シャ乱Qオフィシャルサイトより
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の芸能人>
「最近、夫も腰なんかに手を回してくれないから」富永美樹
『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS系、9月4日放送)
結婚生活の愚痴を言うのは、女同士の一種のレクリエーションだが、代表的な愚痴は、「夫の無関心」である。髪型を変えても気づかないというものから始まり、「帰りが遅くなったから駅まで迎えに来て」と言ったら「もうオバサンなんだから危なくない」と断られたというものまで、女性としての妻に興味がないという夫のエピソードは多い。
その一方で、時々、妻の服装や行動に制限をかける“妻に関心ありすぎ夫”も存在する。一緒に暮らすと面倒くさそうではあるが、無関心夫を持つ妻の中には、そんな束縛夫を支持する人もいる。束縛をするのは、自分の妻は女性としての価値が高いと感じているからであり、愛があればこその行動、つまり「束縛=愛情」だと考えるようだ。
しかし束縛夫は、本当に妻を女性として愛しているのだろうか。結婚16年目を迎える芸能界一の束縛夫・シャ乱Qのまことと、その妻である元フジテレビアナウンサー富永美樹を例に、考えてみたい。
まことの束縛、干渉を具体例で紹介しよう。『私の何がイケないの?』(TBS系)などで披露されたのは、「同窓会禁止」「門限は21時54分」「胸元の空いた服とスカート禁止」「ワキなどの永久脱毛、ネイル、つけまつ毛、香水、ハイヒール禁止」「パンツはベージュ限定」。要するに、セクシーに女性らしく装うことと、男性と知り合う(再会する)行為は、一切禁止ということらしい。
それでは、束縛夫・まことが見ていないところで、妻の富永はどのような行動を取るのか。9月4日放送の『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBS系)は、富永美樹の“夜遊び”を追っていた。いつもは禁止されているノースリーブと黒の下着、ミニスカートで富永は夜の街に繰り出す。女性の友人2人と食事をし、その後、店員の男性が全員イケメンというイケメンバーに出かける。ダーツをする時、イケメン店員が富永の手や腰などに触れ、それを受けて、「最近、夫も腰なんかに手を回してくれないから」と発言したのだ。
「腰に手を回してくれない」……この「くれない」という言い回しから、富永は「腰に手を回される」類のスキンシップをまことに求めていることがわかるが、同時に実際にそうされていないこともわかる。求めているスキンシップが、手に入っていないという意味では、富永は、世に多くいる無関心夫を持つ妻と一緒である。無関心夫は女性としての妻に興味がないので、結果的に妻の行動や外見に自由を与えるが、束縛夫・まことは、富永のこうした自由を奪って、ストレスを与えている。つまり、まことは束縛夫と無関心夫、両方の悪いところを持っていると言えるだろう。
束縛夫とも、無関心夫とも言えないまことは、どのような夫か。それは「嫉妬深い夫」である。その嫉妬の対象は、妻を口説いてくるかもしれない男ではなく、妻に対してである。昨年放送された『私の何がイケないの?』で富永は、まことが富永の料理を絶対に「おいしい」と言わないと訴えていた(食べやすい、というそうである)。外食する時もメニューを見るのは、まことが先、まことが料理に手をつけるまで、富永が食べてはいけない。まことはメールができないので、富永も禁止と、まことは常に妻の“上”に立つことを望んでいる。上下にここまでこだわる場合、妻への極端な束縛も、愛とは感じられない。妻の“分際”で、おいしい目に遭うな、チャラチャラするなよという嫉妬に感じられる。
嫉妬は誰もが持っている感情だが、それが表面化するきっかけは男女で違う。女の場合、「不安」がきっかけで嫉妬深くなるのではないだろうか。例えば、相手の男性と連絡が取れず、どこで何をしているかわからない……という。しかし男の場合、「不満」が原因となることが少なくない。人気ミュージシャンやお笑い芸人の妻が嫉妬深いと聞くことはあっても、その男側、夫が妻に対して嫉妬深いという話を聞かないのは、男側が現状に満足しているため、妻の行動に興味がわかないからである。
