまずけ」と言った。母親は、「それをするのなら、あなたがしなさい。息子なんだから」と抵抗した。ペドロは「ここに来たのは、お前が死んだ後、何をくれるのか知るためだ」と言い、「わたしは貧乏なのよ。ベッドと椅子しかないのよ」と答えると、家の外にベッドと椅子を引きずり出した。「誰に買ってもらったんだ。答えないと燃やすぞ」と脅し、年老いた母親が泣きながら「知り合いの女性が買ってくれた……」と言うと、母親のなけなしの金をむしり取り、無言でその場から立ち去った。その後、誰も彼を見た者はいない。精神病院の治療も受けておらず、裁判所にも姿を見せていない。
ペドロは怒り狂った被害者の遺族に殺されたという説があるが、彼の母親を含む多くの人たちが彼は今なお生きていると信じている。また同じ犯行を繰り返しているという説もある。2002年10月、国際刑事警察機構、インターポールはペドロに対する国際指名手配を出した。「アンデスの怪物」と呼ばれた史上最悪の連続殺人鬼は、何度も警察の手に渡ったものの、今なお尋ね者となっている。
動画は、YouTubeより