炎と氷、因縁の対決!

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『バルサン飛ぶ虫氷殺ジェット』
これは殺虫成分を一切使わず、-40℃の冷気で瞬間的に虫を殺すという商品だ
殺虫成分が入っていないから、人体にやさしい。なんて画期的!・・・(続きは探偵ファイルで)

妻に「死んで」「殺す」……栗田貫一の“モラハラ夫”ぶりに批判殺到中!「ルパンの声やるな」の声も

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TBS『私の何がイケないの?』公式サイトより

【日刊サイゾーより】

 “ものまね四天王”の1人で、『ルパン三世』のルパン役の声優としても知られる、ものまねタレントの栗田貫一(57)に、批判が殺到している。

 9日放送のバラエティ番組『私の何がイケないの?』(TBS系)では、栗田の私生活での亭主関白ぶりに密着。番組の予告映像では、16歳年下の妻で女優の大沢さやか(41)に、買い物で「早く買えよ!」と冷たく言い放つ様子や、カラオケで「うるせえよ! 練習にならねえじゃねえか!」「殺していい?」と言い放つ様子が確認できる。

 さらに、「頼むから死んでくれって言われて、涙がボロボロ滝のように流れました」と話すなど、夫の“言葉の暴力”に悩む大沢が、ついに夫との話し合いに持ち込む場面も。そこでも、「(言葉の暴力を)やめてほしい」と訴える妻に、栗田は「上等なんだよ。だから、お前はダメなんだ!」と、ケンカ腰に言い返す一幕が見て取れる。

 これは、あくまでも番組のごく一場面を繋げた予告映像だが、早くもネット上では、不快感を訴える視聴者が続出。「栗田貫一最低……

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あの大物を怒らせた!? ゴルゴ松本が“ボコボコにした”我が家・杉山裕之の左遷理由とは

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『3LDK』Victor Entertainment,Inc.
 お笑いトリオ・我が家の杉山裕之が九州に“左遷”されてから2年以上が経過した。  そもそも、一体なぜ“飛ばされた”のか? 杉山は異動が決まった2012年8月当時「ビックリしましたが、ちゃんと話を聞いたら、僕にとっても我が家にとってもスゴく良い話だったんです。今後も我が家としての活動も続けながら、福岡ではピンとしていろいろな活動を続けることが、自分にとっても我が家にとってもプラスになると思ってます」と強気に話していたが……。  「酒グセの悪さが原因です」とは、事情をよく知る関係者。杉山の酒乱ぶりは有名で、これまで、雨上がり決死隊の宮迫博之の頭をいきなりはたいたり、博多華丸がカラオケで熱唱しているところを何度も止めるなどして、本気で怒らせている。  5日放送のフジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、同じワタナベエンターテインメント所属の先輩、TIM・ゴルゴ松本が杉山を「(過去に)ボコボコにした」と告白。その理由について「上下関係をわかっていなかった」と答えた。  酒席でのトラブルが積み重なり、左遷。決定的だったのは、ナベプロの大先輩を激怒させたことだという。前出関係者が明かす。 「ナベプロの“顔”である中山秀征さんと恵俊彰さんに対しても、酒の席で『全然面白くないんですけど』と無礼な発言を連発したそうです。これに激怒したヒデさんが『あいつは辞めさせろ!』となったとか。事務所の大先輩の許しが出ない限り、杉山が東京に戻ってくることはないでしょう」  このまま忘れ去られていくのだろうか――。

古閑美保が現役アスリートの性生活を盛大に明かし「同業者が迷惑する」と非難轟々

女性向けWebサイト【messy】とって出し! 全部読む
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(古閑美保Instagramより)
 3月7日に放送されたバラエティー番組『ミレニアムズ』(フジテレビ系)に、元プロゴルファーの古閑美保(32)が出演した。  同番組で彼女は、“女性アスリートは性欲が強い”という説に言及。一概には言えないと前置きしたうえで、「理論的に言うと、女性が戦うというのは男性ホルモンなんですね。闘争心というのは性欲とつながるんですよ。(ゆえに、女性アスリートの性欲は)強いです」と語った。彼女の理論では、スポーツを通して闘争心が養われる=男性ホルモンが活性化する=性欲旺盛になる、ということらしい。続けて「ただ女性は理性があるから(性欲の暴走を)止められる、男性は止められない」と付け加えていた。 つづきを読む

