秋元康がEXILEに接近!? AKB48の東京オリンピック参加をめぐる“マル秘計画”

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一旦“ツン”としてみるのが康ちゃんのやり口

 本当は言いたいのに、言えないネタを持ってる芸能記者さん、集まれ! 芸能ニュースの摩訶不思議なお話からウソか真か分からないお話まで、記者さんたちを酔わせていろいろ暴露させちゃった☆

A......スポーツ紙記者 グラドルからジャニーズまで、芸能一筋17年の芸能記者
B......週刊誌デスク 日中はラジオでタレントの発言をチェック、夜は繁華街に繰り出し情報収集を行う事情通
C......WEBサイト記者 通常ニュースから怪しいBBSまで日参、膨大な資料を作り続ける駆け出し記者

ギリシャは大阪よりずっと下   ~BOZZ

ギリシャの人口は1100万人。国内総生産はポルトガルと同じくらいの小国。国の時価総額はアップル一社26兆円の下。そんな国をEUの盟主ドイツがまともに相手をするはずも無い。
ユーロは東西ドイツがくっついた時にフランスから盟主を奪った際に出来た。ヨーロッパを軍事力ではなく経済力でドイツが支配した瞬間。・・・(続きは探偵ファイルで)

もうすぐ大相撲名古屋場所!横綱白鵬の部屋に行ってみた

7月12日から大相撲名古屋場所が開催される。各部屋宿舎を構え本場所に挑むが、今回は横綱白鵬がいる宮城野部屋を紹介する。

宮城野部屋の宿舎は名古屋市緑区鳴海町宇上中町9の淨泉寺。
名鉄鳴海駅が最寄駅で、そこから扇川を渡り、北東へ300メートルほど歩くと淨泉寺がある。・・・(続きは探偵ファイルで)
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点滴テイスティング

ワインでもテイスティングするんだから点滴だってテイスティングしてもいいじゃない!!

はいっ!そんなわけでいつもは直接血管にぶち込んでいる点滴を今回はまったりと舌の上で転がしまくって味わいつくします。
点滴の商品名すらそのままだせない一般向けメディアの不自由さよ!!・・・(続きは探偵ファイルで)

「卒業」について語ったAKB48柏木由紀に“手越化”の兆候が!?

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AKB48・柏木由紀

 いまだジャニーズ・手越祐也との“抱擁写真騒動”が尾を引くAKB48の柏木由紀が、ついに「卒業」を口にした。

 柏木は同期メンバーの渡辺麻友とともに6月27日深夜放送の日本テレビ系『AKB48旅少女』に出演。2人は長野・軽井沢に旅行に出かけ、本音を告白した。

 先日のAKB選抜総選挙で2位だった柏木は「十分やりきった」と述べるも「自分は一生1位になれないって、ちょっと思った」。

 一方、頂点に立ったことがある渡辺は、柏木から「(昨年)1位になったことで、変わったことはあるのかな?」と聞かれ「“1位の人”っていうふうに認識されたことがメリットだった。けど、見られることが多くなって『ちゃんとしよう』って意識が強すぎて、固くなってしまった」と説いた。

 そして話題は気になる卒業の話に……。柏木が「いつまで(AKBに)いるんだろう? って考える時がある」と切り出すと、渡辺も「考える。最近、特に考える。自分の将来も考えていかないといけない」と同調。具体的な卒業時期について柏木は「自分の意志じゃ、どうにもならないことが多い」と前置きした上で「本当はこうしたいけど、AKBを思うとできないとか、今はAKBがこうだからできないというのがある。卒業は結構、自分(の判断)だけじゃない。今まで辞めた先輩もそうじゃない? 自分の意志だけで辞めているわけじゃない」と述べた。

 一聴する限り「まだ辞めない」という意思表示のようにも見えるが、言葉の節々を裏読みすると「本人的には卒業を考えているが、大人の事情でそれができない」というように聞こえなくもない。

 一方で驚かされるのが、柏木のプロ意識だ。「週刊文春」(文藝春秋)で手越との写真が掲載されたのは、総選挙直後の6月11日で、同番組は文春発売以降に収録されたとみられる。その状況で何事もなかったかのようにAKBの未来について語るとは……。ネット上ではさらなる燃料投下とばかりに大炎上しているが、業界関係者は皮肉交じりに「これだけ肝が据わっていればAKBを卒業してもやっていけると思いますよ」と語る。

 ある意味、柏木も“手越化”してきているのかもしれない。

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神田愛花がフェチ告白した、バナナマン日村勇紀の“足のニオイ” 実際どれほど臭いの!?

