昨秋に脳梗塞で倒れたタレント、磯野が1月27日、フジテレビ系『ノンストップ!』の生放送に出演した。 「貴理子さんは『「ノンストップ!」に呼んでいただけるまでになりました』と笑顔で挨拶。かつての早口トークで、倒れた時の状況などを説明していましたが、まだ少し話しづらい時があるようで、自宅では発声練習をしているそうです」(フジテレビ関係者) 10月23日に脳梗塞で入院し、わずか1カ月半足らずで退院したのだが、その陰には24歳年下夫の献身的なサポートがあったという。 「『発見がもう少し遅れていたら、死んでいた』と医者に言われたそうで、『本当に旦那に感謝しないと』と、収録後に漏らしていました。ただ、心なしか病気をする前よりも、うるさくなった気がします(苦笑)。もう完全復活といってもいいんじゃないですかね」(同) 現在は屋外のロケは控え、基本的にはスタジオ収録中心のスケジュールだという。 「家事は、すべて旦那さんがやってくれているそうです。貴理子さんは『これで仕事の幅が広がるわよ!』と鼻息荒く語っていましたが、病気もポジティブにとらえるのは彼女らしいですよね。今回倒れたことで、夫婦仲も以前よりよくなったそうですよ」(芸能事務所関係者) また、あのマシンガントークが聞けそうだ。磯野貴理子 - 石井光三オフィス
日別アーカイブ: 2015年2月8日
一番の勝ち組は藤本・北斗、美奈子は終了! ママタレのギャラ格付けにみる栄枯盛衰
女性向けWebサイト【messy】とって出し!
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女優やミュージシャンのように何か「芸」を磨いて芸能界に身を置いているわけでない女性タレントが、結婚して子供を持ち、ブログや雑誌やバラエティで活躍するママタレへと変貌を遂げるのは既定路線だ。彼女たちはブログで料理や子供の写真をたびたびアップし、名前を有する一人の女性というよりも「ママ」であるというアイデンティティを強く押し出すことで、いつのまにかママタレとしての地位を確立する。一方、特に発信せずとも、母親であれば誰でも持ち得るコンテンツを周りが放っておかずに、ママとしての側面が強調される女性芸能人のパターンもある。 前者は辻希美(27)、熊田曜子(32)や小倉優子(31)などが代表的で、後者は最近では山田優(30)がまさにそのタイプに当てはまる。望むと望まざるにかかわらず、芸能界にいながら出産した女性は周囲からママタレとしても見られるようになる。そしてその枠の中で勝手に格付けされたりもしてしまう。messyでもかつてそんな特集をしたことがあった。 2月3日発売の「女性自身」(光文社)に、『ギャラに異変! 最高額はあの'80年代アイドル ママタレ「格付け」リスト』という特集が掲載された。離婚や出産などで日々更新されるママタレ勢力図の“今”を、仕事のオファー金額=ギャラという側面から分析した記事となっている。芸能界で活躍できるママタレのパイは限られているが、昨今のブログカルチャー繁栄によるママタレ大増殖で、その勢力図に異変が生じているようだ。 つづきを読む(左:『Como 2015年 2月号』主婦の友社/右:『健介ファミリーの元気のもと。』ベースボールマガジン社)
「仮面ライダースーパー1」高杉俊介5000万円借金騒動!悪質な裏側を特撮ファンも暴露!
