イカ天でバンドを辞めた! 震災で怒った! 元ビークル日高央が新バンドを立ち上げたワケとは

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THE STARBEMS
 テレビアニメ『BECK』(テレビ東京系)の主題歌を担当し、謎の覆面音楽集団として人気を博したBEAT CRUSADERSの日高央(ヒダカトオル)率いるPUNKバンド・THE STARBEMS(ザ・スターベムズ)の新作『VANISHING CITY』(ヴァニッシング・シティ)が、11月12日に発売された。ウルトラセブンや仮面ライダーなどの特撮ロケ地としても知られる茨城の採石場で撮影したというミュージックビデオもすでに解禁され、ラウドでPOPな新作の一端が明らかになっているが、その新作はもちろん、ビークル結成から解散、新バンドの立ち上げまで、日高のこれまでの音楽人生や音楽観をあらためて尋ねてみた。 ──日高さんといえば、お面をかぶったあのビークル(BEAT CRUSADERS)のイメージがパッと浮かぶわけですが、近年は「MAN WITH A MISSION」をはじめ、ビークルを受け継ぐような新しい覆面バンドが次々に登場しています。彼らの成功を見ていると、ビークルはまさにそのジャンルの先駆けだったのでは、と思いますが。 日高 結果的に、ですけどね。でも、それ以前にも覆面で活動していたバンドはもちろんいましたけどね。 ──ビークルでお面をかぶって活動し始めたきっかけというのは、なんだったのでしょう? 日高 デビュー前、LD&Kというインディーズアーティストを扱う音楽レーベルに勤めていて、当時、会社にバレないように、とかぶり始めたのがきっかけだったんです。 ──隠れるつもりが、逆に注目を集めてしまったわけですね。 日高 そうです。最初はこんなに売れると思っていなかったので、予想外でしたよね。お面なんて、半分シャレみたいなもんでしたから。「サラリーマンバンドマンが、顔隠して匿名でパンクをやりまーす」って。そのほうがYMOみたいでかっこいい、って思っていたんですよ。YMOも最初、誰が坂本(龍一)さんとか、わかんなかったじゃないですか。みんなサングラスして、人民服着て。そんな感じがいいなって、軽いノリだったんです。 ──会社にバレた後も、結局顔を隠して活動されていました。 日高 そういうスタイルが好きだったというのもありますね。あと、隠していたほうが都合のいいことも多かったんですよ。AVとかも楽に借りられますしね。風俗行ってもバレないしね(笑)。顔が有名になったって、いいことなんて何もないですから。 ──前述の「MAN WITH A MISSION」に関しては、日高さんがメンバー説というのも出ました。 日高 ありがたいお話ですけど、よく聴けば違いは分かりますよね(笑)。かわいい後輩たちです。覆面バンドでは、彼らを越えるようなインパクトのものは、もうなかなか現れないでしょうね。でも、お面をかぶってパフォーマンスって、俺もやっていた経験から、気の毒だなとも思いますよ。ライブとか大変だしね。あと、顔が見えてないのにかっこいい、かわいいとか言われてね。そんなかわいそうなことってないんですよ。ビークルもそうでしたが、お面を見て「日高さんかっこいい」ってブログにコメントされてもね、どう応えていいかわからないんですよ。 ──日高さんの話に戻りますが、そもそも音楽を始めるきっかけってなんだったんですか? 日高 小さい頃はモンキーズやビートルズが好きだったんですけど、中学校の時にラフィンノーズが出てきて、その影響から自分も一気にパンクにいっちゃったという感じでしたね。YMOも同時期に出てきて、ロック、パンク、テクノを同時進行で好きになっていって、自分もバンドを始めるようになったと。
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──ラフィンノーズって、ビークルと比較するとちょっと意外な感じもするんですが、どんなところが好きになったんでしょう? 日高 ライブの映像を最初に見たんですけど、地下のライブハウスで演者も客席の人々も有象無象に暴れ回るっていうね。そこだけ切り取ると怖いんですけど、でも、お客さんがみんな楽しそうにしているのが当時、衝撃だったんです。楽しそうに、もみくちゃになっているっていうね。あんなにおしくらまんじゅうして、なんで楽しそうなんだろうって。そういうのが、テレビに出てる歌手のコンサートと比べると、すごくリアルに見えたんですよ。 ──U.Kパンクからも強い影響を受けたと聞きました。 日高 1980年代に多感な時期を過ごしたんです。