探偵ファイルに一通の読者メールが来た。
Subject: 探偵ファイルへ問い合わせ!
----少年サッカーの監督という立場のDV
沖縄県にある少年サッカーチームの監督が今起こしている事件で、私達が支援し続けている女の子の話です。・・・(続きは探偵ファイルで)
日別アーカイブ: 2015年1月13日
ご近所トラブル!? ゴミの不法投棄をやめさせるために監視カメラ!
昨年、中野区の「第130回個人情報保護審議会」を傍聴しました。
いくつか議題にあがりましたが、中でも探偵が気になったのは「ごみ集積所等への不法投棄監視カメラの設置」です。
私どもの事務所を訪れるご相談者様も、不法投棄を含めた多種多様な近隣トラブルに悩む方は非常に増えています。・・・(続きは探偵ファイルで)
いくつか議題にあがりましたが、中でも探偵が気になったのは「ごみ集積所等への不法投棄監視カメラの設置」です。
私どもの事務所を訪れるご相談者様も、不法投棄を含めた多種多様な近隣トラブルに悩む方は非常に増えています。・・・(続きは探偵ファイルで)
国民的アイドルへの第一歩!気が付けばアダルトデビュー?
アイドルを目指す女の子にとって、第一歩となるオーディション。
数ある中でもとりわけて志望者が多く、注目度も高いのはA○B48のオーディションだろう。
毎年のように消えそうと言われながらもそんな気配を微塵も感じさせない活躍ぶりは、複数回受けてやっと合格したメンバーが多く存在するという事実が物語っている。・・・(続きは探偵ファイルで)
数ある中でもとりわけて志望者が多く、注目度も高いのはA○B48のオーディションだろう。
毎年のように消えそうと言われながらもそんな気配を微塵も感じさせない活躍ぶりは、複数回受けてやっと合格したメンバーが多く存在するという事実が物語っている。・・・(続きは探偵ファイルで)
老人にモチを食わせてみる
お正月といえば「おもち」ですよね、僕はおもちが大好きです。
そしてもう一つ僕が大好きなのが「おじいちゃんおばあちゃん」
実は今回とってもおいしいおもちが手に入ったので、街行くおじいちゃんおばあちゃんに食べさせたいと思います。・・・(続きは探偵ファイルで)
そしてもう一つ僕が大好きなのが「おじいちゃんおばあちゃん」
実は今回とってもおいしいおもちが手に入ったので、街行くおじいちゃんおばあちゃんに食べさせたいと思います。・・・(続きは探偵ファイルで)
浜田雅功の数珠に疑惑、NHKトップが爆笑問題に苦言、IZAMが炎上、中村昌也がピンチ……年始早々大騒ぎの芸能界
ベテランデスクTと新米記者Hが、今週の芸能ニュースを振り返ります。
“浜田の愛人”こと吉川麻衣子。
ダウンタウン・浜田雅功の数珠に「愛人とおそろい」
デスクT さあ立ち上が~れ~、まつ毛に力を~♪
記者H T先輩、新年1発目からどうしたんすか?
