三船美佳&高橋ジョージより壮絶!? 芸能関係者が選ぶ「忘れられない泥沼離婚劇」

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三船美佳オフィシャルブログより

 現在芸能界を騒がせている、三船美佳と高橋ジョージの離婚騒動。2013年末に子どもとともに自宅を出た三船は、すでに離婚裁判の準備を進めており、涙目で復縁を望む高橋を尻目に「今が一番幸せ」と笑顔で語っていた。3月の口頭弁論まで持ち越されれば、さらなる“泥沼”が待ち構えていることは必至だが、どうして芸能人同士の離婚はこうも泥沼化してしまうのか。そこで今回は、マスコミ関係者に「忘れられない芸能人泥沼離婚劇」を聞いてみた。

 まず名前が挙がったのは、現在観月ありさと交際中の実業家・青山光司氏と、13年に離婚した上原さくら。この騒動がきっかけとなって、上原は芸能界を引退してしまった。

「両者の別居が明らかになった時点で、上原・青山氏双方ともマスコミに互いのマイナス点を明かし、週刊誌誌上での“代理戦争”が勃発。ところが青山氏がマスコミに渡したものは、『××さんにダンナを殺してもらうの!』と絶叫する上原の音声など想像を絶するもので、週刊誌でさえ報道を自粛したほどでした」(ワイドショーデスク)

 上原は、当初青山氏に5億円の慰謝料を請求していたと言われており、離婚劇は長引くものといわれていたが、上原が離婚調停中に丸刈りのコワモテ男性とラブホテルに入っていく様子が報じられ、急転直下の結末を迎えた。

「完全に上原の不貞行為とあって、裁判に持ち越されると見られていた離婚バトルは一瞬で終了に。その直後、上原は所属事務所の契約も解除されており、事実上芸能界を引退しました」(同)

 上原同様、同じく多額の金銭が絡んでいたのが、渡辺謙と前妻・由美子さんの離婚騒動だ。

「由美子さんは結婚当時、釈尊会という宗教法人に熱を上げており、知人から借金をしてまで寄付金をかき集めていた。周囲には『自分は渡辺謙の妻』などと言って金を無心して、借金の総額は2億円とも4億円ともいわれていました。この話がマスコミに報じられ、ついに渡辺も裁判に踏み切ったのです。裁判で由美子さんは、渡辺の浮気を叫ぶも、最終的に慰謝料ゼロで離婚という渡辺が完全勝訴という結末を迎えています」(週刊誌記者)

 なお2人の間に生まれた杏は、今年元旦に東出昌大と結婚したばかり。現在も渡辺と同席することを嫌がる由美子さんだけに、結婚式や披露宴に招待するかどうか、杏は思い悩んでいるという報道もあった。

 そして離婚裁判といえば、高嶋政伸と美元の泥沼劇は記憶に新しいが、長期間ワイドショーを席巻していたのは沢田亜矢子とゴージャス松野こと松野行秀の壮絶なバトルだろう。

「元々タレントと担当マネジャーという間柄だった両者ですが、1997年末に確執が明らかに。年明けの沢田の記者会見では、松野からの自身や長女へのDVまで明かされました。さらに同年から始まった裁判で、松野の“強姦”行為を訴えた沢田に対して、松野はそうではない証拠として、夫婦の“セックスビデオ”の存在まで暴露。3年間にも及んだ裁判は、最高裁で沢田が勝訴するも、松野は精神的苦痛を訴えて3,000万円の慰謝料請求で反訴するという泥沼ぶりでした」(スポーツ紙記者)

 なお先日は、「松野さんと沢田さんがバッティングしてしまいそうなパーティーがあったのですが、松野さんの参加を知った沢田さんは『絶対に関わりたくない人だから』と参加を辞退していました」(芸能プロ関係者)というから、両者の溝は離婚から14年経った現在もまったく変化はないようだ。

 どちらかが白旗を上げれば、すぐさま決着を迎える離婚劇だが、果たして三船と高橋もこれらのような泥沼バトルへと発展してしまうのだろうか。

少年サッカーの監督がした少女へのえげつない虐待~読者メール

(前回)の記事から間もなく、関係者と思われる人たちからメールが相次いでいる。

Subject: 少年サッカー監督虐待の件
私は、以前、監督のチームに子供を所属させていた父母です。
3年前、監督が名誉毀損で訴えられる事件がありました。・・・(続きは探偵ファイルで)

浮気していると思っていた妻、その裏側にこんな感動話が!!

前回のつづき。

さらに対象者の携帯電話からは、猫を抱いている元夫の画像を確認できた。
ピン!! ときた私は公園にいた猫と画像の猫を確認したところ、うりふたつ。

その事実を依頼人に伝えて、この調査は無事終了した。・・・(続きは探偵ファイルで)
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メンタルに火種?水沢アリーの賞味期限は切れちゃった?

