もはや「特典商法ランキング」!? ジャニーズ&AKB48関連が、年間CD売り上げトップ30中、28作を独占

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「ラブラドール・レトリバー」(キングレコード)

【日刊サイゾーより】

 「2014年 年間シングルCDランキング」(オリコン調べ)が発表され、上位30作品のうち、28作品がジャニーズおよびAKB48関連グループだったことが分かった。

 首位は、178万6,825枚を売り上げたAKB48「ラブラドール・レトリバー」(キングレコード)。トップ5をAKB48が独占し、6位で60万4,654枚を売り上げた嵐の「GUTS!」(ジェイ・ストーム)が登場。トップ30のうち、ジャニーズおよびAKB48関連グループでなかったのは、9位のEXILE TRIBE「THE REVOLUTION」(rhythm zone)と、30位の三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE「R.Y.U.S.E.I.」(同)のみだった。

 この順位に、某音楽ライターは「まさに、特典商法ランキング……

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J-POPの歌詞を今どう語るか? 磯部涼編著『新しい音楽とことば』が提示する新たな歌詞論

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『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)

【リアルサウンドより】  音楽ライターの磯部涼氏と編集者の中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について語らう新連載「時事オト通信」第3回の前編。磯部氏が編者を務めた書籍『新しい音楽とことば――13人の音楽家が語る作施術と歌詞論』が11月14日に発売されたことを受け、今回は同書のテーマである、J-POPを中心とする歌詞について、そのありかたを考察していく。(編集部) 中矢:今年の夏から磯部さんと一緒につくってきた、『新しい音楽とことば――13人の音楽家が語る作施術と歌詞論』という歌詞に焦点を当てたインタヴュー集が11月に刊行され、ありがたいことに好評をいただいていますが、そもそも本書は2009年に刊行された『音楽とことば――あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』の続編ですよね。  前作は、磯部さんも私も関わっておらず、今作のデザイナーである江森丈晃さんが監修を務めたもので、同じく13人の自作自演系ミュージシャンにインタヴューをしているものの、基本的には各人の具体的な作詞のプロセスを聞き出すというスタンスであり、それぞれのファンが読んで楽しい歌詞にまつわるインタヴュー集、という趣の一冊になっていたかと思います。でも今回は、それぞれ異なるフィールドで活躍しながら、歌詞に意識的だと思われる13人へのインタヴューを通じて、今この時代の“歌詞論“を提示しよう、という編集意図があった。しかも、音楽ファンが「面白い」と評価する歌詞だけじゃなく、「つまらない」とか「劣化した」とか「翼広げすぎ、瞳閉じすぎ」とか揶揄しがちなJ-POPの歌詞も議論の俎上に載せようとした。  というのも、磯部さんがまえがきに書いていますが、「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるように、社会のリアリティが変容するとともに歌詞のリアリティも変容するのであって、あれこれボヤくのは時代についていけていないからなんじゃないかと。また、ひとつの歌がすべての大衆の気持ちを代弁できる時代でもない。そこで、毛色の異なるミュージシャンたちに作詞術と歌詞観を訊くことで、今の歌詞のありかたを浮かび上がらせようとしたわけです。ただ、歌詞についての論考集ではなく、あくまでインタビュー集なので、明確な結論は書かれていません。あえて今まで尋ねていなかったのですが、磯部さんはそんな本書の監修を通じて何か“答え“らしきものは見つかりましたか? 磯部:まず、制作の発端から話しておくと、僕は、いま説明してくれたように、前作の監修者である江森丈晃くんから依頼を受けて、今作の監修者を引き受けることになったわけだけど、江森くんはもともと歌詞に興味がないひとだったんだよね。例えば、前作の前書きの冒頭部分はこんな感じ。  歌詞ってなんだ? という問いかけから、この本を作ろうと思いついたのが、去年の春頃のこと。  いきなりの私事になるが、その10年前までは、まったく日本語の音楽を聴くことがなく、それについて訊かれるたび、「だって部屋で映画を観るときに、副音声はオフるでしょう? 音楽は楽器の響きだけで伝わるものが多いからさ、余計な解説はいらないし、こっちから聴こうとするまでは、歌詞なんか入ってこない方がいいんだよ」……と、ヒネていた自分にも、確実に刺さり、気持を揺さぶられ、「この歌詞を書いた人は、いったいどんな回路を持っているのだろう?」と興味の湧く言葉というのが増えてきた、というのがそのきっかけだ。 (江森丈晃・編『音楽とことば――あの人はどうやって歌詞を書いているのか』、ブルース・インターアクションズ、09年より)  そういうひとがつくったからこそ、『音楽とことば』は好奇心に満ちた瑞々しい本になっていたと思う。一方で、僕は日本のラップ・ミュージックを取材対象にしてきたこともあって、これまで、歌詞について考える機会が多かった。北田暁大が、ライトな音楽リスナーに多い、歌詞を重視する“歌詞フィリア”と、コアな音楽リスナーに多い、歌詞を重視しない“歌詞フォビア”という2項対立について書いたことがあった(『ユリイカ』03年6月号掲載、「ポピュラー音楽にとって歌詞とは何か――歌詞をめぐる言説の修辞/政治学」)けど、江森くんが後者から前者に寄ったのが『音楽とことば』だったとして、僕が『新しい音楽とことば』をここぞとばかりにつくったかと言うとそうでもなく、むしろ、今作を機会に前者と後者の中間に立ってみたようなところがあったんだよね。