まさかここまでぶっちゃけてくれるとは──。元日の夜、ジャニー喜多川氏が『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』(NHKラジオ第1)に出演することは、芸能マスコミの間で話題になっていた。しかし、ジャニーさんといえば、最近少しずつメディアに露出するようにもなったとはいえ、基本的には影の存在。自分のことはもちろんジャニーズの内幕についての話もほとんど明かしたことがない。きっと、今回も差し障りのない話に終始するだけだろう……。 そんなふうに思っていたら、ジャニーさん、なんと蜷川のインタビューに答える形で、生い立ちからジャニーズの歴史、タレントへの思い、さらにはこれまでささやかれてきた数々のジャニーさん伝説の真相についてもぶっちゃけトークを展開したのだ。 まず、蜷川はいきなり、聞きたくても聞けなかった話として、「ジャニーさんはさぁ、タレントのことYouって呼ぶでしょ? あれには自覚的な選択があるの?」と質問。これに対して、ジャニーさんはアメリカではYouが主語だから、痛いとき瞬間的に「Ouch!」と言ってしまうのと同じだと言いながらも、「Youしか覚えられない」、つまりタレントの名前を覚えられないから使っていると意外な真相を明かして笑った。 このインタビューの前に2人は舞台を観劇していたのだが、その舞台に出てる子の何割覚えてる?と聞かれても、「あ、覚えてないです。自慢じゃないけど覚えてない」ときっぱり。 そして、話はジャニーさんのタレントの選び方に移っていく。ジャニーさんことジャニー喜多川氏
月別アーカイブ: 2015年1月
さくら夫人にバーニングもお手上げ、家入レオを持て余す研音!! 業界珍プレー好プレー
「Silly」/ビクターエンタテインメント
かつてないほど“珍事”の連発だった2014年の芸能界。今回は芸能人ではなく、彼らを擁する芸能プロダクション、また彼らを取材する芸能マスコミにスポットを当て、ニュースの裏側にクローズアップ!!
■研音の“家入レオ”プロモーションが大迷走
12年、「YUIや絢香輩出の音楽塾出身」「天才女子高生」として華々しくデビューを飾った家入レオ。同年中にレコード大賞新人賞を受賞、デビューアルバムの売上も15万枚を突破し、『NHK紅白歌合戦』出場も確実視されたが、翌年以降のシングルCD売り上げは2万枚台に低迷。そして14年、デビュー当時にフリーライブを行った神奈川・ラゾーナ川崎での凱旋公演にて、謎の「滝行宣言」が飛び出した。「来年の秋くらいに滝行に挑戦してみたい」として、来年の目標を掲げたのだった。
検証!モテるために●●使ってみた
えっ!? ◯◯地区は神奈川県?
新宿ボッタクリ居酒屋の系列企業が経営?新橋の店舗でも新たな被害報告が
2015年★ブレイクしそうな芸能人!
忍者になってみました~その1~
「離婚→夫が再婚」で傷心の女優・芳本美代子が仕事漬けに「できるだけ詰め込んで!」

芳本美代子オフィシャルブログ
元NHKお天気・半井小絵(41)が、アイドルDVD部門1位獲得も……“森光子になりたい”発言で「勘違い」の声
『半井小絵/心模様』(イーネット・フロンティア)
かつてNHK『ニュース7』のお天気キャスターとして活躍し、“午後7時28分の恋人”と呼ばれた気象予報士の半井小絵(41)が、初のイメージDVD『半井小絵/心模様』(イーネット・フロンティア)を発売。約1,000枚を売り上げ、オリコン週間総合DVDランキングで71位にランクイン。アイドル・イメージ部門では、首位を獲得した。
半井は2011年2月、「週刊文春」(文藝春秋)に元阪神・建山義紀投手との不倫が報じられ、翌月に『ニュース7』を降板。翌年には、バラエティ番組『フジテレビに出たい人TV』(フジテレビ系)に5カ月にわたりレギュラー出演したが、その後、目立った活動はなかった。
しかし、今年9月、突如セクシーグラドル路線へ転身。先月発売した初写真集では、大胆なランジェリー姿を披露。同作の……
トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(前編)「お互い違う場所で切磋琢磨してきた」

「(GRAPEVINEは)自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな」(和田)