『第2のローラ』と言われ、一時はバラエティ番組に引っ張りダコだったのも束の間。

芸能探偵のアンケート『2015年★消えそうな芸能人!』では第3位にランクインするなど、早くも賞味期限切れの雰囲気が漂い始めた水沢アリーには、過去の行いから火種になりそうな話が多数あるという。・・・(続きは探偵ファイルで)

拷問テイスティング@水

あめりかというお国は海の向こうにあって、
格差と映画と世界最強の軍隊と情報機関があります。ほかには何もないです。

そこの国家情報長官がニューヨーカーという雑誌でこういいました。

「水責め怖いわぁ~」・・・(続きは探偵ファイルで)

嵐・相葉雅紀の実家がバイト募集、山本圭壱復帰に岡村隆史が、SKE48辞退者続出のワケ……芸能界ウワサの真相

【日刊サイゾーより】

 ベテランデスクTと新米記者Hが、今週の芸能ニュースを振り返ります。

嵐・相葉雅紀の実家がバイトを募集

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デスクT ねえねえ、おっぱいって誰のものだと思う?

記者H ぶしつけになんですか!

デスクT 21日に京都新聞の公式Twitterが、「おっぱいは、赤ちゃんのものですよね」「それとも、おっぱいはお父さんのものなのでしょうか?」「ああ、結婚してなければおっぱいは彼氏のものですよね」とツイート。すると、「女性の体は、女性自身のものだ」とたちまち炎上。「身体の一部が他者の所有物であるような表現は差別的でした」と謝罪してたよ。

記者H ろくでなし子氏の「自分の体の一部を、勝手にわいせつ物だと決めつけるな」という主張に似ていますね。

デスクT じゃあさ、じゃあさ、男の乳首って誰のためについてると思う……

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議員秘書宅住居侵入で逮捕の神戸製鋼のラグビー元日本代表「泥酔していた」自供に疑問の声が……

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神戸製鋼コベルコスティーラーズ
「マズいものを何か盗もうとしていたんじゃないのか」 「本当に酔っぱらっていただけかねえ」  17日午前3時45分ごろ、兵庫県西宮市内の国会議員秘書宅に侵入した疑いで、男が逮捕された。だが、犯人が政治家と関係の深い神戸製鋼社員だったことで、政治記者や関係者の間では妙な疑いが浮上中だ。  逮捕されたのは、ラグビー界で知らない者はいないとされる元日本代表の中道紀和容疑者(43)。同志社大や神戸製鋼のラグビー部在籍時には関西紙の1面を飾ったこともある人物で、最近はフォワードコーチとしても活動中だった。甲子園署によると、本人は「酒を飲んで酔っていたので覚えていない」と話しているが、秘書の自宅リビングにいたところを飼い犬に察知され、逃げ去っているという。部屋を物色していた様子があったかどうかは捜査中のため明かされていないが、秘書が勤務する議員事務所は「まったく面識がない人物」と答えているものの、関西の記者からは「偶然にしては、ありえない組み合わせ!」という声が上がる。 「神戸製鋼と議員のつながりといえば、誰もが知る関係ですからね。それに、ちょうど昨年末は妙な怪文書が出回っていた」(同)  昨年末、一部マスコミに送付されたファックスには、先の衆院選の際、神戸製鋼が候補者に違法献金をしていたという内容が記されていた。同文書を手にした記者は「差出人は不明、証拠が提示されているようなものでもなく具体性に欠けていて怪文書と呼べる類いのものですが、過去のスキャンダルを思い出させた」と話す。  というのも、神戸製鋼は2009年2月、政治資金規正法で禁止されている違法献金の経緯を発表したことがある。地元の市議選や県議選で、元社員やOBらの候補者を支援していた中で、事務所費や人件費など約2,700万円を肩代わり。規正法が改正される前からの慣例だったようだが、この件で会長と社長が辞任した。  ただ、虚偽報告が疑われた議員たちの中には「資金の流れを把握していなかった」と謝罪した者もいたが、大半は「なんのことか分からない」ととぼけるありさまだった。謎を残すグレー決着のまま現在に至るが、神戸製鋼といえば、安倍晋三首相もOBとして知られ、政治家と深い関係を続けてきた大企業。今年4月には、東京電力福島第1原発に新設される放射性廃棄物の焼却設備と、使用済み燃料の貯蔵容器の100億円を超える公共事業を受注した。この深いつながりには“ウラがある”と常々ささやかれていただけに、神戸製鋼の社員が議員秘書宅へ侵入したというのは、いろいろな臆測を広げるものだ。  中道容疑者を知る人物によると「体育会系らしく、上司とか先輩に忠実で、信頼の厚いタイプ。選手時代のニックネームは突撃隊長で、最近でも何かあると率先して先頭に立つ人だった」というから、秘書宅への侵入が意図した“突撃”だったのか。別の知人からは「日ごろは酔って暴れたなんて聞いたことがなかったので、信じられない」という声もある。  いずれにせよ、一部の記者や関係者の間では、単なる酒酔いの失敗とは見られていないようだ。 (文=ジャーナリスト・片岡亮)
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80年代の洋楽雑誌は何を目指したか 『ロッキング・オン』渋谷陽一の動きを軸に考察

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87年に洋楽雑誌における売上げの首位を獲得した『ロッキング・オン』(1987年4月号)。