【不思議サイト「トカナ」より】
『週刊ポスト』(小学館)2月13日号がスクープした、超有名変身ヒーローの借金スキャンダルが、特撮マニアのみならず、幼少期に番組を見ていたリアルタイム世代にも衝撃を与えている。 『仮面ライダースーパー1』は、1971年にスタートし現在も放送が続いている「仮面ライダー・シリーズ」の第7作目(9人目の仮面ライダー)で、’80年から’81年にかけて約1年間放送された。画像は、「仮面ライダースーパー 1 高杉俊介 公式ウェブサイト」より
suzumoku×平野愛智が語る、震災4年目の表現「自分の曲が、聴いた人の変化のきっかけになれば」

平野愛智 (左)とsuzumoku(右)。
Tomorrow Comes(明日[あす]が来るぜ)/ Song by suzumoku
「アルバムを作るにあたっては、やはり東日本大震災の経験は大きかった」(suzumoku)
――まずは平野さんが撮影したMV曲「明日が来るぜ」について話をうかがいます。二人で宮城県に赴き、さまざまな場所をめぐった内容ですね。 suzumoku:今回のアルバムを作るにあたっては、やはり東日本大震災の経験は大きかったんです。震災が起こったその時、僕はちょうど初めて仙台にライブをしに行っていたので、楽器もフル装備してるのに、何もできない、そんな自分にもどかしさを感じていました。ただ、そういう状況で、みんなが炊き出しをしたり、自衛隊の人が来たり、何の見返りもなく助け合う人たちの姿を生まれて初めて見て、そこから自分の発する音楽の方向性が変わりました。その時の経験から想いを込めて作った曲の一つが「明日が来るぜ」で、この曲からアルバムのコンセプトが生まれました。とにかく大勢の人に届けたかった、音楽にあまり興味ない方も含めて、そんな気持ちは今までで初めてです。 ――この曲では、「くよくよしていても明日はやってきてしまう」というメッセージが出てきますね。 suzumoku:ぱっと聴いて、ポジティブな言葉に捉える方が多いと思いますが、決してそれだけではないメッセージです。僕は震災が起こってから、南三陸の景色を直に見てはいなかった、ちょっと怖かったのかもしれませんが、この曲を表に出すんだったらちゃんと責任持ちたいと思い、きちんと現場に行ったわけです。始めは、ギターとカメラだけを持って一人で行こうと考えていたんですが、どうも心細くて(笑)、もう一方誘ってしまいました。その方が「蛹」のMVを通して知り合った平野さんです。平野さんも震災直後にいろいろと活動されていたのを伺っていましたので。そして、2014年の12月21日に二人で宮城に行ったんです。 平野愛智(以下、平野):suzumokuさんは、「蛹」でお仕事をご一緒する前から興味があって、ストレートに物事を言うアーティストだなって思っていました。今回の話をもらったときも「じつはまだ津波の現場に行ってない」ということだったので、僕が知っている範囲で、可能な限りいろんな体験をしてもらいたいなと思って撮影に臨みました。 ――平野さんは、震災地の日常を現地の方のカメラを通して伝えた「ROLLS TOHOKU」の活動で注目を集めました。あれから4年近く経ち、改めて震災をモチーフとして撮影したことについてどう思われましたか。 平野:「ROLLS TOHOKU」は、震災直後にしか成立しなかった作業なので、僕が撮るというより、みなさんに撮ってもらうという意味合いが強い活動でした。今回も“僕がやった作品”というふうにはあまり考えていません。みんなが色々なことを忘れてゆくなかで今回の撮影があって、自分を見直すきっかけにもなりました。 suzumoku:初日は石巻の日和山に行って「ここからよくニュースで流れている動画が撮影されたのか」と考えたりしました。一応、撮影という名目だったんですが、実際は震災後から続く自分の中のモヤモヤをひとつひとつ解くための旅だったのかもしれませんね。 ――モヤモヤが解消してゆくなかで、特に印象に残ったのはどういう出来事でしたか。 suzumoku:震災から約4年という月日が流れていることもあって、瓦礫がほとんどなくて、一面ススキだらけになっていました。わずかに道も残っていて、ススキの生え方で「ここに街があったんだな」と。震災前を振り返るというよりは、被災地の現状を見ることができたのが大きかったですね。いままで受けとる一方だった情報を自分の目で見る事ができたので、ひとつずつ確かめられました。 ――最初はどういう風に身構えていたのでしょうか。 