D-BEATっていうパンクの2ビートが始まったころで、ラフィンノーズからU.Kパンクにも興味を持つようになりました。歌謡曲とは違うビートの曲を初めて聴いたなっていう衝撃……そのスピード感が、童貞だった自分の持て余すような気持ちを刺激したんです。 ──テレビで流れる歌謡曲などは好きではなかった? 日高 8ビート自体が、あまり好きじゃないんですよ。みんなで手拍子しながらというのとかね。すごい速いか、すごいメロディアスかっていう、そのどっちかをいつも聴いていました。当時はやっちゃいけないことをやっている音楽のほうが、面白かったんです。反体制がかっこいい時代で、もろにそういう影響を受けていましたね。肩を組んで、みんなで歌おうみたいな世界観は今でも嫌です。 ──80年代も終わりになって、今度はイカ天ブームが来ましたが、イカ天のバンドはなぜか苦手だったとか。 日高 誰でもやれちゃダメなんですよ。誰でもやれると思わせるのは大事ですけど。見ず知らずのやつが楽器弾きましたって言って、それを聴かされてもいいわけがない。いくら選ばれているとはいえね。あの時代のビートパンクとかも嫌いじゃないですけど、影響はまったく受けてないです。彼らのようになりたいと思ったことは、一度もないです。当時の(学校に行きたくないみたいな)音楽的な思想もね。だって、学校の窓ガラス割ったって何も変わりやしないですからね。 ──イカ天が嫌で、一度バンド活動も辞めてしまったとか。 日高 辞めちゃいましたね。バンドがはやっちゃったんでね。バンドブーム的なことは、その後も全然好きじゃないんですよ。ブームでよかったことは、今まで何もないと思っています。ナタデココとかティラミスがはやっても、何もいいことなかったでしょ? ──バンドを辞めていた空白の時代は、何をやっていたんですか? 日高 バイトですね。モスバーガーです。社員よりお金もらっていましたよ。 ──その後、単身アメリカへ。 日高 大学を出た後ですね。アメリカに行く時には、バンドへの情熱も戻っていました。音楽業界に進むことを前提に、アメリカの音楽事情を勉強しようみたいな。英語ができたほうが、外資系の取引とかいいだろうって。あと、英語で歌を歌いたいっていうのもありましたし。
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ビークル時代
──当時のアメリカは、どんな音楽がはやっていたんですか? 日高 90年代に入っていて、KornやPearl Jamがはやっていましたね。カート・コバーン(Nirvana)が死ぬか死なないかの時。グランジの全盛期です。ライブは毎日行きましたね……。面白いと思ったのは、手当たり次第。雑誌とか見て、ちょっと面白いなって思ったら即行くっていうね。向こうって、ライブが高くても1,000円くらいなんですよ。日本よりも全然安くて、バンバン行けたんです。 ──その頃、バンド活動は? 日高 アメリカ時代はしていないですね。まず、ライブを浴びるように見ていたんです。アメリカは日本と違って、バーとか、カフェの軒先とか、お店のスペースを使ってライブをするという感じのが多かったので、スピーカーとか機材とか、たいした設備はなくて、その中でみんな良いライブをやっていて、感銘を受けましたね。機材の不十分を演奏で補っていくっていう発想に、びっくりしたんです。日本人って、たとえば演奏がヘタだったら機材を買うとか、教則本を買うとか、足し算で考えちゃうじゃないですか。向こうは最初から引き算で考えていく。モニターはないです、とか、スピーカーがないです、アンプがないです。ドラムがないです、どうしますか? ってなると、向こうの人はそれでもやりたいから持ち込むし、なければないで自分の技術で補っていく。そういうところは、日本人は外国人に負けていると思いましたね。 ──アメリカから帰国して、LD&Kに入社。音楽業界の裏方で働くようになるわけですが、裏方って、具体的にどういうことをやっていたんですか? 日高 いろんなことを全部やりましたよ。当時は3~4人しかいない会社で、何アーティストも担当するわけですから。自分はガガガSPとか、つじあやのちゃんのライブ現場を担当していましたね。ライブの会場でセッティングの手伝いしたり、取材の時はマネジャーみたいなことをしたり、レコーディングの時はローディみたいなこともしていました。レコード店への営業にも行きましたし。その当時は、自分がミュージシャンでプロとしてやっていくという気持ちは、まったくなかったんです。 ──その後、ビークルを結成。バンド活動を本格的に復活させるわけですけど、インディーズ時代のビークルの人気は本当にすごかったと聞きました 日高 4万枚くらいCDを売りました。