【リアルサウンドより】  80年代の洋楽カルチャーについて、当時のメディアを手がけたキーマンや、その時期に青春をすごしたミュージシャンたちの証言を中心に、各シーンに詳しい音楽ライターから寄稿されたレビューをまとめたムック本『80's洋楽読本』が、1月26日(月)に洋泉社より発刊される。  インタビュー企画には、石野卓球(電気グルーヴ)、カジ ヒデキ、片寄明人(GREAT3)、Zeebra、高木完、西寺郷太(NONA REEVES)、ハヤシ(POLYSICS)、松武秀樹といったミュージシャンのほか、大根仁(映像ディレクター)、小野島 大(音楽評論家/元『NEWSWAVE』編集長)、恩藏茂(元『FMステーション』編集長)、東郷かおる子(元『ミュージック・ライフ』編集長)、高橋芳朗(音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティ)、平山善成(クリエイティブマンプロダクション)などのメディア関係者が登場。同書の編集を担当したのは、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintで、猪又孝、円堂都司昭、岡村詩野、小野島 大、北濱信哉、栗原裕一郎、さやわか、柴 那典、麦倉正樹、宗像明将、吉羽さおりといった、リアルサウンドでも執筆中の評論家・ライターも寄稿している。  リアルサウンドでは同書の発売に先駆け、3回に渡って掲載記事の一部を紹介。第1回【カジ ヒデキが語る、80年代UKインディシーン「レーベルもやっていたS・パステルは神様でした」】では、カジ ヒデキのインタビュー全文を公開した。第2回では、文芸・音楽評論家の円堂都司昭による、80年代の洋楽雑誌についてのコラムを掲載。新たなロック批評が模索され、雑誌間で激しい競争が繰り広げられた時代を振り返る。(編集部)

『ミュージック・ライフ』から『ロッキング・オン』へ

 80年代の洋楽雑誌事情を振り返ったさい、目立つトピックとしてあげられるのは、87年に売上げ首位の座が『ミュージック・ライフ』から『ロッキング・オン』へと交代したことだ。ロッキング・オン社長で音楽評論家の渋谷陽一は、72年に『ロッキング・オン』を創刊したことについて、既存の洋楽ジャーナリズムに不満を抱いていたことが動機だと繰り返し語ってきた。不満の矛先のひとつは、海外のロック・アーティストをスターやアイドルとして芸能のノリであつかう、『ミュージック・ライフ』的なミーハー体質だった。だが、80年代の洋楽雑誌の首位交代をミーハーに対する批評の勝利と単純化することはできない。

『ロッキング・オン』がとった戦略とは

 新たなロック批評を目指して渋谷が友人たちと創刊した『ロッキング・オン』は、初期には投稿主体の同人誌に近い内容だった。インタビューがとれない代わりに架空のインタビューを載せる奇策もとった。架空だと断ったうえで、このアーティストならこう答えるだろうという原稿を書くことは、ひとつの批評の形ではあった。だが、それは、その人にはそうあってほしいというファンタジーだし、洋楽アーティストをアイドル視してあこがれるミーハー的ファンタジーの理屈っぽいバージョンだったともいえる。  70年代から80年代に移るにつれ、『ロッキング・オン』は実際のインタビュー記事が多く載るようになり、グラビアも増えて商業誌らしくなる。「音楽を文学的に読む、これがスタート時点における僕の素朴な方法論だった」(『音楽が終った後に』/ロッキング・オン)と述懐したことのある渋谷がはじめた『ロッキング・オン』は、アーティストをある種の物語の主人公のように位置づけ、作品をその人の心理の反映ととらえる傾向がみられた。また、商業誌らしくなった80年代でも、書き手の思い入れが文章に色濃い点では、同人誌的であり続けた。  しかもページ数が増え、とりあげるアーティスト数が増えた同誌は、マニアックな路線には走らなかった。渋谷は70年代に、クイーンのなかではルックスのよさでいちばん人気だったドラムのロジャー・テイラーを表紙にして、好売上げを経験した。そして、80年代には、デュラン・デュランからはボーカルのサイモン・ル・ボンでなくベースのジョン・テイラーを多く表紙に選んだという(『ロッキング・オン』09年10月号の創刊5 0 0号記念特別号での回顧対談から/ロッキング・オン)。『ミュージック・ライフ』的なミーハー感覚もとりこむことで、同誌を追撃したのである。

『ロッキング・オン』はなぜ求められたか?

 80年代は、81年のM T V 開局からはじまったミュージック・ビデオの流行と連動して洋楽雑誌が元気だった。だが、70年代には洋楽への芸能的な興味を満たすには『ミュージック・ライフ』が第1の選択肢であったのに対し、80年代にはテレビ朝日系のミュージック・ビデオ紹介番組『ベストヒットU S A』がそれに匹敵する媒体になった。洋楽のビジュアル面を伝える手段の重点は、雑誌グラビアからビデオにシフトしたのである。  それに対し、ビジュアル重視の芸能的興味からさらにもう一歩踏みこみ、活字の多い雑誌まで読みたいと思うような洋楽ファンが求めたのが、アーティストの心理だったのではないか。青春の懊悩を屈折した詞で表現し、「マドンナは組織化された売春」、「バンド・エイドは極悪非道」などボーカルのモリッシーが物議を醸す発言を連発したザ・スミス。リーダーのイアン・カーティスが自殺したジョイ・ディヴィジョンの残りのメンバーがはじめたニュー・オーダー。このような心理的な屈折を特徴とするアーティストたちが、『ロッキング・オン』や、同誌を意識して88年に創刊された『クロスビート』の誌面で、一般レベルでの知名度以上の存在感を持った。  ただし、男の子的な理屈っぽさから出発しつつ、ミーハー感覚にも目配りして幅広い洋楽ロックをとりあげるようになった『ロッキング・オン』にも、排除したジャンルがあった。渋谷は、同誌81年1月号掲載の「ヘヴィー・メタル・ブームはゴミじゃ!!」なる原稿で「一種様式化し、ギターのたれ流し的フレーズが横行」、「その音の持つ機能を自らで限定してしまった」などとメタルを大批判した。ヘヴィ・メタル/ハード・ロックは、70年代後半に新興勢力のパンクに押されていたが、80年ごろにはイギリスでメタルのニューウェイヴがおきていたというタイミングである。以後の『ロッキング・オン』では、メタルが片隅に追いやられることになる。