ニューロティカあっちゃん、メイク下の素顔とは? ドキュメンタリー映画が描く、愛と笑いのバンド人生

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【リアルサウンドより】  2014年に結成30周年を迎えたパンクロックバンド・ニューロティカのフロントマンであり唯一のオリジナルメンバー、あっちゃんことイノウエアツシ(ボーカル/50歳)が主演を務めるドキュメンタリー映画『あっちゃん』が遂に完成した。どこにでもある町のお菓子屋さんに生まれた男の、どこにもない生き方。筆者は、この映画の完成を心待ちにしていた。  30年前から現在まで変わらず活動を続けているニューロティカのすべてが詰まっていると言っても過言ではないこの映画は、ドキュメンタリーとしても秀逸であり、ファンならずともあっちゃんの人間性の魅力に引き込まれて行くだろう。  ニューロティカを知る人間が、いつもの楽しいあっちゃんの面白く笑える映画なのだろうと油断していると、涙を流すことになるかもしれない。事実、筆者もまた、冒頭早朝から寝起きの顔を腫らしながらも明るくふるまい、日常であるお菓子屋の仕入れに行く姿を見て、不覚にも涙腺が緩んだ。そこには、ピエロの姿で観客を盛り上げて楽しませる、ステージ上のあっちゃんの知られざる姿が映し出されていて、この映画が間違いなく素晴らしいものだという確信を抱かせる。
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 映画前半では旧ニューロティカのメンバーである修豚、JACKie、SHON、アキオによる回顧とともに、貴重なライブ映像や日常のお菓子屋のあっちゃんの姿を交えて進んで行く。映画全編で映し出されている、家業であるお菓子屋「ふじや」の若旦那であるあっちゃんへのご近所の印象や、お菓子屋での仕事の付き合いの人々、そして家族である母親とのシーンなどもふんだんに盛り込まれ、素のあっちゃんが感じられるところもこの映画の魅力だ。  インディーズ時代からメンバー5人のキャラが非常に個性的であったニューロティカは、コロムビアレコードとの契約を経てメジャーデビュー。当時のバンドブームの波にも乗り人気を博していく。中学時代からの親友である修豚との仲の良さがにじみ出ているシーンや、いつもふざけているJACKieが真剣に語る姿、旧ニューロティカの縁の下の力持ち的な役割でもであったSHONとアキオの話に、当時の記憶が鮮明に蘇る人も多いだろう。  修豚、SHON、アキオ脱退時の話や、その後、現在まで活動をともにするカタル、ナボが新たにメンバーとして加入するまでのいきさつを追うシーンでは、JACKie脱退時の貴重なラストライブの映像も収められている。JACKie脱退ライブを観た石坂マサヨ(ロリータ18号)の言葉は、当時のファンの気持ちをしっかりと代弁していて、ニューロティカの変換期の空気感が映像とともにリアルに伝わってくる。  JACKie脱退により、ボーカルのあっちゃんだけがオリジナルメンバーとして唯一残り、新たにギターにシズヲを迎え、カタル、ナボの4人で活動を続けるに至ったこの変換期は、ニューロティカの30年史を語る上で欠かすことの出来ない重要なポイントである。いつもピエロの姿で観客を楽しませるあっちゃんの陰に隠れた苦悩とともに、映画の完成記者会見でカタルの言った「何をおいてもメンバーのことを一番に考えてくれる」という、あっちゃんの人間性がしみじみと伝わって来る。
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 そんなあっちゃんの人間性を慕う人間は多く、バンドが様々な問題を抱えているときでも必ず仲間が側に寄り添い、ニューロティカは活動を続けてきた。「仲の悪い2バンドがあったとしたら、その間にあっちゃんがいて、結局その3バンドでライブをやってしまったりする不思議な人」と、記者会見でナボが語ったエピソードは、一度でも関わった人間を惹き付けてしまうあっちゃんの魅力をよく表しているといえよう。  もちろん、映画ではニューロティカの音楽性についても触れている。2000年5月にアルバム『絶体絶命のピンチ!! 』を発売したTV-FREAK RECORDの代表であり、POTSHOTの中心人物であるRYOJIが「元祖メロコア、速いメロディアスなパンクっていうのは、実はニューロティカが日本でもうやっていたんだというのを、みんなに伝えたかった」というように、その音楽の新鮮さに惹かれた人間は当然のように多い。本作品の中でも、カタルが手がけたニューロティカの楽曲の映画音楽バージョンが使われていて、鑑賞中に「おっ! これニューロティカだ!」と気付かされることもしばしば。様々なアーティストにより作られた今回の作品のための楽曲などもあり、作品中に使用されている音楽もこの映画の楽しみのひとつとなっている。
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 完成記者会見でナリオ監督は「ニューロティカの映画ではなく、あっちゃんという1人の人間の映画であるため、あっちゃんの人となりや誰からも愛されるキャラクターをクローズアップして追っていった」と語り、同じく記者会見でナボは「スーパーマンがピンチの時には新聞記者から変身して助けに行く姿が、あっちゃんにオーバーラップして、映画を通してあっちゃんを世の人に広めたいという気持ちがすごくあった」と語った。どこにでもいるお菓子屋のおっちゃんが、実はすごい人間なんだ、という驚きと感動が、映画全編を通して本当に良く伝わってくる。  出演する各著名人のあっちゃんに対するコメントでは「正にそれ!」と手を打つものや、爆笑しながらも唸らせるものもあり、あっちゃんという人間が誰に対しても等身大の自分自身で、誠実に向き合っていることがわかる。作中で綾小路翔(氣志團)が話すあっちゃんに対するコメントは、とくに印象深くそれもまた重要な見どころのひとつである。ニューロティカやあっちゃんを知る人も知らない人も、いや、どんな人であろうともこの映画を観れば、この言葉の説得力というものが理解できるはずだ。  今までメンバーにも彼女にも、誰にも話したことの無いあっちゃんの心の奥底に秘められていた思いを、初めて明かしたドキュメンタリー映画『あっちゃん』。公開初日の4月18日(土)東京渋谷HUMAXシネマでは、メンバーによる舞台挨拶もあるので、是非映画館の大きなスクリーンであっちゃんという人間を感じてほしい。 映画『あっちゃん』オフィシャルサイト 参考:ニューロティカ・あっちゃんが語る、バンド活動30年「文化祭の延長みたいな感じでやってきた」 ■ISHIYA アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。 FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST

さやわかが語る、2015年の音楽文化と全体性「強度を一番先に取り戻したのはポピュラー音楽」

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さやわか『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書)

【リアルサウンドより】  リアルサウンドでも執筆中のライター・物語評論家のさやわか氏が、2015年1月22日に新書『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書)を発表した。同書は、さやわか氏が2013年6月3日に世に送り出し、大きな反響を呼んだ『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)に、ここ1年半余りの音楽シーンの情勢を踏まえて大幅に加筆・修正をしたもの。総選挙や握手会といったさまざまなシステムを作り出し、音楽チャートで注目を集める一方、激しい批判にもあってきた“AKB商法”にスポットを当て、その批判の妥当性を検証するとともに、これまであまり語られてこなかったその功績を浮き彫りにしたのが前書だった。今回の書籍では、刊行の後に起こった「恋するフォーチュンクッキー」のムーブメントや、世間を大きく騒がせた“AKB襲撃事件”にも言及、あらためてその理論の有用性を主張している。リアルサウンドでは今回、さやわか氏本人に登場してもらい、同書の狙いや主張についてたっぷりと語ってもらった。(編集部)