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に、似てない……(Amazon「バナナ炎炎 バナナマン フィギュアストラップ」より)
 お笑いコンビ・バナナマンの日村勇紀と交際中のフリーアナウンサー神田愛花が29日、都内で行われたイベントに出席し、囲み取材で日村との交際について語った。イベントの主催者側から“NGなし”という異例の通達もあってか、神田は「仕事がない日にお泊まりしている。週2くらい」と大胆告白。また、日村の好きなところは「体臭から足の裏のニオイも」とフェチぶりを自ら暴露するとともに、結婚願望についても「そうなったらいいな」と明かした。    そんな神田の赤裸々トークにかみついたのが、ネットユーザーたち。「この女の売名っぷりはスゴいな」「翻訳すると『金があれば我慢できる』か」「周りから固めていく女の人怖い」「ま、この女にかかれば日村なんかチョロいもんだろ」「3年後、熊切あさ美と化した神田の姿が」といった具合に、神田の売名ぶりが露骨すぎると非難ごうごう。 「一説によれば、地方局の情報番組とラジオしかレギュラーのない神田が自身の将来に危機感を覚え、売名のために日村に近づいたともささやかれていますが、それが事実なら当てが外れた格好。日村は売れっ子芸人には違いはありませんが、ブサイク芸人の恋愛になんて世の中的にはそれほど興味はないでしょう。確かに、交際発覚時は大きな話題にはなりましたが、いつまでも引っ張れるものでもない。神田にとっても、熱愛報道をキッカケに仕事が激増したわけでもないので、誤算でした。ならば、貯金が3億円あるともいわれる日村の玉の輿に乗ってしまおう、というのが本音なのでは。しかし、相方の設楽統が日村の体臭をよく話題にするのはネタだと思っていたのですが、神田の発言からすると本当に臭いんですね(笑)」(スポーツ紙記者)  設楽いわく、「日村がかいた汗がTシャツの丸首部分に染み込み、そこが死ぬほど臭い」「シャワーを浴びても、朝いちの仕事前に汗臭くなる」のだそう。 「それでも昔に比べれば、マシになったらしいですからね。今では出番の前には香水を振るという日村ですが、若手の頃は不潔で有名で、アンモニア臭のするゴミためのようなワンルームに住んでいた上、風呂嫌いでホームレスのような臭気を発していたそうです」(同)  そんな日村だが、実は言われているほどモテないわけではなく、むしろモテるほう。日村と同居経験のある後輩芸人のバカリズムによると、「彼女が途切れたことがない」のだとか。今回の神田の赤裸々発言も、そんな事実に焦りを感じたからかもしれない。いずれにせよ、彼女が嗅ぎつけたのは、日村の足の裏のニオイなどではなく、カネのニオイではなかったのか。

車内で死亡していた男性が2枚も違反切符を切られる!

車内で死亡していた男性が2枚も駐車違反切符を切られていたという。この男性は運転席に座った状態で自然死により息を引き取っていたが、道路の反対側に違法で駐車していたため、ニューヨークのブルックリンの交通取締係から罰金を課せられてしまっていたようだ。 違反切符の1枚は車外にあったものの、もう1枚が車内から発見されたため、現在警察が調査を進めているところだそうで、なぜ取締係が車内の人物が無事か確認しなかったかについても見直しているようだ。

衝撃の離婚会見から一年。つちやかおりの顔が変わった!?