過熱する洋楽雑誌の競争

 一方、続く80年代には、ボン・ジョヴィ、ガンズ・アンド・ローゼズなど新世代が台頭し、ジューダス・プリースト、エアロスミスなど70年代世代も復権して、アメリカ市場を中心にメタル・ブームが到来する。それをフォローしたのは、84年創刊のヘヴィ・メタル専門誌『バーン!』(シンコーミュージック)である。結果的に『ロッキング・オン』と『バーン!』が棲み分ける形になったが、このことは、80年代末からアメリカでおきたグランジ・ムーヴメントへの日本の反応を遅らせることにつながったように思う。90年代初頭にニルヴァーナの大ヒットを生むことになるグランジは、今から考えると『ロッキング・オン』にとってはハード・ロック的でメタル寄りの音楽であり、『バーン!』からみればパンクよりだったといえる。  『ロッキング・オン』創刊の動機には、既存の洋楽雑誌への不満があったのだが、『ミュージック・ライフ』以上の仮想敵が『ニューミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン)だった。渋谷は同誌やその編集長だった中村とうようの文化人的な語り口を批判した。だが、70年代の日本語ロック論争で知られる『ニューミュージック・マガジン』が、この国の洋楽文化定着に貢献したのは間違いない。同誌は80年に『ミュージック・マガジン』に誌名を変更し、80年代には米英のロックが大半を占めたほかの洋楽雑誌とは違い、ワールドミュージックやロック以外のポピュラー音楽も積極的に紹介して独自性を発揮する。  また、82年に同誌別冊の形で創刊されたのが『レコード・コレクターズ』(ミュージック・マガジン)である。のちに独立して月刊化された同誌は、当初は50年代以前のポピュラー音楽を中心にあつかうマニア向けの内容だった。だが、80年代後半からは次第に60年代以降のロックを多くとりあげるようになり、今でいうクラシック・ロックのリイシューを特集する雑誌になっていった。

80年代洋楽雑誌をめぐるさまざまな環境

 70年代後半に登場したパンクは、それ以前の世代のロックを商業化したとして否定した。パンク以後の時代のロックはニューウェイヴ、パンク以前はオールドウェイヴと呼ばれ、前者を支持する評論家、媒体が後者を全否定するごとき姿勢をみせることも珍しくなかった。そんなころに渋谷は、パンク後に発生したメタル・ルネサンスを否定したのだった。  しかし、82年にC Dという新メディアが登場し、旧来のアナログ・ディスクからの置き換えが進むなかで70年代以前のロックの再発や音源の発掘が盛んに行われた。それは、活動継続中のベテランの需要再発見にもつながった(『レコード・コレクターズ』の読者の層である)。このため、新鋭とベテラン(&旧作)が並行して聴かれる状態になり、特定の時代や世代に読者を限定しない総合的な洋楽雑誌の場合、表紙には若手と大御所が交互に登場する状態となった。それが90年代以後の洋楽雑誌では、現在進行形の新鋭と熟年か死者である大御所の時代差がどんどん開いていくようになる。  以上のとおり、80年代を回想すると、雑誌間の競争、ジャンル間のせめぎあいだけでなく、ミュージック・ビデオの流行、C Dの普及など、他メディアの動向が洋楽雑誌に大きく影響していたことに思いあたる。そういえば、F Mラジオで流れる音楽を録音(エアチェック)することが流行し、放送予定曲を載せたF M雑誌が隆盛だったのも80年代である。それは、インターネットが普及するはるか前の、洋楽をあつかう雑誌にとって幸福な時代だった。 ■円堂都司昭 文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。
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『80's洋楽読本』(洋泉社)

■書籍情報 『80's洋楽読本』 発売日:1月26日(月) 定価:本体1400円+税  発行:洋泉社 【インタビュー】 ●石野卓球(電気グルーヴ) ●カジヒデキ ●片寄明人(GREAT3) ●Zeebra ●高木完 ●西寺郷太(NONA REEVES) ●ハヤシ(POLYSICS) ●松武秀樹 ●大根仁(映像ディレクター) ●小野島大(音楽評論家/元『NEWSWAVE』編集長) ●恩藏茂(元『FMステーション』編集長) ●東郷かおる子(元『ミュージック・ライフ』編集長) ●高橋芳朗(音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティ) ●平山善成(クリエイティブマンプロダクション) 【執筆者】 猪又孝 井上トシユキ 円堂都司昭 岡村詩野 小野島 大 北濱信哉 栗原裕一郎 さやわか 柴 那典 鈴木喜之 高岡洋詞 麦倉正樹 宗像明将 吉羽さおり