「アイドルは全体性をカバーしようとしている」

——今回の新書『僕たちとアイドルの時代』は、2013年6月に出版された前書『AKB商法とは何だったのか』に加筆されたものですね。この1年半の間に、前書で提示していたことが実証された手応えはありましたか。 さやわか:そうですね。『僕たちとアイドルの時代』は、前書を踏まえて「ほら、僕が考えていた通りになったよね」という本ではあります。新書化にあたって本のタイトルを変えた一番の理由は、前書で「日本はアイドルの時代だ」って書いたんですけど、いまはアイドルカルチャー以外にもそこで僕が「アイドルの時代」と書いたものが拡大しているので、そのニュアンスを込めたかったというのがあります。 ——前書では、一般的にいう“AKB商法”への批判に対し、さやわかさんは異議を申し立てしていますよね。その異議の背景にあるのは、ポップミュージックはビジネスも含めて一体としたカルチャーとして捉えたほうがより有意義である、という考え方でしょうか。 さやわか:その通りです。ただ僕が言いたいのは、ビジネス側からポップミュージックを捉えましょうというだけの話でもないんです。まず前提としているのが、ポップミュージック以外のカルチャーであってもそうなんですが、全体性を見通すのは難しいということ。しかし一部の人々は、全体性がないにも関わらず自分の好きなもの、興味のあるものだけにしぼって、文化や社会全体を語ろうとする。しかしお互いにそういうことをやっていると、何が本当に重要なのか決められないまま、価値観のぶつけ合いになることがすごく多いんです。わかりやすく言うと、それはインターネット上での不毛な議論などに表れていますよね。漫画でもアニメでも映画でも「俺はあれが好きだ」「あれはダメだ」「あれが良いんだ」という、特に根拠のない水掛け論ばかり繰り広げられるようになる。しかし歴史を参照すれば、どんな文化にも価値を認められたものがあったと思うんです。でも特にアイドルの場合はそうした権威付けがされずにきたものだから、内部でも外部でも、とにかく「あれが好きだ」「これはダメだ」という不毛な議論に終始してしまう。僕が指摘したかったのは、そこなんです。 ——なるほど、AKB商法への批判も倫理的なものに終始するものが多く、それはカルチャー全体を見通すものにはなっていない、という見方ですね。 さやわか:実際、僕がアイドルについて書き始めたのは06〜07年頃のことなんですが、その時は編集者に「アイドルが面白い」と訴えても「さやわかさんはそういうのが好きなんですね……」と気持ち悪がられることのほうが多かったんですよ(苦笑)。要するに、僕が「アイドル好き」で、その人は「アイドル嫌い」という、好き嫌いでの判断ばかりがされたわけです。しかし、アイドルという存在が面白いのはそこでもあって、それだけ好き嫌いだけが横行する社会を前提として受け入れつつ、そこでなお「いかにしてポピュラリティを得るかが仕事」という人たちなんですよね。それはつまり、価値観を対立させるよりも、なんとかして社会全体をカバーすることを目指すという意味でもある。だからこそ、いまの社会を語る上での一つの鍵となり得ると思うんです。AKB48がまさにそうなんですけど、彼女たちは売上げを指標として使うことによって全体性をカバーしようとしていて、しかもチャートの売上げ順位やランキングのような構造を、自分たちの作品あるいは表現を届かせるためのインフラとしても使っています。倫理的な好き嫌いでそれを非難するよりは、そのことが今の社会にとって何を意味するのかを考えるほうがよほど有意義です。 ——この本では、アイドルグループがチャートをジャンプボードにして、次の段階にいくルートが想定されていますね。 さやわか:そうですね。チャートで上位になって目立つことによって、AKB48のシステムはうまく循環してきたと思います。 ——4章「AKB商法とは何だったのか」では、ここ2年くらいの新しい事象についても書かれていますが、さやわかさんが2013年までに立てた見立ての中で、特に予見が当たったと感じる事象とは。 さやわか:前書が出たのが2013年の6月で、ちょうどAKB48の総選挙があって、そこで指原莉乃さんが1位になりました。そして『恋するフォーチュンクッキー』がヒットした。これはもう、僕が書いた通りになったなと思いました。指原さんは恋愛スキャンダルがあってバッシングを受けたメンバーであり、またAKB48の中ではどちらかというとコメディリリーフとしてのキャラクター性を与えられている。にも関わらず、AKB商法の権化であるような総選挙という場で1位になることができた。つまりこれは、アイドルがかつてのようにスキャンダルを犯して失敗したらもうアウト、というシステムではなくて、違う仕組みが働いているというべきでしょう。また『恋するフォーチュンクッキー』は、曲としても非常によく出来ていて、それこそロック界隈のミュージシャンにも評価された。つまり「AKB48は握手券を売っているだけで、音楽性は伴っていない」という批判はもはや必ずしも成り立つものではありません。さらに同曲は、YouTubeなどを通じてみんながダンスする動画を投稿し、そのムーブメントが広がっていくという流れがあった。今のアイドルは疑似恋愛の対象として好きになる人を中心とした文化ではなく、曲の中身だけが重視されるのでもなく、そのアイドルがいて、その曲があることによって人々が繋がっていく、そういう文化になっているわけです。『恋チュン』のムーブメントは完全に狙って起こされたものだと思うんですけど、それがまるで前書で指摘したことをトレースするような仕掛け方だったので、我が意を得たり、と思いました。言い換えると、AKB48は現状を俯瞰した上で、次にどういう風にコマを進めていくべきかをちゃんと考えているユニットで、それを見事に当ててきている。だからこれは「だからAKB48はすごい」っていう話ですらなくて、今のポップミュージックの状況を踏まえたらこういうやり方がある、ということで、僕の本はそれを知ってほしいという気持ちを込めたものになっています。