デスクT “矢口の元夫”こと俳優の中村昌也が、8日放送の『ダウンタウンDXDX』(日本テレビ系)で“目ヂカラ”アップのために「まつ毛エクステ(まつ毛に、人口まつ毛を接着する技術)をしている」と告白したから、俺もまつ毛を濃くしてモテようと……。
いまだにギャラは1時間10~20万円! プライベート切り売りのビッグダディ“生き残り”術
昨年10月に岩手県盛岡市内にあった自宅兼店舗「ほねつぎ盛岡屋」が全焼し、漫画喫茶で生活していたビッグダディこと林下清志。そんなダディが5日から東京・浅草橋の焼き肉店の一角にリラクゼーションサロンの“新店舗”を構えた。 「クリスマスに家族で都内に引っ越してきたようです。相変わらず特番やイベントなどちょこちょこオファーはあるみたいで、それもあって東京に拠点を移すことにしたそうですよ。タレント活動もいつ終わるか分からない状態ですから、少しでも地に足をつけた生活をしようと思ったんじゃないですか」(テレビ局関係者) ところが、当の本人にはそんな考えがまったくないのだという。 「実は、ギャラはいまだに“素人枠”で今、1時間10~20万円くらいと破格なんです。要は、月に5本くらい番組に出れば100万円近く稼げるので安泰だと、周囲には漏らしてますよ。最近は『LINE』のCMに出演するなど、活躍の場を広げてますからね。需要がなくなりそうになったら本人はまた再婚、離婚でもすればなんとかなると思ってそうですね」(芸能事務所関係者) 実際、大みそか放送のフジテレビ系『2014→2015 ツキたい人グランプリ~ゆく年つく年~』で元妻でタレントの美奈子と離婚後テレビ初共演を果たすなど、相変わらずプライベートの切り売りをしていたダディ。なんだかんだで、今年も芸能界をにぎわす存在なのは間違いなさそうだ。『ダディから君へ』(大洋図書)
J−POPの歌詞は本当に劣化したのか? 磯部涼×中矢俊一郎が新たな価値を問う

『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)
中矢「『最近のJ-POP、翼広げすぎ、瞳閉じすぎ』というような揶揄がウケるのはなぜ?」
中矢:それにしても、歌詞フィリア(前編参照。歌詞に過剰に感情移入するタイプのリスナー)が増える一方、「最近のJ-POP、翼広げすぎ、瞳閉じすぎ」(もともとはネットで広まったテンプレートで、『朝日新聞』2012年4月4日付け朝刊の記事「Jポップ歌詞、瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も」でも取り上げられた)というような揶揄がウケるのはなぜなのでしょう? “新しい音楽とことば”を良いと思う人と、悪いと思う人との間の断絶が深まっているということでしょうか? 磯部:前編でも言ったように、『新しい音楽とことば』の前作にあたる『音楽とことば』の監修者・江森丈晃は、同書の前書きで、制作動機について〈「10年前までは、まったく日本語の音楽を聴くことがな」かった「自分にも、確実に刺さり、気持を揺さぶられ、“この歌詞を書いた人は、いったいどんな回路を持っているのだろう?”と興味の湧く言葉というのが増えてきた」〉と書いていたわけだけれど、実際は、『音楽とことば』が刊行された09年の10年前――つまり、00年前後と言うと、日本のポピュラー音楽の歌詞が劣化したと盛んに言われた出した時期なんだよね。その延長に「最近のJ-POPの歌詞、翼広げすぎ」という物言いもある。 例えば、歌詞フィリアと歌詞フォビアという二項対立についての北田暁大の論考「ポピュラー音楽にとって歌詞とは何か――歌詞をめぐる言説の修辞/政治学」が掲載された『ユリイカ』の〈特集「Jポップの詩学――日本語最前線」〉における、近田春夫といとうせいこうによる対談でも、冒頭から“最近のJ-POPの歌詞”は以下のようにディスられまくっている。 近田 …Jポップ以前の、たとえば「はっぴいえんど」や松本隆の時代は…楽曲と歌詞の問題を構造的に捉えていて…どうやって日本語独特の言い方を組み込んでいけるかトライしていたはずなんだ。 いとう どんな内容をどう歌うかについて、問題意識を持っていたということだよね。 近田 それが、ある時点以降、そうしたポップスの大前提の問題解決をまじめに考えなくなってきた。歌詞の、表現としての価値が問われないシステムができあがったんだよ。 いとう 要するに、歌詞のレベルが全体的に低い、低くても許されている、と。 近田 そうそう。ひとつ例を言うと、Jポップの歌詞で「季節のなかで」ってコトバがしばしば使われるんだけど、よく考えてみれば日本語にこんな表現はないでしょう。