 結婚は忍耐。ちまたで溢れかえる言葉ではあるが、この言葉ほど結婚生活というものを実に的確に表現しているものはないように思える。  夫と妻。互いに愛情がたっぷりとあり一緒にいて楽しい時期ならば両者とも自然と顔がほころび、その思いが積み重なって日々の顔つきにもでるもの。逆にお互い愛情が冷め、生活を続けることがひたすら忍耐としか思えなくなったとしたら……やっぱりそれも顔にでるのだろう。  そんなことを、先週6月23日発売の「女性自身」(光文社)二週合併号に掲載された、つちやかおり(50)の近影を見て考えてしまった。モノクロ記事の中でにっこりと微笑むつちやの顔は、とても50歳とは思えないほど若返っていて、どこかあどけなさが残るようと言ってもいいぐらいのピュアな表情を見せている。一年前に元夫でタレントの布川敏和(49)との離婚を発表した際の顔つきとは、かなり変わったように見えるのだ。  まだはっきりと思い出せる方も多いことだろう、あの突然の<妻主導>の離婚会見を。あれはなかなか衝撃的だった。布川への怒りなのか諦めなのか、やや不遜とも思える態度と表情で、マイクの前で布川に三行半をつきつけた、つちや。十年も前から離婚を考え続けていたというその顔には「好きじゃない人と生活を続ける苦悩」みたいなものが滲み出ているように見えたものだ。  その会見後すぐに、つちやと割烹料理店店主・Aさんとの不倫交際も発覚。つちやは「大切な人です」とAさんとの交際を認めるような発言をしたのだが……深夜に親密そうな様子で手を繋いで歩くツーショット写真が掲載されていたにも関わらず、当のAさんはつちやとの交際について周囲に「付き合っていない」と漏らし、報道が出たことで困惑しきっていたそうだ。  離婚会見→不倫報道→不倫否定と一躍時の人となったつちやに対して、ネット上では「勝手に付き合ってると思いこんで、離婚に突っ走るだなんて痛すぎる」「勘違いおばさん」などの罵倒が飛び交い、それはもう荒れたものだ。さらに、バツイチであるAさんが、元妻と<子供のために>再び同居をスタートさせるという話が持ち上がっているとの説まで登場し、つちやの空回りだったのかと思われた、が……。  しかし、周囲の喧騒をよそに、Aさんとつちやの関係は継続しているらしい。「女性自身」でつちやはAさんの人柄を「優しい人なんです」と話している。布川との離婚会見に臨むにあたっても「自分の気持ちを全部伝えてきなさい」と後押ししてくれたのだという。その会見から二カ月後に迎えたつちやの誕生日に、Aさんがオルゴールを贈ってくれたことも明かしている。Aさんは割烹店から独立し、自身の店を立ち上げるべく、現在は物件探しなどに奔走しているそうだが、食品衛生責任者の資格を持つつちやは、将来的には彼の故郷で一緒にお店をやっていくのもいいねと二人で話し合っているのだと、誌面で語っている。また、Aさんとの再婚にはこだわっておらず、気持ちがつながっていればいいのだとも。布川と無事に離婚し、新しい伴侶がいるからこその、晴れ晴れとした笑顔なのだろうか。  一方、布川は6月8日に放送された『私のなにがイケないの!?』(TBS系)で“離婚うつ”を告白。部屋にひきこもり状態となり、家の中を片付けることができずにゴミ屋敷状態にしてしまったことや、ノイローゼになりかけた、と話していたのだが……。この件に関しては「相変わらずハワイで遊んでいる」「中目黒でハワイアンダイニングでしょっちゅう合コンしている」などの関係者の証言もあり(どんだけハワイが好きなんだという感じだが)、テレビ用のネタなのでは、との指摘もある。また、それまで家庭内の生活環境を清潔に保ってくれていた人がいなくなり、布川が掃除や整頓をしないならば、部屋が汚れてゴミ屋敷状態になるのも道理だ。  「生き方は顔に出る」という。離婚から1年。人生の折り返し地点も過ぎた元夫婦2人の顔に今後どのような変化が現れるのか――。思い出した時にでもまたじっくりと観察してみたいと思うのは野次馬根性が過ぎるだろうか。 (エリザベス松本)