「倫理的な批判よりも、歴史やシステムについての理解を」

——本書では2014年に起きたAKB48の握手会襲撃事件も取り上げています。その際には、やはり倫理観と結びつけられながらAKB商法までもが猛烈に批判された、と言及していますね。 さやわか:アイドルについてなにかネガティヴな事件が起こると、一部では「アイドルという文化そのものがよくないのだ」というところへ急に直結されてしまいます。女の子を無理やり働かせている、という風に捉えられがちだから、叩きやすいものなんですよね。特に2014年の襲撃事件の場合は、握手会という、いまもっともAKB48がうまく使っているシステムを突いたものだったからこそ、余計に反対派が盛り上がったとは思う。ただ、インターネットではやはり倫理的な批判が主であって、特に検証主義的ではなかったんですよ。つまり襲撃したのが誰で、その時の状況がどうだったかが注目されたわけではなくて、まず最初に言われたのは、「熱狂的なファンがやったんだろう」とか「あれだけ金を使わせているんだからそういう奴も現れるだろう」みたいな意見だった。要するに恋愛ストーカーまがいの事件だと思われたんですけど、事実は全くそうでなかった。でも、こういう見方をされるのは、AKBなど今のアイドルがまだまだ誤解されているせいですよね。そうすると、あの事件の本質がどこにあるのかも見過ごされてしまうでしょう。ただ、そこで僕が難しいと思ったのは、「事実はそうじゃないんだ、AKB48は潔白なんだ」と主張すると、自分まで価値観の対立に絡めとられてしまう。だからあの事件について、僕はそういう発言はできなかった。でも僕の本に答えは書いてあるので、読んでくれたらいいのになー、とはずっと思っていました(笑)。ああいう事件を期に、握手会を支える歴史やシステムについてちゃんと考えたほうが有意義だと思うんです。 ——なにか問題が起こったときに建設的な議論ではなく、倫理的な闘争に発展してしまう。これを乗り越える手立てはあるのでしょうか。 さやわか:カール・シュミットっていうドイツの政治学者が、友敵理論——つまり政治というものが「あいつは敵か味方か」ということだけに収斂されていく——という考え方を示しましたが、僕はカルチャーについて書きながら、ずっとそれについて考えています。アレについて褒めているからこいつは味方、けなしているから敵、というのが際限なく進んでいくと、最終的には「敵だからけなさなければいけない」「味方だから褒めねばならない」という論理にまでなって、自分と価値観の合わない人と批判をぶつけ合うだけになっていくんですよね。それは本当に不毛。アイドルについても、「アイドルだからダメだ」というレッテル貼りをする人もいれば、「アイドルだから褒める」という人も出てくるわけじゃないですか。それは本当に文化について語っていることになるんでしょうか? 僕はそうは思いません。 ——まさに剥き出しの政治があると。 さやわか:本書の中でトマス・ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という言葉にインスパイアされて、「アイドルのアイドルに対する闘争」という言葉を使っているんですけど、それも同じ含意なんです。“アイドル戦国時代”といわれる状況は、私たちの社会の写し鏡のようなもので、それは闘争状態であってすごく危険なものだ、ということを指摘したかったんです。そして、それをうまく軟着陸させるようなやり方を、当のアイドルの中から探すことができるんだよ、ということが書きたかった。 ——チャートというのは、観念同士がぶつかり合う状況に対する唯物論的な介入ではありますよね。 さやわか:そうそう。結局、価値観をどれだけ対立させたとしても、そこには抗い難く自分たち全体を規定している力が働いている、という話に持っていったわけです。そして、それを参照先とすることで闘争をするんじゃなくて、むしろ互いをつなぐハブとして有益に使うようなことができたらいいなと思っています。もちろんAKB商法的なものを使っているアーティストばかりが上位にいる今のチャートに、批判されるポイントはあると思うんですよね。「唯物論的介入をうまく利用しているんだよ」って言っても、それをしていない人にとっては「何言ってんだコイツ」ってなると思う。ただひとつ思うのは、僕が前書を書いた頃にはまだ「AKB48だけがそういう商法を使っている、だから許せない」という言い方が多かった。だけど実はジャニーズもやっていたし、EXILEも、ビジュアル系の人もかなりやっていたわけじゃないですか。AKB商法への批判が始まって、そうした売り方が可視化されたからこそ、そういうものを嫌いな人が「アイドルは許せない」じゃなくて、「そういう商法を使う人たち全般が許せない」という言い方になってきた。それはいまだに残念なことですけど、状況としては進んだのかなと思います。 ——昨年11月、Mr.ChildrenがSexyZoneにシングル売上げランキングで負けるという象徴的な出来事がありました。本書では、SexyZoneの商法に対して批判が集まったけれど、とはいえミスチルもまた別の商法を使って売上げを伸ばしてきたバンドだということを指摘しています。(参考:SexyZoneがミスチルを抜いたCDシングルランキングをどう考える? さやわかが歴史的視点から提言) さやわか:僕は1995年に『ROCKIN'ON JAPAN』が行った、ミスチルの桜井さんに対するインタビューをたまたま当時読んでいたんですが、それを読むとわかるのは、ミスチルこそ、一貫してどうやって売っていくかを考えてきたバンドで、とりわけタイアップを頑張って売れてきた人たちなんです。桜井さんの言葉には、「自分は大衆音楽に打って出るんだ」という強い決意があって、それ自体はすごく健全な考え方で、何も間違っていない。しかし、いろんな経緯があって、音楽シーン全体にアーティスト信仰みたいなものが根付いてしまった。これはミスチルが悪いわけではなくて、音楽が売れるということとアーティスト性みたいなものが乖離していった結果、逆に「売れない音楽を作っている人はアーティスティックに作品性を追求しているんだ」という奇妙な見方が出てきた結果だと思います。つまり、たとえば日本のヒップホップなんかでもまれに見られたような、ある種の清貧志向が台頭してしまった。するとミスチルなんかは「売れる音楽を作っているんだけど、決して売れるために作っているわけではない」という、すごく奇妙なロジックでほめられたりする。しかしポップミュージックであるというならば、それは本来ショービジネスの一環なわけで、やっぱりそういうほめ方はおかしいと僕は思っていました。ミスチルはタイアップで成功したからこそ、タイアップの手法を繰り返しているんですよね。「自分たちはタイアップでやってきたんだ」というのは彼らの旗印であって、それを伝家の宝刀としながらゼロ年代以降のAKB商法、特典商法とも戦おうとしてきたわけです。それは素晴らしいことだと思う。しかしそれがSexyZoneに敗れたというのは、タイアップ商法よりも複数枚+特典商法という商法のほうが現代にマッチしていたという意味だと思います。そうしたトレンドを知るためのものとして、チャートはちゃんと機能したと僕は捉えています。 ——そうしたチャートの機能を捉えた上で、SexyZoneやAKB48を写し鏡として、ミスチルが純粋に音楽性を追求している、とする見方は訂正したい、と? さやわか:それはどうしても言っておきたかったことです。一部のひとは、「いや、ミスチルのほうが音楽として良いんだ」とか「SexyZoneのほうが売れたのだから音楽的にも良いんだ」という形で友敵理論を押し広げていこうとするんですけど、どっちだって良いし、どっちが上という話でもないんです。単に今の時代がどうなっているかを計るものとして、チャートが機能すれば良い。それともうひとつ、この本でも指摘したことで重要なのは、本当に人が音楽性の高さを重視しているのであれば、じゃあ別に売れなくても良いじゃん、ということになっちゃうんですよね。たとえばオリコンチャートは、これまで一回も音楽性の高さについて計ったことはないんです。常に売れているかどうかを計っている。なのに、そのチャートのなかでミスチルが1位にならなかったといって怒るのはおかしいと思う。もし本当に音楽だけが大事なのであれば、自分の耳に心地よく響くとか、あるいは桜井さんが好き、ということだけで満足できるはずなのに、結局はポピュラリティを求めているわけですよね。 ——良い音楽はチャート上でも高い位置にいるべきである、という考え方は昔から根強くあるように思います。 さやわか:これはすごく難しい問題ではありますよね。90年代の半ばですかね、ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんが、「フリッパーズギターが『恋とマシンガン』でオリコンチャートに入ったときに、やっと自分たちの好きな音楽がチャートに入ったと思った」という話をされていたんです。僕はそれってすごく象徴的な言葉だと思う。自分たちの信じた「良い音楽」があって、それでオーバーグラウンドに打って出ようってことをハッキリ志向したのが、90年代のあの辺の人たちだと思うんです。つまり従来の音楽家は「大衆音楽は大衆音楽としてあるが、そうではないハードコアな音楽はこちら側にある」という形で自分たちの価値を主張していたと思うんですけど、90年代に「これで世の中変えてやろう」といって出た結果、今のアーティスト信仰みたいなものと結びつく結果になった。 ——たしかに1995年に小沢健二が紅白出場を果たした時、それを一つの達成とみなす意見はよく聞いたし、私も納得していたように思います。一方でさやわかさんの本では、2000年代以降は紅白に出ることのカウンター性が、あやふやなものになっていったと指摘しています。 さやわか:そうしたカウンター性は、小沢健二さんみたいな人が紅白に出たり、『Hey! Hey! Hey!』に出たりした頃には、まだ成立していたと思うんです。しかし亀田誠治さんがプロデューサーとして出てくる辺りから何かが変わっていったように思います。亀田さんは対立軸などはあまり重視していなくて、オーバーグラウンドの領域で単純に良い音楽を作れば良いじゃん、ということを信じているように思うんですよ。別にそこに政治性みたいなものはなくていい。もしくは、シーンの内部から変えていければそれでいい。彼の仕事は椎名林檎さんのものなんかが有名ですけど、彼女の音楽もそうだと思うんです。彼女はカウンター性みたいなものを、キャラクターとしてまとってはいるんだけど、それはみんなに望まれる価値としてのカウンター性ですよね。結果として、そのカウンター性というのは言ってみれば「カウンターキャラ」として、キャラクター化したものでもある。それは時代の産物なんだと思います。そうした変遷を踏まえた上で、アイドルがなぜ面白いかというと、かつてのカウンターカルチャー的な物語をやり直そうとしたからなんですよ。つまり、ライブハウスから出てきて、インディのレーベルと契約し、その後はメジャーのレコード会社からCDを出して、それがオリコンチャートの上位に駆け上り、最後は紅白に出るんだ、みたいな。これは矢沢永吉の「成り上がり」みたいなモデルであって、そんなフィクション性の高い、泥臭いものはダメだ、という考え方が90年代後半からゼロ年代頭くらいまでは支配的だった。ところが、いまのアイドルなんかは、紅白に出たいとか、オリコンの上位に入ったらすごいとか、普通に言っちゃう。音楽性を追究しようという流れが退潮した後に、みんなが感動する音楽の物語、成り上がりの物語を再生産するアイドルというジャンルが盛り上がったのは、すごく面白いことだと思います。

