【リアルサウンドより】
突然降り始めた窓の外の雨を眺めていたら、編集者のケータイにテンテンコさんから電話が入った。この雨の中、道に迷ったという。ケータイから漏れる彼女の声は、いつかライブで聞いた嫌味のないアニメにでてくる女の子のような声だった。しばらくして、ふらふらと部屋に入ってきた彼女は、舞台で見るよりもずいぶん小さかった。私は改めて彼女を見ながら、あの感じを思い出した。
BiSの解散ライブで一番衝撃を受けたのは、「テンテンコは、事務所に所属せず、フリーランスで活動していく」と発表された時だったと思う。しかもすでに決定している直近のイベントには“DJテンテンコ”として出演するという。フリーランス? DJ? 私は彼女がひとりで険しい道を歩もうとしていることが不思議でならなかった。しかし同時に、それを実現することが可能な人だと感じたことを、不思議と全く雨に濡れていない彼女を見て思い出したのだ。
自分がどうしてフリーランスの地下アイドルになってしまったのかわからない私は、どうして彼女がフリーランスの道を選択したのか知りたかった。ひとりの少女が、テンテンコになるまで、何があったのだろう。
「中学生からライジングサンに行って、色々知りました」

当日はリアルサウンド編集部にてインタビューが行われた。
——生まれの北海道はどんなところですか。
テンテンコ:北海道の中でもずっと田舎に住んでいました。お父さんの仕事の関係で二、三年置きに海のある街を転々としてたんです。お父さんは音楽が好きな人で、車の中ではよく細野晴臣が流れていました。家の周りはなにもなくて、海と、あとセイコーマート……って知ってますか? 北海道のコンビニがあって、遊びに行く場所はそこだけでした。海っていっても海水浴とかできる海じゃないから、ずっと海沿いでアリの巣を眺めてました。みんな、よく見ると思うんですけど、アリの巣。
——アリの巣を眺める……おとなしい子どもだったのでしょうか。
テンテンコ:どっちだろう。友達の前とかだとわがままな自分を隠してて、大人しかったかもしれません。ひとりでいるのが好きで、ひとりになれる方法をいつも考えていました。海にもひとりで行ってました。幼稚園には年長で初めてちゃんと通い始めたんです。それまでは遠くて通えなかったので。当然、周りとは全然仲良くできなくて、毎朝行きたくなくて泣いていました。家には虫の図鑑とかがいっぱいあったから、本はよく読んでたと思います。姉の影響で初めてCDを買ったのは小学一年生くらいの頃です。細長いSPEEDの「white love」でした(8センチシングル)。
——どんな小学生になりましたか。
テンテンコ:小学校六年生で中学受験のために、札幌に家をうつしてから生活が変わりました。海でアリを見たり、チャリで山に行ってた生活が、プリクラもゲーセンもカラオケもある生活になったんですよ。びっくりですよ。隣のクラスなんか流行りの学級崩壊になってるし、なんかもうすごい! って感じでした。
——中学受験はテンテンコさんの希望なんですか。
テンテンコ:いえ、両親が転校続きで友達ができなかった私でも、中高一貫校なら大丈夫だろうって。女子高だったんですけど、仲の良い子が四人くらいできました。いま好きなもの全てできたのが、この六年間でしたね。そういえば世代的にモーニング娘。が流行ってましたけど、アイドルにはあまり興味なかったです。
——趣味が合う友達と四人も出会えるなんて貴重ですね。
テンテンコ:ライブハウスにも行くようになりました。最初は中学一年か二年の時に見たスパルタローカルズのライブです。北海道にはライジングサン(野外ロックフェス)があるので、中学生から行くようになって、色々知るようになりました。ゆらゆら帝国とか、フジファブリックとか。その後バンドの音楽はあまり聞かなくなっちゃうんですけど。
——ご両親は心配されなかったですか。
テンテンコ:心配はしてましたけど、両親も音楽好きなので理解があったんです。北海道にいた頃は、よくPENNY LANEっていうライブハウスに行ってました。あとはBESSIE HALL。ここはBiSに加入してからライブに行ったんですよ。
——おお、それは感慨深い。バンドの音楽を聞かなくなったあとは何に傾倒していったんですか。