次に、今作の前書きをちょっと長目に引用してみる。  これは、歌詞についての本である。――というか、そもそも歌詞ってなんだろう。まずはそんな根本的なことから考えてみたい。  しかし、答えはすぐに出てしまう。歌詞とは、文字通り、“歌”における“詞”のことである。そして、言うまでもなく、“歌詞”は、“メロディ”だったり“アレンジ”だったりと同じように歌を構成する要素のひとつなわけだけれど、それにしても“歌詞”は他の要素に比べて、特に愛されているように思える。  たとえば、グーグルの検索バーに、ある歌のタイトルをタイプしてみる。すると、たいてい、「○○○○○(歌のタイトル) 歌詞」という候補が最上位に表示される。そして、それを選ぶと、画面にいわゆる歌詞サイトがずらっと並ぶことになる。つまり、単純に考えて、歌を検索しようと思った人の中では、歌詞を知りたがっているひとが最も多いわけだ。一方、コード譜やバンド・スコアといったものは候補にすら出てこないこともある。もしくは、本屋で楽譜を買おうとした場合、たいてい、それは隅っこに追いやられているし、置いていない店も多い。それでいて、歌詞だけを詩集のようにまとめたいわゆる歌詞本は一般書籍とともにどーんと山積みになっていたりする。  また、ツイッターには、歌詞botと呼ばれるアカウントがたくさんあって、お気に入りのアーティストのものをフォローすれば、タイムラインに定期的に彼らの歌詞が流れてくる。あるいは、日本の歌詞サイトの使い方がテキストを読むだけなのに対して、近年、英語圏で人気のGeneusでは、掲載されているテキストに利用者が「この箇所は、実はこういう意味なんだ」といった解説を書き込むことが出来る。日本でもそんなサイトがあれば面白いのにと思うけれど、すでに個人のブログで好きな歌詞を読み解いている人も多いし、それは商業ライターも同じかもしれない。歌の批評においては、楽曲分析よりも歌詞分析が主流だ。  もちろん、人々がまず耳を傾けるのは“歌”、そのものである。しかし、歌詞やメロディやサウンドが絡み合った歌という芸術の中でも、歌詞という要素は妙に偏愛されているように思えてならないのだ。 (磯部涼・編『新しい音楽とことば~13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』、スペースシャワー・ネットワーク、14年より)  特に日本では、「この国の音楽市場でデータ販売がそこまで伸びないのは、データには歌詞カードが付いていないからだ」っていう説がまことしやかに囁かれるぐらい歌詞が偏愛されている。また、ニコ動×ボカロ文化以降、MVに歌詞を付けるケースが増えて、歌詞フィリアの傾向はさらに強まってきているように思う。一方で、江森くんは、近年、「興味の湧く言葉が増えてきた」と書いていたけど、実際には、中矢が言ったように「最近のJ-POPの歌詞、翼広げすぎ、瞳閉じすぎ」みたいな意見もよく聞かれるようになっている。  ちなみに、引用した前書きでは「歌の批評においては、楽曲分析よりも歌詞分析が主流だ」と書いたけど、アカデミックな分野ではそのような歌詞を偏重した分析の仕方に疑問を呈しているひとも多くて、例えば、サイモン・フリスも、ポピュラー音楽の歌詞においては“何が歌われるか”ではなく“どう歌われるか”が重要――要するに、歌詞を単なるテキストとして読むだけでなく、“歌”という表現のパフォーマンス性やメディア性にも注目しなければいけないというようなことを言っている。最近でも、細馬宏通『うたのしくみ』(ぴあ、14年)なんかは、歌を論じるにあたって歌詞を“読む”のではなく、歌詞を“聴く”ことにこだわっていた。  そして、『新しい音楽とことば』では、歌詞フィリアにハマりすぎないように注意しつつも、歌詞フィリアが蔓延し、歌詞が劣化したと思われているガラパゴスな状況を喝破するのではなく、そこに、何らかの“新しさ”を見出せないか、というテーマをまずは立ててみたんだよね。では、そこからどんな答えが見えてきたか……ってことについてはもう少し後で語ろうか。 中矢:“歌詞が偏愛されている”ということで言うと、今回、取材したミュージシャンはみな、サウンドやリズム、曲構造などの音楽面と歌詞は不可分の関係にあることは大なり小なり意識しているようでした。それと、ミュージシャンのパーソナリティと歌詞を同一視すべきか否か、ということも本書のひとつのポイントになっているかなと。実際、アジカンの後藤正文さんは、ツイッターでの発言と歌詞と自分自身を統一させられる昨今の風潮に窮屈さを感じていると言ってました。 磯部:現代では、ミュージシャンは如何に音楽をつくるかだけでなく、メディアにおいて如何に振る舞うかということも審査される。その結果、アメリカではミュージシャンの社会貢献がデフォルトになったり、ヒップホップにおけるホモ・フォビアが是正されたりもした。一方、この国では珍しく、積極的に政治的な活動をしているミュージシャンである後藤さんのツイッター・アカウントに寄せられるリプライが、「音楽だけやっていてくれ」派と「政治的な活動もしてくれ」派に二分されているのを見ると、日本はまだまだ過渡期なのかなと思う。ただ、どちらの一派も、SNSによってミュージシャンの声がダイレクトに届くようになったことで、“ミュージシャンがメディアにおいて如何に振る舞うか”について過敏になっているという点では共通していて、そして、それは、ミュージシャンとその発言や歌詞に同一性を求める雰囲気をつくり出しているようにも感じる。  