「『マネーの虎』で1,435万円マネー成立が、芸能の代表作です」【揚田亜紀】今は、“奇跡のストレスフリー”42歳

agaritaaki01.jpg  元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の31回目! 今回は1990年に「今世紀最大の美女」「第二の山口百恵」のキャッチコピーでアイドルデビューした後、『マネーの虎』(日本テレビ)にて華麗に実業家に転身。現在は健康総合プロデューサー、歯科医院経営者、好感度コミュニケーション講師として活躍中の揚田亜紀さんが来てくれました! ──揚田さん、このたびは本当にどうもあり…… 揚田 いえいえ! このたびは天下のサイゾーさんにお呼びいただいて、本当にありがとうございます! ──えっ!? サイゾーが天下取ったことなんてありましたか? 揚田 私の中では神ですよ! だってサイゾーなんていったら、もう、クリックの神じゃないですか!? クリックせざるを得ないでしょ? サイゾーといったらクリック!! ──この連載も、たくさんクリックしてもらえるように頑張ります! いやぁ、今回は揚田さんがいらしてくれるということで、前もってご友人の宍戸留美さんに、どんな方か聞いておいたんですよ。そしたら「すごい美人だけど、よくしゃべるよ」って。 揚田 もうね、世の中のよくしゃべる人をマシンガントークって呼ぶのは古いよ、そういう手垢のついた表現は。 ──は、はい……(言ってないよ)。 揚田 マシンガントークって、なんかさ、理性もなしに、しゃべりたいからしゃべりたいままに人の会話を無視してしゃべる、飲みたいときに飲むし食べたいときに食べる、性にはだらしがない、そういうしょうもない自堕落な奴みたいじゃない? ──さすがに、そこまで思ったことはないですよ! 揚田 だから、これからは“彩りトーク”とか言ってくれないかな。“華やかトーク”とかさ。そういうふうに表現できたら、その人、好感度が上がると思うんだよね。 ──今日も出だしから相当お口が彩ってますね! 今回はインタビューとグラビア撮影ですが、グラビアはかなり久しぶりになりますか? 揚田 久しぶりもなにも、オファーがないから!!(笑) 私だってアイドルのときにグラビアやりたかったんですよ!! 一度だけ水着になったことがあったんですけど、太りすぎてて反響がないどころか、その数カ月後に「Momoco」(学習研究社、現・学研ホールディングス)が廃刊になったんだから!!(笑) ──伝説のアイドル雑誌が、揚田さんの水着で廃刊に! 揚田 私がアイドルだったと証明できる唯一の雑誌だったのに……ちぎれるくらい持ち歩いてます! 自分が出てる号は、Amazonで追加して買ってるからね。もうボロボロになっちゃって、顔とかもすり切れちゃってるから。どなたか原本お持ちでしたらご提供くださ~い、あははは! ──お気持ちわかります! 私もデビューした年の本とか死ぬほど集めました! 揚田さんはご自分でいろいろできる方だから、大人の言うことを聞かなきゃいけないアイドル時代は窮屈じゃなかったですか? 揚田 当時から「自分はアイドルのプロじゃない」と思ってたから、プロの人に任せようと思って、言われたことは全部やってましたよ。相手は芸能事務所、プロモーションのプロだから、「髪の毛を切りなさい」って言われたらすぐに切ったし、「痩せろ」って言われたら……うまく実行はできなかったけど、やろうとはしてましたよ。ダイエット本まで出したくらいですからね。『やせるが勝ち!?』(1996年/実業之日本社)っていう、何百種類ものダイエットの失敗談の列挙という……普通は成功談を書くんだけど、痩せなかったからね~。アイドル界の小錦って言われてたのよ。 agaritaaki06.jpg ──えっ! 本当に!? 揚田 そっ、衣装が入らなくてね。忘れもしない「モモコクラブ」の最初のグラビア撮影のときに、足が太すぎてスキーの靴が入らなくて、無理やり履いたらパッチーンって留め具の部分に肉が挟まって「イギャギャギャギャギャ~!!」「うわ、アイドルの揚田さんの肉が挟まっています!」って、大変なことになったのよ! 骨格がアイドルに向いていなかったのね(笑)。 ──そんなバカな! キャッチコピーは「第二の山口百恵」なのに? 揚田 あれは……もう釣り広告みたいなもんでね。私のキャッチコピーは「第二の山口百恵」と「今世紀最大の美女」だったの。ホリプロの山口百恵を育てた人にスカウトされたからなんだけど、まぁ顔だけは痩せてたかもね……。顔だけのプロフィールでスカウトして、会ってみたらデブった三頭身で大変だったでしょうね。しまいには当時の社長が「そんなこと(第二の山口百恵とか)言ってない」って言いだしてさ(笑)。 ──もう、クリック詐欺みたいですね。 揚田 サイゾーみたいなもんだよね。あ、サイゾーは詐欺じゃないね、クリックリアル! サイゾーはクリックリアル! ──でも、アイドル業は相当儲かったんじゃないですか? 揚田 アイドル時代は、むしろ親に借金してるから。アイドル時代なんて売れるわけないし貧乏話がいっぱいですよ。食べ物も留美んちの冷蔵庫からかっさらってたんだから。おなかすいて、留美んちの冷凍庫のアイスというアイスを全部食べまくって怒られたり、あと近くのパン屋さんでパンの耳をこんもりたっぷり30円で買って、あまりにそればっかり食べてたから、店員さんに「何のペット飼ってるんですか?」