「音楽は一番先に危機的な状況を迎えたが、一番先に独自の方法で回復していった」

——最終章では、そうしてシーンが盛り上がってくると、楽曲自体「も」良くなってくる、と指摘してますね。 さやわか:そのことは『AKB商法とは何だったのか』を書いた時には、まだ十分に可視化されていなかったから書くことはできなかったのですが、かなり重要なポイントなので慌てて書き足しました。つまり「アイドルは作品重視ではない」というのが前の本の結論だったけれど、「作品がなんでもいいのなら、逆に良質な音楽を作ったって構わない」という風潮が強くなってきた。「何でもいい」ところに「一番良い」ものを置くことができるようになったんですね。結局、それは音楽チャートみたいなインフラをうまく使えば、多くの人にきちんと作品を届けられるって言ったことと同時並行の動きとしてある。つまり、それを利用してお金を稼いでいれば、それだけ予算が使えるようになるし、そのおかげで良い作品を作ることもできる。だから「アイドルソングだからダメ」だみたいな言い方が通用しなくなった。むしろアイドル自身も楽曲のクオリティが高いくらいでは差別化できなくなってきたほどなんです。もうひとつ言えるのは、そういう風にアイドル界隈が良い曲を望んだことによって、楽曲提供側も「じゃあアイドルのための曲を作ろうか」と積極的になったんです。アイドルカルチャーに対する理解が深まって、それに当て込んだ曲を作るようにもなってきました。その結果、音楽を好きであることと、アイドルを好きだということが、矛盾しなくなってきている。そういう音楽ファンが増えている。僕はもともと音楽が好きなので(笑)、これは喜ばしいことだと思います。 ——最後に今後の予測として、日本の音楽文化はどのように推移していくと考えていますか。 さやわか:この本の最初の方でも触れていますが、商品としての音楽の動向を追っていくと、00年代の中頃は音楽産業が単純に停滞していくのではないかと思われていたんですね。つまりゼロ年代を通して、CDがどんどん売れなくなっていった。それはインターネットのせいだ、違法コピーが蔓延しているせいだとか言われていたんだけど、同時並行した流れとして、フェスやライブが伸びてもいた。それはやがて注目されるようになって、今はライブ指向なんだと言われたりもしてますけど、じゃあその本質は何なんだと考えるべきですよね。たとえばフェスがどう流行っているかというと、やっぱり音楽を通じて人と楽しく過ごすということが大事にされているんです。前に朝の情報番組『ZIP!』でフジロックに行ってフェス飯を女の子3人で食べるという企画をやっていて、すごく驚いたんですよ。それってもう、音楽とは関係ないじゃないですか。じゃあ、そういう現象は音楽の敗北を意味するのかというと、そうではない。なぜなら、そうした空間は音楽がないと成立しないからです。音楽っていうのはすごく面白いカルチャーで、空間に常に漂うことができて、その場所にいる全員を束ねることが可能です。視覚のメディアだと全員を同じ方向に向かせないといけないけれど、音楽というのは勝手に耳に入ってくるものなので、どういう状態にあっても、その場にいる全員に、それぞれの形で与えることができる。その良さが今、伸びてきていると思うんですよ。そう考えると、たしかに音楽が売れなくなったっていう言い方もできるんですが、それでも映画にもゲームにも音楽は使われているし、ゲームの中で使った音楽をCDにすると売れたりもする。そんな感じで他のジャンルに、音楽は常につきまとっていて、むしろいろんなジャンルやいろんな人を結びつけるものになっている。そういう形で、音楽というのはすごく価値を持っているということに、今みんながようやく気付いてきているところだと思うんです。今は東京オリンピックの話で、AKB48が出てくるんじゃないかとか、EXILEが出てくるんじゃないかという話があります。その是非について、楽しみだとか許せないだとかいろんなことが言われていますが、少なくともそういう時に、彼らの名前が出てくること自体が、音楽にとってはすごいことなんだと僕は思います。 ーー最初のお話に沿っていえば、ポップミュージックがある種の全体性を回復しつつあり、それゆえに社会的な文脈のなかで取り上げられている、との見方もできます。 さやわか:ポップミュージックは全体性をカバーできなかったはずなのに、いつの間にかカルチャーの中心にあって、東京オリンピックで何かをやるとなったらAKB48やEXILEのような名前を出さざるを得ない。ポピュラー音楽が自分たちのハブとして機能していることを認めざるを得なくなっている。そこがやっぱり音楽の良いところだと思う。AKB48やEXILEが何を成したかというと、CDをバンバン売ってあちこちで人の目に触れさせたこと。それをウンザリするような話だと感じる人もいると思うんですが、言い方を変えると、彼らはそうして音楽を人に届けていったんです。今の時代——映画も文学も漫画も、細分化していって人々を繋げられなくなってきた時代——にあって、文化としての強度を一番先に取り戻したのは、ほかでもなくポピュラー音楽だったと思います。音楽はインターネット以降、一番先に危機的な状況を迎えましたが、一番先に独自の方法で回復していった。そう考えると、AKB商法と揶揄されたアイドルたちの方法論には、ほかのカルチャーにとっても学ぶべきものがあるといえるし、このやり方は是非を問われつつ、他のジャンルにもさらに波及していくのではないでしょうか。 (取材=神谷弘一/構成=松田広宣) ■さやわか ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』『一〇年代文化論』『僕たちとアイドルの時代』がある。Twitter

舞祭組、初日1位発進も週間1位は絶望的!? ファンは「エイベが出荷制限してる」と憤怒

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曲名がもうなにしたって許されるっていうね!