――お二人が最初に出会ったのって、いつ頃のことですか? 田中和将(以下、田中):たしかデビュー前だったよね? 和田唱(以下、和田):そうそう。当時の『R&R NEWSMAKER』という雑誌が主催してた「BRAVO Night !」というイベントで、一年以上にわたって一緒にライブしてた。 田中:たしか7~8バンドくらいいて、東名阪を何度も回るようなサーキットイベントで。 和田:基本的にいつも一緒だったのが僕らとDragon Ashと――。 田中:あとは、ZEPPET STORE、the PeteBest、スキップカウズ、PLECTRUMだったかな。それが最初でしたね。 ――その頃、お互いはどう意識してました? 田中:今でもそうやけど、僕らはもともと社交性も少ないし、音楽性も、キャラクター的にも媚びてなかったんですよね。だから「俺らはあんな風には客に媚びひんぞ!」みたいに思ってた。 和田 あははは! そうなんだ! 田中:その頃はまだ若いですしね。今思えば、若気の至りで尖がってた。 和田:たしかに当時のバンドはサービス精神を持った人が多かったですからね。俺らもどうやったらアピールできるんだろう、どうすればお客さんを掴むことができるんだろうって努力してたタイプだし。ただ、Dragon Ashはちょっと人種が違うと思ったな。俺、初対面で睨まれましたからね、kjに(笑)。 田中:でも、やっぱり彼らは抜きん出てたよね。 和田:そうだね。で、GRAPEVINEは確かに媚びない感じだったし、マーヴィン・ゲイの名曲をバンド名にしていた時点で、自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな。 ――田中さんからトライセラはどう見えていたんでしょう? 田中:トライセラはすごくナチュラルな感じだった気がしますね。自然に3人が曲を作ってバンドを楽しんでるスタンスに見えた。やっぱり、新人ばっかり集めてるイベントだから、みんな「どっか抜きん出てやろう」ってガツガツ、ギラギラしてたんですよ。それでパフォーマンスも過剰になっていたんだと思う。僕はそういうノリは嫌いやなと思ってましたけど(笑)。 ――ちなみに、お二人にとって97〜98年の頃のJ-POPや日本のロックシーンはどういう風に見えていたんでしょう? 和田:ヴィジュアル系が多かったイメージがあるな。で、当時は雑誌でよく言ってたんですよ。「みんな衣装を着すぎだ!」って。 田中:ははは! 和田:俺らは普段着姿でステージに出てたし、みんな私服でステージ上がればいいじゃんって思ってた。バインもそうだったし。俺らぐらいからじゃない? 普段着姿のロックバンドが普通になってきたのって。 田中:それは俺も後から知った感じやな。俺らはTシャツ系ロックとか言われてた(笑)。 和田:ははは! そうそう! スニーカー系とか(笑)。 田中:そういう感じでカテゴライズされてたんですよ。それは世界的にも97年がグランジとかマンチェ以降の時代だから、世代的にそういう流れがあったっていうのもあると思うんです。で、ヴィジュアル系っていうのは日本独特の文化やから、あれはあれで独自のガラパゴス的な発展をしてきた。それだけの話やと思います。 ――それ以前、90年代前半にはバンドブームがありましたよね。そことも世代感は違う。 田中:そうですね。バンドブームが一番熱かったのは中3から高2ぐらいまでかな。 和田:そのぐらいの時って日本のバンドの人たちに影響された? 田中:されたよ。正直こういう性格なので、表だってやってる感じの人たちは正直チャラいなって思ってたのよ。だからBO GUMBOSとかRED WARRIORSとか、そういうのが好きでしたね。 和田:俺は日本のバンドは疎かったんだよね。やっぱりビートルズとストーンズが大好きで。だからクラスの子たちと話が合わない。 田中:早熟だったんやろね。 和田:そうでしょ? だからバンドブームは全然通ってきてなかった。 田中:僕も始めたきっかけはまったく無関係で。RCサクセションを中学2年生ぐらいの頃に聴いてギターを始めたんですよ。そこからしばらくしてから、世間はバンドブームだということに気付きはじめた。だからやっぱり友達とは話が合わなくて。唱くんはビートルズとかストーンズをどうやって知ったの? 和田:僕は最初にマイケル・ジャクソンがあったんですよ。とにかく、小学生の時はマイケル一色だったわけ。その後マイケルが『スリラー』の「ガール・イズ・マイン」っていう曲でポール・マッカートニーとデュエットしてたんです。当時は「なんだ、このおっさん」みたいに思ってたんだけど、その後親父に聞いたりいろいろ調べてるうちに「こういうすごい人たちがいたんだ」と知って。あと、ビートルズの「カム・トゥゲザー」をマイケルが映画の中でカバーしてたんだよね。そういうところからいろいろつながって、ビートルズはすごいぞ、と。 田中:なるほどね。僕はもう、RCサクセション、ストリート・スライダーズって聴きはじめたんですよね。そうなったら、そのままストレートにビートルズ、ストーンズにいく感じでした。