「生きるのに向いていないから」健康な24歳女性の安楽死が認められる!!=ベルギー

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 現在、世界において積極的安楽死(本人の自発的意思のもと、医師が自殺幇助すること)が認められているのは、ヨーロッパの数カ国や米国の一部の州に限られている。その中の1国であるベルギーでは、「生きるのに向いていない」という理由で死を望んでいる女性に対する安楽死が行われようとしているようだ。  6月19日付のベルギー紙「De Morgen」によると、今回複数の精神科医によって安楽死が承認されたのは、ラウラさん(仮名)という24歳の女性。安楽死と聞くと、末期症状などの“肉体的苦痛”から解放されるための手段というイメージが強いが、ラウラさんは健康に何の問題も抱えていない。ただし彼女は、幼少期から一貫して自殺願望が頭から離れないという“精神的苦痛”に悩まされてきたのだという。  インタビューに応じたラウラさんは、この自殺願望には自身の生い立ちが少なからず影響を与えていることを認める。彼女の両親にとって、ラウラさんの誕生は予期せぬ出来事であり、酒癖の悪い父親からの虐待も相当なものだったという。そのため、祖父母に預けられて安定した環境の中で育ちはしたものの、彼女の自殺願望は一向に収まらなかった。 「苦しみのもとは、確かに子ども時代にあります。でも、穏やかで幸せな家庭で育っていたとしても、この自殺願望は変わらなかったでしょう」 「『私を必要としてくれる人がいるのかもしれない』『誰も傷つけたくはない』そんな考えから、今まで(自殺を)思いとどまってきました」(ラウラさん)  21歳のころからは精神病院に通院し、同じような考えを持つ友人ができ、さらに演劇への興味も湧いてきたラウラさん。しかし彼女の「自分は生きるのに向いていない」という思いは、やがて確信へと変わり、死を決意するに至ったとのことだ。
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画像は「De Morgen」より引用
「私の考えは、友達に宛てた手紙にほとんどしたためました」 「もう、すべての準備は整ったと思います」(ラウラさん)  ラウラさんの安楽死は3人の精神科医によって承認され、この夏に決行される予定だという。ちなみにベルギーの成人には、医師が認める場合、精神的苦痛から逃れることを理由とした安楽死が許されており、昨年は性転換手術に失敗した女性(44)が実際にこの世を去っている。  2002年、オランダに次ぎ積極的安楽死を合法化したベルギー。その後、条件付きながら未成年にも認められるなど適用範囲は拡大し、現在では1日に5人が医師の援助のもとで安楽死している状況にある。しかし、健康体であるにもかかわらず精神的苦痛を理由とした安楽死が行われることに対しては、根強い反対意見も残っているようだ。今回のラウラさんは、まだ24歳。生きてさえいれば、いつか命に意味を見出だせる時が来る――何とかそう信じることはできないのだろうか。 (編集部) 参考:「De Morgen」、「INQUISITR」、「Christian Examiner」、「The Telegraph」、ほか

乃木坂46が舞台公演『じょしらく』で見せた、“アイドル演劇”の可能性とは?