だって、具体的にどういう意味かわかる? 聞き流すとなんとなく分かった気にはなるんだけど、やっぱりヘンだよね。 (『ユリイカ』03年6月号、青土社より) また、同誌に栗原裕一郎が寄稿した論考「“文学的内面”の呪縛を清算しても、“文学”として“Jポップ”を読むことは可能か、についての試論」では、湯浅学による一青窈「もらい泣き」(02年)についての以下のような酷評が引用されている。 こういう意味のわからない歌でも泣けてしまうのは、いかに自分が不安定であるか、という証拠。ちょっとした型があればそこにハマってしまう。だからそいつらに向けた言葉もゲル状になって、日本語がドロドロになるんだよ。 (『SPA!』03年4月29日/5月6日合併号、扶桑社より) 一方、『新しい音楽とことば』では、七尾旅人が、98年にデビューし、それこそ、“ゲル状”の、“日本語がドロドロにな”ったような歌詞を書いていた当事者として、以下のように語っているんだよね。 ――デビュー当時、旅人さんの歌詞は意味深長なものとして受け取られて、分析されることも多かったんじゃないですか? ●それはありましたね。まあ、「意味わかんねぇ」みたいに揶揄されることも多かったですが、面白いと思って深み読みしてくれるひともいました。でも、あれから15年経って、我ながら「なんであんな歌詞書いたんだろう」って思います(笑)。今はまたアプローチが変わってますからね。 (磯部涼・編『新しい音楽とことば~13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』、P221) ――以前、デビュー当時を振り返って「世界が多層化して軸を失っていく中で、若者たちの主体がさまよっていた時代だった……」というようなことを話してくれましたよね。 ●…そもそも、友達がいなかったから、他の若者の主体がどれぐらいさまよっていたか正直わからないんですけど、「自分はこんな時代に何を言葉にしたらいいんだろう」ということはすごく執拗に考えていて。 (中略) それは個人的な未熟さも大いに関係してるから、時代のせいにばかりはできないけど……。同時期に出てきたミュージシャンの歌詞を見ると、そういう感覚は僕以外にもあったんじゃないかな。 ――その当時、作詞で注目されていたシンガーソングライターというと、中村一義や椎名林檎あたりでしょうか。 ●うん。あと、スーパーカーや国府達矢もそうですけど、それ以前の歌詞とはガラッと変わったようなところがあったんじゃないかな。みんな、アプローチは違いましたけど。僕より10歳くらい上のバンドと比べて、主体が明確じゃなくなったというか。思うに、“私”というものがすごく希薄化したんです。当時デビューした中でそれが一番極端なのが、僕だったと思います。一曲ごとに登場人物も声色もコロコロ変わって主体がさまよってた。 ――いわゆる当時のJ-POPに目を向けても、小室哲哉や宇多田ヒカルの歌詞もどこか不安定な印象がありますよね。 ●そうですね。僕自身、主体がうっすらとしていることはコンプレックスでもあったけど、その希薄さは自分たちの世代の新しさかもしれないと考えてもいました。たとえば、フォークの世代の人たちって主体が太くてはっきりしてると思うんです。団塊世代の歌詞を見返してみると、筆で書いたみたいに主体が太いでしょう(笑)。彼らが歌い始めた60年代や70年代はそれくらいの主体を獲得できた時代だったのかもしれないですよね。さらに上の世代になると、もっと太くて明解になる。逆に言うと、今の若い子が聴いたら素朴に思えちゃうくらい。僕はどうしてもそこまで主体を単純にはできないんです。何を書くにも必死に綱渡りしている感覚がつきまとうというか。明確なポジションから、明解な口を利くということが難しい。 (同上、P219) つまり、旅人くんは、J-POPの歌詞が“劣化”したわけではなく、むしろ、社会の流動化に合わせて“変化”したのだと考えている。そして、湯浅さんが指摘するところの“ゲル”化が進んだ――リスナーが置かれている状況の不安定さに合わせて、歌詞も不安定になった結果、リスナーが「この歌詞を他の人は意味がわからないというけれど、私にはわかる」「これは私の歌だ」というふうに思い込んで歌詞との共依存が深まり、歌詞フィリアが増えたと考えられるんじゃないかな。あるいは、ひとくちに“劣化”と言っても、“ゲル”化と、「翼広げすぎ、瞳閉じ過ぎ」と揶揄される“テンプレ”化は区別したほうが良くて、社会のあり方が複雑になったことによってかつてのようなわかりやすい国民歌謡が生まれにくくなり、“ゲル”化が進んだのだとしたら、それでもなお、多くの人が共有できるポピュラー音楽をつくるために試みたのが“テンプレ”化だと言えるのかもしれないね。磯部「現代においてすべての表現は“ラップを通過したもの”という形でしかあり得ない」