suzumoku:最初は、そこにがれきが無くても「津波が確かに来たんだ」と頭で考えていて、地元の人に会っても、どういう表情をしていいか分かりませんでした。でも、「雄勝石(おかついし)」という硯を作っている職人さんが、震災のことについてすごく熱く語ってくれたりして、そこで初めて、良い意味で震災の被害があったのを忘れさせてもらったんです。 ――平野さんは今回の旅に際して、現場のどういう空気を閉じ込めたいと思って撮影しましたか。 平野:初めに決めていたのは、イントロの絵面だけです。あとは何も考えていなくて、ただひたすら現場を体験して回ったり、地元の人に会って話を聞いたりという旅にしようと思っていました。仕事として行っているので、本当はPVを撮らなきゃいけないんですけど、わりとそっちのけでしたね(笑)。suzumokuさんに地元のことを説明したり、彼にいろんな人を引き合わせたりという作業に熱心でした。 ――平野さんはどのくらいぶりに被災地を訪れたんですか? 平野:半年くらいぶりですね。当時に比べると、かなり片付いたな、というのが率直な感想です。ただ、震災2年目くらいで、今回くらいの状況に持ってこれたんじゃないかなと。正直、もう少し早い段階でこうなっても良かったなとは思います。原因はいろいろあると思うのですが、これから若い人が街を作っていかなきゃいけないのに、若者の意見があまり反映されないこともあると思います。計画も二転三転して、せっかく震災後に街に来た人が出て行ったり、調査に来る人も、会うたびに違う人になっていたりで、復興がなかなか進まないんです。 suzumoku:土地をかさ上げするとか、高台を支えるとか、街を再生するために物理的にやるべきことはたくさんあるのに、人の心のソフトな面のぶつかり合いがあって、復興が遅れてるんです。「ああじゃない、こうじゃない」って。 ――そうした現実に対して、クリエイターとしてどう向き合うかということですよね。 平野:僕にはジャーナリズムはどう頑張ってもできないので、だからこそ「ROLLS TOHOKU」のようなリアリズム的な視点での試みをしました。これに関しては、人々に寄り添うというより、情報共有を早くするという意味合いが強かったかもしれません。ただ、表現の受け取り方は本当に人それぞれですよね。サイトの写真を見て、「なんで笑っている人がいるの?」という意見もあったし。大事なのは、僕のサイトでみんなに撮ってもらった写真を見た人が、それぞれに感じるものがあって、実際に何か行動を起こすことなのかなと思います。 suzumoku:「ROLLS TOHOKU」もそうなんですけど、作品自体に力はないんですよ。誰かが表現をして、それを見た人が行動に移すことで世の中が変わっていくのかなと。たとえば、何かのフェスで、「このフェスが日本を変える!」みたいな謳い文句をよく見かけるけど、フェスをやること自体では何も変わらないのかもしれない。来てくれた人が感動して、「こうしたらいいんだ」と思って、持ち帰ることで初めて何かが変わるような気がします。僕自身の創作スタンスも、今までは自分の身に起こったセンセーショナルなことを発信していましたが、「自分の作った曲が、聴いた人の変化のきっかけになればいい」という姿勢になりました。 平野:僕は、あのプロジェクトに対して「情報共有」という感覚が強かったので、こういうふうに受け取ってくれた人がいるのは嬉しいです。歌を歌ってメッセージを伝えられる人が、こうやって受け取って、それをまた別の誰かがキャッチして、実際の行動に繋がっていったら良いですね。 suzumoku:たとえば、僕の1曲がどれだけ日本中を駆けずり回っても、それを聞いた人が動かないと何も変わらないんです。だから、こっちもそういう姿勢で作って届けないといけない。 平野:今回の震災で、自分一人で動いても、やれることは限られると痛感しましたね。よそ者が1人で被災地にのこのこ出向いて、写真を撮ってもいいとは思えなかったし、同じ民族が苦しんでいるのにレンズを向けることにも抵抗があった。なので、よりメッセージ性が高いという意味では、あの方法で良かったのかなと思います。 suzumoku:今回の旅は、何か物事が起こって、それがきっかけになっていろんなことが繋がっていくということを噛み締めることが多かったんですが、それ以上に良い出会いがあって、影響もたくさん受けました。地元の人と会っていろんな話をするうちに、「作って届ける」という意味では、名産品も音楽も写真も全部一緒だなと。南三陸町の阿部民子さんという方(東日本大震災の被災支援基金で立ち上げられた海産物通販サイト『たみこの海パック』の代表)にいろいろとお話を伺う事が出来たんですが、当時の様子を写真も交えて詳しく教えて頂きました。どのニュースにも動画にもなかったリアルな話をご本人に目の前で語って頂いたのは、貴重でした。 平野:民子さんは、当時の写真のファイルを作って、何百人という人達に震災の話をしています。きっと、自分の口で当時の話を伝えることの大切さを実感されているんでしょうね。