って聞かれて、「手乗り文鳥16羽です」って答えてみたり。それくらい貧乏だったの。だから、実質稼いだのは実業家になる手前くらいじゃない? そこからは年収200倍だよ。まぁ元が貧乏だったからなんだけどさ(笑)。 ──200倍はすごい!! 『マネーの虎』効果ですかね? 揚田 アレでやっぱり人生変わったなぁ。私の代表作『マネーの虎』ですから! ──『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)じゃなく!? 揚田 人生初のプレゼンテーションで、1,435万円の投資を成立させましたからね。 ──健康ドリンクバーの店ですね! 『マネーの虎』で開業の資金源を獲得したにもかかわらず辞退されたと聞いたんですが、それはなぜ? 揚田 その後すぐに番組が終わることになって、追跡取材もないので、投資家側のメリットが変わってくるでしょうから、投資を申し出てくださった方にもメリットがなくなったら申し訳ないし、「私に投資しようと決めてくださったお気持ちに大変感謝して、お気持ちだけで、ありがとうございました」って、こちらから白紙に戻させてもらったんです。1,435万円のプレゼンを成立させたってたことが、後に大きな話題となりましたが。 agaritaaki03.jpg ──その後、開業に至るまで、資金源はどうされたんですか? 揚田 自分の貯金や、親から借りたり、バイトしたりして出しました。 ──自腹!? 揚田 1,435万円っていうのは、がらんどうからお店を作って、ランニングコストとかも含めて、「たとえ赤字でもしばらくは維持できます」っていう額だから、居抜きで出店したら全然もっと安くできたわけよ。 ──自腹で麻布十番に店なんて、すごすぎますよ!! それから10年ずっと人気店で、銀座に2号店まで出したのに、なぜ閉店させてしまったんですか? 揚田 なんか、欲が出てきたんだろうね。だいたい10年区切りでアイドルもやったし、実業家にもなったし、お店も2軒やった。やりきったの。そしたら今度は「女の子として生きてみたい」と思ったんだよね。17歳の頃からずっと普通の女の子とは違った生活をしてきたから、女の子としての私は、17歳で時間が止まってるわけよ。自分の違う可能性を試したくなったんだよね。お店をやっていると、「バイトの子、大丈夫かな」「食べ物は大丈夫かな」「お客さん楽しんでるかな」って、24時間、本当に休まるときがなかったの。もちろん最高に楽しかったけど、やっぱり責任もあるからね。そこで「なんにもない人生ってなんだろう」と思って、全部リセットさせてもらったの。そうして考えたのが「趣味じゃなくて、仕事として今、自分がやりたいことってなんだろう」──それが、講師業だったんだよね。それで、“好感度コミュニケーション”を開発したんです。 ──へー、なんで急にコミュニケーション講師に? 揚田 芸能っていう好感度が命の世界と、接客っていうコミュニケーションが物を言う世界で一番学んだことは「正しいことを言っていても嫌われる人と、正しくなくても好かれる人がいる」ってこと。そして、その違い。私なら、それを人に論理的に教えられると思ったの。そもそも芸能界にいるときも芸能人向けにレッスンしていたので。「好感度を十分に引き出すためにはどうすべきか。今、あなたが言った一言が、なぜ感じが悪かったかというと……」って。そして魅力的な表現の仕方を教える。だから講師業は、実は、10年以上前からやってるのよ。「仕事はできるのに、人から好かれない」とか「正しいことを言っているのに、なぜか友達がいない」とか「こんなに一生懸命やってるのに、すべて裏目に出る」とか、そういう空回りって、すごくかわいそうだと思う。私が独自に研究を重ねて作り上げた、特殊な“揚田メソッド”では、これらがすべて解決できるんです。 ──“揚田メソッド”って何!? えっと、いろいろと気になるんですけど、私、人からよく「壁がある」って言われるんですよ、どうしたら人から好かれやすくなりますか? 揚田 反射。私が教えているのは反射コミュニケーションだから、反射で好感度をキャッチできるようにしてるの。 ──は、反射で好感度をキャッチ……? 揚田 座学で「好感度とは~」「人から好かれるためには~」なんてやっても、頭でできた気になって終わり。まったく体に身についてない。論理的な解説はもちろんしますけど、実践にかなうものはないから、私のレッスンでは四の五の言わずに体で教え込むのよ。 ──やってみたいやってみたい! 仕事がうまくいかなかったり、婚活がうまくいかなかったり、家族間でうまくいっていないサイゾー読者と、好感度を上げたい私のために“揚田メソッド”を教えてください! 揚田 教えられないよ! だって普段それを、お金もらって教えてるんだもん! 生徒さんに悪いじゃん!(笑) agaritaaki04.jpg ──じゃあ書かないから、教えてよ!!(真顔) 揚田 えー……じゃあちょっとやってみせますけど、まず……(以下、企業秘密)……。 ──……おお!! すごい!! なんだかさっきよりも、ずっと揚田さんのことが好きになってきた……!! 揚田 これが揚田流・特殊メソッド“ひなぎき”よ……! ──“ひなぎき”とは? 