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【リアルサウンドより】  先週末に全日程を終えた乃木坂46の舞台公演『じょしらく』(6月18~28日、渋谷・AiiA 2.5 Theater Tokyo)は、乃木坂46が自ら手がけるものとしては、初めての“素直な”演劇公演だった。  時折語られることだが、乃木坂46は「芝居ができるアイドルを確立する」という目標を掲げている。シングルCDリリースの際に収録される個人PVなども、そうした経験値を積む一環になっているが、演技という観点で見る時、特にこのグループが意識的に取り組もうとしているのは舞台演劇である。デビューの2012年から毎年の恒例イベントとなっている舞台公演『16人のプリンシパル』はその基盤になるものだ。たとえば『16人のプリンシパル』で安定的な演技力を見せてきた若月佑美は、昨年から今年にかけて前田司郎の代表作『生きてるものはいないのか』のキャストや、2.5次元舞台『ヴァンパイア騎士』の主演に抜擢され、グループに在籍しながら広い振り幅の外部舞台経験を積んでいる。  ただし、この乃木坂46の看板イベントである『16人のプリンシパル』は、舞台演劇を志すことだけを考えるならば必ずしも最適な企画ではない。『16人のプリンシパル』では、あらかじめ配役が決まっていないままメンバーはすべての登場人物の台詞と段取りを覚え、その日の公演ごとにオーディションを行なって観客投票で各公演のキャストを決め、演劇を上演するというスタイルをとっている。このシステムは、AKB48的な“民意”を介したエンターテインメント性と、乃木坂46自身の演劇への志向を融合させたものである。その構造特有の面白さが呼び物ではあるものの、一つの役に専心できないまま稽古期間、公演期間が過ぎてしまうため、まだ俳優としてビギナーの位置にいるメンバーたちが基礎を覚えるための場として考えるのは難しい。48的なエンターテインメント構造か、演劇志向か。過去三回の公演を通して、乃木坂46はその両者の間で揺れてきた。それとは対照的に、今回上演された『じょしらく』は、乃木坂46がごく自然に演技のキャリアを積むための企画として、『16人のプリンシパル』の構造では実現できない機能を果たすものになった。一人のメンバーが一つのキャストに専念して役を掘り下げることができ、固定した座組で公演を行なう演劇は、乃木坂46が手がけるものとしては初めてのことになる。冒頭で、初めての“素直な”演劇公演と書いたのはそのためだ。  もっとも、この『じょしらく』という題材そのものは、オーソドックスな進行の戯曲にはなりにくい。原作の漫画作品自体が、明確な一本道のストーリーを持つものではなく、女性落語家たちの楽屋での「差し障りのない」会話で構成される。今回の乃木坂46版舞台も、比較的原作を忠実に参照したパートは多く、日常をつづるようなシーンの連続で進行する。その意味では、この舞台作品もまた一風変わった独特のテイストを持つものではある。ただし、各メンバーがそれぞれ一つの役のみに専念できること自体の効果は、やはり大きかった。今回の舞台化では、事前オーディションで選抜された15名のキャストを3チームに分けたトリプルキャストの方式をとったため、一人一人が出演できる回数は、全15公演のうち3分の1ずつに限られる。『16人のプリンシパル』に比べれば、公演期間中に舞台に立つ回数そのものはずっと少ない。それでも、役者としての安定感は『じょしらく』の方が数段上だったといっていい。上述したように『じょしらく』は強いストーリーで推進できるタイプの作品ではないだけに、出演メンバー同士で間やテンポを密に合わせた芝居をしなければ、途端に間延びしてしまいかねない。過去の『16人のプリンシパル』や『じょしらく』公開オーディション時から目を引く演技を見せていた伊藤万理華や衛藤美彩、井上小百合といった個人のレベルではなく、チームとしてその点をクリアできていたのは『じょしらく』の大きな収穫だったはずだ。それは脚本・演出を務めた川尻恵太との稽古期間に、充実した蓄積があったことをうかがわせるものだった。  さて、日常の一コマをつづるようなシーンを積み重ねて進む舞台版『じょしらく』だが、この芝居は上演時間が進行するにつれて、落語家としての彼女たちの日常の裏に、彼女たちが「アイドル」として日常を過ごすパラレルワールドが潜んでいるような、二つの側面がないまぜになった構造をみせていく。落語家の日常とパラレルに、この世界に存在するアイドルの日常、ある時その二つが接点を持ち、そこからこの舞台は一気に加速していく。  もっとも、ここで描かれる「落語家の日常」も「アイドルの日常」も、そもそも乃木坂46という「アイドル」によって「演じ」られている。そのことによって、「演じる」という言葉の意味は、現実世界に跳ね返ってくるような広がりをもつことになる。作品最終盤で投げかけられる「みんなは演じていないのか?」というシリアスな問いは、そのまま現実世界でアイドルという職能を背負っている乃木坂46メンバーたち自身が、アイドルとしての日常を「演じ」ながら過ごしているのではないのかという問いに重ね合わされるのだ。  しかし、この問いを「嘘の姿/真実の姿」といった、単純なネガティブ/ポジティブの対比でとらえるべきではない。この作品で示唆される「演じる」こととは、欺瞞であるよりも、ある世界を「上演」することの誇りのようなものだ。今日のアイドルは周到に編集されたメディア上で完結するものではなく、現場にせよSNSにせよ、便宜上の「舞台」を降りた「日常」までもが「上演」の場にならざるをえない。日常と舞台上とが互いに浸透しあうような環境のなかでは、演じる/演じないを場によって区別することはますます難しくなっているはずだ。舞台版『じょしらく』はアイドルをとりまくそんな状況の苛酷さ理不尽さに水面下で目を配りつつも、アイドルが「上演」されること、アイドルという職能を通じて「上演」できる世界を肯定し、前向きな意義を主張しているようにみえた。  アイドル演劇というジャンル自体、アイドルである演者の人格と、そのアイドルが演じる物語上の登場人物の人格とが重ね合わされて受容されることで成立するジャンルである。より一般的にいえばそれは「スターシステム」ということにもなるが、ことアイドル演劇の場合、特に演者のパーソナリティに強く視線が注がれる。その性質を綺麗に織り込みつつ、彼女たちが舞台経験を正当に積む場としても成立したのが、今回の乃木坂46版『じょしらく』だった。『16人のプリンシパル』とは違った演劇企画を持つことで、「演劇の乃木坂46」としての武器は確実に増えた。『16人のプリンシパル』と今回の『じょしらく』とは、互いに性格の異なるエンターテインメント性を宿している。この公演のフィードバックを受けて今年以降の『16人のプリンシパル』はどのように舵を取るのか、また次なる演劇企画はどう設定されるのか。『じょしらく』は今年下半期、そして来年以降の乃木坂46の可能性に幅を持たせる歩みだった。 ■香月孝史(Twitter) ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。