当時でもすごい数字だったと思います。それで、会社にはすぐにバレちゃって(笑)。大らかなインディーズレーベルだったので、バレてビクビクするとか、そういう感じではなかったですけどね。いまだに当時担当していたアーティストから「日高さん、僕らのことやらずにビークルばっかりやっていたんじゃないですか」って言われますね。 ──インディーズでの人気を経て、その後メジャーデビュー。インディーズでずっとやっていて、メジャーへの抵抗感ってなかったんですか? 日高 メジャーは、好きではなかったですね。でも、メジャーに行ってもないやつがメジャーの悪口言っているのも違うなって思ってたんです。かっこよくないなって。もちろんインディーズの美しさはありますけど、誘われもしないのに「メジャーはクソ」って言うのも違うなと。ビークルの時はメジャーに行ったとしても、いつまでいられるか試せばいいじゃないか、逆に自分で変えられることがあれば変えていきゃいいじゃないかって思ってデビューを決めましたね。今は、どこまでプロとしてやっていけるか試しているところです。基本、音楽で食うだなんて、こんな面倒くさいことはないと思っていますからね。
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──ビークルは英語で歌うバンドでした。英語詞に違和感を持つ人も多かったのでは? 日高 そうでしょうね。でも、自分はYMO育ちだったんで、そんな声は全然無視ですよ。海外進出も視野に入れていたというのもありますけど、外国人が聴いたときの印象と、日本人が聴いたときの印象が同じというのがよかったんです。日本人だから絶対日本語でならなきゃならないというのもないと思うし、日本語の曲は歌詞が先に捉えられちゃう。そういうレトリックに巻き込まれるのが嫌だったんで、歌っている内容に共感してもらうのも大切なんですが、そこに捉われて曲の評価が後回しになるのは、音楽として本末転倒だと思っていたんです。 ──そして『BECK』の主題歌「HIT IN THE USA」で、ビークルは一躍全国区に名前を知られるアーティストになるわけですが。 日高 メジャーデビューした頃は、タイアップでパンチが出せた最後の時代なんです。『BECK』もタイアップでしたが、あれはでかかったですよね。もともとテレ東のアニメ枠で『BECK』をアニメ化するっていう時に、漫画はもちろん読んでいましたけど、それが当たるとは自分らも周囲も誰も思っていなかったんです。深夜だし、こういう話があるけどどうですか? って聞かれて、「やりたいに決まっている」って気軽に言ったら、話もあっさり決まってね。それがまさかあんなに当たるとは……。ラッキーでしたね。最初は、アニメファンにちょっと知ってもらえるかな、っていう感じで受けさせていただいたんですけどね。 ──当時、20万枚のヒットになったんですよね。ヒットの実感ってありましたか? 日高 ありましたね。いまだにありますよ。いまだに『BECK』好きですとか言われますしね。俺が描いたわけでもないのに(笑)。その曲しか知らない人も増えていくわけで、その曲を「これぞビークル」とか言われちゃうわけです。そういうのも売れるメリットデメリットなんだろうなって思いますけど、活動的には楽になりました。予算も出るようになって、ツアーもお客さんが入るようになり、グッズも売れるしってね。でも、売れちゃったことで、逆にバンドが短命になったという気もします。 ──解散は2010年。理由はいったい、なんだったんですか? 日高 売れてしまったことで、自分たちが単なる、仮面のポップな面白おじさんみたいになっている気がして、逆にもっとエクストリームにしたいって思っていたんです。もっとハードなことをやろうって。でもメンバー的には、それは違うんじゃないか? って話になってね。音楽の志向性が合わなくなっていたんです。それぞれ、もっとエレクトロに振り切りたいとか、もっとポップに振り切りたいとか、歌ものがいいんじゃないかとかね、まとまらなくなっていた。売れたことで、いろんな方向性が見えすぎるようになっていたんです。 ──解散が精神面に与えた影響は大きかったのでは? 日高 失恋みたいなものでしたよ。やっぱり悲しかったです。自分で始めたことだったのでね。でも、メンバーがやりたくないものを無理やりやらせるのも悪いし。 ──バンド解散後、THE STARBEMSを結成。その後、素顔をさらして活動していくわけですが。 日高 そうです。お面以外の手って、もう素顔しかないですからね。名前も「ヒダカトオル」とカタカナにしていたものを漢字に戻しました。