
辺野古ゲート前では、基地建設の抗議運動が連日続いている。反対する側もゲート内への資材搬入を守る沖縄県警もどちらも同じ沖縄県人同士だ。
すでに沖縄では戦争が始まっていた。いや、そうではない。沖縄ではずっと戦争が続いたままだったのだ。沖縄の基地問題を沖縄県外の人にも分かりやすく解いたドキュメンタリー映画『標的の村』(13)が異例のロングランヒットとなった三上智恵監督の最新作『戦場ぬ止み(いくさばぬ とぅどぅみ)』は、辺野古の基地建設が進む沖縄は剣が峰に立たされたギリギリの状況であることを伝えている。そして、それは沖縄だけの問題ではなく、民主主義国であるはずの日本の根幹を揺さぶるものであることに気づかされる。
前作『標的の村』は、琉球朝日放送でキャスター兼ディレクターを務めていた三上監督がテレビ朝日系列の30分のドキュメンタリー番組『テレメンタリー』向けにもともとは作ったものだ。2012年9月に全国放送された後、沖縄ローカルで60分バージョンを放映。テレビ業界内でいくつもの賞を受賞し、それで終わるはずだった。だが、2013年8月に91分バージョンの劇場版を東京のポレポレ東中野ほか全国各地で上映したところ、口コミで予想外の大ヒットとなる。テレビ放送では届かなかった沖縄で暮らす人々の怒りと悲しみが、劇場から全国へと伝播していった。オスプレイ配備に反対するやんばる東村高江集落の人々の抗議活動を萎縮させるために国が悪質な“スラップ裁判”を仕掛け、7歳の少女まで容疑者扱いしていたこと。辺野古移転は普天間基地の代替案ではなく、もともとベトナム戦争時に米軍が計画していたものだったこと。米軍の予算不足で断念していた案が、日本の予算を使って永続的な基地として完成するという国にとって不都合な事実をスクープしていた。そして何よりも、基地周辺で暮らす人たちの息づかいがスクリーン越しに伝わってきた。全国ネットのニュースから、大切なものがボロボロとこぼれ落ちていることを痛感させるドキュメンタリーだった。
「テレビと映画では訴求力がまるで違うことに、私自身が驚きました(笑)。『標的の村』は何とかオスプレイ配備を世論の力で阻止したいという想いで作ったものです。テレビ版を観て、怒りを覚えた方もいたと思うんですが、放送枠が深夜や早朝だったため、見終わった後に寝てしまったり、朝ご飯を食べているうちに怒りが薄れてしまう。その点、劇場版は1日のスケジュールを調整して、電車賃を払って、わざわざ映画館まで観に来てくれた人たちばかり。映画の中で描かれていることを自分のものとして受け止め、さらに口コミで広めていってくれた。実際に沖縄まで来て、反対運動に参加してくれた人たちが大勢いたんです」(三上監督)

基地反対派の人たちは、翁長知事の当選に大喜び。これで基地問題は解決に向かうと彼らは信じたが、東京の政治家たちの対応は冷たかった……。
高江のヘリパッド建設問題と市民による普天間基地全ゲート封鎖事件を中心に描いた『標的の村』の劇場公開から2年、『戦場ぬ止み』ではジュゴンやサンゴが生息する大浦湾の埋め立て工事が“粛々と”進む辺野古の現状が全面的にクローズアップされる。辺野古に配備されるオスプレイ100機は“標的の村”高江で実地訓練が行なわれることになっている。高江、辺野古、そして普天間はひとつに繋がっている問題なのだ。辺野古にある米軍キャンプシュワブのメインゲートでは、85歳になる文子おばぁが基地建設の資材を運び込むトラックの前に立ちはだかる。機動隊員に押されても「一緒に引かれようよ」と動じない。文子おばぁが15歳のときに沖縄に米軍が上陸し、凄惨な地上戦が繰り広げられた。壕の中に身を隠していた少女時代の文子おばぁは、米兵が投げ込んだ手榴弾と火炎放射器で左半身に大火傷を負った。幼い弟を庇った母親は全身大火傷となった。終戦後は障害の残る母と弟を養うために、がむしゃらに働いた。「生きてて楽しいことはひとつもなかった」という文子おばぁは、迫るトラックも機動隊も怖くない。それよりもみんなが戦争のことを忘れ、沖縄が再び戦場になることが恐ろしい。基地反対運動に関わる沖縄の人々の素顔をカメラは映し出していく。
『標的の村』が琉球朝日放送制作だったのに対し、基地のゲート前に貼られた琉歌の一節から付けられた『戦場ぬ止み』は三上監督の自主映画に近い形で作られたものだ。『標的の村』大ヒット後の2014年、三上監督は開局以来19年間勤めた琉球朝日放送を退職し、フリージャーナリストとして『戦場ぬ止み』を撮り上げた。
「うれしいことに『標的の村』は全国560か所以上で自主上映されるほどの大反響がありました。週末の休みを利用して舞台あいさつなどに参加していたので、『標的の村』のヒットが会社を辞めた直接的な理由ではないんです。『標的の村』の劇場版を編集しているときから、局は辞めることになるだろうなとは考えていました。40歳過ぎるとデスクワークを求められるようになり、現場は若手に譲るようにという風潮がテレビ局にはあるんですね。まぁ、そんなのを無視して、現場にこだわり続ける破天荒なテレビマンはどの局にもかつてはいたんですが、そういうのが難しくなってきているように感じます。多分、テレビ局に限ったことではないと思うんです。この10年くらいで日本社会全体がだんだん息苦しくなってきている。表現の自由が狭められてきているんじゃないでしょうか。19年間かなり好き放題にやらせてくれた琉球朝日放送には感謝していますし、スタッフと一緒に取材していた頃はとても恵まれていたなって思います。でも、今はひとりで取材するしんどさよりも、自由に取材できることの喜びのほうが勝っていますね(笑)」(三上監督)