中矢:なるほど。ところで、『新しい音楽とことば』では、いわゆる“ラッパー”には取材をしていないんですよね。磯部さんのファンはちょっと不思議に思ったかもしれませんが、同じ版元から日本語ラップの“歌詞”に焦点を当てたインタヴュー集『ラップのことば』(2010年)と続編『ラップのことば2』(14年)が過去に刊行されていたという事情があり……。 それはともあれ、今回の本の中でもラップの話題は度々出てきていて、例えば、JAZZ DOMMUNISTERSで同ジャンルにアプローチしている菊地成孔さんは、「ポップスとラップは言葉の数が一番の違い」「ポップスにおける歌のフローや音程がラッパーのライムと同じくらいの細やかさで動いていくと」「(歌詞も)ある種のネクスト・レベルになると思うんです」と語ってくれました。実際、USでは、ドレイク以降、ラップと歌の間を行き来するようなフロウが流行っているわけですが、菊地さんに言わせるとドレイクは「メロディが素朴」「僕が言っているのはそういうことではなくて、ラップのフローをトレースして、打点を全部譜面に起こして、そこに音程をつけて歌っていくということ」。そういう意味では、「ヤング・サグはいいですよね。ジャズのスキャットに近い。ラップしながらメロディを生成していく」点に可能性を見ていると。日本でもそろそろ似たようなアプローチをするラッパーが登場するのかもしれませんし、そういった動きの中から従来とは異なる構造の歌詞が出現してくる可能性は確かにあると思います。 磯部:この前、岡田利規(チェルフィッチュ)の新作パフォーマンス「ポストラップ」を観に行ったのね(2014年12月23日、東京都現代美術館)。それは、岡田さんが、SOCCERBOYというラッパーがラップしているところに振り付けをするというもので、“ラップを越えるもの”みたいなニュアンスを感じさせるタイトルや、告知にあった「ありがちなラッパーのからだの動きを更新すべく…」って一文にちょっとカチンときて、「お手並み拝見」ぐらいの気持ちで足を運んだんだ。だって、わざわざそんなことやってもらわなくても、ラップ・ミュージックでは、日々、音も動きも更新されているし、世界的に見れば今や同ジャンルこそが文化全般を引っぱっているわけだし、SOCCERBOYこそが日本におけるそのカッティング・エッジなわけだからね。果たして、「ポストラップ」は、振り付けが大した効果を発揮しているとも思えず、「SOCCERBOYのラップはやっぱりすげぇなぁ」という感想しか浮かばなかった。ただ、タイトルの“ポスト・ラップ”を、“ラップを越えるもの”ではなく、“ラップを通過したもの”と捉えるならば、現代においてすべての表現はそういう形でしかあり得ないということを再確認させてくれる機会ではあったかなと。 例えば、現在のポップ・ミュージックを代表するスター=テイラー・スウィフトの近作にしても、ループ感のあるバックトラックや、ライミングを意識したヴォーカルはポスト・ラップ的だとも言えるんじゃないかな。もちろん、後者は、彼女の出自であるカントリーの要素でもある。また、プライヴェートやパブリックイメージとフィクションが交差する歌詞は、前編でも話題に出た、シンガーソングライターの楽曲における私小説性という古典的な問題を内包している。ただ、それらの手法は、近年、他でもないラップ・ミュージックが発展させてきたものだし、テイラーは絶対その辺りも踏まえていると思う。そういう意味では、日本だと、『新しい音楽とことば』にも参加してもらった大森靖子はポスト・ラップ的な表現をしている人だと言えるんじゃないかな。最近は、J-POPでもライミングをするのが当たり前になってきたけど、意味ではなく韻律に偏ったナンセンスなものになりがちで、それに比べて、大森さんの「ノスタルジックJ-POP」ではライミングならではの文学性が表現されている。 ただ、日本ではストレートなラップの面白さが世間一般でなかなか理解されないという状況があって、その対策としてドレイクなんかとは別の文脈から、歌とラップの中間のようなフロウが開発され、FUNKY MONKEY BABYSみたいなガラパゴスなポスト・ラップ・グループが人気を得たものの、もともとは、ハードコア・ラップ・グループ=MSCと共演していたファンキー加藤も、今や彼の歌からルーツはまったく窺い知れないようになってしまっていて……そんなJ-POPにおいて、コマーシャリズムとポスト・ラップ的な歌詞の面白さを両立させているのが、例えば湘南乃風なんじゃないかな。もちろん、彼らのルーツはダンスホール・レゲエだけど、同ジャンルはヒップホップとは密接な関係にあるので、湘南乃風もポストラップ・グループと言ってもあながち外れてはいないと思うんだよね。磯部「湘南乃風も泣かせる歌をつくっているものの、それは、単なる“しのぎ”ではなく、“ほんき”でもあると思う」
