
政治キャンペーンに関わることになった広告マンを主人公にした『NO』。主人公レネは大統領派の脅しに遭いながらも、理想のCMづくりを進める。
15年間に及ぶ恐怖政治に引導を渡した若き広告マンがいた。ガエル・ガルシア・ベルナル主演の『NO ノー』は、南米チリの独裁者アウグスト・ピノチェトによる軍事政権末期に行なわれた国民投票の裏側を描いた実録ドラマだ。1日わずか15分のテレビキャンペーンによって、ひとつの国の歴史が大きく動いていく様子を当時の資料映像や実際に使われたキャンペーンソングを盛り込み、リアリティたっぷりに再現している。
日本で今年公開されたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の『リアリティのダンス』は、チリで生まれ育ったホドロフスキー監督自身の自伝的作品として注目された。『リアリティのダンス』はチリの独裁者イバニュス大統領政権下の物語だったが、同じくチリを舞台にしたパブロ・ラライン監督の『NO』はそれから約50年後となる1988年の物語だ。陸軍総司令官のアウグスト・ピノチェト将軍は1973年にクーデターを起こし、大統領に就任。強制収容所では連日にわたって拷問が行なわれ、共産主義者とおぼしき知識人たちは次々と処刑されていった。インドネシアの暗部を描いた『アクト・オブ・キリング』同様、暴力によって市民を支配した恐怖政治の時代だった。『イル・ポスティーノ』(94)で主人公に恋愛指南する“チリが生んだ偉大なる詩人”パブロ・ネルーダもこのクーデターの最中に亡くなった。ネルーダの発言力を恐れたピノチェト政権による毒殺説が囁かれている。南米の共産化を恐れた米国CIAの後押しもあり、ピノチェト政権は長期にわたって独裁政権を維持する。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』(04)で若き日のチェ・ゲバラに扮したガエル・ガルシア・ベルナルが『NO』で演じるのは、チリの広告クリエイターであるレネ・サアベドラ。実際に当時のテレビキャンペーンで腕を振るったマヌエル・サルセドとエンリケ・ガルシアの2人を組み合わせたキャラクターだ。ピノチェト政権を嫌って、長らく海外で生活してきたレネだったが、反大統領勢力からテレビキャンペーンの仕事を依頼される。ピノチェト大統領がさらに8年間続投するかどうか「YES」「NO」の信任投票が行なわれるまでの27日間、1日15分間だけ流れるテレビCMを制作してほしいというもの。国民投票といってもどうせ出来レースだろうと、ノンポリ派のレネは気乗りしなかった。
ところが、まぁ、大統領側「YES」陣営の作ったCMを見て、レネは愕然とする。「偉大なる将軍さま」とピノチェトのことを褒めちぎった歌を子どもたちに歌わせて、歌う子どもたちがボロボロ涙を流すという代物。北朝鮮のプロパガンダニュースといい勝負。こりゃ、ヒドい……。続いて「NO」陣営が用意したCMもレネは見ることに。「NO」陣営の映像はクーデター時にピノチェトたちがどれだけ残虐な行為を働いたかをドキュメンタリー風にまとめたもの。恐怖政治の実態を暴いた衝撃映像なのだが、レネは首を傾げる。果たして、このCMを見た人たちが投票所まで足を運ぶだろうか? プロの広告マンであるレネから見れば、「YES」陣営も「NO」陣営もどちらのCMも失格だ。だったら、プロの腕を見せてやろうじゃないの。レネのクリエイター魂に火が点く。でも、それは正義感や政治的ポリシーからではなかった。

キャンペーンソング「チリよ、喜びはもうすぐやって来る」が耳に残る「NO」陣営のCM。当時の映像をリアルに再現している。