ビークルの時はポップに見えたほうがいいというのでカタカナにしていましたが、もうそうする必要もないのでね。素顔に感しては、さすがに慣れるのに時間がかかりました。写真撮られるにしても、お面って楽でしたから。お面つけているから動きも大きくできた、というのもありましたしね。 ──THE STARBEMSについては、そもそもどういうコンセプトで立ち上げたんですか? 日高 とにかくハードなものをやろうと思って立ち上げたんですけど、立ち上げの直前に震災(東日本大震災)がありまして、それで少し雰囲気が変わってしまいましたね。最初は明るくポップなラウド集団というイメージだったんですけど、震災以降にラウドをやるにも、大義名分が必要な空気になってしまったんです……。どの音楽もそうだったと思いますが。自分の中でも、そうしないと納得がいかなくなっていて、ただ単に楽しく「わーってやりましょう!」っていうのも、このタイミングでは違うなって思ったんです。震災直後に弾き語りの企画で、郡山とか福島とか、3カ所くらい東北を回ったんですけど、実際に惨状を目の当たりにすると、「生半可な気持ちじゃあかんな」って思い直しましたし、ビークルで行かなくてよかったですね。お面かぶって「オマンコール」なんて無理ですよ。価値観も変わってしまったし、震災を経て初めて自分の中で浮き彫りになったこともたくさんあって、あらためてビークルを辞めるべきタイミングだったんだなとも思いました。 ──THE STARBEMSの1枚目(『SAD MARATHON WITH VOMITING BLOOD』2013年6月発売)が発売されて、かつてのビークルのファンの反響はどうだったんでしょう。 日高 良くも悪くも、ビークルを期待していた人はきれいにいなくなりましたよね。でも、ゼロからのスタートでいいって始めたんで、ビークルのファンに聴いてほしくないわけじゃないけど、同じことを期待されても……というのはあります。年々、うるさいじじいになりたいって自分は思っているんでね。ビークルっぽい曲もあるとは思いますけど、ビークルっぽいのは期待しないでね、というのが正直な気持ちです。
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ライブの様子
──近年はメロン記念日やBiSはじめ、アイドルへの楽曲提供の仕事も多くこなされていますね。 日高 BiSとか大好きです。もともとああいうメジャーでありながらアンダーグランドな人たちって、すごく好きなんです。不遇なアイドルを、作り手としてなんとかしたいというのがあってね。象徴的なのはメロン記念日。俺、ハロプロでメロン記念日が一番好きだったんですよ。なぜなら、かわいそうだから(笑)。平家みちよの妹分でデビューしたけど、平家みちよはデビュー後すぐいなくなって、モーニング娘。だけどんどん上昇していってね。そのギャップが面白くて。不遇なアイドルって面白いな、って。なんかほっとけないなって。 ──発売されたTHE STARBEMSの新作『VANISHING CITY』について教えてください。 日高 ファーストは震災後の社会に対して、ただただ「怒り」だったんですけど、ここからは「笑いながら怒ろう」って。竹中直人さんばりにね(笑)。すげえ笑いながら近づいてくるんだけど、よく見たら怒っているみたいな。そういうポップさにしたいなって。前はビークルから離れたかったんで、ビークルっぽい曲ができてもボツにしていましたけど、今回はイキにしているのも自分的には面白いところです。ビークルじゃんって言われても、まあいいやって開き直れるようになったんです。作っている人が一緒なんで、しょうがないってね。 ──ありがとうございます。最後に、ファンに一言お願いします。 日高 今は、ジャンルの細分化などで、リスナーが音楽を選ぶのが結構面倒くさい時代で。いろんなものがありすぎて選ぶにも選びにくい時代だと思うんですけど、THE STARBEMSの新作は、内容もリスナーを選ばないポップさになっていると思うので、なるべく多くの人に聞いてほしいです。元ビークル、元毛皮のマリーズのギター(越川和磨)がいるっていうインフォメーションを見てとりあえず興味を持った、なんていうのも全然ありです。とにかく、手にとってほしいですね。 (取材・文=名鹿祥史/ライブフォト=cazrowAoki) ●THE STARBEMS公式ホームページ http://www.thestarbems.com/ 『VANISHING CITY TOUR 2014 』 11月28日(金)大阪 梅田Shangri-La 11月29日(土)名古屋 今池CLUB UPSET 12月10日(水)渋谷TSUTAYA O-WEST