 Kis-My-Ft2の派生ユニット・舞祭組のニューシングル「やっちゃった!!」が、3月8日に発売された。「1位を獲れなければ罰ゲーム」とプロデューサーのSMAP・中居正広に告げられているだけに売り上げに注目が集まる中、オリコンデイリーランキングで1位に初登場。しかし、4日にはAKB48の新曲「Green Flash」が発売されており、週間ランキングでの惨敗はほぼ確定。ジャニーズファンの間では「舞祭組が1位にならないよう、出荷制限をしているのでは」という疑惑も浮上するなど、物議を醸している。

 横尾渉、宮田俊哉、二階堂高嗣、千賀健永の4人で結成された舞祭組は、中居のプロデュースにより2013年12月に「棚からぼたもち」でCDデビュー。昨年7月に「てぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ~だれのケツ~」をリリースし、今回の「やっちゃった!!」はロック調のお祭りソングとなっている。

“御用マスコミ”以外の排除強化! 長渕剛が不倫疑惑追及逃れで10万人ライブがピンチ!?

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『長渕語・録』ディスカヴァー・トゥエンティワン
 「週刊文春」(文藝春秋/3月12日号)で、“師弟関係”を結ぶモデルの冨永愛との不倫疑惑を報じられた歌手の長渕剛が6日、千葉・市原で全国ホールツアーをスタートさせたことを各スポーツ紙が報じている。  長渕は今年8月22日に富士山麓で10万人を集めてのオールナイトライブを行うことが決定しており、今回のツアーは同ライブに向けたツアーだが、各紙によると、長渕は新曲「富士の国」を初披露。「俺たちのエネルギーを富士にぶつけるぞ!」とシャウトしたという。だが、世間の関心が高いであろう、冨永との不倫疑惑については一文字も触れられていなかった。 「それもそのはずで、ライブの模様を報じたのは、スポーツ紙6紙のうち、日刊、報知、東京中日のみ。この3紙には、いずれも長渕に食い込んでいる番記者がいて、長渕の記事を毎回デカデカと報じている。今回の記事では、各紙に新曲の歌詞の一部が掲載されていたが、これも長渕の要求。おまけに、記事の大きさまで長渕が指定している。本来であれば編集権の侵害だが、長渕の周囲のスタッフは、本人が言いだしたら何がなんでもその要求を通さないと強烈な“鉄拳制裁”が待っているので、必死で紙面に食い込ませようとしていた」(芸能デスク)  まるで不倫疑惑がなかったことのようになってしまったが、富士山ライブに向け、いわゆる“御用マスコミ”以外の排除をさらに強化するようだ。 「お気に入りの3紙以外のスポーツ紙や、ネット媒体だと、当たり前のように記事の中で不倫疑惑に触れる。もしそれが長渕の目に入ったら一大事。今後、イベントなどにも登場するはずだが、長渕サイドの要求を受け入れないメディアは、徹底的に排除されることになりそう。結果的に、富士山ライブのアピールの場も少なくなる」(レコード会社関係者)  昨年6月発売の新曲「走る」(ユニバーサルミュージック)はオリコン初登場5位で、売り上げは1万枚程度。同7月発売のベストアルバムは15万枚を売り上げたものの、「売り上げ目標に30万枚を掲げたが、返品が相次ぎまったく及ばなかった」(同)というだけに、10万人ライブの動員も苦戦しそうだ。

3度目のシャブ逮捕・小向美奈子が「二重あご」で保釈……激太り指摘も“AVファン歓喜”のワケ

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 東京・渋谷区の自宅で覚醒剤0.05グラムを所持したとして逮捕・起訴されたタレントの小向美奈子(29)が、9日午前に保釈金200万円を支払い保釈された。  東京湾岸署から出てきた小向は、メガネをかけ、黒のコートに、ミニスカート姿。集まったマスコミに「仕事の関係者、友人、支えてくれた人たちに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」「本当にお騒がせしてすみませんでした」と、胸元の谷間を露わにしながら、深々と頭を下げた。  小向にとって、同罪での逮捕は3度目。2009年の1度目は執行猶予付き、11年の2度目は処分保留で釈放された。 「最近の小向は、2~3カ月に1本のペースで単独作品をリリースしており、売れ行きも好調。さらに、今回の逮捕直後には、ネット上で『スライム乳も見納めか?』『発売中止になるかも』と不安の声が広まり、AmazonやDMM.comでは、小向の作品が続々とランキング上位に浮上する現象がみられました。中でも、昨年12月に発売された『理性の吹き飛んだ芸能人と中出し性交』(ムーディーズ)は、“小向史上最高傑作”との呼び声が高く、人気です」(AVライター)  10年のストリップデビュー以降、ファンを魅了し続けてきた小向だが、ネット上では、釈放時の小向の姿に対し、「太った」「顔が2倍になった」「この容姿で、AVに戻れるのか?」という指摘が相次いでいる。 「もともと体はふくよかな小向ですが、顔にはさほど肉が付かないことで知られていた。そんな小向が、今回の保釈時には二重あごに。昨年に比べ、かなり太ったとみてよさそうです。しかし、最近、“ぽちゃドル”の水樹たまが痩せてしまい、ファンから嘆きの声が殺到したのと同様に、小向の熱烈なファンは、彼女のどっしりとしたボディからほとばしるエロスを求めており、迫力が増すのはむしろ大歓迎。5月には30歳を迎える小向ですが、この先、“ド迫力熟女女優”として、ますます需要が高まる可能性も」(同)  「コメントは、裁判が終わってから」と、言葉少なに東京湾岸署を後にした小向。今後の動向に、関心が集まりそうだ。