揚田 それはね、ひなのように愛くるしく、そしてひな祭りのひな人形のように慎ましく……あれ? おひなさまのひなのように慎ましく……だったかな、まぁどっちでもいいんだけど、赤ちゃんのように愛くるしく、ひな人形の、あ、ひな祭りのおひなさま……だとカブってるかな、あれ? ひな祭りの……赤ちゃんのひなの……(省略)ちょっとどうにかして! 文字のプロでしょ!!(笑) ──わからないですよ!! 赤ちゃんみたいに愛らしく、ひな人形みたいに慎ましくってことですか? でも、揚田さんって、決して慎ましいタイプではないですよね。 揚田 はぁ~~~~~!? 私という存在を全部ひっくるめると慎ましさになるでしょうよ!! そもそも本当の慎ましさって? って、思うんだよね。本当の慎ましさって、自己主張の仕方が慎ましい人だと思う。人は誰でも自己主張をしたいものじゃない? でも自己主張を押し通すと嫌われる。控えめすぎると相手に捨てられる。私がよくしゃべるのは、相手の主張とのオトシドコロを見つけるために言葉のジャブを多く打つ。この配慮! だから私は慎ましい! 小明・宍戸留美・編集 ……(無言)。 揚田 あ、声を張りすぎってのは100%慎ましくないね(笑)。 ──うん、そうですね、うん……。あー、えっと、“ひなぎき”をはじめとした“揚田メソッド”の講座を受けた生徒さんたちは、どんな感じで卒業していかれるんでしょうか? 揚田 すごいよ。みんな「人生で初めて、こんなこと教えてもらった!」「具体的でわかりやすい」「こんなに楽しいと思わなかった」「気づいたら体で覚えてた」って。あと、私の授業を3時間受けた人が言うには「職場で、いろんな人から話しかけられるようになりました」「人から信用されるようになった」「誤解が解けました」とか。ビジネスマンは結果、出世や売り上げに反映されるので好評ですね。 ──すごい効果!! 一般の人は、どこに行けば講座を受けられるんですか? 揚田 基本は企業とか法人と組んでやってるけど、一般参加の方は私に直接メールして! マンツーマンでやった方が効果が早いからね! ──でも、お高いんでしょ? 揚田 ピンキリ!! ──気になった方は是非ブログから連絡を! ……あっ、話は変わるんですが、ご結婚おめでとうございます! 歯医者さんのご主人との出会いはどちらで? 揚田 出会いはね、旦那が勤めていた大学病院で診てもらったのが出会い。で、惚れ込んだのは、みんなでお食事をしてる時。何かのタイミングで「亜紀さんがいない時間、僕がマワシテおきますよ」って、業界用語を使ったのよ。それで後から注意してあげたわけ。「よく、芸人さんの真似する素人さんいるけど、あれ、本当にかっこ悪いからやめたほうがいいですよ、自分の言葉に変えてオリジナルで話したほうがカッコイイですよ」って。そしたら「違う。僕は芸人さんの真似をしたのではなくて、あの状況を次に進めたかっただけなんです。ただ、進めるにあたり、適した言葉が僕のボキャブラリーにはなく、見当たらなかったので、芸人さんの言葉を借りるしか思い浮かばなかった」って。  めちゃくちゃ自分の言葉で話せる人だなあーーって(笑)。それからリスペクトするようになり、仲良くなった時、私の“特殊メソッド”に興味を持って、「亜紀さんはすごい!」って私に惚れ込んだんだって(笑)。 ──へー! agaritaaki05.jpg 揚田 「こんな話は聞いたこともない」って感動してね……。旦那、学者なのよ。歯学博士号を持ってるから、研究でも論文ガンガン書いてる人で、歯医者もできるけど、私は研究者だと思ってる。そういう勉強してる人って、コミュニケーションの勉強はしてきてないから、私というものをナマで見て、びっくりしなんじゃない? こんなにキレイで、面白くて、人気者は初めて見たんだって! もんのすごいキレイだったらしいんだよね。もう輝いてたんじゃない? こんなにキレイで(3回目)、キレのある格言も持っていて、ビシッと論理的に話もできて、何より愛嬌もあるしね! 世の中の魅力という魅力が、全てバランスよく揃ってたんだと思う。性的な魅力だけなかったけど、彼は別にそこは求めてなかったから! ──確かに揚田さんはすごい美人です! けど、こんなに自分で自分を褒める人、初めて見ました! 揚田 え、私、自分で言ってる? でも美人だよね! 私ね、配置が良いんだよ。良くできた顔だって言われるの! シンメトリーっていうの? クリエイターとかの集まりがあると、すっごい好かれるんだよ、クリエイターって黄金比とか求めるから、芸術家とクリエイターに囲まれてじっくり顔見られながら「ここの比率がいい」とか会議されて、「ギリシア彫刻くらいしかないね、揚田さんの顔に並ぶのは」って……言われてたと思う!(笑) ──でも、アイドル時代にグラビアはやられなかったんですよね。 揚田 だからオファーがないから!!(泣) ──ご主人といえば、揚田さんは茨城県に歯科医院「ヒナ歯科&ケアクリニック」を開業されましたが、ご主人は、ご実家が茨城県なんですか? 揚田 そういうわけじゃなく、旦那が以前、茨城県で勤務していたときに地元の方にとてもよくしてもらったらしく、茨城が好きになったんだって。だから、東京の最新技術と設備を、茨城にそのまま持っていったんです。大学病院と同じレベルの治療が受けられるんだよ。本当に「こんなに明るくポップで、おしゃれで、腕がいい歯医者は初めてだ!」って言われるの。 ──えぇ~? 明るくポップ~? 歯医者がですかぁ~?