中矢:そういえば、『新しい音楽とことば』の校了後、〈パシフィコ横浜〉で行われた湘南乃風のメンバー=HAN-KUNのソロ・ライヴに伺ったんですけど、マイルドヤンキーがメインといえる客層で、まるで郊外の巨大ショッピングモールにいるような感覚になりました。しかも、小学校低学年くらいの子連れ客も多かった。それは、湘南乃風の大出世曲「純恋歌」が2006年の発表後に結婚式の定番ソングになったことと関係しているのかもしれません。また、年末には〈さいたまスーパーアリーナ〉であった湘南乃風のライヴに磯部さんと行きましたが、やはり会場は似たような客層と雰囲気でした。 今回の本の中で、その「純恋歌」について若旦那さんに深く訊いたところ、若者だった自分たちの生活を描写することで時代を切り取ろうとしたラヴ・ソングだと言っていましたよね。「大親友の彼女の連れ/おいしいパスタ作ったお前」とか「パチンコ屋逃げ込み/時間つぶして気持ち落ち着かせて/景品の化粧品持って 謝りに行こう」といったラインがあるあの曲は、ネット上で“DQNソング”などとネタにもされてきましたが、マイルド・ヤンキーという用語が登場するはるか前に、彼はそう括られる若者がリアルだと思えるよう、極めて戦略的に一語一語を身のまわりから探し出し、歌にしていった。そして見事、大ヒットした。つまり「純恋歌」の歌詞は、ある種の私小説性も備えていると同時に、マーケター的な視点によって書かれたものとも言えますよね。 磯部:「純恋歌」の若旦那のヴァースに出てくる“大貧民”はトランプのゲームで、全国的には“大富豪”と呼ばれているけど、地元では“大貧民”だったので、歌で使うのもその単語でなければいけなかったとか、“パスタ”に関しても、仲間内でイタリアン・レストランのことを“パスタ屋”と呼んでいたので、“スパゲッティ”ではなく“パスタ”でなければいけなかったとか、ローカリズムにこだわりつつ、アンダーグラウンドで生きてきた自分の経験を基に集団暴行のことを歌っても共感してくれる人は少ないだろうからラヴ・ソングをつくった……と言っていたよね。「ポップスに恋愛の歌が多いのは、万人がいちばん引っかかるからなんですよね。どんなヤクザの親分だって、どんな真面目なサラリーマンだって、キュンとするポイントが一緒だったりするでしょう。だから、ラヴ・ソングはヒットしやすい」と。 “マイルド・ヤンキー”というマーケティング用語についてどう思うか? という質問も、怒られるかなと思って恐る恐る訊いたんだけど、返ってきたのは意外にも「マイルドヤンキーみたいな層に目がけて曲をつくってきたようなところはありますね」「俺たちのターゲットは、仲間意識が強くて、純粋で、でもちょっとおバカさん、みたいな人たちなんですよ。みんなでワイワイするのが好きで、“ここに一生ずっとみんなでいられたら俺らは幸せだよな”って言ってるような。そこで鳴らす音楽は、湘南乃風がピッタリだって思う」というまさにマーケター的な答えだった。 ちなみに、『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、09年)に収録された「ヤンキー音楽の系譜」という論考で、近田春夫が「ヤンキーにとって、音楽は目的というよりむしろ手段であることが、結果的にみて多い…平ったくいえば、それは表現である前にまずビジネス(しのぎ)なのだ」と定義した上で、「いま(商売としての)音楽を取り巻く事情も加速度的に厳しさを増している。そんな中でヤンキー達はどう音楽と向き合ってゆくのか? ひとつだけ言えることがあるとするなら、彼らはますます安あがりに“感動”させることにスキルを特化させていくに違いない…泣かせる歌を作ることにそれこそ血道をあげることだろう。売れるのはそこだからだ」と予測していて、示唆に富んだ指摘だと思うけど、些かドライすぎる感じもするんだよね。だって、確かに、湘南乃風も泣かせる歌をつくっているものの、それは、単なる“しのぎ”ではなく、“ほんき”でもあると思うんだ。例えば、若旦那さんはこんなことも言っていた。 ●…俺が東京でそういう(引用者注:湘南乃風のような)歌に出会ってたら、もっとまっすぐな人間になれた気がするんです。「喧嘩は大人からしたら犯罪だけど、お前は仲間を守るためにやったんだろ?」とか、そうやって少しでも自分を肯定してくれる歌があったら、俺はもうちょっとマシな方向に進んだんじゃないかと思ってて。でも、あの頃(引用者注:若旦那の青春時代)の東京の不良にはそれがなかった。ホントにヤクザみたいな世界で、昨日まで友達だったヤツらにいきなりリンチされたり。そういう生活を振り返ったときに、不良の規範となるような音楽があればいいのにと思って、湘南乃風でそれを体現しようとしたんですよ。だからこそ、マイルドヤンキーの子たちにウケたんでしょうね。 (磯部涼・編『新しい音楽とことば~13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』、P342) 単行本にそのやり取りは収録されていないけど、この後、僕が「それって“キャッチャー・イン・ザ・ライ”ですね!」と言ったら、若旦那さんが「その小説は知らない。ただ、まさにそういうことがやりたいんです」と頷いていたのも印象的だった。00年代以降のJ-POPにおいて、“テンプレ”化と共に、“泣ける曲”や“アガる曲”みたいに楽曲の用途がはっきりとした“サプリメント”化が進んだという批判もあるよね。でも、湘南乃風はそれを承知の上で、自分たちの音楽や自分たちのライヴを不良の子たちのためのセーフティネットとして機能させようとしているんだと思う。年末に行われた〈さいたまスーパーアリーナ〉のライヴでもヤンチャそうな子たちがここぞとばかりに楽しんでいたし、若旦那さんもステージからフロアに対して「みんなおつかれさま。1年、頑張ったな」って繰り返し声をかけていた。その熱さを小馬鹿にするのは簡単だけど、日本ではアンダーグラウンドなヒップホップやダンス・ホールレゲエのシーンがコミュニティとして上手く機能していない現状にあって、湘南乃風はそれを一手に引き受けているようにも感じたな。 中矢:若旦那さんとターゲット層がまったく違いますが、やはり『新しい音楽とことば』に参加して頂いたじんさんも同じようなことを試みているのかもしれないですね。「ボーカロイドは歌でフィクションをやろうとしたときに、生ぐささをなくして他人に伝えられる絶好の機械だと思ったんですよ。カゲロウプロジェクトは僕個人が描かれた物語だとは思ってもらいたくなくて」などと冷静に語る一方、「僕は小さい頃、しゃべれるようになるのが普通の人より遅くて、勉強もできなくて……」「僕はバックホーンに救われましたから。歌詞カードを読みながら聴いて『カッコいい』と思って涙を流していました」「あの頃の僕みたいに、『ひとりぼっちだ』と思っている人を変えていけたらいいなと思って(自分の音楽を)つくっている」といったエモい発言もしていたのが印象的で。 磯部:そこで、湘南乃風とじんがつながるのが面白いよね。あるいは、じんさんと、『新しい音楽とことば』にも参加してくれた高城晶平のグループ、ceroを比較してみるとする。後者は、佐々木敦が『ニッポンの音楽』(講談社現代新書、14年)で取り上げたようなリスナー型ミュージシャンでもあるので、いわゆる音楽ファンはコンテクストがわかりやすいと思う。一方、前者はそういう人たちからは音楽的に面白くないなどと批判されがちで。でも、両者を歌詞という観点から捉え直してみると、物語性という点でつながっている。ここで、最初の問いに戻ると、本書の制作を通して見えてきた、“新しさ”とは何か? それは、結局のところそれぞれだというつまらない答えしか言えないんだけど、“メルト”化や“サプリメント”化といった批判に対する反論だったり、“ポスト・ラップ”や“物語”といったテーマだったりをキーワードにすることによって、共通点も見えてくるんじゃないかな。ただ、それは、「最近のJ-POPの歌詞、翼広げすぎ」とひと括りで片付けられるような単純なものでもない。 中矢:私としては“新しい音楽とことば“がそのように単純じゃないことをヴィジュアル面でも表わそうと思って、江森丈晃さんに今回の本をデザインしていただきましたが、磯部さんとしては例えばこの表紙から読者のみなさんに何か感じ取ってほしいことはありますか? 磯部:表紙の模様はよく見ると鉛筆だということがわかると思うんだけど、それが未使用のままずらっと並んでいるというのは、これからこの鉛筆たちが新しい歌詞を生み出すのかもしれないし、もはや歌詞を書くのに鉛筆を使う時代ではないので、墓場のようなものだと言えるのかもしれない。