「泣かないことにこだわった」矢口真里と、“矢口復帰ロード”をせっせと作るモー娘OGたち

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矢口真里オフィシャルブログより
 元モーニング娘。の矢口真里が、『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)の出演前、保田圭に「絶対に泣かない」と宣言していたことが分かった。  11日放送のバラエティ番組『今夜くらべてみました』(同)に、モー娘OGの保田、飯田圭織、辻希美がゲスト出演し、矢口の話題に。矢口は『ミヤネ屋』の出演が決まった際、保田に「自分の口で伝えたい。泣いて話すのだけは絶対に嫌だ。ちゃんと話す」と報告。飯田にも「長い間ごめんね。でも自分の口で言いたいから」と話していたという。  同様の報告がなかった辻も、『ミヤネ屋』の生放送を見ていたといい、「2時間見てたんですけど、ブレイク(ブランクの誤り)を感じなかった」と振り返った。 「『ミヤネ屋』出演時の矢口は、『今までの人生で一番緊張してる』と顔をこわばらせていたが、保田に宣言した通り、涙は一切見せなかった。矢口は、不倫や離婚について、具体的な説明を避けたが、『私がすべて悪い』ということを繰り返し強調。また、ツッコまれると分かっていながら薬指に指輪をはめて出演し、恋人との同棲生活について告白。そんな矢口に対し、視聴者から『神経が図太い』などと揶揄が飛び交ったが、もし涙を見せていたら、テレビ業界は今後の矢口の扱いに困ったでしょうね」(芸能ライター)  また、矢口の復帰の盛り上がりと共に、テレビやPRイベントの仕事が急増しているモー娘OGについて、こんな話も。 「テレビやイベントでOGに矢口の話をさせるのは、矢口の復帰ロードを作るための事務所の戦略の一環。矢口のエピソードを聞くうちに、視聴者にも親近感が湧くでしょうし、OGが矢口の話をしているうちは、矢口が忘れられることもない。しかし、当の矢口は、数々のオファーを受けながらも、ほぼすべてを保留にしている状態。もうしばらく、OGが矢口の話題を引っ張る必要がありそうです」(同)  矢口の本格復帰は、いつになるのだろうか?

美奈子、婚活ターゲットは「医者」で大炎上! 「金目当て」「新たなネタ作ってきた」の声

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美奈子オフィシャルブログより

 11月12日放送の情報番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)に出演した美奈子の発言に、ネット上で批判が噴出している。11月10日付のブログで、夏頃から「婚活」を始めていたことを明かし、「時期が来たら、みなさんに発表したいことがあるので」と思わせぶりな報告をしていた美奈子。番組では再婚相手の条件など、理想を口にしていたが、美奈子の言葉に否定的な感情を抱く人も多かったようだ。

 美奈子は、“ビッグダディ”こと林下清志と離婚後、昨年7月に芸能事務所と契約し、タレント活動を開始。『ノンストップ!』の取材には、婚活パーティーやお見合いといった出会いの場には「週2ペース」で通っていたことを明かしたものの、再婚は「今のところまだわからないですね」と回答。また、相手を選ぶ条件については「金銭的に安定している」という理由から、医者、警察、消防、自衛隊員を求めていると告白。過去3度の離婚を経験して反省したのか、固い職業の人を希望していると語った。

悩みがとぐろを巻く夜こそ、大逆転の前触れ? 逆境を乗り越える“パートナー”とは

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 年齢を重ね、何でもそれなりにできるようになっても、男性との恋愛だけはいつまでたっても苦手……という女性も多いですよね。家族や友人に恋愛相談もできず、どう行動したらいいのかわからない。そんな時に意外と頼れるのが占いサイトです。時間や場所を選ばず占える携帯・スマホの占いサイトは、実際の店に足を運ぶより気軽で安心感もあることから、近年人気があるんだとか。

 数ある占いサイトの中でも最近、占いフリークたちの間で「的中率が高い」とウワサされるメール占いサイト「あなたが見る未来」。今回は、このメール占いを実際に体験されたOLの明美さん(31歳)にお話を聞きました。

◎予言通り運命の出会いがやってきた!?

