――毒舌コラムニスト・今井舞が、話題のアノ人物やアノニュースをズバッとヒトコトで斬り捨てる!
この時代のワイドショーの熱狂たるや
◎『伊右衛門』がある
宮沢りえ……。可愛かったなぁ。彼女に関する我々日本人の共通認識って「若い頃、可愛かった」であるということを、今回りえママの訃報でまたあらためて確認した感がある。本当に、りえママが跳梁跋扈(ってのもアレだけど)していた往年の宮沢りえの容姿の完璧さたるや。何度見ても「うわ、可愛い~」で二度見釘付け。その可愛さ絶頂での貴乃花との婚約→婚約解消、で激ヤセ→プライベートゴタゴタ、で代役劇から突如2階級特進の「大女優」と。うーむ。「大女優・宮沢りえ」を否定する気は毛頭ないが。りえママ死去のニュースで、各局「宮沢りえのこれまで」みたいな映像流してたけど、作品いっこも出てこなかったんだよなぁ。『たそがれ清兵衛』ももちろんよかったんだけどねぇ。代表作だけ、今度教えて。

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宮沢りえの母親で、彼女の所属事務所である「エムツー企画」の代表取締役を務めていた“りえママ”こと宮沢光子さんが、肝腫瘍のため23日に亡くなった。享年65歳という若さだった。
りえママは、“豪腕ステージママ”としてりえをトップアイドルに育てたが、業界では“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長の力さえ及ばず、ビートたけしも舌を巻く人物として怖れられた。
りえは、11歳で三井のリハウスのCMの白鳥麗子役でブレークしたが、デビュー前から「六本木にある業界人ご用達のすし屋に、めちゃかわいい美少女がいる」と有名だったという。シングルマザーになったりえママは、昼は保険の外交員、夜は銀座の小さなクラブでホステスをしていた。りえがデビュー後、筆者はりえママの同僚だったホステスから、当時の事情を聞くことができた。それによると、りえママは当時、六本木のすし屋「F」の若旦那の恋人だったという。その関係で、りえをそのすし屋に預けていたために、常連だった芸能関係者の目にとまったというわけだ。
一方、酒乱のりえママは嫉妬深く、酔うと、すし屋のカウンター越しに若旦那におしぼりを投げつけたり、自宅から「自殺する」と店に電話をかけてきたという。そのたびに職人たちは、りえたちが住んでいた大泉学園まで様子を見に行かされたそうだ。
そんなりえママのエキセントリックな性格は、りえのマネジャーになって、いかんなく発揮された。デビュー時に所属していた事務所は、周防社長の息がかかった「Eプロ」だったが、CMでブレークした途端に独立。その強引さに加え、すし屋を舞台に築いた芸能界のさまざまな人脈をちらつかせる姿に、さすがの周防社長もなすすべがなかったという。
独立後のりえママは、利用できるとにらんだ芸能人、映画やドラマのプロデューサー、それに広告代理店関係者を取り込んでいった。ビートたけしも、そのひとりだった。
たけしとりえは、1992年に放送された即席ラーメンのCMで共演。CMのロケで欧米に行った際、宿泊したホテルの部屋に深夜、突然、りえが「ママに言われて来た」とやって来た。たけしは、りえを傷つけないように「早く帰って寝なさい」と帰した。たけしの良心で“逆夜這い”は未遂に終わったが、母親が娘に枕営業を勧めようとしたのだ。
その後、りえは松竹映画『豪姫』で主演を演じた。当時、松竹で“奥山ジュニア”と呼ばれていた奥山和由プロデューサーにりえママがすり寄って、主役に抜擢させたのだ。同時に、内田裕也も取り込んで映画『エロティックな関係』に出演させた。りえは当時、若手歌舞伎役者の市川海老蔵(当時は市川新之助)らと遊び歩いてウワサになったが、りえママの反対に遭って、交際には発展しなかった。
ところが、なぜか故・中村勘三郎さんとの関係は、不倫であるにもかかわらず交際を認めた。筆者は2人の関係を、友人が経営する六本木のバーでつかんだ。夏のある日、当時の勘九郎さんはりえとりえママに連れられて、初めてその店に来たという。カウンターだけのバーで、りえママは一番端に座った。クーラーが切れたということで、店のオーナーがクーラーを叩いたところ、クーラーから水があふれ出して、りえママの頭にドサッとかかってしまった。オーナーは平謝り、りえママは赤ワインのグラスに吸いかけの煙草を入れて「これが私の答えよ」と帰っていったという。その間、勘九郎さんは傍らで笑いをこらえ、帰り際に「面白い店だ。また来ます」と言ったそうだ。
その後、りえは勘九郎さんとの不倫の末に京都で自殺未遂を起こしことで摂食障害に陥り、女優生命が危ぶまれたが、その後、見事に女優復帰した。りえママの反対を押し切って元サーファーと“できちゃった婚”したが、夫婦関係がうまく行かず別居。離婚問題が片付かないまま、りえママは他界した。
“一卵性双生児”とまでいわれたりえママとりえだったが、二度とあんな豪腕マネジャーは現れないだろう。りえの、今後の生き方に注目したい。
(文=本多圭)