「4日目に同じ場所で撮影したときには、初日と全然違うものが出てきた」(平野)
――今回、撮影を進めていくなかで、平野さんから見たsuzumokuさんの変化というのはありましたか? 平野:歌のシーンは南浜町のススキの生えているところで初日から撮っていたのですが、実際にMVに使われているのは4日目の素材です。初日は何も注文をしないで一発撮りしましたが、suzumokuさんのカメラとの距離感や、メッセージを伝えるうえでの力が少し弱いなという印象を受けたんです。ただ、2日目、3日目とやっていくなかで、緊張がとけ、自分が抱えていた気持ちと現場での体験がちゃんと消化できてきたのか、曲のエネルギーが歌に乗ってきた。4日目に同じ場所で撮影したときには、初日と全然違うものが出てきたんです。メッセージを伝えるには、このくらいの表情の強さや目力がないとやっぱりダメだなと思いましたね。 suzumoku:最初は、全然レンズを見てなかったと思う。どこを見たらいいか分からなかったんです。カメラのレンズを見ればいいのに、なんだかしっくりこなくて。でも、いろんな人と会って経験を重ねていくうちに分かってきた。たとえば、ここでちょっとだけ撮ろうかというときに、いま寄ってきた場所に、視線をがっと向けてみたり。どこ見たらいいのか、視線がだんだん定まっていったというのはありますね。 平野:これは聞けてよかったですね(笑) suzumoku:民子さんのところに行った後に、近くの堤防に寄ったんですけど、そこで民子さんの作業場が見えたから、オレの声が聞こえるんじゃないかなと思って、ずっと作業場に向かって歌ってたんです。「明日が来るぜ」という曲を、その時々でどこに向けて飛ばすべきなのかというのがようやく分かってきたのかなと。 平野:その日の午前中も撮りながら「もう少し表情に出ればいいな」とは思っていました。suzumokuさんは、地元の人達の手伝いも恐縮してやっているように見えたんですよ。向こうの人たちって話してみればすごく良い人たちなんですけど、無口でぐいぐいやる人が多くて(笑)。でも、午後に民子さんのところに行った後、堤防の辺りからsuzumokuさんが良い顔になってきた。変化したポイントはそこらへんかもしれないですね。民子さんに震災の話を直接聞いてから、いろいろ消化できたのかなと思います。 suzumoku:震災の具体的な被害を語ってもらったのは、民子さんのところが最初だった気がします。それまでも色々な人と出会って話を聞いていたけど、あの日に民子さんの話を聞いて、「みんな大変だったんだ」とこれまでの話がつながった。 ――撮影を通して、改めてこの曲に対して生まれた思いはありますか? suzumoku:みんな、なるべく他人に迷惑を掛けずに生きたいけど、それは不可能だと思うんです。明日はどうなるかはわからない、また自然災害が突然来るかもしれない。それは誰にも恨めない。だったら、やるべきことをやる。どうなるかわからない明日のために、なるべく今日という日をベターに進めていく。そういう意味で、ちゃんと明日になる、明るい日になるという思いを込めました。どれだけ数字的には景気がよくなっても、人の心がバラバラだったら、景気が良いとかハッピーとは思えない。いま、世の中がそういうことを考える時期に来てるんじゃないかなと思います。
「身を持って知ったからこそ、言えることもある」(平野)
――そういった思いを表現するためにも、バンドサウンドや強いギターの音が必要だったと? suzumoku:そうですね。じつは、バンド編成の時に、エレキギターを持つようになって、自分の出せる声の限界値が高くなったんです。今まで、自分の鳴らすギターの音にすごく感化されてきたんだなと思って。アコースティックギターって、どうしても思いっきり鳴らすのがマックスですよね。でも、エレキギターはそこから音をひずませたり、音量をがっと上げたりできる。こっちのほうが、純粋に自分の声を伝ようという意志が強くなる気がしたんです。そういうことも含めて、今回の「明日が来るぜ」にはバンドサウンドが必要でした。 ――PVを撮るにあたって、音楽の在り方や音の持っている力、リズム感といったものはすごく大事だったと思うんです。 