男の妻に対する嫉妬深さは、俺は不当に扱われているという、被害妄想に似ているかもしれない。なので、自分をよく扱ってくれる人に目移りしやすく、浮気しやすいとも言える。嫉妬深い夫を持つ女性の皆さまに、「うちの夫は私のことが大好きだから大丈夫」と油断してる場合ではないことを、付け加えておく。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。
ブログ「もさ子の女たるもの」

2014年5月、IBF世界フライ級王者アムナット・ルエンロン戦で、判定の末に敗北した井岡一翔。彼にとって、プロ転向後、15戦目にして初の敗戦であり、ミニマム級、ライトフライ級と王座に君臨してきたボクサーによる無敗での3階級制覇の野望が見送られた瞬間だった。
だが、これは一翔にとって初めての敗戦ではない。プロ転向以前、彼は敗北の辛酸をなめ尽くしてきた。
元フェザー級ボクサーである井岡一法を父に持ち、叔父は世界2階級を制した井岡弘樹。彼らからトレーニングを受けた一翔は、しばしば「サラブレッド」ともてはやされている。
しかし、アマチュア時代の彼は負けの連続だった。中学時代にボクシングを始めた一翔。当初から、彼の目標は「世界チャンピオン」ただひとつだった。しかし、高校1年生で出場したインターハイ予選、一翔はまさかの敗北を喫する。まだ全国大会ですらない、近畿大会での出来事だ。
「負けて泣くな! 泣くんやったら勝って男泣きしろ! 世界チャンピオンになるって言ったんちゃうんか!」(『今をブレない。』講談社)
父は一翔の涙に激怒し、ボクシングを辞めさせようとした。しかし、一翔はその叱咤に再び立ち上がると、史上3人目の高校6冠を達成。そして、ボクシングの名門として知られる東京農業大学に進学する。住み慣れた大阪の地を離れ、北京オリンピックを目標に据えた厳しい練習を行っていく。
だが、オリンピック日本代表選考会を兼ねた全日本アマチュアボクシング選手権大会決勝、一翔は1ポイント差で判定負けを喫し、オリンピック出場の夢は閉ざされた。金メダルを獲得し、鳴り物入りでプロデビューを飾るという夢が散った瞬間だった。そして、翌年の同大会でも判定負けの準優勝に終わった一翔は、大学を中退してプロに転向することを決意する。これ以上、大学に在籍していることは、大学生活に甘えているだけなのではないかと感じたのだ。だが、それはチームメイトたちへの裏切りを意味することとなる。
「僕は部員全員に憎まれてもしょうがないと覚悟していた」(同)
こうして、一翔は、挫折の末にプロへとたどり着いたのだった。
そして、プロに転向すると、一翔の快進撃は続いた。09年1月にプロテストに合格すると、4月にプロデビュー。3戦目には世界ランカーを打ち倒し、6戦目には日本ライトフライ級王座を獲得、7戦目には夢だったWBC世界ミニマム級王者を獲得する。しかし、その喜びは一瞬のうちに消えてしまった。
「ひとしきり喜びを噛みしめたあとはもう、自分が世界チャンピオンになれたことよりも、やっとスタートラインに立てたという意識のほうが強かった」(同)
夢だった世界チャンピオンになった瞬間、夢は通過点に変わった。さらに3回の防衛に成功し、ライトフライ級に転向。ここでもチャンピオンに輝いた一翔は3回の防衛戦を勝ち抜き、さらに上のフライ級へと転向する。そして、14年5月、アムナット・ルエンロンに破れ、タイトル獲得に失敗したのだ。
一翔の原点となっているのは、アマチュア時代に経験した105戦だ。ボクシングの世界では、プロに比較しても遜色ないほど、アマチュアのレベルは高い。プロよりもラウンド数が少ないため、試合序盤から相手の様子をうかがう余裕はなく、トップギアで打ちながら、相手の弱点を見抜いていかなければならない。そんな経験を実践で叩き込まれたことが、一翔がプロとして活躍できた一因だ。
そして、一翔を支えるもう一つの大きな柱が、「井岡」という看板だ。父と叔父が背負ってきた看板を、一翔はいま、一身に背負っている。彼に課せられた使命は、その名に傷をつけず、さらにその看板を磨き上げること。現在、一翔が目標としている3階級制覇は、叔父でありジムの会長である弘樹がついに果たせなかった夢なのだ。
プロとして初の敗戦から4カ月。9月16日には、後楽園ホールでコロンビアの世界ランカーとの再起戦を行う。プロとして初の敗北を喫した後だけに、この試合の成否が今後の一翔の方向を決めることになるだろう。井岡ジム会長である父は、これに勝利した後の大みそか、一翔を再び世界3階級制覇に挑戦させる意向を示している。