平和を愛する“元アウトローのカリスマ”瓜田純士が川崎中1殺害事件に提言「チンコロする勇気持て」

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瓜田純士と麗子夫人。
「少年よ、チンコロする勇気を持て」  “元アウトローのカリスマ”こと瓜田純士(35)が、川崎中1殺害事件に憤怒。同じような悲劇を繰り返さないための対策として、「もし怖い先輩に脅されて困っている子がいたら、今すぐ周囲の大人を巻き込んで警察に通報しなさい」と呼びかけた。また、親の目が行き届かない環境を減らすため、そして暴力的な映像を子どもたちに見せないためにも、「親は子どもにスマホを買い与えるべきではない」と力説した。  川崎中1殺害事件を聞き、居ても立ってもいられなくなった瓜田が、日刊サイゾーに思いの丈をぶちまけた。自身も不良時代に幾度となく大人数に囲まれ、リンチされた経験を持つ瓜田だが、「わずか13歳の子が、万引きを断っただけで4つも5つも年上の連中に深夜の河原へ連れて行かれ、冷たい川を泳がされ、シメられて……。彼がどれだけ怖い思いをしたのか、俺でさえ想像を絶するよ。二度とこんな事件が起きちゃいけない。そのためには世の中が変わらなくちゃいけない」として、各方面に怒りの緊急提言だ。 ――川崎中1殺害事件を知り、まず何を思ったでしょうか? 瓜田 アイツら(犯人グループ)がもし今、俺の目の前にいたら……。これ以上は言えないぐらい、絶対に許せない事件なんだけど、その許せない奴らを周りが放置していたから、犯人グループが調子に乗って今回の事件が起きた、というふうに僕は考えます。何かこういう事件が起きるたびに周囲の環境のせいにする傾向があり、その風潮には僕も抵抗を感じますけど、そうは言っても今回の被害者は年端もいかない13歳の少年です。周りの大人たちが先手を打つことはできなかったのか、という憤りを感じますね。 ――具体的に、周囲の誰が、どうするべきだったと思いますか? 瓜田 親でも先生でも近隣住人でも誰でもいいから、被害者の上村君が不良グループから万引きを強要されたり暴力を振るわれたりしている様子を察知した周囲の大人が、もっと早い段階で警察に通報して、大ごとにするべきだったと思います。 ――事件の約1カ月前、上村君がケガをしていることを知った、上村君と親しい先輩のグループが、加害者の18歳少年A宅に謝罪を求め押し掛け、警察も出動する騒ぎがあったようです。その一件で「チクられた」と根に持った少年Aが、上村君の殺害に及んだと見られています。
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新宿・靖国通りにて。
瓜田 少年A宅に乗り込んだ先輩グループの男気には感動しますけど、ここまで相手が悪質だと、子どもたちの間だけでトラブルを解決しようとしても、それは難しい。少年Aの親から通報を受けて警察も駆けつけたらしいですけど、現場での騒ぎが収まれば、警察の役目はそこで終わりです。だけど、被害者が親同伴で学校の先生も巻き込んで警察に駆け込んでりゃ、そうはならない。警察は細かい内容に耳を傾けざるを得ないからです。「警察はアテにならない」という声もよく聞くけど、そんなことはない。天下の警察を、もっと信じろと言いたい。もし今、怖い先輩に絡まれて困っている少年がいたら、親に相談して警察に駆け込めばいい。親がアテにならないなら先生、先生もアテにならないなら自分ひとりで警察に駆け込んでチンコロ(密告)しなさい。もし自分も悪いことをやっているなら、それを洗いざらい白状してから、周りのもっと悪い奴らの悪事をすべて告げ口してやればいいんです。 ――密告がバレた場合の報復が怖い気もするのですが。 瓜田 報復が怖かったら、家から一歩も出なけりゃいいんです。家にヤカラが来たら、その都度、110番通報すればいい。 ――元アウトローで元格闘家の瓜田さんですから、「腕力を鍛えて相手と戦え」とでも言うのかと思いきや、「警察に頼れ」とおっしゃるとは、意外です。 瓜田 これはすべての不良少年に言いたいんですけど、立ち向かう勇気は真の勇気じゃない。立ち向かうよりも、チンコロするほうが、よっぽど勇気があるんです。
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六本木の街角で知人と遭遇。
――不良少年たちの間では、「警察に泣きつくのはダサい」という考えがあるのでは? 瓜田 警察に言うのは恥ずかしい、地元の仲間や先輩にバカにされる、だから気乗りしないけど悪いことを続けよう……っていう考え方ですよね? 僕も昔はそうでした。でも、それこそが、超ダサいんですよ。本当に根性があって本当に筋が通った奴は、「邪魔しないでくれ」と言えるんです。メンチを切り合うよりも、「今忙しいんで」「部活があるんで」と言って目をそらせる奴のほうが、勇気がある。僕は目を閉じる勇気がなくて見ちゃっていたから、トラブルだらけの人生になって、何度も命を落としかけた。目を見る勇気は誰にでもある。でもそれは、怖いからこそ相手を見てしまい、相手の土俵に乗ってしまっているだけ。例えば駅で変な奴に絡まれたときに、「上等だ!」ってやり合うのは一見勇気があるけども、それによって、自分や、自分の愛する人や、周囲の人がケガをしてしまったら意味がない。駅員さんに「変な人に絡まれているので、警察を呼んでください!」と言える奴のほうが勇気がある。一緒にいる友人や知人に「ダサい」「弱虫」と思われようが、それは氷山の一角の評価であって、駅にいるその他大勢から見て勇気があるのは、真っ先に「誰か助けて!」という声を上げられる人なんですよ。 ――しかし、今回の事件の被害者の上村君は、「不良グループから抜けたい」「万引きはやりたくない」という意思表示をした結果、殺されてしまいました。 瓜田 彼はイヤなことをイヤと言える、勇気のある子だった。ただ、いかんせん、年齢差や体格差があり過ぎたため、卑怯極まりない連中にねじ伏せられてしまいました。だからこそ、周囲の大人の存在が重要なんです。子どもの小さなヘルプサインを拾い上げて、的確な判断力で助けてあげられるのは、親、先生、警察などの大人しかいないんです。
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クラブのVIP席から睨みを利かせる。「街には“本物”がいないとダメ」。