suzumoku:うーん…。作り手としては、ここのフレーズはこういうコードで、イントロはこういうかんじで、といろいろ意図してやっているので、じつは自分では、だんだんとよくわからなくなっていくんですよね(笑) 平野:今までは、震災を絡めることで、ストレートに強い言葉があって対象がしっかりしていたというか、むしろキツいくらいだった。そのうえで「明日が来るぜ」の歌詞を歌ったらすごく良くなるんだろうなと思っていました。もともと良い曲なんですけど、本人が体験していないから、すごくもったいないと思ったんです。体験せずに歌うと「ろくに知らないのに」ってなってしまうので。今回の企画に対しても、身を持って知ったからこそ、言えることもあるし、伝えるためのパワーがより強くなるだろうと思っていました。 ――いろんな解釈ができる歌詞ですよね。たとえば、東京で暮らしている人の歌ともとれるし。 suzumoku:曲自体は、宮城に行くまでに出来上がっていたものなので、そう捉えるのも間違いではないですね。ただ、現地に赴いたことで、歌っているときにいろいろな映像を浮かべることができるので、曲を聴いてくれる人に対して、メッセージとしてかなり強くなったのかなと。

「部屋から出っ放しだと、自分のルーツに戻れなくなってしまう」(suzumoku)
――でも、時間が掛かった分、迫力がありますよね。 suzumoku :部屋から出っ放しだと、自分のルーツに戻れなくなってしまうでしょうから、またときどき「蛹」になるかもしれません(笑)。でも、もしなったとしても、出てくるのが蛾じゃなくて、蝶であるくらいの蛹でいたいですね(笑)。今まで、どうしても自分で作ったものを振り返る癖がついてたんです。たとえば、「蛹」みたいな曲をまた書きたいなとか。でも、それじゃダメだなと。あくまで「蛹」は「蛹」であって、同じような感覚で書こうと思ったら、今新しく感じてることを入れて前進させなきゃいけないなと。『Tomorrow Comes』はそういう意味で、やっと軸がブレずに自分のやりたいことができたのかなと思います。宮城にはこれから定期的に行きたいですね。逆に元気をもらったので、その分はちゃんとお返ししたい。 平野:本当に、suzumokuさんが言うように、僕も毎回元気をもらうというか、人間らしさに触れて色々なものをもらって帰ってきます。最初に宮城に行って東京に戻ってきたときは「この平和ボケした人達はなんなんだ」と思って、ヘンに卑屈になったりしていたんですけど、向こうに行って地元の人たちとやりとりしていると、純粋に何かしたいと思えるんです。言葉ひとつとっても、そういう気持ちが出てくるとういうか。自分のなかでは、この4年間がそういう体験の積み重ねだったので、suzumokuさんも同じように感じてくれて嬉しいなと思います。 suzumoku:いろんな人に対して、自分の目でちゃんと真実を見て欲しいという気持ちにはなりましたね。今までテレビとかネットとか、いろんな情報のフィルターを通してしかわからなかったことが、ちゃんと自分の目で見て、触れて、話して、アクションして、ようやくそこで知識になるんだなと感じました。 平野:見るまではただの情報でしかないんだよね。でも、体験すると、そこで初めて自信を持って「僕はこう思ってる」と言い切ることができる。今後必要なのはまさにそれだと思います。宮城は、まだ何も整っていないとは言いましたけど、もともと景色がきれいなところですし、ただ行くだけでもフレッシュな気持ちにさせられるから、いま持っている潜在意識は取っ払って、「ゴールデンウィークにでも遊びに行こうかな」って、本当に行っちゃったほうが早いです。 suzumoku:不謹慎だからってためらう人もいるかもしれないけど、そういう気持ちを取っ払ったっていいはずなんです。僕も最初は、真面目な気持ちで行かなきゃと思ってたんです。実際に行ってみて、「この海が牙を剥いたのか」と思う気持ちもたしかにある。でも、それ以上に、素晴らしい景色だし、海の幸もすごく美味しいんですよ。だから、意識はしてしまうかもしれないけど、実際に行ってみる、会ってみる、話してみるってすごく大事なんだなと改めて思いました。A Footprint (足跡)/ song by suzumoku(スズモク)

suzumoku『Tomorrow Comes』(WORLD APART)
舞祭組新曲、イベント応募券&多種売りで「売り方汚い」「UTAGEのネタ作り」と波紋
いろいろ批判されてるうちが華だから!
