
市川哲史『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)
【リアルサウンドより】
やっぱりジャニーズの2014年は、過渡期の始まりだったのかもしれない。
本人たちのジャニーさんへの直訴により、増員デビューとなったジャニーズWEST。しかもファン投票でデビュー曲が決定したり、これら一連のプロセスがその都度ファンに報告されたりと、AKB48グループに通ずる育成エンタテインメント的展開は「ジャニーズらしくない」フレキシビリティーに映った。
そして<従来型の5人組アイドル>だったはずのSexy Zoneが、Sexy Boyz・Sexy松・Sexy Zoneの3ユニットから成る<謎の人数流動型グループ>Sexy Familyに再編成されたのも、同様の可変性に他なるまい。
なんかAKB48グループ的方法論に乗っかっちゃった感もあり、個人的にはやっぱジャニーズらしい王道を貫いてほしかった私である。
自分より歳上のタレントを好きだった女子が、歳下のタレントに乗り換える――いわゆる<担下り>現象が過去最高に顕著だからこそ、昨今のジャニーズJr.ブームを下支えしている。対象が無名であればあるほど人気者になるまでの成長過程の愉しみがいがあるわけで、母親気分でJr.の子たちに目星をつけるファンが急増している。主役のタレントではなく、そのバックで踊る自分の担当Jr.の子を観るためにコンサートに通うわけだ。
事実、私の大学の教え子のジャニオタも『Endless SHOCK』福岡公演に、堂本光一ではなく脇のJr.の子目当てで何回も通っている。
こうしたジャニーズ女子の性癖は以前から確認されており、だからこそ40代50代女子のジャニオタが多数健在だったりする。いわばAKB48はそんな伝統的な育成目線をエンタテインメント・システム化したに過ぎないわけで、本家のはずのジャニーズが追随しちゃうのは本末転倒だろう。自分が特許を持ってるのに使用料を払ってどうする。
とはいえ、Hey!Say!JUMP以降のレギュラーグループの「小粒化」と過熱するJr.「青田刈り」による、次世代カリスマ不在の横一線混沌状態もまた、ジャニーズ帝国にとっては必然的な過渡期なのである。しばらく続くだろうなぁ。
それでも、そんな不安定な一年を支えたのが<トリプル・アニバーサリー>だった。TOKIOデビュー20周年・嵐結成&デビュー15周年・関ジャニ∞デビュー10周年である。
とりわけTVメディアに強い3組なだけに、連日大きく報道されることで彼らの周年現象はアナウンス効果で増量、いよいよ華々しく報じられたのも大きい。この3組がもたらした安心感に、昨年のジャニーズは救われたのだ。
嵐がトップアイドルの“襲名披露”をした2014年
中でも最大のトピックは、やはり嵐の結成15周年になるのだろう。
3万人を動員した記念ライヴ@ハワイは、22億円の経済効果と共に連日メディアを賑わせたし、NHKのドキュメント番組を筆頭に15年間の歩みを語る嵐の姿を、こぞってTV各局が「広報」した一年だった。
そして、いまやジャニーズ系のみならず日本のアイドル業界の頂点に君臨しているのが嵐だということが、ようやく日本人の共通認識として成立した年でもあった。
実際、彼らはデビュー10年目の2008年に、国立霞ヶ丘陸上競技場ライヴをSMAP・ドリカムに次いで実現させると、2014年の競技場解体までに最多の15公演を開催した。セールス的にもその08年、『truth/風の向こうへ』『One Love』で年間シングルチャートの1位2位を独占すると、翌2009年にはシングル・アルバム・DVD・総売上金額と史上初の年間チャート4冠を達成。さらには同2009年から2013年の年間アルバムチャート1位を、2012年を除いて毎年獲得しているのだから、実績は問答無用だ。
もちろんシングル3Wが全て年間トップ5入りし、最新アルバム『THE DIGITALIAN』は『アナ雪』サントラ盤に次ぐ年間2位と、節目の2014年も他を圧倒した嵐である。
けれども一般の人々から見れば、王座は知らない間にSMAPから嵐に禅譲されていた印象が強い。前述したデビュー10年目の2008年にau、2010年からキリンビール・任天堂・日立・JAL、2012年から日産と、気がつけば嵐はTVCM常連のナショナル・クライアントを抱えていた。『紅白歌合戦』の司会も2010年を機に、中居正広から嵐にバトンタッチ――その交替劇はあまりにスムーズすぎて、印象的には未だSMAPがナンバーワンだと思い込んでるお茶の間がまだまだ多い、と推察できる。