――瓜田さんは元アウトローですが、今回の加害者グループについて思うことは? 瓜田 弱いものイジメをするような奴は、男として下の下ですよ。絶対にのさばらしちゃいけない連中です。もし中学時代の僕と出会っていたら、僕はコイツらに、二度と立ち上がれなくなるぐらいのヤキを入れていたと思います。僕もこれまで数多くのトラブルを起こしてきましたが、どれも基本的には、あり得ない大人数や、強い者に立ち向かって行くというスタンスでした。幼稚園時代には、病弱な兄がイジメられていたから、加害者の名前と顔を調べて、積み木でそいつの頭をカチ割ったこともある。それも決して褒められた行為ではありませんが、僕は昔から弱いものイジメだけは大嫌いで、強い者に立ち向かって行くという哲学で、アウトローをやってきたわけです。でも、前の話に戻りますけど、そういう僕も、所詮はただの弱虫なんですよ。格闘王の前田日明さんに、さんざん噛み付いたこともあり、周りは「あんな強い男に噛み付くなんて勇気がある」と思ったかもしれませんけど、僕はただ怖いから噛み付いていただけの弱虫野郎なんです。前田さんから見たら、「邪魔すんなよ」っていう話であって、自分の大切な興行や選手を守るために、徹底して僕を無視し続けた前田さんこそが、真に勇気ある男なんですよ。 ――そういう考えに至ったのは、いつですか? 瓜田 去年ですね。本を出して、結婚して、僕にも守るべきものができた。今の安全な生活を失いたくない、今ある安定や温かい人間関係を失いたくない。そういう怖さがあれば、余計なものを欲しようとしないじゃないですか。侍が刀を50本持ち歩きますか? 1本でいいんです。必要以上のものを持ち過ぎなんです、今の子は。子どもがスマホなんか持っちゃダメですよ。子どもがLINEだのなんだのを使って仲間とやり取りを始めたもんだから、親や先生が、子どもたちの交友関係や行動を把握できなくなってしまった。それも今回の事件の大きな一因だと思いますよ。 ――瓜田さんは去年から、スマホを持たなくなったんですよね? 瓜田 僕みたいな大人でさえ、ハッキリ言ってこんなもん、なくたって余裕で生きていけるどころか、むしろ持っていないほうがストレスなく快適に暮らせるんだから、子どもに必要ないのは言うまでもないことです。百年前に戻れとは言いませんが、20年前の、ヤクザでさえポケベルを使っていた時代、最先端を行くギャルでさえポケベルで「4949(至急至急)」とか打っていたようなノンキな時代に、また戻ればいいんですよ。
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コワモテだが平和主義な瓜田。行きずりの外国人と意気投合。
――とはいえ、今さらその時代に逆戻りするというのは、現実味に欠ける話です。 瓜田 だったらせめて、「おまえらは所詮、未成年なんだ」「秘密のやりとりをするなんて百万年早い」ってことをわからせるため、親は子どもにスマホなんか買い与えちゃダメですよ。同時に、子どものスマホやSNSの利用について、国がなんらかの規制を加えるべき。ISの残虐映像をスマホで気軽に見られる時代になったせいで、一部の子どもたちが「暴力的なことは格好いい」と感化されちゃう恐れもあるわけです。現に今回の川崎の事件も、その影響が見て取れるわけでしょう。そういや、このあいだテレビでヤンキー映画を見ていて呆れたんですが、角材で人を思い切り殴るシーンがあったんです。その映画には国民的アイドルもヤンキー役で出ていましたから、憧れて真似しちゃう子たちだって出てきますよ。角材の痛さだとか、バットの痛さだとか、袋にされる怖さだとかを誰よりもよく知っている僕だからこそ、「この映画に感化された子どもが、手加減を知らずに角材で人を殴ったら、どうなるんだ?」って心配になりました。「暴力的なことは格好いい」という世の中だけにはなってほしくない。表面化していないだけで、似たような事件はきっと今も日本のあちこちで起きているはずなので、今回の事件だけをことさらピックアップするのも不公平かもしれませんが、それでも今回の上村君の死はこれだけ大きく取り上げられたんだから、せめて世の中が良くなる方向で生かさないと。 ――子どものスマホの使用を制限する以外に、われわれ大人がやるべきことは何でしょうか? 瓜田 見て見ぬ振りをせず、思ったことは堂々と口に出せる大人になるべきです。さっきの「目をそらす勇気」と矛盾するようですが、それは自分が悪事に関わらないための術であって、他人の悪事を目撃した場合は、見て見ぬ振りをしたらダメ。怖くて自分で注意することはできなくても、しかるべきところに報告や相談をすることはできるはず。僕らがガキのころは、悪さをすると、近所のおっちゃんからよく怒られました。そのときは「このクソジジイ。親でもねえのに説教しやがって」と思いましたが、今にして思えば、ありがたいことですよ。小さなころから周りの大人にガミガミ言われることで、僕みたいな聞かん坊ですら、徐々に社会性が身に付いて、いいことと悪いことの区別がつくようになった。口うるさい大人が周囲にたくさんいれば、今回の川崎の事件も、きっと起こらなかったはずなんです。 ――犯人グループの処遇について思うことは? 瓜田 センズリして射精できるんだったら、もう大人。全員晒しものにしてやりゃいいんですよ。警察にはホント、懲戒免職覚悟で、警棒が折れるまでブン殴って、グチャグチャにシメて、拳銃こめかみに当ててロシアンルーレットでもやってほしい。それぐらいのことをして、シャバに出ても殺されるかもしれないという恐怖心を与えて、精神的に殺してから表に出さないと、奴らは自分らのやったことを「格好いい」って勘違いしたまま大人になっちゃいますよ。 ――今の発言は書いても大丈夫ですか? 瓜田 書けよ! 俺の言っていることに文句がある奴がいたら、俺んとこ来い。なんだったら加害者の親、全員まとめて相手にしてやるよ。「息子の不始末は、てめえら親の不始末だろ! この野郎!」って説教してやりますよ。ついでに言うと、今回の件について、まるで腫れ物に触るかのように何も言及しない大人にも腹が立つ。もっと、もっと、言えや! 発言すりゃ伝わるんだよ! ハラワタ煮えくり返っているなら、もっと顔を出して発言しろよ! 特にアウトサイダーや地下格闘技に出ているような、不良にも影響力がある有名人は、黙ってねえでガンガン発言しろよ! そうしたら政府にも声が届いて、少年法が改正されるかもしれねえんだよ! ――今回の事件を受け、与党幹部からも「少年法の見直しが必要」との声が上がっています。 瓜田 ひとつの死をきっかけに、法律が変わって、世の中がちょっとでも良い方向に向かえば、「それだけウチの子は愛されていたんだ」と親御さんの心も救われるだろうし、亡くなった上村君も少しは浮かばれるかもしれない。僕らは決して、彼の死を無駄にしちゃいけません。四十九日までに、法改正に向けた大きな進展があることを願います。 (取材・文=岡林敬太) ひとりで悩まず、相談を・・・ 【各都道府県警察の被害相談窓口案内】 https://www.npa.go.jp/higaisya/shien/prf/index.htm