(怪訝そうな顔で) 揚田 「好きなものを、なんでも食べてもらいたい」「女性を美しくしたい」という思いで旦那は治療してるみたいよ。歯医者に限らず、医療って閉ざされたイメージがあるじゃない? 歯を治す場所なのに行きたくない、なんて元も子もないじゃん! 行きにくいなんて、最も思われちゃダメな場所なんだよ。私が健康ドリンクバーの店を10年やってたときに、青汁っていう苦くて飲みにくいものをポップにのし上げたんだよね。青汁ビール作って、青汁ラーメン作って、青汁焼酎つくって……みんなが今まで好きだったものにブレンドすることによって「あ、青汁って美味しい飲み方あるじゃん!」って気づいてもらって、もんのすごいヒットしたわけ。そうやって健康業界をポップにしたから、今度は医療業界をポップにしようと思ってるの。歯医者って、だいたい「痛くなったら行く」でしょ? それから「痛くなくても(メンテナンスで)行かなきゃ」とか。でも、うちは「痛くなくても行きたい」って歯医者なの。だから、うちには歯医者恐怖症の患者さんもいっぱい来るよ。もう、入った瞬間にパァァって明るいから、すごく入りやすいし、腕もいいしね! おかげさまでバカウケしてます!(笑) ちなみにスローガンは「楽しいから笑うんじゃない! キレイな歯を見せたいから笑うんだ!」あ、運がよければ私の「魅力的な笑顔の講習」も受けられますよ! agaritaaki07.jpg ──揚田さんの歯医者なら、笑気ガスいらずかもしれない! ぜひ行ってみてくださいね! ところで、揚田さんはいつもポジティブでバイタリティにあふれていますが、ストレスはないんですか? 揚田 やりたいことをやっているからではなく、やりたいことが世の中から需要があって、さらにそれがお金になってるから、奇跡のストレスフリーなの!(笑) あ、この間、J-WAVEの秦基博さんの番組に呼ばれたの。テーマが『最もストレスのない人生を送ってる人』で、ゲストが蛭子能収さんと揚田亜紀。 ──(爆笑)!!! 揚田 そこで「奇跡のストレスフリー」って言ったら秦さんも「え? 奇跡のストレスフリー?」って。言葉を最も大切にする作詞家の人がワードで引っかかったんだから! つまりシンガーソングライターに、私のキーワードを伝授したってことでしょ? ……どうしよう、新曲に使われたら(笑)。 ──ネットで「秦さん作風変わった」って叩かれるかな……。 揚田 まぁ、「しゃべり方にキャラがありすぎて内容が耳に入ってこない」「早すぎて何言ってるかわからない」とも言われたけどね! ──トークが彩りすぎてたのかな! 本日は素敵な“彩りトーク”、どうもありがとうございました!! (取材・文=小明/撮影=宍戸留美) ●あがりた・あき 1972年6月7日、和歌山県生まれ。B型。 1990年、“第二の山口百恵”としてアイドルデビュー。『笑っていいとも』(フジテレビ系)、『鶴ちゃんのプッツン5』など、バラエティー、歌、ドラマ、映画、レポーター、著書『やせるが勝ち』など、多岐に渡り芸能活動をへた後、30歳、プレゼンテーション番組『マネーの虎』にて、1,435万円のマネー成立、実業家に転身。銀座と麻布十番で「健康ドリンクバー」を経営するや、たちまち人気店となり、メディアに多数とりあげられる。同時に、タレント新人育成と、お店のスタッフ研修で培ったコミュニケーション技術を独自のメソッドとして作り上げ、現在は法人を中心にOLからビジネスマン、経営者、医師など幅広い層を対象に「好感度コミュニケーション講座」を行う。2014年10月より歯科医院経営。 揚田オフィシャルブログ 揚田亜紀のアガリタアガリタ http://ameblo.jp/akinokihansamu/ ヒナ歯科&ケアクリニック http://www.hina-shika.com/ 揚田お問い合わせ agaritawork@gmail.com (担当 鈴木) ●ししど・るみ 1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
ルミネッセンス 形態:8曲入り 定価:¥2,500(税込) 品番:SNDL-0003/JAN:4514306011869 レーベル:sundaliru amazon_associate_logo.jpg
公式ブログ http://s.ameblo.jp/sundaliru/ ●あかり 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/>シングル「君が笑う、それが僕のしあわせ」発売中<http://www.cyzo.com/akr/>。

清原和博、「逮捕ない」と警察関係者暴露!? 『5時に夢中!』熱烈オファーで復活の兆しも

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『男道』(幻冬舎)

 昨年、“薬物逮捕カウントダウン”とまで報じられた清原和博だが、ここ最近はその話もとんと聞こえなくなっているようだ。年末には、“死亡説”がマスコミ関係者の間を駆け巡っていたが、果たして薬物報道の行方は?

「去年クリスマス頃の話ですが、『清原が搬送先の病院で死亡したようだ』という情報が飛び出したため、マスコミ各社とも必死に裏取りに動いていました。どうやら都内の路上で倒れ、救急車で運ばれたということは本当だったようですが、すぐに退院したことが明らかになりました」(スポーツ紙記者)