プロの広告マンであるレネの両陣営に対するCM評はこうだ。「YES」陣営はピノチェト大統領(クライアント)をひたすらヨイショするだけで、CMを見るユーザーのことはまったく考えていない。一見すると力作のように感じられる「NO」陣営のドキュメンタリー映像だが、NO陣営の幹部は「民衆を啓蒙するため、そして勝ち取った放送枠を埋めるためのもの」と説明する。それでは「NO」陣営側の自己満足のためでしかない。CMとはテレビの前のユーザーたちがそのCMをまた見たいと感じ、CMに好感を覚えたユーザーたちがCMに映った商品を自分も手にしてみようと思わせるものでなくてはダメなのだ。レネは広告業界の先輩をブレーンに、手だれの作曲家とデザイナーも仲間に巻き込み、自分が理想とする“究極のCM”づくりを開始する。レネが作ったCMを見て、「NO」陣営の幹部たちはお口ポカーン状態。チリ人とはおよそ思えないモデル然とした若者たちがキャッチーなキャンペーンソングに合わせて歌い踊るMTV風のイメージビデオだったからだ。「これじゃ、まるでコーラのCMじゃないか」と頭を抱える「NO」陣営。だが、それこそがレネの目指す理想のCMだった。
「コーラのCM」と味方に酷評されまくったレネのCMだが、それまで政治に対して無関心を決め込んでいた若年層や、恐怖政治に怯えていた高齢層が、この底抜けに明るいCMに飛びついた。チリでは独裁政権が断続的に続いているが、もしかしたら本当に新しい時代が近づいているのかもしれない。毎晩流れるキャンペーンソング「チリよ、喜びはもうすぐやって来る」を何度も聞いているとそんな気がしてくる。これには「YES」陣営が慌てふためいた。たかが1日15分の、しかも深夜枠で流れるCMがこんなにも民衆に影響を及ぼすとは思っていなかった。レネが勤めるCM制作会社の上司グスマン(アルフレド・カストロ)に命じて、「NO」陣営そっくりの二番煎じのCMを流し始める。この時点でレネはしてやったりだった。製作費も放送枠も自由に使える「YES」陣営を、こちらと同じ土俵に引きずりこむことに成功したからだ。「YES」派と「NO」派のどちらの政治理念が正しいかではなく、どちらのCMが面白いかという戦いになっていく。チリの民衆は、かつてないユニークかつ国運を賭けた熱きCMバトルの行方に心を踊らせる。
CMの影響力や政見放送の舞台裏に興味のある人にとっては見逃せない内容の『NO』だが、観客には2つのハードルが待っている。ひとつは80年代の雰囲気を再現するために、パブロ・ラライン監督はあえてビンテージカメラで撮影しているという点。そのため、映像全体が粗いものになっている。クリストファー・リーヴやジェーン・フォンダらハリウッドの著名人たちが「NO」陣営へ応援メッセージを寄せるなどの当時の資料映像も違和感なく映画の中に溶け込んでいるものの、チリの現代史に興味のない日本人には昔のお話と思われかねない。CMや広告による洗脳力の強大さに言及した今日的なテーマの作品だけに、賛否が分かれるところだろう。

「NO」陣営に雇われたレネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)らフリーのCM制作スタッフ。戦いが終わった後は『七人の侍』(54)のような心境か。
もうひとつは、テレビでのキャンペーン合戦に「NO」陣営は劇的勝利を収めることになるが、観客は主人公レネが味わうはずの高揚感を共有することができないという点。15年間にわたるピノチェトの独裁政権に終止符を打つことができた「NO」陣営は誰もが勝利の美酒に酔いしれるが、勝利の立役者であるはずのレネは自分のCM理論が正しかったことを確認して一瞬だけ微笑むが、すぐに醒めた表情に戻る。そして、足早に「NO」陣営から去っていく。CMが持つ影響力をフル活用して視聴者を煽っただけであって、チリ国民が本当の意味での民主主義に目覚めたわけではないことをレネは誰よりも分かっていたからだ。レネが帰る場所は、CMの製作現場しかない。「YES」陣営に協力していた上司グスマンと一緒に、また新しいCMを作る日々が始まる。レネにとってCMとは自分が食べていくための手段でしかないのだ。
(文=長野辰次)
『NO ノー』
オリジナル戯曲/アントニオ・スカルメタ 脚本/ペドロ・ペイラノ 監督/パブロ・ラライン 出演/ガエル・ガルシア・ベルナル、アルフレド・カストロ、アントニオ・セヘルス、ルイス・ニェッコ、マルシアル・タグレ 配給/マジックアワー 8月30日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中 (c)2012Participant Media No Holdings,LLC.
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