「そこは聞かない、一生!」嵐・相葉雅紀のデビューにまつわるタブー

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相葉ちゃん、デビューにまつわること聞かれると目から光が奪われるのはなぜ?

【ジャニーズ研究会より】

 関ジャニ∞村上信五とマツコ・デラックスがMCを務める『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)。11月10日放送回には嵐・相葉雅紀が登場し、ジャニーズ秘話で盛り上がりました。

 実はジャニーズJr.時代には相葉の家によく泊まりに行ったという村上。しかし相葉は実家が千葉県にあることから村上から田舎者扱いされ、付けられたあだ名も「(いな)かっぺ」。そのため相葉は村上のことを「大阪の港区(のような所の)出身なんだ」と思っていたそうですが、のちに大阪出身者に聞いたところ「村上の住んでるほうは、東京(にとって)の千葉よりも“かっぺ”だよ」という事実が発覚。相葉は「ずっと騙されてたんだよ!」と訴えます。

名作『転校生』へのオマージュに終わらない! “入れ替わり”ドラマ『さよなら私』のファンタジーとリアリティ

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NHKドラマ10『さよなら私』
「関わりたくない」 尾美としのりは、それまで「面白いなぁ」と読んでいた『さよなら私』の台本を途中でパタッと閉じて、そう思ったという。  NHKドラマ10『さよなら私』は、人気脚本家・岡田惠和が、40代女性の本音と真の友情を描くドラマだ。主演は永作博美と石田ゆり子。二人は学生時代からの親友だ。仕事のできる夫・洋介(藤木直人)と名門幼稚園に通う息子・健人(髙橋來)がいるという、誰もがうらやむ家庭で専業主婦をしている友美(永作博美)。映画プロデューサーとして第一線で活躍し、独身を貫く薫(石田ゆり子)。それぞれ対照的な生き方ゆえ、いつしか疎遠になっていた。  ある日、もう一人の親友である春子(佐藤仁美)から同窓会に誘われ再会し、二人の親密な時間が再び動き出す。だが、薫の何気ない一言で二人の関係に異変が起こる。それは、春子と友美がお互いの息子の話をしていたときだ。 「(息子が)友美の髪につかまって寝るんでしょ、かわいい」 「え? そんな話……私、したっけ?」  自分が話さなければ知るはずもない家族の話を、なぜか薫が知っている。疑念を抱いた友美は薫の後をつけると、その予感は的中する。薫は友美の夫・洋介と不倫をしていたのだ。  「うらやましかったんでしょ、私が。だから私から洋介を奪おうとしたんでしょ?」と詰め寄る友美に、薫は「あなたの旦那だから好きになったんじゃない。ひとりの男として好きなのよ」と反論し、なおも続ける。 「してないんだってね、子どもが生まれて以来。私とはしてるよ、会うたびに。楽しくセックスしてる」  激高した友美は薫と取っ組み合いのケンカになると、勢いあまって、二人は長い階段を転げ落ちてしまう。  どこかで見たシーンだ。そう、映画『転校生』のように階段から落ちた二人は、同じように心が入れ替わってしまうのだ。 「うわっ、入れ替わりもんか」  尾美が台本をパタッと閉じたのは、そのシーンを読んだときだ。それまでリアリティあふれる大人のドラマという装いだったのに突然、使い古された「入れ替わり」というモチーフが挿入されたのだ。  驚いたのは、視聴者も同じだ。SF的要素が入るなどという気配をまったく感じさせないまま訪れた急展開に、あっけにとられてしまった。言うまでもなく、尾美はそんな「入れ替わり」物語の元祖ともいえる大林宣彦監督の映画『転校生』の主演を務め、「入れ替わり」を経験している俳優だ。だから「1回入れ替わればいいですよね。もうあんまり関わりたくない」と笑うのだ。  入れ替わりシーンでは『転校生』へのオマージュが捧げられていたり、そもそも本作のタイトルが『転校生』の有名なセリフの引用だったりしているので、尾美のキャスティングも当然、それを踏まえたものだろう。本作で尾美は、春子の夫・光雄を演じている。彼もまた、冬子(谷村美月)と不倫している。  これまで、ドラマや映画で使われる「入れ替わり」ネタというのは、『転校生』に影響されてか、そのモチーフのおかしさと相まって、コメディタッチの軽い作品がほとんどだった。だが、本作は「大人同士が入れ替わったら、どうなってしまうか」を深刻に描いている。  たとえば、前述のように薫は友美の夫・洋介と不倫をしている。もちろん、友美と薫の心が入れ替わったことなど知る由もない洋介は、いつものように薫に会いに来て、いつものように彼女を抱こうとする。薫だと思って体を求める夫と、親友の体のまま、引き裂かれるような思いで友美はセックスをするのだ。  一方、薫は友美の息子に対し、次第に“母”としての愛情が芽生えてくる。けれど、どんなに愛情を注いでも、実際は自分の子ではないし、いずれ自分のものではなくなる。そんな当たり前で残酷な現実に、打ちのめされていくのだ。さらに、入れ替わる前に友美が受けたがん検診の結果が届けられる。それは「乳がん」の告知だった。 <もし、入れ替わったままセックスしたら?> <もし、入れ替わったまま死が訪れ(そうになっ)たら?>  これまで描かれていそうで描かれなかった「入れ替わり」物語の「もしも」を丁寧に描くと同時に、それ以上に注力されているのは、二人の40代の女性たちのリアリティあふれる生き方だ。「入れ替わり」というSF的ファンタジーでありながらリアリティを損なわないのは、それ以外の細部が徹底して描かれているからだ。そのひとつのファンタジーが、逆にそれ以外のリアリティを強調するように浮かび上がらせていく。それこそがファンタジーの力だ。  そして『さよなら私』というタイトルも、単に『転校生』からの引用ではない。彼女たちの友情、愛情、葛藤、嫉妬、苦悩を通して、さまざまな意味に入れ替わり、一人ひとりが生々しい存在感を持った、入れ替え不可能な人間ドラマに昇華されているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