テンテンコ:高校生で、札幌にある「ウィアード・メドル・レコード」っていう、変なCDとかレコードばっかり売ってるレコード屋に通うようになって、そこでしかCD買わなくなるくらいどっぷりハマりました。そこで私の音楽の趣味は厳選されたんです。元々、Bruce Haack の音源が買えるお店を探してて見つけたんですけど、実際にレジで「Bruce Haackあります」って言われた時に感動しちゃって。他にもThe Residentsとか教えてもらって、いまでも大好きです。自分だと英語が読めないけど、海外の音源も取り寄せてくれるのでよくお願いしてました。
「いつか東京で暮らすんだろうなって勝手に思ってました」

「久しぶりに同年代の女の子と話した!」という姫乃たま。
——店員さんも熱心な女の子が来て、嬉しかったでしょうね。当時は自分自身で音楽をやろうと思わなかったんですか。
テンテンコ:本当にただの遊びなんですけど、高校の友達と作ったカセットテープを、お店に置いてもらっていました。ラジカセを二台使って、鍵盤ハーモニカとかの音を録って流して、もう一台にその音と歌を録音して……。
——いまその音源が出てきたら、ファン同士で戦争が起こりそうですね。東京で暮らし始めたのはいつ頃ですか。
テンテンコ:大学進学をきっかけに上京して一人暮らしを始めました。東京へは以前から夏休みとかに遊びに来てて、憧れというよりは、いつかここで暮らすんだろうなって勝手に思ってました。田舎にいても何もないんですよ。バンドだってツアーで来るか来ないかで。でも東京ならしょっちゅうやってるし、このままじゃいけないと思って東京に来ました。
——では、東京での大学生活は華やかに遊び倒して……。
テンテンコ:いや、東京に来てからはぐうたらしてました。根がぐうたらなんです。大学でも友達全くできなかったですし。相変わらずライブには行ってましたけど、いま思い返してもひどい生活でした(笑)。大学の人とは趣味が合わないっていうか、みんな同じように見えちゃって。ライブも結局ひとりか、一年遅れで上京してきた中高の同級生と行ってました。
——BiSに加入するまでは活動されていないんですか?
テンテンコ:ちょっとだけバンドのボーカルをやってました。大学四年生になっても何もやってなくて、当時よく通ってた桜台にあるpoolって変なライブハウスにいつも通りライブを見に行ったんです。そこでドラムを叩いてた人から、「バンドのボーカルが辞めちゃうんだけど次のライブ決まっちゃってるから、君、歌わない?」って誘われて。私も暇だったし、まあいっかって、向こうも私の歌とか一切聞かないまま加入しました。
——えっ!それでデビュー?
テンテンコ:はい。一ヶ月後くらいにみんなで車に乗って、名古屋まで遠征してデビューしました。バンドはポップにちょっとノイズを足した感じで、ごちゃごちゃした演奏に私の声を乗せたギャップのある感じでしたよ。
——バンドはBiSに加入するために辞めたんでしょうか。
テンテンコ:特に理由はなく、私が大学を卒業する頃くらいに休止することになったんです。就職とかなんも決めてなかったので、やばいと思ってバイトでもすることにしました。どうせなら人目につくところにしようと思って、秋葉原のディアステージで働き始めたんです。二月から働き始めて、三月にツイッターでBiSのオーディションの話を見て、面白そうだから受けたら受かりました。だから私、ディアステージも二ヶ月しか働いてないんですよね。ぐうたら……。
——受けたら受かったBiSで“テンテンコ”になるんですね。テンテンコさんってもしかして、転校続きだったからテンテンコなんですか?
テンテンコ:えっ、違います。キョンシーの映画(『幽玄道士』)に出てくるヒロインのテンテンが可愛くて憧れてたからです。
テンテンに憧れていたぐうたら女子大生がみんなの憧れになるのは、このすぐあとの話です。
■姫乃たま
1993年2月12日下北沢生まれの地下アイドル。2009年より都内でのライブ活動を中心に地下アイドル活動を開始、2011年よりライターとしても活動している。他に司会やDJ、イベンターなど活動は多岐にわたる。
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(写真=金子山)