「「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした」(田中)
――デビュー当時はバンドの間にもライバル意識のようなものもありました? 田中:それはあったと思いますよ。みんなギラギラしてたと思う。やっぱりちょっとでも抜きん出てやろうっていうためのイベントなわけでしょ? 今だからこそ思いますけれど。 和田:ただ、俺は当時からこの人とは喋りたいなと思ってたんだよね。「覚醒」のブルージーな歌い回しを聴いて、「この人、やっぱり違うな」って思って。わりと早い段階で喋りかけた記憶がある。 田中:喋ったよねえ? でも、ほんと人付き合いが下手だった(笑)。 和田:俺らもわりと苦手だったよ。今でこそいろいろ人とコラボレーションとかしてるけど、当時はダメだった。 ――GRAPEVINEもTRICERATOPSも、デビューからどんどん人気や知名度を増していったわけですが。ブレイクした、売れたという認識はどれくらいありました? 和田:売れてたかなあ? 俺たち(笑)。 田中:いやあ、正直あれでブレイクなのかって今でも思いますよ。時代がよかったんですよ。CDバブルの時代だった。日本でCDが一番売れてたのが、僕らがデビューした97年から99年くらいの頃ですから。僕らがブレイクしたと思われているのもその頃だと思います。それに、僕らの歴史の中でもその時期がいちばん枚数売れてるんです。でも、それはCDバブルの追い風があったからだというのは否めないですね。ブレイクしたという自覚はさほどないです。 和田:僕もないです。全然ないですね。 ――当時はただ慌ただしく日々が過ぎていくような時期だった。 田中:そうですね。右も左も分からないままに過ぎていった。 和田:取材ばっかりしてたね。 田中:あの頃は多かったね。雑誌も多かった。地方キャンペーンもしっかりやってたし。 ――前に和田さんからタワレコのポップを破壊したことがあるっていう話を聞いたことがありますけれど。 和田:いやあ、あの頃の自分はバカでしたからね(笑)。 田中:なんでポップを破壊したの? 和田:ちょうどセカンドアルバムが出たばっかりの時で、広島のタワーレコードに行ったんです。そこで店にポップを作って大きく展開してくれてたんですよ。でも、書いてあった文章が全然こっちの意図と違ってて。書いてる本人はそんなつもりはなかったんだろうけど、少しバカにしてるような感じに思ってしまって。特にあの頃って、なにかと「カワイイ」とか「ポップでキュート」とか言われてたから、それにすごく反発していて。やっぱりロックバンドたるもの、カワイイとは何事だっていう意識があったんでしょうね。 田中:それで? 和田:「すいません、これ書いたの誰ですか?」って店員さんに聞いたら、たまたま書いたのがその人で。その人の態度がちょっとエラそうだったの。だから「おい! 何なんだよ、この文章」みたいな感じで言って。そしたら向こうも「いや、こっちは思ったこと書いただけですけど?」みたいに言うからさ。それで次の瞬間、こっちもカーっとなって、バーン!って。よくやったよ、あんなこと。 田中:ははは! 熱いね。 ――田中さんは、自分の音楽と周りから語られるイメージとの齟齬は感じてましたか? 田中:いや、それはもちろんあるもんだと思ってましたね、僕は。褒めてくれる人もたくさんいらっしゃるでしょうけれど、それだってズレてるのも多かっただろうし。自分らの音楽について言及されてるものは、あんまり見たくなかった。 ――当時のGRAPEVINEは「ポスト・ミスチル」って言われていましたよね。 田中:ああ、ありました。でも、それは逆に武器だって思った覚えがあるな。売れるもんなら売れるに越したことはないだろうっていうことは思ってたし。「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした。そんなにイラっともこなかったな。
「常に新鮮な空気を入れ替え続けるのがいちばん重要なんじゃないかな」(田中)