『ごきげんよう』や『ナカイの窓』にも…声優・金田朋子がバラエティ番組に引っ張りダコの理由

オタクに"なるほど"面白い!オタクニュース・ポータル「おたぽる」より

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アクロスエンタテインメント公式HPより。
 今月11日、フジテレビの人気バラエティ番組『ライオンのごきげんよう』に声優の金田朋子(以下、金朋)が登場。同じく人気声優の“山ちゃん”こと山寺宏一と共に軽快なトークで、スタジオを沸かせていた。そんな金朋だが、近年では、10月に放送された日本テレビ系のバラエティ番組『ナカイの窓』や、フジテレビのトークバラエティ『ジャネーノ!?』(放送終了済み)など、数多くのバラエティ番組でその姿を見るようになった。  もともと、ファンからは“金朋地獄”として奇矯な行動と共に親しまれてきた金朋。近年、声優の人気が上昇すると共にバラエティ番組への出演は散見されるようになったが、その中でも金朋は頭ひとつ飛び抜けている印象がある。その背景を、芸能関係者はこう語る。 「おたぽる」で続きを読む

TOKIO・松岡昌宏、爆弾発言投下! マスコミが自主規制した“城島スキャンダルいじり”

【サイゾーウーマンより】
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城島バブルの次はMABOバブルきてない?
 デビュー20周年を迎えたTOKIOが2日、東京・日本武道館で記念ライブツアーの最終公演を行った。同所はTOKIOがちょうど20年前のこの日に、デビュー後初ライブを開催した思い出の地。2万6,000人を動員し、アンコールには嵐の5人、生田斗真、KAT‐TUNの上田竜也、中丸雄一、Hey!Say!JUMPの知念侑李、伊野尾慧ら14人の後輩もステージに駆け付け、大成功のうちに幕を下ろした。さらに本番前には、TOKIOには珍しい囲み会見も開催したが、実は「どこにも報じられなかった一幕があった」(週刊誌記者)という。 「囲みで松岡昌宏らが、今年8月に『週刊文春』(文藝春秋)で報じられたリーダー・城島茂の“美女4人お持ち帰りスクープ”の話題に触れたんです。会見中、『城島に男性ファンが増えている』という話が出たんですが、松岡が『女性ファンは……リーダーは普段の行いが悪いからね~。 続きを読む

未亡人が芸能人に贈る「たかじんメモ」に疑問続出! まるでイタコの口寄せ?