ちなみに、この大量の鉛筆は、江森くんがアメリカで安く買ってきたアウトレットなんだよね。それを“和”のテイストが出るような配置で並べている。そこから、アメリカと日本の関係という、日本のポピュラ―音楽における重要なテーマを読み取る人もいるだろうね。あるいは、この本に栞紐が2本付いているのは、繰り返し言っているように、参加している様々なタイプのアーティストのリンクするところを探してほしいということでもある。そんなメッセージを意識しながら読むと、より楽しんでもらえるんじゃないかと思います。 ■磯部 涼(いそべ・りょう) 音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。 ■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう) 1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。NEWS、新曲「KAGUYA」が前作割れ8万枚スタート! バラエティ番宣が活発化も……
いまいちブランド確立には至らないコヤシゲ……
NEWSの新曲「KAGUYA」が1月7日に発売され、6日付けのオリコンデイリーランキングで8.1万枚を売り上げ、初日1位となった。日本テレビ系の「2014 FIFAワールドカップ」のテーマソングとなった「ONE −for the win−」に続く約7カ月振りのシングルとなったが、初日に9.6万枚を売り上げた「ONE」を下回る滑り出しとなった。
「KAGUYA」は、かぐや姫をモチーフにした世界観で、PV監督は鮮やかな色使いが女子から圧倒的な支持を得ている蜷川実花が務めている。また、振り付けは「カンヌ国際広告祭」をはじめ世界三大広告賞でグランプリを受賞し注目を浴びた「振付稼業air:man」が、「チャンカパーナ」に続いて担当し、スタッフ陣の豪華さから発売前から話題となっていた。発売から11日付けのオリコンデイリーランキングまで1位をキープしている「KAGUYA」だが、前作の売り上げを越えることは厳しい状態のようだ。
「もう根回しは終わっている」今年の『レコ大』は“結成10周年”AKB48で決まり!?
年末恒例の『第56回日本レコード大賞』が先月30日に発表され、三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBEの「R.Y.U.S.E.I.」が初のレコード大賞に輝いた。リーダーのNAOTOは感極まりながら「うれしいのひと言。素晴らしいアーティストがたくさんいる中でこのような賞をいただき光栄です。みなさんに取らせていただいた賞です」とコメント。ボーカルの今市隆二も「すべての方に感謝」と、喜びをかみしめた。 とはいえ、ネット上は「って誰?」「デキレースひどいな」と大炎上。こちらも年末恒例の光景になりつつある。 そんな中、早くも今年の『レコ大』について衝撃情報が流れている。ある芸能プロ幹部の話。 「今年のレコ大はAKB48で決まりです。本来、昨年ブッチ切りで売れたのはAKB。一昨年もそうです。逆をいえば、2度もレコ大を取るチャンスはあった。しかし、業界の“力”も働き、2年連続でEXILEグループに花を持たせた。そう考えると、今年はAKBの番」。 しかも、AKBにとって今年はグループ結成10年目のメモリアルイヤーだ。 「この業界は○周年というのを大事にする。昨年、JSBにレコ大を譲ったのも、今年が10周年だから。昨年の段階でもう根回しは終わっていますよ」(同) ここ数年はAKBグループとEXILEグループの持ち回りになっているレコ大。両者を超える人気アーティストが現れることを期待したいが……。『AKB48グループ オフィシャルカレンダー2015 』小学館
「地図にない村」が存在する3つの理由! 自殺、杉沢村、怪談…!!
【不思議サイト「トカナ」より】
都市伝説として語られることの多い「地図にない村・集落」。一体、なぜそんな場所ができてしまうのか、その理由を知っている人は少ないでしょう。実は、地図メーカーの単純な「印刷ミス」以外にも3種類の「地図にない村・集落」が存在するのです。 1、本来は取り壊されているはずの場所が残っている 危険度★ オカルト的怖さ★ 「本来は取り壊されているはずの場所」。たとえば、かつてダムの開発計画があった場所などがそれに該当します。ダム開発では「開発の許可が下りていながら、何らかの原因で中断される」場合が多々あるでしょう。たとえば反対運動が起きたり…。