70年代以降の日本のポピュラー音楽では、歌い手が作詞を手掛けるケースが増えたこともあって、歌詞フィリアがアーティスト信仰に結び付き、歌詞から歌い手の思想や生き様を読み解くような分析も増えたわけだけど、そこにさらにPC(ポリティカル・コレクトネス)まで求められるのはキツいだろうなぁ、そもそも、歌詞をいたってフィクショナルにつくっているひともいるわけだし……と思っていたら、やはり、今回、インタヴューしたミュージシャンも、歌詞と自身の関係についてはそれぞれの見解を持っていたよね。 中矢:例えば、自分自身のことを歌詞にダイレクトに表すイメージがあまりない石野卓球さんは、電気グルーヴ初期の代表曲である「無能の人」(90年)とそのリメイク「N.O.」(94年)のサビ「学校ないし 家庭もないし/ヒマじゃないし カーテンもないし」は、人生解散後の自身の実体験がベースになっていると言っていましたよね。まあ、そのこと自体はファンの間では広く知られていますが、当時の“リアル”を歌った曲だけに、それが“リアル”に感じられなくなった時期に歌えなかったという話が印象的でした。 磯部:「(「無能の人」では)人生が解散した後の卓球さんの心情が表現されていると言われていますね」という質問に対して、「心情ってほどのことではないかな」と断りを入れつつも、「あの曲は25年近く歌ってても、そんなに恥ずかしくないというか。素直すぎて逆にね。かといって、そのときの自分の状況を必要以上に赤裸々に表現はしていないし」って答えていた。でも、それを、「N.O.」としてリメイクしろとレコード会社から指示された時は、「自分の興味はインストのテクノに向いてて、ああいう歌ものは真逆だったからすごく嫌だった」と。「デビューして数年経った頃だったから、あの曲をつくったときの気持ちとは全然違って。ビッグ・ヒットこそ出ていないけどそこそこ売り上げもあったし、あの歌を歌うことにリアリティが感じられなかった」。しかも、「無能の人」の頃は「四畳半の部屋に住んでて、カーテンの代わりにブルース・リーの『死亡遊戯』のポスターを窓に貼ってた」けど、「N.O.」の頃は「家にカーテンがあったもん」。そして、「逆に今は何で歌えるかっていうと、カーテンが必要ない家に住んでいるから」……というのは実に明解な説明だったよね(笑)。  一方で、「一番遊んでた頃」の体験を基にした「虹」なんかは「今のムードに合わなくてライヴでは全然やってない」。また、アブストラクトでシュールな「Oyster(私は牡蠣になりたい)」なんかも具体的な経験がモチーフになっている。あるいは、「(ピエール瀧)と二人でよく話していたのは、「歌いたいこと何もねぇな」ってことで。で、「本当は何もないのに、さも自分の意志があるような感じで歌うのはやめよう」と。だったら、あるものをそのまま歌う。「富士山」とかね。そこには嘘がないから」とも言っていたし、電気グルーヴの歌詞は俗に言う“リアルな歌”みたいなものとは懸け離れているけど、それは、本当に“リアル”にこだわっているからこそなんだと思ったな。  他にも前野健太くんなんかは、シンガー・ソングライターであるがために、個人的な体験を歌詞に書いていると思われがちだけど、「歌詞はすべてフィクションです。ただ、感情は入れたい。だから物語にして登場人物にセリフをしゃべらせたり。ただ、(略)自分の声を使うと熱くなってしまう部分はある。それが目下の課題で。ホントは物語なので、うまく演じることができればいいのですが」と語ってくれた。それを読んで、以前、やはりシンガーソングライターである豊田道倫さんが、「(私小説的だと)人からよく言われるんですけど、自分ではあまりそう思いません。私小説自体、川崎長太郎とか耕治人とか、よっぽど極北の人以外は読まないし。もうちょっと違うことをやっているつもりです」(『ele-king vol.1』、メディア総合研究所、11年)と発言していたのを思い出したな。そもそも、“私小説”というジャンル自体がそうであるように、“歌詞”と“作者”の関係は決して単純に“=”で結ばれるわけではないんだけど、かと言って“≠”でもなく、時に“≒”だったり、あるいは、“×”だったり、“÷”だったりすることを考えながら聞くと面白いかもしれない。 中矢:卓球さんは「日本のロック・メディアでは歌詞から作者個人の心情を読み解こうとすることが多いですよね」という質問に対して、「特に『ROCKIN’ON JAPAN』のインタヴューは、当初、そういう訊き方しかしてくれなくて」とも言っていましたよね。同誌のインタヴュー記事は、「ロキノン節」と小馬鹿にもされてきました。ただ、編集者目線で話をすると、90年代、あの雑誌は若いミュージシャンのポートレイト撮影に新人のHIROMIXなんかを起用したりして被写体と写真家の距離が物理的・心理的に近かった覚えがあり、ヴィジュアル面でも音楽家のパーソナルな部分に迫ろうという編集意図があった気がします。そういうアプローチは日本の他の音楽雑誌はやっていなかったので、ある種の音楽ジャーナリズムのスタイルを確立したという意味では評価したいと思いますが、今はそれがやや形骸化しているきらいもあるかなと。 磯部:『ROCKIN’ON JAPAN』のインタヴューって、まさに、歌詞フィリア/アーティスト信仰者にターゲティングしたものなんだよね。ただ、日本の音楽市場のメインがそうである限り、それを全否定してもしょうがなくて、この本もまずは各ミュージシャンのファンに読んでもらおうと考えてつくったようなところがある。その上で、あえて、各ミュージシャンに共通する質問を投げかけたり、もしくは、各ミュージシャンから共通する単語を引き出したり、そして、それをリンクさせることによって、各ファンが目当てのミュージシャンの発言とはまた別の“答え”らしきものを見つけてくれたら良いなと思ったんだ。 (つづく) ■磯部 涼(いそべ・りょう) 音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。 ■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう) 1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。