【本と雑誌のニュースサイトリテラより】
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未亡人のさくら氏と百田尚樹氏(「やしきたかじんメモリアルウェブサイト」より)
 賛否両論が噴き出している百田尚樹のノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)。果たして本書は、無償の夫婦愛の物語なのか、それとも利権を独り占めした悪女の宣伝本なのか──。が、そんなことより、正直、気になって仕方がないのは、さくらさんが数々の芸能人に贈っている“例のメモ”である。  なんでも、メモ魔だったというたかじんは、生前、ノートに“メモ”を遺しており、そこでは多くの芸能人やスタッフのことが書かれているらしい。百田センセイが2年間埋まっていた執筆計画を変更してまで『殉愛』を書いたのも、はじまりはたかじんが彼を絶賛している“メモ”をさくらさんに見せられたからだというが、百田だけでなく、そのメモをさくらさんから見せられた人々はこぞって、その感動を口にしている。  たとえば、眞鍋かをりには、「人間失敗したもんしか成功を知ることはない 遠まわりこそ、人生の味わい」というあいだみつをを彷彿とさせる人生訓的メモが遺されていた。みんなが忘れかけていた事務所移籍騒動を蒸し返された格好だが、本人の胸にはよほど響いたのか、いまではメモを届けてくれたさくらさんと“女子会”を開くまでの親しい仲に。  また、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ系)で共演していた竹田恒泰もブログで「(たかじんからのメッセージは)さくらさんの言葉で伝えて下さいました」と述べ、そのメモには「恋愛に関するアドバイスもありました。。。」とのこと。そして眞鍋同様、さくらさんを「控え目で、気立てがよく、どこから見ても、至極素敵な方です」と褒め称えている。  さらに人気ミュージシャンであるコブクロは、さくらさんから「コブクロ→大阪恋物語」というメモを送られ、9月に大阪で行われた音楽イベント「大坂の陣400年音楽祭」で、たかじんの「大阪恋物語」をカバーした。  と、こんな具合に、メモを受け取った芸能人は、まるでありがたいお札でもいただいたかのように感動し、崇めているのだ。まさに“大阪の神の啓示”。しかし、漏れ伝わってくるメモの中身をチェックしていると、なかには「?」と首をひねるものもある。

80年代アイドル復権で“2時間ドラマの女王”争奪バトル勃発!「いしのようこ、伊藤かずえ、中山忍……」

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『ちょっと過激な19歳―今日を生きる』(ワニブックス)
 昨年放送されたNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』から火がついた80年代アイドルブーム。  当時もトップアイドルで、現在も芸能界のトップを走り続ける小泉今日子や松田聖子を除き、他の元アイドルたちはそれぞれの“道”を見つけているようだ。それが顕著なのが、各局で制作される「2時間ドラマ」なのだという。 「この枠は予算もあまりないのですが、やはり知名度のある人を使わないと視聴者も食いつかないんです。そういう意味では、80年代アイドルの知名度は抜群ですし、ギャラも今のトップ女優さんたちと比べれば破格の安さですからね。女性誌なんかでも、定期的に“あの人は今”的な企画をするじゃないですか。それだけ、当時のアイドルたちの知名度はものすごいということでしょう」(テレビ局関係者)  その「2時間ドラマ」で、“女王”を自負しているのが中山忍だという。 「最近は2時間ドラマの仕事しかしてないんじゃないかってくらい、出まくっていますね。基本的には美人の犯人役かマドンナ役しかしませんが(苦笑)。本人もこの路線を気に入っているようで、しばらくは2時間ドラマを軸でいくと言っていましたよ」(ドラマスタッフ)  逆に使い勝手がいい女優の代表格なのが、伊藤かずえだそうだ。 「彼女もキャスティングのときには必ず名前が挙がっていますね。地味な役も派手な役もできるので、オールマイティな存在です。作品を選ばないという意味では、中山さんよりも“女王”に近い気がしますね。その伊藤さんと同じくらい万能タイプなのが、いしのようこさんですね。彼女はいい人の役が多かったのですが、自ら『悪い人の役もやりたい』と言って、先日放送された『ヒガンバナ』(日本テレビ系)のような犯人役もやっています。今後、犯人役でのオファーも増えるんじゃないですかね」(芸能事務所関係者)  名実ともに、誰が“2時間ドラマの女王”となるのか――。
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