SMAP・中居正広がプロデュースを手がけるKis‐My‐Ft2の派生ユニット・舞祭組の新曲「やっちゃった!!」が、3月8日に発売されることが明らかになった。3枚目となるCD発売に喜びの声が上がる一方で、販売方法に関する批判が噴出するなど、波紋を呼んでいる。
“後ろの4人”こと横尾渉、宮田俊哉、二階堂高嗣、千賀健永によるユニット・舞祭組。2013年12月に「棚からぼたもち」でCDデビューを果たし、現在は中居がMCを務める『UTAGE!』(TBS系)に出演するなど、フロントメンバー(北山宏光・藤ヶ谷太輔・玉森裕太)に引けをとらない活躍を見せている。昨年7月に「てぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ~だれのケツ~」を発売した後はリリース面で動きがなかったものの、1月31日には「舞祭組商事」と書かれたバスが神奈川県内を走行していることがTwitterで話題に。ファンの間で「新曲のPV撮影?」と、注目が集まっていた。
「3,000枚くらいしか売れない」「ワンオクのパクリ」元KAT-TUN田中聖の“ジリ貧”事情
元KAT-TUNのメンバー、田中聖の近況をデイリースポーツが報じている。田中はジャニーズ事務所解雇後、ロックバンドINKTのボーカルKOKIとして活動しているが、同紙では田中がカフェで作詞を行っていることや、彼のバンド活動への意気込みなどを伝えている。 「しかし、この記事は何も目新しいニュースらしきものがなく、これじゃただの田中のPR。何か“大人の事情”でもあるのでは。田中のバンドは昨年11月にデビューアルバムを発表しましたが、3,819枚の売り上げでオリコン週間ランキング17位に初登場したものの、翌週にはトップ20圏外。ハッキリ言って、イマイチの売り上げでした。KAT-TUN脱退後は、お世辞にも順調とは言えませんからね」(音楽ライター) 同紙の記事についても、ネットユーザーらの間では冷淡な反応だ。「カフェで作詞とか寒すぎるだろ」「あのチンコ画像が頭をよぎる名前」「コメントから漂う落ち目臭」「ツイッター見たらかなり痛々しくて残念な子だった」「CD3,000枚ぐらいしか売れなかったし、食えていけないだろうな」といった書き込みが相次いでいる。 「田中としても自身が作詞を手がけているだけに、バンド活動にも力が入るのでしょうが、デビューアルバムは売り上げもさることながら、音楽的評価も低かった。ロックバンドのONE OK ROCK(ワンオクロック)のパクリだと、多くのリスナーに指摘されていました。ワンオクのボーカルのTakaも田中同様、ジャニーズ事務所出身でNEWSの元メンバー。不祥事が原因で事務所をクビになっています。このままの状態が続けば、ジリ貧なのは間違いない」(同) 同紙の記事の中で、田中は「やるしかない」との覚悟と決意を示していたが、まさに“待ったなし”の後がない状況なのかもしれない。