それだけに、「いやいや、実は嵐がトップアイドルなんですよSMAPじゃなくて」と説明・普及に努めるのに最適な機会が、この結成&デビュー15周年だったのだ。一度は通らねばならない手続きというか、まさに嵐にとってのラストピースである<ハクづけ>の一年。<襲名披露の一年>。
涙ながらに心情を語るリーダーの姿や「突然のデビュー会見@ハワイ」話が、どれだけ茶の間に流れただろうか。いやーめでたいめでたい。
とはいえ、デビュー曲の『A・RA・SHI』がほぼミリオンセラーだったにもかかわらず、初アルバムを出してもらえるまで2年懸かったのもまた、嵐だ。そして長く商業的成功に恵まれず、後続のグループに次々と追い抜かれる憂き目を見た。
たとえば嵐の初ドーム公演はデビュー9年目でようやく実現したが、デビュー4年目の後輩・NEWSと同じ2007年だった。KAT-TUNなんてその1年前の06年デビュー公演が、いきなり東京ドームときたもんだ。不遇というか、最初の6~7年は15周年なんて夢のまた夢の、超<崖っぷちアイドル>だったのである。
私が嵐と特に頻繁に逢っていたのがデビュー5周年の2004年から06年頃だったりするから、そんな当時の彼らの姿がなおさら懐かしい。
デビュー20周年のTOKIOに謝りたいこと
と<あのころの嵐>を振り返る前に、昨年デビュー20周年を迎えたTOKIOにもどうしても触れておきたい。というかこの機会に、積極的に謝りたいのである。
2014年のバラエティ番組平均視聴率ランキング年間1位がなんと『ザ!鉄腕!DASH!!』だったりするように、実はTOKIOはいまや<お茶の間キング>なのだ。
そんなTOKIOのCDデビューより1年早い1993年暮れに、私もロッキングオン社から独立して新雑誌『音楽と人』を創刊した。もちろん日本のロックがメインのインタヴュー誌だったのだけど、まず各レコード会社に対して「『ロッキングオンジャパン』へのプロモーションを自粛していたアーティストも、遠慮せずどうぞ」と鎖国を解いたため、ユーミンからガールポップ(←死語)からソニマガ系から、なんでもありのラインナップだった。
折りしも日本のロックとJポップ一色に染まった、まさにアイドル冬の時代。当時はソニーレコード所属ということもあり、ジャニーズ起死回生のアイドルバンド・TOKIOのプロモーションを『音人』も受けた。たしか94年12月リリースの2ndシングル『明日の君を守りたい~YAMATO2520~』のときだと思う。当然それまでジャニーズとは無縁だったのだが、虫の報せか取材することにした。
ところが取材直前になり、ドラマ撮影の都合から長瀬+山口の欠席が判明。そこで私が面白がって企画したのが、城島茂(g)+松岡昌宏(ds)+国分太一(kb)+筋肉少女帯の大槻ケンヂ(vo,b)という、《TOKIO with 大槻ケンヂ》バンド座談会だったのだ。邪道とはいえ経験豊富なロッカー・大槻が、まだまだ青い果実のTOKIOにロック道を説く。しかもわざわざ楽器をセッティングして、スタジオ・ライヴの模様を撮影(失笑)。そのくだらなさに大いに納得した私は、撮影だけで現場をあとにした。
それから半月。掲載号の発売日、我々はジャニーズ事務所からいきなり出禁を食らった。その理由はただひとつ――大槻の素敵な教えの数々であった。
1.ロックバンドは各自のエゴのぶつかり合いだ!
2.女のことでモメなきゃ駄目だ!
3.少なくとも3回、朝4時のデニーズで誰かを辞めさせる密談をしないと、ロックじゃない!
4.どうせバンドはモメるから、もう売れてる時にこそピンでやる時のことを考える!
5.生き残りたかったら、友情なんか三の次、四の次! まずはピンでやる時の根回し! もう売れるほど、伸びるほど頭の垂れる稲穂かな。
6.アイドルとロックの中間のTOKIOは、そのうちどちらの路線を選ぶか悩むはず。しかしロックを突き詰めようとすれば、絶対解散する!
7.ロックはワンフをパックンしてなんぼ!
8.あとドラッグ。
おいおい。松岡は当時、まだ17歳だっつうの。ちなみに城島は大槻稀代の名曲「ボヨヨンロック」が好きで、昔から国分とコピーしていたらしい。
というわけで嵐の話は後編につづく(苦笑)。
■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は
『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)