――その頃、10年後や15年後にバンドがどんな風に続いていくかのイメージはありましたか? 田中:それはなかったな。正直、10年とか続くことをあまり想定するもんじゃないでしょ、バンドっていうもんは。いや、もちろん続くんであれば続くに越したことはないけれど、実際思い描けるもんじゃないですよ。 和田:でも、俺はあったな。ロックは歳とってやってもいいんだっていう意識があったし、できることなら長くやりたいなと当時から思ってました。それはロックの歴史的にストーンズがいたからかもしれない。もし70年代だったら40になってロックをやってる自分たちの想像がつかなかったと思うんです。でも、当時ですでに50代のローリング・ストーンズも見てたから。 田中:そうね。バンドスタイルで長く転がるっていうのは、ストーンズみたいにいい見本がいますからね。これはこれで究極にカッコいいことだと思う。でも、僕らは特別具体的な目標を持たなかったですね。武道館とかドームとか、そういうことを思ったって仕方がないとは思ってました。 ――結果的に今に至るまでバンドが続いてきたわけですけれど、やはり平坦な道ではなかったわけですよね。 和田:そうですね。危機だって何度もありましたよ。 田中:まあ、あるもんやろうな。 和田:ずっと仲良しなバンドもいるけれど、俺らはそうではなかったですね。そのへん、GRAPEVINEはどういう感じなんだろうと思って。 田中:僕らは僕らで、仲良しグループで集まったバンドじゃないんです。もともと全員の間に最初から距離があるんですよ。あんまり干渉しない。おそらくそのバランスが良かったんだろうとは思う。 和田:ああ、わかる。近すぎる人たちがだいたい解散するから。 田中:あと、エゴが強い人はいない。「俺が、俺が」という人があんまりいなかった。お互いの意見を尊重し合うというか、自分の意見が全てではないとみんなわかってる。そういう感じのバランスで進んできたんですよね。 ――バンドの危機はありました? 田中:もちろん、ありましたよ。ウチの場合、いちばんの危機はベーシストが抜けた時。あの時はマジで解散も選択肢の中にありました。 和田:けっこう前だよね。今の体制になってから長いもんね。 田中:そう。それも10年以上前。なので、今はこのままバンドで転がっていこうということにあたっては、どうやって刺激を得るかが問題になってきたりもしていて。モチベーションの維持というか、常に新鮮な空気を入れ替え続けるのがいちばん重要なんじゃないかなと思ってますね。 ――そのあたりはどうやって対処しているんでしょうか。 田中:俺らは自分らでやることももちろん大好きなんですけれども、やっぱり人から刺激をもらうことが多いですね。今回はレーベルを移籍したんで、そのことによって出会った人たちの意見を踏まえて作ったりしたし。何かしら窓を開けて空気の入れ替えをすることによって新しいチャレンジをしてきたと思います。あとは、メンバーの脱退と共にサポートメンバーに入ってもらったり、人との出会いによって助けられてるところは大きいかもしれない。 和田:僕らはメンバーチェンジがないですからね。 田中:それを見てると、トライセラはいったいどうやってるんだろうってよく思う。大変だろうなっていう気がするし。 和田:そうだな……田中くんは作曲って今どのぐらい関与してるの? 作曲の名義がGRAPEVINEになってる場合は? 田中:あれは基本的にはみんなで何気なくジャムりながら作ってくんですよ。メロに関しては俺が歌う。で、コード進行とか展開はその場でできたりできなかったりなので、それを後からちゃんとまとめていく。 和田:そういうやり方なんだ。 田中:そう。うちの場合は、一応全員曲を書くので。といっても亀井くんの負担が大きいんだけど。そう思うと、トライセラの場合は唱くんひとりの負担やね。 和田:そうそう、そうなんですよ。だからそういう曲作りにおいてのチームワークは羨ましいなって思う。でもまあ、ウチは二人が信じてついてきてくれてるんだと思います。 ――和田さんはTRICERATOPSというバンドを続けてきた原動力はどういうところにあったと思いますか? 和田:僕らも移籍は多かったですし、環境の変化は常にありましたね。あとはまあ、「これやめたらどうするんだ」っていうのもありましたよ。他にすることもないし、他のことで認められたこともない。自分が音楽という武器を手にしてこの世界に飛び込んだ時に「ようやくこれで評価してもらえる!」みたいな思いがあった。「何としてもこれだけは続けなきゃいけない」って気持ちが強いんでしょうね。たぶん、それが原動力だと思いますね。 田中:立派なもんだ(笑)。