大浦湾の埋め立てに反対する船やカヌーを制圧する“海猿”こと海上保安官たち。男には厳しいが、若い女性には弱いらしい。
基地のゲート前で反対運動を続ける人たちはネット上で“プロ市民”というレッテルが貼られるが、三上監督のカメラはそんな彼らの人間くさい面も映し出す。機動隊と反対運動の人々が全面衝突する寸前で、リーダー役のヒロジさんは演説に絶妙なジョークを交え、危機をやんわり回避する。怪我をすれば抗議活動が続けられなくなるし、対立する機動隊や警備会社のスタッフもみんな同じ沖縄県人なのだ。本当の敵は彼らではない。夜になると歌や踊りが座り込みを続ける人たちを和ませる。そんな闘い方を、沖縄の人たちは70年間ずっと続けてきた。
伊藤英明主が主演した『海猿』シリーズですっかり有名になった海上保安庁だが、大浦湾で抗議活動する船やカヌーには非常に厳しく接する。映画界のヒーローである“海猿”のもうひとつのコワモテな一面も伝える。また戦後日本の復興を裏社会から描いた『仁義なき戦い』(73)をはじめとする数々の名作に出演した映画界のスターである菅原文太さんにとって、『戦場ぬ止み』は元気な姿を見せた最期の映画にもなっている。県知事選前の沖縄を訪問した文太さんは、「沖縄の風土も日本の風土も、海も山も空気も川もすべては国のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」という名スピーチを残している。翁長知事の当選を見届けてから、文太さんは息を引き取った。映画繋がりで、もうひとつエピソードを。三上監督は琉球朝日放送に入社する前、毎日放送時代に深夜番組『シネマチップス』に出演していた。『シネマチップス』は新作映画を女性アナウンサーたちが自由に評する、関西の人気番組だった。だが、作家の椎名誠が自分の監督作を酷評されたことに怒り、毎日放送に謝罪を要求するという騒ぎが起きた。「すごく勉強になりました。あの一件があったから、もっと明快な形で物づくりをやりたいと思うようになったんです。私にとっての物づくりがドキュメンタリーだったんです。いい機会を与えてくれてありがとうと、今なら言えますね」と三上監督は笑い飛ばす。
『標的の村』と同じように、『戦場ぬ止み』でも辺野古への基地移転を容認した前沖縄県知事や建設を指示する現職の閣僚たちにコメントを求めることを三上監督はあえてしていない。数年すれば顔が変わり、本音で話すことのない人たちを取材してもあまり意味はないからだ。辺野古はダメ、普天間もダメ。では、基地移転問題はどうすればいいのかという具体的な回答も用意はされていない。その代わり、沖縄の基地問題を曖昧模糊なものにしている、恐ろしいものの正体に『戦場ぬ止み』を観た人たちは気づくはずだ。オスプレイも米兵も、平気で噓を付く政治家も、近隣国との軋轢も怖い。でも、いちばん恐ろしいのは、沖縄で起きていることを「自分には関係のないこと」「基地問題はよく分からない」と無関心でいることなのだ。日本中を無関心というモヤが覆っている限り、沖縄の戦争はいつまでも終わりを迎えない。
(文=長野辰次)

『戦場ぬ止み』
プロデューサー/橋本佳子、木下繁貴 監督/三上智恵 音楽/小室等 ナレーション/Cocco 製作/DOCUMENTARY JAPAN、東風、三上智恵
配給/東風 7月18日(土)より東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場ほか全国順次公開
(c)2015『戦場ぬ止み』製作委員会
http://ikusaba.com/
※米国人監督ジャン・ユンカーマンによるドキュメンタリー映画『沖縄 うりずんの雨』も全国各地で順次公開中(神保町・岩波ホールは7月31日まで)。『映画 日本国憲法』(05)で憲法第九条の重みを説いたユンカーマン監督が、第二次世界大戦末期の沖縄で行なわれた地上戦の実態を、米軍の資料映像や地上戦を生き残った人々の証言で解き明かしている。また、戦後の米軍沖縄基地に配属された米兵たちはレイプ事件を起こしても、ほとんど処罰を受けていないなどの治外法権問題に関しても追跡取材している。