嵐チケット逮捕者、“アラシック”論争に新規紛争……2014年嵐ニュースのウラ側

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『紅白』白組優勝でおめでたい幕開けとなった2015年の嵐

 2014年も、テレビ、雑誌、コンサートと、さまざまな活動を通じてファンに勇気や希望を与えた嵐。15周年を迎えたこともあって『第65回NHK紅白歌合戦』で白組のトリに抜擢されるなど、大活躍の1年となった。しかし一方で、この1年には、ファンを巻き込んで騒ぎとなったネガティブな話題、人気アイドルらしからぬ不名誉な話、大手メディアが取り上げないようなダークなネタも浮上していた。今回は、そんな嵐メンバーに関する“裏ニュース”をさらっていこう。

★櫻井の「アラシック」否定&ファンの新規論争が勃発

これが日刊サイゾーからのお年玉!【グラドルおっぱいクイーン】大決定!!

 あけましておめでとうございます! 今年一発目の記事は、昨年も日刊サイゾーを艶やか&鮮やかに彩ってくれたグラドルちゃんの中から「おっぱいクイーン!」を勝手に大決定!! さらに、ベストおっぱい30も大発表させていただきます! それでは第30位から、はりきってどうぞ~!


























謹賀新年

kingashinnnen_2015.jpg 旧年中は格別の御引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。 おかげさまで昨年は「LITERA」(本と雑誌のニュースサイト)、「HEALTH PRESS」(健康・医療情報サイト)といった、これまでのサイゾーにはなかった切り口のメディアを立ち上げることができました。さらに2015年からはオフィスを移転し、新たな環境で“新しい発見と創造の種”を皆様にご提供できますよう、より一層の努力をして参る所存です。 引き続きご指導とご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。 平成27年 元旦 株式会社サイゾー スタッフ一同