「ライブバンドって言われることに関してジレンマもある」(和田)
――TRICERATOPSとGRAPEVINEは、デビューから10年以上経った2008年に新宿LOFTで初めて対バン形式でのライブが実現しています。これはどういう体験でした? 田中:これはね、正直、ほんまに感慨深かった。「Bravo NIGHT!」の頃は7〜8バンドいる中で、みんな頑張って頭角を現すぞっていうムードがあって。そういうのはイヤだなと思う俺らみたいなヤツもいて。でも、そこから僕ら同士は、なぜかこんなに近しい世代のバンドなのにあんまり会わなかったのよね。 和田:そうだね。フェスでたまに一緒になるぐらいで。 田中:フェスでも基本的にはニアミスが多かったしね。なので、2008年の新宿LOFTのガチンコ2マンはすごい感慨深いものがありましたね。よくぞこれを組んでくれたなと思いましたし。デビューから10年以上経て、お互い違う場所で切磋琢磨してきたんだなっていうことをすごく感じましたね。 和田:初の2マンというのも意外でしたね。デビュー当時から何かと比較されて、ライバルみたいな言われ方をして。僕は比較されることに関してイヤだななんて思ったことは一度たりともないですけど。 田中:俺もないな。 和田:それこそビートルズ対ストーンズみたいな憧れに自分たちを当てはめられたので、バインとそういう見られ方をしてることに関してはすごく嬉しかったんですよ。でも2マンは意外に初めてで。で、お客さんが何しろ喜んでましたね。 田中:お客さんの顔を見た時にそれを感じましたね。そりゃそうですよ、それだけデビュー時期が近くて同期で比較されて、お客さんもきっと相当数かぶってるでしょうし。そんな人らが実は観れてなかった2マンをやっと観れるっていう顔で来てるわけじゃないですか。「あ、そうよな!」と。お客さんの立場になってグッときましたね(笑)。 和田:あと、やっぱりいい相乗効果があるんですよ。2マンのときは、なぜかたまたまいつもバインが先で僕らが後っていうスタイルで今のところやらせてもらってるんです。で、バインがやっぱり熱のあるいい感じのライブをするわけですよ。そうすると当然火がつきますよね。あからさまに劣るライブをやってしまったらその後の評価に繋がってくるんで。だからとにかく一生懸命やる。 田中:あははは。熱いなぁ(笑)。 和田:バインとの2マンはそういう意味で緊張感が走るというか、ムード的にはリラックスしてますけど、「やるぞ!」っていう感じはやっぱりありますね。 ――トライセラもバインもライブバンドとしての評価は高いですからね。 和田:ただ、俺らとしてはライブバンドって言われることに関してジレンマもあるんですよ。ロックバンドたるもの、やっぱりライブが良くなきゃダメだと思う。でも、アルバムだって時間かけて一生懸命作るわけでしょ? なのに「トライセラのあの曲、ライヴのほうが全然良かった」みたいな評価をされると切なくなるところもある。 田中:わかるわかる、それはもちろんそうやな。でもそればっかりはしょうがないかな。だって「CDのがいいよね」って言われてもちょっとイヤでしょ? 和田:いや、俺は今回、そうやって言われようと思ってアルバム作った。 田中:ああ、なるほど。確かにアルバム聴いて思った。ライブでどうやんの?って曲、多いもんね。 ――00年代からの10数年というのは、CDが一番売れていた時代からだんだんライブに価値が入れ替わっていたようにも思うんですが、そのあたりはどうでしょう? 田中:でもね、たぶんそれは単純に入れ替わってるという図式ではないと思いますけどね。ライブに人が入るようになったというのはまやかしで、それはフェスだったりの動員が増えたっていうことなんですよ。バンドが単独でツアーをまわっても、みんなひいひい言ってますよ。平日のライブも減りましたからね。 ――フェス偏重の時代になっている。 田中 そう。単にフェスの動員が増えたからそう見えてるだけなんです。僕らはすごく狭間の世代でね。CDも売れなくなってきてるから、CD以外の発信の仕方も増えてきている。正直、僕らは狭間の世代だと思ってるんですよね。(後編に続く)

TRICERATOPS『SONGS FOR THE STARLIGHT』(SPACE SHOWER MUSIC)

GRAPEVINE『Burning tree(通常盤)』(ビクターエンタテインメント)

